2018年03月14日(水)
半ソデと桜ラン [ランニング]
今日は夜12時前帰りだと思っていたのに、夕方5時までだった。月曜バイト、火曜サボリ、今日もバイトで走れないと思っていたのに時間がとれた。ちょっとだけでも走ろう。
夕方6時前だというのに暖かい。
今年になって初めての半ソデTシャツでの練習ラン。
長代川沿いの桜ももう咲いていた。
あちこち痛いところがいっぱいだが、暖かい中、こうしてきれいな桜を見ながら走れるだけでもありがたい。
来週また入院なので、走れるときは少しでも走っておかなくてはね。
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今日は宝が池へ。
期待通り、貸しボート小屋の近くにかわいいネコちゃん。
うちから宝が池周回の基点まで約3.2km、18分22秒。
もうだいぶ薄暗くなっていたので、休けいを入れず2周3km走ることにした。いつまでたっても街灯がつかず、足元が見えずこわかった。こんなとこの電灯代、節約すんなよと思う。
2周3km、16分36秒。
さっきのネコちゃんとよく似たネコちゃんに遭遇。親子か兄弟でしょうか。
帰りもおなじコースで。
貸しボート小屋の近くには、まださっきのネコちゃんがいした。
ちゃんとあいさつしてお別れ。
帰りも約3.2km、18分25秒。
今日の暖かさなら、下も半パンでよかったくらい。
こら、桜も春やと思うわなあ。
3.2+3+3.2、ダウンジョグ1kmをプラスで今日は10.4km。
走る時間がないと思っていたのに走れて、丸儲け。
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【今日のきく】
今日はきくのお散歩に行けへんはずやった。
ところが早く帰ってこれて、夕方、夜と2回もお散歩に行けた。
舌ペロリン。
かわいい。
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年金のお勉強 [雑用]
◎日本の年金(ウィキペディアより)
日本の年金制度(にほんのねんきん)は、基礎年金制度である国民年金、および所得比例年金である被用者年金が存在し、国民皆年金が達成されている。どちらとも老齢給付、障害給付、遺族給付の機能を持つ。
歴史的経緯として、第二階部分である被用者年金が先に制度化されており、これは所得比例拠出型の社会保険である。保険料は事業主と折半して拠出し、保険者には政府管掌の厚生年金と共済組合管掌の共済年金が存在する。
さらに戦後となってから、第一階部分を担う政府管掌の国民年金が制度化された。これは基礎年金に位置づけられる定額拠出型の社会保険であり、国民年金法を根拠として1961年にスタートした。20歳以上60歳未満の者は国民年金への加入資格を持つ。国民年金導入時の男性の平均寿命は65.32歳、 女性の平均寿命は70.19歳だった。そのため55歳から支給された厚生年金を会社員男性は10年間、今も65歳から支給される国民年金は披扶養女性らが5年間程度受給するような制度だった。
2015年からは社会保障・税番号制度(個人番号, マイナンバー)が導入され、基礎年金番号との連携が2017年より開始された。
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◎国民年金と厚生年金ってどんな制度?仕組みを分かりやすく簡単に解説(老後資金の教科書より)
公的年金には「国民年金」と「厚生年金」の2種類がありますが、とりあえず「65歳になると年金が受け取れるものだと思っている」。程度の知識しか年金について知らない。という方は案外少なくないものです。
それは、本人が悪いという側面もあるかもしれませんが、なにより年金制度が複雑怪奇であり、日本年金機構のサイトも難しい文字ばかりで読むのも大変。というのが原因として挙げられるでしょう。
そこで、公的年金である「国民年金」と「厚生年金」について、できる限り分かりやすく簡単に説明をしたいと思います。
■公的年金の1階は国民年金・2階は厚生年金で成り立っている
まず、公的年金がなぜ1階、2階と呼ばれるのかと言うと、誰もが受給する権利を持つ国民年金が1階部分となり、国民年金よりも受給できる人が減る厚生年金が上に乗っかるイメージを分かりやすく伝えるために1階、2階という呼び方をします。上記の図がそれを示したものになりますのでご確認ください。
それでは、国民年金と厚生年金がそれぞれどのような仕組みなのか出来る限り分かりやすく簡単にお伝えしたいと思います。
■国民年金とは
国民年金とは、日本に住む20歳以上60歳未満の方が年金保険料を納め、原則65歳以降に受け取りができる公的年金です。そのため、保険料さえしっかりと納めていれば誰でも受給することができると覚えておきましょう。
■国民年金の保険料はどのくらいの期間納付するのか
先ほどお伝えした通り、国民年金を満額受給するためには20歳から60歳までの期間を滞りなく納付する必要があります。一方、満額受給でなくても国民年金は受給することが出来ます。国民年金の受給資格は平成29年8月より10年間納付した方でも満額とはなりませんが、国民年金を受け取ることができます。
平成29年7月末までは25年間納付しないと国民年金の受給資格を得ることができませんでしたが、平成29年8月より10年間保険料を納めることで受け取りができるように改正されています。また、厚生年金も同様に25年から10年の保険料納付で受給できるように改正されています。
■国民年金の保険料はいくら?
