パオパオだより

2008年07月24日(木)

「巨人の二岡にしてください」 [家族]

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「モナ岡」似? (自分撮りです)

 今日の夕方、廉と散髪に行った。
 本当は、廉一人で行く予定だったが、さいふを忘れたらしい。昼3時過ぎ、店により、「さいふ忘れたー、ごはんも食べてへん。どうしたらいい?」
 また自転車のチェーンがはずれて、手が油まみれになっていた。炎天下、サッカー部の練習をしてきてへとへと。見るも哀れなわが息子。
 そういや、小っちゃい時、よく「どうちたらいいの?」って言ってたなあ。もうすぐ17歳になる今も、あんまり変わらんか。

 私も沖縄旅行の前に髪の毛を切っておきたかったので、一緒にビブレの1,000円散髪屋さんに行った。
 「どんなふうに切りましよう?」
 「おかしくない程度に、バサッと切ってください。」

 でも本当に言いたかったのは、このせりふ。
 「巨人の二岡にしてください。」
 これは、分りやすい。
 山本モナとの浮気が発覚して、丸坊主にするはずだった二岡選手の中途半端な髪型。この言葉が出なかったのに、だいたい二岡くらいの長さにしてもらえた。(ええのか、悪いのか・・・。)

 それにしても、二岡の一軍復帰戦のヤジにはまいった。
 「モナおかー、モナおかー・・・。」
 こんなセンス、私もほしい。

 散発したての廉とのツーショットをヨメさんに撮ってもらったが、廉がいやがるので非公開。廉は側頭部の毛が立つくせ毛なので、散髪するごとに真樹にけなされています。

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2008年07月23日(水)

私の寝室31℃ [雑感]

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「あっつー」 きくもダウン

 おととしの夏は、すずしいいなか暮らし(花背別所町)だった。
 去年の夏は、市原に引っ越して初めての夏。梅雨らしい梅雨の時期があったので、夏は猛烈に暑かったが短かった。

 そして、今年の夏。どうなっとんじゃー。梅雨は、どこ行ってもたー。7月の初めから、暑うてたまらん。
 特に私が寝ている2階の北側の部屋は、蒸し風呂状態。このごろ、毎晩30℃を越えている。
 ついに昨日夜12時なのに、今年の最高31.1℃を記録した。こら、寝られまへん。

 「年寄り部屋に、エアコンはいらんわな。」(毒嫁の言葉)ということで、エアコンなし。扇風機もなし。まるで、ガマン大会です。
 「ひからびんぞー!」

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今日は、30.6℃です

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2008年07月22日(火)

村下孝蔵 [私の好きな人]

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ソニーミュージックエンタテイメント公式サイトより

 調子に乗って、7月11日に続き、私の好きな人(というより好きな歌)第2弾。

 先日「ジョーシン」に行く用事があり、そこで村下孝蔵の「七夕夜想曲」(27曲入りCD)を買った。
 やぶはら高原マラソンの帰りは、名神一宮IC付近で大事故があり、渋滞でイライラするところだった。しかし、前もって買っておいたこのCDが、心をほぐしてくれた。

 

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アルバム「 同窓會 」 1999.06.08

 村下孝蔵経歴(Wikipediaより)
 
 生家が映画館を経営していたため、映画や外国のポピュラー音楽に親しむ。鎮西高等学校時代には水泳部で平泳ぎの選手として活躍。さらにベンチャーズや加山雄三のギターテクニックに憧れ、自作のギターを制作するなどしながら、音楽にも傾倒して行く。

 高校卒業後、就職した広島ヤマハでピアノ調律師の傍ら音楽活動を開始し、自主製作アルバムを発表する。この頃、広島の音楽好きには知られた存在で、地元の中国放送でラジオ番組なども担当していた。この後も広島を拠点に音楽活動を続ける。

 1979年、ソニーレコード(当時、CBSソニー)が主催した、第1回SDオーディションに合格。同期合格者にはHOUND DOG、堀江淳、五十嵐浩晃がいた。

 1980年シングル「月あかり」でデビュー。

 その後、地道なライブ活動でファンを獲得した事が実り、1981年「春雨」、1982年に「ゆうこ」が話題となる。1983年に発売したヒット曲「初恋」は、三田寛子と田尾安志がCMでカバーして話題となった(三田は単独でシングルとしても発売)。続いて発売した「踊り子」、「少女」、「夢のつづき」も好評であった。

 これらのヒットにより、英語を使わずに日本語を用いた丁寧な情景描写による歌詞と、旧来の歌謡曲と洋楽や日本のグループサウンズのメロディーを融合させた様な、繊細かつ親しみやすい曲調を奏でるシンガーソングライターとして認知される。

