2008年06月30日(月)
きく脱走 [わんこ・にゃんこ]
半年のしめくくりの日に、ああ情けない。
きくが、超久しぶりに脱走した。
最近おとなしくしていたので、気をゆるめてしまっていた。
朝9時ごろ、ヨメさんが洗濯物を干しに出た時一緒に庭に出て、9時半ごろ私が散歩に行こうとしたらいなくなっていた。
前に脱走した時はさがしにさがして、結局家のすぐ近くから出てきた。たぶん今度もそうだろうと思い、ロープを持って家の近くを名前を呼びながらさがしまわった。見つからない。
だいぶ時間がたったので、まさかなあと思いながらも、この3月まで毎日通っていた「二軒茶屋」駅方面に行ってみた。(ロープを持たず。)
いました。
駅のすぐ南のおうちのガレージに。
「きくちゃん、帰ろう。」
「うー・・・。」
「かしこいなあ、きくちゃん。こっち、おいで。」
手を出したら、「がうがうがう」とかまれてしまった。かまれるのは別にどうってこともないんやけど、つかまえられん。困った。
もうちょっとというところでするりと逃げられ、今度は駅前の京都バス回転場所へ。ちょうど止まっていたバスの下に入り込んでしまった。
困っている私を見かねて、運転手さんが降りてきてくださった。
「何をすねてるんでしょうね。」
「昨日、私の留守に大嫌いなシャンプーされて、散歩もあんまり連れて行ってもらえへんかったみたいで・・・。」
ここでももうちょっとというところで、するり。
今度は長代川沿いの散歩道へ。
草がたくさんはえているところなので、きくは思わずシッコを。
「チャンス!」
きくの片腕に飛びついた。ゲット!
この後、私の両手はかまれまくり。どんなにかまれても、はなさへんでー。
きくの腕を引っ張りながら(きくは私の手をかみながら)、ちょびちょびちょびちょび家に近づいていた。
後100mくらいかなというところで、きくがフェイントかまし。すっと腕を抜き、猛ダッシュ。
視線の先には、散歩中の白い犬。
「ががががう、ががががう、・・・」
不意を襲われたワンちゃんは、一方的にかまれていた。
追いついた私は、すぐにきくを引き離し、飼い主の女性の方に謝った。
「すいません。申し訳ありません。ワンちゃん、だいじようぶですか。」
「もう、年寄りやからねえ・・・。だいじょうぶやと思いますけど・・・。」
きくがかんだ現場には、白い犬の抜け毛が大量に・・・。ゆっくりと楽しいお散歩中に、何ちゅうことしてしもたんや。飼い主の責任重大。あのワンちゃんにもしものことがあったら、うちはこの東映団地を出ていかなあかん。
白い犬と飼い主さんは、逃げるように帰って行かれた。
「ほんまにすみません。・・・それにしても、きくちゃんなあ、ちょっとは考えてやー。」と言おうとしてきくを見ると、固まっている。「がうがう」いってたさっきの犬とは別犬(?)。
そこからはだっこして家まで帰った。まったくあばれず、もちろんかむこともない。
どうなっとんにゃー。
家に着いてからのきくは、ぐったり。
ああ、いったい何が原因なんやろう。難しい。今こうして素直で従順な犬が、突然どう猛に、そしてまた元に。わからんなあ。
みみずばれの私の両手を見ながら考えた。
とにかく、人や犬をかまないようにしつけなくては。
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2008年06月29日(日)
第3回乗鞍天空マラソン [ランニング]
ジャジャ降りの雨の中、予定より30分遅れの9時半、レースはスタートした。(距離は約半分の12kmに短縮。)
スタートして1kmを過ぎたあたり、大き目の傘をさしたランナーに追いついた。足もとに視線を落とし、すこししんどそうだった。
「すいませーん、写真撮らせてください。」
「(驚いたように顔を上げ)・・・はい。」
パチリ!
