2014年11月14日(金)
ザンの海に生かされた [時事]
◎京都新聞11月14日夕刊(沖縄タイムス11月4日の記事を転載)
豊かな海「命の恩人」
辺野古の89歳女性 米軍キャンプ建設前語る
米軍キャンプ・シュワブが造られて57年、普天間飛行場の移設計画が浮上して18年。昔語りを聞きながら、基地建設に覆われる前の辺野古を知りたいと思った。
16日に投開票を迎える沖縄県知事選。名護市辺野古で生まれ育った島袋エイさん(89)の自宅を訪ねた。
(沖縄タイムス・矢島大輔)
あれは7歳のころ、浜に生える大きな松の木に登り海面を眺めると、なめらかな曲線をした大きな生き物が横切った。
イルカではない。「ザンじやないかぁ」。漁師の父に尋ねると、事もなげにそう言った。ジュゴンが食べる海藻を地では「ザン草」と呼び、当時は畑の肥料にするほど身近な存在だった。
「あの海はよお、見た人としか話せないよお」。名護市辺野古で生まれ育った鼻袋エイさん(89)は言う。
生粋の「辺野古人」。1957年に米軍キャンプ・シュワブが建設される前の「原風景」を知る数少ない一人だ。半農半漁の貧しい生活ながら、夫と共に戦後9人の子どもを育て上げた。「それは海のおかげさあね」
海は命の恩人さぁね。波の音は子守歌だったんだよぉ。エイさんの昔語りが始まった。しわが刻まれた足裏には豊かな海辺の記憶が残る。
海沿いのかやぶき屋根の家で生まれ育った。父はサバニ漁師。母は畑仕事をするとき、赤ん坊のエイさんを浜に生えるアダンの葉影で寝かせていた。
ある日、授乳に向かうと、娘の体が熱い。意識を失い、呼吸が聞きとれなくなっていた。駆け付けた助産師が海に流れ込む清流に浸すと、途端に行きを吹き返したという。物心付いてから聞かされたエイさんはしみじみ言う。
「このころから、海に生かされていたんだねぇ」
24歳のころ。漁師の久一さんと結婚し、夫のいさり火漁に同行した。暗闇の中、星座の方角でタコの穴を見つけ、モリで刺す。ロマンチックな夜だった。「新婚気分だったからねえ」と、恥ずかしそうに言う。
干潮時にははだしで浅瀬を歩き、漁をした。砂浜に潜むヒラメに足を滑らせた。天然の真珠貝が雨後のたけのこのようにずらりと生え並んでいたこともあった。
「ボケてないよぉ、ホントだよぉ」とズボンの裾を上げ、自宅の畳の上で砂を足でかき分けるしぐさをした。
戦後9人の子どもを育てたが、重さ数十キロの海の幸を名護の市場で売り、別の食料や衣類を買って帰れば事足りた。「辺野古ではいくら子どもを産んでも食うには困らない」との母の言葉は本当だった。
32歳のころ、米軍キャンプ・シュワブができた。基地から出る廃品のリサイクル業で生活は安定した。一方、思い出の松の大木や命を救ってくれた清流は姿を消した。海辺は立ち入り禁止になり上陸演習で水陸両用車が走る。フェンス越しに時々眺めるだけになった。
80歳を過ぎ、地元住民向けの基地開放日に海辺を歩いた。白かった砂は泥のように濁り、油の匂いが鼻を突いた。
宣伝カーが行き交う夕暮れ。自宅の軒先で洗濯物を畳みながら始まった昔語りは3時間に及んだ。
あのころの海を語れる人はもう自分だけのような気がする。「案内できればよかったんだけどねぇ」。坂道を歩くのが難しくなった右足をさする。
昨年、92歳で久一さんが亡くなり、1人暮らし。記者移設問題にふれると、「あれが終わるまでは生きたいねえ」と言った。先ほどまでの生き生きとした表情が、少しだけ曇った。
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「途絶えた息が清流に浸すと吹き返した」というとこがいいです。
「白かった砂は泥のように濁り、油の匂いが鼻を突いた」は悲しい。
