パオパオだより

2018年03月07日(水)

5年生存率 [病院]

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◎毎日新聞3月5日朝刊

   がん5年生存率、国際比較 
            肺・食道がん、日本トップ

 世界71カ国・地域のがん5年生存率を比較した結果を国際研究グループがまとめ、英医学誌ランセットに発表した。日本は肺がんと食道がんの生存率が調べた中で最も高かったが、血液がんは欧米に比べ低かった。

 ロンドン大を中心に研究機関が参加し、各国のがん登録データベースに基づき2000〜14年の15年間に診断された約3750万件を分析した。
 北米、北欧、オーストラリアなどは多くのがんで生存率が高く、日本も10〜14年の食道がん(36%)、肺がん(32・9%)は最も高かった。胃がんや乳がん、子宮頸(けい)がんも上位グループだった。一方、白血病や悪性リンパ腫などの成人の血液がんや皮膚の悪性黒色腫は低かった。血液のがんは欧米と日本でタイプが違う可能性があるという。
 研究に参加した国立がん研究センターの松田智大・全国がん登録室長は「食道がんは薬物療法や内視鏡手術が進歩し、乳がんはがんのタイプに合わせた治療が浸透したことが、生存率の向上に貢献したと考えられる」と分析する。【高野聡】
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【医療ニュースPickUp 2016年7月22日】
「がんの5年相対生存率」データを公表 国立がん研究センター

2016年7月22日、国立がん研究センター(理事長:中釜斉、所在地:東京都中央区、略称:国がん)がん対策情報センター(センター長:若尾文彦)を中心とする厚生労働科学研究費補助金「都道府県がん登録データの全国集計と既存がん統計の資料の活用によるがん及びがん診療動向把握の研究」研究班(研究代表者:がん対策情報センター がん登録センター 松田智大)は、「地域がん登録」データを活用して「がんの5年相対生存率」を公表した。

■ 21県の644,407症例の集計

「地域がん登録」のデータは、これまでにも何度か活用されており、地域がん登録事業実施全県への呼びかけにより行われた統計では、2011年2月に「2000年〜2002年の診断症例」から集計されたものが公開され、2013年には「2003年〜2005年の診断症例」から集計されたものが公開された。今回で3回目になる。

今回は21県の644,407症例(参加は27県)について、全部位と部位別、臨床進行度別、年齢階級別で、5年相対生存率の集計が行われた。

□全部位での5年生存率

今回の集計結果では、男性59.1%、女性66.0%、男女計62.1%となり、前回よりも3ポイント以上向上している。しかし、その背景には、前立腺がんや乳がんなど予後のよいがんが増えたことの影響も考えられるという。

□部位別5年相対生存率

男性:前立腺、皮膚、甲状腺、膀胱、喉頭、結腸、腎・尿路(膀胱除く)などが高く(70-100%)、白血病、多発性骨髄腫、食道、肝および肝内胆管、脳・中枢神経系、肺、胆のう・胆管、膵臓が低かった(0-39%)

女性:甲状腺、皮膚、乳房、子宮体部、喉頭、子宮頸部、直腸などが高く、脳・中枢神経系、多発性骨髄腫、肝および肝内胆管、胆のう・胆管、膵臓が低かった

□年齢階級別生存率

加齢とともに生存率が低くなる傾向があるものの、若年者より高齢者の生存率が高い部位や、年齢と生存率との相関が明確ではない部位もあった

また、部位に関わらず、臨床進行度が高いほど生存率は低下、逆に早期で診断されると生存率が良好であることが分かった。

「地域がん登録」は、1950年代よりスタートしているが、2012年診断症例で初めて47全都道府県の登録データが揃い、今回の集計対象診断年(2006〜2008年)では、前回集計の7県から21県に大幅に増加している。しかし日本のがん登録は、がん登録の標準化、データの精度が未だ十分ではなく、罹患数・率や生存率をそのまま他県と比較するためには、まだまだ課題があると指摘されている。


参考資料

日本のがん生存率の最新全国推計公表
全部位5年相対生存率62.1%(2006-2008年診断症例)
http://www.ncc.go.jp/jp/information/press_release_20160722.html

がん情報サービス 「全国がん罹患モニタリング集計 2006-2008年生存率報告」(7月22日更新)
報告書
http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/brochure/monitoring.html

同上 最新がん統計
http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html
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(2017年8月発表)

◎はじめてのがん保険より

■がんの5年生存率・5年相対生存率とは

がんは診断から5年間再発しなければ、その後再発する可能性が低くなり、治療後5年たっても再発が見られなければ、そのがんについては治癒したと判断されます。(進行が遅い乳がんや甲状腺がんの場合は10年)
そういった意味で、がんにおいては「5年」という基準が重要視され、TVドラマなどで「5年生存率」という言葉を聞いたことがある人も多いと思います。

5年生存率とは、5年後に生きている確率や、がんが治る確率として捉えられることが多いですが、人によって微妙に捉え方が異なります。


1.がんの治療開始から5年後に生きている人の割合
2.がん治療が終わってから5年後に生きている人の割合
3.がんと診断されてから5年後に生きている人の割合
4.がんの治療開始から5年間再発せずに生きている人の割合
5.がん治療が終わってから5年間再発せずに生きている人の割合
6.がんと診断されてから5年間再発せずに生きている人の割合

国立がん研究センターや色々ながんの専門サイトを見てみると、正確には1番の「治療開始から5年後に生きている人の割合」が正しいようです。この場合、5年後に再発していても生きていれば生存とみなされます。
冒頭で述べたように、がんにおいては、治療が終わってから5年後に再発なく生存した状態を完治(治癒)したと判断しますが、5年生存率という言葉には、再発して生きている人も含まれている可能性があります。

医療の専門家ではないので、医療機関で5年生存率という言葉が、どういった意味合いで使われているのかが分かりませんが、少なくとも単純に、がんが治る確率や、5年後にその人が生きている確率という意味ではありませんので、注意しましょう。

■5年相対生存率とは

がんのデータとして、「5年相対生存率」という指標が用いられることがありますが、5年相対生存率とは、がんと診断された人のうち5年後に生きている人の割合(5年生存率)が、日本人全体の5年後に生存している人の割合と比べてどれくらい低いかを表したものです。
性別や年齢が同じ人で、がんになった人とならかった人の5年後の生存率を比較したものという事になります。
5年相対生存率が100%であれば、がんに罹っていない人と5年後の生存率に違いがないという事になりますので、治療で治るがんという事になります。0%に近い場合には、治療で救えないがんという事になります。
KapWebというサイトで、「年齢・性別・臓器・ステージ別の相対生存率データ」が見られるようになっています。
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 今日は寮1(二条)17時間。
 寮生は2月末にほとんど出て行ってしまって、現在18名。そのうち4名が外泊中なので、今日はわずか14名。ひっそりしてました。

