パオパオだより

2018年03月10日(土)

パオパオが好きな3つは [ランニング]

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 「好きなものを3つ挙げよ」と言われてすぐ思いつくのは、「ますみちゃん・沖縄・干し柿」。ヘンタイですなあ。その次は「きくちゃん・おふろ・シュークリーム」かなあ。やっぱりヘンタイです。

 今日は一般人にも話が通じる3つ、「マラソン・野球・映画」。
 恒例、普通の車いすランナー・下山さんの伴走で東京行き。以前は往復夜行バスで行ったりしていたこともあったが、もうそんな元気はない。
 東京ブックマークは安い。京都東京往復新幹線代だけで28000円かかるのに、ホテル代を入れても23800円(ただし、新幹線はこだま)。ここまで安いと、早朝ののぞみの追加料金2000円をプラスして、土曜日は一日東京観光に。

 午前は皇居マラソン。午後はプロ野球オープン戦。そして、夜に映画。
 末っ子の私は本来ならこんな計画は苦手なタイプのはずなのに、あれこれ探してきっちりみっちり計画を立てた。そして、全部うまいこといきましたわー。
 よかった、よかった。
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【マラソン】

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 京都駅を6時48分に出るのぞみに乗るため、朝6時にヨメさんの運転で地下鉄・国際会館駅へ。あとはすべてうまくいき、東京メトロ・半蔵門駅に着いたのは9時過ぎ。
 曇り空でちょっと肌寒かった。

 私が申し込んだのは「第13回皇居マラソン・10kmの部」。スタート予定時刻に遅れても、いつでもスタートできるという気軽さがよくて申し込んだ。

 半蔵門前に交番があったので、そこが集合場所だと思っていた。ところが、ランナーは3、4人。おかしいと思って、アップがてら北に行くと、千鳥ヶ淵の交番の近くがスタートゴール地点だった。早く気づいてよかった。

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 「土日のランニング大会は禁止」という看板があちこちにあった。しかし、ナンバーカードを付けたり、たすきをかけて走っているランナーが多数。私が確認しただけでも、4つの大会が開かれていた。これは、「ナンバーカードを付けた練習会」という扱いなんでしょうか。

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 9時にハーフの部がスタートしており、10km5kmは10時スタートということだった。
 一斉にスタートするのかなと思ったら、一度に4人ずつ。これはいい方法です。私は第2組、10時03分にスタート。

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 最初が下りなので、気持ちよく飛ばせる。
 1km地点で4分30秒。
 足指の付け根もほとんど痛くない。

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 長ソデ+ロングタイツにしといて正解だった。
 なかなか体があったまらなかった。

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 桜田門を超え、北向きの直線(二重橋前)に入ると、かなりきつい北風。
 早くも失速。

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 それでも、1km4分45秒くらいをキープ。

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 北側の上りはこたえるけど、梅(?)の花がきれい。
 これを見てがんばる。

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 早咲きの桜だろうか、ちらほら咲き。

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 ここはちょっと狭くて走りにくいところ。

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 千鳥ヶ淵に戻って5km、24分15秒。
 腰痛の割にはまあまあやね。2周目がどうかなというところ。

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 2周目の下りも気持よく走れた。

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 桜田門前広場では、3つのグループが大会を開催している模様。

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 北風にも負けず、長い上り坂にも負けず・・・。

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 やっと戻ってきました。
 大会主催者さんは、2人ですべての仕事をこなしておられた。

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 10km、48分29秒。
 おー、すばらしい。1周目と2周目が同じタイム。
 2周目がよう落ちんかったもんや。だいぶ復活してきたかな。

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 どこのスタッフさんか分からないが、女性が応援されていたので写真をお願いした。

 こんな格好で走ってました。
 シューズはターサージールTS4、ソックスはミズノ5本指(アーチサポート)で。

 これで、明日の下山さんのハーフ伴走もバッチリです。
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【野球】

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 ほんとはヤクルトを見たいところだか、今広島でオープン戦をやっている。 
 東京近辺では、日ハム対DeNAのみ。それも、千葉県の鎌ヶ谷スタジアム。
 それ、どこ?

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 ちゃんと調べましたがな。
 3通りの行き方があったが、最終はすべてバス。一番近い鎌ヶ谷駅からでもバスで10分ほどかかるらしい。 
 バス停前はすごい行列だった。その横においしそうなパン屋さんがあったので、ちょちょちょいと買いにいけばよかった。けっきょく、お昼ごはんを食べそこねてしまったので。

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 バス代は100円。これはよかった。

 どんどんいなかのほうに入っていき、低木で果物を育てられているようなところがたくさんあった。あとで分かったのだが、それは梨の木だった。

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 鎌ヶ谷スタジアム到着。
 2軍の球場としては立派なものだった。 
 ただ、食べ物屋さんが少ししかない。ものすごい列だったので、もうお昼ごはんはあきらめた。

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 内野席は売り切れで、外野立見席(1000円)しかなかった。まあ、それで十分だけれど。

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 13時プレーボール。
 栗山監督とラミちゃんが握手。

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 ちゃんと、日ハムのマスコットも来てました。

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 日ハムの選手もDeNAの選手も、ほとんど知らない。大谷選手はもうおらへんし。

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 まあ、今日は日ハムの清宮選手とDeNAの筒香選手を見に来たようなもん。
 筒香選手は、ヨメさんの親友の息子の「ちさっちゃん」そっくり。少年野球で活躍していた「ちさっちゃん」が筒香と名を変えて、プロ野球に入ったと言ってもいいくらい。だから親しみがわくんです。

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 外野席の一角は、DeNAファンで埋め尽くされていた。すごい数。
 そらそうや。千葉は、北海道からくるより横浜のほうがずっと近いし。

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 「つつごー」
 外野席から、私のしわがれた声は届かんかったやろね。

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 日ハムの応援団はこれだけ。DeNAの3分の1以下。 
 ちょっとさびしい。

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 曇り空でけっこう寒かったのに、こんな時でも生ビールは売れる。

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 2回裏、清宮選手がバッターボックスに。
 いい振りをしていたけど、三振。前に飛ばしてほしかったなあ。

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 筒香選手も、今日はさっぱり。

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 ホームチームは、こうして紹介してもらえるのでいい。
 2軍の球場のとはいえ、設備は充実している。

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 清宮選手には一番声援が多かった。

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 しかし、また凡退。
 プロ入り後、まだ1本もヒットが出ていないらしい。

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 筒香選手も3打席凡退して、他の選手と交代してしまった。

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 5回裏のグランド整備の時間に「ラジオ体操」。

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 これはおもしろい企画です。
 けっこう客席でもいっしょにやっている人が多かった。

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 お腹が減ったままの2時間立ちっぱなしはきつかった。 
 筒香選手も引っ込んだことやし、お昼ごはん食べに行くか。

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 一応、球場をぐるっと回ってお別れ。
 またここに来ることはあるのだろうか。