国民年金の保険料は、平成29年度で16,490円となっています。この金額は毎年変わりますが、年々緩やかに増加していますが平成29年3月の値上げで固定となりますので、当面は保険料が増えることは無いでしょう。(物価連動により多少の増減は発生する)
国民年金の保険料の推移は以下の図をご確認ください。
■国民年金が受け取れる時
一般的な65歳時点で支給される国民年金を「老齢基礎年金」と呼びます。何も問題なく保険料を納めていれば65歳で誰でも受給することができます。また、65歳前でも国民年金を受け取れる場合がありますので国民年金の3つの種類をお伝えします。
1.65歳時に受け取れる「老齢基礎年金」
2.障害者になった場合に受け取れる「障害基礎年金」
3.加入者が死亡した場合に遺族が受け取れる「遺族基礎年金」
2番と3番の状態になった場合は、65歳を前にしてでも国民年金が受け取れますので覚えておきましょう。ただ、「遺族基礎年金」は子供を支えることを目的にしていますので、18歳未満の子供がいない方は支給されません。
■厚生年金とは(省略)
■国民年金と厚生年金の受給額はいくら?
国民年金を20歳から60歳までしっかりと納めた場合の満額受給額は、平成29年度で77万9300円となります。詳しくは「平成29年度|国民年金(老齢基礎年金)の満額支給は年額77万9300円」をご参照頂ければと思いますが、平均的な支給額は国民年金(老齢基礎年金)が月額55,244円、厚生年金(老齢厚生年金)が月額147,872円となっています。
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今日は寮1(二条)17時間だと思っていたら、寮長さんの勘違いで8時間半だった(8時半から17時)。
昨日で寮生は全員退寮したので、ガランガラン。各所の修理業者や貸ふとんの入れ替えなど、出入りは激しかったが私がすることはほとんどない。そういう意味ではヒマだった。
昨日の続きで、年金についてもうちょっと調べてみた。
ずっとサラリーマン、または逆にずっとサラリーマンじゃなかった人は分かりやすい。
私のように「35歳まではサラリーマン(公務員)、年金を納付しない空白期間4年の後、21年ほど国民年金を納付」という人間はややこしいったらありゃしない。
私が納付したと思われる金額は以下の通り。(35歳から60歳)
1991年 9000× 0
92 9700× 0
93 10500× 0
94 11100× 2 22200円
95 11700×12 140400円
96 12300×12 147600円
97 12800×12 153600円
98 13300×12 159600円
99 13300×12 159600円
2000年 13300×12 159600円
01 13300×12 159600円
02 13300×12 159600円
03 13300×12 159600円
04 13300×12 159600円
05 13580×12 162960円
06 13860×12 166320円
07 14100×12 169200円
08 14410×12 172900円
09 14660×12 175920円
10 15100×12 181200円
11 15020×12 180240円
12 14980×12 179760円
13 15040×12 180480円
14 15250×12 183000円
15 15590×12 187080円
さて、その合計は・・・。
3526360円なり。
おう、352万円。今すぐ、くれー。
こんなに払ったのに、65歳からで年間わずか41万円の支給ですか。2年前倒しにしたら36万円。
10年生きて、やっと元金返還かー。利子もついとるやろから10年以上生きなあかんね。
私の10年後は72歳。
無理と思う。
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2018年03月13日(火)
「あなたの人生、エラーです」 [雑用]
「藤井さんのブログは、見るたびにドキドキです。何が起こるか分からないですから」と下村さん。
「そうでしょう。自分でもドキドキなんですよー」と私。
おとついの帰り間際、二人の間にこんな会話があった。
下山さんも、ドキドキしながらしっかり見てくれてはんにゃなあ。
いい記事を書かなくては。
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今日はドキドキするようなことではありません。
私の年金支給の手続きです。
去年12月の誕生日で62歳になった。国民年金の支給は65歳からだが、共済年金は62歳から。私は12年近く教師をしていたので、微々たるものだが年金が出るはず。ところが何のお知らせも来なかった。
おかしいと思い、公立学校共済組合本部に問い合わせてみた。すると、「藤井様宛に日本年金機構より平成29年7月以降に請求書類が送付されていたことになっておりました」とのお返事の手紙が。
退職後3回引っ越しをしているので、その書類が届かなかったということだろうか。
とりあえず、そこから取り寄せた「年金請求書」の分かるところだけ記入し上京年金事務所へ。本当は予約をしないと受け付けてもらえないらしいが、朝一番なら何とかなると言われ朝一番に。
ここでは共済年金の分も受け付けてはもらえるが、試算金額は分からないとのこと。それは公立学校共済組合のほうに聞かなければならない。
そこで、国民年金支給時期を前倒しした場合の試算をしていただいた。
私は教師退職後、お金がなくてしばらくは国民年金を払えてなかった。被保険者月数は、退職した35歳から60歳までの301か月。しかし実際に支払ったのは254か月。約4年分払っていなかった。
これで計算していただくと、65歳から支給される年金見込額は412380円。それを今すぐ前倒し支給してもらうと、33か月の前倒しで16.5%減額の344337円。
これを月平均にすると、34365円→28694円。月に5401円減。これが死ぬまで。
あっそうそう、年金前倒し支給を考えたのは、甲状腺低分化癌の5年生存率が50%台と分かってから。私の場合、癌宣告を受けたのが60歳。その5年後って65歳やん。下手したら、びた一文も支払われない可能性もある。それやったら、減額されても生きているうちにもらっときましょかという感じ。
