2017年09月04日(月)
自分の現実に向き合う勇気がない [沖縄]
◎朝日新聞8月31日朝刊・論壇時評
沖縄と本土 「自らの現実」はどこに
歴史社会学者 小熊 英二
世上の沖縄論は「平和の島」「癒(いや)しの島」などの定型句が目立つ。かたやネット上には「基地で潤っている」「補助金泥棒」といった偏見もある。この種の沖縄論は、なぜかくも空疎なのか。
理由の一つは、単なる知識不足だ。米軍基地の7割が集中する沖縄だが、県民総所得に占める基地関連収入は5%にすぎない。基地返還跡地を再開発した地区では、直接経済効果が返還前の平均28倍であり、基地はむしろ発展を阻害している〈1〉。国からの財政移転は都道府県中12位で、特段に高くはない〈2〉。
一方で沖縄の貧困は深刻だ。1人当たり県民所得は最下位、非正規雇用は45%で全国一。沖縄に多いコールセンターや観光業、飲食業は一般に賃金が低い。本土労働者の典型像は「年収三〇〇万〜四〇〇万」の製造業従事者だが、沖縄のそれは「年収五五万〜九九万」の飲食・宿泊業だ〈3〉。沖縄在住の作家である仲村清司は、「子どもの貧困率が全国平均の2倍に達し、3人に1人が貧困状態」と述べ、貧困に起因する家庭内暴力や不登校、いじめの頻発を指摘する〈4〉。
また沖縄戦で住民の4分の1が死に、1972年まで米軍の軍政下で基地が膨張した。多くの沖縄論は、これが単なる歴史ではなく、現在でも癒えない生傷であることを踏まえていない。
新聞記者の木村司が2015年に取材した女性は、高校2年生の1984年に米兵3人に乱暴された〈5〉。「被害を家族にも話せなかった。事件を再現させられると聞き、警察に被害届も出せないまま、原因不明の体の痛みに耐えてきた」。95年に女子小学生が米兵に暴行された事件をニュースで知ったこの女性は、「明かりをつけるのも忘れ、真っ暗な部屋で泣き続けた」。そして「こんな幼い子が犠牲になったのは、私があのとき黙っていたから」と考え、抗議集会に参加した。
木村はこのほか「人知れずアメリカ兵の子どもを産んだ知人がいる」「苦しみが癒えてきたと思う頃にまた事件が起きる。忘れたくても忘れられない」といった声も紹介している。こういう事例は沖縄では珍しくなく、「現場を歩けば、驚くほど、何らかの『経験』を身辺にもつ人に出会う」と木村はいう。こうした事情が、思想信条を超えた反基地感情の背景にあることは、いうまでもない。
*
だが一方で、沖縄の現実は、「平和の島」という定型句には収まらない。
前述の仲村は、沖縄の若い世代の関心事は貧困問題なのに、年長論者は基地問題に傾斜しており、そのギャップが「沖縄問題を語る大人への無関心と無視」を招いているという。国仲瞬は、沖縄の若者にみられる基地容認論の背景に、形骸化した平和学習への反感があると指摘する〈6〉。もっとも仲村は、そうした世代間対立の背景は「莫大(ばくだい)な金と利権をばらまくことによって沖縄の不満を抑え込み、沖縄内に既得権益層とそうでない層の間に著しい経済格差を作りだしている政府の存在」だとも述べているのだが。
外部の来訪者は、こうした状況に戸惑うことも多い。ネットニュース編集者の中川淳一郎は、沖縄の訪問体験を記している〈7〉。基地反対を明確に唱える人もいるが、「昔から基地のある生活が普通でした」と語る人もいる。本土から基地建設への抗議にくる人を「なんでナイチャー(本土の人間)が来て、混乱させているんだ」と否定的に見る人もいる。
以前の中川はネット上の言説を読み、「沖縄に対しては右派的論調を取っていた」。それは単なる偏見だったが、「平和の島」というだけでもない。今では、「本土の人間は本当に沖縄のことを知らずに勝手なことを言っていた」「この問題は複雑すぎて生半可な気持ちでは取り組めない」と思うようになったという。
定型の沖縄論の空疎さを脱しようとする姿勢は評価できる。だが、私は思う。沖縄の状況は複雑だろうか。
考えてみよう。貧困、性暴力、平和学習の形骸化、迷惑施設をめぐる葛藤などは、各地でみられる現象だ。沖縄も自分と同じ生身の人間が生きている土地だと考えれば、理解可能なはずだ。それが複雑に見えるとすれば、沖縄に関する知識不足以前に、もともと社会の現実に向きあう姿勢が欠けているのではないか。
*