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 ちょうど3時のバスがあったので、それで鎌ヶ谷駅まで。
 途中からいい天気になって気持よかったし、まあまあの野球観戦になった。
 来年はヤクルトを見たいなあ。

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【映画】

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 とりあえずお昼ごはんと思い鎌ヶ谷駅周辺を歩いてみたが、全店準備中。そのほとんどがお昼は2時半まで。これではお話にならないので船橋駅へ。

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 船橋は都会だった。
 おいしそうなお店「和ごはんとカフェ・chawan」が見つかったので入店。

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 「牡蠣&ヒレカツ」(1285円)。
 かなり高かったが、4時前でもうお腹ペコペコ。それで冷静な判断ができなかった。
 おいしかったから、いいということにしましょう。

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 食べ終わって、京成小岩の「ホテルスカイコート小岩」へ。

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 さすが、東京ブックマークの最安値だけあって古い。
 でもちゃんと掃除がしてあって、ゆっくり寝られたらそれでいいやん。

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 さて、映画。
 このごろ思うのだが、どこの映画館も同じ映画を上映している。なんででしょう。以前は、映画館によって全然ちがう映画を上映していたのに。

 小岩から行きやすいところの映画館は、みんな同じ系列。私が見たい映画はどこにもなかった。
 そんな中、ちょっと遠いが、岩波ホールでジョージアの映画をやっていることが分かった。絶対これですね。

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 岩波ホールがあるのは神保町。
 朝に走った皇居にも近い。
 皇居から千葉まで行って、また皇居近くにUターンです。

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 岩波ホールは、岩波神保町ビルの10階にある220席の映画館。
 すごく落ち着いた雰囲気の映画館だった。

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 映画はすごくよかったのだが・・・。
 初めからドキドキハラハラの連続。
 と言っても映画の内容ではなくて・・・。

 220席の映画館に40名ほどの客。まあガラガラと言っていい感じ。
 私は前から5列目の、右から2番目に座った。
 もうすぐ始まるというとき、シューとした美人さん(たぶん20代)が私の前を通り、一つ空けた左の席に。
 ところが、すぐに私の隣に移ってこられた。いっぱい空いているところがあるのに、こんなあやしいジジイの横に。
 私の前の列の中央がふさがっていたので、前の人の頭が邪魔にならない席に移られただけだが、私が若い女性なら、絶対にあやしいジジイの横なんか行かない。

 「ドッキリちゃうやろな」と何度も思った。
 映画が始まっても、隣のぺっぴんさんが気になって、なかなか集中できなかった。アホですばい!

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 映画が終わり、晩ごはんの店探し。 
 さすがにここら辺にはいっぱいあった。

 刺身定食(1250円+税)がめっちゃおいしそうに見えて、「源ちゃん」というお店に入った。

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 おお、満足満足。
 久しぶりに、お刺身をお腹いっぱい食べた。

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 ところが、ホテルに戻っておふろから上がったくらいから、お腹が痛くなってきた。これは明らかに胆のう炎(胆管炎)。ステント(管)、詰まったか―。こんなところで発作が起きたらどうしようもない。

 しばらくベッドで安静に。
 1時間ほど寝ていたら、何とか痛みが治まってきた。あぶなかった。

 明日、下山さんの伴走せんならんのに。と言うか、そのために来たのになにしてるこっちゃら。いろいろ欲張りすぎたかな。

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2018年03月09日(金)

第102回9の日平和ラン [ランニング]

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 いきなりですが、悲しいお知らせです。
 (私にとっては悲しくて、他の人にはどうでもいいことなのですが・・・。)

 「ねっとわーく京都」に絶賛(?)連載中だった私の
―「憲法九条」+「ランニング」=パオパオとを言われる日をめざして―
が、今月発売号をもって連載打ち切りとなりました。

 1年11回掲載のお約束で8年。なんか縁起がよさそうな88回で最終というのもいいですかねえ。正直、いつ打ち切りかとビクビクしていました。ついにその日がやってきました。逆に、この雑誌の母体と言える京都市職員労働組合と何の関係もない私を、8年も使ってくださった度量に感謝いたします。
 また、どこの誰だかよく分からない私ごときの記事をよんでくださった読者様にも感謝いたします。みなさま、本当にありがとうございました。

 毎日ブログを書いているので、その焼き増しのような記事ばかり書いていました。最近は、平和アピールではなく癌患者アピール記事が多くなっていました。そのへんが飽きられたのでしょうか。

 毎月の原稿締め切りが18日なので、それがいい区切りになっていました。もうそれがないと思うと、気が抜けてしまいます。また、どこかで原稿が書けるようなことがあるといいのですか・・・。
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 今日は小雨。
 午後3時半から、9.9kmになるように「9の日平和ラン」をスタート。

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 昨日の夜、ヨメさんがお灸とマッサージを入念にやってくれた。腰の痛みがましになり、肩や股関節の痛みはほとんどなくなった。
 それでも調子に乗らないこと。スピードを上げないように気を付けながら走った。

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 松ヶ崎橋を渡り、「レトロビーバー」さん前で折り返し。
 4.82km、27分。

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 叡電・修学院駅前を通過し、突き当りの白川通を北上。
 叡電の線路を超えて岩倉へ。

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 自宅のちょっと手前で9.99km、57分。
 10km続けて走ったのは久しぶり。徐々に回復しています。

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 帰りは雨が少しきつくなり、強風になった。何度も帽子が飛ばされそうになった。「平和・憲法九条」が飛んで行ってしまったら、えらいこっちゃ。最後のほうは帽子を脱いで、手に持って走った。ジャンバーはビチャビチャ。

 連載は88回で終わってしまったけれど、この「9の日平和ラン」はまだまだ続けますよー。
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2014名護ハーフマラソンのあとで

【連載・最終回】 ねっとわーく京都 2018年4月号 (本日発売)

