パオパオだより

2017年10月13日(金)

「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」 [映画]

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◎シネマトゥデイより


■(C) TBSテレビ
 製作年:2017年
 製作国:日本
 日本公開:2017年8月26日 (ユーロスペースほか)
 上映時間:1時間47分
 配給:彩プロ
 カラー(一部モノクロ)/ビスタサイズ/ステレオ

■見どころ:占領下の沖縄で米軍の弾圧にひるむことなく非難の声を上げ続けた政治家の瀬長亀次郎氏の人生をひもとくドキュメンタリー。2016年にテレビ番組「報道の魂」で放送された内容に追加取材や再編集を行い、瀬長氏の闘いを描く。監督は、長年TBSでキャスターを務めてきた佐古忠彦。テーマ音楽を坂本龍一が担当する。

■あらすじ:第2次世界大戦後、米軍統治下の沖縄でアメリカに抗った瀬長亀次郎氏。演説会を開けば何万人もの人々が押し寄せ、祖国への復帰に向けて民衆を先導し、那覇市長選挙で当選する。度重なる弾圧を受けながらも立ち向かい、アメリカを恐れさせた瀬長氏を写真や映像、彼の次女や元沖縄県知事の稲嶺惠一氏らの言葉で紹介する。

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◎琉球新報2001年10月6日

   「私は米軍が一番嫌いだ」/瀬長亀次郎語録

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▽「白、黒で争うべきではない。アメリカは軍用地料を支払え、祖国復帰を勝ち取ろうと叫ぶべきだ。瀬長一人が叫んだなら50メートル先まで聞こえる。ここに集まった人たちが声をそろえて叫べば、全那覇市民まで聞こえる。沖縄の90万人民が声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波を越えてワシントン政府を動かすことができる」(1950年9月13日、沖縄群島知事選挙の立会演説会で)

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▽「瀬長の口を封じることはできても、虐げられた幾百万人の口を封じることはできない。被告瀬長の耳を閉ざすことはできるが、一般大衆の耳を閉ざすことはできない。被告瀬長の目は砕かれ盲目にされても、世界の民衆の目を砕き盲目にすることはできない。被告瀬長を投獄することはできても70万県民を閉じ込めることはできない」(1954年10月18日、人民党事件裁判に第2回公判で不宣誓陳述)

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▽「2時間40分の最終弁論を準備したが、十分間に制限したのは米琉検察官の自信のなさを表している。この裁判は明らかに政治的裁判である。階級裁判であり、植民地裁判である。この裁判が世界の人民に軍事的支配の弱点を暴いた。最終的判決は世界の働く人々によって行われるだろう」(1954年10月21日、人民党事件裁判の最終弁論)
▽「私は11万市民のために市政に精魂を傾け、何一つ悪いことをしていないにもかかわらず、財界や軍の威力をかさに着た24人の議員によって不信任された。私は断固汚辱の市会に解散を命ずる。近く市会議員選挙が行われるが、彼ら24人の中から一人でも当選することがあれば、那覇の街は暗黒に化するであろう」(1957年6月17日、那覇市議会の瀬長市長不信任案可決後、議場で傍聴人に訴え)
▽「基地権力者による私の追放は一応成功したようだが、50日後の市長選挙の結果、再び第二の瀬長が現れ、基地権力者に対する市民の無言の抵抗を示すであろう。不当な圧迫、干渉に対しては四原則貫徹、祖国復帰を掲げた闘争を断固継続することを宣言する」(1957年11月25日、那覇市議会が2度目の市長不信任案を可決した際の弁)

