2020年01月13日(月)
今年もお見舞いラン [ランニング]
昨日「武庫川」で元気な永田さんの姿を見て、同い年の父を見舞いに行かなくてはと思った。うちから京都博愛会病院までわずか2kmちょっと。走ってでも行ける距離なら、走って行かなくてはね。
夕方5時すぎ、厚着をして出発。
昨日けっこう追い込んだ練習ができたので、今日はゆっくりでいい。キロ6分半ペースくらいで病院を目指す。
病院まで2.12km、13分21秒。
確かに近い。
いつものように正面玄関から入ろうとすると閉まっていた。
そうや、今日は祝日なんや。
ということで時間外通用門へ。
父は寝たまま。
「おじいさん、こうじやでー」と言いながら肩を揺さぶると、少し口が動き肩も反応した。でもそれだけ。ヨメさんが来ていたら足をさすったりしてくれるのだが、私だけでは何もすることもない。
私の存在価値は「ちょか」をして親を笑わせることと思っていたが、、反応のなくなった父の前ではもう「ちょか」のしようがない。
そう言えば、1月11日は母の29回目の命日だった。私の「ちょか」を一番喜んでくれていた母なのに、今年はその命日もすっかり忘れていた。
ナースステーションにごあいさつに。
「いつもお世話になっています、藤井善一の息子です。父は変わりありませんか。」
「そうですね。」
変わりがないということは、より悪くはなっていないということなので良しとしなくてはならないのだろうか。
病室にいたのは10分くらい。反応が乏しいので、何もすることがない。
来た道を帰るのももひとつなので、ちょっと遠回りして帰ることにした。
地下鉄・国際会館駅まで1.77km、約12分。
ここから同志社の敷地をぐるっと回って遠回り。
北稜高校前を通り我が家まで。
4.72km、31分28秒。
物足りないので、また町内一周1kmプラス。
これで、2.12+4.72+1で7.84km。
うちから近いんやし、今年も父のお見舞いランをたくさんやりましょう。
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【追加】
内海桂子@utumikeiko
お陰様で何とか97歳の誕生日に舞台に立てました。両親が駆け落ち先の千葉県銚子で私を生んだが何故か出生届を出さないまま半年が過ぎ周りからミルクがもらえるよと言われて慌てて届け出たのが今日。同年9月の関東大震災で父親とは別れたままで顔も知らない。そんなんでも97年間生き抜く事できました。
※ひょっとして、うちの父の一つ下?
ツイッター、フォローさせていただきました。
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【今日のきく】
夜9時から、長いお散歩へ。
リードを付けると歩きたがらないので、外して自由に歩いてもらった。
そしたら、またこれですわ。すぐに薮に顔を突っ込む。
前はこんなことなかったのになあ。
川沿いの散歩道から公園へ。
きくは、なんぼでもなんぼでも歩く。
公園から家に帰るのもリードなしにしたら、よその家に入ろうとしたり、反対側に戻ったり。
けっきょく、家に帰ったのは10時。まるまる1時間も、きくといっしょにさまよってましたねえ。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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