 2月7日、先の名護市長選で敗れた稲嶺進氏が退任式にのぞまれました。2期8年、名護市民のことを思い続け、「辺野古に新米軍基地は絶対に作らせない」を旗印にがんばってこられたのに。私自身も、娘が名護の大学に進学し、稲嶺氏とも名護のニングクラブを通じてとても親しくさせていただいていました。クラブの仲間は皆、「市長」とかしこまらず「ススムさん」と呼ばれていたのがすごく好印象として残っています。
 「ススムさん」は、毎年1月に行われている「名護ハーフマラソン」にも、ずっと出場され続けています。もう70歳代ですが、去年は私と同じ ハーフに出場されていました。今年は選挙も控えていたせいか、無理をせず10キロを走っておられました。多くのランナー仲間の声援を受けながら・・・。
 そんな「ススムさん」が、「一歩リード」の予想に反し、基地移設容認派(政府側)の候補に約3500票の大差で敗れました。私は何が何だかよく分からず、言葉を失ってしまいました。せめて退任式のその日には自分なりの考えをまとめようと、「名護の死は沖縄の死、いや日本の死である」というタイトルでマイブログの記事を書こうと思いました。ところがまったく考えがまとまりません。
 今回の敗因として、「長年にわたる基地移設問題に疲れきった市民が、地元経済や市民生活の改善を重視した相手側の政策に共感した」と書か れているものが目立ちました。これが私にはよく分かりません。娘と初めて沖縄に来た11年前から数えると、名護にはもう30回ほど行っているはずです。最初はただ素通りしただけですが、雑多な感じのする那覇とは全然ちがう落ち着いた街並みが印象に残りました。そしていよいよ娘が名護の大学に入学し、住むところが決まった時、名護のランニングクラブの友人から言われました。
 「名護はいいよー。海があって山もある。それに大学もあるから若者がいっぱいさー。困ることはなにもないよー。」
 そう言われて、本当にそうだなあと思いました。名護は人口6万ちょっとの地方都市ですが、街中のどこに行っても大学生を見かける、そんな活気のあるところでした。実際に寂れていく 地方都市が多い中、名護の人口は今も増え続けています。こんないい環境のところで大学生活4年間を送れる娘がうらやましくなったくらいです。
 半永久的に使用されるであろう巨大な新米軍基地を受け入れて、自分たちの生活が多少豊かになったとてそれがなんなんでしょう。私には、名護市中心部住民の辺野古地区切り捨てと思えてなりません。一度でも辺野古に行かれたことがある方なら、すぐおわかりでしょう。辺野古は1970年の合併によって名護市になった地区で、市役所からは峠越えの道を10キロ以上進まないと着きません。人口も1900人ほど(そのうち半分は沖縄高専関係者)。よく話題になる直接交付金が渡される久辺三区合計でも2900人ほどです。名護全体の20分の1にも満たない地域なの です。こうは思いたくはないのですが、「直接被害は辺野古の住民に及ぶだけなので、多少はしんぼうしてもらってこの問題を終わりにしよう」と思われたのかもしれません。もしそうなら、どこにでもよく見られるへき地差別です。
 ただし、ここまで考えて私はふと立ち止まります。それは、私の父が以前言っていた言葉を思い出すからです。古い話ですが、京都市の地下鉄工事の残土処分の問題が起こりました。市は左京区大原大見地区に残土を運搬し埋め立て、その代わりにそこに運動公園を造る計画を立てました。私のいなかは大見の西隣の花脊別所。父はその計画では道路がよくなり、運動公園では雇用も見込まれたので、基本的に賛成だったようです。
 そこに登場したのが「立ち木トラスト運動」。道路拡張にかかる立ち木の持ち主になり、開発計画を阻止する運動です。その時の父の怒りはすさまさじいものでした。
 「地元のもんが反対してへんのに、街のもんが道楽で反対運動か。自分らは便利で快適なとこに住んで、『自然破壊するな』てか。自分ら、さんざん自然破壊してきて今便利な生活送っとるんちゃうんか。いなかに住んどるもんはずっと不便な生活していけてか。言いたいことがあったら、ここに住み着いてから言え。ええかげんにせい!」
 まあ当時はこんな感じでした。これがあるから、辺野古の問題も軽々に発言するわけにはいきません。自分なりに考えて、言いたいことはいっぱいあるのですが、ついつい「住み着いてもいないもんが」という父の言葉が葛藤を生みます。今これを書きながらも苦しいです。
 そんなわけでもないのでしょうが、2月7日の夜から1年半何とかごまかしごまかししてきた胆のうが暴れだしました。今までも似たような症状が出たことがあり、食べたものがある程度消化できるとストンと痛みがなくなることがありました。今回も同じだろうと思いおとなしく横になっていたのですが、明け方になっても痛みが治まらず、ついにヨメさんに車で送ってもらい救急外来へ。CTを撮ってもらった結 果、 胆のう炎を通り越し、胆管炎と膵炎にまで発展していました。
 「次に痛みが出たら胆のう摘出」と言われていました。ただそれには準備期間がいるらしく、まず今回は応急措置として胆汁の通り道を確保するステント(管)を内視鏡を使って挿入。3月には胆管に詰まりかけている胆石除去手術。そしてできるだけ早くと言われた「胆のう摘出手術」。早くと言われても「京都キャロット」の出張販売が続くため、7月にお願いしました。それまでにまた暴れることがあれば、緊急入院緊急手術になるそうです。
 2月18日の「京都マラソン」は、「サブ3.5」の特別枠で当選させてもらったので、その名の通り3時間半切りを狙ってみっちり練習しました。しかし、今回の入院ですべてがパーです。ただ担 当医がランナーで、「マラソンと胆のう炎は何の関係もありませんから、退院したらまた走ってください」と言ってくださったのが救いです。今は、癌患者や胆のう炎患者の励みになるよう、しっかり復活することを目標にがんばろうと思っています。
     ◇     ◇     ◇

 2月15日、急性胆管炎・膵炎で入院中に書いた記事。その時は、これが連載最終回になるとは夢にも思っていなかった。
 しかし、内容は図らずも最終回にふさわしいものになっている。
 いい終わり方でしたね。

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2018年03月08日(木)

大会厳選 [ランニング]

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一人沖縄平和ラン (2017.6.23)

 私にとって一年で一番重要視しているランニングは、6月23日「沖縄慰霊の日」に実施している「一人沖縄平和ラン」。昨年まで5年連続で、炎天下を60〜70km走っている。今年の6月23日も同じように走るつもり。

 前半期のランは、すべてこの日にしっかり走れるようにするための助走のようなもの。
 以前は出られる大会にはすべてエントリーしていたが、最近大会参加費が上がって来ていているので申込も厳選している。(参加者減の大会が目立ってきたが、参加費が高すぎるのもその大きな要因だと思う。)

 私の前半期は以下の通り。

1月 3日  新年走ろう会・10km   1000円 
  14日  武庫川新春・ハーフ     3500円
  21日  名護・ハーフ        3600円
  28日  くみやま         (2500円)申し込まず

2月11日  出雲くにびき・雪のため中止 (3000円)申し込まず
  18日  京都・フル        12000円 DNS
  25日  宇治川           (4000円)申し込まず

3月 4日  篠山ABC         (5800円)申し込まず
  11日  かつしか・ハーフ     伴走のため無料
  18日  KOBEマリンパーク   出店のみ

4月15日  宍粟市・10km      4000円
  21日  古宇利島・ハーフ      4500円
  28日  香住・フル         7000円

5月 5日  奥河内オフロード      5000円参加検討中
  13日  鯖江            3000円参加検討中
  20日  奥びわ湖          2500円参加検討中
  27日  小豆島           (5000円)申し込まず

6月 3日  たたらぎ          3500円参加検討中
  10日  みかた残酷         3800円ヨメさんが参加検討中
  17日  北栄町すいかながいも    3500円参加検討中
  17日  神鍋高原          (3500円)

 この流れで、うまく6月23日の「一人沖縄平和ラン」に持っていきたい。
 自分では大会を厳選して参加費の出費を抑えているつもりだったが、毎月けっこう使ってますねえ。ほとんどが「京都キャロット」出張販売のついでに出ているものだが、もっと減らさないとダメですね。収入が少ないのだから。