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▽「国政参加は実現したが、日米帝国主義との戦いはこれからだ。佐藤-ニクソン会談はまやかし。沖縄の核を認めた形での返還であり、基地の自由使用を認めたものだ。基地をなくし、アメリカのいない沖縄をつくることが県民の願い。その願いを国会に持ち込み全面返還に努力する」(1970年10月23日、国政参加選挙の第一声)
▽「国会では真っ先に返還協定の内容を明らかにさせ、米軍の撤退、布告布令の廃止、一切の損害補償、基地買い取り、資産買い取りの取りやめを実現させる。アメリカの占領が続き、真の復帰が実現しない限り、人民党は存続する」(1970年11月16日、国政参加選挙の当選の抱負)
▽「私の発言時間は十分に制限された。かつて軍事裁判で私は2年の懲役を受けたが、その際、判事が私の申し開きの時間を十分と制限した。発言を保証し、その時間も均等にすべきだ。各委員の配慮を求める」(1970年12月3日、衆院沖特委)
▽「私は日本共産党が好きだ。常に国民のために節を曲げずにきたからだ。私は米軍が一番嫌いだ。連中はうそばかりついている。沖縄は米軍に支配され、苦しめられてきた。毒ガスを持ち込んだり、核兵器を持ち込んだり、県民の貴い生命を虫けらのように扱ってきた。こんな連中を好きになれといっても無理だ」(1971年、地方選挙応援の全国行脚で)
▽「祖国復帰の原点について述べたい。これは遺骨だ。それは風にさらされ、大地と化している。その母なる大地は何を求めているのか。再び戦場にするな。沖縄を平和の島にして返せ、と叫んでいる。これが原点である。この県民の切なる願いに対し、一国の総理として責任を果たすのか」(1971年12月4日、衆院沖特委で佐藤首相を追及)
▽「沖縄のことわざに『ユクシェ、ジョーヌエーカントゥラン(うそは門を出る前にばれるもの)』というのがある。(略)核を抜けば部隊の任務がなくなる。沖縄にはハブという毒ヘビがいる。これから毒牙を取ったらハブではなくなる。任務がなくなった部隊はどうなるか」(71年12月4日、沖特委で福田外相が「沖縄に核があるとにらんでいるが、返還後は核はなくなる」と答弁したことを追及)
▽「沖縄を再び灰にしようとする米軍と安保条約というマジムン(魔物)、沖縄経済を食い荒らし吸い上げている大企業というマジムン、これらに全面奉仕している自民党というマジムン。このマジムンを日本共産党の躍進で退治しよう」(1984年、県議選の応援演説で)

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 今日は寮2(出町)24時間。

 昨日見た映画のことを思い出していた。
 映画を見て思うことは人それぞれ。
 私はこの映画の中で2つのことを思った。

 1つは、「恐いから攻撃する」ということ。
 トランプさんも金さんも、恐くて恐くてしょうがない人なんでしょうね。ネトウヨと呼ばれる人たちもそうかもしれない。そういう人たちに、この映画を見てほしいなあ。

 もう1つは、「政敵も排除しない」ということ。
 那覇市長職を追い落とされたあとの後継者選びの選挙で、カメジローさんの後継者が当選。しかし、政敵であった人たちにも、「一緒にガジュマルになろう」と呼びかけたそうだ。「排除」が好きな人たちにも、この映画を見てほしいなあ。

 まあ、私の感想はこんなとこです。

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2017年10月12日(木)

次は久米島 [ランニング]

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 去年の手術と癌宣告から一年がたった。
 10月1日の「ラブトライアスロン」は、癌宣告一周年記念(?)として、いい思い出のレースになった。27年ぶりにトライアスロンに出られるなんて・・・。
 ただ、それだけではちょっと不満。やはり、現時点での自分の力を出しつくすレースをしてみたい。

 以前から出てみたかった「久米島マラソン」。名護の比嘉増美さんが、以前から「すごくいいよー」とおっしゃっていた。ところが、この日はずっと「諏訪湖マラソン」の日と重なっていた。それで今まで行くことができなかった。
 ところが今年は10月22日が「久米島」、29日が「諏訪湖」と重ならなかった。それで、真樹と相談して(密談して)申し込みをした。フル・ハーフ・10・5とあるが、二人ともハーフに申し込み。もちろん私は、ハーフの部門優勝狙いです。

 那覇からのツアーも、「沖縄ツーリスト名護支店」に電話して手配してもらった。早くに手配してもらったので、飛行機やホテルも格安。担当のKさん(女性)は、なんと真樹がお世話になった名桜大・大谷ゼミの先輩だった。おもしろいもんですねえ。

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 まずは、「Bike Laboratory」さんにお借りしていた自転車を返しに行った。
 それがちょうど「ますみ・きく」の出勤と重なり、きくは「なんで車に乗せてもらえへんのかなあ」と不思議そうな顔をしていた。

 楠本店長さんからは、先日のおみやげ「明石ぺったん焼」のお礼を言っていただいた。「見たときのインパクトもあったし、食べてもおいしかった」とのこと。本当によかった。
 「娘が来年も出たいと言ってるんで、ロードレーサーを買おうかなと思ってるんですけど、また相談に乗ってください。ちょっと高いのはムリなんですが・・・。」
 「遠慮せず、何でも言ってください。」
 ほんまに遠慮せず、何でも言いますよー。

