2020年05月19日(火)
鴨川マスクラン [ランニング]
月間目標は250km、20日以上走る。
バイト日は走れないので、今月走れる日は24日。目標を達成するためにはバイト日以外は4日しか休めないのに、雨などでもう3日も休んでしまった。気を引き締めて、残りの期間にしっかり走ろう。
今日は鴨川へ。
いつも走っているところに比べると人が多いので、今日はマスクラン。手ぬぐいでもよかったのだが、めんどくさくて手軽な紙マスクにした。
柊野通学橋をスタートして鴨川左岸を南下。出町橋を渡り、鴨川右岸を北上し通学橋まで。これで約10km。
前のように汗でマスクが濡れて、鼻や口にピタッと引っ付いてしまうかと心配だったが、今日は曇り空で涼しかったのが幸い。
10km、1時間02分25秒。
今日はほぼ同じペースで走り切ることができ、思っていたより楽に走れた。右アキレス腱の痛みもましだった。
暑くなければ、紙マスクも平気。
これからは、「暑い時はマスクなしでいなか、暑くないときはマスクをして街中へ」ということにしましょうかねえ。
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午前中、きくと長代川沿いの道をお散歩。
すると、そこへ偶然にも内田さん(「峨山道トレイル」女子優勝者)が。
ランナー同士の話題と言えば、どうしても「大会が次々となくなって張り合いがなくなったこと」、「マスクやバフをして走らないと世間の目が厳しいこと」になってしまう。
でも内田さんは犬を飼っておられることもあり、きくちゃんのこともいっぱい聞いてくださった。
優しい人にかまってもらうと、きくもうれしいのかな。
そのあとも元気にスタスタ歩いていた。
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午後4時、いつもの柊野通学橋をスタート。
右アキレス腱が痛いので、できるだけやわらかそうなところをよってゆっくり走った。
御薗橋下の東側はしばらく通行止め。
めんどくさいけど、一旦上に上がって信号待ち。横断歩道を渡ってまた河川敷に下りる。
北大路橋を過ぎたところに、かわいい黒猫ちゃん。
首輪をしてるから飼い猫ですね。
出町橋で約4.8km。
今日もラクロスの練習をしている子がいた。
出町橋を渡って、河川敷におりたところで5km、31分23秒。
キロ6分半ペースで走ろうと思っていたのだが、アキレス腱の痛みがましだったのでだんだん速くなった。
上流に向かっても順調。
紙マスクもそんなに負担にはならなかった。
通学橋を渡ったところで9.75km。
中途半端なので10kmになるまで走った。
10km、1時間02分25秒(31分01秒)。
上りの方が若干速くなった。
平均ペース 6分14秒
カロリー 391
平均心拍 115
最大心拍 169
ピッチ 165
なるほど、楽に走れている。
あと1kmほど、体操をしながらダウンジョグ。
やっぱり、土のところは足にやさしい。
コンクリ舗装の部分、はがしてほしいなあ。
車に戻ると、キジ猫ちゃんがお迎え。
ここなら安心して生きていけそうやね。
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【今日のきく】
走り終わって帰っから、きくと宝が池へ。
ヨメさんは用事があったので、今日は私一人びき。
駐車場が閉鎖されていたのが元に戻っていた。これはありがたい。1時間200円以内に収まるように帰ってこなければ。
そう思って散歩をスタートしたのだが、きくはいきなり枝と枝の間に挟まっていた。なんか、こんなところが好きみたい。
池一周を50分以内と思っているのに、なかなかきくのスイッチが入らない。
もう6時を過ぎているので、人影まばら。
犬の散歩の方も見られない。
一時匂いを嗅ぐのを忘れていたのに、このごろよく匂いを嗅ぐようになってきた。これも元気になった証拠かな。
ちょうど中間点(スタートから750m)くらいのところに茶トラネコ。茶トラのほとんどがオスと聞いたが、ほんまかしらん。
私らの前をサササっと横切る白黒ネコ。
私が「ごんぞう」と呼んでる猫ちゃんかな。
ごんぞうでしたー。
写真ではよく分からないが、口の周りが黒い。
そのちょっと先には別の猫ちゃんも。
きくは全然気づいてへんけど。
途中100mだけ抱っこした。
でもそれ以外はしっかり歩いてくれた。
一周1.5kmを50分弱で。
昨日は夜中に目を覚まし、興奮して歩き回ったらしい。(猫の親子を預かっているせいかも。)
これだけ歩いたら、今晩は疲れてぐっすり寝てくれるかな。
