2018年05月16日(水)
余命とは [病院]
◎JIJI.COM 5月16日より
「私はどれだけ生きられる?」 がん患者の余命とは何か
私のように、がん患者さんを頻繁に診療する立場の医師は、「私はあとどのくらい生きられるでしょうか?」「余命は何カ月でしょうか?」と尋ねられることが数え切れないほどあります。
医療ドラマならここで、「残念ですが、余命3カ月です」というような余命宣告があるわけですが、私はこの「余命○カ月です」という言葉を、これまで患者さんに使ったことは一度もありません。他の医師もおそらく同じでしょう。理由は簡単です。「そんなこと分かりっこないから」です。
「余命」とは、「その人があとどのくらい生きられるか」を意味する言葉です。しかし、同じがんで、かつ進行度が似た人でも、生きられる期間はあまりにもさまざまです。
余命を正確に予想することなど到底できません。がんの進行の速さや、薬がどのくらい効くか、患者さんの体力がどのくらいか、どんな持病があるかなどの特徴が、一人として同じ人はいないからです。
そこで「余命」を伝える場合は、「生存期間中央値」という値を便宜上使います。例えば、過去のデータから同じ病気の人を99人集め、生きられた期間が長い順番に並べた時に、ちょうど真ん中の50番目に来る人の生きた期間が「生存期間中央値」です。誤解してはならないのが、ある病気の生存期間中央値が3カ月であっても、「その病気を持つ人が今後生きられる期間が3カ月である可能性が最も高い」という意味ではないということです。
これは、学校の試験の成績にたとえるとよく分かります。例えば、ある学校の中学1年生の学力テストの得点の中央値が、これまでのデータから60点だと予想されるとしましょう。ここに、毎日まじめに勉強し、いつも成績優秀なA君と、全く勉強せずにテレビゲームばかりしているB君がいます。この2人の成績を予想するとして、「二人とも中央値である60点を取る確率が高い」と言えるでしょうか?
A君はきっと中央値より高い点数を取る可能性が高く、B君は中央値より低い点数を取る可能性が高いはずですね。中央値とはあくまで、性質の異なる人たちを集めた時に、真ん中にくる値にすぎません。個人がどの値に位置するかは、その個人次第、ということになります。そして「がんの性質」と「余命」の関係は、「試験前の勉強量」と「試験の成績」の相関関係とは比べ物にならないほど複雑です。
■がんの余命を考える時の注意点
ステージ4の大腸がんの患者さんから「余命はどのくらいでしょうか?」と尋ねられたら、私は生存期間中央値の定義を説明した上で、「生存期間中央値は抗がん剤治療(化学療法)を行わないケースでは約8 カ月、化学療法を行って約2 年とされています」(※)と答えます。
しかし、これだけでは説明として全く不十分です。これらの数字はあくまでステージ4の大腸がん全体の生存期間中央値で、実際には多種多様です。肝臓に転移が1カ所あっても、肺や肝臓、おなかの中に広くがんが広がっていても「ステージ4の大腸がん」です。
また、今は肝臓に転移が1カ所でも、1カ月後は肺に転移が現れているかもしれません。同じサイズの肝転移のあるステージ4の大腸がんでも、抗がん剤がよく効けば長く生きられますし、抗がん剤の効き目が悪ければ余命は短いかもしれません。
肝臓の転移も部位によっては手術で切除できるものもあれば、そうでないものもあります。もしかすると、肝転移のサイズが小さくなったらその時点で手術を検討できる、というものもあるかもしれません。がんの性質や進行のスピード、治療介入の影響で、生存期間の可能性の幅はあまりにも広いということです。
よって、患者さんから「余命」を尋ねられたら、ここに書いた全てのことを説明しなくてはなりません。そして、ある程度の幅をもって予想していただく、ということになります。生存期間中央値は一つの目安にはなりますが、決して「余命○カ月です」というシンプルな余命宣告はありえないということです。
余命を問われた医師が、上述したような回りくどい答えを返すと、「医師はきっと余命が分かっているはずなのに、ごまかされた」「あとどのくらい生きられるか正確に知らないと、家庭や仕事の調整ができないのに、はっきり教えてもらえなかった」と不信感を持つ人がいます。こういう方々の中には、がんの標準治療に不信感を示し、医学的根拠のない民間医療に傾倒し、結果的に余命を縮めてしまう人もいます。
皆さんは、がんの余命宣告というものが、どうしてもこのようなあいまいな形でしか行うことができない、ということを分かっておいていただきたいと思います。(了)