 「初恋」ヒット時、テレビ番組への出演は所属レコード会社の意向で一切無くて控えられていた(実は重度の肝臓病を患っていた)が、本人は至って前向きな姿勢で、後年機会があれば(完治してからは)出るようになった。とくに、1990年代半ば、憧れだった加山雄三とテレビ番組で共演してからはかなり積極的になり、さらに村下のファンであった山田邦子と意気投合し、彼女の出演している番組に度々呼ばれるようになった。

 1999年6月20日、東京駒場のスタジオでコンサートのリハーサル中に突然体調不良を訴え、当初は救急車も呼ばずスタッフ付添のもと自力で病院を訪れたが、診察で高血圧性脳内出血と判明した直後に昏睡状態に陥り、4日後の24日に死去した、46歳没。

 曲風と本人の人柄のためか生前はやや地味な存在であった。しかし、作詞作曲能力・歌唱力・ギターテクニックはいずれも非凡であった。コンサートでは「ひとりベンチャーズ」なるギターソロを披露したこともある。あまりにも早い死を惜しむ声は今でも多い。

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 村下孝蔵は、一般には、「さみだれは みどりいろ ・・・」で始まる「初恋」のヒットでよく知られている。しかし、私が一番好きなのは「踊り子」。

 ♪答えを出さずにいつまでも暮らせない
  バス通り裏の路地 行き止まりの恋だから
  何処かに行きたい 林檎の花が咲いてる
  暖かいところなら何処へでも行く

  つまさきで立ったまま君を愛してきた
  南向きの窓から見ていた空が
  踊り出すくるくると軽いめまいの後
  写真をばらまいたように心が乱れる♪
  
  (後略)

 このCDを聞きながら運転している時、ヨメさんが言った。
 「ひとから、『この歌、いいで』ってすすめられても、『どこがええんやろ?』と思うものが多いなあ。感性は、ひとそれぞれやもんなあ。」
 村下孝蔵を、私は大好き、ヨメさんも(ちょっと?)好き。少しでも話の合うことがあってよかった。よかった。

 村下孝蔵が亡くなるちょっと前のことだったと思う。
 テレビ番組で、長年憧れの人だった加山雄三と対面。その時、彼は本当にただの一ファンになっていた。恥ずかしがり、自分をどうしていいのか分からないような・・・。あの「初恋」の大ヒットを飛ばした歌手なのに。
 それを見て以来、私は本当のファンになりました。

 私より3歳上。なくなった時、46歳。(今から9年前)
 惜しい人を亡くしました。

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2008年07月21日(月)

民宿「りんどう」とどぶろく [宿情報]

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 「やぶはら高原ハーフマラソン」では、最初のころは薮原駅前の旅館に泊まっていた。
 会場のスキー場から少し離れているため、お客さんも少なく静かでよかったのだが、最近は民宿「りんどう」さんに泊まっている。

 会場(こだまの森)に一番近く、とにかくすずしい。
 窓をあけていると、寒いくらい。ヨメさんは、「クーラー、ゆるめて」とかんちがいしていた。
 泊まっておられる方が多いので静かとは言えないが、そにはみなさんランナーですから、節度があります。

 今年は、夕食の時、カラオケが始まりかけていた。ところが、恥ずかしがりが多いようで、なかなか始まらない。
 そこで、おかみさん登場。
 歌こそなかったが、流れるように流暢なごあいさつ。「バスガイドやってはったんかな?」とは、うちのヨメさんの感想。

 そして、今年はなんとびっくり、「どぶろく」。ご主人が持ってこられた。
 飲んでみると、「甘くない甘酒?」。日本酒特有のむせる感覚がない。飲みやすい。日本酒大にが手の私にも飲めた。二人でけっこういただいた。それにしても、「どぶろく」って、前面解禁になったんかなあ。

 早朝に出かけたのに、おかみさんが大根を持たせてくださった。会場には、ご主人が白菜を持ってきてくださった。

 「りんどう」さんは、なかなか心あたたまる民宿です。

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どぶろくを飲む眞寿美さん

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2008年07月20日(日)

第22回やぶはら高原ハーフマラソン [ランニング・出張販売]

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矢澤茂さん(長野県)

 去年は、台風直撃の予想で、前日に中止決定。
 今年は、ガンガン照りのスタート。

 スタートから2kmほどのところ(最初の坂を下りきったあたり)で、声をかけられた。
 「キャロットさん。このシューズ、通販で買いました。」
 「あっ、ミズノのウェーブLSD。それ、いいでしょう。私も今日は新しいスカイセンサーをはいているんですけど、こないだまでずっとウェーブLSDはいてたんですよ。フルもだいじょうぶですよ。」
 京都キャロットのホームページ、「雑用係のおすすめコーナー」に載せたシューズ。気にいってもらえ、声までかけてもらえるとはありがたい。
 「ブログに載せさせてください。」パチリ。

