2018年03月26日(月)
さらば、シエンタ [雑感]
11年乗った「トヨタ・シエンタ」がもう限界。
今年はもういなかに引っ込むかもしれんので、雪道に強い4WDが必要。
ということで、思い切って乗り換えることにした。ヨメさんには、「どこにそんなお金があるん!」と怒られたけれど。
今日でお別れ。
どうも廃車にされるようだ。
それでも11年も乗ったので、ちょっとでもきれいにしてから持っていこうと思った。
ぞうきんで中を拭きだすと、きくの毛だらけ。きくも気に入ってくれて、よう乗ってくれたからなあ。
前にも書いたが、シエンタにした理由の一つに、その名前がある。
10年近く住み慣れたいなかから一家で出てきて、不安なことだらけ。どこからでもどなたからでも「支援」を受けさせてもらえればありがたいと思っていた。「支援多かれ」でシエンタ。
車に乗り始めたのは24歳からなので、もう38年。何台の車に乗ったのか分からないが、シエンタはその中で最高の11年も乗り続けられた。心から「ありがとう」と言いたい。
乗り換える車が手配できるまでは代車。
「ラクティス」という車やそうです。
11年ぶりに乗る「シエンタ以外の車」は、こわくてこわくて。代車やから、絶対に事故を起こさんように気を付けなあかん。これから1か月、ヒヤヒヤしながら運転せんならん。たいへんやわ。
きくは最初「ちがう、ちがう」と言って車に乗ってくれなかった。でも、ヨメさんに促されてやっと乗ってくれた。
しばらく固まっていたが、窓を開けてやると、いつものように上手に手をかけて外を見ていた。
きくは柔軟性があるわ。
頭の固い私とえらいちがいやわ。
分かりやすい赤い車じゃなくなったけど、またきげんよう乗ってね。
鴨川の桜は今、こんな感じ。
ちらほら咲きです。
春になると桜が咲く。
あと何回、この新しい桜を見ることができるのだろう。
次に乗り換える車が、私の人生最後の車になるだろう。
そう思うと、ちょっと・・・。
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【RUN】
今日はいろいろといそがしく、走りに行ったのは6時半前。
もう暗かったので、安全な団地内1kmコースを走ることにした。
3周、5分26、5分10、4分51で15分28秒。
昨日まったく咲いていなかった近所の桜も、今日一気に開花。
暖かい日が続くらしいので、あと2、3日もすれば満開かな。
今日の夕食は、焼き魚と餃子とあえ物。
メキシコ産やったかな、超やっすいメロン。おいしかった。
本日の体重、56.9kg。
まだ力がわいてこない感じ。
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2018年03月12日(月)
感動・希望・勇気はいらない [雑感]
今日は寮2(出町)24時間。
オリンピックが終わって、今はパラリンピック。
以前、「感謝と恩返しが一番嫌いな言葉」みたいな記事を書いたことがある。みんなみんなおんなじことを言うので、気持ち悪くなってそういうことを書いた。比喩ではなく、そういう人を見ると本当にゲーが出そうになったこともある。
今日思ったのだが、私が二番目に嫌いな言葉は「感動・希望・勇気を与える」かなあ。こんなことゆうやつもぎょうさんおる。あー、もうゲー出そう。
そんなもんいらんし。(欲しい人もあるんかなあ。)
そんなもん、赤の他人さんがどうこうできるもんでもないやろし。
寮に行く前、喉あめがなくなってきたのでコンビニによってぷっちょを買った。
最初の1個に「好きな言葉は」という質問。
うーんと考えたが、「ヘンタイ」くらいしか思いつかん。
さて、その答えは・・・。
なんとその答えは、「LOVE&PEACE」。
忘れてたなあ。
これ、古くからの定番やん。
私もこれでしたね。
正確に言うと、「へらへら笑顔と空回り平和アピールラン」やけど。
以前、元NHK歌のおねえさんが「私の目標は世界平和です」と言って、みんなに笑われていた。この笑った人らの気持ちが理解できない。
人間が生きている意味は、「愛と平和」に収斂される。
本気でそう思う。
私の空回り愛は、ヨメさんと廉・真樹ときくちゃんに。みんな迷惑がっているけど。
空回り平和は沖縄に。これも迷惑がられてんのかなあ。
羽生結弦君は、若干23歳で国民栄誉賞を断ることはできんでしょう。
せめて受賞コメントをこれにしてほしい。
「僕の目標はLOVE&PEACEです。」
受けるで―。
頼むし、「感謝・恩返し・感動・希望・勇気」などのNGワード(私にとっての)は使わんといてね。冬季オリンピックのフィギュアのあとで、めちゃくちゃ楽しいコメントを出していた宇野君に教えを乞いにいったらええわ。
あいつはおもろい。あんなええコメントを出せる人間になりたいわ。
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2018年02月21日(水)
薄れゆく記憶 [雑感]
今日は寮1(二条)17時間。
ちょうど2週間前、ここで夕食のカレーを思いっきり食べてお腹が痛くなった。まさか、そのあと10日間の入院になるとは・・・。
朝8時半過ぎ、お掃除のKさんが出勤。
