2010年08月31日(火)
興南高校島袋投手と慶田城外野手 [沖縄]
◎しんぶん赤旗・日曜版 8月29日号より
■第92回全国高校野球選手権大会
興南 甲子園春夏連覇 豪腕投手と積極打線
この瞬間を、島んちゅ(沖縄の人)たちは待っていました。21日に閉幕した第92回全国高校野球選手権大会で、興南高校が沖縄県勢として夏の甲子園初優勝。史上6校目の春夏連覇を達成し、深紅の優勝旗を地元に持ち帰りました。復帰前に沖縄の球児がパスポートを携えて甲子園に乗り込んで以来、52年目の快挙でした。
「平和への思い持ち続け 普天間基地と島袋投手・慶田城外野手」
興南のエース島袋投手と慶田城(けだしろ)外野手。幼なじみの2人は、少年時代に平和への思いを強く抱く体験をしています。
2人は、今焦点の米軍普天間基地を抱える宜野湾市の少年野球チームで、バッテリーを組んでいた仲です。
志真志(しまし)小学校6年生だった2004年8月13日、同市の沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落しました。ヘリの破片は、2人が住んでいたマンションの前まで飛んできました。
当時、同小児童会長だった島袋君は、慶田城君とともに抗議の市民集会に参加。約3万人を前に、壇上から訴えました。
「もう二度と事故を起こしてほしくない。戦争と平和について考えれば考えるほど、人と人が信頼し助け合うことが大切だと思いました」
続けて島袋君は、慶田城君ら同学年のみんなとつくりあげた「平和宣言」を朗読しました。
「フェンスの向こうには どんな未来があるのか 私たちの未来
(中略)
世界中の人が互いに理解し合い 争いのない平和な世界を」
当時の志真志小学校長、久銘次(くめじ)利男さんは述懐します。
「『平和宣言』は先生が助言しただけで、子どもたちがつくったものでした。なんてしっかりした考えを持っているんだろうと感心しました。彼らは甲子園で県民や子どもたちに勇気を与えてくれました。元校長として誇らしいです」
決勝の余韻さめやらぬなか、慶田城選手はこんな夢を口にしました。
「基地問題がまだ続いているので、基地問題の解決に役立つ仕事がしたいです」
泥まみれのユニフォームの下は、平和への純粋な心でいっぱいでした。
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こんな身近なところに、沖縄の米軍基地問題が。他の新聞、テレビなどでは取り上げていなかったように思う。
米軍ヘリ墜落事故といえば・・・。
4年前、鳩間小中学校のK校長先生とお話する機会があった。当時私は別所小・花一中PTAの広報部長をしていたので、「PTAだより」を持って行き、K校長先生にも見ていただいた。K校長先生は、私の父の戦争体験の記事をすごくほめてくださった。
「実際に起こったことは、事実を曲げないように伝えていかなければいけません。そういう意味で、藤井さんのお父さんの話をPTAだよりに載せられたのはいいことですね。
先の『沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落』も、日本政府はまるでなかったかのような扱いにしようとしています。これは絶対に許してはならない。」
この発言を聞いて本当に勇気付けられた。こんなふうに自分の考えをしっかりと話せる校長先生が、まだおられたんだ。どこぞのへなちょこ校長にくらべて・・・。(「どこぞ」の代わりに「京都」と入れてもらってもけっこうです。)
上の興南高校の2選手の記事を見られて、沖縄の米軍基地の問題に関心を持つ人が増えてくれればうれしいです。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
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コメント
名無しさん、いつもコメントありがとうございます。
あの興南高校の記事は、すぐ目に付き一気に読みました。これは多くの人に知ってもらいたいと思い、私のブログに転載させてもらいました。
米軍基地の問題が沖縄の問題としてしか扱われていない現状を、少しでも変えていく助けになったらなあと思います。
私も同じ記事を見ました。
家でも話題になりました。
こんなふうにブログに書けるのがいいですね。
あらためて
パオパオさんの平和に思いの強さを見た思いです。
ありがとう。