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2020年05月18日(月)
今年の治療が始まるか? [病院]
「やっぱり・・・。」
甲状腺由来の細胞がどれくらい残っているのかを調べるサイロブログリン値。京大病院のK医師(前主治医)は、2以下なら様子見、2以上ならアイソトーブ治療推奨だった。
2月25日のサイログロリンブリン値が5.47。そして今日お聞きした先週5月11日の値が3.85。これはもうどう考えても、4年連続入院の決定でしょう。
ああ困った困った。
3年連続で入院していた京大病院のアイソトープ治療棟は、11月に取壊しが決まっている。そして10月末までの入院は予約満杯で、私が入れてもらうスキはなし。
ああ困った困った。
神戸の隈病院、空いてますかねえ。たぶん無理でしょうねえ。大分別府の野口病院は比較的空いているようだけど、京都の患者を受け入れてもらえますかねえ。
入院前2週間の「ヨード制限食」はたいへんやけど、いまさらそんなことはゆうとられん。受け入れてくださる病院があるのなら、たとえ大分別府でも行かんとねえ。
とりあえず、早く決着つけたいね。
ああこの入院の繰り返し、いつまで続くんでしょうね。
午後、京都日産高野店へ。
道路から駐車場に入ろうとすると、いきなりこうじ君(私の最後の教え子)登場。前に来た時は長髪だったが、散髪してスッキリしていした。
用事が終わった後、けっこう長い事しゃべった。
「こないだこうすけ君(こうじ君の1つ上)のお母さんに会って・・・」とこうじ君。
「へー。」
「20年以上ぶりやったと思う。こうすけ君も3年ほど前に会ったんやけど、なんにも変ってへんかったわ。」
「そうかー、めーほそかった?」
「うん。」
なかなか味わい深い会話やったね。
このごろ、こうじ君に会えるのが楽しみ。
しっかり治療して、この先もなんべんもこうじ君に会えるようにしなくては。
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【今日のきく】
きくもヨメさんも、保護した猫親子のせいでお疲れ。
ヨメさんは指をしゃぶっているように見えますが、しゃぶってはいません。
なんの役にも立たんパオパオですまんなあ。
みんなが疲れ果ててしまわんように、私ができることを考えようと思います。
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2020年05月17日(日)
京都走ろう会自主練習〜「走らんことには」〜 [ランニング]
今日は5月第3日曜。
ほんとうなら「奥びわ湖健康マラソン」に一人で出張販売に行っていたところ。滋賀からの帰りに、「鯖街道」のランナーを応援するのも楽しみにしていた。でも、その両方が中止。
それなら「京都走ろう会例会」にというところだが、こちらも8月末までは活動自粛で自主練習になっている。
それでも、5月3日には10名ほどが練習に来られていたらしい。こころづよいねー。
今日私には目当てがあった。
ゼッケン1番の佐藤光一さんといっしょに走られている高岡翼さん。かなりのご高齢だが、お名前が今風。そのお名前の由来を聞いてみたかった。
走り終わった後、率直にお聞きした。
「高岡さん、お名前『翼』という字ですよね。今の子に多い名前ですやん。」
「はい、私は翼と書いて『たすく』というんです。『翼』は、最近生まれた子の名前の10位以内に入ってますね。」
「そうですよね。高岡さんの時代には珍しい名前やったでしょう。どういう由来でそのお名前にしやはったんかなあと思って、前から聞いてみたいなあと思ってたんです。」
「僕は昭和16年の生まれで、太平洋戦争が起こるちょっと前やったんです。そやから戦闘機の翼と、日本人みんなを『たすく』という意味で父がつけたと聞きました。」
「はー、そうやったんですかー。」
佐藤光一さんと仲がいいので歳が近いのかと思っていたが、佐藤光一さん86歳、高岡翼さん79歳の7歳差だそうです。
佐藤さんいわく、「若い時の7歳差は大きいけど、僕らくらいになったら気にならへん。」
「いくつになっても、とにかく走れるうちはこうやって出てきて走らんことには」とおっしゃっていた。ほんまその通りですね。見習おう。
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今日は鴨川河川敷を走るので、マスクをしなくては。
ただしマスクには耐えられないので、日本手ぬぐいでおそうじおじさん風に。
出雲路橋西詰のクスノキ前に到着したのは、9時45分。
向こうのグランドでアップされている佐藤さん。自転車に乗ってこられた粟津さん。あれっ、二人だけ?