 退寮するときに、地元のお菓子を持って来てくださるご家族が多い。そのお菓子は私らにもわたってくる。どうも北陸地方が多いようだ。

 今日は私の最大の関心事「あとどれだけ生きられるか」について調べてみた。(がんに関心のない人には退屈な引用記事ばかりで申し訳ありません。)

 がんは「5年生存率」いう言葉でよく説明される。私もその言葉は耳にしたことはあったが、ほとんど関心がなかった。母を胃がんで亡くしているというのに。

 ちなみに、母が亡くなったのは1991年1月11日。母は1925年3月生まれなので、享年65。
 癌宣告を受けたのがいつかははっきりと覚えてはいないが、たぶんその3、4年前だったと思う。
 私が癌宣告を受けたのが60歳、そこから母の歳まで生きたら「5年生存」、生きられなかったら「残念でした」ということになる。癌の部位はちがうのだか、スケジュール的には母と同じ道を歩んでいるんでしょうか。

 残念ながら、「主ながん」の中に甲状腺がんは入っていない。絶対数が少なく、治療法の研究も進んでいない。癌に関するデータ発表のときも、「甲状腺がん」が省かれていることが多い。
 (2017年がん罹患数予測によると、甲状腺がんは男性4000、女性14200の計19200人。男性は胃がん90400人、女性乳がん89100人が最高。男女合計では大腸がん149500人が最高。―国立がんセンター・がん情報サービスより―)

 上から2番目の引用記事を見てみると、甲状腺がんの5年生存率は部位別で見ても最高に近い。(男性の3位、女性の1位。)ただし、これは甲状腺がんすべてに対しての値である。私の甲状腺「低分化」がんは悪性度が高く、私が調べたところでは5年生存率50%台となっているところが多かった。

 これ、どっからカウントしたらいいんでしょうね。
 甲状腺に大きな腫瘍が見つかったのは、2016年8月18日。そこからだと、もうすぐ1年7か月。
 「甲状腺低分化癌」と診断され、癌宣告を受けたのは同年10月11日。そこからだと、1年5か月。
 とにかく、あと3年半後くらいに、私がこの世にいる確率は50%と覚悟しといたらいいんでしょうか。

 ただこの確率ちゅうのんがええかげんなもんで・・・。死ぬ人にとったら0%、生きる人にとったら100%とも考えられる。

 治療方法の研究も大事やけど、「あとどれくらい生きられるか」を正確に判定できる方法というのも研究してもらいたいものだ。早かれ遅かれ人は皆死ぬのだから、ほとんどの人は死ぬ前にしておきたいことがあると思う。まだ生きられると思っていて、それよりずっと早く死を迎えることになったらショックが大きい。

 私は癌宣告を受けたとき、勝手に「あと2年」と思っていた。それやと、今から半年後にもうおらんちゅうこと。あっという間やねえ・・・。
 今のところまあまあ治療がうまくいっているらしいので、半年よりは長く生きられそうだが、あと3年半はどうでしょう。「全身転移」ということになったら、先は分からんでー。

 「甲状腺低分化癌」の5年生存率アップに貢献できるよう、ねばろ。

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2018年03月06日(火)

「羊の木」-夫婦50割引- [映画]

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◎シネマトゥデイより

(C) 2018『羊の木』製作委員会 (C) 山上たつひこ、いがらしみきお/講談社
製作年:2018年
製作国:日本
日本公開:2018年2月3日
上映時間:2時間6分
製作:『羊の木』製作委員会
配給・制作:アスミック・エース
制作協力:ギークサイト

■見どころ:山上たつひこといがらしみきおによる、第18回文化庁メディア芸術祭優秀賞(マンガ部門)に輝いた問題作を、アレンジを加え実写映画化。殺人歴のある元受刑者の移住を受け入れた町を舞台に、移住者の素性を知らされていない町の人々の日常がゆがんでいくさまを描く。『桐島、部活やめるってよ』などの吉田大八監督がメガホンを取る。お人よしな市役所職員を錦戸亮、彼の同級生を木村文乃が演じるほか、元受刑者役で北村一輝、優香、松田龍平らが出演する。

■あらすじ:刑期を終えた元受刑者を自治体が受け入れる新仮釈放制度により、閑散とした港町・魚深市に男女6人が移住してくる。市役所職員の月末一(錦戸亮)は彼らの受け入れ担当を命じられるが、移住者たちの過去を住民たちに知られてはならないという決まりがあった。やがて、全員に殺人歴がある犯罪者を受け入れた町と人々の日常に、少しずつ狂いが生じていき……。
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◎コミックナタリーより

   「羊の木」完成披露、吉田大八「映画になってパワーが落ちたと言われたくない」

 山上たつひこ、いがらしみきお原作による実写映画「羊の木」の完成披露試写会が、本日12月13日に東京・よみうりホールで行われた。

 「羊の木」は、凶悪犯罪を犯した元受刑者を受け入れる、政府の極秘プロジェクトの試行都市になった港町が舞台のヒューマン・サスペンス。元受刑者を受け入れることにした市長らと元受刑者たち、何も知らない一般住民の不穏な生活を描く。舞台挨拶には月末一役の錦戸亮、石田文役の木村文乃、太田理江子役の優香、栗本清美役の市川実日子、福元宏喜役の水澤紳吾、大野克美役の田中泯、宮腰一郎役の松田龍平、吉田大八監督が出席した。

 まずは、本作が第22回釜山国際映画祭に新設されたキム・ジソク賞に輝いたことを受け、吉田監督が感謝の言葉を述べる。原作の設定の強さ、面白さに引かれたという吉田は、「僕が関わり始めた頃は原作は完結してなかったんですが、この設定だけで(映画を)やりたいと思って」と作品に強く惹かれたことを伝えた。また「原作のパワーがハンパない。映画になってパワーが落ちたと言われたくなくて、映画なりのパワーを持つために試行錯誤しました。2年間ぐらいかかったけど、その甲斐があって面白い映画になったと思います」としみじみ語った。

