パオパオだより

2017年10月11日(水)

リベラルとは [時事]

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◎朝日新聞10月9日朝刊

   「リベラル」解釈さまざま 

 最近、「リベラル」という言葉をよく聞く。政党や候補者の理念を指すようだが、解釈は多様だ。衆院選に向けて政党の枠組みが変わる中、有権者にも関わりそうだが、そもそも「リベラル」って何なのか。

   永田町では「護憲派」■仏語では「左派」

 「リベラル新党、よくできたと期待をいただいている。リベラルによって日本が輝いていた時代の日本社会を取り戻す」ログイン前の続き。3日、東京都内で演説した立憲民主党の枝野幸男代表はこう訴えた。小池百合子・東京都知事の希望の党をめぐっては、民進党のリベラル系が排除されたと話題になった。

 リベラルには「個人の自由、個性を重んずるさま。自由主義的」(広辞苑)「政治的に穏健な革新をめざす立場をとるさま」(大辞泉)という意味がある。

 だが、「永田町」で語られるリベラル=表=は「護憲派」といった受け止めが多いものの、厳密な定義はいま一つ定かではない。改憲を掲げる自民にも、「リベラル」を自任する政治家がいる。

 通信社や雑誌向けに執筆する来日20年のフランス人ジャーナリスト、西村・プペ・カリンさん(47)は「日本の『リベラル』は説明が難しい」と話す。フランスで「リベラル」は経済の自由主義を指すため、仏語の記事では日本のリベラルを「左派」と訳すことが多い。編集会議で「使い方に注意を」と話題になった。

 吉田徹・北海道大教授(政治学)によると、冷戦後、個人の自由を大事にすることがリベラルの核心になった。ただ、米国では少数者の権利擁護や女性の避妊、同性愛の是認など自己決定権の強調という文脈で語られ、欧州では市場への国の介入を防ぐという経済的な意味が強いという。

 吉田教授は「護憲派=リベラル」という永田町的な見方について、自民党と社会党が対立した「55年体制の遺産」とみる。冷戦終結後も、改憲と護憲の対立は続いた。90年代に「民主・リベラル新党」結成をめざした社会党が消費者や生活者を大事にする立場からリベラルを使うようになり、革新政党とリベラルが結びついていったという。

 衆院選を前に「リベラル」が飛び交う背景について、「『反戦・脱原発リベラル』はなぜ敗北するのか」(ちくま新書)の著者、浅羽通明さんは「野党は『反安倍』一点張り。有権者をつかむポジティブな政策が結局ないゆえ、リベラルというあいまいで口あたりのいいラベルにすがっているだけだ」と手厳しい。吉田教授は「選挙戦を通じ、『あなたが言うリベラルとは何か』という政治家同士の議論があっていい」と提案する。(清水大輔、仲村和代、田玉恵美)

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 今日は寮1(二条)17時間。 
 またまた、恒例の朝日新聞チェック。

 最近ちまたで飛び交う「リベラル」という言葉。これは希望の党代表の小池百合子東京都知事の「リベラルを排除」発言からはやりだした。
 これから国政を担おうという人が、一部の人間を排除するなどと堂々と言っているのだから恐ろしいことだ。「あなたたちは人間の数に入っていない」と言われているようだ。それは、ヘイト団体の発想と変わらないような・・・。

 話はそれるが、「戦争したいものが戦争に行け」とは絶対に言ってはならない。戦争したい人もしたくない人も、同じ大切な一つの命なんですから。
 誰をも排除しない平和な世の中を作っていくには、左翼と右翼との連帯しかない。これを「混浴(混翼)の論理」という。ひひひ。

 さて、本題。
 以前「リベラル」について調べたことがあった。うろ覚えなのだが、たしか「リベラル」は「リバー」からできた言葉で、川の流れのようにゆるやかに同じ調子で流れていく様から、自由・平等・平和を求める考え方と書かれていたように思う。
 そして、今日また調べなおした。
 すると、「リバー」はriver、「リベラル」はliberalやないですか。全然ちゃう。 
 ついでに「水平な」の「レベル」から来てんのかなと思って調べたら、levelやてー。
 なんじゃらほい。
 人の記憶って、ええかげんなもんですね。(人ではなく、私だけかも・・・。)

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二院クラブに入会したコロムビア・トップ(下村泰)氏(中央)。 (左から)喜屋武真栄、青島幸男、下村泰、野末陳平、市川房枝の各氏=昭和50年6月

