パオパオだより

2019年07月14日(日)

頭VS胃袋、私は胃袋派 [時事]

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◎朝日新聞7月10日朝刊

   リベラルは共闘下手?

 参院選で、少数野党は巨大与党に共闘で対抗しようと必死だ。一方で、大きな争点の消費税ひとつとっても政権を批判する知識人の意見はまとまらず、「身内」どうしで反発し合っている。左派、リベラルが一枚岩になれないのは、なぜなのか。

  論客に「味方」から批判

 立命館大学の松尾匡教授(理論経済学)は、安倍政権への厳しい批判で知られる左派の論客で人気も高い。しかし、「自民や維新の協力者と同じ主張を取り続けた」などとたたかれることが、しばしばある。

 これらの批判は、政権支持派からではない。味方。リベラル、左派と呼ばれる人たちからの舌鋒(ぜっぽう)だ。

 松尾さんに直接聞くと、苦笑しながら、批判はかなり気になる様子だった。
 「安倍政権以降、景気が改善した事実はある。それが内閣支持率の落ちない理由で、左派はアベノミクスを超えるを主張をしなければならないと言っているだけ。なのに『安倍政治の礼賛者』と批判される」

 アベノミクスを超える政策とは、松尾さんの考えでは一つには消費減税。
 「経済的に苦しむ浮動層が、なんとなくアベノミクスに流れている。消費減税し、富裕層や大企業には増税して、格差が広がった責任をとらせる。ポピュリスト競争になるのは忌避すべきものではない」と話す。

 逆に「全国民に批判されても消費税を上げるべき」とリベラルの立場から主張するのが慶応大学の井手英策教授(財政社会学)だ。
 「消費税に反対する左派やリベラルは日本くらい。先進国は消費税を財源に給付で格差を小さくしてきた。はん緊縮財政こそ左派の主張です」と言う。
 「せっかく与党が消費税を2%上げるなら、われわれはその使い道をラジカルに帰るんだとなぜ言わないのか」

 井手さんも、激しい批判の矢面立たされることがままある。井手さんの著書『富山は日本のスウェーデン』は厳しい非難にさらされた。左派系週刊誌は、女性の犠牲で成り立つ保守的な土地柄を誤認している、と批判した。

 減税派の松尾さんは「日本に左派の半緊縮運動を」と著作で繰り返し訴えているし、増税派の井手さんも「消費増税をテコに、介護や幼児教育などの暮らしを徹底して支える」ことが、むしろ主張の主眼だ。ざっくり言えば、立場はそう変わらないのではないか?

  「多様な理想」実現する難しさ

 著述家の浅羽通明さんは「左派やリベラルは知識人。頭でつながっている人たちです。自分が一番頭がいいと思っているので、衝突する」と厳しい。逆に「政権支持派は胃袋でつながっている。権力についていることが目的化しているので、否応なくまとまる。自分を殺せる」

 実は頭VS胃袋。左派対右派、リベラル対保守の構図にさえなっていない、というわけだ。

 冷戦中の米国で、肉体労働をしながら在野の思想家として書き続けたエリック・ホッファーは、当時の左派知識人がたたき合うのを念頭に「知識人とは人に自分の意見を傾聴されたい人のこと。無視されるより迫害去れるほう望む」と書いた。

 「権力の側は、権力についていること自体が至上命令」(松尾さん)であるのに対して、左派やリベラルは、「格差を小さくして平等な社会を実現する」(井手さん)という理想を胸に抱く。多様化した時代に、理想は人の数だけある。その多様さを多様なまま大事にするのが左派、リベラルの「理想」であり、また難しさだろう。

 反体制活動でたびたび逮捕され、1989年の民主革命でチェコスロバキア連邦大統領になった劇作家のハヴェルは、かつてこう言った。
 「知識人とは、もともといつでも、戦う前からすでに敗北るもの、永遠なる敗北を宣言されたシジフォスのごときものであり、勝利している知識人なんぞというものがうさんくさいのです」(『ハヴェル自伝』)