そもそも私たちは、沖縄以前に、「本土」や「東京」を知っているか。20代単身転入者の平均年収が241万円にすぎない豊島区や、地上戦の遺骨が何千も残る硫黄島も「東京」だ。東京を含む空襲被害者救済法も止まっている〈8〉。米軍基地も60年代より前は本土の方が多かった。沖縄まで行かずとも、類似の問題は「本土」や「東京」にすでにあるのだ。
こうした問題以外でも、理不尽な抑圧や不本意な沈黙には、誰もが直面している。だが、自らの現実に向きあい、それを打開する努力を無意識に避けようとする人間は、他者の苦痛にも目を閉ざしたり、抑圧的にふるまったりするものだ。それこそ、沖縄の現実にも想像力が及ばず、定型句に流れる原因ではないか。
親川志奈子は、沖縄問題が伝わらないのはなぜかと問い、「ひとえに『当事者性の欠如』だと考える」という〈9〉。自分の現実に向きあう勇気がないとき、人は他者を語ることに逃避し、安易な期待や勝手な偏見をその他者に投影する。それこそ、多くの沖縄論が空疎である最大の理由だ。まず、自らの現実の当事者になること。それが「沖縄」と「本土」の境界を壊すことにつながるはずだ。
*
〈1〉照屋剛志「欠かせない『基地依存』誤解の解消」(Journalism8月号)
〈2〉「(よくある質問)沖縄振興予算について」(沖縄県庁ホームページから)
〈3〉前泊博盛「四〇年にわたる政府の沖縄振興は何をもたらしたか」(世界2012年6月号)
〈4〉仲村清司「埋めるべき溝、沖縄内部に」(Journalism8月号)
〈5〉木村司「本土に広がる『沖縄疲れ』の空気」(同)
〈6〉国仲瞬・インタビュー「修学旅行生と平和教育」(同)
〈7〉中川淳一郎「『本土の人間』として反省を込めて思う」(同)
〈8〉NHKスペシャル取材班『縮小ニッポンの衝撃』/栗原俊雄『遺骨』(15年5月刊)/記事「全国空襲連のつどい 救済法の早期実現を」(本紙8月15日〈都内版〉、http://digital.asahi.com/articles/ASK8G447PK8GUTIL018.html?rm=415#Continuation)
〈9〉親川志奈子「植民地・沖縄を前に、日本人の選択は?」(Journalism8月号)
◇
おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。近著『誰が何を論じているのか』は、本紙・論壇委員として2013年からの3年間に執筆した毎月の論壇メモと本紙コラムなどを収録。
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今日はイレギュラーで、寮2(出町)24時間。
恒例、朝日・日経チェック。
「沖縄と本土」、ええこと書いてあるわ。
「当事者性の欠如」、その通り。かく言う私も、真樹が「沖縄にずっと住みたい」と言っていなければたぶん同じようなことだったであろう。
「自分の現実に向き合う勇気がないとき、人は他者を語ることに逃避し、安易な期待や勝手な偏見をその他者に投影する。」
これって、ネトウヨのことちゃうん。
ネトウヨにふさわしい代名詞は「身も心も腐りかけている人々」がいいと思っていたが、「自分の現実に向きあう勇気のない人々」のほうがいいね。
私は、そんな人たちこそ一歩踏み越えてもらえば「9条の会」と手をつなげるのではないかと思ってるんですが・・・。
「左右合作!」
ヨメさんはゆうやろね、「自分の現実に向き合う勇気のないやつ・・・、アンタのことや!」
そんなことより、斉藤由貴のキス事件のほうが気になるなあ。
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2017年09月03日(日)
第34回聖湖マラソン [ランニング・出張販売]
腰痛さらに悪化。
3kmほどウォーミングアップをしたあと、腰を掛けて休けい。しばらくして立ち上がろうとしたら、左腰の側面がキリキリキリ。走るどころか、歩くことも、いや立ち上がることも無理。
今度こそレース断念かと思ったが、痛いところをゲンコツでドンドンドーン。すると痛みがマヒして、なんとか走れそうに思えてきた。
いいろいろあったが、5km22分22秒。60歳以上男子の部第6位。
しかしこの大会は、部門参加者数によって表彰人数がちがう。部門参加者50人以下は5位までの表彰。