あとは、共済年金がいくら出るかや。
公立学校共済組合本部に電話すると、「まず、待機者番号を教えてください」と言われた。そこで、請求した書類に添付されていた8けたの番号を言った。
「あれっ、エラーですね。番号まちがわれていませんか。」
「そちらから送られてきた印刷物に書かれた番号を見て言っているので、まちがいようがないでしょう。」
「そうですよね。どうしてエラーになるのかなあ・・・。」
しばらく間。
「あなたの人生、エラーですね」と言われているみたいで、だんだん腹が立ってきた。
「お名前と誕生日で調べなおしてみます。分かり次第こちらからお電話させていただきますので、しばらくお待ちください。」
だいぶたってから電話がかかってきた。私の確認はできたが、住所変更の手続きをしてもらわないと、正しい待機者番号も試算金額も電話では教えられないとのこと。人の番号勝手にまちがっといて、えらい高飛車じゃ。次に問い合わせる時、どうせ―ちゅうねん。
けっきょく、なぜまちがった番号が来たかは分からずじまい。しかし、ここでハタと気づいたことがあった。
去年の12月から、公立学校共済組合本部には3回電話を入れている。今日も含めてその3回とも、対応されたのは同一人物。
今日「あれっ」とか言ってしらばっくれてましたけど、まちがった番号を送ってきたのはあなた、Iさんですよね。
第一、住所が変わっていることを前に告げて、ここに年金請求の書類を送ってきているのに、なんでその時いっしょに住所変更手続きの書類を入れとかんかなあ。
「私の人生がエラー」じゃなくて、Iさん、「あなたの仕事がエラーだらけ」なんじゃないでしょうか。
共済年金の見込額が分かってから、国民年金の前倒し時期を決めようと思っていたのに。しかし、それが分かるのはまだまだ先になりそうだ。
共済年金が2万円ほど、国民年金が2年前倒し(12%減)で3万円、合わせて5万円くらいにならんかなあ。わずか5万円では、とても生きてはいけんけど・・・。
ああ、お金の話はしんどい。
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【RUN】
今日は走る時間があったのに走っていません。
あまりにも腰の左が痛くて。
お腹がましになってきたら、今度は腰の痛みがぶり返し。
当分レースに出る予定もないし、無理せんとこ。
今日は久しぶりに二人でスーパーに。
「このごろ全然果物食べてへん」という私の不満にこたえて、イチゴを買ってもらった。ほんま久しぶり。ちょっと酸っぱいのがまたよくて、すごくおいしかった。
明日はまた寮1(二条)17時間で走れない。
あさっては、ちょっとでも走ろうっと。
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【今日のきく】
今週は月水金とバイトなので、きくの散歩がほとんどいけない。
今日はその分サービスで、長めのお散歩。
「さあ、きくジャンプやでー」と何回もけしかけたが、今日はその気にならず。
公園には人がおり、私がきくをけしかけていた声を聞かれてしまった。
「虐待じゃないんですよ。今日はうちの犬の調子が悪かっただけで・・・」と言いたかったけど、そのままシューと帰ってきた。
次はきげんようジャンプしてやー。
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2018年03月12日(月)
感動・希望・勇気はいらない [雑感]
今日は寮2(出町)24時間。
オリンピックが終わって、今はパラリンピック。
以前、「感謝と恩返しが一番嫌いな言葉」みたいな記事を書いたことがある。みんなみんなおんなじことを言うので、気持ち悪くなってそういうことを書いた。比喩ではなく、そういう人を見ると本当にゲーが出そうになったこともある。
今日思ったのだが、私が二番目に嫌いな言葉は「感動・希望・勇気を与える」かなあ。こんなことゆうやつもぎょうさんおる。あー、もうゲー出そう。
そんなもんいらんし。(欲しい人もあるんかなあ。)
そんなもん、赤の他人さんがどうこうできるもんでもないやろし。
寮に行く前、喉あめがなくなってきたのでコンビニによってぷっちょを買った。
最初の1個に「好きな言葉は」という質問。
うーんと考えたが、「ヘンタイ」くらいしか思いつかん。
さて、その答えは・・・。
なんとその答えは、「LOVE&PEACE」。
忘れてたなあ。
これ、古くからの定番やん。
私もこれでしたね。
正確に言うと、「へらへら笑顔と空回り平和アピールラン」やけど。
以前、元NHK歌のおねえさんが「私の目標は世界平和です」と言って、みんなに笑われていた。この笑った人らの気持ちが理解できない。
人間が生きている意味は、「愛と平和」に収斂される。
本気でそう思う。
私の空回り愛は、ヨメさんと廉・真樹ときくちゃんに。みんな迷惑がっているけど。
空回り平和は沖縄に。これも迷惑がられてんのかなあ。
羽生結弦君は、若干23歳で国民栄誉賞を断ることはできんでしょう。
せめて受賞コメントをこれにしてほしい。
「僕の目標はLOVE&PEACEです。」
受けるで―。
頼むし、「感謝・恩返し・感動・希望・勇気」などのNGワード(私にとっての)は使わんといてね。冬季オリンピックのフィギュアのあとで、めちゃくちゃ楽しいコメントを出していた宇野君に教えを乞いにいったらええわ。
あいつはおもろい。あんなええコメントを出せる人間になりたいわ。
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2018年03月11日(日)
第4回かつしかふれあいRUN フェスタ [ランニング]
今年もいろいろありました。
いろいろありましたが、とにかく完走できました。
下山さんと二人で撮った写真がなかったので、お願いして撮ってもらった。
私が走れる限りは毎年来ますから。待っててくださいね。
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お腹の痛みはましになったものの、夜中に足がつって何度も目が覚めた。10kmを48分半で走ったくらいで、こんなことになるとは・・・。全然復活してませんでした。
荷物をまとめ、8時ちょっと前にホテルをチェックアウト。