 多様な理想を掲げる者は多数派になり得ない。常に少数者であるはずだ。「自己の敗北によって勝利する」。ハヴェルはそう語ったのである。負けたとて、それがどうした風が吹く。
                    (編集委員・近藤康太郎)
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 頭VS胃袋。

 そうかー、そうくるかー。

 どう考えても、いやしんぼの私は胃袋派。
 ということは、右派で保守ちゅうことなんですかね。

 なんか、悔しいね。

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2019年06月28日(金)

日本の主役はバカでいい [時事]

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◎毎日新聞6月28日朝刊

   論点:「不都合な真実」の扱い方

 「年金だけでは老後資金が2000万円不足する」と指摘した金融庁ワーキンググループの報告書について、麻生太郎副総理兼金融担当相が受け取りを拒否したことに批判の声が広がった。「不都合な真実」に背を向ける政権与党の姿勢は、公文書の隠匿や改ざんなど枚挙にいとまがない。その振る舞いの背景と危険性を考える。

   「下流」層を取り込む自民
                  白井聡(京都精華大専任講師)

 「金融庁の報告書はもうない」などと事実をもみ消す現政権の背景には、民主主義を成り立たす大前提の崩壊がある。国民全体が政治と社会の知識を広く得ている、せめて得ようとしているという前提の崩壊を、現政権は徹底利用している。

 新聞も野党も政権の論理矛盾や隠蔽体質を批判している。だが、麻生太郎財務相いわく「新聞読まない人はぜんぶ自民党支持だ」。批判が効果を発揮しないのは、自民党が論理的整合性に関心を払わない有権者層を主たる「顧客」として取り込んでいるからだ。野党が同じ土俵で「顧客」獲得に励んでも勝利は望めない。資金力で勝負にならないからだ。

 小泉純一郎政権(2001〜06年)時代、広告代理店が政府に提出した広報戦略資料が話題になった。政権の支持基盤である「具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する」主婦や若者、高齢者を「B層」と名付け、彼らに「分かりやすい」宣伝を提案していた。

 同時期にマーケティングアナリストの三浦展氏は、低い所得だけでなく、意欲に欠ける生活習慣や思考様式を共有する階層「下流」の出現をいた説いていた。「B層」は「下流」の言い換えともいえよう。小泉政権向けの広報戦略資料が暗示したのは、政権が新たな格差の拡大を防ぐのではなく、利用し尽くそうという意志ではなかっただろうか。

 これは、自民党の自己否定ともいえる。自民党は、少なくとも建前では、あらゆる社会階層の利益を調和的に実現する国民政党を標ぼうしていた。その自民党が特定の階級・階層に依拠する党への変質を宣言したに等しい。しかも、その階層の利害を代表せず、単に支持基盤として利用するのだ、と。

 先日、若い女性を主要購読層とするファッション誌「ViVi」の広告企画が批判された。同誌のモデルに「権利平等」「文化共生」といった主張を語らせた自民党の広告だ。これらの主張が、自民党議員の多くや中核的な支持層の価値観とかけ離れていることは、簡単に分かる。だが、まさにこれが分からない(と思われる)層を対象に、自民党は広告を打った。消費社会に生まれ育ち、政治の知識に乏しい人々の感情をふんわり肯定し、決して内実を知らしめず、ただ好印象を抱かせる戦略だ。

 自民党は「ViVi」以外でも、イラストレーターに安倍晋三首相を侍として描かせるなど、政策を直接語らない、特に若者向け広告を次々と仕掛けている。若年層全体を「B層」扱いして、「これからの日本の主役は総じてバカでいい」との前提に立っている。この前提でどんな未来を描くつもりか。

 ただ、「B層」扱いされている有権者も市井の人々である。生活を見返せば、山積する問題は明らかだ。なぜ「好景気」なのに生活が苦しいか、なぜ子どもを産み育てる余裕がないのか・・・・・。今の年金問題も、人々がふんわりとした政治宣伝の洪水から頭を上げ、眠っていた怒りを沸き立たせるきっかけにはなりうる。いずれにせよ、怒りが復権しないままでは、この国は亡びるしかないだろう。