 京都マラソン(12000円)に申し込んだので、予算上2月3月はそれ以外は申し込まなかった。それなのに急性胆管炎・膵炎になってしまいDNSとは・・・。思い通りにいかないもんですね。

 前半では「小豆島・5km」に出て、同い年の細川さんと優勝争いをするつもりだった。今まで何度も19分台を出した縁起のいい大会でもあるし。
 しかし、「5000円」の参加費を見て躊躇した。今まであまり気にもしていなかったが、5km5000円はやっぱりねえ・・・。

 今後は、4月の「10、ハーフ、フル」の3レースをうまく走ること。(3大会合計で15500円。)「香住」で3時間50分切りで走れたらいいのになあ。あと、5月の「鯖江・5km」で19分台出したいなあ。

 これって「一人沖縄平和ラン」とは、あんまりつながっとらんか。

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【今日のきく】

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 今日は一日中雨。
 腰痛でも少しは走ろうと外に出たとき、すごい雨で走るのを断念した。

 きくのお散歩もたいへんやと思っていたら、夜8時ごろだけ雨がやんだ。急いでお散歩へ。
 朝から○んコも出ていなかったのだが、ここできっちり。
 散歩途中にまた降ってきたが、大雨にはならなかった。

 散歩から帰って、きくはほっこり。
 廉のベッドの毛布が一番落ち着くきくちゃんでした。

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2018年03月07日(水)

5年生存率 [病院]

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◎毎日新聞3月5日朝刊

   がん5年生存率、国際比較 
            肺・食道がん、日本トップ

 世界71カ国・地域のがん5年生存率を比較した結果を国際研究グループがまとめ、英医学誌ランセットに発表した。日本は肺がんと食道がんの生存率が調べた中で最も高かったが、血液がんは欧米に比べ低かった。

 ロンドン大を中心に研究機関が参加し、各国のがん登録データベースに基づき2000〜14年の15年間に診断された約3750万件を分析した。
 北米、北欧、オーストラリアなどは多くのがんで生存率が高く、日本も10〜14年の食道がん(36%)、肺がん(32・9%)は最も高かった。胃がんや乳がん、子宮頸(けい)がんも上位グループだった。一方、白血病や悪性リンパ腫などの成人の血液がんや皮膚の悪性黒色腫は低かった。血液のがんは欧米と日本でタイプが違う可能性があるという。
 研究に参加した国立がん研究センターの松田智大・全国がん登録室長は「食道がんは薬物療法や内視鏡手術が進歩し、乳がんはがんのタイプに合わせた治療が浸透したことが、生存率の向上に貢献したと考えられる」と分析する。【高野聡】
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【医療ニュースPickUp 2016年7月22日】
「がんの5年相対生存率」データを公表 国立がん研究センター

2016年7月22日、国立がん研究センター(理事長:中釜斉、所在地:東京都中央区、略称:国がん)がん対策情報センター(センター長:若尾文彦)を中心とする厚生労働科学研究費補助金「都道府県がん登録データの全国集計と既存がん統計の資料の活用によるがん及びがん診療動向把握の研究」研究班(研究代表者:がん対策情報センター がん登録センター 松田智大)は、「地域がん登録」データを活用して「がんの5年相対生存率」を公表した。

■ 21県の644,407症例の集計

「地域がん登録」のデータは、これまでにも何度か活用されており、地域がん登録事業実施全県への呼びかけにより行われた統計では、2011年2月に「2000年〜2002年の診断症例」から集計されたものが公開され、2013年には「2003年〜2005年の診断症例」から集計されたものが公開された。今回で3回目になる。

今回は21県の644,407症例(参加は27県)について、全部位と部位別、臨床進行度別、年齢階級別で、5年相対生存率の集計が行われた。

□全部位での5年生存率

今回の集計結果では、男性59.1%、女性66.0%、男女計62.1%となり、前回よりも3ポイント以上向上している。しかし、その背景には、前立腺がんや乳がんなど予後のよいがんが増えたことの影響も考えられるという。

□部位別5年相対生存率

男性:前立腺、皮膚、甲状腺、膀胱、喉頭、結腸、腎・尿路(膀胱除く)などが高く(70-100%)、白血病、多発性骨髄腫、食道、肝および肝内胆管、脳・中枢神経系、肺、胆のう・胆管、膵臓が低かった(0-39%)

女性:甲状腺、皮膚、乳房、子宮体部、喉頭、子宮頸部、直腸などが高く、脳・中枢神経系、多発性骨髄腫、肝および肝内胆管、胆のう・胆管、膵臓が低かった

□年齢階級別生存率

加齢とともに生存率が低くなる傾向があるものの、若年者より高齢者の生存率が高い部位や、年齢と生存率との相関が明確ではない部位もあった

また、部位に関わらず、臨床進行度が高いほど生存率は低下、逆に早期で診断されると生存率が良好であることが分かった。

「地域がん登録」は、1950年代よりスタートしているが、2012年診断症例で初めて47全都道府県の登録データが揃い、今回の集計対象診断年(2006〜2008年)では、前回集計の7県から21県に大幅に増加している。しかし日本のがん登録は、がん登録の標準化、データの精度が未だ十分ではなく、罹患数・率や生存率をそのまま他県と比較するためには、まだまだ課題があると指摘されている。


参考資料

日本のがん生存率の最新全国推計公表
全部位5年相対生存率62.1%(2006-2008年診断症例)
http://www.ncc.go.jp/jp/information/press_release_20160722.html

がん情報サービス 「全国がん罹患モニタリング集計 2006-2008年生存率報告」(7月22日更新)
報告書
http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/brochure/monitoring.html

同上 最新がん統計
http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html
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(2017年8月発表)

◎はじめてのがん保険より

■がんの5年生存率・5年相対生存率とは

がんは診断から5年間再発しなければ、その後再発する可能性が低くなり、治療後5年たっても再発が見られなければ、そのがんについては治癒したと判断されます。(進行が遅い乳がんや甲状腺がんの場合は10年)
そういった意味で、がんにおいては「5年」という基準が重要視され、TVドラマなどで「5年生存率」という言葉を聞いたことがある人も多いと思います。

5年生存率とは、5年後に生きている確率や、がんが治る確率として捉えられることが多いですが、人によって微妙に捉え方が異なります。


1.がんの治療開始から5年後に生きている人の割合
2.がん治療が終わってから5年後に生きている人の割合
3.がんと診断されてから5年後に生きている人の割合
4.がんの治療開始から5年間再発せずに生きている人の割合
5.がん治療が終わってから5年間再発せずに生きている人の割合
6.がんと診断されてから5年間再発せずに生きている人の割合

国立がん研究センターや色々ながんの専門サイトを見てみると、正確には1番の「治療開始から5年後に生きている人の割合」が正しいようです。この場合、5年後に再発していても生きていれば生存とみなされます。
冒頭で述べたように、がんにおいては、治療が終わってから5年後に再発なく生存した状態を完治(治癒)したと判断しますが、5年生存率という言葉には、再発して生きている人も含まれている可能性があります。