 主人公の市役所職員・月末を演じた錦戸は、内容のネタバレにならないように言葉を選びながら「月末として思いっきり翻弄されてやろうと思って臨みました」と述べる。また木村は、自分が演じた文というキャラクターについて「都会に憧れていたものの馴染めずに田舎に帰ってきて、でも田舎にも馴染めない、という気持ちはわかるような気がしました」と語った。

 さらに撮影現場でのエピソードについて問われた錦戸は、初共演となった松田との撮影について振り返る。緊張しながら撮影に挑んだことを語り「何度か飲みに行かせてもらって、今では緊張せずに喋れるんですけど。順繰りに撮影していたので、初対面のシーンはリアルにちょっと探り合っている感じが出てたかも」と述懐する。すると松田も「僕も緊張していました。(現実での)戸惑いが映画にいい感じに出ていると思います」と続けた。

 2人のやり取りを伺っていた木村は「台本に書いていないのに、松田さんが小踊りしたんですよ。それがすごい可愛くて」と撮影を振り返る。すると錦戸も思い出したように「やってましたね」と木村と目を合わせると、松田は「台本に『小踊りする』と書かれていたら戸惑いますけどね」と話しながら、体を小刻みに揺らして観客の笑いを誘った。

 ここで本作のストーリーが衝撃的な展開であることにちなみ、登壇者たちが衝撃を感じたエピソードを披露することに。すると木村は2016年に行われた撮影当時から、錦戸の右頬に生えていたという“福白毛”を指摘。錦戸は自身の白い福毛に気付いていなかったようで「え、抜いて! 気持ち悪い! なにこれ?」と動揺を隠せない。さらに木村と市川から右頬を凝視され「うそだろ、恥ずかしい(笑)」と照れ笑いを浮かべた。

 また水澤は「錦戸さんと車で2人のシーンがあるんですけど……錦戸さんと僕が密室にいるということが衝撃でした。オナラは我慢してました」と独特の間で話すと、錦戸は笑いながら「皆さん、(水澤の人柄が)衝撃でしょ? 本当に何言ってるんですか?(笑)」とツッコミを入れ、会場を沸かせる。さらに田中は「この映画は、まだ僕の中で終わってないというか、引きずっていまして。これは僕は初めてなので、衝撃ですね」と語る。そして最後に回ってきた松田は「すみません、何も考えてなくて。今みんなの話を聞きながら考えてたんですけど、結局見つからなくて」とマイペースな調子で語り、観客を笑わせた。

 最後、錦戸は「数回観た僕でも、まだ整理できない部分があります。映画を観た後はいろんな後味が残ると思う。甘いかもしれないし、酸っぱいかもしれないし苦いかもしれないし。皆さんが映画を観てどう思うか知りたいので、皆さんの感想が楽しみです。楽しんでください」と作品をアピールした。映画「羊の木」は2018年2月3日より全国ロードショー。
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 私が60歳を超えてから、夫婦で映画を見に行くことがなかった。それは、50代の時は夫婦50割引でないと安くならなかったのが、60歳からは私単独でも1100円になったから。
 でも、やっとヨメさんの学校が終わり、二人で映画を見に行こうということになった。2年半ぶりの夫婦50割引で。

 うちは夫婦とも錦戸亮、松田龍平のファンなので、映画の内容がどうこうより、この二人を見に行こかという感じでこの映画を選んだ。

 「京都キャロット」を5時に閉め、京都駅八条口のTジョイ京都へ。
 6時過ぎに到着し、急いで4階のフードコートへ。
 私は禁断のカレー、ヨメさんはビビンバを10分くらいで食べて5階の映画館へ。

 「羊の木」は18時40分から1回のみの上映。
 錦戸亮、松田龍平、言うことなし。この二人の組み合わせはなかなかよかった。

 市役所職員の錦戸亮が、うちの廉に重なって見えた。顔は全然ちがうが、遠目からの雰囲気は似ている。この映画を見て、廉も仕事上のトラブルに見舞われないかが心配になった。まして、4月から東京で一人暮らし・・・。心配の種は尽きない。

 最後のシーンを批判する人が多いらしいが、私はあれで十分満足。松田龍平の最後みたいになりたいなあと思った。

 それより、左目に切り傷のある元やくざ役の田中泯さんがすごく印象に残った。
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田中泯

■田中泯(活動履歴)

 暗黒舞踏の創始者である土方巽に私淑した、前衛的、実験的舞踊家。
 しかし、近年では、「私の踊りはもはや、世間一般に言われている舞踏ではない。」と語る。
1964年からクラッシックバレエとモダンダンスを10年間学び、モダンダンサーとして活躍。1966年ソロ公演開始。その後、階級的思想と第二次大戦後の世相をそのままに反映した文化、日本のダンス「業界」そのものに懐疑を抱き始め、1974年より独自の活動を展開、日本現代舞踊協会からも去る。精神―物理の統合体として存在する身体に重点をおいた「ハイパーダンス」へと飛躍的に変化をしていく。結果、その表現活動は日本、そして世界の知識人、科学者、美術作家たちとのコラボレーションへと繋がり、当時の現代美術、文化界に先駆的な衝撃を与えた。
 1978年、田中はパリ秋の芸術祭に於ける「日本の時空間―間―」展覧会(磯崎新・武満徹/プロデュース、『ルーブル装飾美術館』にて)で、海外デビューを飾る。以来30年以上、ヨーロッパ、アメリカ、旧社会主義国や発展途上国各地を含めた世界中で独舞、グループの活動を発表し続ける。
既存の表現ジャンル(演劇、舞踊、音楽など)を超え、生活と踊りの境界すら超えた田中の活動は、前衛活動家、美術家、小説家、生命科学者、文化人類学者、民族学者、哲学者などからも傾注を受け、田中の手がけるプロジェクトは共同研究や、社会教育、社会変容を目指したものへと発展をとげていった。こういったジャンルを超えた共同活動は、オペラ作品(振り付けと出演)、現存する伝統芸能・民族舞踊(日本の能や、インドの古典演劇)、視覚的美術、建築、ランドスケープ、医学的/精神医学的科学から即興音楽との表現にまで多岐に渡る。
 その活動のかたわら、当時40歳であった田中は、身体および労働と自然との本質的に密接な関係に惹かれ、研究者や仲間のダンサーたちと共に郊外の山村に農場を開設した。近年は、共同の農業の形は閉じ、現在は、単独で継続されている。この農業活動を通じて、「踊りは、人間の農業という身体活動に不可逆的に、どうしようもなく根ざしている」と、確信する。
 2002年より、山田洋治監督作品 映画「たそがれ清平衛」(2002)での映像への初出演にて、日本アカデミー賞、最優秀新人賞、最優秀助演男優賞を受賞、近年にはNHK大河ドラマへの出演やドキュメンタリー番組のナレーションなどにも表現の域を広げる。しかし、田中泯は「自分は単なるダンサーであり俳優ではない。」と語る。
田中の、「踊りの起源」への絶え間ない調査と堅固なこだわりは、日常に存在するあらゆる場に固有の踊りを即興で踊るというアプローチによって、「場踊り」という形で、より実践への根を深めている。「場踊り」は日本および世界各地で現在進行形で繰り広げられている。
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 この偏屈でかっこいい、もうすぐ73歳のジジイの「場踊り」、見たいなあ。
 東京まで見に行こうかなあ。