駅前にある「松屋」さんへ。
ここで、ホテルの朝食チケットで「焼鮭定食」を注文。普通に注文したら450円のメニューだった。
ここで慎重に食べたらよかったのに、大盛りに見えたごはんも全部食べてしまった。もちろん、そのあとお腹の具合が・・・。
「学習せえよ!」
「小岩」から「堀切菖蒲園」は電車で9分。今年は一番近いところに泊まることができた。朝がゆっくりできてよかった。
下山さんには「9時過ぎに行きます」とメールしていたのだが、それよりだいぶ早く着いた。
この大会もナンバーカードとチップが先送りで、受付がない。そのため、スタート前ギリギリに来られるランナーも多いようだった。
着いてすぐ電話をすると、「ステージ前にいます」とのこと。
すぐ見つけることができた。
このあと、だいぶ離れた駐車場へ。アスファルト以外のところはぬかるんでいて、車いすでは進みにくいようだった。
車に荷物を置かせてもらい着替えていると、「藤井さん、やせられましたね」と。一年に一回しか会わない人は、体型の変化もよく感じられるということですね。
下山さんと初めて会った2008年5月は、たぶん私の体重は64kgくらい。3年ほど前に減量して、60kg前後くらいにはなった。
しかし、先月の緊急入院でいったんは55kg台に。最近ちょっと戻して57kg。初めてお会いした時から比べると7kg減。そら、やせて見えるわね。
今年の伴走も、3年連続で同じ3名の体制。
この3名なら、下山さんも何の心配もいらないでしょう。
「いつかはこの4名で東京マラソンを!」
2kmだけアップジョグに。
あかん。お腹の調子が・・・。
この期に及んでそれはない。いざとなったら他の2名にお任せして、途中でコースアウトもやむなしとの判断でスタート地点へ。
下山さんはやる気満々。
第1回から毎年出場され、年々タイムを縮めている。今年は「ネットタイムで2時間切り」を目標に掲げられた。
「そのスピード行かれると、私のお腹が持たんかも・・・」と心配しつつ。
最後尾にいたので、スタートのピストル音がよく聞こえなかった。
それでも流れに乗って前に進むと、デジタル掲示で5分半を過ぎていた。
「もう少し待ちましょう。8分になったらスタートしましょう」と下山さん。
これはいい判断だった。人混みをかき分けて進むと、接触の危険が高まる。ランナーがばらつくのを待つという意味で、もう少し待ってもよかったくらい。来年は10分後にスタートしましょか。
下山さんの地元・葛飾区の大会なので、役員さんにもお知り合いが多い。あちこちで声を掛けられていた。
10時48分、私ら4名がスタート。
今年の課題は「初めは飛ばさず、抑えること」。
しかし最初は下流に向かっていくので、どうしてもスピードが出てしまうようだ。
この大会は、荒川の河川敷を使っているので単調な道が続く。しかし、途中でいろいろなパフォーマンスがあるので意外とあきない。
かなり間を空けてスタートしたつもりだったが、ゆっくりランナーにはすぐに追いついてしまった。
マラソンに和太鼓の応援。これは定番です。
お腹に響く太鼓の音が・・・、お腹が痛い私にはちょっとこたえた。
5kmは30分切り。
予定通りのいいペース。
8km過ぎに折り返し、今度は上流へ。
このあたりで少しペースが落ちたが、これは仕方ない。
折り返してからは対向して走ってくるランナーも少なく、私ら伴走の仕事も楽になった。
10km、1時間をちょっとだけオーバー。
デジタル掲示板と一緒の写真を撮ろうとしたが、こちらからは表示なし(当たり前か)。下山さんも他のランナーと重なって、しっかり写ってないし・・・。これは大失敗写真です。
10km過ぎから、急に下山さんがへたばってきた。
私は露払いのように10mほど前を先走りしていたのだが、振り返るとずいぶん離れてしまっていることもあった。
スピードが落ちてくると、前を行くランナーに注意喚起する必要がなくなる。どちらかというと、後ろから追いついてくるランナーとの接触が心配だが、まあめったなことはないでしょう。
今年もイヤホンを付けたランナーが多数。
「後ろから車いすランナーが来ます。左端を空けてくださーい」と叫んでもお構いなしに走っているランナーはみなイヤホン付き。
こんないい景色も見えるのに、耳をふさいで下を向いて走ってられるランナーさんの気持ちが理解できません。
「マラソン大会でのイヤホン禁止」は、ダメなんでしょうか。
それと、ロードレーサ―にも何回も会った。マラソン大会が開催されていることは知っているだろうに。何もそのさなかに人の間を縫うように走らなくともいいでしょうに。そんなことして楽しいんかなあ。来年、自転車にひかれたろかなあ。
「マラソン開催中の自転車走行はご遠慮ください」って、でけへんのかなあ。
しんどくなってくると、下山さんは池の鯉のようになる。
口を大きく開けるが、呼吸絶え絶え。
朝はまだ涼しかったが、だんだん気温も上がり、厳しいコンディションになってきた。
毎年恒例のバンド演奏。
ここで少しほっとできる。
今年も、道路の川側への傾斜に手を焼いているようだ。
「片方の腕がすごく痛い」とおっしゃっていた。
ちょっとした下りがあると、腕を休めることができる。
その分、上がるときに苦労はするんですが・・・。
みんな心配で、何回か集合した。
私は「無理せず、リタイアすることも考えてね」と言っておいた。
15km、1時間48分。
この5kmに39分。もがきましたねー。
16.3kmくらいで、いったんゴール前へ。
「ここでリタイアしてもいいですよ」と言ったが、「最後まで行きます」とのこと。
それなら付き合いましょう。私のお腹も、下山さんがペースダウンしてくれたおかげで、なんとか持ちそうだし。
しかし、ここからの残り5km弱がつらい。
堰を越える急坂もあるし。
18km手前の堰越え。
下り切ってすぐにヘアピンカーブ。
「せっかくスピードが出てるのにもったいない」と下山さん。
18km過ぎから19kmまでがすごく遠く感じられた。
第2折り返しで、まだ19kmの手前でした。
下山さん、ヘロヘロ。
けっきょく20kmは、2時間35分。
この5kmは、47分。
最後の堰を超えると、あと1km弱。
やっと下山さんの笑顔が見られた。
残り1kmも長かった。
それでも最後の力を振り絞り、スピードアップ。
見えてきた―。あのテントの先を右折したらゴール!