あっれー、また「残念でした」になるのかと思ったらこの部門は7位まで表彰。なんとかギリギリ拾われました。よかったー。
広島の走友・清水初男さんからいただいたおみやげを持って記念撮影。
いつもありがとうございます。清水さんのおかげでがんばることができました。
早く元気になってください。来年はいっしょに走りましょうね。
前日は例年通り「民宿・高木」さんへ。
午後3時烏丸御池でヨメさんを乗せ、4回休けいを挟み約330km。到着したのは8時45分。
遅くなってしまったが、おいしい晩ごはんを用意してくださった。
食べながらいろいろとお話。
大会実行委員・総務のご主人からは、夏の大雨の被害のお話をお聞きした。同時期に九州が大被害にあい、そちらに報道が集中したので広島の被害はほとんど取り上げられなかったそうだ。あちこちに土砂崩れがあり、まだ復旧していないところも多いとのこと。
たしか私と同い年の美人奥様からは、去年の大会直後の入院のお話を聞いた。ここにはくわしくは書かないが、私の癌が発覚した時とほぼ同時期だったので不思議な気がした。この先も半年ごとに検診を受けなくてはならないそうだ。
「私といっしょですやん!」
朝5時半起き。
この時期は雨が多いのだが、今年に限ってはその心配はない。
大きなテントを貸してくださっているので、商品が少なく見えるくらい。
出店準備が終わり、受付へ。
2000人ちょっとの規模なので、受付が混雑するということもない。
そのあとは朝ごはん。
高木さんの奥様が持ってきてくださったお弁当は、あたたくておいしかった。
9時半から開会式。
元気な小学生の選手宣誓。
広島文教女子大学付属高校の和太鼓は迫力があってよかった。
全員、頭をおだんごにしていてかわいかった。
さあてと、左腰の横が痛いけどアップジョグをしとかなねえ。
ゆっくり走る分にはそれほど痛みは出ない。ただスピードが出せるか・・・。
1km地点から上りがきつくなるので、この標識で折り返して帰った。
ゴール前のラストスパートをイメージして・・・。
このときはまあまあ走れてたんですけど。
腰掛けて休けいして、そのあと立ち上がろうとすると左腰がえらいことに。なにかにつかまらないとどうしようもない。こむら返りじゃあるまいに。
ヨメさんにもいろいろとマッサージとかしてもらい、最後に腰をドカンドカンとたたいたら、ましになったような気かがした。
そうこうするうちに10時30分、ハーフのスタート。
小学生のトランペットのファンファーレは大好評。
本当なら、3連覇を目指す清水初男さんもここに入っていたはずなのに・・・。
ご当地ゆるキャラ、花田舞太郎(はなだもうたろう)君。
いっしょに写真を撮ってもらおうと思ったが、子どもたちに取り囲まれて無理だった。
このあと、スキー場の芝生をゆっくりジョグ。
ゆっくりなら走れないことはないが、こんなことではなあという感じ。
もう、あとは運にまかせるしかない。
10時40分に10kmがスタート。
そして10時50分に、いよいよ私の5kmがスタート。
並ぶとなると、いつものクセで人の隙間を縫って前へ。でも今回はちょっとだけ遠慮して、前から5列目あたり。
スタートのピストルとともにいつものスタートダッシュ。
と思ったら、全然進んでいない。
反対に後ろのランナーに抜かれるくらい。
おかしい。こんなに進まないのはおかしい。
腰は痛いけど、それに負けないように走っているつもりなのに・・・。
ほぼ平坦な1kmが4分18秒。
最初の1kmがこんなにかかってしまうなんて。
1kmすぎから上りがきつくなっていく。
2km地点で9分16秒(4分58秒)。
せっかくカメラを持って走ったのに、自分に余裕がなく、折り返してきたトップの選手を撮った1枚だけ。
折り返しは11分42秒。
帰りは下りやからこんなにかからんとは思うけど。
折り返しで私の部門の順位を数えると6番目。
この時、何位までが表彰なのか認識していなかった。たいていは6位までやろうと勝手に思っていた。
3km、13分53秒(4分37秒)。
下りは楽だが、腰にビンビンと響く。
4km、18分05秒(4分11秒)。
この前に1人抜いて5位に上がっていたが、別のランナーに抜かれてまた6位。
スキー場ゲート付近では清水初男さんからの声援。
その声に励まされ、競っていた小学年低学年女子を振り切りました。ああ大人気ない!