「うちのブログに載せたいんですけど、いいですか。」
「いいですよ。何に載るんですか。」
「私んとこ『京都キャロット』っていうランニング用品店なんですけど、私がブログ書いてるんですよ。『京都キャロット』で検索して見てください。・・・雨の時は、いつも傘ですか。」
「ええ、いつもね。」
「すごいですね。ブログのトップの写真に使わせてもらいます。うまく撮れましたし、絶対見てくださいね。」
なぜか、すごくかっこよく見えた。距離が本来の23kmであっても、このスタイルを貫き通されたにちがいない。ひょっとして、フルマラソンでも雨の時はこのスタイルなんかな。聞いときゃよかった。
写真を撮らせてもらった後、カメラをウェストバッグに入れようとした時、ポロリ。ウェストバッグごと、川のように雨水が流れる坂道をドンブラコッコ・・・。追いかけて拾ったが、カメラはビチャビチャ。
ついこないだ修理に出したばっかりやのにー。あーあ。
さて、話は前日に戻ります。
「丹後100km」のいい練習になると思い、この大会に申し込んだ。 スタート地点が標高1800m、折り返しが2700m。こんな大会は、めったにない。自然の中を、ゆったりした気持ちで走れるだろう。
京都を2時に出発。松本ICを出たのは6時だった。松本から西へ西へ(上高地方面)と進む。もうそろそろかなという時、きれいでかわいい建物が目に入った。
「大野川小中学校(小中合わせて90名くらい)」
泊まりは、観光協会から紹介してもらった「けやき山荘」。受付会場である観光センターは、この宿のすぐ近くのようだ。
宿のご主人は作務衣を着ておられ、頭も丸めておられたので、まるでお寺に泊まりに来たようなふんいきだった。
しかし、お料理は、馬刺しあり、豚しゃぶあり、鮎の塩焼きありと豪華だった。(精進料理じゃなかった。)
どれもこれもおいしかったのだが、やっぱり一人で食べるごはんはさびしい。
お風呂は、硫黄の温泉だった。昔は温泉と言えば硫黄という感じだったのに、最近入っていない。超ひさしぶりだ。
お風呂も一人でゆっくり入れた。お風呂は一人のほうがいいな。
夜は、思っていたほど寒くならなかった。
ただ、寝る前に見た「ターミネーター」が頭に焼き付いていて、なかなか寝付けなかった。シュワルツネッガーもよかったけど、敵役にはしびれたなあ。
明日走るランナーの何パーセントが「ターミネーター」見たかな、寝付けへんやろな、とか思ってるうちに眠ってしまった。
朝食の時、宿のおかみさんらしき方がおっしゃった。
「今、大会を実施するか中止するか、協議してるらしいですよ。下と上とでは、天候もずいぶんちがいますからねえ。」
私「ずっと前に丹生川村から乗鞍に上るマラソンがあったんですけど、その大会も山の上が嵐みたいになってて中止になったことがあります。下の役場のあるあたりは全然降ってなかったんですけどね。」
「そうでしょう。山の上は、下からじゃ分からないからねえ。前にここで自転車のレースがあってね、その時も雨で中止になったんだけど、勝手に上がって行った人が多くてねえ・・・。」
「えー、そんなことがあったんですか。」
その後、送迎バスでスタート地点へ。積み残しがけっこういたので、9時スタートは無理やなと思っていたら、案の定30分スライド。
雨はますます強くなる。
役員さんが、私たちのほうに向かって言われた。
「このバスは下に降りますので、レースをやめておこうと思われる方は乗ってください。」
反応なし。みんな、ここまで来たからには走る気マンマン。雨対策も、みんなばっちり。
「ランナーの安全を考え、6km地点折り返しの12kmコースに変更して実施します。」この発表に対しても、「ようやってくれた。」の感謝の声ばかり。
ゲストの千葉真子さん、登場。
「みなさあーーーーーん。」
「でたー。」とあちこちから声が。
初めてこの雄たけびを聞いた時は調子が狂ったが、あちこちで聞く機会があり、もう慣れた。今日初めて聞いた人は、ずっこけたやろなあ。(どっから声出てんの?)
でも、今日のように大雨の日には、このゲストはぴったり。しばし、雨のことを忘れかけました。
スタート前、軒下で雨宿りをしていると、声をかけてくれた人あり。
「キャロットさん、今日はお一人で?」
金沢の山本利枝さんでした。
私より少し年上ですが、すごく速い。(今も大阪国際女子マラソンとかに出ておられるのかな。)
90歳を越えられているお父様のことを話される時は、本当にかわいい娘さんです。
さあ、スタート。
少し進むと、コースが川状態。みんな困っていると思いきや、わーわーきゃーきゃーうれしそう。中にはわざと流れのきついところを走っている人も。
「上のほうは、鉄砲水で人が流される可能性もあるので距離を短縮しました。」とおっしゃっていた役員さんの言葉がやっと理解できた。
それにしても参加者が多い。
普通こんなにひどい雨だと、もっと減りそうなもんなのに、このカッパ軍団はナニ?