さっそく「バレンタインのチョコ」と言って、LOOKの宇治抹茶味をくださった。今年はバレンタインデーに入院中。私にとってはこのチョコが唯一ということになった。
Kさん、いつもありがとうございます。胆のうにはよくないので、一日一個か二個くらいにしときますねー。
Kさんにこの間のいきさつをまとめて話そうとしたが、うまくまとまらない。
最近思うのだが、食事制限をしているせいか、脳に栄養が回らず、その働きが鈍っている感じがする。特に記憶力が落ち、この2週間のことがよく思い出せない。
寮長さんも出て来られたので、ご迷惑をおかけしたことをお詫びした。せめて2週間前の水曜のことだげでも思い出して、きちんと報告しておかなくては。
「1年半前に、胆のうに胆石がいっぱいたまっていることが分かっていました。すぐに胆のう摘出手術をせんなんくらい悪かったんですけど、その時のCT検査で甲状腺腫瘍が見つかって、そっちの治療が優先になってしまって。
胆のうのほうは、食事に気を付けていたらそうそう発作は出ないだろうということで後回しになりました。
ところが2週間前の水曜日、寮の夕食でカレーが出て、若い子らにつられて思いっきり食べてしまいました。
夜7時半くらいに食べ終わって、1時間後の8時半くらいから痛み出し、それがだんだんひどくなっていったんですけど、あと2時間くらいで帰れるしとしんぼうしました。
11時の館内巡回が終わって、運転して帰ったんですけど、あまりにも痛すぎてこの時の帰り道の記憶がほとんどありません。
家に帰っても全然痛みはましにならず。そこですぐに救急車を呼んだらよかったんですが、前におとなしくしていたらストンと痛みが治まった経験があったので、とにかく朝までしんぼうすることにしました。
ところがけっきょく痛みは治まらず。夜が明けてきたのでヨメさんに起きてもらい、車で救急外来に連れて行ってもらいました。
ヨメさんはすごくゆっくり運転してくれたんですけど、ちょっとした振動がお腹にこたえて、7時過ぎに病院に着いたときが最高の痛みになっていました。
その救急外来で言われたのが、『8時半になれば専門の先生が来られますので、それまで待ってください』。
その言葉にヨメさんがブチ切れて、『それなら、ここから救急車呼んで、別の病院に運んでもらいます!』
しっかり覚えているのはこのへんまで。
あとは、救急担当の医師と看護師さんが・・・。いろいろとしてくださいましたね。」
10日間の入院生活も、いろいろな方がお見舞いに来てくださったが、あれも夢かも。
退院日にみやこめっせまで往復走ったのも、夢やったのかも。
まあ、このブログに写真入りで記事を書いているから、夢ではないみたい。
食事制限続行中なので、全然体重が戻らない。昨日も夕食後なのに56.4kg。
今日も寮長さんに、「えらい頬がこけて・・・」と言われた。
明日も胃カメラ検査のため、今日の夕食後から絶食。
胆のうに負担がなく、ちょっと食べたらすぐ体重が増えるという食べ物、ありませんかねえ。
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2018年01月26日(金)
転移しても・・・ [雑感]
◎日本経済新聞1月24日夕刊
がん社会を診る
転移しても長く生きられる 中川恵一
原発巣から一部のがん細胞が血管のなかに入り込み、血流に乗って他の臓器に「植民地」を作る遠隔転移はがんの生き残り戦略といえます。
例えば肺がん細胞は肺の正常な細胞が不死化したものですから、肺がもっとも住みやすい場所です。しかし、がんを養うための血管などありませんから、がん病巣が大きくなると、その内部は栄養不足、酸素不足になります。がんは多数の小さな病巣に分かれて増殖した方が全体の数を増やすには有利なのです。
しかし、がん細胞が別の臓器に漂着して増殖するのは難しく、血管に入ったがん細胞はほとんどが途中で死ぬことが分かっています。それでも、トライを繰り返すうちに転移に成功する細胞も出てきます。その前に原発巣を消し去って、トライを止めさせるのが「早期発見→早期治療」の意味なのです。
がんの患者さんが一番恐れるのはこの転移です。多くの方が、がんと診断された時以上にショックを受けたと言いますが、これは転移が起こると完治する確率がほとんどなくなるからです。
しかし、近年の分子生物学の進歩によって、発がんの原因となる遺伝子変異が続々と発見されており、転移しても長く生きることもできるようになってきました。これまでの「転移→余命宣告」の図式が大きく変わりつつあるのです。
例えば、肺がんの約5割を占める腺がんの場合、発がんに関連する多数の遺伝子変異が確認されています。とくに日本人にとって重要な遺伝子変異は、細胞表面にある上皮成長因子受容体(EGFR)の変異です。この変異が起こると細胞増殖のカギとなる「チロシンキナーゼ」のスイッチが常にオンになってしまい、発がんの原因となります。
このEGFRのチロシンキナーゼのスイッチをオフにする治療薬(EGFR―TKI)が複数開発されています。第1号のイレッサに続き、タルセバ、ジオトリフ、タグリッソの4種類の薬が健康保険で使えますが、その次世代の認可も視野に入っています。