そのまま6位でゴール。
22分22秒の完全ぞろ目。
この腰の状態の割には速く走れたが、本来なら21分前後で走りたいところ。
ゴールしてすぐ、プログラムで表彰人数を確認。
50人以下は5位まで、51人から100人は7位まで、101人以上は10位まで表彰。私が出た「5km60歳以上男子の部」は64人。
よかったー。がんばった甲斐があったー。
そう思ったとたんに、左腰横がバキバキバキ。
また立てんようになりましたんやわ。
後半はほとんどお客様がなし。
レストハウス前にもう太郎君の姿が見えたので、写真を撮ってもらいに行った。
もう太郎君と言うくらいやから男の子と思うのだが、頭の飾りがピンクでチャーミング。
背中につけているのは鞍だそうだ。
今日は一日中お仕事ご苦労さんでした。
中学生女子がヨメさんに針をしてもらっていた。(資格がなくてもやっていいやつ。)
来年は鍼灸師になってるはずやから、きっついのをしてもらいなさい。
以前よりお店は少なくなったが、2000人規模の大会ならこれくらいでいいんでしょう。ゆっくり見て回ろうと思ったら表彰式が始まった。
ヨメさんが撮ってくれた写真。
去年の当たりは2位だったが、今年の当たりは4位だった。なんのこと?
表彰状を渡す役の方のことですよ。今年は4位のところにミス何とかさんがおられました。
いやいやいや、それよりも3位以内に入って賞品のリンゴをゲットしなくては。
来年ね!
4位以下は賞状と盾。
盾がミラ―になっていたので、パオパオのうらめしい顔を映しときました。
後片付けで荷物を積み込むときも、腰が痛くてたいへんだった。
片づけが終わり、「民宿・高木」さんにごあいさつして出発したのが3時。
いなかの食堂系は、この時間はもう準備中になってるんですよね。戸河内IC前のレストランも飽きたので、高速に入り宇佐SAで食べることにした。
食べたのは4時。遅すぎる昼ごはん。
ヨメさんは「豚キムチ定食」。
私はいつもの「豚汁定食」(600円)。安上り。
ゆでたまごは食べずに持ち帰り。
「家に帰って何も食べるもんがないのはさびしいなあ」と言っていると、ヨメさんが「加西サービスエリアにおいしいお好み焼き売ってるでー」と。
ヨメさんの食べ物に関する記憶は恐ろしい。私がまったく覚えていないことも、食べ物に関することだけは細かなところまですべて覚えている。
加西SAに入ると、ほんまにありました。そのおいしいというお好み焼き屋さんが。
「前はおっちゃんが一人でやってはったなあ」と言っていたが、今日はかわいいおねえさんがひとり。
お好み焼きもたこ焼きも「半分だけマヨネーズ」。
私、胆のう炎なんでマヨネーズあきませんのやわ。
おまけでいただいたたい焼きとともに記念写真。
目が細すぎる。
家に着いたのは9時45分。
廉が世話をしてくれていたので、きくちゃんの「ふぁんふぁんふぁん(さびしかったよー)」はなかった。それでも暴れたかったのか、私には「ガウガウガウ」。
暴れすぎて疲れたみたい。
きくの穏やかな表情。
廉のおかげやわ。
仕事大変やろうけど、またきくの世話に来てやー。
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2017年09月02日(土)