それぞれ走るウェアがさまざまで、これを観察するのもおもしろかった。さすがにランシャツランパン姿は、私の近くには見当たらない。
上り坂は、思っていたほどでもなく、十分走れた。
大きな滝が道路の方に流れ込んでいるところでは、記念撮影ラッシュ。
みんな手に手にデジカメ、携帯。なにしとん!
せっかくやし、私も撮っとこうと思ってうろうろしていたら、「撮りましょうか?」と声をかけてくださった女性が。 「私もザクティ(サンヨーのデジカメ)ですから。」と言ってすばやく撮ってくださった。彼女は最新版(たぶん防水)、私のは5年前のモデルです。
京都を出発する時、もうレースの時には雨が確実とわかっていたので、そこらにあった帽子とふっるいふっるいクロスジャケットをつかんできた。役に立った。
レースの始めから終わりまで帽子をかぶり続けていたのは、生まれて初めて。これは、雨をしのぐためではない。「風呂上りのパオパオの頭、えぐー。」と常々家族に言われているからだ。脳天薄毛隠しも大変だ。
男子の10位台くらいの中に、ピンクの小がらなランナーが。田中千洋さんと気がついた時は遅かった。あっという間に通り過ぎて、写真が獲れなかった。残念!
よし、今度は山本利枝さんを撮るぞー。折り返しの手前、上から降りてくる山本利枝さん発見!
ちょっと人と重なってしまったが、何とか撮れた。ナンバーカード「7」、かっこいい。
山の上のほうに目をやると、雪。
ああ、ほんとはあの雪のあるところまで走って行けたんや。行きたかったなあ。
走っていて気づいたこと。
以前はいていたシューズだと、一度ずぶ濡れになってしまうとゴールまでグッチャグチャだった。ところが、今回はいたミズノ・ウェーブLSDは、ずぶ濡れになっても数10m走ると元に戻っている。こりゃええぞ。
上りは山本利枝さんに完全に負けていたが、下りで追いつき、ゴールは先着させてもらった。
私のゴールの直後に山本利枝さん、そのすぐ後に雨傘ランナー坂井さんがゴールした。
山本利枝さんを呼びとめ、あらためて写真を撮らせてもらった。さわやかな笑顔だった。
ゴールしてくる人を観察していると、みな笑顔。これ、23kmだったら、この倍の笑顔だったのかな。
閉会式は観光センターで。
女子優勝の田中千洋さんにお会いして、ブログのリンクを承諾してもらわなくては。
なんとかホルンの演奏の後、力強い和太鼓。
その後に、上位入賞者の表彰。あれれ、田中千尋さんがいない。
このあたりから、水につかったデジカメのカバーガラスの内側がくもってきた。部屋の中に入り、ぬくもってきたからかな。
「女子2位、折戸小百合さん。」
写真撮らな。いつも、私のブログを見てくれてはる貴重な人。千葉ちゃんがインタビューしてくれてはるとこを、パチリ!
確認しびっくり。なんと幻想的な。(そんなええもんかい!)
折戸小百合さんのタイムは、59分43秒。きっちり1時間切ってますね。私は1時間16分だったので、いかに速いかわかりますよね。
会場に「ランウォークスタイル」の店長がおられたので、田中千洋さんのことを聞いてみた。
「まだ、上にいると思います。」
ということは、まだ走ってはる? (どやねん! どんだけ走ったら気がすむん?)