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 その続きで、京都みなみ会館へ。
 どうしても見たい映画「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」。
 那覇の桜坂劇場では、観客が多くて入れない日もあるらしい。京都みなみ会館も、那覇ほどではないが多くの観客だった。

 最近見た映画の中では、群を抜いていい映画だった。瀬長亀次郎さんの「不屈」にしびれっぱなしだった。この映画一本で、沖縄の「不屈」の現代史がほとんど分かると言っても過言ではない。高校生や中学生にぜひ見てもらいたい映画だ。

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 映画は11時から12時50分。
 そこから店に戻って、ヨメさんときくを乗せて帰りお昼ごはん。遅くなって申し訳なかった。

 こんないい映画、ヨメさんといっしょに見たかったなあ。寮の管理代行のバイトの日を代わってもらっといたらよかった。この映画はもう明日で終わりやし。残念!

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 3時半ころからランスタート。
 「久米島」に向けて、少し長めの距離を走りたい。しかし、「やぶらぶ」の坂で足を使いすぎたので無理は禁物。足の具合と相談しながら走ることにした。

 家から北へ、鞍馬方面に。

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 こちらに来れば必ず寄る「二ノ瀬の猟犬」。
 また、いっぱいいっぱい吠えられた。うれしー。

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 貴船口で3.7km。
 いつもは右に進み、鞍馬寺山門前で折り返す(5.1km)。しかし今日は左に。貴船神社まで行ってみよう。

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 貴船のかかり、「べにや」さんの手前で5km。ここで折り返すと、鞍馬寺山門前と距離が変わらない。足の具合も良さそうなので、もうちょっと奥まで。

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 貴船神社前で5.7km。
 つまり、貴船口からちょうど2km。意外に近い。もっと離れていると思っていた。
 中途半端なので、さらにもうちょっとだけ奥へ。

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 「右源太」前でちょうど6km。ここで折り返し。

 6分13、5分59、6分08、6分12、5分57、6分14で36分46秒。

 休まず続けて下りへ。

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 下りはいい感じ。
 足が笑いだすかと心配だったが、順調に走れている。

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 帰りも「二ノ瀬の猟犬」に吠えられ吠えられ・・・。

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 5分06、4分50、4分59、5分05、4分57、4分57で29分56秒。
 12km、1時間06分43秒。

 「久米島」までに20km走を1回やっておきたかったが、その必要はなさそう。距離は少ないがずっと走り続けてきているので、体調を整えて本番に臨むことだけを考えればいいと思う。

 「久米島」は毎年すごく暑くなるらしい。それがどの程度のものかよく分からないが、目標はキロ5分ペースで1時間45分。これくらいで走れたら優勝も夢ではないと思うのだが・・・。

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※朗報

 fukikoさんのところで「絶賛あまり中」だった銀ちゃんに、里親さんが見つかりました! めでたし、めでたし。
 くわしくは、ブログ「猫と過ごす、こんな一日」へ。→(リンク集の一番下)

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【今日のきく】

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 おとつい、三線の練習をするのん忘れたー。
 今日はやるでー。
 きくちゃん聞いてやー。

 きくは逃げて行ってしまった。

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 今日は「十九の春」と「涙そうそう」も弾いたのになあ。
 迷惑やった?

 また30分でクタクタ。

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2017年10月11日(水)

リベラルとは [時事]

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◎朝日新聞10月9日朝刊

   「リベラル」解釈さまざま 

 最近、「リベラル」という言葉をよく聞く。政党や候補者の理念を指すようだが、解釈は多様だ。衆院選に向けて政党の枠組みが変わる中、有権者にも関わりそうだが、そもそも「リベラル」って何なのか。

   永田町では「護憲派」■仏語では「左派」

 「リベラル新党、よくできたと期待をいただいている。リベラルによって日本が輝いていた時代の日本社会を取り戻す」ログイン前の続き。3日、東京都内で演説した立憲民主党の枝野幸男代表はこう訴えた。小池百合子・東京都知事の希望の党をめぐっては、民進党のリベラル系が排除されたと話題になった。

 リベラルには「個人の自由、個性を重んずるさま。自由主義的」(広辞苑)「政治的に穏健な革新をめざす立場をとるさま」(大辞泉)という意味がある。

 だが、「永田町」で語られるリベラル=表=は「護憲派」といった受け止めが多いものの、厳密な定義はいま一つ定かではない。改憲を掲げる自民にも、「リベラル」を自任する政治家がいる。