医療の専門家ではないので、医療機関で5年生存率という言葉が、どういった意味合いで使われているのかが分かりませんが、少なくとも単純に、がんが治る確率や、5年後にその人が生きている確率という意味ではありませんので、注意しましょう。

■5年相対生存率とは

がんのデータとして、「5年相対生存率」という指標が用いられることがありますが、5年相対生存率とは、がんと診断された人のうち5年後に生きている人の割合(5年生存率)が、日本人全体の5年後に生存している人の割合と比べてどれくらい低いかを表したものです。
性別や年齢が同じ人で、がんになった人とならかった人の5年後の生存率を比較したものという事になります。
5年相対生存率が100%であれば、がんに罹っていない人と5年後の生存率に違いがないという事になりますので、治療で治るがんという事になります。0%に近い場合には、治療で救えないがんという事になります。
KapWebというサイトで、「年齢・性別・臓器・ステージ別の相対生存率データ」が見られるようになっています。
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 今日は寮1(二条)17時間。
 寮生は2月末にほとんど出て行ってしまって、現在18名。そのうち4名が外泊中なので、今日はわずか14名。ひっそりしてました。

 退寮するときに、地元のお菓子を持って来てくださるご家族が多い。そのお菓子は私らにもわたってくる。どうも北陸地方が多いようだ。

 今日は私の最大の関心事「あとどれだけ生きられるか」について調べてみた。(がんに関心のない人には退屈な引用記事ばかりで申し訳ありません。)

 がんは「5年生存率」いう言葉でよく説明される。私もその言葉は耳にしたことはあったが、ほとんど関心がなかった。母を胃がんで亡くしているというのに。

 ちなみに、母が亡くなったのは1991年1月11日。母は1925年3月生まれなので、享年65。
 癌宣告を受けたのがいつかははっきりと覚えてはいないが、たぶんその3、4年前だったと思う。
 私が癌宣告を受けたのが60歳、そこから母の歳まで生きたら「5年生存」、生きられなかったら「残念でした」ということになる。癌の部位はちがうのだか、スケジュール的には母と同じ道を歩んでいるんでしょうか。

 残念ながら、「主ながん」の中に甲状腺がんは入っていない。絶対数が少なく、治療法の研究も進んでいない。癌に関するデータ発表のときも、「甲状腺がん」が省かれていることが多い。
 (2017年がん罹患数予測によると、甲状腺がんは男性4000、女性14200の計19200人。男性は胃がん90400人、女性乳がん89100人が最高。男女合計では大腸がん149500人が最高。―国立がんセンター・がん情報サービスより―)

 上から2番目の引用記事を見てみると、甲状腺がんの5年生存率は部位別で見ても最高に近い。(男性の3位、女性の1位。)ただし、これは甲状腺がんすべてに対しての値である。私の甲状腺「低分化」がんは悪性度が高く、私が調べたところでは5年生存率50%台となっているところが多かった。

 これ、どっからカウントしたらいいんでしょうね。
 甲状腺に大きな腫瘍が見つかったのは、2016年8月18日。そこからだと、もうすぐ1年7か月。
 「甲状腺低分化癌」と診断され、癌宣告を受けたのは同年10月11日。そこからだと、1年5か月。
 とにかく、あと3年半後くらいに、私がこの世にいる確率は50%と覚悟しといたらいいんでしょうか。

 ただこの確率ちゅうのんがええかげんなもんで・・・。死ぬ人にとったら0%、生きる人にとったら100%とも考えられる。

 治療方法の研究も大事やけど、「あとどれくらい生きられるか」を正確に判定できる方法というのも研究してもらいたいものだ。早かれ遅かれ人は皆死ぬのだから、ほとんどの人は死ぬ前にしておきたいことがあると思う。まだ生きられると思っていて、それよりずっと早く死を迎えることになったらショックが大きい。

 私は癌宣告を受けたとき、勝手に「あと2年」と思っていた。それやと、今から半年後にもうおらんちゅうこと。あっという間やねえ・・・。
 今のところまあまあ治療がうまくいっているらしいので、半年よりは長く生きられそうだが、あと3年半はどうでしょう。「全身転移」ということになったら、先は分からんでー。

 「甲状腺低分化癌」の5年生存率アップに貢献できるよう、ねばろ。

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2018年03月06日(火)

「羊の木」-夫婦50割引- [映画]

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◎シネマトゥデイより

(C) 2018『羊の木』製作委員会 (C) 山上たつひこ、いがらしみきお/講談社
製作年:2018年
製作国:日本
日本公開:2018年2月3日
上映時間:2時間6分
製作:『羊の木』製作委員会
配給・制作:アスミック・エース
制作協力:ギークサイト

■見どころ:山上たつひこといがらしみきおによる、第18回文化庁メディア芸術祭優秀賞(マンガ部門)に輝いた問題作を、アレンジを加え実写映画化。殺人歴のある元受刑者の移住を受け入れた町を舞台に、移住者の素性を知らされていない町の人々の日常がゆがんでいくさまを描く。『桐島、部活やめるってよ』などの吉田大八監督がメガホンを取る。お人よしな市役所職員を錦戸亮、彼の同級生を木村文乃が演じるほか、元受刑者役で北村一輝、優香、松田龍平らが出演する。

■あらすじ:刑期を終えた元受刑者を自治体が受け入れる新仮釈放制度により、閑散とした港町・魚深市に男女6人が移住してくる。市役所職員の月末一(錦戸亮)は彼らの受け入れ担当を命じられるが、移住者たちの過去を住民たちに知られてはならないという決まりがあった。やがて、全員に殺人歴がある犯罪者を受け入れた町と人々の日常に、少しずつ狂いが生じていき……。
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◎コミックナタリーより

   「羊の木」完成披露、吉田大八「映画になってパワーが落ちたと言われたくない」

 山上たつひこ、いがらしみきお原作による実写映画「羊の木」の完成披露試写会が、本日12月13日に東京・よみうりホールで行われた。

 「羊の木」は、凶悪犯罪を犯した元受刑者を受け入れる、政府の極秘プロジェクトの試行都市になった港町が舞台のヒューマン・サスペンス。元受刑者を受け入れることにした市長らと元受刑者たち、何も知らない一般住民の不穏な生活を描く。舞台挨拶には月末一役の錦戸亮、石田文役の木村文乃、太田理江子役の優香、栗本清美役の市川実日子、福元宏喜役の水澤紳吾、大野克美役の田中泯、宮腰一郎役の松田龍平、吉田大八監督が出席した。

 まずは、本作が第22回釜山国際映画祭に新設されたキム・ジソク賞に輝いたことを受け、吉田監督が感謝の言葉を述べる。原作の設定の強さ、面白さに引かれたという吉田は、「僕が関わり始めた頃は原作は完結してなかったんですが、この設定だけで(映画を)やりたいと思って」と作品に強く惹かれたことを伝えた。また「原作のパワーがハンパない。映画になってパワーが落ちたと言われたくなくて、映画なりのパワーを持つために試行錯誤しました。2年間ぐらいかかったけど、その甲斐があって面白い映画になったと思います」としみじみ語った。