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Tジョイ京都

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【RUN】

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 映画に行く前、午後4時からひとっ走り。
 腰の調子がよくないので、今日も5kmだけ。
 せめてちがうコースをと思い、圓通寺裏から深泥池に降りる道へ。

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 チラッと見える景色がいい。

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 深泥池を見て折り返し。
 帰りは上り。

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 家まであと300mくらいのところで、以前同じバイトをしていたUさんに遭遇。私より10歳以上年上だが、今も元気ににこにこと走っておられる。見習いたい。

 家まで5.14km。
 5km地点で28分48秒。腰が痛い割にはしっかり走れた。

 ちょっと前までは、一日に10km以上走るようにしていたが今は無理。体力が回復し、足指付け根の痛みや腰痛がましになるまで、しんぼうですね。

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【今日のきく】

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 「京都キャロット」にご来店いただくと、今ならもれなく「びろびろきくちゃん」が見れますよー。

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2018年03月05日(月)

基地より生活? [沖縄]

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◎毎日新聞2月8日朝刊

   激動・名護市長選の先に

          若者 基地より生活

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設に反対した現職の稲嶺進さん(72)が敗れた名護市長選から2日後の6日、同市安部(あぶ)の集落では、上空を飛ぶ米軍機の不気味な音が響き渡った。約1年前、集落の浜の浅瀬で米軍垂直離着陸機オスプレイが不時着、大破した。移設先の辺野古沿岸部は集落から遠くない。商店を営む女性(62)は肩を落とした。「この静かな集落が変わってほしくない……」

 市長選では、移設推進の政府・自民に推された新人で元市議の渡具知武豊(とぐちたけとよ)さん(56)が大差で勝った。渡具知さんを支援し、前回も自民系候補を応援した県内企業幹部は勝因をこう言い切った。「若者の反応が4年前より全然いい。暮らしや仕事重視の訴えが浸透し、票を取り込んだ」
 自民側は前回、移設推進を前面に出した結果、敗れた。今回は逆に徹底して移設に触れず、渡具知さんは、若い世代を意識して子育ての支援や地域活性化策を訴えた。街頭に「若者が働きたくなる街に名護を変えよう!」との看板を設置し、無料Wi−Fiの整備、映画館やコーヒーチェーンの誘致を掲げた。
 渡具知さんを支援した嘉陽宗一郎さん(23)=琉球大4年=は1月以降、約30回、同世代を集めたミニ集会を開き、渡具知さんの政策を紹介した。「手応えがあった」。嘉陽さんは辺野古移設に無関心なわけではなく、本音は移設反対の立場。ただ「国策で移設が進められている以上、ひっくり返すのは難しい」と感じ、「ならば基地問題より、自分の暮らしが大事だ」と語る。
 2期8年にわたって移設問題で政府と対峙(たいじ)してきた稲嶺さんは「オール沖縄」の象徴だが、嘉陽さんらには違う姿に見えた。「反対と言っても工事は止まらなかった。それを見せられた僕ら世代は、『稲嶺さんはもう役目を終えた』と感じた」
 一方で同じ世代でも、稲嶺さんを支援した小波津義嵩(こはつよしたか)さん(22)=名桜大4年=の見方は異なる。小波津さんらは両候補の討論会を企画したが、渡具知さん側から断られた。「周囲は『稲嶺さんに勝ってほしい』との声が多かったのに、その声を広げるための議論の場をつくり出せなかった」と悔やむ。
 移設反対の名護市議、仲村善幸さん(70)は敗戦で学んだ。「対立構図を前面に出し、『反対しましょう』『政府のせいだ』と言っても、若者には価値観の押し付けに映る」。今秋には沖縄最大の政治決戦・知事選が控えている。仲村さんの危機感は強い。「若い世代が自ら行動する形をつくり出さないと、移設反対の運動は浸透しない」(この連載は川上珠実と遠藤孝康が担当しました)

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 今日は、寮2(出町)24時間。
 10日間も入院していたのと、3月は退寮時期ということもあり、イレギュラーな月曜勤務になった。

 2月4日の名護市長選は、予想もしていなかった稲嶺進市長の大差の敗北。テレビや新聞の解説をしっかり見て、自分なりの分析をしようと思っていたのだが、それもその3日後の入院で吹っ飛んでしまった。

 私が書きたかったのは、「名護の死は沖縄の死、いや日本の死である」というタイトルの記事。
 私が若いころの京都は、全都道府県の中で「一番国のいいなりにならない」ところであった。革新知事と革新市長がタッグを組み、国の補助金などに頼らない独自の府政・市政を貫いていた。
 しかしその革新自治体の良さを若者に引き継いでいくのに失敗し、現在はずっと保守系の知事・市長が続いている。それは、めちゃくちゃ単純化して言うと「平和よりお金」が大事な若者が増えたということだと思う。

 しかし、まさかまさかの沖縄までが「基地より生活」って、なに!?

 「国策で移設が進められている以上、ひっくり返すのは難しい」

 難しいから、もうやめておくってこと?
 米軍基地があるがゆえに被害を被っている人々は、他の人の生活のために辛抱しろってこと?
 なに、それ。
 命をかけて守るものが何もないってこと?

 未来永劫続くかもしれない巨大基地を受け入れて、「自分の暮らしが大事だ」って、どんな暮らしのこと?
 わしゃ、この嘉陽氏がなにをゆうとんのかさっぱり分からん。

 真樹に聞いたのだが、嘉陽氏は沖縄で最も有名な大学生らしい。沖縄の大学生や若者には、多大な影響力を持っているということだ。
 私には、議員の秘書になって政界入りを狙っているギラギラした野心家にしか見えん。悪いけど。
 お金を取ってくるのはうまいけど、本当に困っている人々はバッサリ切り捨てるああいう人たちの手下になって行かれるんでしょうかねえ。

 扇動する方もする方やけど、扇動されるほうももっとしっかりせいや!
 沖縄の若者!

