2017年09月07日(木)
「うちにネコ住んどる」 [わんこ・にゃんこ]
先日の「聖湖マラソン」のとき、廉にきくの世話をしてもらった。
その時、廉から写真付きのメール。
「うちにネコ住んどる。」
きくがいるのに、ネコが住み着いているのに驚いたようだ。
今日の朝、炊事場から外を見るとそのネコちゃんと目が合った。
fukikoさんが保護されている「銀ちゃん」に似てますねー。
銀ちゃん、里親募集しているのに問い合わせなしらしいねー。かわいいのにねー。
これだけくつろいでもらえたら、うれしいねー。
オスでしょうか、メスでしょうか。
この顔はオスかなあ・・・。
お昼前もう一度見てみると、まだいましたわー。
ラーメン作るのにガチャガチャしていたら、こっちを向いてくれた。
でもこのあと、あんまりうるさくしていたせいかどこかへ行ってしまった。
夜同じ場所を見てみると、帰ってましたわー。
暗がりで撮ったから、ネコちゃんが真ん中になっとらんがなー。
うちに住み着いてくれるのなら、避妊手術をせなあかんなー。
fukikoさんに相談やね。
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【今日のきく】
お風呂場あたりで、何やらガリガリひっかくような音。
しばらくすると、その音の正体が分かった。きくがお風呂前のマットを引きずり出してきた音だった。
そんなもんこっちまで持ってきてどうするのかと観察していると・・・。
きれいに敷いて、チョコンと丸まった。
かっわいー。
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【RUN】
月火水と走らず。(月と水はバイトで走る時間なし。)
左腰の具合もましになったような気がしたので、少しだけでも走りたかった。
しかし、今日は三線教室。夕方に帰ってきたら、雨。
けっきょく、夜のきくの散歩のあと、9時半くらいから走りに出た。
最初に団地内を1kmゆっくりジョグ。痛み出ず。
次に新3.3kmコース、19分23秒(5分48秒ペース)。痛み出ず。
最後に2kmゆっくりジョグ。ここで痛みが出てきた。ゆっくりゆっくり走ったので、それほどひどくはならなかったけど。
まだ、5km以上の距離はムリやね。
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2017年09月06日(水)
フェリーで行きたかった沖縄 [雑用]
9月1日の「ロードレーサーがほしい」の続き。
「真樹はこの先もトライアスロンをやりたいみたいなことゆうとったし、ロードレーサーを買って10月1日に使ったあと、沖縄に送れたらええんやけどなあ。それやったら買う値打ちもあるけど、沖縄への送料ってめちゃくちゃ高いもんなあ・・・」と私。
「いくらくらいするん?」とヨメさん。
「寮にいた子が富山の実家に(ばらさずに)送って、5000円以上かかっとったで。ばらして小さくしても、沖縄やったら1万円くらいかかるんちゃうん。」
「そらあかんな。」
「一つ思ったんやけど、フェリーで行ったら自転車の料金は安いで。ただし、めちゃくちゃ時間かかるけど。」
「そうしー。アンタはヒマやから、なんぼ時間かかってもかまへんやん。」
おお、ヨメさんが私の沖縄行きを後押ししてくれたことなどかつてなかったことだ。これはラッキーと、沖縄行きフェリ―についてネットで調べてみた。
沖縄行きのフェリーは二種類。神戸・大阪発と鹿児島発。
うちからなら大阪南港まで自転車に乗って行って、そこから乗船というパターンやね。これで神戸港から乗るより5時間少なく、43時間から38時間に減らせる。(京都市左京区から大阪南港まで自転車ちゅうのも、ジジイにはたいへんやが。)
まず料金。
2等で1万9330円。自転車が3960円。合わせて23290円。
38時間も乗せてもらってこれなら、安いと言っていい。
次に便数。
平均月に2便。
「えー、そんなに少ないんかーい!」
(↑この部分、勘違いしていました。訂正します。月に6便でした。
8月2(水)、8(火)、12(土)、19(土)、23(水)、29(火)
9月2(土)、6(水)、12(火)、16(土)、20(水)、27(水)
10月3(火)、7(土)・・・)
10月7日(土)・・・。
その先はないんかなあとよく見てみると、ガーン!
