2018年05月16日(水)
余命とは [病院]
◎JIJI.COM 5月16日より
「私はどれだけ生きられる?」 がん患者の余命とは何か
私のように、がん患者さんを頻繁に診療する立場の医師は、「私はあとどのくらい生きられるでしょうか?」「余命は何カ月でしょうか?」と尋ねられることが数え切れないほどあります。
医療ドラマならここで、「残念ですが、余命3カ月です」というような余命宣告があるわけですが、私はこの「余命○カ月です」という言葉を、これまで患者さんに使ったことは一度もありません。他の医師もおそらく同じでしょう。理由は簡単です。「そんなこと分かりっこないから」です。
「余命」とは、「その人があとどのくらい生きられるか」を意味する言葉です。しかし、同じがんで、かつ進行度が似た人でも、生きられる期間はあまりにもさまざまです。
余命を正確に予想することなど到底できません。がんの進行の速さや、薬がどのくらい効くか、患者さんの体力がどのくらいか、どんな持病があるかなどの特徴が、一人として同じ人はいないからです。
そこで「余命」を伝える場合は、「生存期間中央値」という値を便宜上使います。例えば、過去のデータから同じ病気の人を99人集め、生きられた期間が長い順番に並べた時に、ちょうど真ん中の50番目に来る人の生きた期間が「生存期間中央値」です。誤解してはならないのが、ある病気の生存期間中央値が3カ月であっても、「その病気を持つ人が今後生きられる期間が3カ月である可能性が最も高い」という意味ではないということです。
これは、学校の試験の成績にたとえるとよく分かります。例えば、ある学校の中学1年生の学力テストの得点の中央値が、これまでのデータから60点だと予想されるとしましょう。ここに、毎日まじめに勉強し、いつも成績優秀なA君と、全く勉強せずにテレビゲームばかりしているB君がいます。この2人の成績を予想するとして、「二人とも中央値である60点を取る確率が高い」と言えるでしょうか?
A君はきっと中央値より高い点数を取る可能性が高く、B君は中央値より低い点数を取る可能性が高いはずですね。中央値とはあくまで、性質の異なる人たちを集めた時に、真ん中にくる値にすぎません。個人がどの値に位置するかは、その個人次第、ということになります。そして「がんの性質」と「余命」の関係は、「試験前の勉強量」と「試験の成績」の相関関係とは比べ物にならないほど複雑です。
■がんの余命を考える時の注意点
ステージ4の大腸がんの患者さんから「余命はどのくらいでしょうか?」と尋ねられたら、私は生存期間中央値の定義を説明した上で、「生存期間中央値は抗がん剤治療(化学療法)を行わないケースでは約8 カ月、化学療法を行って約2 年とされています」(※)と答えます。
しかし、これだけでは説明として全く不十分です。これらの数字はあくまでステージ4の大腸がん全体の生存期間中央値で、実際には多種多様です。肝臓に転移が1カ所あっても、肺や肝臓、おなかの中に広くがんが広がっていても「ステージ4の大腸がん」です。
また、今は肝臓に転移が1カ所でも、1カ月後は肺に転移が現れているかもしれません。同じサイズの肝転移のあるステージ4の大腸がんでも、抗がん剤がよく効けば長く生きられますし、抗がん剤の効き目が悪ければ余命は短いかもしれません。
肝臓の転移も部位によっては手術で切除できるものもあれば、そうでないものもあります。もしかすると、肝転移のサイズが小さくなったらその時点で手術を検討できる、というものもあるかもしれません。がんの性質や進行のスピード、治療介入の影響で、生存期間の可能性の幅はあまりにも広いということです。
よって、患者さんから「余命」を尋ねられたら、ここに書いた全てのことを説明しなくてはなりません。そして、ある程度の幅をもって予想していただく、ということになります。生存期間中央値は一つの目安にはなりますが、決して「余命○カ月です」というシンプルな余命宣告はありえないということです。