■しらい・さとし
  1977年生まれ。一橋大大学院博士課程単位取得。博士(社会学)。文化学園大助教などを経て現職。著書に「国体論 菊と星条旗」「永続敗戦論」「未完のレーニン」など。
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 今日は寮2の24時間バイト。
 いつも通り朝日、日経のチェックをしていたのだが、あまりいい記事がない。でも、家から持って来た毎日新聞にいい記事が見つかった。(記事のコピーができないので、ポチポチと手打ちしました。)

 「報告書受け取り拒否」を受けての「不都合な真実の扱い方」について3人の方がコメントを寄せられていた。

 「長期政権で内部評価重視」 郷原信郎(弁護士)
 「政治家は公文書を消せない」 瀬畑源(成蹊大非常勤講師)
 「『下流』層を取り込む自民」 白井聡(京都精華大専任講師)

 自宅のすぐ近所の京都精華大の白井聡さんの「自民党、下流取り込み論」。
 私の人生上最悪としか思えない現政権。なのに支持率がけっこうある。これが全く理解できなかったのだが、白井さんの解説は分かりやすい。
 そうやったんかー。アホを上手に取り込んだんやー。なんちゅうこっちゃー!

 白井さんの言う「怒りの復権」なんて、ない! 
 自民党にアホ(バカ)扱いされている人たちに、「アホじやないって、みんなでかしこくなろうって」という方針で説得していったらいいんとちゃうかなあ。
 まずは、今までの広告戦略の見直しからやね。

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2019年04月24日(水)

振り返るな「平成」 [時事]

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◎毎日新聞4月24日朝刊

   平成1000万句の喜怒哀楽

 毎日新聞で平成3(1991)年から始まった「仲畑流万能川柳(万柳)」。投稿された句は1000万超、掲載された句は十数万句に上り、平成の社会や日常生活の喜怒哀楽を映し出してきた。選者でコピーライターの仲畑貴志さん(71)は「『モノ・カネ=幸せ』ではないことに人々が気付いたのが平成だった」と語る。【千脇康平】

 平成を振り返り、仲畑さんがまず触れたのはインターネットやスマートフォンなどITの急速な発展だ。90…

(以下、有料記事なので省略。)
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 いろいろあった「平成」・・・と一瞬思ったが、よく考えてみると、自分の人生の区切りと「平成」はなんの関係もなかった。
 平成元年は西暦1989年。
 私は雲ケ畑小学校に赴任2年目で、修学旅行の下見に行っているときに昭和天皇崩御のニュースを聞いた。
 その翌日に「へーせー」という元号になった。「へーせー」って、なんと力の抜ける言葉やと思った。

 万能川柳の中から一句選ぶなら・・・。
 「戦争の放棄を放棄するのかな」

 平成は、日本が「絶対に戦争しない国」から「戦争する国」に転換した時代と言ってよい。できれば、「令和」は「また戦争しない国」に戻った時代になってほしい。

 「平成」が終わり「令和」が始まる年に何があるのか。何もない。
 強いて言えば、私の老化スビードが急加速した年かなあ。

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【今日のきく】

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 また、17時間バイト帰りの深夜散歩。
 「今日は雨やし、行けへんなー」と思っていたら、家に着いた頃に小やみになった。
 ベッドからムックリ起き上がり、飛び出してきたきくとお散歩。
 こんなに喜んでもらえると、疲れて帰って来てもほっこりできる。
 きくに感謝せなあかんね。

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2019年03月20日(水)

くたくたになりながらも満面の笑み [時事]

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昨年、定員内不合格となった神戸市立楠高校を今年も再受験する男性(右)の支援集会で、手を握り合う母親と男性=兵庫県内で3月3日

◎毎日新聞3月11日 兵庫地方版・心の扉を開いて

   共に生きる兵庫 第1部「地域で暮らす」/52 君の笑顔が見たい 

■再受験男性を地元住民ら応援
 昨年、夜間定時制の神戸市立楠高校を受験したが、県内でただ一人「定員内不合格」となった重度脳性まひの男性(16)。今年も同校を再受験するのを前に、支援集会が神戸と男性の地元で相次いで開かれた。先月22日の神戸は主に、神戸市教委に対し「障害を理由にした不合格だ」と抗議する内容だったが、今月3日の地元は、障害当事者や地域の人々らが次々と男性を励ます姿が印象的だった。