「阪神航路の旅客フェリーは10/10から休止し、10/11からR0R0型貨物船が就航する予定となっておりますので、お客様の乗船はできません」とただしがき。
なんでこの時期やねん。
死ぬまでに一回は船で沖縄に行けたらええなあと思ってたのに。
いつも厳しいヨメさんが「行ったらええやん」みたいにゆってくれてたのに。
この計画はパー。
鹿児島からのフェリーはまだ続いていくらしいが、鹿児島まで自転車で行く馬力はない。鹿児島まで新幹線や飛行機で行くのは意味がないし。そんなことなら、関空か神戸からLCCで受託手荷物として持って行った方が確実に安い。でもそうなると、しっかりした輪行バッグ(かなり高額)が必要になる。
いろいろと大変。
やっぱりこの計画はパー。
甘かった。
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【今日のきく】
今日は寮1(二条)17時間。
朝6時前に家を出ていくときに、きくのお見送りはなかった。
でも夜12時前に帰ってきたときは、しっぽブンブンでお迎えしてくれた。
そんなんしてくれたら、ちょっとでもお散歩行かなあかんね。
真夜中の団地内をちょっとだけお散歩。
きくちゃん、喜んでくれたかな。
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2017年09月05日(火)
りんごくばり [雑用]
おととい、聖湖マラソンの会場で買ってきた「芸北りんご」。広島のりんごは、おみやげで持って行くとみんなめずらしがって喜んでくれる。
私の病気は「全快」というのがない。死ぬまで治療が続く可能性が高い。それでも、病院に見舞いに来てくれた姉兄たちには「快気祝い」的なことをしなくてはならない。
かなり安上がりだが、このめずらしいりんごを「快気祝い」代わりに持って行くことにした。
そのついでに、小谷屋のおばさんと介老施設に入っている父にもおみやげを持って行った。
市原野小学校の北の踏切で、ちょうど叡電が通過。
今日はハデな柄の車両に当たり!
こちらから行くと、父が入っている施設やターコ姉や兄の家より小谷屋さんが先。
勝手に戸を開け、「おばさーん、かんろくのいんきょのこうじですー」と呼びかけたが反応なし。テレビの音は聞こえているのに・・・。たぶん、テレビを見ながら寝てしまわはったんでしょう。
手術後大きな声が出せんようになっているので、私の声が届かなかったようだ。
いったん出直し。
家に寄って、自転車のヘルメットを取ってこようと思っていたのに完璧に忘れていた。
このあと、姉、兄の家に行くが両方留守。仕方ないので姉の家の前のテントのところにりんごを置いて来た。
次は父のところ。
またいつものように、うつらうつらとしていた。
習字がはってあったので、写真に撮らせてもらった。
父は字がすごくきれいで、それが私ら家族の自慢だった。今はえらいこじんまりとした字になってしもたんやね。
父がいつも仲良くしてもらっているおイトさんの姿が見えなかった。(おイトさんは、私の初恋の琴ちゃんのお母さん。)
「おイトさんの姿が見えんなあ」と父に言ったのだか、その返事はなかった。
先月廉といっしょにいっしょに行った時はものすごく元気だったのに、今日は元気がなかった。私がだれかも分かってなかったかもしれない。
このあと、もう一度小谷屋にチャレンジ。
声を振り絞って呼びかけたら、やっとオバサンが出てきてくれた。
「こんなおばーのとこに誰が来たんやろうとおもたら、こうじさんかいな。」
「おばさん、いっつも6月におみやげ持ってきてたのに、今年は忘れてしもて・・・。今ごろ来ましたわ。」
「おみやげて・・・。すんませんなあ。よう気にかけてくれて。うちのよりさだ(私の同級生)も、こないだ桃を送ってきてくれたんやわ。」
「それはよかったですやん。よりちゃんも気にかけてはりますやん。」
「そや。」
その時のおばさんの笑顔のきれいやったこと。