 そんなことを思いながら名護市長選の記事を探していると、おもしろいものを見つけた。
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   どこへゆくオキナワンボーイ 歌が聞こえなかった名護市長選

 自慢じゃないけれど、僕は沖縄で聴く歌や音楽が大好きなヤマトゥンチューのひとりだ。沖縄民謡は古典から新作まで呆(あき)れるほど好きだし(大工哲弘、嘉手苅林昌、登川誠仁、古謝美佐子、知名定男、照屋林助、大城美佐子、山里勇吉、喜納昌吉、あ、もちろんこれはただただ思い出した順番に書き出しているだけの順不同ですからね)、沖縄発のロック(伝説の紫やコンディション・グリーン、喜屋武マリーからモンゴル800に至るまで全部含めて)や、フォークソング(佐渡山豊、まよなかしんや)、ポップ(BEGIN、SakishimaMeeting、りんけんバンド、ディアマンテス)とか、歌謡曲(フィンガー5、南沙織から安室奈美恵)、ラップ(Chico Carlitoとか)を知った。

 30年前、僕はコザ(現在の沖縄市)の小さなライブハウスで聴いた歌が心に突き刺さってくるのを感じた。嘉手納基地のお膝元で幼少期から生きてきた知念良吉さんの人生に裏打ちされた歌に魅了された。
 ああ どこへゆく オキナワンボーイ 
 美しかったものは 泥だらけ
 ああ どこへゆく オキナワンボーイ
 夢まで 用意されていた (知念良吉『どこへゆく オキナワンボーイ』より)
 海洋博後の海洋汚染や石垣空港建設といった出来事が沖縄で語られていた時代のことだ。2018年2月の名護市長選挙の取材で、辺野古の護岸工事がどのような状態になっているのかを海上から船に乗って取材をしていた時だった。この30年以上前につくられた曲が突然僕の頭によみがえってきた。〈美しかったものは 泥だらけ〉
 キャンプシュワブの護岸にはクレーンが林立していて、ショベルカーで土砂が刻々と搬入されていた。その日は悪天候で、護岸工事の作業は規模が縮小されていたのだが、護岸工事の規模自体が去年の6月に海上から取材した際と比べると、とんでもなく拡大していた。沖縄県のいくつかの選挙結果で示された「新基地建設ノー」の民意なんか全く聞く耳をもたないとでも言うかのように、菅義偉官房長官の表現で言えば、「粛々と」工事は進められていたのだった。
 名護市長選挙の結果がどのようになろうとも、新基地建設工事は有無を言わせずに「粛々と」力づくで強行されていたのである。だが、そのあまりにも巨大な新基地建設のプランから考えると、現段階は、まだまだ入り口の入り口に過ぎない。それはまるで、福島第一原発の廃炉作業が、入り口の入り口段階に過ぎないのと似ている。事業主体というものは作業の進捗(しんちょく)状況を誇大に強調したがるものだ。
 もうひとつ、知念良吉さんの歌の〈ああ どこへゆく オキナワンボーイ〉という言葉でイメージに浮かんできたのは、名護市に住んでいる若い有権者たちの選択のことだった。名護市長選挙の勝敗分析で、公明党票約2千票が今回は「稲嶺おろし」に回ったという見方がされたが、もうひとつ重要なことは、4年前の市長選挙では選挙権のなかった18歳、19歳の有権者、1775人(1月27日までの選挙時登録)の投票動向が今回は決定的だったことだ。
 沖縄タイムス、琉球新報、共同通信が実施した出口調査では、10代の9割が、20代の8割が稲嶺候補「ではない」側に投票していた。10代の名護市の若者たちにとっては、基地反対運動なんかよりも「名護市にスターバックスが来る」という選択や、「ごみ分別が16種から5種に減る」方が、もっと重要だと判断したんだろうか。たとえば、小泉進次郎議員が遊説スタート地点に選んだ県立名護高校前に集まった君たちも、そのように投票したんだろうか。それはそれでいいや。僕は何にも言いたくない。「国策」である辺野古新基地建設の是非を、若いというか、まだ幼い君らに背負わせている本土の人間である僕らの方に途轍(とてつ)もない責任があるのだから。
 君らは小泉進次郎や三原じゅん子の顔をみられてよかったね。それは羽生結弦選手をみるために成田空港に出迎えに行った若者たちとそんなに変わるものじゃない。けれど、それで名護市のどこがどう変わるんだい? 彼や彼女はもうしばらく名護には来ないぜ。彼ら彼女らは、お呼びがかかればどこにでも行く国会議員の人気者だ。名護だけにいつまでも関わってはいられない。次は石垣市かもしれないし、その次は沖縄市かもしれない。呼ばれればどこにでも行って、耳触りのいいことを言って帰る人たちだ。何てかっこいい人たちなんだろう。君らはそう思ったかもしれない。
 君たちは普段どんな歌を聴いているんだい? 君らがおそらく票を投じたであろう候補者(現市長)の選挙キャンペーンで、多額のお金をかけて作曲された歌を聴いたかい? 〈勝つぞ 渡具知 勝利の男 勝つぞ 渡具知〉何だか軍艦マーチみたいな曲だったよね。君らはでもそうは思わなかったのかもしれない。だって稲嶺進さんの陣営には歌なんかなかった。選挙戦というものは一種の祭りだ。そこに音楽や歌がないなんて君らの感覚では、信じられるかい?
 敬愛する古謝美佐子さんがネーネーズ時代に謳(うた)った名曲に『黄金の花』がある。僕はこの曲が大好きだ。
 素朴で純情な人たちよ 本当の花を咲かせてね
 黄金でこころを捨てないで
 黄金の花は いつか散る  (ネーネーズ『黄金の花』より)
 辺野古の護岸工事の行われていた大浦湾の美しい対岸で、古謝さんにこの歌を歌っていただいたことがある。いつのまにか、僕らは歌を忘れていないだろうか? でね、どうせ歌うならかっこいい魅力的な歌を歌おう。あなたの歌っているその歌は、名護の若者のこころには全くもって響いていなかった。僕はそう思う。(テレビ報道記者・キャスター)