 地元集会の会場には、男性が同級生らと一緒に学んだ地域の小中学校時代の写真が飾られていた。

 小5の時の4泊5日の自然学校で同級生に囲まれ、はち切れんばかりの笑顔を見せる男性。小6と中3の修学旅行は親の付き添いなしで参加、くたくたになりながらも満面の笑みで帰ってきた。
 中学では野球部に入部した。先輩の主将と肩を並べて写る純白のユニホーム姿の彼は、誇らしげだ。主将は毎日、歩行器の彼をランニングに誘ってくれた。自ら体を動かせない彼は白球を追いかけることはできなかったが、背番号をもらいベンチ入りした。「お前も部員なんやから試合中これをしっかり持っておけよ」。チームメートはボールを握らせてくれた。最後の試合では円陣の中心に入り、大きな掛け声を出して一緒に戦った。
 笑顔が並ぶ写真。わずか体重546グラムで生まれ、医療的ケアも必要な彼が、地域の学校で友達と共に成長してきた記録だ。だが、それも高校受験で断ち切られてしまったのだ。
   ×  ×
 障害のある子もない子も地域の学校の普通学級で共に学ぶ「インクルーシブ教育」の必要性が叫ばれている。文部科学省は2013年、学校教育法施行令を改正。子供の就学先について、障害の種類で振り分ける「分離別学」を改め「本人・保護者の意見を最大限尊重する」と通知した。だが、義務教育で実践されても、高校で道を閉ざされては障害のある子は行き場を失い、孤立してしまう。これでは共生社会の実現にもつながらない。
   ×  ×
 集会では男性、両親、きょうだいが前に並んだ。「息子は母親から『こんな問題も分からないの』と頭をはたかれながら、猛勉強中です」。父親の報告になごやかな笑いが湧き起こる。男性は定員内不合格によって1年間浪人生活を強いられたが、親子は複雑な思いを胸に閉じ込め、今はただ前を向き、受験勉強に集中する。
 楠高を再受験する彼に、合格祈願のお守りを手渡す男性がいた。地域の障害者作業所に通っており、母親同士が「ママ友」という。ある重度脳性まひの男性は懸命に声を振り絞り「受かってください」と伝えた。会場のあちらこちらから「ファイト!」「ファイト!」と激励の声も飛ぶ。
 男性は話すことができなくても、相手の話す内容は分かっている。幼い頃から見知った人の激励に、彼は顔をくしゃくしゃにして、大きくうなずく。
 地域の人々が、再挑戦する彼を励まし、温かく見守る。これが、地域で暮らすという意味なんだ。会場は何ともいえないぬくもりに包まれた。
   ×  ×
 いよいよ、12日が公立高校一般入試の本番だ。男性は楠高の個室で受験。代筆・代読者を付け、1教科50分の試験時間も75分に延長されるが、5教科全て他の受験生と同じ問題に挑む。彼は読み上げられる選択肢問題にだけ答えることになる。
 1週間後の19日が合格発表だ。楠高の志願者数は昨年と同様、定員割れしている。男性に吉報が届くだろうか。君の笑顔が見たい。【編集委員・桜井由紀治】
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重度脳性まひの男性が不合格になり、夜間定時制・神戸市立楠高の校門前で抗議活動をする支援者ら=神戸市兵庫区で3月19日

◎毎日新聞3月20日

   定員割れ神戸・楠高 重度脳性まひ男性が2年連続不合格

◇説明なく、両親「悔しい」

 公立高校入試の合格発表が19日あった。昨年、夜間定時制の神戸市立楠高校(兵庫区)を受験者数が定員を割り込みながら不合格となった重度脳性まひの男性(16)が今年も同校を再受験したが、2年連続で定員内不合格となった。

 男性は全面介助と医療的ケアが必要。昨年入試前に、高校でも看護師配置を求めた男性側に対し、神戸市教委は「合格した段階で検討する」としたが、定員割れした1次、再募集された2次試験とも、点数を取りながら不合格となった。