結局、田中千洋さんとはお話することができなかった。
仕方なく家路へ。
帰りは新しくできた高山ICから、東海北陸道を通って帰ろう。なつかしの丹生川村も通れるし。
会場から少し行くとラーメン屋さんがあった。ちょうど昼時だったので食べていくことにした。
入り口に立ってびっくり、ねこちゃんがいくてをふさいでるし。
「ごめんね。」って言ったらどいてくれはったので、やっと店に入れた。入っていきなり聞いてみた。
「あのねこちゃんは、こちらの飼い猫ですか?」
けげんな顔のご主人。
「えっ?・・・そうですよ。」
ラーメン食べにきたんちがうんかいなという表情。
ラーメンは、チャーシューがちょっとからかったけどおいしかった。
「そうや、さっきどいてくれたねこちゃんらは?」と振り返ると、もうとっくの昔に元に戻ってました。もう、うとうとしとるがな。
私がラーメンを食べてる途中に二人連れ来店者あり。地元の人らしく、ラーメン店のご主人と話されていた。マラソン大会の役員の仕事を終えてこられたようだ。
雨で大変だった事、できれば来年はかんべんしてほしいというような事を話されていた。
「どうも、お世話になりました。楽しく走らせてもらいました。」店を出る時、お礼を言っておいた。来年もどうかよろしくお願いします。地元のみなさんのおかげで、こんなに楽しませていただいています。
今年は「乗鞍天空マラソン」と言うよりも、「乗鞍びちゃびちゃマラソン」になってしまいましたね。 でも、それはそれですごくおもしろかったです。来年もまた、ぜひ来たい大会です。
猫好きなみなさーん。乗鞍にこられた時は、ぜひ「ラーメン藤」へ。 最後に、ラーメン藤のねこちゃん写真集を。
(訂正)
田中千洋さんのブログより
「閉会式にいなかったのは、走っていたのではなくて、主人の仕事(記録計測)の後片付けを手伝っていたからなんです。
すみません。。。」
こちらこそ、すみません。憶測で記事を書いてしまいました。以後、気をつけます。
田中千洋さんの「乗鞍天空」のブログには、娘さんと一緒の写真が載せてありました。こちらも見せてもらってほっとしました。小さい子を連れて行くのはたいへんだとは思いますが、できるだけ連れて行ってあげてください。子どもはいろいろな事をよくおぼえています。ご両親の頑張っておられる姿を見て、必ず何かを感じているはずです。
ついでに言わせていただくと、うちのヨメさんは、おなかが大きい時も産んだすぐ後も、実家に預けず出張販売に連れて行ったことを自慢しています。
自慢していいですよね。「眞寿美ちゃんは、えらい!」
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2008年06月28日(土)
ひとのブログにコメント [私の好きな人]
いままで、他の人のブログにコメントしたのは、羽根田治さんの「極私的鳩間日記」と、よんなぁよんなぁさんの「クーの毎日」だけだ。ただ、このお二人は私のブログの師匠と呼ぶべき人なので、私はひと(他人)とは思っていない。
羽根田さんとはお会いしたことはないが、毎日ブログを見せてもらっているので他人とは思えない。山のスペシャリストであり、どうしょうもない飲んだくれという印象。年に数回しか会われない奥様との関係も、ビミョー。ぜひ一度、会ってお話してみたい。
よんなぁよんなぁさんは、今年2月お会いすることができた。西表犬(?)クー命! 独特の「間」を持っておられ、私はこの間が大好き。「クーの毎日」と言いながら、月に2、3回くらいしか更新されない。貴重なブログである。
昨日初めて、ひとのブログにコメントした。
田中千洋さんの「ちひろっぴぃ」と、赤羽有紀子さんの「ママさんランナー奮闘記」に。
「ちひろっぴぃ」に寄せたコメントは、以下の通り。
京都の藤井です。今年3月の「大阪城公園4時間走」に参加させてもらい、そのようすを私のブログ「パオパオだより」に書かせてもらいました。
今日、日本選手権女子10000mがありました。その前にちょっと気になって、田中千洋さんのブログをのぞいてみました。「私のほうが赤羽さんより先輩やのに」という感じでちょっとくやしそうなことが書いてあり、それを見てなぜかほっとしました。
うちのヨメさんがランニング用品店「京都キャロット」をやっている関係で、マラソン大会で何度か田中千洋さんにお会いしています。今年だと、「24時間リレーマラソン日吉津」とか、「たたらぎ」とか。その大会のこともブログに書いていますので、よろしければまた目を通してみてください。
あさっての「天空マラソン」に出られるのですね。私も走りに行きます。雨が降りそうですが、寒くなるのでしょうか。会場でお目にかかれたら、声をかけさせてもらいます。
投稿者 パオパオ [URL] : 2008年6月27日(金) 22:35
「ママさんランナー奮闘記」に寄せたコメントは以下の通り。
■まばたきできなかった!