それから30分以上話し込んでしまった。父と話していた時間より長いがな。
いったん家に戻り、そのあとは深泥池のみき江姉夫婦のところへ。
ここだけ、広島りんごに義兄さんが好きな「ず」のあるきゅうりのおまけつき。
8月10日に死んじゃったニャーちゃんの話ばかりになってしまった。2か月前(上の写真)は、こんなきれいで元気そうやったのにね。
最後はほんまにかわいそうやったけど、ちゃんと看取れてよかったと言っていた。
姉から、「先日おイトさんが亡くなった」と聞いた。そうやったんや。おとちゃん、またさびしくなるね。
小谷屋のおばさんにもらった山椒昆布と、姉にもらったじゃことで、晩ごはんが豪華になった。もちろん、ヨメさんが作って行ってくれたチンジャオロースが一番おいしかったけど・・・。
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【今日のきく】
今日は夕方から雨が降り出し、なかなかきくのお散歩に行けなかった。
ヨメさんが帰ってくる10時半すぎ、やっと小降りになってきたので散歩がてら、バス停までお迎えに行った。
昨日の夜からずっと出ていなかった○ンコ。
ほぼ24時間後の10時45分、やっと出ました。よかったね。
雨の時に散歩に行くと、必ず「帰るのいやいや」をするのに、今日はかしこく帰ってきたきくちゃんでした。
私は走る時間はあったのだが、腰の具合がよくならないのでランは休養。
2日走らなかっただけなのに、体重は60.5kg。7月以降の最高体重更新。
明日もバイトで走れへんし、もっと増えるかも。えらいこっちゃ。
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2017年09月04日(月)
自分の現実に向き合う勇気がない [沖縄]
◎朝日新聞8月31日朝刊・論壇時評
沖縄と本土 「自らの現実」はどこに
歴史社会学者 小熊 英二
世上の沖縄論は「平和の島」「癒(いや)しの島」などの定型句が目立つ。かたやネット上には「基地で潤っている」「補助金泥棒」といった偏見もある。この種の沖縄論は、なぜかくも空疎なのか。
理由の一つは、単なる知識不足だ。米軍基地の7割が集中する沖縄だが、県民総所得に占める基地関連収入は5%にすぎない。基地返還跡地を再開発した地区では、直接経済効果が返還前の平均28倍であり、基地はむしろ発展を阻害している〈1〉。国からの財政移転は都道府県中12位で、特段に高くはない〈2〉。
一方で沖縄の貧困は深刻だ。1人当たり県民所得は最下位、非正規雇用は45%で全国一。沖縄に多いコールセンターや観光業、飲食業は一般に賃金が低い。本土労働者の典型像は「年収三〇〇万〜四〇〇万」の製造業従事者だが、沖縄のそれは「年収五五万〜九九万」の飲食・宿泊業だ〈3〉。沖縄在住の作家である仲村清司は、「子どもの貧困率が全国平均の2倍に達し、3人に1人が貧困状態」と述べ、貧困に起因する家庭内暴力や不登校、いじめの頻発を指摘する〈4〉。
また沖縄戦で住民の4分の1が死に、1972年まで米軍の軍政下で基地が膨張した。多くの沖縄論は、これが単なる歴史ではなく、現在でも癒えない生傷であることを踏まえていない。
新聞記者の木村司が2015年に取材した女性は、高校2年生の1984年に米兵3人に乱暴された〈5〉。「被害を家族にも話せなかった。事件を再現させられると聞き、警察に被害届も出せないまま、原因不明の体の痛みに耐えてきた」。95年に女子小学生が米兵に暴行された事件をニュースで知ったこの女性は、「明かりをつけるのも忘れ、真っ暗な部屋で泣き続けた」。そして「こんな幼い子が犠牲になったのは、私があのとき黙っていたから」と考え、抗議集会に参加した。
木村はこのほか「人知れずアメリカ兵の子どもを産んだ知人がいる」「苦しみが癒えてきたと思う頃にまた事件が起きる。忘れたくても忘れられない」といった声も紹介している。こういう事例は沖縄では珍しくなく、「現場を歩けば、驚くほど、何らかの『経験』を身辺にもつ人に出会う」と木村はいう。こうした事情が、思想信条を超えた反基地感情の背景にあることは、いうまでもない。