 通信社や雑誌向けに執筆する来日20年のフランス人ジャーナリスト、西村・プペ・カリンさん(47)は「日本の『リベラル』は説明が難しい」と話す。フランスで「リベラル」は経済の自由主義を指すため、仏語の記事では日本のリベラルを「左派」と訳すことが多い。編集会議で「使い方に注意を」と話題になった。

 吉田徹・北海道大教授(政治学)によると、冷戦後、個人の自由を大事にすることがリベラルの核心になった。ただ、米国では少数者の権利擁護や女性の避妊、同性愛の是認など自己決定権の強調という文脈で語られ、欧州では市場への国の介入を防ぐという経済的な意味が強いという。

 吉田教授は「護憲派=リベラル」という永田町的な見方について、自民党と社会党が対立した「55年体制の遺産」とみる。冷戦終結後も、改憲と護憲の対立は続いた。90年代に「民主・リベラル新党」結成をめざした社会党が消費者や生活者を大事にする立場からリベラルを使うようになり、革新政党とリベラルが結びついていったという。

 衆院選を前に「リベラル」が飛び交う背景について、「『反戦・脱原発リベラル』はなぜ敗北するのか」(ちくま新書)の著者、浅羽通明さんは「野党は『反安倍』一点張り。有権者をつかむポジティブな政策が結局ないゆえ、リベラルというあいまいで口あたりのいいラベルにすがっているだけだ」と手厳しい。吉田教授は「選挙戦を通じ、『あなたが言うリベラルとは何か』という政治家同士の議論があっていい」と提案する。(清水大輔、仲村和代、田玉恵美)

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 今日は寮1(二条)17時間。 
 またまた、恒例の朝日新聞チェック。

 最近ちまたで飛び交う「リベラル」という言葉。これは希望の党代表の小池百合子東京都知事の「リベラルを排除」発言からはやりだした。
 これから国政を担おうという人が、一部の人間を排除するなどと堂々と言っているのだから恐ろしいことだ。「あなたたちは人間の数に入っていない」と言われているようだ。それは、ヘイト団体の発想と変わらないような・・・。

 話はそれるが、「戦争したいものが戦争に行け」とは絶対に言ってはならない。戦争したい人もしたくない人も、同じ大切な一つの命なんですから。
 誰をも排除しない平和な世の中を作っていくには、左翼と右翼との連帯しかない。これを「混浴(混翼)の論理」という。ひひひ。

 さて、本題。
 以前「リベラル」について調べたことがあった。うろ覚えなのだが、たしか「リベラル」は「リバー」からできた言葉で、川の流れのようにゆるやかに同じ調子で流れていく様から、自由・平等・平和を求める考え方と書かれていたように思う。
 そして、今日また調べなおした。
 すると、「リバー」はriver、「リベラル」はliberalやないですか。全然ちゃう。 
 ついでに「水平な」の「レベル」から来てんのかなと思って調べたら、levelやてー。
 なんじゃらほい。
 人の記憶って、ええかげんなもんですね。(人ではなく、私だけかも・・・。)

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二院クラブに入会したコロムビア・トップ(下村泰)氏(中央)。 (左から)喜屋武真栄、青島幸男、下村泰、野末陳平、市川房枝の各氏=昭和50年6月

 私自身の「リベラル」のイメージは、「革新統一候補」。私が子どものころからぼちぼち広がり、一時は大きな勢力になりかけたが、次第にすぼんでしまった。
 その中でも、沖縄選出の参議院議員・喜屋武真栄氏の印象は強く心に残っている。
 今こんな人が立候補してくれたら、迷わず投票するのになあ・・・。