テレビの前で10000mの応援させてもらいました。中継の途中で走り幅跳びに切り替わり、戻った時に赤羽さんがトップに立っておられた時はにぎりこぶしに力が入りました。初めから終わりまでずっと画面に入っておられ、もう私はそれで満足してしまいました。しかし、あなたはそれで満足ではなかった。最後の最後まで、優勝への執念を持ち続けておられた。あの底力はいったいどこから?と思いながら目を見開いて見せていただきました。今日のレースは、多くの人の記憶に残る名勝負になったのではないでしょうか。
いっしょに見ていたうちの中2の娘(真樹)の言葉。「赤羽さんて、陸上選手やのにいろ白いなあ。真樹は体育館で練習(バスケ部)してんのに黒くなってるんやで。」こんなことも言ってました。「高校は、陸上部はいろうかなあ。」これは、今日の赤羽さんのレースを見た影響かもしれません。どうか、これからもみんなにいい夢を見せてください。
今日は、優苗ちゃんをいつもの3倍くらい抱きしめてあげてくださいね。
パオパオ 2008-06-27 23:15:33
田中千洋さんも赤羽有紀子さんも、とにかくかっこいい。お二人とも、かわいい女の子のお子さんがいて、仲よしのだんなさんがしっかりサポート。
日本もやっとこんな風が吹くようになったかと、感慨深い。
「子どもがいても競技を続けられる。」いや、その前以上にがんばれる。そんな女性が、これからもどんどん増えていってほしい。
私は、そんな女性のファンです。
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2008年06月27日(金)
GO! GO! あかばー [マラソン評論]
私は、いまだかつてこんなに手に汗にぎるレースを見たことがない。
日本選手権女子10000m。
渋井、福士、赤羽が3強と言われていた。
スポーツコメンテイター増田明美さんのレース展開予想通り、渋井が先行、福士は少し控えめの位置。われらが応援する赤羽さんは・・・、トップ渋井の背中にぴったりと、絶好の位置取り。
しばらく、10人くらいのトップグループが一列になっていた。その中には、私の一押しのぼり馬・松岡範子選手、地元立命館大出身・加納由理選手も入っていた。
中継の途中、急に女子走り幅跳びの画像になった。
「なにすんねー、NHK!」 うなっているうちに、元の10000mの画像に戻った。
「あー、赤羽さんが先頭になってるやん! ええとこ見れへんかったがな・・・。」
そのうち一人こぼれ二人こぼれ、渋井、赤羽、福士、松岡の4人が残った。
松岡選手は、交通事故からの復活らしい。左手がほとんど動いてなかったのは、その影響だろうか。しかし、その松岡選手も次第に離されていった。
渋井、赤羽、福士の順。
それを見ていた真樹の言葉。
「赤羽さんて、陸上選手やのに、色しろー。」確かに、黒(渋井)白(赤羽)黒(福士)のオセロになっとる。
3人の中では、渋井が一番元気に見えた。福士はちょっと汗が出すぎている感じ。赤羽さんはポーカーフェイス。しんどそうには、全然見えない。
廉の質問。「こんなんなったら、どのへんでしかけんの?」
「たぶん、8000くらいらへんちゃう。」
ほんまに、8000mで福士がしかけよった。ゆうたとおりに動いて、自分でもちょっと気持ち悪かった。
「このまま、残り2000は無理やろう。」確かに最初のしかけは不発に終わり、また3人が詰まった。
そしてだんご状態のまま残り1周(400m)。
満を持して出ました、われらが赤羽有紀子選手。福士選手はついていく力が残っておらず、渋井選手だけがぴったりと背後に。
ここからは、絶叫です。「あかばー、あかばー、・・・」
デッドヒートのすえ、最後の最後に渋井選手に差し帰され、胸の差の2位。
ただただ、「赤羽さん、ありがとうございます」のひと言です。いいレースを見せていただきました。
見終わった後、中2の真樹が言った。「高校は、陸上部に入ろうかなあ。」
赤羽さんが見せてくれた感動的なレースに、もううちの子は影響を受けています。
いろんなところでいろんな人があなたに注目しています。どうか北京でも、うちの子をうならせるようなレースをしてください。楽しみにしています。これからも家族で応援します。
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2008年06月26日(木)
ぺーちゃん [昔話]
ぺーちゃん。
本名、ペマ・まどか・ガザード。
父・オーストラリア人、母・日本人。
歳は、31年前、3、4歳。
生まれて1年ほど、私のふるさと京都市左京区花背別所町に住んでいた。その後、オーストラリア・シドニーの西約200km、バサースト(buthurst)に引越し。
私が大学4年の夏(1977年)、ガザードさん一家に会うためオセアニア旅行をした。(むこうは真冬) おみやげは、うちの母が炊いた山椒。