*
だが一方で、沖縄の現実は、「平和の島」という定型句には収まらない。
前述の仲村は、沖縄の若い世代の関心事は貧困問題なのに、年長論者は基地問題に傾斜しており、そのギャップが「沖縄問題を語る大人への無関心と無視」を招いているという。国仲瞬は、沖縄の若者にみられる基地容認論の背景に、形骸化した平和学習への反感があると指摘する〈6〉。もっとも仲村は、そうした世代間対立の背景は「莫大(ばくだい)な金と利権をばらまくことによって沖縄の不満を抑え込み、沖縄内に既得権益層とそうでない層の間に著しい経済格差を作りだしている政府の存在」だとも述べているのだが。
外部の来訪者は、こうした状況に戸惑うことも多い。ネットニュース編集者の中川淳一郎は、沖縄の訪問体験を記している〈7〉。基地反対を明確に唱える人もいるが、「昔から基地のある生活が普通でした」と語る人もいる。本土から基地建設への抗議にくる人を「なんでナイチャー(本土の人間)が来て、混乱させているんだ」と否定的に見る人もいる。
以前の中川はネット上の言説を読み、「沖縄に対しては右派的論調を取っていた」。それは単なる偏見だったが、「平和の島」というだけでもない。今では、「本土の人間は本当に沖縄のことを知らずに勝手なことを言っていた」「この問題は複雑すぎて生半可な気持ちでは取り組めない」と思うようになったという。
定型の沖縄論の空疎さを脱しようとする姿勢は評価できる。だが、私は思う。沖縄の状況は複雑だろうか。
考えてみよう。貧困、性暴力、平和学習の形骸化、迷惑施設をめぐる葛藤などは、各地でみられる現象だ。沖縄も自分と同じ生身の人間が生きている土地だと考えれば、理解可能なはずだ。それが複雑に見えるとすれば、沖縄に関する知識不足以前に、もともと社会の現実に向きあう姿勢が欠けているのではないか。
*
そもそも私たちは、沖縄以前に、「本土」や「東京」を知っているか。20代単身転入者の平均年収が241万円にすぎない豊島区や、地上戦の遺骨が何千も残る硫黄島も「東京」だ。東京を含む空襲被害者救済法も止まっている〈8〉。米軍基地も60年代より前は本土の方が多かった。沖縄まで行かずとも、類似の問題は「本土」や「東京」にすでにあるのだ。
こうした問題以外でも、理不尽な抑圧や不本意な沈黙には、誰もが直面している。だが、自らの現実に向きあい、それを打開する努力を無意識に避けようとする人間は、他者の苦痛にも目を閉ざしたり、抑圧的にふるまったりするものだ。それこそ、沖縄の現実にも想像力が及ばず、定型句に流れる原因ではないか。
親川志奈子は、沖縄問題が伝わらないのはなぜかと問い、「ひとえに『当事者性の欠如』だと考える」という〈9〉。自分の現実に向きあう勇気がないとき、人は他者を語ることに逃避し、安易な期待や勝手な偏見をその他者に投影する。それこそ、多くの沖縄論が空疎である最大の理由だ。まず、自らの現実の当事者になること。それが「沖縄」と「本土」の境界を壊すことにつながるはずだ。
*
〈1〉照屋剛志「欠かせない『基地依存』誤解の解消」(Journalism8月号)
〈2〉「(よくある質問)沖縄振興予算について」(沖縄県庁ホームページから)
〈3〉前泊博盛「四〇年にわたる政府の沖縄振興は何をもたらしたか」(世界2012年6月号)
〈4〉仲村清司「埋めるべき溝、沖縄内部に」(Journalism8月号)
〈5〉木村司「本土に広がる『沖縄疲れ』の空気」(同)
〈6〉国仲瞬・インタビュー「修学旅行生と平和教育」(同)
〈7〉中川淳一郎「『本土の人間』として反省を込めて思う」(同)
〈8〉NHKスペシャル取材班『縮小ニッポンの衝撃』/栗原俊雄『遺骨』(15年5月刊)/記事「全国空襲連のつどい 救済法の早期実現を」(本紙8月15日〈都内版〉、http://digital.asahi.com/articles/ASK8G447PK8GUTIL018.html?rm=415#Continuation)