※日本癌治療学会「大腸がん治療ガイドライン」(http://jsco-cpg.jp/guideline/13.html)より
■武矢けいゆう
医師。専門は消化器外科。月間30万人以上が利用する医療情報ブログ「外科医の視点」で、現役勤務医の立場から、患者さんの役に立つ情報を日々発信中。資格は外科専門医、消化器外科専門医、消化器病専門医など。
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「余命」に関する記事を見つけた。
以前はまったく関心がなかったが、今は気になってしょうがない。
おととし10月に癌宣告を受けたときは、意外と落ち着いていた。その時は、胃がんで亡くなった母のことを思い出した。そしてすぐに、「もうすぐ死ぬとしてもしょうがないやん」と思えた。(母は癌宣告から2年後くらいに死去。)
母は目の具合が悪く病院に行き、ついでの検査で胃がんが見つかった。胆のう炎で病院に行き、甲状腺癌が見つかった私も似た道をたどっている。
ところがPET検査で遠隔転移していないことが分かると、「もうちょっと生きさせてくれー」と思うようになった。
それからは、自分の「余命」が気になってしょうがない。というか、現在の関心事の90%くらいが「余命」に関することと言っても過言ではない。
武矢けいゆう医師の話はたいへん分かりやすい。
「生存期間の可能性の幅はあまりにも広い」、その通りでしょう。
ほなら、そのあらゆる可能性を分析して、できるだけ正確な「余命」判断ができるようにする研究はないのだろうか。「分かりっこない」で済まさないで、プロジェクトチーム作れよと思う。
次々と、癌に劇的な効果のある新薬が開発されている。でもそれって、金持ちが喜ぶだけのもんですやん。何百万、何千万もする薬なんて、そうやすやすと買えません。そんなお金があるのなら、私は自分の延命ではなく、犬猫の延命に使いたい。
私は「延命」より、「死期」に関心がある。莫大なお金を使って命を伸ばすより、今ある「余命」内でできることを精いっぱいしたい。
私の「甲状腺低分化癌」はマイナーな癌のため、その治療に関する研究も進んでいない。身近に医療関係者がいるが、この癌のことはほとんど何も知らないようだ。そらそうやわねえ。めったに来ない患者より、よくよく接する患者の病気のほうに関心は向くものでしょう。
私ら甲状腺低分化癌患者は、患者同士で情報交換するしかない。みなさん不安やから、よく調べておられる。こんなこと言ったらあかんのかもしれんけど、頼りになるのは「身近な医療関係者より、遠い同病患者」です。(ただし、このブログの病気カテゴリーにコメントを入れてくださる方は全員女性。「男の甲状腺低分化癌患者、出て来いや―!」)
自分の死が近いかもしれないことはよく理解している。今は声が出にくく息苦しくなっただけで、癌宣告前とほとんど変わらない生活をしている。でも、遠隔転移というのが起こったら、その先はどうなるかは分からない。
こないだ姉夫婦が来てくれた時、私の病気の話になった。
「あれから(胆のう炎発作)あとは、どうもないんか」と姉。
「胆のうは7月に取ってしまうから、もうええねん。甲状腺のほうは今はまあまあ安心なんやけど、癌が遠隔転移したらどうなるか分からへん。甲状腺癌は肺と骨と脳に転移しやすいらしいわ。」
「そうかー。脳やったら、すすむちゃん(私らの叔父)とおんなじやなー。」
姉のその言葉を聞いて、私の死が具体化されたような気がした。
めったに親戚の病気見舞いさえ行かない私なのに、小さい時にかわいがってくださった「すすむちゃん」だけはお見舞いに行った。奥さんが「こうちゃんが来てくれはったよ」と何べんもおじさんの耳元で言ってくださったが、最後まで私のことは分からなかったと思う。
そうか、そうゆうことなんかー。あんな感じで死んでいくんやろなー。
また一つ、覚悟せんなんことが増えたなあ。
早う「余命診断コンピューター」開発してくれよ。
このごろ、カレンダーばっかり見てしまうわ。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 1 )
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コメント
西城秀樹63歳・・倒れてから意識はなく・・1週間が3週間も生き延びてたとか・・意識はなくとも少しでも家族をと・・
そういう思いが感じられる・・
初めて本名を知った・・キモトタツオ?
40代での脳梗塞・・原因は酒?
そういうことは公表しないのかい・・
24HTVで紹介されそうなリハビリ風景ばかり前面に出し過ぎではダメだと・・