いつも10kmを走るときは3.1kmコースをアップジョグしているのだが、今日はお腹の調子がよくなく1.5kmくらい。
でも、アップから戻ると人がだいぶ増えていた。よかったー。
みなさんと少ししゃべった後、それぞれがまちまちにスタート。北出さんがあっという間にスタートされたので、私は単独のスタートになった。
スタートしてしばらく行くと、福田さんに遭遇。このごろ福田さんとお会いする確率が高い。たぶん福田さんは、毎日鴨川を走ってられるんでしょうね。
最初の1kmが5分近くかかった。
右アキレス腱も初めから痛いし、今日はだいぶ時間がかかりそう。
丸太町橋折り返しは12分12秒。
出雲路橋に戻って25分22秒(13分09秒)。
このちょっと先で5km、25分55秒。
鍵谷さん。
山本さん。
岩井さん。
高岡さんと佐藤さん。
北出さん。
御薗橋で39分20秒(13分57秒)。
競歩の柴田さん。
出雲路橋ゴール、51分53秒(12分32秒)。
日本手ぬぐいのマスクは息苦しくはなかったが、ずいぶん遅くなってしまった。やっぱり、右アキレスけんの痛みが、大きく影響したみたい。まあ、それでも「走らんことには」ですね。
走っている後ろ姿がどんなんか、自撮りしてみた。
前より後ろ姿の方があやしいですね。
私がスタートした時点で8名。粟津さんと斉藤さんは写真が撮れなかった。そのあと岩井さんと柴田さんが加わったので、ちょうど10名。いや、走っている途中コーツさんにも出会ったので11名ですね。
やっぱり一斉スタートじゃないのが物足りん。
早く元に戻してほいなあ。ダメでしょうか。
おっ、前から見ても眉毛のないこわいオッサンでした。
またこの日本手ぬぐいマスクで走ろうっと。
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【今日のきく】
今日は午後4時すぎに、二人びきのお散歩。
町内で野良猫が子猫を生んで大騒動。
親猫とまだ目のあいていない子猫4ひきを、我が家で預かることになった。私らはどうちゅうこともないけど、きくはストレスがたまるやろなあ。すまんなあ。
でも、散歩に出たときはでも、しっぽピーン!
できるだけたくさん散歩に出るようにしような。
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2020年05月16日(土)
「おきつね山のじょん」 [わんこ・にゃんこ]
綾部の「カフェ・じょんのび」さんから、「おきつね山のじょん」が送られてきた。
昨年7月に死んじゃったじょん君の物語。
私が「カフェ・じょんのび」を知ったのは、走友・谷村さんから教えてもらって。じょんのび村村長さんが、長岡京市市会議員のおっはーさんのお父さんとも知らなかった。
じょんのび村村長さんは「天橋立トライアスロン」の実行委員もされていたようで、第1回第2回と連続出場していた私とも何か縁がありますね。
人間の死亡率は100%。もちろん犬の死亡率も100%。
すべての人、すべての犬に「その日」は来る。
今日、ヨメさんと話していた。
「日本人て、宗教にのめりこんでいる人は少ない。でも、死ぬ時だけは別やな。こだわりがあるな。」
私もそう。
ふだん宗教的な行事にはまたく無関心。なーんにもしていない。
でも、8ひきの猫と初代番犬・えりの死にはふだんにはない感情がわいてきた。(あっ、もちろん母や父の死にも。忘れてた!)