米軍基地がどうしても必要なら、京都に造ってもらったら・・・。
あっ、丹後にXバンドレーダー基地ができるんやった。その分、沖縄の基地を減らしてもらえへんもんやろか。
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【今日のきく】
またまた店で大暴れ。
「ふんふんふぁんふぁんひーひー・・・」
きくの大事なお仕事、眞寿美さんの警護をはや引き。
そしたら、大○ッコと大○ンコ。
しんぼうして、それで暴れてたんかなあ。
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【RUN】
今日も、廉は午前中練習に行っていた。
私は今日もいつもの5km。25分59秒。
昨日よりだいぶ速く走れて気持ちよかった。
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2014年11月13日(木)
「謎」の夫婦 [雑感]
「ますみちゃん、有田さんがなあ、ブログにうちのこと『謎』の夫婦って書いてはったわー。」
「そうやろなー。」
「なにが『謎』なんやろなあ。」
「いっしょに住んでることちゃう。」
「なんでやねーん。『奥さんがエライとしか言いようがない』とも書いてはったで。」
「そうやろなあ・・・。」
また有田さんネタの続きです。
有田さんはaritaxの名で「今日も”LOOKING GOOD!”」というブログを書いておられる。その中の「2014あいの土山マラソン 前半」の記事中にこんな下りがある。
◇
阿部さんから京都キャロットが出店しているよと聞いたので、おっ、藤井さんに会える!阿部さんとお別れして会いに行きました。
いました、いました!いつものようにビミョーな距離感で二人が写真に納まってくれました。私にとっては永遠に「謎」の夫婦です。奥さんがエライとしか言いようがない。
◇
「謎」の夫婦なんて言われたら、なんかかっこいいような・・・(ちがうか!)
「奥さんがエライとしか言いようがない」ということは、「オッサンがアホすぎて笑うしかない」という意味も含まれているんでしょうかねえ。
ヨメさんが言うように、「世間体的に夫婦の体(てい)を保っていること」が「謎」なんでしょうか。うーん、もう「謎」の夫婦を極めていくしかないっすかねえ・・・。
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【RUN】
やっと廉が本格的な練習をし始めた。ちょっと遅いような気もするが、「量より質」。自分の力を信じて、大会当日に最大限の力が出せるよう努力してほしい。
昨日の午後から今日の午後にかけて、また24時間の寮の管理代行のバイト。宿直明けで体は重いが、「廉が練習がんばってる」と思いながらちょっとでも走ることにした。
いつもの5km、30分44秒。
京都学生駅伝の前の週にある「瀬戸内海タートルマラソン」の10kmでがんばって、廉の活躍につなげていこうと思っていたのに・・・。定員オーバーで参加費が返ってきた。
これで当分レースはなし。本命レースを設定し直さなくては・・・。
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2014年11月12日(水)
京都学生駅伝6区試走 [ランニング]
一昨日、廉を車に乗せて距離の確認。
昨日は、廉が試走。
今日は、私がGPS腕時計をつけて走ってみることにした。
今年走る学生はいいとして、応援に出られる予定のご家族やこの先走る可能性がある高校陸上部員の参考になれば・・・。(かなりマニアック!)