◎琉球新報1997年7月16日

   喜屋武真栄さん死去

 元沖縄県祖国復帰協議会会長、元沖縄教職員会会長、前参院議員の喜屋武真栄(きゃん・しんえい)氏が16日午前7時12分、慢性腎(じん)不全による肺水腫(しゅ)のため沖縄市の中頭病院で死去した。84歳。北中城村比嘉出身。自宅は北中城村島袋708ノ2。喪主は長男・擴(ひろむ)氏。屋良朝苗氏(初代県知事)と二人三脚で祖国復帰運動に尽力。1970年の国政参加選挙で初当選して以来、5期24年参議院議員を務めた。
 1946年、沖縄民政府設立と同時に文教部視学官。53年に沖縄県の教育振興を目指し屋良氏とともに戦災校舎復興募金のため、半年にわたる全国行脚を成し遂げた。さらに、沖縄教職員会会長として教職員の資質向上に貢献。70年に参院選に初当選。戦後沖縄県の振興開発に尽力、復帰運動に取り組んだ。
 喜屋武氏は1912年、北中城村生まれ。沖縄師範学校卒業。62年、沖縄祖国復帰協議会会長、68年、沖縄教職員会会長、70年の国政参加選挙の参院選で革新統一候補として初当選。82年の知事選に出馬し落選したが、翌83年参院に返り咲いた。89年に5期目当選。95年に引退した。同年県功労者賞を受賞した。
 60年のアイゼンハワー米大統領訪沖の際に、祖国復帰要求県民総決起大会とデモを開催。復帰協の3代目会長を8年間務め、県民大衆をけん引し復帰運動の先頭に立った。
 24年間の議会活動で常に沖縄問題の解決に取り組んできた。「ミスター沖縄」の異名を取り、一貫して反戦平和を訴えた。国会で訴えた「小指の痛みは全身の痛み」の言葉は有名。沖縄問題を象徴する言葉となった。
 喜屋武氏は、引退後、体調を崩し、自宅で療養生活を送っていた。慢性腎不全のため今年6月5日から中頭病院に入院。2週間ほど前に、肺炎を起こし、体力が低下。16日午前7時前に、急激に血圧が下がり、死去した。長男の擴氏らが最期をみとった。

   屋良さんと「二人三脚」/大衆運動をリード

 喜屋武真栄氏は敗戦後の1946年、沖縄民政府設立と同時に、文教部視学官として各地の学校を訪問。戦災の荒廃の中からの教育復興に力を注いだ。53年、後の行政主席(初代県知事)となった屋良朝苗氏(今年2月14日死去)とともに戦災校舎復興募金のため半年にわたって全国行脚。さらに、沖縄教職員会会長として、沖縄教育の資質向上に貢献した。
 教育とともに喜屋武氏は復帰運動にも尽力。1960年に沖縄県祖国復帰協議会会長に就任。屋良氏らとともに復帰運動の先頭に立ち、無条件日本復帰を望む県民の願いをリードした。
 70年の国政選挙で参議院議員に初当選。国会での「小指の痛みは全身の痛み」という喜屋武氏の発言は、日本から切り離され、苦難の戦後史を歩み、復帰を待ち望む沖縄の姿を象徴する言葉として後々まで語り継がれた。喜屋武氏は5期、参議院議員を務め、一貫して沖縄問題の解決に柱に据えた政治活動を続けた。
 喜屋武氏は沖縄空手界でも名をはせた。特にサイと棒術の古武道に秀でていた。「空手は殺すものでなく、生かすものだ」という言葉は人間・喜屋武を表していた。
 95年の引退後は自宅にで療養生活を送っていたが、絶えず新聞記事やニュースを通して、沖縄問題の動向に関心を向けた。2月の屋良氏の葬儀の際には姿を見せ、復帰運動を共に闘った同士の死去を悼んだ。

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【今日のきく】

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 夜12時前に家に帰り、玄関の戸をガラガラ。
 そこにしっぽブンブンのきくちゃん登場。

 遅いけど、ちょっとだけでも散歩に行ったろうと思う。
 公園で興奮して、「ガウガウ」ゆうたのにはまいったけど・・・。

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2017年10月10日(火)

第97回9の日平和ラン [ランニング]

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 昨日9日は出張販売だったので、今日1日遅れの「9の日平和ラン」。

 スタート前に玄関で写真を撮ると、足が長く写った。
 スタイル、ようなったんかなあ。

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 走る前、台所の窓を開けるとかわいいネコちゃんが。

 「そこは、茶トラのお気に入りの場所のやったんやけどなあ・・・。」

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 「追い出したんちゃうやろなー。」
 「わしゃ、知らん。」

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 この無警戒な寝姿が「平和」ってゆうことですね。

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 今日はバス通りのままに走ることにした。
 北稜高校前から消防支所前、幡枝郵便局前を通り地下鉄・国際会館駅前へ。

 国際会館のちょっと手前の自転車屋さん「VIGORE」。
 ロードレーサー欲しいなあ。めっちゃ高いんやろうなあ。

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 叡電・宝が池駅前でちょうど4km。25分26秒。
 ここで折り返し。

 昨日は割とリラックスして走れ、いつもの肩こりはまし。しかし、坂道の上り下りで太ももの筋肉を使いパンパン。それをほぐすような走りになればいいのだが。

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 帰りは行きとは反対側の歩道を走る。
 それだけでだいぶ気分転換になる。

