2018年05月19日(土)
おうまさんパッカパッカ [家族]
今日はまた、出張販売の荷物の積み込み。
明日は「奥びわ湖健康マラソン」ですから。
晩ごはんを食べたあとは、旧事務所に行き、置きっぱなしの荷物の整理。主に写真の整理。「なんぼほど写真撮ったんやー」と自分でも呆れるくらいの写真の量。でも、写真を見るといろいろなことが思い出されて楽しい。
写真の整理をしていると、押し入れの上のほうで「おうまさんパッカパッカ」を見つけた。これは、ヨメさんのおねえさんからいただいたもの。廉や真樹のいとこが使っていたものだから、もう30年以上前のもの。後ろの部分が少し壊れてしまっているが、処分してしまうのは忍びない。何とか直して置いておけないものか。
増田明美さんにサインしてもらったTシャツも見つかった。
「第1回日本アルプスサラダ街道 信濃山形ロードレース」のときにサインしてもらったもの。この大会はもうないのでしょうか。
大会の前泊では増田明美さんと同じ宿になり、ヨメさんは増田明美さんといっしょにおふろに入ったらしい。ヨメさん27歳、増田明美さん25歳の時の話です。
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また写真を見つけてきた。
1996年6月の「スイス村リゾートマラソン」(京都府弥栄町、現京丹後市)。
廉4歳10か月、真樹1歳10か月。
この日は、ヨメさんと廉がレースに出た模様。
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【今日のきく】
また、私の朝帰り即お散歩。
今日は、よその犬には1ぴきも会わなかった。
今日もほとんど遊んでもらえなかったきく。
けっこうすねていた。
リボン型のきゅっきゅちゃんで一人遊び。
自分が噛んで放り投げたきゅっきゅちやんが、うまい具合に首の上に乗った。
「こんなことできるんですか!」
明日は晴れるみたい。
がんばって販売してくるからねー。
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2018年05月18日(金)
京大のタテカン [時事]
アメフト(ナリケン関連)、ヒデキ(私と同い年)も気になるけど、今の私の関心はやはり「京大のタテカン」。
京大名物の立て看板が、京都市の新景観条例に違反してるとされ強制撤去されたニュース。
今日は24時間バイトで、恒例の朝日・日経チェック。このニュースは、全国紙にも詳しく報じられていた。でも、京都以外の方にはピンと来んかなあ・・・。
ネットで調べていると、上の写真が見つかった。(@nonamea774 2018-5-12 16:32:31)
これぞ「京大魂」ですかねえ。みなさん大絶賛。
京都大学の存在は、京都人としての誇りの一つ。ほとんどの京都人が「京大は東大より上の日本一の大学」と思っていると思う。
私自身は京大に何のかかわりもなく(もちろん受験できたレベルでもなく)、私の一族に京大出身者や京大関係者はいない。それでも勝手に「うちの大学は・・・」と言いたくなってしまう。それは京大が誇る「自由」な学風が、京都人気質にうまく受け入れられているからだと思う。
今回の強制撤去は、(だれも書いていないが)学歴コンプレックスの暴走ではないのだろうか。
私のように「京大」と聞いただけでうれしくなってしまう人間もおれば、学歴コンプレックスから反感を抱く者もあるだろう。「あこがれ」と「ひがみ」の差と言いますか・・・。
学歴コンプレックスを持つ者が権力を握ってしまうと、うらやましいと思う人たちを迫害しにかかるかもしれない。
(例を出して悪いが、中国の文化大革命とか、カンボジアのポルポト政権とか・・・、ちがうんかなあ。)