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【スタート】
6区がスタートする第5中継所は、鴨川の庄田橋。
と言っても、京都の人でも知らない人が多い。御薗橋から上流へ、西賀茂橋、通学橋、志久呂(しくろ)橋、その次が庄田橋。
夏に水遊びやバーベキューでにぎわう柊野ダムの前、と言ったほうが分かってもらえるかも。
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【1km】
京都バス「上賀茂西河原町」バス停のちょっと手前。現在、マンションか何かの建設中のところ。
この先の西賀茂橋の脇から鴨川河川敷に下りるはず。
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【2km】
御薗橋手前100m。
右手にある黒い柵を越えたあたり。
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上賀茂橋から上の車道に出る道が分からなかったが、たぶん橋を通り過ぎてスロープを上がるのだろう。これで、こないだ車で測った時より3km以降が少し手前になる。
【3km】
「スーパーなかむら」前交差点。
練習では、この信号がじゃま。今回はたまたま青だったので、すっと渡れた。
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【4km】
この区間で一番目標物のない地点。
一応「林さん宅前」ということで・・・。
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本当はきつね坂の自動車専用道を走るのだが、練習では下の道+階段。これで、多少は距離が狂うかもしれない。
廉にとっては、小6で走った「大文字駅伝4区」以来11年ぶりのきつね坂。真冬に二人で何回も練習しに行ったなあ。ああ、なつかし。
【5km】
宝ヶ池トンネル100m手前。
トンネル内はGPSが効かないが、出たとたんに補正。今のGPS腕時計のほとんどにこの機能がついているようだ。
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【6km】
カーショップ「童夢」前。
この先の信号は待ち時間が長く、いったん時計を止めた。練習では、ここが最大のネックになりそう。
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【7km】
ここも目標物がない。
一条山前の交差点を越え、右手に茶色のアパートが見えるところ。
ここらあたりから徐々に上っていく。力を残しておかないと2km続くのぼりはつらい。
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【8km】
右手に学生アパートが見える三叉路手前。
ここまで来ると、あとわずか1.2km。パワー全開にする地点かな。
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【9km】
「京都キャロット」を通り過ぎ、京都産業大学正門前へ。
そのちょっと手前で9km。
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【ゴール】
左折して、「京都産業大学前」バス停(エスカレーター前?)がゴール。
どうか最下位ではありませんように!
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私の腕時計で、9.18km。
きつね坂の自動車道を走っていたら、ちょうど9.2kmだったかも。
ちなみに、私は49分54秒。真剣に走ったら、38分くらいかな。
家から庄田橋までの約3kmがアップ、京産大から家までの1kmがダウンで、今日は合計13.2km。ちょうどいい量の練習になった。このコース、また走ろうっと。
家に戻ると、きくがビロビロ。
「廉のふとんに毛つけたらあかんでー。くしゃみばっかりで、体調悪なるから。12月7日は、きくも応援に出るんやでー。」
「むにゃむにゃむにゃ・・・。」
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2014年11月11日(火)
入れ歯よ、さらば [雑感]
「この歳になったらね、もう食べることくらいしか楽しみがありませんねん。」
私より年上の人はたいてい「ふんふん」とうなづき、年下の人はたいてい「はあー?」という感じ。来月で59歳になる私は、ちょうどいい境目にいるんでしょうね。
60歳が「還暦」とはよう考えたもんです。体自体は昔の60歳よりはずっと元気だろうが、精神的には今のほうがあかんような気がする。
噛み砕きすりつぶす役目の歯は左右で8本。最初に奥歯を抜いたのはずいぶん前。そこから順々になくなって行って、その8本が全滅したのは最近。
前に作ってもらった入れ歯は痛くて使っていなかった。そこで、入れ歯とインプラントの中間のようなものを宣伝している歯医者さんがあった。それなら痛くもなく費用もそんなに高くないので、お話を聞きに行った。
「1日3食、1年で1000回以上。藤井さんはまだ若いから、それがあと20年30年と続きます。その食事の回数から考えれば、しっかりとしたインプラントにされたほうがいいと思いますが・・・。ゆっくりと考えてみてください。」
そらお金さえあったらそうしたいわいな。前にお世話になっていた歯医者さんでは「インプラントは1本40万円」と言われていた。私は8本欠損なので、320万円かーい。高級外車が買えるやないかーい。そんなお金、もちろんどこにもない。
それですっかりあきらめていたのだが、「左右ともそれぞれ、思っておられる2本分以下の料金で作る方法がある」と説明していただいた。しかし、それでも莫大なお金が必要だ。
私は独身時代にはまったく貯金がなかった。しかし35歳で教師を辞めてから、「横川牛乳店」というところでバイトをした分をチョビチョビ貯めていた。廉が生まれる前から始めて、廉が中学を卒業していなかを出るまで続けたので15年。チョビチョビでも定期預金にしていたので、今までおろさずけっこうたまっていた。それを解約してもまだちょっと足らんが、歯医者さんが言われた「あと何回食事をするか考えてみてください」という言葉で決意した。(あと20年30年生きるとは言わないが、東京五輪までの6年でも6000回の食事。)
そして、7月31日に右側を手術。途中いろいろとあったが、今日やっとプラスチックの仮歯が入った。今お世話になっている歯医者さんは、「何でも遠慮せず言ってください」とおっしゃってくださる。口の中のことは説明しにくいのだが、それでも何回も何回も聞いてくださった。
「できることは全部やります。でも、できないことはできないとはっきり言います。」これは心強い言葉だった。
晩ごはんを食べてもいいということで、何年ぶりかの奥歯でかみかみ。やっぱりインプラントは、入れ歯ガタガタモゴモゴとはちゃうねー。ええねー。
これでひと段落。12月からは左側にかかる。
今のところ、すごくうまくいっているように思う。費用も高いことは高いが、今後の食事回数を考えると安いと言ってもいいのかもしれない。
もうこれで、ヨメさんから「前歯でチョロチョロかんで気持ちわるー」とか言われんですむ。いやいや、なにより物がしっかりかめる。うれしい!