おつかれさん。
ゴールは2時間36分。
もちろん、コースワースト記録を大幅に更新。
でも、普通の車いすでがんばって走っているところを、多くの人に長い時間見てもらえたと思ったら、これはこれで値打ちあり。
最後まであきらめず、よくがんばりました。おめでとう。
ゴール後は、「見たことある、見たことある」と女子中学生に囲まれた。下山さんは葛飾区の各小中学校などに講演に行っておられるので有名人なんです。中には、「私が小学生の時に学校に来られた」と言っていた子もいました。
ちょっと悔しいけど、それなりに値打ちのある完走記録証をもらって、本日のレースは終了。
私も緊張感がとれたのか、ゴール後またお腹が痛くなってきた。これはいかん。早く新幹線に乗って、静かに寝とかな。
着替える前に、下山さんとのツーショット。
下山さんもやせておられるが、私もガリガリジジイですなあ。
みなさんにごあいさつし、急いで駅へ。
「堀切菖蒲園」から東京駅はけっこう遠い。
ギリギリ、14時56分発のこだまに間に合った。
お腹の調子が悪いので、お昼ごはんは抜き。下山さんがくださったこぶりのバナナとカフェオレで終了。
あとはぐっすり寝ること。
3時半ごろから30分ほど寝たら目が覚めた。
新幹線が駅じゃないところに止まっている。外を見ると、大きなパチンコ屋さん。
しばらくすると、車内アナウンス。
「静岡〜浜松間で原因不明の停電により、運転をストップしています。」
おっと、これは時々ニュースになっている列車内缶詰ちゅうやつかー。
今日は早く帰るつもりで、安くて速いこだまの14時56分にしたのにー。
最悪何時に回復するんやろう。明日、また寮の管理代行のバイトやのに。
同じアナウンスが流れるだけなので、ますます心配になってきた。
ヨメさんにメール。
「寝とき」と返事。
下山さんにもメール。
「たいへんですね。帰ってから点検したところ、車いすがパンクしていました」とお返事。
まさかまさかの・・・。パンクに気づかず、力を振り絞ってられたんですね。腕がおかしくなったって言ってられたけど、そらおかしくもなるわ。よう完走できたもんや。
2時間20分後に運転再開。
京都駅18時34分着予定が、20時51分着。14時56分発やったから、新幹線に6時間も乗ってたんや。まあ、この程度ですんでまだよかったか。
家に帰ってもヨメさんは友だちと外食しているので、私も京都駅で食べて帰ろうと思っていた。でも、もうクタクタで。遅くなるとるバスの本数も少なくなるし、ちょっとでも早く帰りたかったので、すぐに地下鉄に乗った。
するとバスにもうまく乗れて、家には9時半に到着。
家にはヨメさんはいないが、きくちゃんが。なんや、寝ぼけ顔やがな!
ラーメンがあったら作って食べようと思っていたのに、もうなかったみたい。
きくのお散歩がてらコンビニへ。
ここで「ガーン!」
きくの写真を撮るカメラは持ってきたのに、おさいふ持ってきてへんやん。
ボケるのもほどがある。
けっきょく、家に帰って食パン一枚焼いて、コーヒーと。それが今日の晩ごはん。
ふろ上がりの体重は56.3kg。
あかんがなー。体重戻るどころか、また減ってきたがなー。
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2018年03月10日(土)
パオパオが好きな3つは [ランニング]
「好きなものを3つ挙げよ」と言われてすぐ思いつくのは、「ますみちゃん・沖縄・干し柿」。ヘンタイですなあ。その次は「きくちゃん・おふろ・シュークリーム」かなあ。やっぱりヘンタイです。
今日は一般人にも話が通じる3つ、「マラソン・野球・映画」。
恒例、普通の車いすランナー・下山さんの伴走で東京行き。以前は往復夜行バスで行ったりしていたこともあったが、もうそんな元気はない。
東京ブックマークは安い。京都東京往復新幹線代だけで28000円かかるのに、ホテル代を入れても23800円(ただし、新幹線はこだま)。ここまで安いと、早朝ののぞみの追加料金2000円をプラスして、土曜日は一日東京観光に。
午前は皇居マラソン。午後はプロ野球オープン戦。そして、夜に映画。
末っ子の私は本来ならこんな計画は苦手なタイプのはずなのに、あれこれ探してきっちりみっちり計画を立てた。そして、全部うまいこといきましたわー。
よかった、よかった。
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【マラソン】
京都駅を6時48分に出るのぞみに乗るため、朝6時にヨメさんの運転で地下鉄・国際会館駅へ。あとはすべてうまくいき、東京メトロ・半蔵門駅に着いたのは9時過ぎ。
曇り空でちょっと肌寒かった。
私が申し込んだのは「第13回皇居マラソン・10kmの部」。スタート予定時刻に遅れても、いつでもスタートできるという気軽さがよくて申し込んだ。
半蔵門前に交番があったので、そこが集合場所だと思っていた。ところが、ランナーは3、4人。おかしいと思って、アップがてら北に行くと、千鳥ヶ淵の交番の近くがスタートゴール地点だった。早く気づいてよかった。
「土日のランニング大会は禁止」という看板があちこちにあった。しかし、ナンバーカードを付けたり、たすきをかけて走っているランナーが多数。私が確認しただけでも、4つの大会が開かれていた。これは、「ナンバーカードを付けた練習会」という扱いなんでしょうか。
9時にハーフの部がスタートしており、10km5kmは10時スタートということだった。