亀ラン [ランニング]
今日は、午後3時すぎに烏丸御池でヨメさんを拾い広島へ。
出張販売の準備は昨日全部したので、今日の午前中はヒマ。
ちょっとは走っておこうと思ったが、腰痛がひどく歩くのも大変。
長代川で見かけた亀のように、ぷかぷか走れたらいいのになあ。
まずは長代川周回1kmコースをこわごわと。左足を前に出すごとに腰の左側面が「ビキッ」と痛い。
草が生い茂りすぎて走りにくいコースをなんとか2周、約11分。
そのあと、団地内を1kmゆっくりジョグ。
「体調最悪やけど、『レース前日1000m1本』ちゅうのをやっときたいなあ・・・。」
いつもの地球研〜北稜高校。
痛いので無理せず、それでも3分54秒で行けた。
ただし、そのあとが大変。
歩くのも難しくなり、そのあたりで体のあっちを曲げたりこっちを曲げたり。なんとか歩けるようになって、家までの1.1kmを10分以上かけて。
これから440kmの長距離運転。
明日の朝までに腰が治るちゅうのは、・・・ないか。
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【今日のきく】
私が出かける前に、ちょっとだけお散歩。
察しのいいきくは、すぐに○ンコ。
廉が来るのが夜遅くなるというのを、聞いていたんでしょうか。
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2017年09月01日(金)
ロードレーサーが欲しい [雑用]
10月1日の「ラブトライアスロン」の自転車で困っている。
自転車レンタル屋さんでロードレーサーを借りようと思っていたのに、当てが外れてしまった。最悪、廉が通勤で駅まで乗って行っている自転車(クロスバイク風)を借りることになる。
「その前に練習どうすんねん」というのが問題。
今年の3月に寮を出て行った子からもらった自転車がある。(これもクロスバイク風)
置きっぱなしにしてあったので、まずは汚れを落とし・・・。しかしよく見てみると、後輪がパンクしてした。後ろブレーキも全然効いていなかったので、ワイヤーを調節してみたが変わらず。そんなことをしているうちにだんだん気が滅入ってきた。これで練習しようと思っていたのに、またもや当てが外れた。
「えい、いっそのことロードレーサーのやっすいヤツ買うか!」
ネットで調べると、2万円くらいからある。
「にっ、にまんえん!」
30年以上前に私が買ったロードレーサーは10万円だった。(チューブラータイヤの本格ロードレーサー) 2万円のロードレーサーって、だいじょうぶなん? そもそも、それってロードレーサーと呼べるん?
おまけとして、ちょっとおもしろい話を。
ネットで安いロードレーサーを探していると2万円くらいから。ただし2万円と言っても税込みであったりなかったり。また、送料無料であったり何千円も取られたり。
ちなみに、真樹が住んでいる沖縄まで送ってくれるのかと思って調べてみた。これも店によってまちまちだったが、「沖縄・離島は送料30000円」という店があった。2万円の商品の送料が3万円かーい!