 私自身の「リベラル」のイメージは、「革新統一候補」。私が子どものころからぼちぼち広がり、一時は大きな勢力になりかけたが、次第にすぼんでしまった。
 その中でも、沖縄選出の参議院議員・喜屋武真栄氏の印象は強く心に残っている。
 今こんな人が立候補してくれたら、迷わず投票するのになあ・・・。


◎琉球新報1997年7月16日

   喜屋武真栄さん死去

 元沖縄県祖国復帰協議会会長、元沖縄教職員会会長、前参院議員の喜屋武真栄(きゃん・しんえい)氏が16日午前7時12分、慢性腎(じん)不全による肺水腫(しゅ)のため沖縄市の中頭病院で死去した。84歳。北中城村比嘉出身。自宅は北中城村島袋708ノ2。喪主は長男・擴(ひろむ)氏。屋良朝苗氏(初代県知事)と二人三脚で祖国復帰運動に尽力。1970年の国政参加選挙で初当選して以来、5期24年参議院議員を務めた。
 1946年、沖縄民政府設立と同時に文教部視学官。53年に沖縄県の教育振興を目指し屋良氏とともに戦災校舎復興募金のため、半年にわたる全国行脚を成し遂げた。さらに、沖縄教職員会会長として教職員の資質向上に貢献。70年に参院選に初当選。戦後沖縄県の振興開発に尽力、復帰運動に取り組んだ。
 喜屋武氏は1912年、北中城村生まれ。沖縄師範学校卒業。62年、沖縄祖国復帰協議会会長、68年、沖縄教職員会会長、70年の国政参加選挙の参院選で革新統一候補として初当選。82年の知事選に出馬し落選したが、翌83年参院に返り咲いた。89年に5期目当選。95年に引退した。同年県功労者賞を受賞した。
 60年のアイゼンハワー米大統領訪沖の際に、祖国復帰要求県民総決起大会とデモを開催。復帰協の3代目会長を8年間務め、県民大衆をけん引し復帰運動の先頭に立った。
 24年間の議会活動で常に沖縄問題の解決に取り組んできた。「ミスター沖縄」の異名を取り、一貫して反戦平和を訴えた。国会で訴えた「小指の痛みは全身の痛み」の言葉は有名。沖縄問題を象徴する言葉となった。
 喜屋武氏は、引退後、体調を崩し、自宅で療養生活を送っていた。慢性腎不全のため今年6月5日から中頭病院に入院。2週間ほど前に、肺炎を起こし、体力が低下。16日午前7時前に、急激に血圧が下がり、死去した。長男の擴氏らが最期をみとった。

   屋良さんと「二人三脚」/大衆運動をリード

 喜屋武真栄氏は敗戦後の1946年、沖縄民政府設立と同時に、文教部視学官として各地の学校を訪問。戦災の荒廃の中からの教育復興に力を注いだ。53年、後の行政主席(初代県知事)となった屋良朝苗氏(今年2月14日死去)とともに戦災校舎復興募金のため半年にわたって全国行脚。さらに、沖縄教職員会会長として、沖縄教育の資質向上に貢献した。
 教育とともに喜屋武氏は復帰運動にも尽力。1960年に沖縄県祖国復帰協議会会長に就任。屋良氏らとともに復帰運動の先頭に立ち、無条件日本復帰を望む県民の願いをリードした。
 70年の国政選挙で参議院議員に初当選。国会での「小指の痛みは全身の痛み」という喜屋武氏の発言は、日本から切り離され、苦難の戦後史を歩み、復帰を待ち望む沖縄の姿を象徴する言葉として後々まで語り継がれた。喜屋武氏は5期、参議院議員を務め、一貫して沖縄問題の解決に柱に据えた政治活動を続けた。
 喜屋武氏は沖縄空手界でも名をはせた。特にサイと棒術の古武道に秀でていた。「空手は殺すものでなく、生かすものだ」という言葉は人間・喜屋武を表していた。
 95年の引退後は自宅にで療養生活を送っていたが、絶えず新聞記事やニュースを通して、沖縄問題の動向に関心を向けた。2月の屋良氏の葬儀の際には姿を見せ、復帰運動を共に闘った同士の死去を悼んだ。

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【今日のきく】

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 夜12時前に家に帰り、玄関の戸をガラガラ。
 そこにしっぽブンブンのきくちゃん登場。

 遅いけど、ちょっとだけでも散歩に行ったろうと思う。
 公園で興奮して、「ガウガウ」ゆうたのにはまいったけど・・・。

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