 主人公の市役所職員・月末を演じた錦戸は、内容のネタバレにならないように言葉を選びながら「月末として思いっきり翻弄されてやろうと思って臨みました」と述べる。また木村は、自分が演じた文というキャラクターについて「都会に憧れていたものの馴染めずに田舎に帰ってきて、でも田舎にも馴染めない、という気持ちはわかるような気がしました」と語った。

 さらに撮影現場でのエピソードについて問われた錦戸は、初共演となった松田との撮影について振り返る。緊張しながら撮影に挑んだことを語り「何度か飲みに行かせてもらって、今では緊張せずに喋れるんですけど。順繰りに撮影していたので、初対面のシーンはリアルにちょっと探り合っている感じが出てたかも」と述懐する。すると松田も「僕も緊張していました。(現実での)戸惑いが映画にいい感じに出ていると思います」と続けた。

 2人のやり取りを伺っていた木村は「台本に書いていないのに、松田さんが小踊りしたんですよ。それがすごい可愛くて」と撮影を振り返る。すると錦戸も思い出したように「やってましたね」と木村と目を合わせると、松田は「台本に『小踊りする』と書かれていたら戸惑いますけどね」と話しながら、体を小刻みに揺らして観客の笑いを誘った。

 ここで本作のストーリーが衝撃的な展開であることにちなみ、登壇者たちが衝撃を感じたエピソードを披露することに。すると木村は2016年に行われた撮影当時から、錦戸の右頬に生えていたという“福白毛”を指摘。錦戸は自身の白い福毛に気付いていなかったようで「え、抜いて! 気持ち悪い! なにこれ?」と動揺を隠せない。さらに木村と市川から右頬を凝視され「うそだろ、恥ずかしい(笑)」と照れ笑いを浮かべた。

 また水澤は「錦戸さんと車で2人のシーンがあるんですけど……錦戸さんと僕が密室にいるということが衝撃でした。オナラは我慢してました」と独特の間で話すと、錦戸は笑いながら「皆さん、(水澤の人柄が)衝撃でしょ? 本当に何言ってるんですか?(笑)」とツッコミを入れ、会場を沸かせる。さらに田中は「この映画は、まだ僕の中で終わってないというか、引きずっていまして。これは僕は初めてなので、衝撃ですね」と語る。そして最後に回ってきた松田は「すみません、何も考えてなくて。今みんなの話を聞きながら考えてたんですけど、結局見つからなくて」とマイペースな調子で語り、観客を笑わせた。

 最後、錦戸は「数回観た僕でも、まだ整理できない部分があります。映画を観た後はいろんな後味が残ると思う。甘いかもしれないし、酸っぱいかもしれないし苦いかもしれないし。皆さんが映画を観てどう思うか知りたいので、皆さんの感想が楽しみです。楽しんでください」と作品をアピールした。映画「羊の木」は2018年2月3日より全国ロードショー。
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 私が60歳を超えてから、夫婦で映画を見に行くことがなかった。それは、50代の時は夫婦50割引でないと安くならなかったのが、60歳からは私単独でも1100円になったから。
 でも、やっとヨメさんの学校が終わり、二人で映画を見に行こうということになった。2年半ぶりの夫婦50割引で。

 うちは夫婦とも錦戸亮、松田龍平のファンなので、映画の内容がどうこうより、この二人を見に行こかという感じでこの映画を選んだ。

 「京都キャロット」を5時に閉め、京都駅八条口のTジョイ京都へ。
 6時過ぎに到着し、急いで4階のフードコートへ。
 私は禁断のカレー、ヨメさんはビビンバを10分くらいで食べて5階の映画館へ。

 「羊の木」は18時40分から1回のみの上映。
 錦戸亮、松田龍平、言うことなし。この二人の組み合わせはなかなかよかった。

 市役所職員の錦戸亮が、うちの廉に重なって見えた。顔は全然ちがうが、遠目からの雰囲気は似ている。この映画を見て、廉も仕事上のトラブルに見舞われないかが心配になった。まして、4月から東京で一人暮らし・・・。心配の種は尽きない。

 最後のシーンを批判する人が多いらしいが、私はあれで十分満足。松田龍平の最後みたいになりたいなあと思った。

 それより、左目に切り傷のある元やくざ役の田中泯さんがすごく印象に残った。
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田中泯

■田中泯(活動履歴)

 暗黒舞踏の創始者である土方巽に私淑した、前衛的、実験的舞踊家。
 しかし、近年では、「私の踊りはもはや、世間一般に言われている舞踏ではない。」と語る。
1964年からクラッシックバレエとモダンダンスを10年間学び、モダンダンサーとして活躍。1966年ソロ公演開始。その後、階級的思想と第二次大戦後の世相をそのままに反映した文化、日本のダンス「業界」そのものに懐疑を抱き始め、1974年より独自の活動を展開、日本現代舞踊協会からも去る。精神―物理の統合体として存在する身体に重点をおいた「ハイパーダンス」へと飛躍的に変化をしていく。結果、その表現活動は日本、そして世界の知識人、科学者、美術作家たちとのコラボレーションへと繋がり、当時の現代美術、文化界に先駆的な衝撃を与えた。
 1978年、田中はパリ秋の芸術祭に於ける「日本の時空間―間―」展覧会(磯崎新・武満徹/プロデュース、『ルーブル装飾美術館』にて)で、海外デビューを飾る。以来30年以上、ヨーロッパ、アメリカ、旧社会主義国や発展途上国各地を含めた世界中で独舞、グループの活動を発表し続ける。
既存の表現ジャンル(演劇、舞踊、音楽など)を超え、生活と踊りの境界すら超えた田中の活動は、前衛活動家、美術家、小説家、生命科学者、文化人類学者、民族学者、哲学者などからも傾注を受け、田中の手がけるプロジェクトは共同研究や、社会教育、社会変容を目指したものへと発展をとげていった。こういったジャンルを超えた共同活動は、オペラ作品(振り付けと出演)、現存する伝統芸能・民族舞踊(日本の能や、インドの古典演劇)、視覚的美術、建築、ランドスケープ、医学的/精神医学的科学から即興音楽との表現にまで多岐に渡る。
 その活動のかたわら、当時40歳であった田中は、身体および労働と自然との本質的に密接な関係に惹かれ、研究者や仲間のダンサーたちと共に郊外の山村に農場を開設した。近年は、共同の農業の形は閉じ、現在は、単独で継続されている。この農業活動を通じて、「踊りは、人間の農業という身体活動に不可逆的に、どうしようもなく根ざしている」と、確信する。
 2002年より、山田洋治監督作品 映画「たそがれ清平衛」(2002)での映像への初出演にて、日本アカデミー賞、最優秀新人賞、最優秀助演男優賞を受賞、近年にはNHK大河ドラマへの出演やドキュメンタリー番組のナレーションなどにも表現の域を広げる。しかし、田中泯は「自分は単なるダンサーであり俳優ではない。」と語る。
田中の、「踊りの起源」への絶え間ない調査と堅固なこだわりは、日常に存在するあらゆる場に固有の踊りを即興で踊るというアプローチによって、「場踊り」という形で、より実践への根を深めている。「場踊り」は日本および世界各地で現在進行形で繰り広げられている。
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 この偏屈でかっこいい、もうすぐ73歳のジジイの「場踊り」、見たいなあ。
 東京まで見に行こうかなあ。