一斉にスタートするのかなと思ったら、一度に4人ずつ。これはいい方法です。私は第2組、10時03分にスタート。
最初が下りなので、気持ちよく飛ばせる。
1km地点で4分30秒。
足指の付け根もほとんど痛くない。
長ソデ+ロングタイツにしといて正解だった。
なかなか体があったまらなかった。
桜田門を超え、北向きの直線(二重橋前)に入ると、かなりきつい北風。
早くも失速。
それでも、1km4分45秒くらいをキープ。
北側の上りはこたえるけど、梅(?)の花がきれい。
これを見てがんばる。
早咲きの桜だろうか、ちらほら咲き。
ここはちょっと狭くて走りにくいところ。
千鳥ヶ淵に戻って5km、24分15秒。
腰痛の割にはまあまあやね。2周目がどうかなというところ。
2周目の下りも気持よく走れた。
桜田門前広場では、3つのグループが大会を開催している模様。
北風にも負けず、長い上り坂にも負けず・・・。
やっと戻ってきました。
大会主催者さんは、2人ですべての仕事をこなしておられた。
10km、48分29秒。
おー、すばらしい。1周目と2周目が同じタイム。
2周目がよう落ちんかったもんや。だいぶ復活してきたかな。
どこのスタッフさんか分からないが、女性が応援されていたので写真をお願いした。
こんな格好で走ってました。
シューズはターサージールTS4、ソックスはミズノ5本指(アーチサポート)で。
これで、明日の下山さんのハーフ伴走もバッチリです。
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【野球】
ほんとはヤクルトを見たいところだか、今広島でオープン戦をやっている。
東京近辺では、日ハム対DeNAのみ。それも、千葉県の鎌ヶ谷スタジアム。
それ、どこ?
ちゃんと調べましたがな。
3通りの行き方があったが、最終はすべてバス。一番近い鎌ヶ谷駅からでもバスで10分ほどかかるらしい。
バス停前はすごい行列だった。その横においしそうなパン屋さんがあったので、ちょちょちょいと買いにいけばよかった。けっきょく、お昼ごはんを食べそこねてしまったので。
バス代は100円。これはよかった。
どんどんいなかのほうに入っていき、低木で果物を育てられているようなところがたくさんあった。あとで分かったのだが、それは梨の木だった。
鎌ヶ谷スタジアム到着。
2軍の球場としては立派なものだった。
ただ、食べ物屋さんが少ししかない。ものすごい列だったので、もうお昼ごはんはあきらめた。
内野席は売り切れで、外野立見席(1000円)しかなかった。まあ、それで十分だけれど。
13時プレーボール。
栗山監督とラミちゃんが握手。
ちゃんと、日ハムのマスコットも来てました。
日ハムの選手もDeNAの選手も、ほとんど知らない。大谷選手はもうおらへんし。
まあ、今日は日ハムの清宮選手とDeNAの筒香選手を見に来たようなもん。
筒香選手は、ヨメさんの親友の息子の「ちさっちゃん」そっくり。少年野球で活躍していた「ちさっちゃん」が筒香と名を変えて、プロ野球に入ったと言ってもいいくらい。だから親しみがわくんです。
外野席の一角は、DeNAファンで埋め尽くされていた。すごい数。
そらそうや。千葉は、北海道からくるより横浜のほうがずっと近いし。
「つつごー」
外野席から、私のしわがれた声は届かんかったやろね。
日ハムの応援団はこれだけ。DeNAの3分の1以下。
ちょっとさびしい。
曇り空でけっこう寒かったのに、こんな時でも生ビールは売れる。
2回裏、清宮選手がバッターボックスに。
いい振りをしていたけど、三振。前に飛ばしてほしかったなあ。
筒香選手も、今日はさっぱり。
ホームチームは、こうして紹介してもらえるのでいい。
2軍の球場のとはいえ、設備は充実している。
清宮選手には一番声援が多かった。
しかし、また凡退。
プロ入り後、まだ1本もヒットが出ていないらしい。
筒香選手も3打席凡退して、他の選手と交代してしまった。
5回裏のグランド整備の時間に「ラジオ体操」。
これはおもしろい企画です。
けっこう客席でもいっしょにやっている人が多かった。
お腹が減ったままの2時間立ちっぱなしはきつかった。
筒香選手も引っ込んだことやし、お昼ごはん食べに行くか。
一応、球場をぐるっと回ってお別れ。
またここに来ることはあるのだろうか。
ちょうど3時のバスがあったので、それで鎌ヶ谷駅まで。
途中からいい天気になって気持よかったし、まあまあの野球観戦になった。
来年はヤクルトを見たいなあ。
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【映画】
とりあえずお昼ごはんと思い鎌ヶ谷駅周辺を歩いてみたが、全店準備中。そのほとんどがお昼は2時半まで。これではお話にならないので船橋駅へ。
船橋は都会だった。
おいしそうなお店「和ごはんとカフェ・chawan」が見つかったので入店。
「牡蠣&ヒレカツ」(1285円)。
かなり高かったが、4時前でもうお腹ペコペコ。それで冷静な判断ができなかった。
おいしかったから、いいということにしましょう。
食べ終わって、京成小岩の「ホテルスカイコート小岩」へ。
さすが、東京ブックマークの最安値だけあって古い。
でもちゃんと掃除がしてあって、ゆっくり寝られたらそれでいいやん。
さて、映画。
このごろ思うのだが、どこの映画館も同じ映画を上映している。なんででしょう。以前は、映画館によって全然ちがう映画を上映していたのに。
小岩から行きやすいところの映画館は、みんな同じ系列。私が見たい映画はどこにもなかった。