「納得のいく死を迎えたい」、それは人も犬猫もいっしょ。そういう意味ではうちの犬も猫も15歳以上生きてくれたので、みんなにありがとうと言いたい。父も98歳だったし、母の65歳はちょっと早かったけど急死ではなかったし・・・。
じょん君の死にはちょっと引っかかるところもあったようだが、「泣くのをやめて、もう一度じょんとレン(じょんの母)にお礼を言おうよ」というじょんのび村村長さんの言葉は重い。
いつか来るきくの「その日」に、泣かずに「ありがとう」と言えるように自分を鍛えたいと思う。
じょん君ありがとう。
じょんのび村村長さんありがとう。
じょんのびかあさんありがとう。
いろいろなことをしっかりと考えるいい機会になりました。
じょん君の思い出はいっぱいあるけど、やっぱりこの二つかな。
「第25回9の日平和ラン〜じょんのび村から〜」2011年10月9日
「わんわん運動会inみわ」2013年3月31日
じょん君、わすれへんでー。
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※「おきつね山のじょん」の売上金は、不幸な犬猫の保護をされている方々に寄付されるそうです。入手方法は以下の通りです。
下記の口座に振り込んでいただければ、入金確認次第郵送いたします。
ゆうちょ振替口座 00940−7−322220 小原英明
頒価 1,000円 送料 1冊180円 3冊まで310円
住所、氏名、連絡先がわかるようにして下さい。
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【今日のきく】
今日は24時間バイトからの朝帰り。
きくは2階で寝ているものと思っていたら、私より早起きして雨の中を散歩に行っていたらしい。私の出る幕なし。
そのあとも雨が降り続いていたが、午後4時すぎにやっとやんだ。
「雨がやんだらお散歩行こな」ときくと約束していたので、張りきってGO!
何回も坂を下りたがっていたが、前に畑の持ち主さんから注意されたのでここはしんぼう。
近所にええ坂がないか探さなあかんね。
今日の晩ごはんは、私の大好きな豆ごはん。
ワラビののり巻き、カニカマサラダもおいしかった。
食べ過ぎて、今日は走れず。
夜のきくのお散歩。
最初は寝ぼけていて、全然乗り気じゃなかった。
でもそのうちスイッチが入り、しっぽピーン!
◯ッコも◯ンコも出て、よかったなあ。
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2020年05月15日(金)
あんももう9年 [わんこ・にゃんこ]
5月15日は葵祭。
5月15日は沖縄の本土復帰の日。
だからあんもちゃんの命日は絶対に忘れない。
ところが今年は葵祭が中止。沖縄の本土復帰48年もほとんどニュースになっていない。みんな新型コロナウイルスのせい。
でもこないだいなかに帰った時、あんもを始め8ひきの猫ちゃんと初代番犬・えりのお墓参りをしてきた。2年前の台風で大木が倒れ掛かり、どこが誰のお墓か分からなくなっていたけど。私が川から見つけてきた「あんも石」もどっかへ行ってしまった。
あんもが死んじゃった夜、きくにもお別れをしてもらった。
9年前なのできくはまだ6歳。血気盛んやったなあ。
今日、私は24時間バイト。
その間に、ヨメさんがきくを動物鍼灸院に連れて行ってくれた。また足腰が弱ってきたのが心配で。その道のスペシャリストがおられるらしい。
ラインでの報告を見ると、施術の効果があったようでだいぶ元気になったみたい。
21歳11か月まで生きてくれたあんもを見習って、きくもまだまだがんばってもらわんとね。(現在15歳2か月です。)
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2020年05月14日(木)
旧花脊峠ラン [ランニング]
今日は兄と父の相続の話をするために、いなかへ。
午後3時半ごろ花脊峠を越えたのだが、その時の気温が25℃。
夏ですね。
「賢兄愚弟」はうちの兄弟のための言葉かと思う。
何事もきちっきちっと進める兄と、なーんもでけへん弟。