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 帰りの4km、26分05秒。
 これで8km、51分32秒。

 ダウンジョグ1kmプラスで、ピッタリ9km。
 ネコちゃんが安心してぐっすり眠れる平和な世の中が続きますように。がんばらな。

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【今日のきく】

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 私が走ったあとに必ずお散歩があると、きくは思っているみたい。走って帰ってくると、ベッドで寝ていてもガバッと起きてくる。
 そうなると、ちょっとでも行ったらななあと思う。

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 でも帰ってきたらすぐ「おもんなー」攻撃。
 いっぺん、きくが「もう帰らしてー」というくらい長い長い散歩したろかな。

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【追加】

 いつも「京都キャロット」閉店の午後5時に、車でヨメさんを迎えに行っている。今日はちょっとした用事があったので、いつもより早めに店に行った。
 すると珍しいお客様が。私が「癌で死ぬかもしれん」と言っていた時に、これからは「私のために生きて」と言ってくださったかもなす由美さん。

 またその話題になった。
 「パオパオは・・・」と、またなんやかやとほめてくださった。
 私は「感謝も恩返しもしない生き方 」がモットーなので、そのあとかもなす由美さんのために生きたかどうか・・・。でも、その言葉にビリビリと来たことはまちがいない。

 そのあと、別の人にも同じようなことを言われた。ありがたい、ありがたい。
 もうちょっと生きてていいんですね。

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2017年10月09日(月)

第11回やぶらぶマラソン [ランニング・出張販売]

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 「京都キャロット」の出張販売としては大惨敗。
 10km45分切りをめざした私は今一歩の結果。

 しかし、大きな成果がありました。
 私が勝手に申し込んでいた、ヨメさんの3kmジョギング。いつもなら、「相談もせんと勝手に申し込んだもんなんか出るか―」と一喝されるのに、「私もたまには走らんとあかんな」と。

 「京都キャロットは、走りもせんと口から出まかせを言うランニングショップとはちょっとちがう」がヨメさんの口癖。雑用係である私は、おつりがくるくらい走りまくり、レースにも出まくっている。しかし、眞寿美店長はここ数年は勉強が忙しくあまり走れていない。

 少し暑かったが気持ちいい天気で、順位など気にしなくていい気軽なジョギングの部だったので「出てみよう」という気になったようだ。

 きつい坂が大変だったみたいだが、元気に帰ってきた。走ってみて初めて分かること感じることもあるし、時にはハプニングにも出くわす。
 やっぱり口だけじゃなく、レースにも参加しないとね。
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 4時前に起き、4時10分自宅出発。
 7時までに会場入りしなくてはならないので、逆算してこの出発時刻になった。
 もちろんまだ真っ暗で、きくも寝たままだったので無理に起こさなかった。きくのためにもできるだけ早く帰って来なければ。

 市内は赤信号に引っかかりまくり、意外と時間がかかった。 
 沓掛ICから京都縦貫道へ。
 亀岡に入るとすごい霧。天気が良くなる朝は霧がすごいと聞いてはいたが、高速道でスピードが出せないくらいの視界。これには参った。

 千代川ICから出て、篠山経由で南丹篠山口ICへ。あとは舞鶴若狭道と北近畿豊岡道の無料区間を経て八鹿氷ノ山ICまで。大会会場はそこからすぐ。

 有料トンネルの料金も入れ、全部で1500円ほど。家から140kmあったので3時間近くかかると思っていたが、2時間10分で到着。余裕を持って出店準備ができた。

 それにしてもずっと霧が出たまま。空も曇っていたので、「ほんまにええ天気になるんかいな」と疑っていた。

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 8時から全天候運動場で受付。
 受付にたくさん並ばれていたので、たくさん出場されるのだと思っていた。ところがプログラムで確認すると、ハーフ135名、10km91名、5km52名、あとは小学生とジョギング。
 この参加者数では、出張販売は苦しい。

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 受付場所から出店場所が離れていて、お客様が来にくかったかもしれない。

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 バッチリ準備ができ、その割にお客様が全然なので、気兼ねなくアップジョグに行かせてもらった。キッツイ坂を見とかなくては。

 もうこのころには空は晴れ渡り、グングン気温が上がって行った。

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 下に見える平地。
 「2km過ぎであこまで下りて、平地を6km走ってまた2km上ってゴールなんやなあ。」

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 2km過ぎ(帰りの8km手前)の給水所係の役員さんと少ししゃべって折り返し。
 この先はほとんどアップダウンがないらしい。案外、この先の平地6kmが勝負の分かれ目かも・・・。

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 4.5kmほど走って戻ってくると、ハーフに出場される選手が集合していた。
 ヨメさんに聞くと、私がアップに行っている間もお客様はなかったそうだ。
 こりゃいかん!