そんな中、ちょっと遠いが、岩波ホールでジョージアの映画をやっていることが分かった。絶対これですね。
岩波ホールがあるのは神保町。
朝に走った皇居にも近い。
皇居から千葉まで行って、また皇居近くにUターンです。
岩波ホールは、岩波神保町ビルの10階にある220席の映画館。
すごく落ち着いた雰囲気の映画館だった。
映画はすごくよかったのだが・・・。
初めからドキドキハラハラの連続。
と言っても映画の内容ではなくて・・・。
220席の映画館に40名ほどの客。まあガラガラと言っていい感じ。
私は前から5列目の、右から2番目に座った。
もうすぐ始まるというとき、シューとした美人さん(たぶん20代)が私の前を通り、一つ空けた左の席に。
ところが、すぐに私の隣に移ってこられた。いっぱい空いているところがあるのに、こんなあやしいジジイの横に。
私の前の列の中央がふさがっていたので、前の人の頭が邪魔にならない席に移られただけだが、私が若い女性なら、絶対にあやしいジジイの横なんか行かない。
「ドッキリちゃうやろな」と何度も思った。
映画が始まっても、隣のぺっぴんさんが気になって、なかなか集中できなかった。アホですばい!
映画が終わり、晩ごはんの店探し。
さすがにここら辺にはいっぱいあった。
刺身定食(1250円+税)がめっちゃおいしそうに見えて、「源ちゃん」というお店に入った。
おお、満足満足。
久しぶりに、お刺身をお腹いっぱい食べた。
ところが、ホテルに戻っておふろから上がったくらいから、お腹が痛くなってきた。これは明らかに胆のう炎(胆管炎)。ステント(管)、詰まったか―。こんなところで発作が起きたらどうしようもない。
しばらくベッドで安静に。
1時間ほど寝ていたら、何とか痛みが治まってきた。あぶなかった。
明日、下山さんの伴走せんならんのに。と言うか、そのために来たのになにしてるこっちゃら。いろいろ欲張りすぎたかな。
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2018年03月09日(金)
第102回9の日平和ラン [ランニング]
いきなりですが、悲しいお知らせです。
(私にとっては悲しくて、他の人にはどうでもいいことなのですが・・・。)
「ねっとわーく京都」に絶賛(?)連載中だった私の
―「憲法九条」+「ランニング」=パオパオとを言われる日をめざして―
が、今月発売号をもって連載打ち切りとなりました。
1年11回掲載のお約束で8年。なんか縁起がよさそうな88回で最終というのもいいですかねえ。正直、いつ打ち切りかとビクビクしていました。ついにその日がやってきました。逆に、この雑誌の母体と言える京都市職員労働組合と何の関係もない私を、8年も使ってくださった度量に感謝いたします。
また、どこの誰だかよく分からない私ごときの記事をよんでくださった読者様にも感謝いたします。みなさま、本当にありがとうございました。
毎日ブログを書いているので、その焼き増しのような記事ばかり書いていました。最近は、平和アピールではなく癌患者アピール記事が多くなっていました。そのへんが飽きられたのでしょうか。
毎月の原稿締め切りが18日なので、それがいい区切りになっていました。もうそれがないと思うと、気が抜けてしまいます。また、どこかで原稿が書けるようなことがあるといいのですか・・・。
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今日は小雨。
午後3時半から、9.9kmになるように「9の日平和ラン」をスタート。
昨日の夜、ヨメさんがお灸とマッサージを入念にやってくれた。腰の痛みがましになり、肩や股関節の痛みはほとんどなくなった。
それでも調子に乗らないこと。スピードを上げないように気を付けながら走った。
松ヶ崎橋を渡り、「レトロビーバー」さん前で折り返し。
4.82km、27分。
叡電・修学院駅前を通過し、突き当りの白川通を北上。
叡電の線路を超えて岩倉へ。
自宅のちょっと手前で9.99km、57分。
10km続けて走ったのは久しぶり。徐々に回復しています。
帰りは雨が少しきつくなり、強風になった。何度も帽子が飛ばされそうになった。「平和・憲法九条」が飛んで行ってしまったら、えらいこっちゃ。最後のほうは帽子を脱いで、手に持って走った。ジャンバーはビチャビチャ。
連載は88回で終わってしまったけれど、この「9の日平和ラン」はまだまだ続けますよー。
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【連載・最終回】 ねっとわーく京都 2018年4月号 (本日発売)
2月7日、先の名護市長選で敗れた稲嶺進氏が退任式にのぞまれました。2期8年、名護市民のことを思い続け、「辺野古に新米軍基地は絶対に作らせない」を旗印にがんばってこられたのに。私自身も、娘が名護の大学に進学し、稲嶺氏とも名護のニングクラブを通じてとても親しくさせていただいていました。クラブの仲間は皆、「市長」とかしこまらず「ススムさん」と呼ばれていたのがすごく好印象として残っています。
「ススムさん」は、毎年1月に行われている「名護ハーフマラソン」にも、ずっと出場され続けています。もう70歳代ですが、去年は私と同じ ハーフに出場されていました。今年は選挙も控えていたせいか、無理をせず10キロを走っておられました。多くのランナー仲間の声援を受けながら・・・。