〈9〉親川志奈子「植民地・沖縄を前に、日本人の選択は?」(Journalism8月号)
◇
おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。近著『誰が何を論じているのか』は、本紙・論壇委員として2013年からの3年間に執筆した毎月の論壇メモと本紙コラムなどを収録。
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今日はイレギュラーで、寮2(出町)24時間。
恒例、朝日・日経チェック。
「沖縄と本土」、ええこと書いてあるわ。
「当事者性の欠如」、その通り。かく言う私も、真樹が「沖縄にずっと住みたい」と言っていなければたぶん同じようなことだったであろう。
「自分の現実に向き合う勇気がないとき、人は他者を語ることに逃避し、安易な期待や勝手な偏見をその他者に投影する。」
これって、ネトウヨのことちゃうん。
ネトウヨにふさわしい代名詞は「身も心も腐りかけている人々」がいいと思っていたが、「自分の現実に向きあう勇気のない人々」のほうがいいね。
私は、そんな人たちこそ一歩踏み越えてもらえば「9条の会」と手をつなげるのではないかと思ってるんですが・・・。
「左右合作!」
ヨメさんはゆうやろね、「自分の現実に向き合う勇気のないやつ・・・、アンタのことや!」
そんなことより、斉藤由貴のキス事件のほうが気になるなあ。
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2017年09月03日(日)
第34回聖湖マラソン [ランニング・出張販売]
腰痛さらに悪化。
3kmほどウォーミングアップをしたあと、腰を掛けて休けい。しばらくして立ち上がろうとしたら、左腰の側面がキリキリキリ。走るどころか、歩くことも、いや立ち上がることも無理。
今度こそレース断念かと思ったが、痛いところをゲンコツでドンドンドーン。すると痛みがマヒして、なんとか走れそうに思えてきた。
いいろいろあったが、5km22分22秒。60歳以上男子の部第6位。
しかしこの大会は、部門参加者数によって表彰人数がちがう。部門参加者50人以下は5位までの表彰。
あっれー、また「残念でした」になるのかと思ったらこの部門は7位まで表彰。なんとかギリギリ拾われました。よかったー。
広島の走友・清水初男さんからいただいたおみやげを持って記念撮影。
いつもありがとうございます。清水さんのおかげでがんばることができました。
早く元気になってください。来年はいっしょに走りましょうね。
前日は例年通り「民宿・高木」さんへ。
午後3時烏丸御池でヨメさんを乗せ、4回休けいを挟み約330km。到着したのは8時45分。
遅くなってしまったが、おいしい晩ごはんを用意してくださった。
食べながらいろいろとお話。
大会実行委員・総務のご主人からは、夏の大雨の被害のお話をお聞きした。同時期に九州が大被害にあい、そちらに報道が集中したので広島の被害はほとんど取り上げられなかったそうだ。あちこちに土砂崩れがあり、まだ復旧していないところも多いとのこと。
たしか私と同い年の美人奥様からは、去年の大会直後の入院のお話を聞いた。ここにはくわしくは書かないが、私の癌が発覚した時とほぼ同時期だったので不思議な気がした。この先も半年ごとに検診を受けなくてはならないそうだ。
「私といっしょですやん!」
朝5時半起き。
この時期は雨が多いのだが、今年に限ってはその心配はない。
大きなテントを貸してくださっているので、商品が少なく見えるくらい。
出店準備が終わり、受付へ。
2000人ちょっとの規模なので、受付が混雑するということもない。
そのあとは朝ごはん。
高木さんの奥様が持ってきてくださったお弁当は、あたたくておいしかった。
9時半から開会式。