景観は人間の容姿と同じで、かなり好みが分かれると思う。たとえ容姿が芳しくなくとも、不快感を与えないように努力している人は攻撃されることは少ない。
「京大のタテカン」は1960年代に始まり、50年以上の歴史がある。京都市の新景観条例は2007年からなので、やっと10年。どちらが地域になじんでいるかは明白です。
「何もない石垣が続く景観を見たかったら、よそへ行きなさい、なんぼでもあるから。『京大のタテカン』は、ここでしか見られんよ」と訴えたい。
「京大だけ特別扱いは許されない」というのが京都市の主張らしい。
いや許されるでしょう、京大なら。文句を言う人がどれだけいるんでしょうね。
そんなこと言うんなら、市バス乗り場の変な看板撤去せーよ!見苦しい! あんな企業(商品)広告はええんかい! 私は京大タテカンより、あっちのほうを撤去してほしい。
この際、裁判沙汰にした方がいいのかも。しょうもない京都市の条例より、日本国憲法第21条「表現の自由」のほうが上でしょう。
京都の誇りである京都大学とその学生の良心を信じて、この問題は大学に任せたらどうでしょう。過去の京大総長の多くは、「立て看板を規制するつもりはない」というコメントを残しておられます。
学歴コンプレックスを持った政治家の出る幕ではないような気がしますが・・・。
(上)大学による撤去後に百万遍交差点に登場した「こざっぱりとしてはる。」と書かれた看板(5月14日午後0時6分撮影)と、(下)撤去前の周辺の景観(5月11日午後3時22分撮影。いずれも京都市左京区・百万遍交差点)
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【参考】
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2018年05月17日(木)
ポスト投函ラン [ランニング]
5月10日から16日までの7日間、、走ったのは13日の「鯖江」5kmのみ。
頭痛はましになってきたのだが、今度は強烈な腰痛。靴下を履くのさえ難儀するほどの痛み。だいぶガタが来てますねえ。
明日も24時間バイトで走れないし、今日こそ走らねば。
たまたま早くださなくてはならない書類があったので、郵便局まで走っていくことにした。何か理由がないと、走る気が起こらない。
また整理した荷物からいいウェアが出てきた。フランクショーターのハーフパンツ。いったい何年前のものでしょうね。
でも、履いてみるとすごくいい感触。私は締め付けられるのがイヤなので、ハーフタイツは履かない。でも、これは締め付けもきつくなく十分使える。
うちから一番近いのは幡枝郵便局だが、それではおもしろくない。それにもう6時なので、今日の集荷は終わっている。まだやっている京都北郵便局まで走っていくことにした。
圓通寺の裏のきつい下り坂を通り上賀茂へ。
上賀茂小学校にぶつかる通りをまっすぐ西へ。ぶつかる手前に、玉本なるみ市会議員のご自宅があった。そのあたりでちょうど3km。
上賀茂橋を渡る。
今日も蒸し暑かったが、夕方になり少し涼しくなった。
北郵便局到着、4.36km、24分40秒。
大事な書類をポストに投函
さあ、堀川通を通って帰ろう。
御薗橋手前で5km、28分25秒。
そこそこ速く走れている。
上賀茂神社もひっそり。
ここは、毎年5月5日に「くらべ馬」をするところ。
馬の気分で走ってみる。
「京都キャロット」到着。約7.5km、43分。
ちょうど7時の閉店時間だったので、片付けてからみんなで歩いて帰ることに。
しかし、今日の晩ごはんのポテトサラダのハムがないということで、私ときくはコンビニへ。
「なんでオバサンはいっしょにきーひんの」と、きくは後ろばかり見ていた。
98円のハムを買ってコンビニの外へ。コンビニ前で待っている姿も、こんなにかわいいきくちゃんでしたー。