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 名護市長選後、2日目。キャンプ・シュワブ海岸では、新基地建設は着々と進む。「K2」護岸では、砕石を海に投入する作業が続いた=2月6日正午過ぎ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ

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■ 金平 茂紀(かねひら しげのり)
TBS報道記者、キャスター、ディレクター
1953年北海道生まれ。TBS報道記者、キャスター、ディレクター。2004年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に「ホワイトハウスから徒歩5分」ほか。

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 宗教団体の信者が上からの言いなりになるのは、(こわいことではあるが)まだ理解できる。しかし、多種多様な未来に向かってこれから柔軟な頭を作っていかなければならない若者が、「基地より生活」と言われてコロッと行ってしまうって、どうよ。(沖縄タイムス、琉球新報、共同通信が実施した出口調査では、10代の9割が、20代の8割が稲嶺候補「ではない」側に投票していた。)

 せめて見に行けよ、辺野古と高江くらいは。
 人に言われてどうこうじゃなくて、自分の目でしっかり見て判断せえよ。
 いろいろな人間がいるのに、みんなおんなじ考えのはずがないやろう。みんなおんなじが一番こわいちゅうねん。見に行った先でしゃべれよー、いっぱいしゃべれよー。

 米軍基地反対運動に失敗があったとしたら、そこに楽しさを見いだせなくしてしまったからかもしれない。楽しくないと、どんな運動も長続きませんからねえ。

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2018年03月04日(日)

第38回篠山ABCマラソン [ランニング・出張販売]

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 今日の1枚はこれで決まり。

 「男は黙って佐古井流!」

 意味不明だと思いますが、「パオパオだより」の愛読者さんならお分かりでしょう。
 「京都キャロット」の商売がうまくいっていない現在、「がんばってください」とおっしゃってくださる方はたくさんいらしゃる。しかし、佐古井さんはそうはおっしゃらない。黙って、うちの商品を買って行ってくださる。
 ヨメさんが常々言っている。「そういうお客様が一番ありがたい。」

 すべてのランナーがスタートした後、佐古井さんがうちのテントにごあいさつに来てくださった。
 「体調はどうですか」と佐古井さん。
 「ついこないだまで入院してたんですよ。何べん入院せんなんか分かりませんわ。病院と仲良くなりすぎて・・・。」
 「ブログを見せてせもらっていますので、そのへんはよく知ってます。」
 
 ああ、ありがたいありがたい。
 宍粟市のカメラマンでランナーの佐古井さんも、私のブログ「パオパオだより」の愛読者さんだったんですね。どうか、これからもよろしくお願いします。黙って私たちを応援してくださっている佐古井さんを、私も見習いたいと思います。
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 ヨメさんは早起きして、おにぎりづくりときくのお散歩。
 私は5時起きで、着替えて顔を洗うだけ。
 5時20分ごろ出発で、途中給油して、6時55分会場着。
 いつもお借りしている篠山観光ホテルさんのガレージへ。

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 朝はおおいそがし。
 と言っても、ほとんどがサプリ系を求めて来られるお客様。細かいお金を持って来ておられず、ほとんどが千円札でのお支払い。数百円のお買い上げに対するおつりをお渡しするのにてんてこ舞い。
 去年もこれと同じ状況だったので、来年は何か対策を考えんとあかんね。農家のお野菜売り場みたいに、「お金を入れて行ってください」ではあかんやろか。おつりの必要な人がほとんどだったので、これはあかんか。

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 9時30分に通行規制。
 もう、お客様は来れなくなった。ちょっと早すぎるような・・・。

 最高気温が20℃を超えるという予報だったが、朝のうちは意外と寒かった。ただし、走れば暑いんでしょうね。時々お日様も顔を出したりしているし・・・。

 登録の部のスタートが10時40分。
 しかし、10時からスタートラインに並んでおられた。「ようそんな長い時間、トイレのしんぼうができるなあ」と感心。

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 知り合いがほとんど見つけられなかった。
 しかし、最前列あたりに「HAT神戸ロング走」でお世話になったkusuさんこと楠本正輝選手発見。
 うちのテントのすぐ前なので、ごあいさつさせてもらい、写真も撮らせてもらった。
 kusuさんの「わざとらしい愛想というものがない」ところが好き。今日も不必要にテンションを上げることもなく、落ち着いたスタート前に見えた。ぜひ好記録を狙ってほしい。応援しています。

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 登録の部はすごく少ない。
 スタートして1分もしないうちに全員通過。

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 お一人だけ、私を見つけて合図してくださったのは井上進さん。フルマラソン130数回目だそうだ。すごい。

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 ゲストランナーの小林祐梨子さんは、未登録の部と一緒にスタートされるようだ。フルマラソン用の練習をしてこられたのでしょうね。今もほっそりされていました。

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 10時50分、未登録の部がスタート。

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 スターターは篠山市長さんでしょうね。(アナウンスをしっかり聞いていませんでした。)

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 インを通って、植木屋そうへいさん。
 宇治川ハーフがそこそこのタイムで走れたので、今日のフルもがんばってもらわねば。ソックスは「京都キャロット」お勧めの「ミズノ5本指ソックス(アーチサポート)」で。

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 人混みの中、私を見つけてジャンプしてくださっているのは、「ランナーズ9の会」のたいせいさん。

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 毎度おなじみ細井さんも、京都マラソンに引き続きフルマラソンに挑戦。

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 目の前でごあいさつしてくださったのは、H建設の淳さん。
 こんなところでお会いできるとは思ってもみませんでした。どれくらいのタイムで走られるんでしょうか。

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 中島てっちゃん発見。
 人が多いので、ぶつからないように気を付けて。

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 恒例、ピカチュウ着ぐるみの応援はどうだったでしょう。

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 最後尾通過が、スタートより13分後。
 ゴール関門5時間10分のうちの13分は痛いですね。

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 さあこれから3時間ほどは、まったくヒマ。
 ヨメサンは今までなら鍼灸のお勉強をしていたのだが、「たぶん合格」ということで、もうその必要はなし。

 私もここにいてもすることがないので、知り合いの応援へ。

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 毎年、応援で15kmくらい走っている。
 今日もその予定なので、例の「ミズノ5本指ソックス(アーチサポート)」で。
 昨日の夜ヨメさんにマッサージをしてもらい、痛みはましになったのだが体はガチガチのまま。今日も前屈はマイナス15cm。昨日よりひどなっとる!