元気な小学生の選手宣誓。
広島文教女子大学付属高校の和太鼓は迫力があってよかった。
全員、頭をおだんごにしていてかわいかった。
さあてと、左腰の横が痛いけどアップジョグをしとかなねえ。
ゆっくり走る分にはそれほど痛みは出ない。ただスピードが出せるか・・・。
1km地点から上りがきつくなるので、この標識で折り返して帰った。
ゴール前のラストスパートをイメージして・・・。
このときはまあまあ走れてたんですけど。
腰掛けて休けいして、そのあと立ち上がろうとすると左腰がえらいことに。なにかにつかまらないとどうしようもない。こむら返りじゃあるまいに。
ヨメさんにもいろいろとマッサージとかしてもらい、最後に腰をドカンドカンとたたいたら、ましになったような気かがした。
そうこうするうちに10時30分、ハーフのスタート。
小学生のトランペットのファンファーレは大好評。
本当なら、3連覇を目指す清水初男さんもここに入っていたはずなのに・・・。
ご当地ゆるキャラ、花田舞太郎(はなだもうたろう)君。
いっしょに写真を撮ってもらおうと思ったが、子どもたちに取り囲まれて無理だった。
このあと、スキー場の芝生をゆっくりジョグ。
ゆっくりなら走れないことはないが、こんなことではなあという感じ。
もう、あとは運にまかせるしかない。
10時40分に10kmがスタート。
そして10時50分に、いよいよ私の5kmがスタート。
並ぶとなると、いつものクセで人の隙間を縫って前へ。でも今回はちょっとだけ遠慮して、前から5列目あたり。
スタートのピストルとともにいつものスタートダッシュ。
と思ったら、全然進んでいない。
反対に後ろのランナーに抜かれるくらい。
おかしい。こんなに進まないのはおかしい。
腰は痛いけど、それに負けないように走っているつもりなのに・・・。
ほぼ平坦な1kmが4分18秒。
最初の1kmがこんなにかかってしまうなんて。
1kmすぎから上りがきつくなっていく。
2km地点で9分16秒(4分58秒)。
せっかくカメラを持って走ったのに、自分に余裕がなく、折り返してきたトップの選手を撮った1枚だけ。
折り返しは11分42秒。
帰りは下りやからこんなにかからんとは思うけど。
折り返しで私の部門の順位を数えると6番目。
この時、何位までが表彰なのか認識していなかった。たいていは6位までやろうと勝手に思っていた。
3km、13分53秒(4分37秒)。
下りは楽だが、腰にビンビンと響く。
4km、18分05秒(4分11秒)。
この前に1人抜いて5位に上がっていたが、別のランナーに抜かれてまた6位。
スキー場ゲート付近では清水初男さんからの声援。
その声に励まされ、競っていた小学年低学年女子を振り切りました。ああ大人気ない!
そのまま6位でゴール。
22分22秒の完全ぞろ目。
この腰の状態の割には速く走れたが、本来なら21分前後で走りたいところ。
ゴールしてすぐ、プログラムで表彰人数を確認。
50人以下は5位まで、51人から100人は7位まで、101人以上は10位まで表彰。私が出た「5km60歳以上男子の部」は64人。
よかったー。がんばった甲斐があったー。
そう思ったとたんに、左腰横がバキバキバキ。
また立てんようになりましたんやわ。
後半はほとんどお客様がなし。
レストハウス前にもう太郎君の姿が見えたので、写真を撮ってもらいに行った。
もう太郎君と言うくらいやから男の子と思うのだが、頭の飾りがピンクでチャーミング。
背中につけているのは鞍だそうだ。
今日は一日中お仕事ご苦労さんでした。
中学生女子がヨメさんに針をしてもらっていた。(資格がなくてもやっていいやつ。)
来年は鍼灸師になってるはずやから、きっついのをしてもらいなさい。
以前よりお店は少なくなったが、2000人規模の大会ならこれくらいでいいんでしょう。ゆっくり見て回ろうと思ったら表彰式が始まった。
ヨメさんが撮ってくれた写真。
去年の当たりは2位だったが、今年の当たりは4位だった。なんのこと?