ニュージーランドに一週間、その後オーストラリアに一週間。
ガザードさん一家は、シドニーのコアラホテルまで迎えにきてくださった。
バサーストのおうちは、隣の家まで2km。家から周りを見ても、殺風景な景色が広がっているだけだった。りんごを買いに行ったら、青い青いりんごばっかりでびっくり。(おいしそうには見えなかった。)
夏は、猛毒の毒ヘビが家の中にも入ってくる。自然保護に力を入れている国なので、たとえ毒ヘビでも殺してはいけないらしい。「でも、こっちも必死やからね。殺したことあるよ。子ども守らんなんから。ないしょやでー。」(ぺーちゃんのお母さんは、京都出身です。)
いろんなところへ連れて行ってもらったが、最後は「畑でもつくってもらうか。」ということになった。私がいなかで畑仕事をしていたことを、お母さんはよくおぼえておられた。
「オーストラリアで畑仕事」、これもおもしろいと思ってやってみた。ペーちゃんの子守りも兼ねて。ぺーちゃんは、私が耕している横から話しかけてくれるのはうれしいんやけど、おおかた英語でこっちは「何ゆうてるのか、わかりましぇん。」
今思たら、長い時間よう退屈もせんと、あんなとこにおったよなあ、ぺーちゃん。
ペーちゃんと言えば・・・
ペーちゃんが別所にいたときは、まだ生まれたてで、顔がめっちゃ外人だった。オーストラリアで再会した時、顔見てビックリ! めちゃくちゃかわいい日本人。写真をとって、帰ってからうちの両親に見せたらたまげていた。「これ、ほんまにあの子かー。」
いま、35歳くらい。どこでどうしているのかな。会いたいなあ。インターネットで検索できるかな。(どなたか、検索してください。)
◎このブログは、6月4日の続きみたいなもんです。
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2008年06月25日(水)
「Women in Struggle −目線ー」 [映画]
京都シネマ特別企画・シリーズ戦争と女性、「Women in Struggleー目線ー」。
映画の内容をどうこう言う前に、お客さんの少なさにびっくり。3室ある中でも一番広いシネマ1に、わずか6人。会員料金は、800円。京都みなみ会館も心配だったが、京都シネマも経営大丈夫かな。
チラシでの映画紹介は、次のとおり。
イスラエルの刑務所に拘留されていた元政治犯のパレスチナ女性たちが様々なStruggle(闘い)を呼び覚ます時。姉妹、母親、妻としての日常的な役割から離れてパレスチナの解放を目指して闘いに身を浸した4人の女性たちは、刑務所を出てからも、自らの内に「牢」を抱えながら、より大きな「牢」で日常を送っている。拘留時の耐え難い経験や現在のパレスチナでの日常生活の困難を自らの言葉で語る。パレスチナ人女性として初めて欧州ののテレビで中東をテーマとした作品製作に携わるブライサ・ホーリー監督。2000年にMajdの制作会社を起こし、パレスチナをテーマにドキュメンタリーを作り続ける。本作は、自ら製作・監督・撮影を行った初の長編ドキュメンタリー映画。
何の解説もなく、元政治犯のパレスチナ女性の話が続く。映画「ひめゆり」とつくりは同じだが、やはりパレスチナはいろいろな意味で遠い。
イスラエルの問題をしっかり理解している日本人は少ないと思う。
もともと国のなかった地域に、合いいれない二つの大きな勢力。片一方の集団が一方的に国を作り、もう一方の集団を追い出そうと画策する。それ以来、その二つの勢力は相手への攻撃と報復を延々と続けている。
私が分かるのは、このあたりまで。どうしてこの負の連鎖が断ち切れないのか。こんな悲しい現実が、いったいいつまで続くのか。明るい展望は開けない。
映画館に多くを望むのはあつかましすぎるかもしれないが、イスラエル・パレスチナの現状が分かるチラシなどがあれば、もう少しお客さんも増えると思う。1時間弱の映画を見ただけでは、あまり広がりがない。
「ひめゆり」との一番のちがいは、この映画で語っていた女性たちが、今も砲弾、銃撃の中で生活していることである。この負の連鎖を断ち切るために、日本人は何ができるのだろう。まったく分からない。
映画のパンフレットはなかったが、「パレスチナ〜占領とジェンダーを考えるための一冊」という冊子が売ってあった。まず、この冊子を読んでから自分なりに考えてみよう。
◎夜、このブログを書いている時の会話。
真樹「映画、見に行ったん?」
私 「うん。」
真樹「何の?」
私 「(チラシを見せて)、この上から二番目のやつ。『戦争と女性』シリーズゆうのんでな、全部見るつもりやねん。」
真樹「ふーん。」 と言いながら、そのチラシをしげしげと見ていた。
このあたりが、今の私の限界かな。
真樹から何か聞かれた時に、しっかり答えられるところまでは勉強しておこう。
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