これは、沖縄のお客様に注文をあきらめさそうという店側のたくらみですね。
「京都キャロット」はそんなことは絶対にしませんから、沖縄のみなさーん、安心して注文してくださいね。
レースまで、あとちょうど1か月。
とにかく練習はしとかなあかん。
思案のしどころですねえ。
おっと、水泳も行かな。
もう学校が始まって、練習できそうなプールもすいてるやろう。
とにかく250mね。いったい何分かかるんやろう。
古い話だが、3.8kmを2時間10分かかったと記憶している。その計算で行くと、250mは8分半。これくらいで行けたらいいのになあ。
あと、自転車が10kmで20分。ラン3.3kmが18分。
三種目合わせて47分くらいで行けたら・・・。(ちなみに前回の記録を見ると、速くて37分遅くても55分くらい。)
いやいや、その前に練習や。
さて、どうしましょう。
「アンタのブログは1日4000アクセスとちゃうんかいな。テレビ壊れたって書いても、誰も何の反応もなしか。役に立たんブログやのう」とヨメさんに言われた。
そやし、「どなたか、いらなくなったロードレーサーをください」とは言いません。
ここから「工夫のパオパオ」の本領を発揮せな。
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【RUN】
腰の具合が悪い。
いつもならもう治るころなのに、今回は長引いている。
今日は走るのはやめとこうかなあと思ったが、外に出で見るときれいな夕焼け。
ちょっとだけでも走ろうという気になった。
こういう時は新3.3kmコース。
半端な距離だと、タイムを意識せず走れるのがいい。
今日はピッタリ17分。
そのあと1.8kmゆっくりジョグをして、合計5.1km。
あさっての「聖湖マラソン」は5km。
また最初からバンバン飛ばしたかっんやけど、こりゃ無理か。
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【今日のきく】
「きっ、きくのくびが・・・。めもうつろ・・・。」
全然だいじょうぶ。この後シャキンと起きましたよー。
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2017年08月31日(木)
第92回勝手に国労応援ラン [ランニング]
「元国労の中野勇人さんを応援しようと、JR沿線を走ってアピール」というのが、このランの趣旨。ところが調べてみると、今年3月にJR二条駅に行っただけで、あとはほとんど関係のない叡電沿線を走っていた。これではいかん。
今日で8月も終わり。
明日から秋ですか。ガードマンのバイトを丸一年休んでしまいました。
今日は一日ヒマ。気温は30℃あったが、湿度が低く走りやすい。
「京都駅スタートで走ろうっと。」
地球研前からバス、国際会館から地下鉄で京都駅へ。(160円+290円)
午後2時55分に乗り、3時半着。
まずは、京都駅ビルの窓に映った京都タワーの写真を撮った。
何度見ても好きになれない京都駅。
ものすごく安っぽく見えて恥ずかしい。
京都なら、全面木造建築にしてほしかったなあ。
腰の具合がよくないが、ヨメさんが4日連続でお灸とマッサージをしてくれている。そのおかげで、痛いけれど走ることはできる。
京都駅から走るときはいつも烏丸通なので、今日は河原町通か堀川通にしようかなあと思っていた。しかし、何が起こるか分からないので地下鉄に沿っていつも通りの烏丸通を北上することにした。痛みがひどくなったら地下鉄で帰れるので。
何回もガードマンで行きましたなあ、東本願寺。
ほんまに立派な「御影堂門」。
これが京都駅の入り口だと自慢できるのに。
そうそう、そういえば東本願寺のお向かいにロードレーサーがレンタルできるお店があった。10月1日に借りられるか聞いてみなければ。
お店の従業員さんに、どこでどういうふうに使いたいか説明した。しばらくしてオーナーさんが来られ、もう一度説明。すると、「京都市内でのレンタルですので、持って行かれるのは想定してないんです」とのこと。残念!
これで、「ラブトライアスロン」は廉の自転車を使い回しさせてもらうことになるのかなあ。
四条烏丸の京都シネマ前で2km、11分37秒。
通りの西側は、日差しがビルでさえぎられ涼しい。
キロ6分弱のペースならほとんど汗もかかない。
私の大好きな徳力富吉郎さんの版画が売られていた。
この価格なら、私でも買えそう。
欲しい!