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この大会も、ランニング用品店が4店出店

 さて話は、スタート前に戻り・・・。

 当日受付が6時半からなので、5時半起き。もちろん朝ごはんは、なし。昨日買っておいたパンを食べ、そろそろスタートの準備と思ったころ、石川の折戸小百合さんがうちのテントに来られた。
 「乗鞍の写真、よかったでしょう。幻想的な千葉ちゃんとのツーショット。まああのー、カメラの具合が悪かっただけなんですけど・・・。」
 「ボケてて、ちょうどいいくらいです。今日もカメラを持って走られるんでしょう。」
 「はい。あっ、そうや。折戸さんもハーフでしょう。もしどこかでお会いできたら、写真撮りますわー。」
 「いやー、もうはずかしいから、いいですよ。」

 この時、私と折戸さんの走力差をすっかり忘れていた。
 ここのハーフはダム湖の周りを走るコースだが、後半に2ヶ所折り返す所がある。
 「シューとした、サングラスのかっこいい女の人」と思いながら、その折り返しで対抗ランナーを見ていたが、甘かった。その時折戸さんは、私のはるか前を走っておられたようだ。

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ハーフスタート5分前

 もう一度話は戻り・・・。さあ、スタートへ。

 スタート(ゴール)地点は、芝生なので気持ちいい。
 昨年中止になったにもかかわらず、今年の申込者は去年を上回ったそうだ。真夏に行われるこの大会の固定ファンが多いのと、昨年中止後の対応が良かったのがこの結果になったのだと思う。(おわびのお手紙と参加賞などが、すぐに送られてきた。)

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走ったんどー

 スタート地点に立つと、すぐ横に「あいかちゃん」の飼い主ご夫婦が。4月の兵庫「宍粟市さつきマラソン」以来、お久しぶりだ。
 「おうちは、どちらなんですか。」
 「うちは、大阪よ。」
 「大阪からやったら、けっこう時間かかったでしょう。」
 「まあ、なれてるから・・・。」
 (ロープをぐいぐい引っ張るあいかちゃん。)
 「一緒に走りたがって、しょうがないのよ。いつも走ってるから。」
 「そういや、さっきから勝手にあっちこっち走りまくってましたね。うちの犬も、いなかに住んでた時はけっこう好き勝手に走れたんですけど、今住んでるとこは車が多くて。ひかれたら、えらいこっちゃし。」
 「そうでしょう。あいかちゃんのお母さんも交通事故にあって、腰の手術したんよ。その後で、あいか産んだんやから。」
 「いやー、それ、すごいことですやん。そら、よけい大事に大事にせんとねえ。」
 
 「バーン」の音とともに飛び出すあいかちゃん。ご主人をおっかける。あいかちゃんをおさえるため、必死にロープを引き寄せる奥さん。またどこかの大会で、この場面を見られることでしょう。
 (ゴールしてから選手名簿を確認。あいかちゃんのご主人は、秋田重夫さん。 えっ! 所属が「京都ランナーズ」って、うちのクラブやん。知らんかった。)

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丘に向かって人は走る

 この大会の名物、スタート直後の急な上り坂。
 ここが以外とスムーズに行け、最初の1kmが5分55秒。こんな感じで行けたら、ぎりぎり2時間切れるかも。
 先週の「北軽井沢マラソン」が1時間58分40秒やから、このコースで2時間切ったらえらいもんや。

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矢澤茂さんのアップ

 そんなことを考えながら走っている時、矢澤茂さんに話しかけられた。しかし、2kmすぎから二度目の上り坂に入ると、スイスイと抜き返されてしまった。私は、上り坂に弱いんです。 

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カンカン照りです

 ダムに着くと、ちょうど往路が南向きの斜面になるようで、お日さんガンガン照り。ここの坂は思っていたほどきつくはなかった。それより暑さ。もちろん、給水所ごとに水をとった。

 今日のレースで必ずしようと思っていたこと。
 「給水所で水をとるごとにお礼を言おう!」

 ちゃんと、全部言えました。
 「いただきます。」・・・「ありがとうございました。」
 ほとんどの人から、「がんばって!」とお返事をいただいた。
 せめて、これくらいのことは続けていこう。みなさんのおかげで、こんなに楽しく走らせてもらってます。 

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大きな赤い橋

 8km過ぎ、赤い橋を渡り対岸に入ると、状況は一変した。
 すずしい。南側の山が日よけになって、別世界に。おまけに、ゆるやかな下り。こらー、楽やー。 

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黒ウェアが作用光広さん(大阪府)