 それでも走り出したら、ふつうに走れる。へんな腰痛です。

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 まっすぐ北に向かうと、コースの18km地点。 
 そこから逆走していくと、先導者が見え、白バイが見えた。
 トップの選手は独走。2位以下は、かなり進まないと見えてこなかった。

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 2位集団は6、7人。
 この中に絶対にkusuさんがいると思った。

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 いましたー。
 うまいこと他のランナーを風よけに使って、集団の一番後ろ。
 たぶん、終盤にこの中から抜け出す作戦でしょう。

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 その先しばらく進むと篠山産業高校前。
 ここでブラスバンドの演奏がある。

 聞きほれていると、女子のトップ・小林玲子選手が通過。写真撮るのを忘れていて、後ろ姿だけ。

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 しばらくして、堀田さん。
 堀田さんも毎年この大会に出ておられる。

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 「いえいー、そとみねさーん。出てはったんやー。」
 「わー、ふじいさーん・・・。」

 いつも外峯さんの写真はピンボケになってしまうのには、今日はバッチリ。

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 うちのお客様、Y.Dさん。
 背が高いので見つけやすい。

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 和太鼓での応援。

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 ここは15km過ぎ。
 やっと3分の1という感覚でしょうか。

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 おっ、「ランナーズ9の会」の三郎太さん。
 私のふり絞った声は、なんとか届いたようでした。

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 私とお揃いの緑シャツ発見。
 植木屋そうへいさんがにこやかに。

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 早くも暑さにやられているように見えた。
 この先が心配。

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 ねばって、ねばって・・・。

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 「パオパオだより」の常連、三宅文彦さん。

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 京都走ろう会のホープ、内田彩子さん。

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 「ランナーズ9の会」のたいせいさん。
 「サブ3.5」とおっしゃっていたが、さてどうだったでしょう。

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 中島てっちゃんの奥さま、寛子さん。
 ダンナさんより先行してるじゃないですか。

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 集団の中央に見覚えのある顔が。
 おー、「ランナーズ9の会」のサワーさん。この位置にいるということは、かなり攻めのレースですね。私よりだいぶ年上なのに、果敢です。

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 京都走ろう会の綾井裕子さん。
 最近メキメキと速くなっておられます。今日も、楽そうに走っておられるように見えました。

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 淳さん、こちらも楽しく走っておられるように見えました。
 いつもよりちょっと気温は高いけれど、寒すぎるよりはずっと走りやすそうですね。

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 「京都キャロット」のお得意様のKさん。
 今日は無理せず、ゆっくり目でしょうか。

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 「藤井さんを見つけるの、うまいでしょ」と細井さん。
 ほんまに、どこでも見つかってしまう。こんな人、めずらしいわ。

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 小林祐梨子さん、通過。
 細井さんのすぐ後ろということは、けっこう速いんちゃうん。

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 てっちゃんも通過。
 これで、応援したい人はほとんど見つけられた。

 あとは「ヒゲの原田さん」が、収容車の前を歩いとらんかどうかを確かめに行かんとな。

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 黄緑のビブスを付けた若者がたくさん走っていた。
 「西紀」とか書かれていたので、篠山市西紀町から大勢出ているようだ。若者が多いと、それにつられて元気が出るのでいいと思う。

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 かなり後ろの方にスヌーピーさん。
 今日はこれは暑いでー。

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 スタート地点から逆走約8km。ということは、コースの11km地点くらいになるのだろうか。やっと最後尾が見えた。

 残念ながら、それは「ヒゲの原田さん」ではなかった。
 めっちゃ美人でめっちゃスタイルのいいモデルさんのような女性。収容車の前を堂々と歩いておられて、なんか知らん見とれてしまった。沿道の人たちもだんまり。みなさん、どうしていいか分からないというような雰囲気。

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 先頭から最終ランナーまで見届けたので、近道を通りゴールまで。

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 途中15km付近に、収容バスが4台停まっていた。
 でもここまで来たら、たいていの人は歩いて戻るんちゃうかなあ。会場まで4kmほどやし。

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 田んぼの真ん中を突き抜ける農道を走る。
 帰りは、キロ6分ペースくらいで走ることができた。

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 どこまでもどこまでもまっすぐな農道。

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 やっとコースに合流。
 ブラスバンド前に出てきました。

 しばらくするとパトカーが追い付いてきて、「交通規制は解除されています。ランナーのみなさんは歩道に上がってください。」

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 帰り道で、こんな標識を見つけた。
 「曹洞宗って、うちのいなかといっしょやなあ。」

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 たぶん、あの立派な屋根がそのお寺さんですね。 
 時間があれば、ちょっと見に行ってみたいところ。

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 途中のスーバーでお弁当を2個買い、レンジでチンして持って帰った。

 走った距離は14.1km、1時間40分くらい。行きが7.9km、帰りが6.2kmですね。
 止まっていた時は時計も止めたので、平均キロ7分ペースで走っていたということ。ゆっくりだったので、足指の付け根も痛まなかった。

 それより腰。走っているときは何ともないのに、止まったりかがんだりひねったりすると強烈な痛み。なんやねん!

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 今年は寒くないので、ヨメさんもゆったり。
 販売する側にとっては温い方が楽でいい。

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 398円+税のお弁当は、意外とおいしかった。これも寒くなかったので、おいしくいただけたんでしょうね。今年はすごく安上がりの昼食になった。

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 さて、表彰式とそうへいさんのゴールへ。
 登録の部男子の2位にkusuさん。私の予想通り、集団から抜け出しましたね。
 2時間31分36秒。立派な記録です。

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 ちょうどそうへいさんがゴールしそうな時間になったので、表彰式会場の横のネットのところから注意深く見ていた。そしたらきましたわー、緑シャツ。
 せっかくネット越しに撮ったのに、ピンボケになってしまいました。

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 追いかけてもう一枚。

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 さらに追いかけてもう一枚。
 ネットの緑が映り込んでいます。

 ゴールは3時間28分06秒。 
 足指付け根が痛い割には健闘されたんじゃないでしょうか。

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 うまい具合に、そのあと、登録の部男子の表彰式。

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 1位とはだいぶ離された2位でしたけど、ご本人の満足度はどんなもんなんでしょう。

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 次に練習会に行かせてもらったときに聞いてみよう。
 きっと淡々と話されるんでしょうね。

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 受付テントがそのまま荷物預かりになっているようだった。
 貴重品は預からないという建前になっているので、お財布などはカバンには入れておられないのかなあ。食べ物系の出店のところも、お客様は少なかった。