千本出水で4km、22分21秒。
烏丸今出川から東をのぞむ。北に同志社、南に御所。
空は晴天。カラッとして気持ちがいい。
「藤井右門宅地跡」と。
藤井姓で有名な人はあまり思い浮かばなかったが、最近では藤井聡太四段ですね。
お世話になっています京都鞍馬口医療センター。
ここで6km、33分30秒。
信号待ちで、かわいいワンちゃんに会いました。
北大路駅前で6.6km。
ここから家まで5kmほどあるので、無理せずここで終了。
ここから京都産業大学前行きのバス「北3」がある。
4時35分に乗り、50分に到着。
「北3」には今まで何度も乗っているが、いつも以前住んでいた「ゴルフ場前」で降りていた。終点まで乗ったのは初めて。(230円)
京産大前から自宅まで1km。
これも走って帰ったので、今日は7.6km。
人の多い通りを走ったので、ちょっとはアピールになったかな。
※中野さん情報
20回目の完走を目指されていた「サロマ湖100kmウルトラ」は、右足故障のため断念。今は10月の「四万十川100kmウルトラ」に向けて養生されています。
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【今日のきく】
今日もフラフラと店から出て、オバサンに怒られたきく。
そんなこと言われても、ドアが開いてたら出たくなるやんね。
夜涼しくなってきたので、ちょっとだけいっしょに走った。
このごろ足腰が弱ってきているみたいなので、鍛えないと。
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2017年08月30日(水)
「狂人三歩手前」 [書評]
「狂人三歩手前」 中島義道著 新潮社 2006年 184ページ
■内容(「BOOK」データベースより)
「生きていく理由はないと思う。いかに懸命に生きても、いずれ死んでしまうのだから」。日本も人類も滅びて一向に構わない。世間の偽善ゴッコには参加したくもない…。いっぽう妻と喧嘩して首を締められたり、路上ミュージシャンに酒を奢ったり、桜の巨木を見て涙を流したりの日々。「常識に囚われず、しかも滑稽である」そんな「風狂」の人でありたいと願う哲学者の反社会的思索の軌跡。
■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
中島/義道
1946(昭和21)年福岡県生れ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学大学院基礎総合科学哲学博士課程修了。現在、電気通信大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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今日は寮1(二条)17時間。
いつもならマイパソコンに入り浸っているのだが、月末になり通信速度が低下。今月は寮の管理代行のバイト回数が多かったので、ポケットWifiを使いすぎたみたい。
波型がオレンジになったらランがウォークに、赤になったらほぼ停滞ということです。
やることがないので久しぶりの読書。
7月に入院していた時に途中まで読んだ「狂人三歩手前」の続きを読んだ。(隔離部屋に持ち込んだら廃棄処分だったが、持ち込まなかったので命拾いして戻ってきた。)
私が今まで読みふけった小説は、カフカ、倉橋由美子、富岡多恵子。
小説以外では、竹内久美子、中島義道、香山リカ。
読みだしたら読み続けるのはだれしも同じで、カフカと倉橋由美子はほぼ全作品を読んだ。富岡多恵子も半分近く。後者三名は出版書が多すぎて、全部とはとても言えないがかなり読んでいる。
中島義道氏の「どうせ死んでしまう」理論は徹底している。氏のどの本にもたいてい書いてあるので、ここではくわしくは説明しない。その理論は、ただただお見事と思うばかり。
「どうせみんな死んでしまう。人生とは生きる気力がくなくるほど残酷な修羅場である。しかし、絶対に死んではならない。生きている不幸を骨の髄まで自覚せよ、しかし死んではならない。この自覚のもとにどう生きればいいのか、私はいかなる回答も示していない。」(123ページ)
ほぼむちゃくちゃだが納得できる。
私の場合は、「どうせ死んでしまうのだから、生きているうちに他人に迷惑かけまくって楽しく生きよう」と思っている。
今回もその理論ばっかりかと思っていたがちがった。
こんな箇所があった。
◇ ◇ ◇
相当の時間を費やして、孤独、対話、偏食、仕事、不幸等々固定したテーマで書き続け、そして脱稿すると、そこに書いたものすべては過去のこととして、決定的に私の身から脱落していく。書いてしまったことによって、私の心理状態も世の中の見え方も書く前とは画然と異なり、世界は相貌を変えるのだ。だが、理不尽なことに、そんなころ、読者ははじめて私の書いたものに接する。そして、しばしば感動して「先生、まったく同じ意見です」という手紙をよこす。だが、すでにそのとき私は、―あのアキレスと亀のように―少し「先に」動いているのだ。こうして、読者は永遠に私に追いつけないのである。