こうした薬を順に使っていくことで、全身に転移があっても5年以上生存する患者が増えています。「抗がん剤は効かない」といった誤解は過去のものといえます。
(東京大学病院准教授)
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こないだ沖縄から戻る前の日、真樹が言った。「また今年も6月23日に走るん?」
「走るでー。でももうその時は、真樹はあいあいファームにはおらへんにゃなあ。どこをゴールにしようかなあ。○○(次の真樹のバイト先)は、どう?」
「山の中やから、誰も見てくれはらへんでー。」
「そやなあ。」
今はこうして半年ほど先のことも考えられるが、ちょっと前は無理だった。
おととし10月11日に癌宣告を受け、「全身に遠隔転移している可能性大です」と言われた。その時は「全身転移=苦しんで死ぬ」と思っていた。それも、自分の計算では二年以内くらいで。
やりたいことは全部一年以内にやり遂げ、あとの一年で静かに死を迎えられたらなあと漠然と考えていた。
ところがそのあとのPET検査で、「現時点で転移はなし」という結果。「可能性大とちゃうんですかー」と言いたくなったけど、ほんとは喜ばなあかんかったんですね。
もうすぐ、アイソトープ治療後半年の検診。
転移してるんですかねえ、してへんのですかねえ。
転移していたら、また入院です。
さあ、運命の分かれ道。
「転移しても長く生きられる」という言葉を信じましょうか。
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2018年01月22日(月)
雨、雨、雨から雪、そして知らんぷり犬 [雑感]
昨日の晩ごはんは、真樹の手作り。
おいしいおいしいカレー。
みんな褒めてくれるという自信作。ほんとうにおいしかった。
夜寝る前から雨になった。夜中降り続け、朝方はさらにきつくなっていた。
名護行きのバスと、そこから空港に行くやんばる急行バスの乗り継ぎがうまくいかない。それで、真樹が名護市役所まで車で送ってくれた。
真樹のところから車で20分。雨がきつかったので、ほんとうに助かった。
名護市役所前9時のバスは7分遅れ。
高速を出た宜野湾か浦添あたりで事故があったらしく大渋滞。雨は降り続いているし・・・。これで飛行機までの時間が迫っていたら、心臓に悪かったでしょうね。
私が乗るスカイマークは12時45分発なので、予定通りに着いたら2時間の余裕。多少遅れてもイラつく必要もない。
那覇軍港には、何を運ぶ船なんでしょう、いかめしい船が停まっていた。
空港に着いたのは、予定より40分近く遅れた11時25分。それでも私の出発までは1時間20分ある。余裕たっぷりです。
途中でバスを降り、ゆいレール・古島駅から乗り換えた方もあった。みなさん、飛行機に間に合ったんでしょうか。
もちろん那覇空港も雨。
沖縄に来た日も帰る日も雨というのは初めて。
「雨が降った方が気温が下がってマラソンにはいい」と思っていたが、こんなに降り続いていたら走る気力がなくなっていたかも。
神戸空港14時50分着予定が、10分ほど早く着。
スカイマークはピーチとちがって、定時運行を徹底しているのがいい。うちの家から神戸空港に行くのが乗り継ぎ乗り継ぎでたいへんだが、ICOCAで全部行けることが分かったのでだいぶ楽になった。
神戸も雨。
気温は5℃。沖縄とは15℃くらいの差。
山のほうは雪で白かった。
京都も雨。
うちらへんは京都市の北の端なので、もう雪になりかけていた。
「きくちゃん、帰ってきたでー」と呼んでも、なかなか来てくれない。
やっと来てくれたと思ったら、「えっ、だれ?」という顔。
「なにしっぽたれてんねん。3日前までおったやろう。」
「えーっと、えーっと・・・。」
いつも通り、ずっと知らんぷりの続くきくちゃんでした。
夜はやっぱり雪に。
ますます冷えてきた。
「きくちゃん、おちゃんぽいこかー。」
「どこのどなたか分かりませんが、すんませんなー」てか?
夜遅く帰ってきたオバサンに、「知らんオッサン、こわかったー」と訴えているきくでした。
「なんでやねん!」
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2018年01月12日(金)
中は1℃、外は−5℃ [雑感]
今日は寮2(出町)24時間。
朝6時起き。
居間の温度は1℃。
ストーブをつけると、すぐにきくが飛んできた。急いでいたので写真を撮るのを忘れたが、きくがストーブに当たっているときの顔はほんまに「しあわせもんじゃー」。
あんまりさぶそうだったので、床暖だけつけたまま家を出た。きくももう婆さん犬やから、ぬくとうしといたらんとね。ああ、ネコっぽい。
6時半に家を出て、車に乗ると外気温−5℃。今年の最低気温です。うちのいなかはここより5℃ほど低いので、−10℃か!
明日とあさってはセンター試験。
なんで計ったように、この時期にこんな寒くなるんでしょうね。受験生、かわいそう。
せめて、去年みたいな雪は降らんといたってくれよー。
これはおとといのきく。
ぬっくいところを見つけて、まどろむのが得意。
それって、ネコちゃうん?
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