 男性は1年間、楠高に設置されている識字教室などで受験勉強に励み「この学校の雰囲気が好き」と今年も同校を志望。定員80人に対し、39人が受験した12日の入試で、昨年と同様に代読・代筆者や試験時間延長などの配慮を受け、他の受験生と同じ問題に挑んだ。

 男性と両親は19日、合格者名簿にただ一人、男性の受験番号がないのを確認。説明を求めて校長に面会を申し入れたが、校長は「会う必要はない」と拒否。市教委を通して再度要請したが、市教委も同じ返事だったという。目を真っ赤にした両親は「残念で悔しい」と唇をかんだ。「楠に行きたくてしんどい思いをしてきた息子の願いをなぜ踏みにじるのか。校長はきちんと説明してほしい」と訴えた。2次試験は、県立湊川高校(長田区)を受験することを明らかにした。校門の前には、30人以上の支援者が集まり、「障害を理由とした差別的な扱いを禁じている障害者差別解消法違反だ」などと抗議した。【桜井由紀治】
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 ただただ「なんで不合格?」と思う。

 「くたくたになりながらも満面の笑み」、その笑みをずっと見ていたいとは思わないのだろうか。
 私は、そんな笑みこそ見続けたい。
     ◇     ◇     ◇
 説明を求めて校長に面会を申し入れたが、校長は「会う必要はない」と拒否。市教委を通して再度要請したが、市教委も同じ返事だったという。
     ◇     ◇     ◇
 分からない。まったく分からない。
 「ぜひうちに来てください」という高校もないのだろうか。
 悲しすぎる。

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【RUN】

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 今日は、寮1の管理代行8時間半。
 もう寮生が全員退寮したので、食堂はやっていない。
 お昼は近くのコンビニで食料調達。全部で807円。痛いねえ。

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 走る時間がなかったが、晩ごはん前にちょっとだけ走ることにした。
 町内1kmコースを3周。17分20秒。
 何にもせんよりはましという程度かな。

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【今日のきく】

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 なんか、すねています。

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2018年11月26日(月)

ウチナー(沖縄)とヤマト(本土) [時事]

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◎朝日新聞11月24日朝刊

   【平成とは あの時14】 沖縄と本土 広がる隔たり
                       
                       編集委員 真鍋弘樹(52)

 沖縄の負担軽減が目的だったにもかかわらず、当の県民の意思を押し潰して県内に新基地建設を強行する。米軍普天間飛行場の返還計画は、本来の目的を見失って迷走を続けた。この20年余で、日本本土と沖縄の隔たりは繕いがたいほどに広がった。