 その時、また声をかけてくださる方あり。
 「キャロットさん、調子はどうですか。」
 「こっち側に渡ってから調子出てきました。めちゃくちゃすずしいですね。2時間切れるかも。」
 「切れますよ。がんばって!」
 「ありがとうございます。」
 (ゴール後調べたら、かのランナーは、大阪の佐用光広さんでした。)  

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ダム横の折り返し

 そのうち最初の小さな折り返し、ダムの横。
 「シューとした人(折戸小百合さん)」、おらんわな。
 
 次に、恐怖の大原周回コース、やっぱりおらんわな。 

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この周回はちゅらい

 この大原周回コース、このマラソンコースのメインと言ってもいいやろね。心臓破りの丘ならぬ、心臓破りの白菜畑。
 ダムのまん前の南向きの盆地。風がぴたっとやみ、気温急上昇。遠くに大きな山(木曽駒)がちらっと見えるだけで、周り一面白菜、白菜、白菜。 

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なーんもない

 ここでも、声をかけられた。
 「子どもさんは、ついてこないの?」
 「クラブの練習が休めないみたいで・・・。」
 「陸上?」
 「いや、上の子がサッカーで、下の子がバスケなんです。」
 「そう。どこもおなじね。親の背中を見てないんかね。」
 (かのランナーは、愛知の山田幸弘さんでした。3年前の「金沢城下町マラソン」で、じゃじゃぶりの雨の中並走させてもらった方です。) 

 山田さんは、この周回コースのことを、「人間の盲腸」と言っておられた。必要のない余分なものという意味だそうです。「うまい!」

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山田幸弘さん(愛知県)

 この平原から、坂だらけのコースに戻ると生き返るから、あら不思議。
 しかし、やっぱりあの恐怖の大原周回コースで時間を食いすぎた。残り3km地点で、1時間43分30秒。2時間まで、あと16分30秒。キロ5分半は、ちょっと無理か。

 あきらめへんどーと思いながら、最後の上り坂(19kmから20kmあたり)もがんばったが、この1kmが7分13秒。ゴールは2時間1分6秒。くっそーん。 

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ゴール前のデッドヒート

 そやそや、抜きつ抜かれつやった矢澤茂さん。すぐ後ろにいるはず。写真撮ろうっと。
 振り返ればそこは、壮絶なつばぜり合い。21kmも走ってきて、最後にそんなデッドヒートせんでもと思ったが、見ているほうはおもしろかった。
 私が見た限りでは、全くの同着。これは、写真判定ですな。
 まっ、あのー、うちで買ってくれはったシューズをはいておられる、矢澤さんの勝ちということでどうでしょう。 

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うちが提供した商品も当たる抽選会

 ゴール後、うちのテントに、作用さんが。
 「2時間、切れました?」
 「あきません。2時間1分6秒です。」
 「おしいー。」

 その少し後、今度は矢澤さんが。
 「最後、強かったですね。」
 「最後の坂に、力残しといたんです。」

 私のスカイセンサーブリーズは、上り坂に威力を発揮。やっぱり上り坂は、軽いシューズがありがたい。下り坂の衝撃も、けっこう吸収していたように思う。
 これで、丹後ウルトラ100、出ようかなー。うーん、まだまだ悩むところです。

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2008年07月19日(土)

「くるまや」 [グルメ情報]

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 おそば好きな人なら、たいていの人が知っている。信州の「くるまや」さん。(支店があちこちにあるようです。)

 「やぶはら高原マラソン」の前日受付に出店するため、中央道・中津川IC(岐阜県)を出るのがいつも昼時になる。中津川の「くるまや」さんは、ICから車で10分ぐらいの国道ぞいにある。
 
 2年前までは必ずここによって、そば好きな廉や真樹といっしょに家族4人でざるそばを食べていた。廉も真樹も、おいしいそばはパクパク食べる。二重盛りは1050円。もう少し安かったら、もっと食べたかったんやろなあ。
 大きなお店なのに、12時に近いと混みごみになる。だからいつも店に着くやいなや、ヨメさんに席の確保に走ってもらっていた。(こんな時、マラソンで鍛えた脚力が役に立ちます。)

 去年は、台風直撃の予想が出て、マラソン大会が急きょ中止になってしまった。だから、「くるまや」さんに来るのも2年ぶり。
 今年は、お子さん連れのご家族のお客さんが多かった。「うちも、ついこないだまで、どこへ行くのも4人いっしょやったのにね・・・。」

 そんなことを話ながら、夫婦みずいらずでおそばを味わった。しみじみと・・・。

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