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 9時30分、ハーフの部がスタート。
 広い道路を130人ほどなので、もったいないくらい。なんで、もっと参加者が増えんかなあ。

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 私の10kmは、9時45分スタート。

 養父市イメージキャラクター・やっぷ―とツーショット。

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 ますみちゃんともツーショット。

※「やっぷー」
 養父市の新しいイメージキャラクターとして、やぶ市観光協会との協働により平成22年に誕生しました。
 養父市の旧4町の特色を表現し誕生した『やっぷー』が、自然の豊かさやまちの暖かさ、ひとびとの優しさ等養父市の魅力を伝えながら、小さな子どもたちから大人までに夢や癒しを与えていきます。
 原作者(養父市在住の女性)の説明:『やぶに掛けて名前は「やっぷー」にしました。全体的には自然の緑の豊かさを表すグリーンにまとめ、頭のとんがりは「氷ノ山」、マフラーからは「天滝」の水の流れを、そして手足の緑で「妙見杉」を表せるようイメージして描きました。』

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 スタートの写真をヨメさんに頼んでおいた。

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 おう、なんてこったい!
 ヨメさんの目の前を通ったのに、「このハゲー」写真しか撮れていなかった。

 さて、レースは・・・。

 スタートして100mほどで長い下りに。
 何人かが私の前にいたが、ブーンと飛ばすランナーはいない。しびれを切らした私は、500m地点あたりからトップに躍り出た。そこから1.5km地点あたりまでトップ。先導バイクのすぐ後ろを、風を切って走る気持ちよさ。ここの写真を撮ってほしかったなあ。

 1km 3分31秒
 2km 7分07秒(3分35秒)

 下り2kmの目標が8分だったので、でき過ぎ。下りなら、まだこれくらいで走れる力が残ってたんですね。

 2km過ぎから平地。
 下りでだいぶ離したはずなので、すぐに抜かれることはないと思っていたのに、60歳以上と思われるランナーに続けて3人抜かれた。おかしい。

 4kmあたりから川沿いの道。
 5kmまでは4位のまま。

 3km 11分22秒(4分14秒)
 4km 16分01秒(4分39秒)
 5km 20分23秒(4分32秒)
 6km 24分59秒(4分25秒)
 7km 29分30秒(4分31秒)
 8km 34分28秒(4分58秒)

 平地6kmは27分21秒。
 やっぱりここが弱かった。目標は26分ですから。
 5kmすぎに1人抜かれて5位。
 そのままきつい最後の上り坂へ。ここで抜かれると、6位以内入賞も危うくなる。最後の力を振り絞れ。

 9km 40分16秒(5分47秒)
10km 45分53秒(5分36秒)

 最後の2kmは11分25秒。目標が11分だったので、まあまあ。

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 ヨメさんがゴール前の写真も撮ってくれた。
 トップのランナーが帰ってきたときからずっと待ってくれていたらしい。ありがたい、ありがたい。

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 坂を上り切って、ちょっとだけ下がって、全天候運動場の裏を回ってゴール。

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 下り2kmはでき過ぎ、平地6kmダメダメ、上り2kmはがんばった。
 45分53秒、60歳以上男子の部第5位。
 満足な結果ではないが、メリハリがあるおもしろいコースが走れたのは満足。

 帰って来てひと言。
 「コースにヘビが2ひきもひかれとったわ。」
 「それって、夫婦ちゃう?」とヨメさん。
 「いやいや、全然ちがう場所やし。」
 ゴール後の会話としては、なんか変。

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 これは、私のゴール直前にスタートした小学生2kmの部。
 「みんなガチですごい」とヨメさんが言っていた。

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 さあ、ヨメさんの3kmジョギング。
 スタートを撮ろうと思ったら、入賞者表彰の呼び出しアナウンス。仕方ないので、スタート3分前の元気な姿を撮っておいた。
 今日は、ゼッケンベルトに抽選券2枚をぶら下げて。なんのアピールなんでしょう。

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 表彰式が終わって外に出ると、坂を駆け上がるランナーの姿が見えた。
 「あっ、あの帽子はますみちゃん・・・。」
 見つけても声が出ない。手術のあと、人を大声で呼ぶことはできなくなってしまった。

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 「28分くらいかかる」と言っていたが。残り500mの所に18分くらいで帰ってきた。

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 歩かず、ちゃんと走ってるやん。

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 全天候運動場に入り、残りは直線50m。

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 そこに突然現れし・・・、刺客か!