 ■基地移設交渉、元名護市長の執念
 自分の身をぎりぎりと削りながら政府と向き合っているのだろう。あの時、そう感じた。
 明らかに酒臭かった。名護市の故・岸本建男市長に、いわゆるぶら下がり取材をしていた時のことだ。
 沖縄でサミット(主要国首脳会議)が2000年に開催された翌年、当時も焦点は名護市の東海岸、辺野古だった。
 群青のサンゴ礁をつぶし、どんな工法で、どれほどの規模の新基地を造るのか。数カ月に一度、首相官邸で行われる早朝の会合に、地元市長として出席する。会議後、ICレコーダーを口元に近づけて質問をすると、ぷーんと酒がにおった。
 眠れない、と市長時代はいつもこぼしていた。そう妻の能子(たかこ)さん(70)に聞いたのは10年以上も後だった。若き日は市職員として基地反対の立場だった。そんな岸本氏が市長となり、1999年に基地受け入れを表明すると、反対派は「変節」と受け取った。
 その半面、交渉相手となった政府の担当者は、この市長に手を焼いていた。多くの振興策を国から引き出した上で、基地移設については軍民共用化や使用期限を区切ることを求め、しぶとく交渉を続けたからだ。
 国と地元、双方から疑いのまなざしを向けられ、その本音は家族にも明かさなかった。「政府も、夫のことを信じてはいなかったでしょう。孤立し、寂しかっただろうと思います」
 基地受け入れを決めてからは記者を遠ざけ、肉声を聞けるのは会見などに限られていた。その岸本市長と一度だけ、那覇支局の記者だった頃に酒を酌み交わしたことがある。
 どんな風の吹き回しか、その日は側近を通じて市長室に私を招き入れ、午後5時になるとロッカーから泡盛の一升瓶を取り出した。もう勤務時間を過ぎたからね、と言い訳をして、グラスに透明の液体を注ぐ。
 記事にはしないようにと念を押し、杯を傾けながら、こんな意味のことを言った。条件闘争を続けていれば、いずれは状況も変わり、基地が必要なくなるかもしれない――と。
 「父はずっと交渉を続けるつもりで、基地建設が決まったとは思っていなかったはずです」。息子で名護市議の洋平さん(45)は今、そう語る。「残したかったのは、ウチナーンチュ(沖縄人)の誇りだったのかもしれません」
 市長在任中に肝臓がんが見つかった。だが、岸本氏はそれを公表せず、2006年、退任の翌月に世を去った。享年62。
 「自分は基地容認市長だったと言われるのかな」。入院の直前、能子さんに、そうもらしたという。「夫がぶつかった相手は、日本政府でした」
 国家に立ち向かうとは、どういうことか。
 「コップに水が入っている。ほんの少しだけでいいから、ちょっと口をつけるだけ、と言われてコップを持ち上げると、無理やりぐいっと全部飲まされる」
 そんな例えを、沖縄県の金武(きん)町長だった吉田勝広さん(73)に聞いたことがある。キャンプ・ハンセンという巨大基地を抱えた町でやはり日本政府と基地移設の交渉をした。その彼は今、政策調整監として県知事を支えている。
 このページに広がる東シナ海の青い水面で、沖縄島最北端の辺戸岬と鹿児島県の与論島を分かつのが北緯27度線だ。奄美諸島が日本に返還された1953年から沖縄復帰の72年まで、米軍支配下の沖縄と日本を隔てた「国境」である。
 沖縄の人たちには、この線が今も大きく立ちはだかっているようにみえる。そこに生身でぶつかることの激烈さを、私は想像することしかできない。

 ■「感情の根」語った翁長氏
 差別という言葉を沖縄の政治家が頻繁に口にするようになったのは、2010年ごろだと記憶している。
 「抑止力のために必要なら国民全体で考えるべきで、沖縄だけに押しつけているのは差別ではないか」
 辺野古への移設反対を掲げて名護市長となった稲嶺進氏も10年5月、鳩山由紀夫首相にそう問いかけている。「最低でも県外」と自ら言った公約を鳩山氏が覆し、「抑止力」を理由に普天間の移設先を辺野古へと戻した時のことだった。
 差別。沖縄の人たちがそう心に刻む感情の根を私に教えてくれたのは、翁長雄志・前知事である。
 同年、当時那覇市長だった翁長氏は、搭乗直前の那覇空港で、取材を依頼した私に休みなく語り続けた。
 「基地を他の地域に負わせるのは忍びないと考えるのが沖縄の人たちです。なのに本土にはそれに対する愛情がない。お金が欲しいのかと言う人すらいる。そこまでされて、なぜ日本を守らないといけないのか」
 「全国市長会で、少しでも基地を負担して下さいと提起しても、『申し訳ないが沖縄しかない』と言われる。見て見ぬふりです」
 本土の記者である私に、けんか腰で怒りをぶつけてきた。そんな語りだった。
 普天間飛行場を「最低でも県外」に移すという鳩山首相の公約に、沖縄の人々は希望を抱いた。だが、それに対して本土、沖縄の言葉でいう「ヤマト」の人たちは目をそらし、取り合おうとしなかった。これは、差別ではないのか、と。
 自民党県連の幹事長として、以前は基地の県内移設を進める側だった翁長氏は、こうも言った。「私は共産党とは考え方が違う。しかし、沖縄にもう基地はいらないということでは、保革は一致するんです」
 基地問題と言えば、沖縄でも「保守対革新」「右対左」のイデオロギー対立が背景にあった。だが平成の半ばに「ヤマト対沖縄」の構図がはっきりと浮かび上がる。沖縄に基地をとどめているのは、実は米国ではなく日本なのだと気づかせたのが鳩山政権だった。
 今年死去した新崎盛暉(あらさきもりてる)・元沖縄大学長は生前、取材にこう語っていた。「日米安保の構造そのものが沖縄を差別し、踏み台にして成り立っていることに県民も気付き始めた。沖縄はもう、後戻りできない」
 その思いは、世代を超えて引き継がれている。翁長氏の息子で那覇市議の雄治(たけはる)さん(31)はこう話す。
 「おやじは変わらずにまっすぐ歩いたのだと思う。オール沖縄とは、日本に対してウチナーンチュの心を表すということなんです」
 1995年の少女暴行事件を機に動き出した普天間返還が、最後は県民の代表たる知事の拒絶すら踏みつけて巨大基地建設へ邁進(まいしん)する。その根にあるのは間違いなく日本の意思である。
 ニューヨーク支局勤務時に取材したウォルター・モンデール元駐日大使(90)の証言がそれを裏付ける。95年に基地返還交渉の当事者だった元大使は、米国務省にこう証言している。
 「彼らは、我々を沖縄から追い出したくなかった」
 この発言について、元大使は私に、こう語った。「改善はして欲しいが、基地撤退は望まないと日本の指導者から聞いた。沖縄の基地問題は日本で決めるべき、日本の問題なのです」
 生身の人間として、日本という国家に立ち向かう。その覚悟とは、どんなものなのか。翁長氏が訪米した際、ワシントンで問うたことがある。翁長知事はたった一言、こう答えた。
 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ってね」
 知事在任中の今年8月、翁長氏は膵臓(すいぞう)がんで他界する。享年67。
 死の数日前に本人が後継指名した玉城デニー氏は、翌月の知事選で過去最多の票を得て圧勝した。沖縄とヤマトを隔てる見えない裂け目は、ますます広く、深くなっている。