今日は、私の大好きな豆ごはん。
「ごはんは白ごはんに限る」派の私だが、豆ごはんだけは別。豆ごはんは、ごはんの色が変わらないのがいい。第一、おいしいし。
ポテトサラダもおいしかったし、今日は大満足。
おいしい晩ごはんをありがとう、ますみちゃん。
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42日ぶりの三線教室 [雑用]
今日はイオンモール京都五条へ。
久しぶりの三線教室。
三線教室は月2回なので、本当は4月19日にあったのだが、ちょうどその日から沖縄に行っていた。そのため42日ぶり。その間、一度も練習していない。ひどいもんです。
午前中、家でちょっと練習。意外とよく覚えていた。ただし指の動きはひどいもの。弾ける曲と弾けない曲がはっきりと分かれてしまった。
午後1時半から3時半までの2時間。
やはりブランクはきつかった。曲によっては、最初の一音しか弾けないものもあった。そのあとずっと、ぼーっとしたままで・・・。
今日は、「てぃんさぐぬ花」「かぎやで風」「安里屋ユンタ」「沖縄(うちなあ)」と新しい曲「パラダイスうるま島」。
この中でまともに引けたのは「沖縄(うちなあ)」だけだった。
ちょっとさぼりすぎた。
これからは、ちょっとでも練習するようにしよう。
2階では「ちゅら島市場」というのが開催されていた。
ゆっくり見たかったが、駐車3時間を超えると有料になるので出てきた。
見ているお客様がほとんどおられなかったのが残念。
「私、横で三線弾きましょか」とか言えるくらいまでに上達したいもんやねえ。
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2018年05月16日(水)
余命とは [病院]
◎JIJI.COM 5月16日より
「私はどれだけ生きられる?」 がん患者の余命とは何か
私のように、がん患者さんを頻繁に診療する立場の医師は、「私はあとどのくらい生きられるでしょうか?」「余命は何カ月でしょうか?」と尋ねられることが数え切れないほどあります。
医療ドラマならここで、「残念ですが、余命3カ月です」というような余命宣告があるわけですが、私はこの「余命○カ月です」という言葉を、これまで患者さんに使ったことは一度もありません。他の医師もおそらく同じでしょう。理由は簡単です。「そんなこと分かりっこないから」です。
「余命」とは、「その人があとどのくらい生きられるか」を意味する言葉です。しかし、同じがんで、かつ進行度が似た人でも、生きられる期間はあまりにもさまざまです。
余命を正確に予想することなど到底できません。がんの進行の速さや、薬がどのくらい効くか、患者さんの体力がどのくらいか、どんな持病があるかなどの特徴が、一人として同じ人はいないからです。
そこで「余命」を伝える場合は、「生存期間中央値」という値を便宜上使います。例えば、過去のデータから同じ病気の人を99人集め、生きられた期間が長い順番に並べた時に、ちょうど真ん中の50番目に来る人の生きた期間が「生存期間中央値」です。誤解してはならないのが、ある病気の生存期間中央値が3カ月であっても、「その病気を持つ人が今後生きられる期間が3カ月である可能性が最も高い」という意味ではないということです。
これは、学校の試験の成績にたとえるとよく分かります。例えば、ある学校の中学1年生の学力テストの得点の中央値が、これまでのデータから60点だと予想されるとしましょう。ここに、毎日まじめに勉強し、いつも成績優秀なA君と、全く勉強せずにテレビゲームばかりしているB君がいます。この2人の成績を予想するとして、「二人とも中央値である60点を取る確率が高い」と言えるでしょうか?