あとは「高額医療費なんちゃら」で、ちょっとでもお金が返ってきたらいいんやけど・・・。
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【今日のきく】
昨日、ヨメさんにしかられてガックリきているきく。
「うれしくなって、ちょっとワンワンゆうただけやのにー。」
今日はすごく穏やかな表情。
かわいいたらありゃしない。
そうそう、長野の走友・いりえゆかさんが私のリクエストに応えてくださって、ブログ「ラスティックなひとりごと」の過去の名作を探してきてくださった。2007年9月の愛犬ろぐちゃんのことを書かれた記事「白アサガオの君」(リンク集から、どうぞ→)。
その記事だけを読むと「ふーん」という感じかもしれないが、前後の事情をあわせて読むと泣けてくる名作です。
このときはまだいりえゆかさんと知り合う前で、そのあと亡くなったろぐちゃんとも会うことはできなかった。ろぐちゃんに抱きついてみたかったなあ。
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2014年11月10日(月)
京都学生駅伝に向けて [陸上競技]
91回目の「箱根駅伝」につぎ、学生駅伝では日本で2番目に歴史のある「京都学生駅伝」。今年で第81回目を向かえる。
その「京都学生駅伝」は、大学入学後に陸上部に入部し長距離に取り組み始めた廉の一つの目標だった。京都府立大学陸上競技部は、廉の上に長距離パートがおらず、1年のときは1年3名のみ。その後も長距離パートは増えず、「京都学生駅伝」のエントリーに必要な最低6名をクリアすることはなかった。
しかし去年1名入部、今年は4名が入部。廉は卒業して大学院生になったが、学生駅伝は同じ大学の大学院生もメンバー入りできる。これで、廉と同年の大学院生・佐藤選手を含め合計7名。
いつだったか忘れたが、廉が「『先輩、京都学生駅伝に出ましょう』と後輩に言われた」とうれしそうに報告してくれたことがあった。大学4年間で実現できなかった「京都学生駅伝」出場が、卒業してから現実のものになった。廉のうれしそうな顔を久しぶりに見たような気がした。それは私もうれしかった。
さあその日から廉の猛練習の日々が・・・。
と思ったら、そんなことはなかった。長らく練習していなかった者が、そうやすやすと練習自体も元のレベルに戻れるわけもなかった。
そして、12月7日の本番までついに1ヶ月を切った一昨日の「第7回京都陸協記録会」。西京極サブトラックで行われた5000mは、京都府立大学陸上部の部内選考会的なレースになった。
私たちは、和歌山への出張の前に西京極に寄って応援しようと思っていた。しかし思っていたより早い1時10分スタートということで、私だけ応援に行った(応援に行って、また家に戻って和歌山に再出発)。
その結果は・・・。
絶好調期とは程遠い廉の走りだった。伸び盛りの1年生を追うこともなく、終始その組の後ろのほうを走り続けて終わってしまった。それは本人も納得の結果だったのだろう。(くわしくはここには書きません。)
一応、本番では最終第6区(9.2km)を走ることになるらしい。ここは繰り上げ対象の中継所で、京都府立大学の実力から行くと繰り上げは必至。ただ何チームかが同時スタートになるので、目標があり、走りやすいと言えば走りやすいかもしれない。