 ■米軍駐留、一番に望んでいるのは日本 鳩山由紀夫・元首相
 普天間飛行場の「最低でも県外」という公約については、民主党のマニフェストに明記されていなかったものを私が踏み込みました。正確には「沖縄の民意があるなら」という言い方でしたが。沖縄を初めて訪れた時、他の地方とは違う重さを感じ、政治家としてできることはないかと考えたのです。
 加えて、常時駐留なき日米安保、つまり国難の時のみ米軍に協力を求める安全保障条約を以前から考えていました。外国の軍隊に頼り切るのは、真の意味での独立国ではありません。
 居心地がよく、思いやり予算で日本が経費を負担する沖縄の基地は、米軍も手放したくないでしょう。しかし、彼ら以上に「出て行かないで」と考えているのが日本です。少なくとも首相在任中、オバマ大統領から「普天間の移設先を辺野古に決めて欲しい」と直接言われたことは一度もなかった。
 私が辺野古やむなしと考える前提となった「基地の65カイリ以内に訓練場が必要」という米軍のマニュアルは存在しないことが明らかになっています。日本の官僚は偽りのペーパーで私をだました。つまり日本は、自発的に辺野古に新基地を造っているのです。
 首相辞任については、自身の公約を実現できなかったことで身を引くしかないと考えました。米国の圧力で辞めたのではありません。首相に協力せずに米国の意をくんで動く官僚が日本の側にいたからで、外国の圧力に屈するよりも情けない状況だと思います。このことには首相在任中に早く気づかなければいけなかったのですが、当時は早く移設案をまとめることばかり考えていました。反省しています。
 翁長知事には生前、お会いしたことがある。自分は那覇市長になることが夢で、それをすでにかなえたから無欲なんです、と話していた。沖縄のために無欲に尽くすことから、あの信念が生まれているのだと感じました。
     *
 1947年生まれ。自民党を離党し民主党を結党、2009年から翌年まで首相。12年に政界を引退。