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Tジョイ京都

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【RUN】

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 映画に行く前、午後4時からひとっ走り。
 腰の調子がよくないので、今日も5kmだけ。
 せめてちがうコースをと思い、圓通寺裏から深泥池に降りる道へ。

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 チラッと見える景色がいい。

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 深泥池を見て折り返し。
 帰りは上り。

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 家まであと300mくらいのところで、以前同じバイトをしていたUさんに遭遇。私より10歳以上年上だが、今も元気ににこにこと走っておられる。見習いたい。

 家まで5.14km。
 5km地点で28分48秒。腰が痛い割にはしっかり走れた。

 ちょっと前までは、一日に10km以上走るようにしていたが今は無理。体力が回復し、足指付け根の痛みや腰痛がましになるまで、しんぼうですね。

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【今日のきく】

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 「京都キャロット」にご来店いただくと、今ならもれなく「びろびろきくちゃん」が見れますよー。

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2018年03月05日(月)

基地より生活? [沖縄]

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◎毎日新聞2月8日朝刊

   激動・名護市長選の先に

          若者 基地より生活

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設に反対した現職の稲嶺進さん(72)が敗れた名護市長選から2日後の6日、同市安部(あぶ)の集落では、上空を飛ぶ米軍機の不気味な音が響き渡った。約1年前、集落の浜の浅瀬で米軍垂直離着陸機オスプレイが不時着、大破した。移設先の辺野古沿岸部は集落から遠くない。商店を営む女性(62)は肩を落とした。「この静かな集落が変わってほしくない……」

 市長選では、移設推進の政府・自民に推された新人で元市議の渡具知武豊(とぐちたけとよ)さん(56)が大差で勝った。渡具知さんを支援し、前回も自民系候補を応援した県内企業幹部は勝因をこう言い切った。「若者の反応が4年前より全然いい。暮らしや仕事重視の訴えが浸透し、票を取り込んだ」
 自民側は前回、移設推進を前面に出した結果、敗れた。今回は逆に徹底して移設に触れず、渡具知さんは、若い世代を意識して子育ての支援や地域活性化策を訴えた。街頭に「若者が働きたくなる街に名護を変えよう!」との看板を設置し、無料Wi−Fiの整備、映画館やコーヒーチェーンの誘致を掲げた。
 渡具知さんを支援した嘉陽宗一郎さん(23)=琉球大4年=は1月以降、約30回、同世代を集めたミニ集会を開き、渡具知さんの政策を紹介した。「手応えがあった」。嘉陽さんは辺野古移設に無関心なわけではなく、本音は移設反対の立場。ただ「国策で移設が進められている以上、ひっくり返すのは難しい」と感じ、「ならば基地問題より、自分の暮らしが大事だ」と語る。
 2期8年にわたって移設問題で政府と対峙(たいじ)してきた稲嶺さんは「オール沖縄」の象徴だが、嘉陽さんらには違う姿に見えた。「反対と言っても工事は止まらなかった。それを見せられた僕ら世代は、『稲嶺さんはもう役目を終えた』と感じた」
 一方で同じ世代でも、稲嶺さんを支援した小波津義嵩(こはつよしたか)さん(22)=名桜大4年=の見方は異なる。小波津さんらは両候補の討論会を企画したが、渡具知さん側から断られた。「周囲は『稲嶺さんに勝ってほしい』との声が多かったのに、その声を広げるための議論の場をつくり出せなかった」と悔やむ。
 移設反対の名護市議、仲村善幸さん(70)は敗戦で学んだ。「対立構図を前面に出し、『反対しましょう』『政府のせいだ』と言っても、若者には価値観の押し付けに映る」。今秋には沖縄最大の政治決戦・知事選が控えている。仲村さんの危機感は強い。「若い世代が自ら行動する形をつくり出さないと、移設反対の運動は浸透しない」(この連載は川上珠実と遠藤孝康が担当しました)

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 今日は、寮2(出町)24時間。
 10日間も入院していたのと、3月は退寮時期ということもあり、イレギュラーな月曜勤務になった。

 2月4日の名護市長選は、予想もしていなかった稲嶺進市長の大差の敗北。テレビや新聞の解説をしっかり見て、自分なりの分析をしようと思っていたのだが、それもその3日後の入院で吹っ飛んでしまった。

 私が書きたかったのは、「名護の死は沖縄の死、いや日本の死である」というタイトルの記事。
 私が若いころの京都は、全都道府県の中で「一番国のいいなりにならない」ところであった。革新知事と革新市長がタッグを組み、国の補助金などに頼らない独自の府政・市政を貫いていた。
 しかしその革新自治体の良さを若者に引き継いでいくのに失敗し、現在はずっと保守系の知事・市長が続いている。それは、めちゃくちゃ単純化して言うと「平和よりお金」が大事な若者が増えたということだと思う。

 しかし、まさかまさかの沖縄までが「基地より生活」って、なに!?

 「国策で移設が進められている以上、ひっくり返すのは難しい」

 難しいから、もうやめておくってこと?
 米軍基地があるがゆえに被害を被っている人々は、他の人の生活のために辛抱しろってこと?
 なに、それ。
 命をかけて守るものが何もないってこと?

 未来永劫続くかもしれない巨大基地を受け入れて、「自分の暮らしが大事だ」って、どんな暮らしのこと?
 わしゃ、この嘉陽氏がなにをゆうとんのかさっぱり分からん。

 真樹に聞いたのだが、嘉陽氏は沖縄で最も有名な大学生らしい。沖縄の大学生や若者には、多大な影響力を持っているということだ。
 私には、議員の秘書になって政界入りを狙っているギラギラした野心家にしか見えん。悪いけど。
 お金を取ってくるのはうまいけど、本当に困っている人々はバッサリ切り捨てるああいう人たちの手下になって行かれるんでしょうかねえ。

 扇動する方もする方やけど、扇動されるほうももっとしっかりせいや!
 沖縄の若者!