おわかりであろうか? 私の最所の本の読者は、私のすぐ「後ろ」にいるからこそ、そしてそれは私がたったいま抜け出てきた場所であるからこそ、私にとって重要なのに、読者が提議するのはいつでも、私がすでに書くことによってある程度解決してしまった問い、そうでないまでも一段落つけてしまった問いにすぎない。(77ページ)
◇ ◇ ◇
これと似たことのように思うのだが、自分にも思い当たる節がある。
今見終わった映画の話をするのがイヤ。もう見終わって、自分の中で完結してしまっているのに、何をほじくりだせというのか。私の興味は、まだ見ていない映画のほうに向く。
また、ゴールの感動というのがない。途中は山あり谷ありで泣きそうになることもしばしばだったが、ゴールにそれはない。ゴールで完結してしまっているから。
1986年の「第2回びわ湖トライアスロン」は、スイム3.8+バイク180+ラン42.195。そのゴールには、まだ新婚のますみさんが待ってくれていた。私は普通にゴールし、ますみさんが迎えてくれた。
「写真撮れへんかったわー・・・。」
「えっー!」
この私の反応をヨメさんはずっと恨みに思っている。一日中待ってあげていたのにと。
最近もあった。
2014年6月23日、沖縄慰霊の日の「一人沖縄平和ラン」(那覇〜名護)。
前年はみゆきビーチ前で途中断念だったが、2回目でやっと目標の名護市役所にゴール。たくさんの方が伴走してくださり、ゴール地点には北山高校駅伝部関連で知り合った玉城さんが待っていてくださった。
ゴールした時、私は玉城さんにお礼も言わず、伴走してくれた仲間としゃべっていた。もう完走してしまった「一人沖縄平和ラン」のことではなく、次に出る予定のレースの話などをしていたように思う。
その時、玉城さんが「ここがゴールじゃなかったんですか」とおっしゃったのを覚えている。今から思えば、「私は無視か?」ときっと半分腹を立てておられたんだと思う。
今まで何回かお会いしたうちで、あの時が一番おきれいだったのに。それで、お礼を言うのがちょっと恥ずかしかったんでしょうか。そういうことにしときましょう。
これに似たようなことは、今まで何度もある。ひどい人間です。
これは、中島氏がおっしゃってることとまたちがうのかな。
また、こんな箇所もあった。
◇ ◇ ◇
彼は、こんなに自分を理解してもらいたいと全身で叫び声をあげる。だが、いざ彼を理解する人、理解しようとする人が眼前に現れると、一目散にその人から逃走しようとするのだ。なぜなら、理解されることは負担であるから。理解され続けることは草臥れることだから。さらにさらに理解されようと必死になることだから。あげくの果ては、理解されたいがゆえに相手に合わせて演技している自分を見出して、自己嫌悪に陥ることは目に見えている。つまり、彼を理解する人は、理解することによって彼の「自己」を奪うのである。彼を「がらんどう」にするのである。(155ページ)
◇ ◇ ◇
20代前半、ものすごく好きになった人がいた。相手も真剣につきあってくれていた。
そんなある日、「引っ越そうと思ってるんだけど、この先二人で住むのなら広い目の所を借りた方がいいね」と言われた。それを聞いて、私はなぜか噴き出しそうになってしまった。(相手に悟られないように必死にこらえましたけど。)
その時の感情が自分でも分からなかったのだが、「理解されることがイヤ」だったのだろうか。なぜ?
「自己」を奪われ、「がらんどう」になるのは本望だったような気がするのに・・・。
ここから話がトントンと進み・・・ではなく正反対で、ここから私の様子がおかしくなってしまった。彼女は「(私に)ふられた」と言っていたが、私にはそんな気はさらさらもなく・・・。自己分析もしっかりできてもいないのに、いっちょ前に人を好きになったらあかんちゅうことやったんでしょうかねえ。
「狂人三歩手前」というタイトルから、かなりの期待を込めて読み進んだが、意外とまともでビックリ。私は「良識あるヘンタイ」を目指しているのだが、中島氏は「良識ある狂人」に成り下がっているかもと心配だ。もっと危ないところにいてほしい人だ。
もう10年以上も前の出版だが、自分のことと照らし合わせながら読めたのでおもしろかった。まだ、買ったままで眠っている本があるはず。死ぬ前に読んでしまわねば。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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