A君はきっと中央値より高い点数を取る可能性が高く、B君は中央値より低い点数を取る可能性が高いはずですね。中央値とはあくまで、性質の異なる人たちを集めた時に、真ん中にくる値にすぎません。個人がどの値に位置するかは、その個人次第、ということになります。そして「がんの性質」と「余命」の関係は、「試験前の勉強量」と「試験の成績」の相関関係とは比べ物にならないほど複雑です。
■がんの余命を考える時の注意点
ステージ4の大腸がんの患者さんから「余命はどのくらいでしょうか?」と尋ねられたら、私は生存期間中央値の定義を説明した上で、「生存期間中央値は抗がん剤治療(化学療法)を行わないケースでは約8 カ月、化学療法を行って約2 年とされています」(※)と答えます。
しかし、これだけでは説明として全く不十分です。これらの数字はあくまでステージ4の大腸がん全体の生存期間中央値で、実際には多種多様です。肝臓に転移が1カ所あっても、肺や肝臓、おなかの中に広くがんが広がっていても「ステージ4の大腸がん」です。
また、今は肝臓に転移が1カ所でも、1カ月後は肺に転移が現れているかもしれません。同じサイズの肝転移のあるステージ4の大腸がんでも、抗がん剤がよく効けば長く生きられますし、抗がん剤の効き目が悪ければ余命は短いかもしれません。
肝臓の転移も部位によっては手術で切除できるものもあれば、そうでないものもあります。もしかすると、肝転移のサイズが小さくなったらその時点で手術を検討できる、というものもあるかもしれません。がんの性質や進行のスピード、治療介入の影響で、生存期間の可能性の幅はあまりにも広いということです。
よって、患者さんから「余命」を尋ねられたら、ここに書いた全てのことを説明しなくてはなりません。そして、ある程度の幅をもって予想していただく、ということになります。生存期間中央値は一つの目安にはなりますが、決して「余命○カ月です」というシンプルな余命宣告はありえないということです。
余命を問われた医師が、上述したような回りくどい答えを返すと、「医師はきっと余命が分かっているはずなのに、ごまかされた」「あとどのくらい生きられるか正確に知らないと、家庭や仕事の調整ができないのに、はっきり教えてもらえなかった」と不信感を持つ人がいます。こういう方々の中には、がんの標準治療に不信感を示し、医学的根拠のない民間医療に傾倒し、結果的に余命を縮めてしまう人もいます。
皆さんは、がんの余命宣告というものが、どうしてもこのようなあいまいな形でしか行うことができない、ということを分かっておいていただきたいと思います。(了)
※日本癌治療学会「大腸がん治療ガイドライン」(http://jsco-cpg.jp/guideline/13.html)より
■武矢けいゆう
医師。専門は消化器外科。月間30万人以上が利用する医療情報ブログ「外科医の視点」で、現役勤務医の立場から、患者さんの役に立つ情報を日々発信中。資格は外科専門医、消化器外科専門医、消化器病専門医など。
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「余命」に関する記事を見つけた。
以前はまったく関心がなかったが、今は気になってしょうがない。
おととし10月に癌宣告を受けたときは、意外と落ち着いていた。その時は、胃がんで亡くなった母のことを思い出した。そしてすぐに、「もうすぐ死ぬとしてもしょうがないやん」と思えた。(母は癌宣告から2年後くらいに死去。)
母は目の具合が悪く病院に行き、ついでの検査で胃がんが見つかった。胆のう炎で病院に行き、甲状腺癌が見つかった私も似た道をたどっている。
ところがPET検査で遠隔転移していないことが分かると、「もうちょっと生きさせてくれー」と思うようになった。
それからは、自分の「余命」が気になってしょうがない。というか、現在の関心事の90%くらいが「余命」に関することと言っても過言ではない。
武矢けいゆう医師の話はたいへん分かりやすい。
「生存期間の可能性の幅はあまりにも広い」、その通りでしょう。
ほなら、そのあらゆる可能性を分析して、できるだけ正確な「余命」判断ができるようにする研究はないのだろうか。「分かりっこない」で済まさないで、プロジェクトチーム作れよと思う。
次々と、癌に劇的な効果のある新薬が開発されている。でもそれって、金持ちが喜ぶだけのもんですやん。何百万、何千万もする薬なんて、そうやすやすと買えません。そんなお金があるのなら、私は自分の延命ではなく、犬猫の延命に使いたい。