 そんなことを思いながら名護市長選の記事を探していると、おもしろいものを見つけた。
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   どこへゆくオキナワンボーイ 歌が聞こえなかった名護市長選

 自慢じゃないけれど、僕は沖縄で聴く歌や音楽が大好きなヤマトゥンチューのひとりだ。沖縄民謡は古典から新作まで呆(あき)れるほど好きだし(大工哲弘、嘉手苅林昌、登川誠仁、古謝美佐子、知名定男、照屋林助、大城美佐子、山里勇吉、喜納昌吉、あ、もちろんこれはただただ思い出した順番に書き出しているだけの順不同ですからね)、沖縄発のロック(伝説の紫やコンディション・グリーン、喜屋武マリーからモンゴル800に至るまで全部含めて)や、フォークソング(佐渡山豊、まよなかしんや)、ポップ(BEGIN、SakishimaMeeting、りんけんバンド、ディアマンテス)とか、歌謡曲(フィンガー5、南沙織から安室奈美恵)、ラップ(Chico Carlitoとか)を知った。

 30年前、僕はコザ(現在の沖縄市)の小さなライブハウスで聴いた歌が心に突き刺さってくるのを感じた。嘉手納基地のお膝元で幼少期から生きてきた知念良吉さんの人生に裏打ちされた歌に魅了された。
 ああ どこへゆく オキナワンボーイ 
 美しかったものは 泥だらけ
 ああ どこへゆく オキナワンボーイ
 夢まで 用意されていた (知念良吉『どこへゆく オキナワンボーイ』より)
 海洋博後の海洋汚染や石垣空港建設といった出来事が沖縄で語られていた時代のことだ。2018年2月の名護市長選挙の取材で、辺野古の護岸工事がどのような状態になっているのかを海上から船に乗って取材をしていた時だった。この30年以上前につくられた曲が突然僕の頭によみがえってきた。〈美しかったものは 泥だらけ〉
 キャンプシュワブの護岸にはクレーンが林立していて、ショベルカーで土砂が刻々と搬入されていた。その日は悪天候で、護岸工事の作業は規模が縮小されていたのだが、護岸工事の規模自体が去年の6月に海上から取材した際と比べると、とんでもなく拡大していた。沖縄県のいくつかの選挙結果で示された「新基地建設ノー」の民意なんか全く聞く耳をもたないとでも言うかのように、菅義偉官房長官の表現で言えば、「粛々と」工事は進められていたのだった。
 名護市長選挙の結果がどのようになろうとも、新基地建設工事は有無を言わせずに「粛々と」力づくで強行されていたのである。だが、そのあまりにも巨大な新基地建設のプランから考えると、現段階は、まだまだ入り口の入り口に過ぎない。それはまるで、福島第一原発の廃炉作業が、入り口の入り口段階に過ぎないのと似ている。事業主体というものは作業の進捗(しんちょく)状況を誇大に強調したがるものだ。
 もうひとつ、知念良吉さんの歌の〈ああ どこへゆく オキナワンボーイ〉という言葉でイメージに浮かんできたのは、名護市に住んでいる若い有権者たちの選択のことだった。名護市長選挙の勝敗分析で、公明党票約2千票が今回は「稲嶺おろし」に回ったという見方がされたが、もうひとつ重要なことは、4年前の市長選挙では選挙権のなかった18歳、19歳の有権者、1775人(1月27日までの選挙時登録)の投票動向が今回は決定的だったことだ。
 沖縄タイムス、琉球新報、共同通信が実施した出口調査では、10代の9割が、20代の8割が稲嶺候補「ではない」側に投票していた。10代の名護市の若者たちにとっては、基地反対運動なんかよりも「名護市にスターバックスが来る」という選択や、「ごみ分別が16種から5種に減る」方が、もっと重要だと判断したんだろうか。たとえば、小泉進次郎議員が遊説スタート地点に選んだ県立名護高校前に集まった君たちも、そのように投票したんだろうか。それはそれでいいや。僕は何にも言いたくない。「国策」である辺野古新基地建設の是非を、若いというか、まだ幼い君らに背負わせている本土の人間である僕らの方に途轍(とてつ)もない責任があるのだから。
 君らは小泉進次郎や三原じゅん子の顔をみられてよかったね。それは羽生結弦選手をみるために成田空港に出迎えに行った若者たちとそんなに変わるものじゃない。けれど、それで名護市のどこがどう変わるんだい? 彼や彼女はもうしばらく名護には来ないぜ。彼ら彼女らは、お呼びがかかればどこにでも行く国会議員の人気者だ。名護だけにいつまでも関わってはいられない。次は石垣市かもしれないし、その次は沖縄市かもしれない。呼ばれればどこにでも行って、耳触りのいいことを言って帰る人たちだ。何てかっこいい人たちなんだろう。君らはそう思ったかもしれない。
 君たちは普段どんな歌を聴いているんだい? 君らがおそらく票を投じたであろう候補者(現市長)の選挙キャンペーンで、多額のお金をかけて作曲された歌を聴いたかい? 〈勝つぞ 渡具知 勝利の男 勝つぞ 渡具知〉何だか軍艦マーチみたいな曲だったよね。君らはでもそうは思わなかったのかもしれない。だって稲嶺進さんの陣営には歌なんかなかった。選挙戦というものは一種の祭りだ。そこに音楽や歌がないなんて君らの感覚では、信じられるかい?
 敬愛する古謝美佐子さんがネーネーズ時代に謳(うた)った名曲に『黄金の花』がある。僕はこの曲が大好きだ。
 素朴で純情な人たちよ 本当の花を咲かせてね
 黄金でこころを捨てないで
 黄金の花は いつか散る  (ネーネーズ『黄金の花』より)
 辺野古の護岸工事の行われていた大浦湾の美しい対岸で、古謝さんにこの歌を歌っていただいたことがある。いつのまにか、僕らは歌を忘れていないだろうか? でね、どうせ歌うならかっこいい魅力的な歌を歌おう。あなたの歌っているその歌は、名護の若者のこころには全くもって響いていなかった。僕はそう思う。(テレビ報道記者・キャスター)

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 名護市長選後、2日目。キャンプ・シュワブ海岸では、新基地建設は着々と進む。「K2」護岸では、砕石を海に投入する作業が続いた=2月6日正午過ぎ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ

画像(180x180)・拡大画像(225x225)

■ 金平 茂紀(かねひら しげのり)
TBS報道記者、キャスター、ディレクター
1953年北海道生まれ。TBS報道記者、キャスター、ディレクター。2004年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に「ホワイトハウスから徒歩5分」ほか。

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 宗教団体の信者が上からの言いなりになるのは、(こわいことではあるが)まだ理解できる。しかし、多種多様な未来に向かってこれから柔軟な頭を作っていかなければならない若者が、「基地より生活」と言われてコロッと行ってしまうって、どうよ。(沖縄タイムス、琉球新報、共同通信が実施した出口調査では、10代の9割が、20代の8割が稲嶺候補「ではない」側に投票していた。)

 せめて見に行けよ、辺野古と高江くらいは。
 人に言われてどうこうじゃなくて、自分の目でしっかり見て判断せえよ。
 いろいろな人間がいるのに、みんなおんなじ考えのはずがないやろう。みんなおんなじが一番こわいちゅうねん。見に行った先でしゃべれよー、いっぱいしゃべれよー。

 米軍基地反対運動に失敗があったとしたら、そこに楽しさを見いだせなくしてしまったからかもしれない。楽しくないと、どんな運動も長続きませんからねえ。

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