2023年10月12日(木)
あんい [アルバイト]
大学のご近所から巡回コースの要望があったようで、「宇良ちゃん」がいるアパート前はあまり通らなくなってしまった。
がっかりして新しいコースを巡回していると、白黒のかわいい猫ちゃんが目の前に。すぐ逃げられるかと思ったら、「写真を撮りたいだけの変なじいさん」と理解してくれたようで、立ち止まってこっちを向いてくれた。
「名前付けたらんなんなあ・・・。白黒って『マーブル』くらいしか思いつかんなあ。顔つきからすると『ぴょんた』やけどなあ。そんな安易な名前はあかんなあ・・・。」
「そうや、『あんい』にしよう。うちにいた黒猫『あんも』の親戚みたいでええがな。」
「あんい、あんい、かわいいなあ。」
じいさんの独りよがりに「あんい」ちゃんは困ってたな。
まあ、ええやん。
「あんい」、また出てきてねー。
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大学警備のバイト日は、5時45分起きで6時15分出発。
みーちゃんはお腹を減らして、私より先に下りて待っている。ますみさんはめったに起きてこないのだが、今日はすごく目を腫らせて起きてきた。
「DVか、・・・いやいや容疑者がここにいるのにそれはない。」
なにお気楽なことを言ってるんだか。
バイト、鍼灸、孫守りが続き、過労が目に来たみたい。それでもゆっくり休めないつらさ。すまんなー、苦労かけるなー。
今日から巡回のコースが変わった。今までよりも大回り。
すると、こんなところに耳塚が。ここにあるとは知らなかった。
◇ ◇ ◇
この塚は、16世紀末、天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸にも支配の手をのばそうとして、朝鮮半島に侵攻したいわゆる文禄・慶長の役(朝鮮史では、壬辰・丁酉の倭乱、1592〜1598年)にかかる遺跡である。
秀吉輩下の武将は、古来一般の戦功のしるしである首級の代わりに、朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ、塩漬にして日本へ持ち帰った。それらは秀吉の命によりこの地に埋められ、供養の儀がもたれたという。これが伝えられる「耳塚(鼻塚)」のはじまりである。
「耳塚(鼻塚)」は、史跡「御土居」などとともに京都に現存する豊臣秀吉の遺構の一つであり、塚の上に立つ五輪の石塔は、その形状がすでに寛永2年(1643)の古絵図にみとめられ、塚の築成から程ないころの創建と思われる。 秀吉が引き起こしたこの戦争は、朝鮮半島における人々の根強い抵抗によって敗退に終わったが、戦役が遺したこの「耳塚(鼻塚)」は、戦乱下に被った朝鮮民衆の受難を、歴史の遺訓として、今に伝えている。
初めて歩く通りはおもしろい。
以前はあちこちにあった「手芸の店」。
ここではまだ生き残っていた。
今日の最大の獲物(?)は、かわいい白黒猫。
必ずまた会えると思う。
今日は胃酸逆流を抑える薬を飲んでくるのを忘れた。(かぜのひき始めに飲む葛根湯は飲んできたのに。)
午後4時ごろくらいからが心配。
どこの大学も、学園祭は10月の末に行われるところが多い。
ここはゲストを呼んだりはしないのかな。
夕方は昨日の残りのパンとジュースだけ。
食欲がない。
巡回コースが変わったので、ポイ捨てタバコの数もいつもの倍になった。
路上喫煙禁止なのに、おかしいね。
仕事が早くカタがついたので、夜食。
大学内の自販機で「どん兵衛・きつねうどん」を買った。
ますみさんは「辛い汁は絶対に飲んだらあかん」と言うが、まだ味覚異常が続いている私にはこれくらい辛いのでピッタリ。
しかし、そのあとずっと喉が渇いて仕方なかった。
カップヌードルよりはましだったが、やっぱり味を付けた紙を食べているみたいだった。
このバイトをしていると、食事がムチャクチャになってダメです。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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