私は「延命」より、「死期」に関心がある。莫大なお金を使って命を伸ばすより、今ある「余命」内でできることを精いっぱいしたい。
私の「甲状腺低分化癌」はマイナーな癌のため、その治療に関する研究も進んでいない。身近に医療関係者がいるが、この癌のことはほとんど何も知らないようだ。そらそうやわねえ。めったに来ない患者より、よくよく接する患者の病気のほうに関心は向くものでしょう。
私ら甲状腺低分化癌患者は、患者同士で情報交換するしかない。みなさん不安やから、よく調べておられる。こんなこと言ったらあかんのかもしれんけど、頼りになるのは「身近な医療関係者より、遠い同病患者」です。(ただし、このブログの病気カテゴリーにコメントを入れてくださる方は全員女性。「男の甲状腺低分化癌患者、出て来いや―!」)
自分の死が近いかもしれないことはよく理解している。今は声が出にくく息苦しくなっただけで、癌宣告前とほとんど変わらない生活をしている。でも、遠隔転移というのが起こったら、その先はどうなるかは分からない。
こないだ姉夫婦が来てくれた時、私の病気の話になった。
「あれから(胆のう炎発作)あとは、どうもないんか」と姉。
「胆のうは7月に取ってしまうから、もうええねん。甲状腺のほうは今はまあまあ安心なんやけど、癌が遠隔転移したらどうなるか分からへん。甲状腺癌は肺と骨と脳に転移しやすいらしいわ。」
「そうかー。脳やったら、すすむちゃん(私らの叔父)とおんなじやなー。」
姉のその言葉を聞いて、私の死が具体化されたような気がした。
めったに親戚の病気見舞いさえ行かない私なのに、小さい時にかわいがってくださった「すすむちゃん」だけはお見舞いに行った。奥さんが「こうちゃんが来てくれはったよ」と何べんもおじさんの耳元で言ってくださったが、最後まで私のことは分からなかったと思う。
そうか、そうゆうことなんかー。あんな感じで死んでいくんやろなー。
また一つ、覚悟せんなんことが増えたなあ。
早う「余命診断コンピューター」開発してくれよ。
このごろ、カレンダーばっかり見てしまうわ。
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2018年05月15日(火)
あんも7年、沖縄本土復帰46年 [わんこ・にゃんこ]
今日5月15日は、地元京都では葵祭の日。
でも、私にとっては忘れられないあんもの命日である。
22歳目前で死んでしまって、もう7年になるんですね。
今日どなたかが、上のあんもの写真をクリックしてくださった。私が見ても、いつのあんもの写真か分からない。このブログの愛読者さんの中に、あんもファンの方がいらっしゃるんでしょうか。
ネコの保護活動をしておられるfukikoさんのブログ「猫と過ごす、こんな一日」を見ては、「やっぱり黒猫がええなあ」と思っているパオパオです。
今日は旧事務所の整理へ。
主に写真の救済。
あとは「金目のもんが出てこんかなあ・・・」と。
金目のもんは出てこんが、大事な写真は続々と出てくる。
壁にはったままの「生まれてちょうど1か月の廉の写真」と「父が書いてくれた真樹の名前」。そうそう、写真の中の「藤井廉」も父が書いてくれた。
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以下、ゴミの中から救出された大事な写真の一部。
18歳のあんもちゃん!
元気いっぱいやったねえ。
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◎京都新聞5月15日夕刊
基地反対「沖縄内部に溝」 復帰46年でルーツ持つ作家
京にも居住 距離置き、未来考える
沖縄から過重な米軍基地負担の実情などを発信し続けてきた男性の作家が3月、本土にも家を借り沖縄から距離を置く生活を始めた。基地反対を巡る状況に閉塞感を覚えたことが理由だ。「沖縄内部にこそ埋めるべき溝がある」。15日に本土復帰46年を迎えた沖縄に、世代間のギャップ、反対派の排他性など多くの課題を感じている。
作家は、沖縄出身の両親の間に大阪市で生まれた仲村清司さん(60)。沖縄のことは「2世には分からない」と言われた悔しさや、ルーツへの思いから1996年に移住。沖縄大の客員教授として出版文化や文章作法を教えながら、「消えゆく沖縄」(光文社新書)など基地から文化風俗まで幅広い分野で執筆してきた。
「(反対派は)若者目線で語る言葉を持てなかった事実と向き合う必要がある」。今年2月、米軍普天間基地(宜野湾市)の移設先、名護市の市長選で、辺野古移設に反対する現職が若者らの支持を得られずに敗れたことに衝撃を受けた。