表彰状を渡す役の方のことですよ。今年は4位のところにミス何とかさんがおられました。
いやいやいや、それよりも3位以内に入って賞品のリンゴをゲットしなくては。
来年ね!
4位以下は賞状と盾。
盾がミラ―になっていたので、パオパオのうらめしい顔を映しときました。
後片付けで荷物を積み込むときも、腰が痛くてたいへんだった。
片づけが終わり、「民宿・高木」さんにごあいさつして出発したのが3時。
いなかの食堂系は、この時間はもう準備中になってるんですよね。戸河内IC前のレストランも飽きたので、高速に入り宇佐SAで食べることにした。
食べたのは4時。遅すぎる昼ごはん。
ヨメさんは「豚キムチ定食」。
私はいつもの「豚汁定食」(600円)。安上り。
ゆでたまごは食べずに持ち帰り。
「家に帰って何も食べるもんがないのはさびしいなあ」と言っていると、ヨメさんが「加西サービスエリアにおいしいお好み焼き売ってるでー」と。
ヨメさんの食べ物に関する記憶は恐ろしい。私がまったく覚えていないことも、食べ物に関することだけは細かなところまですべて覚えている。
加西SAに入ると、ほんまにありました。そのおいしいというお好み焼き屋さんが。
「前はおっちゃんが一人でやってはったなあ」と言っていたが、今日はかわいいおねえさんがひとり。
お好み焼きもたこ焼きも「半分だけマヨネーズ」。
私、胆のう炎なんでマヨネーズあきませんのやわ。
おまけでいただいたたい焼きとともに記念写真。
目が細すぎる。
家に着いたのは9時45分。
廉が世話をしてくれていたので、きくちゃんの「ふぁんふぁんふぁん(さびしかったよー)」はなかった。それでも暴れたかったのか、私には「ガウガウガウ」。
暴れすぎて疲れたみたい。
きくの穏やかな表情。
廉のおかげやわ。
仕事大変やろうけど、またきくの世話に来てやー。
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2017年09月02日(土)
亀ラン [ランニング]
今日は、午後3時すぎに烏丸御池でヨメさんを拾い広島へ。
出張販売の準備は昨日全部したので、今日の午前中はヒマ。
ちょっとは走っておこうと思ったが、腰痛がひどく歩くのも大変。
長代川で見かけた亀のように、ぷかぷか走れたらいいのになあ。
まずは長代川周回1kmコースをこわごわと。左足を前に出すごとに腰の左側面が「ビキッ」と痛い。
草が生い茂りすぎて走りにくいコースをなんとか2周、約11分。
そのあと、団地内を1kmゆっくりジョグ。
「体調最悪やけど、『レース前日1000m1本』ちゅうのをやっときたいなあ・・・。」
いつもの地球研〜北稜高校。
痛いので無理せず、それでも3分54秒で行けた。
ただし、そのあとが大変。
歩くのも難しくなり、そのあたりで体のあっちを曲げたりこっちを曲げたり。なんとか歩けるようになって、家までの1.1kmを10分以上かけて。
これから440kmの長距離運転。
明日の朝までに腰が治るちゅうのは、・・・ないか。
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【今日のきく】
私が出かける前に、ちょっとだけお散歩。
察しのいいきくは、すぐに○ンコ。
廉が来るのが夜遅くなるというのを、聞いていたんでしょうか。
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