そんな「ススムさん」が、「一歩リード」の予想に反し、基地移設容認派(政府側)の候補に約3500票の大差で敗れました。私は何が何だかよく分からず、言葉を失ってしまいました。せめて退任式のその日には自分なりの考えをまとめようと、「名護の死は沖縄の死、いや日本の死である」というタイトルでマイブログの記事を書こうと思いました。ところがまったく考えがまとまりません。
今回の敗因として、「長年にわたる基地移設問題に疲れきった市民が、地元経済や市民生活の改善を重視した相手側の政策に共感した」と書か れているものが目立ちました。これが私にはよく分かりません。娘と初めて沖縄に来た11年前から数えると、名護にはもう30回ほど行っているはずです。最初はただ素通りしただけですが、雑多な感じのする那覇とは全然ちがう落ち着いた街並みが印象に残りました。そしていよいよ娘が名護の大学に入学し、住むところが決まった時、名護のランニングクラブの友人から言われました。
「名護はいいよー。海があって山もある。それに大学もあるから若者がいっぱいさー。困ることはなにもないよー。」
そう言われて、本当にそうだなあと思いました。名護は人口6万ちょっとの地方都市ですが、街中のどこに行っても大学生を見かける、そんな活気のあるところでした。実際に寂れていく 地方都市が多い中、名護の人口は今も増え続けています。こんないい環境のところで大学生活4年間を送れる娘がうらやましくなったくらいです。
半永久的に使用されるであろう巨大な新米軍基地を受け入れて、自分たちの生活が多少豊かになったとてそれがなんなんでしょう。私には、名護市中心部住民の辺野古地区切り捨てと思えてなりません。一度でも辺野古に行かれたことがある方なら、すぐおわかりでしょう。辺野古は1970年の合併によって名護市になった地区で、市役所からは峠越えの道を10キロ以上進まないと着きません。人口も1900人ほど(そのうち半分は沖縄高専関係者)。よく話題になる直接交付金が渡される久辺三区合計でも2900人ほどです。名護全体の20分の1にも満たない地域なの です。こうは思いたくはないのですが、「直接被害は辺野古の住民に及ぶだけなので、多少はしんぼうしてもらってこの問題を終わりにしよう」と思われたのかもしれません。もしそうなら、どこにでもよく見られるへき地差別です。
ただし、ここまで考えて私はふと立ち止まります。それは、私の父が以前言っていた言葉を思い出すからです。古い話ですが、京都市の地下鉄工事の残土処分の問題が起こりました。市は左京区大原大見地区に残土を運搬し埋め立て、その代わりにそこに運動公園を造る計画を立てました。私のいなかは大見の西隣の花脊別所。父はその計画では道路がよくなり、運動公園では雇用も見込まれたので、基本的に賛成だったようです。
そこに登場したのが「立ち木トラスト運動」。道路拡張にかかる立ち木の持ち主になり、開発計画を阻止する運動です。その時の父の怒りはすさまさじいものでした。
「地元のもんが反対してへんのに、街のもんが道楽で反対運動か。自分らは便利で快適なとこに住んで、『自然破壊するな』てか。自分ら、さんざん自然破壊してきて今便利な生活送っとるんちゃうんか。いなかに住んどるもんはずっと不便な生活していけてか。言いたいことがあったら、ここに住み着いてから言え。ええかげんにせい!」
まあ当時はこんな感じでした。これがあるから、辺野古の問題も軽々に発言するわけにはいきません。自分なりに考えて、言いたいことはいっぱいあるのですが、ついつい「住み着いてもいないもんが」という父の言葉が葛藤を生みます。今これを書きながらも苦しいです。
そんなわけでもないのでしょうが、2月7日の夜から1年半何とかごまかしごまかししてきた胆のうが暴れだしました。今までも似たような症状が出たことがあり、食べたものがある程度消化できるとストンと痛みがなくなることがありました。今回も同じだろうと思いおとなしく横になっていたのですが、明け方になっても痛みが治まらず、ついにヨメさんに車で送ってもらい救急外来へ。CTを撮ってもらった結 果、 胆のう炎を通り越し、胆管炎と膵炎にまで発展していました。
「次に痛みが出たら胆のう摘出」と言われていました。ただそれには準備期間がいるらしく、まず今回は応急措置として胆汁の通り道を確保するステント(管)を内視鏡を使って挿入。3月には胆管に詰まりかけている胆石除去手術。そしてできるだけ早くと言われた「胆のう摘出手術」。早くと言われても「京都キャロット」の出張販売が続くため、7月にお願いしました。それまでにまた暴れることがあれば、緊急入院緊急手術になるそうです。
2月18日の「京都マラソン」は、「サブ3.5」の特別枠で当選させてもらったので、その名の通り3時間半切りを狙ってみっちり練習しました。しかし、今回の入院ですべてがパーです。ただ担 当医がランナーで、「マラソンと胆のう炎は何の関係もありませんから、退院したらまた走ってください」と言ってくださったのが救いです。今は、癌患者や胆のう炎患者の励みになるよう、しっかり復活することを目標にがんばろうと思っています。
◇ ◇ ◇
2月15日、急性胆管炎・膵炎で入院中に書いた記事。その時は、これが連載最終回になるとは夢にも思っていなかった。
しかし、内容は図らずも最終回にふさわしいものになっている。
いい終わり方でしたね。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 4 )
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