共同通信などの期日前と当日の出口調査で、10〜20代の6割以上が容認派が支援する新人に投票。過半数が現職を支持したのは50代以上だった。
沖縄大で接する若者らは、生まれた時から基地があるのが当たり前。「若者には雇用や貧困など切羽詰まった問題がある。頭ごなしに基地問題や平和の重要性を説いても耳をふさいでしまう」という。
沖縄戦や米統治下の土地接収などの過酷な歴史を伝えても、共感を得るのが難しくなっている。ただ、基地反対派は環境の変化に対応できていないように見える。
反対派同士がネットで糾弾し合う様子が目につき、仲村さんも基地とは無関係のことで反対派から批判された。「少しでも言葉を間違えると批判される。怖くて物を言えない」。沖縄で暮らす「重さ」が増し、県内の自宅とは別に、学生時代を過ごした京都市に家を借りた。
沖縄には在日米軍専用施設の約7割が集中している。京都と沖縄を行き来する今、本土の無関心が肌身にしみる。仲村さんは「復帰の意味を問い続け、沖縄の未来をどうしたいから基地はいらないのか考え続けなければならない。スローガンだけでなく、具体的な青写真を示す必要がある」と訴えた。
〔共同〕
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「今年2月、米軍普天間基地(宜野湾市)の移設先、名護市の市長選で、辺野古移設に反対する現職が若者らの支持を得られずに敗れたことに衝撃を受けた。」
ほんまにこの通り。
唯一、年配者から若者への平和運動の引継ぎかうまく行っていると思っていた沖縄がこの始末。このままでは、今年11月の沖縄知事選も危ない。翁長知事は今日会見を開いておられたが・・・。
私もジジイの端くれとして、なんとかお役に立ちたいと思う。
とりあえずは、6月23日沖縄慰霊の日の「一人沖縄平和ラン」をしっかり走らなければ。
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【今日のきく】
今日、ヨメさんが狂犬病注射に連れて行ってくれた。
首の脂肪のかたまりが気になっていたが、放っておいていいらしい。
ちょっと安心した。
注射のあと元気がなかったが、夜には復活。
動物病院の先生に「筋肉質」と言われたらしい。
モリモリ!
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2018年05月14日(月)
羽二重餅の思い出 [家族]
前にも同じことを書いたかもしれん。
私が小さい時のこと。
おとちゃん(父)が農協に勤めていて、毎年福井へ杉苗を仕入れに行っていた。そのときのおみやげが決まって羽二重餅。
初めて食べたときから、「こんなおいしいもんがあるんか」と思っていた。
大人になってから福井に行くことがあり、当たり前のように羽二重餅を買った。ところが、小さい時に食べた羽二重餅とちょっとちがう。
おとちゃんが買ってきた羽二重餅は、桟で仕切られていた。ところが最近の羽二重餅は、一つ一つ袋に入っている。それだけなら気にするほどのことでもないのだが、餅のなめらかさというのも乏しくなったような気がする。
「あの思い出の味にはもう出会えへんのか・・・」とあきらめかけていた。
ところが、昨日南条SAで見つけた「生羽二重餅」。
ピピピと来ましたねー。
昨日の風呂あがりに、ヨメさんと二人でさっそく食べた。
「これじゃ、これじゃ、この味と食感(触感)!」
おとちゃんのおみやげの羽二重餅は、こんな感じやったで。
今度福井に行ったら、おとちゃんに買うてかえったろ。
でも、喉に詰めて死ぬかもな。96歳やし。
こないだ、父は一時的に意識がなくなったらしい。
「おとちゃんが買うて来てくれた羽二重餅が一番好きやった」ということは、今のうちにちゃんとゆうとかなあかんね。
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【今日のきく】
前足を私の古いカバンに、後ろ足を私の新しい方のカバンにかけて熟睡しているきく。
無防備やねえ。
今日は、昨日濡れてしまったものを干すのがたいへんだった。
「寝てんと、きくも手伝ってくれよ。」
私は今日も体調すぐれず、RUNはなし。
夕方に干したシートをたたみに行くと、きくが「ウインドウ犬」になっていた。
店に来た人が、ビックリせんかなあ・・・。
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