2018年01月09日(火)
第100回9の日平和ラン〜円谷選手の命日〜 [ランニング]
「一人の道」 1972年1月10日発売
歌:ピンクピクルス
作詞:今江真三郎
作曲:茶木みやこ
ある日走った その後で
僕は静かに 考えた
誰のために 走るのか
若い力を すり減らし
雨の降る日も 風の日も
一人の世界を 突っ走る
何のために 進むのか
痛い足を がまんして
大きな夢は ただ一つ
五つの色の 五つの輪
日本のための メダルじゃない
走る力の 糧なんだ
父さん 許して下さいな
母さん 許して下さいね
あなたにもらった ものなのに
そんな生命を 僕の手で
見てほしかった もう一度
表彰台の 晴れ姿
だけど 身体は動かない
とっても もう 走れない
これ以上は 走れない
遺書の全文(原文ママ)
父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。
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私がマラソンを始めたのは、今まで何回も書いてきたように増田明美選手の日本新連発に触発されてのこと。しかし、潜在的には、小3の時に見た東京オリンピックの円谷選手の影響のような気もする。
円谷幸吉選手は、1964年東京オリンピック陸上競技日本代表の唯一のメダリストである。しかし1968年1月9日、自衛隊体育学校宿舎の自室にてカミソリで頚動脈を切って自殺。27歳だった。
私が高1の時(1972年)にリリースされた「一人の道」は、あまりにも悲しすぎた。この歌はショックだった。でも、今も私の「走る力の糧」であることはまちがいない。
円谷選手が自衛隊所属でなかったら、今も生きていて(77)、2020年東京オリンピックの聖火リレー最終走者になっていたかもしれない。
「平和の祭典」の犠牲者など、絶対に出してはならない。
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私の「9の日平和ラン」も、今日で100回目。
今日は「平和・憲法九条」の小さなのぼりを帽子につけて走ることにした。
今日は、家から叡電・市原駅に行き、そこから八幡前駅まで行き折り返し、家に戻るコースを走る。ルート検索では、これで10km弱。
午後3時20分、「雨が降っていなくても帽子をかぶって・・・」と思いながら家を出ると雨。「あれっ? 今日はずっと降ってへんかったのに・・・。」
冬の天気はこれやから要注意!
みぞれっぽくなってきたが、大した雨ではなかったので快調に走れた。
市原駅で1.72km、10分半。
駅前で記念撮影。
小さいけど、まあまあ「平和」が見えてますね。
家まで戻って3.4km。
ここから、広い歩道のあるバス通りへ。
ここを走ると、車やバスの人と電車の人の両方から見てもらえる。多少アピールできたかも。
岩倉駅で突き当り、右折。
洛北中学校前を通ると、ちょうど下校時間だったようで、たくさんの子とすれちがった。
私の頭のミニのぼりを見て、「平和、平和」と言ってくれた子が何人かいた。
そのあと、初めて走る道。
同志社大成寮という建物の前も通った。
もう一度適当に曲がったら、うまい具合に八幡前駅に出た。
ここで6.7km。家から3.3kmなので、戻れば10kmくらいになるはず。
ウィンドウに映った姿を撮っておいて・・・。
同じ道はおもしろくないので、同志社高校のど真ん中を通り・・・。
岩倉南小学校前も通り・・・。
まだ4時20分だというのに、もう日が沈んでしまった。
自宅到着、9.81km、56分13秒。
9.9kmに0.09km足りませんでしたねえ。
今日は、ミニのぼりでも中学生が気付いてくれてよかった。
これなら風が強くてもだいじようぶだし、またミニ「平和・憲法九条」つけて走ろう。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
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コメント
速歩ランナーさん、コメントありがとうございます。
いくら考えても、聖火ランナーの最終走者は円谷選手がふさわしかったと思います。東京8位(当時は6位までが入賞)でメキシコ銀メダルの君原選手に、二人分走ってもらいますか。
君原健二さんは勝山マラソンの大使として毎年参加されてます・・わたしと10歳上・・彼の背中には永久に戦友の円谷さんが張り付いているようです・・
君原氏が元気でいる間は見届けていたい・・
元自衛官としても円谷さんのことは永久に忘れていけないことだと・・遺書の文章にはいつでも号泣します・・
東京オリンピックを見せてやりたい人ですよね