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 うちの出店場所もスタート前はよく通られるが、帰りのバス停が遠くになってしまったので、レース後の人通りはない。
 4時でゴール閉鎖。
 そのちょっと前から片付け初め、5時に会場出発。

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 帰りは葛野大路五条の「ザ・めしや」さんへ。
 洛西の食べ物やさんは、車がいっぱいで停められないので。
 二人ともお肉を食べたが、二人で2580円。夜も安上がり。

 売り上げは去年と同じくらい。商品が少なくなっているのに去年と同じなら、よしとせんと。
 来年は、「朝のサプリ販売てんてこ舞い」を何とかせんとあかんなあ。そっちに時間を取られて、ヨメさんはウェアを出すヒマがなかったらしい。難しいもんです。

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 明日が雨の予報だったので、キャラバンから荷物おろしに。
 きくもお散歩がてら店に来てくれた。
 帰りはみんなでシエンタで。

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 夜、またヨメさんにマッサージをしてもらおうと寝転ぼうとしたら、「きくが場所取っとるがなー。」
 「わざとやな。」
 「マッサージしてもらうって、聞いとったんかな。」
 「まさか・・・。」

 仕方なく、シーツから外れたところに寝転んでマッサージをしてもらったパオパオでした。

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2018年03月03日(土)

体ガチガチ [ランニング]

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 朝起きたら、体がガチガチ。
 昨日のゆるいスピード練習が、そんなにこたえたんでしょうか。

 イスに座っていると、腰が強烈に痛い。まだ立っている方がまし。
 こんな時は走らん方がいいのかもとも思ったが、立って動いたりしている方が楽なので、ちょっと走ってみることにした。

 走る前に、簡単にストレッチぽいことをやっている。今日は前屈が最悪。マイナス10cm以上。何回かしているうちに指先が足のつま先に近づいて行くものなのに、今日は何度しても同じだった。体ガチガチすぎ。

 午後1時過ぎ、うちの団地から北へ。
 団地内のおうちにかわいいネコちゃん発見。今日はいい天気で、南向きの窓際はさぞ暖かかったでしょう。

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 走り出しても、足の親指付け根も腰もだいじょうぶだった。
 ゆっくりやからでしょうね。

 東北部クリーンセンター前(2.5km)で15分50秒。
 ここで折り返して、帰りは下り。
 家に戻って5km、30分35秒。
 

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 今日はターサジールTS4に医療用インソールを入れて。
 というより、このシューズにインソールを入れたままだったので他のシューズに入れ替えるのがめんどくさくて。毎日インソールを入れ替えている人はえらいと思う。めんどくさがりの私にはとてもまねできません。

 ソックスもアーチサポートソックスではなく、ふつうのオッサン靴下。ここまでめんどくさがってたら、なかなか痛みもましにはなりませんなー。反省!

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【今日のきく】

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 三年寝太郎、きく。
 ついに出社拒否。

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 私の説得で、午後から出社。
 明日の出張販売に向けて、商品の積み込み。
 それを、心配そうに見てくれいるきくちゃんでした。

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2018年03月02日(金)

エンジン劣化 [ランニング]

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 さあ、始動。

 入院前は「京都マラソン」用の練習ばかり。キロ4分50秒ペースでできるだけ長く走る練習。けっきょく、直前の入院でその練習の成果を出すことはできなかった。

 退院後は体重4kg減で、ゆっくり走ることもままならず。しかし、明日で退院後2週間になる。そろそろ次の目標に向けて、スピード練習も取り入れていきたい。

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 スピード練習といえば、去年12月10日の「亀岡ハーフマラソン」の1.5kmの部に出るためにちょこちょこっと練習して以来。約3か月ぶりですか。

 午後3時半、我が家スタート。もちろん、今日もミズノの5本指アーチサポートソックスで。シューズはアディゼロタクミレンブーストを普通のインソールで。

 3kmアップジョグ。いつもより長めに。 
 長代川沿いを走っていると、かわいいかわいい黒猫が2ひき。走っている私をしっかり見てくれていた。

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 いつも練習に使っていた2kmコースへ。
 叡電の線路の北側と南側。2コースあるので、交互に走るとあきない。今日は久しぶりのスピード練習なので、「北側+1kmジョグ+南側」を1セットだけすることにした。

 まずは北側。
 目標はゆるく、2km9分切り。
 しかし、走り出して「あれ? あれ?」の連続。全然体が動かない。
 体重は食事制限のため57kgで安定。体が軽くなった分、軽快に走れるのかと思ったら大まちがい。体力がめちゃくちゃ落ちている。

 「車体の軽量化に成功するも、エンジン劣化してスピードが出ない車」みたい。
 かなしーい!

 4分37、4分35で9分12秒。
 かなしすぎる。

 左足親指付け根も痛み出した。そらそうやわな。昨日はキロ6分ペース、今日は4分半ペースですから。けり出す力加減が全然ちがう。

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 一条山一周1kmジョグのあと、南側2kmコースへ。
 次に9分切れへんかったら、いろんなことを考え直さなあかんな。

 こっちのほうが平たんやからいいタイムが出るはずと信じ、がんばって走った。
 
 4分26、4分25で8分52秒。
 あー、なんとか・・・。
 でも、ちょっと前までこのコースを8分ほどで走ってたんやけどなあ。
 あせらず、ぼちぼち詰めていきましょか。

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 帰りはちょっと山道へ。

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 こういうところも走って、体力付けて行かんとね。
 もうちょっと食べてもよかったら、すぐに59kgには戻ると思うんやけど。食べんと戻すちゅうのは無茶やねえ。

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 山道を少し走ると、京都精華大のキャンパス内に。
 この中を通って我が家まで、約2kmダウンジョグ。

 これで、今日は3+2+1+2+2で合計10km。

 ゆっくりジョグでは問題なかったが、スピード練習するときは、アーチサポートソックスだけでは痛みを守り切れないことが分かった。次は「アーチサポートソックス+医療用インソール」で走ることにしよう。

 とりあえず、体重増とエンジン出力強化!

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【今日のきく】

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 私の入院前は、大きな公園の1m近くある石垣を軽々飛び上がっていたきく。
 ところが、退院後の散歩では一度も飛び上がってくれなかった。10日も空いてしまったので、飛び上がり方を忘れてしまったのかもしれない。

 しかし今日は体調がよかったのか、超久しぶりの「石垣飛び上がり」に成功。
 まだまだ老ける歳とちゃうでー。オッサンも負けへんから、きくもがんばれー。

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