 ■私と平成 編集委員・真鍋弘樹(52)
 約20年前から記者として沖縄に関わり続ける間、知り合った多くの人が亡くなった。大田昌秀元知事や辺野古に住む基地反対派のオジイら、国に体を張って向き合った人たちが次々とこの世を去った。
 普天間返還が新基地建設へといつの間にか姿を変え、沖縄の人々は希望と絶望の間を何度も行き来した。国というものが、組織と金と権力の全体重をかけて意思を押し通そうとする時、一人の人生はあまりに短く、もろい。
 米軍基地という異物を、一部の地域に押しつける。そのエゴと偽りを自覚し、自分の体感を広げて、どれだけ我がこととして考えることができるか。沖縄を報じることの意味を、いつも自分に言い聞かせている。これは「沖縄問題」ではなく、日本の問題なのだと。
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バイト先の中庭の紅葉

 寮2の管理代行は原則金曜日なのだが、今週金曜は月末締め日のため寮長寮母さんは休めない。そのため、今週は月曜に代行。

 またいつもの朝日・日経チェック。
 いい記事を見つけました。

 岸本健男・元名護市長、翁長雄志・前・沖縄知事、鳩山由紀夫・元首相の話。
 鳩山さんのは、「今ごろ何ゆうとるんじゃい!」って感じですが、岸本さんと翁長さんの話はしっかり読んでほしいと思う。

 もう「沖縄」の人たちの「人のよさ」に付け込んで、迷惑施設である「米軍基地」を押し付けるのはやめましょう。
 京都も丹後に米軍レーダー基地ができたが、米軍基地がない都道府県が沖縄の米軍基地引き取れよ。

 普天間だけでなく、沖縄のすべての米軍基地を撤去して、なんか困ることあるん?
 どっこも引き取らんにゃったら、京都にもう一つ増やしてもええがな。京都府も京都市も、政権側の知事と市長なんやから。
 役に立たんやっちゃなあ、山田知事と門川市長!

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2018年11月22日(木)

脅迫に屈す [時事]

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香山さんの講演が中止になった京都府と南丹市など主催の子育て応援フェスタのチラシ

◎京都新聞11月22日(木) 20:04配信

   香山リカさん講演中止 「日の丸の服着ていく」市に妨害電話

 京都府南丹市が24日に開催予定だった精神科医・香山リカさんの子育て応援講演会で、催しへの妨害を示唆する予告を受けて講演者を差し替えていたことが22日、分かった。香山さんは京都新聞の取材に「行政が脅しに屈してはならない。前例を作ってしまうことになりかねず、毅然(きぜん)とした態度を示してほしかった」と憤っている。

 子育て講演会は昨年度から同市と府などが主催する「京都丹波子育て応援フェスタ」の一環。香山さんは「子どもの心を豊かにはぐくむために―精神科医からのアドバイス」と題して、同市園部町の市国際交流会館で講演する予定だった。

 市によると、今月15日以降、子育て支援課に香山さんの講演への抗議が電話で5件、来庁で1件あった。「日の丸の服を着て行ってもいいのか」といった匿名の電話のほか、「香山さんをよく思わない人が行くかもしれない。大音量を発する車が来たり、イベント会場で暴力を振るわれ、けが人が出たら大変だろう」と中止を迫る内容もあり、京都府警南丹署に相談した。

 子育て応援フェスタでは香山さんの講演のほかに、子どもの来場が見込まれるものづくり体験や出産や子育ての相談コーナーなどを実施する予定のため、同課は「本来は警備体制をしいてでもやるべきだが、会場の混乱を避けるためにやむを得ず、講師の差し替えを決めた」としている。

 香山さんによると、講演は、育児に悩む母親と向き合ってきた経験をもとに、子育てに自信を持てるよう励ます内容で、「南丹市の母親に会えるのを楽しみにしていた。安全を考えるのは大切だが警備強化など対策も考えられたはず。市から事前に相談はなく、中止に至った具体的な説明もない」と不信感を募らせる。

 代役の講師は、ジャーナリストの石川結貴さんが務める予定。
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 これはあかん。
 これは最低。
 脅迫に屈したら際限がなくなる。

 南丹市は、なんで脅迫に屈してしまったんやろう。
 京都府警南丹署は、「私たちがしっかり守りますから、安心して開催してください」とは言われなかったのだろうか。

 私も京都府民の一人として、本当に恥ずかしい。

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