今日は廉を車に乗せ、第6区のコース下見。
まずは中継所になる鴨川の庄田橋。ここをスタートし鴨川沿いを南下。西賀茂橋から河川敷に下り上賀茂橋へ。そこから北山通りの一筋北の通りに上がりまっすぐ東へ。突き当りを北上し、ふだん人の通れないきつね坂を上がり、宝ヶ池トンネル入り口で約5km。
トンネルを越え岩倉へ。あとはいつもよく通っている北稜高校前の道を通り、鞍馬街道に出て左折。「京都キャロット」前を過ぎると、残り約300m。そして京都産業大学前がゴール。
本番の日が近づいたことで、やっと廉もやる気が出てきたようだ。また、自分の目標に向けて節制して結果を出している陸上部後輩女子からもいい影響を受けているようだ。2年前の絶好調期に一歩でも近づけるよう、がんばってもらいたい。
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【第7回京都陸協記録会】(11月8日)
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2014年11月09日(日)
第24回南紀日置川リバーサイドマラソン [ランニング・出張販売]
「和歌山はべっぴんさん多いでー。」
私がゴールして初めて発した言葉。
「走路員してはる女の人なあ、みんな美人やで。」
「何年も来てるのに、それ今まで気つかへんかったんかいな」とヨメさん。
「今年はそんだけ余裕があったちゅうことかな。」
5km20分切りの練習はできていないが、あくまでも前向きで。とにかくスタートからバンバン行って、つぶれてもいいという作戦。
作戦通り行きましたがな。1kmも2kmも4分切り。折り返しも10分切り。でもそのあとがねえ。
ゴールは20分31秒。こないだの「京都丹波」より4秒も遅いがな。
1.3kmくらいまで部門トップ。そこから500mくらいの間に6人に抜かれた。そしてそのまま。残り500mくらいで、前のランナーに追いつきなそうなくらいにまで迫ったが及ばす。
20分31秒で部門第7位。入賞に一歩届かず。6位と3秒差、5位とも5秒差。悔しいといえば悔しいが、自分の作戦通りに走れたことが大満足。やっぱり私は「逃げ馬」です。
今年もヨメさんに写真をお願いしておいた。
「ちっちゃ!」
日置小学校グランドに入り、あと100m弱のところ。ちっちゃいけど、トリミングしたらいいか。
前日宿泊は、おなじみ椿温泉の国民宿舎「ひらみ」さん。
超豪華な夕食ですが、ビックリするような低料金。南紀に旅行される方には、「ひらみ」さんをお勧めします。
朝6時起きで、コンビニにより会場へ。
夜中から雨が降り始める予報だったが、この時点ではまだ降ってはいなかった。
7時半から受付開始。
この大会は大々的に宣伝しておられないので、毎年1000人ちょっとと参加者数は安定している。
8時半から開会式。
まだ、空は何とか持ちこたえている。
9時20分、一番最初の種目「1kmバンビの部(小学生未満と父母または祖父母のペア)」がスタート。
このころ、もう雨がポツポツと降っていた。
ごあいさつをされているのは、招待選手の尾崎好美さん。すごく小柄な方でした。
毎年恒例、かわいいチアガールの応援。
この子たちは、5kmとハーフの2kmすぎでも待機して応援をし続けてくれる。ありがたい、ありがたい。
バンビの部の大会記録は4分02秒。
優勝狙いの親子はすごいスピードでダッシュ!