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 「あわわわわ・・・。」

 ゴールテープ直前で追い抜かれるって、たとえジョギングでも悔しいもんです。
 ヨメさんも「やるなー」と、その刺客にひと声かけたらしい。
 よかったやん。レースに出てこそのこんなシーン。なかなか味わえへんで―。

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 ハズレなしの抽選会。
 ヨメさんの二人前のランナーがお肉を当ててはった。次のランナーがすかさず「まだお肉は残ってますか」と聞いておられた。「ありますよー」との答えで、ヨメさんも俄然やる気満々。

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 私の分とで二人分の抽選。
 里いもとタオルが当たり。
 ジョギングの部は、参加費500円で同じように抽選にも参加できるのですごくお得。その割には参加者が少なかった。なんででしょう。

 きつい坂がある以外は、至れり尽くせりの大会。それなのに参加者が極端に少ないのが納得できなかった。もちろん「京都キャロット」は大赤字。

 まあ今日は、夫婦そろって気持ちよく走れたということで良しとしましょうか。

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 よもぎ餅や豚汁を買って、軽く腹ごしらえをしてから後片付け。
 ほとんど何も売れていないので、その後片付けもあっという間にできた。
 午後1時過ぎに会場出発。

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 帰りは、道の駅・但馬のまほろばで昼食。
 私は天丼(650円)。

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 ヨメさんは、岩津ネギ入りラーメン(650円)。

 食べ終わったら家へ直行。
 やっぱり帰りは何か所かで渋滞があり、3時間以上かかってしまった。

 5時すぎに家に到着。
 昨日の夜から散歩に行っていないきくが心配。
 玄関を開け、「きくちゃん、きくちゃん」と呼んでもなかなか出て来ない。しばらくすると眠たそうな顔をしてもそもそと出てきて。たぶんずっと寝てたんでしょうね。
 きくに何事もなくて、よかった。

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【今日のきく】

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 きくにさびしい思いをさせたので、久しぶりの2人ひきのお散歩。
 きくは、しっぽピーンで大喜び。

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 途中でオバサンの「ガウガウごっこ」サービス。

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 でも、きくはオバサンがこわいから心から遊ぶことができない。
 うれしいような、そうでもないような・・・。

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2017年10月08日(日)

明日は超早起き [ランニング・出張販売]

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 家の庭でとれた柿を食らう。
 甘柿なので、とってすぐ食べられる。今年はカラス除けのネットをしたので、まだまだ食べられる。あと40個くらいはありそう。

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 明日は4時に起きて、「やぶらぶマラソン」へ。
 初めて行かせてもらう大会なので、どの程度売れるのか見当もつかない。そのため、経費節約で日帰りの出張販売となる。

 先週の「ラブトライアスロン」参加のため、キャラバンに積んであった商品を全部おろした。今日は一から積み込み。在庫管理も兼ねて積み込んだので、午後3時ころからまるまる3時間かかった。

 大会で販売させてもらうには、たいていこちらから交渉しなければならない。ところがこの大会は、去年、主催者さんのほうから「どうですか」と声をかけてくださった。
 去年の今ごろ、私はちょうど甲状腺摘出手術のために入院中。そんなこともあって、今年はこちらからお電話させていただいた。

 商売上の損得だけでなく、こうして暖かく迎えてくださる大会はできるだけ行かせてもらわないとね。

 私も、去年10月4日の第一手術より1年が過ぎた。
 そのあと、第二手術、アイソトープ治療と続いたが、今も元気に走れてるじゃないですか。手術前と同じとは言えないにしても、癌患者でも「入賞狙い」。

 明日は(と言うか、いつもそうなんですが)販売はヨメさんに任し、私はジェットコースターコースを克服し、入賞を狙います。

 はよ、寝な。

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【今日のきく】

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 寝る前にきく散歩。
 超短い、団地半周コース。

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 団地の真ん中にある大きな公園に寄って、いっぷく。

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 そしたら、突然ガウガウごっこが始まった。
 今日は何かしんぼうしてたのかなあ。

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