パオパオだより

2012年01月11日(水)

「にいちゃんにいちゃんゆうて、何でも聞き」 [家族]

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 今日1月11日は、私の母の命日。もうあの日から21年もたった。

 いなかに父が一人でいるはず。こちらでも雪がチラチラ降り出したが、命日くらいはお参りに帰ろう。4時前、市原の家を出発。
 鞍馬までは雪は全然なかったが、山に入っていくとだんだんと大変なことに。百井別れの手前でチェーンを巻いた。

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 花背峠を越えると、北風がまとも。風がぶつかるところは吹き溜まりになる。

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 我が家は誰も雪かきをしていないので、すぐには入れない。

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 うちの家から300m北にあるおじいさん(父)の家に行くと、兄夫婦は出かけており、やっぱりおじいさん一人だけだった。
 今日「大丸」で買ってきたロールケーキをお供えして「チンチーン」。

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 21年前の1月10日の夕方、兄から電話をもらった。
 「おかちゃん、もうあんまり長ないらしいわ。」
 「えー、ついこないだ、これから冬が来るたびに入院せんならんゆうとったとこやのにー。まだまだ生きるつもりやったのにー・・・。」

 その数時間後、また兄から電話。
 「もう、あかんらしい。すぐ、病院に来て。」
 「えー! そんなに悪かったん?」

 そして、夜は何とか持ちこたえ、未明に息を引き取った。
 最後の最後まで小さな声だが話をしていた。その通訳係は私の兄。兄によると、母は最後の最後まで自分の7人兄弟の末の弟のことを気にしていた。母は長女で、下6人が弟。臨終の間際まで、長女としての責任を果たそうとしていたのだろうか。私ら4人の子のことは何一つ言っていなかったらしい。

 遺言はなかったが、私は母から何べんも何べんも言われていたことがある。
 「こうじ、にいちゃんにいちゃんゆうて、何でも聞くにゃでー。」
 いなかでは長男は絶対。跡取り息子とそれ以下では扱いもちがうし、かかる責任も全然ちがってくる。まあ、私ら末っ子は、「おちゃらけ担当」みたいなもんです。

 母の言い伝えはまあまあ守れている。残った父に対しての「おちゃらけ担当」もけっこうできている。それでええことにしてください。

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 おじいさんのスコップを借りてきて、うちの家の橋の雪かき。湿った重い雪だったので腰への負担が大きかった。かなり時間がかかった。

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 またおじいさんのところに戻り、いっしょに相撲観戦。
 大関把瑠都がつき出した力士の後ろに行司がいて、その行司が頭から土俵下に落ちた。意識不明のような状態になった。「こんなこと初めて見るなー」とおじいさんも言っていた。

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ピンボケになってしもたなあ

 全部の取り組みが終わったところで帰ることにした。
 おじいさんも、私がお参りに帰ってちょっとは喜んでくれたかな。

 また帰ります。

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