バンビの部は105組のエントリー。
2kmファミリー(小1〜3と父母または祖父母のペア)が122組だから、この部門の人気ぶりが分かる。
最後尾は、かわいいかわいい小さな女の子。
笑顔でしっかり前に進んでいきました。
私が出る5kmは10時35分スタート。
それまでしっかりとウォーミングアップ。
会場の裏は太平洋。
この堤防でアップする方も多い。
雨はだんだんきつくなってきたが、風がほとんどない。これは記録を狙うには願ってもない好条件。
海岸沿いに群生しているきれいな花。
2kmほど走って、また会場へ。
「あっ、さっきのかわいい女の子。いっしょに走ってるのはお兄ちゃんやろね。」
そのおにいちゃんは、ゴールテープを切るときに自分だけはけていった。その行動がお兄ちゃんらしくて、ちょっと感動。
このあと、もう一度アップへ。また2kmほど。
さて、私の5km。
このコースは最初200mほど行ったところから下り。ここで全力を出す。その流れのまま折り返しまで押して行き、後半の落ち込みを最小限に留める。
最初の1kmは作戦通り。私の前には若い子が十数人いるだけ。
1km標示のところで、3分41秒。「おー、すばらしい!」
ところが、1.3kmあたりで私の肩をポンとたたいて抜いていくランナーあり。私と同じ部門「50歳以上」。たぶん、「京都キャロット」のお客様なんでしょうね。
ここで二人に抜かれ、ちょっと先でまた二人に抜かれ、そのまた先でまたまた二人に抜かれ、ついに部門7位に転落。
しかし、2km標示の地点で7分30秒。「抜群の速さ!」と思ったが・・・。
折り返しも9分59秒と、ギリギリ10分切り。後半は日置川に沿って下流に向かって走るのだから下っているはず。そんなに失速することはあるまいとがんばった。
しかしGPS腕時計を確認すると、1km2kmは距離不足だったようだ(3、4、ゴールはほぼ正確)。
1km 3分47秒
2km 7分51秒(4分03秒)
3km 12分11秒(4分19秒)
4km 16分23秒(4分12秒)
5km 20分31秒(4分07秒)
中だるみしてしまったが、最初に作戦通りぶっ飛ばして、最後の1kmもがんばれたので大満足。ちゃんと練習したら、また20分を切れる日は確実に来る。がんばろう。
ここからは、ヨメさんが撮ってくれたゴール前の写真集(トリミングしました)。
この写真は、私のゴールシーンらしい。
「どこ?」
いましたー。
よーく目を凝らして見てください。
店は雨でヒマなので、クーリングダウンを兼ねて知り合いの応援へ。
ここが最初の下り坂。廉や真樹が小学生のとき、手を引っ張って飛ばした坂。
橋の手前が1km地点。帰りは残り1km地点。
川の堤防の内側のまっすぐな道。
参加者数がそれほど多くないので、ランナーの人影まばらになるとちょっと走るのがつらい。
「写真撮らせてもらいまーす!」
山本選手と伴走ランナー。
来ました、毎年登場してもらっている伴走の花村さん。
今年は廣田選手の伴走。
5kmの折り返し点まで来たが、もう少し先まで行ってみよう。
こちらはおなじみ森本選手と伴走ランナー。
今年の森本さんはかなりしんどそうに見えた。
スタート地点から3.3kmくらいのところに、JR紀伊日置駅。
ちょうど電車が来たので撮影に。
特急「くろしお」が猛スピードで通過。
ここらで折り返して会場へ。
途中に工事中の高速道。
来年は、日置川まで高速で来られるんでしょうか。
「高速が通ったら、ここらの人口増えるかな」とヨメさん。
「ところがな、今までの結果から行くとさらに人口減という所が多いみたいやで。」
「いつでも帰れるとなったら、かえって出ていってしまうんかなあ。」
ハーフで時間がかかるランナーは車道ではなく、日置川の堤防へ。
でも、こっちのほうがええ景色やで。
森本さんに追いついたので、「あと○○m!」と声をかけさせてもらってちょっとだけいっしょに走らせてもらった。
今年は断続的に降ったので、グランドも去年ほどグチャグチャにはなっていなかった。視覚障害ランナーと伴走者の方には、雨は本当にたいへんです。水たまりもたくさんあったし。完走おめでとうございます。
私もけっきょく6.7km走ったり歩いたり。レースより長いダウンになった。でも、体にはいい感じがする。
今年も雨のため、閉会式と抽選会は中学校の体育館。
うちの帰る都合で、シューズの抽選を一番先に回していただいた。そして当選された青年がサイズ交換に来られ、「30センチです。」まさか、まさか・・・。さすがにそのサイズは持ってきてなかったので、お知り合いの方にプレゼントということで25センチにしていただいた。
2時前に会場を出発し、途中の渋滞もなく6時前に京都着。夕食の食材を買って帰っても6時過ぎに自宅着。「日置川」と言えば深夜近くに帰って来ていたイメージが強く、こんなに早く帰ってこられるのはウソみたい。
ただし、3年連続の雨で売り上げはさっぱりでしたけど・・・。
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