あらゆる書類をそろえてくれていて、私はただ「お願いします」と言うだけ。賢い兄のおかげで、アホな弟も生きていける。ありがとうございます。
せっかくいなかに帰ってきたので、ちょっとは走らないとね。
ここは人との接触を気にしなくていいので。
午後5時ごろ、花脊峠方面に向かってスタート。
「花脊山の家」はずっと閉鎖中。
小4の子たちが来る施設なので、休校が続くとずっと閉鎖になりますね。
町の一番端にある寒暖計は20℃。
この時間でこの温度はめずらしい。かなり暑い。
旧道別れで約2.5km。
ここでパッとひらめいた。
「ふつう通り峠に行くより、旧花脊峠に行く方がおもしろいで。」
私が小さい時、冬は大雪でバスがよく止まった。
京都から花脊峠に向かうバスは、「峠下」でUターン。そこで降ろされた乗客は、バス通りではなく旧峠越えの道を歩いて帰る。もちろん雪をズボズボと踏みながら。
最終バスで降ろされると、街灯のない暗くて細い山道を歩いて帰ることになる。私も小学生の時に何回か歩いたが、今から思うと「八甲田山」並みの雪中行軍でした。
それから55年ほどたっているので、どんな道だったのかまったく記憶がない。まして、反対に別所側から旧峠に行く道など・・・。(こちらからも歩いて行ったはずだが。)
走り出すと、意外にいい道。コンクリ舗装がしてあり、普通の車でも上がって行けそう。坂もそんなにきつくなく、まあまあ走って上がれた。
500mほど進んだところがもう旧花脊峠。
あまりにも早く到着してビックリ。
現在の花脊峠が標高759mに対して、旧花脊峠は725m。
「こっちの道をきれいにした方が車は走りやすいんちゃうん」と思ったくらい。
しかし下りに入って、広い道が続いたのは少しだけ。
その先は倒木だらけの道なき道になった。
小さな川が流れていたので、とりあえず川から離れないように歩けるところを探し探し下りて行った。
1回足元を踏み外してシューズが水につかったが、慎重に下りて行ったのでこけることはなかった。
2年前の台風の被害。
峠の北側はほとんど倒木がないのに、南側は悲惨。
林業をされる方がほとんどないので、この山が元に戻ることはないと思われる。
途中から登山道らしきところに出て一安心。
まだ明るかったからよかったものの、日が暮れてしまうと遭難していたかもしれない。
途中に石垣が積んであるところもあった。
石の色からして55年前にもあったんでしょうね、記憶にないけど。
なんか向こうの方が明るい。
たぶん、バス通り。
うーん、まちがいない。
やっと広い道に出られる。
出ましたー。
ここも「旧道別れ」というのかな。このちょっと下が「峠下」バス停。
旧峠越え部分は約1.8km、22分。
ものすごくさまよった気になっていたが、たったの22分かーい。
ここから花脊峠への急坂上り。
自撮りピンボケ。
百井別れを過ぎて、ジグザクカーブを登っている時、後ろから追いついた車から声をかけてくる人あり。
「走ってんのかー。」なんと、多鶴子姉。
「こんなとこで会うとはな。」
人と会ったのはここだけ。
接触を気にせず走れるのがなにより。
きつい上り坂だが、キロ9分以内で走れていた。
深い呼吸もできている。
水飲み場で給水。
峠まであと少し。
車で通った時に撮った同じ場所で、もう一回撮影。
肉眼では、京都市の南の方までよく見えていた。
花脊峠到着6.2km、56分。
もう6時を過ぎているのに、気温は20℃。
「旧道別れ」で7.5kmだったので、バス通りで峠越えは3.2km。旧道1.8と新道3.2、そんなに変わらんようにも思えますが・・・。
下りは順調で、キロ6分を切るペースで。
田植えの準備をしている人あり。
自宅に戻って9.9km、1時間16分06秒。
山あり谷ありのおもしろいコースが走れてよかった。
着替えてすぐに帰る。
うちの入り口にかわいい花が咲いていた。
夕食は、ヨメさんが作ってくれたカレイのフライやグラタンにみき江姉が持って来てくれたワラビ2種類味。
しっかり走れた日はごはんもうまい。
早く、普通に走れる日が戻りますように!
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