余命を問われた医師が、上述したような回りくどい答えを返すと、「医師はきっと余命が分かっているはずなのに、ごまかされた」「あとどのくらい生きられるか正確に知らないと、家庭や仕事の調整ができないのに、はっきり教えてもらえなかった」と不信感を持つ人がいます。こういう方々の中には、がんの標準治療に不信感を示し、医学的根拠のない民間医療に傾倒し、結果的に余命を縮めてしまう人もいます。
皆さんは、がんの余命宣告というものが、どうしてもこのようなあいまいな形でしか行うことができない、ということを分かっておいていただきたいと思います。(了)
※日本癌治療学会「大腸がん治療ガイドライン」(http://jsco-cpg.jp/guideline/13.html)より
■武矢けいゆう
医師。専門は消化器外科。月間30万人以上が利用する医療情報ブログ「外科医の視点」で、現役勤務医の立場から、患者さんの役に立つ情報を日々発信中。資格は外科専門医、消化器外科専門医、消化器病専門医など。
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「余命」に関する記事を見つけた。
以前はまったく関心がなかったが、今は気になってしょうがない。
おととし10月に癌宣告を受けたときは、意外と落ち着いていた。その時は、胃がんで亡くなった母のことを思い出した。そしてすぐに、「もうすぐ死ぬとしてもしょうがないやん」と思えた。(母は癌宣告から2年後くらいに死去。)
母は目の具合が悪く病院に行き、ついでの検査で胃がんが見つかった。胆のう炎で病院に行き、甲状腺癌が見つかった私も似た道をたどっている。
ところがPET検査で遠隔転移していないことが分かると、「もうちょっと生きさせてくれー」と思うようになった。
それからは、自分の「余命」が気になってしょうがない。というか、現在の関心事の90%くらいが「余命」に関することと言っても過言ではない。
武矢けいゆう医師の話はたいへん分かりやすい。
「生存期間の可能性の幅はあまりにも広い」、その通りでしょう。
ほなら、そのあらゆる可能性を分析して、できるだけ正確な「余命」判断ができるようにする研究はないのだろうか。「分かりっこない」で済まさないで、プロジェクトチーム作れよと思う。
次々と、癌に劇的な効果のある新薬が開発されている。でもそれって、金持ちが喜ぶだけのもんですやん。何百万、何千万もする薬なんて、そうやすやすと買えません。そんなお金があるのなら、私は自分の延命ではなく、犬猫の延命に使いたい。
私は「延命」より、「死期」に関心がある。莫大なお金を使って命を伸ばすより、今ある「余命」内でできることを精いっぱいしたい。
私の「甲状腺低分化癌」はマイナーな癌のため、その治療に関する研究も進んでいない。身近に医療関係者がいるが、この癌のことはほとんど何も知らないようだ。そらそうやわねえ。めったに来ない患者より、よくよく接する患者の病気のほうに関心は向くものでしょう。
私ら甲状腺低分化癌患者は、患者同士で情報交換するしかない。みなさん不安やから、よく調べておられる。こんなこと言ったらあかんのかもしれんけど、頼りになるのは「身近な医療関係者より、遠い同病患者」です。(ただし、このブログの病気カテゴリーにコメントを入れてくださる方は全員女性。「男の甲状腺低分化癌患者、出て来いや―!」)
自分の死が近いかもしれないことはよく理解している。今は声が出にくく息苦しくなっただけで、癌宣告前とほとんど変わらない生活をしている。でも、遠隔転移というのが起こったら、その先はどうなるかは分からない。
こないだ姉夫婦が来てくれた時、私の病気の話になった。
「あれから(胆のう炎発作)あとは、どうもないんか」と姉。
「胆のうは7月に取ってしまうから、もうええねん。甲状腺のほうは今はまあまあ安心なんやけど、癌が遠隔転移したらどうなるか分からへん。甲状腺癌は肺と骨と脳に転移しやすいらしいわ。」
「そうかー。脳やったら、すすむちゃん(私らの叔父)とおんなじやなー。」
姉のその言葉を聞いて、私の死が具体化されたような気がした。
めったに親戚の病気見舞いさえ行かない私なのに、小さい時にかわいがってくださった「すすむちゃん」だけはお見舞いに行った。奥さんが「こうちゃんが来てくれはったよ」と何べんもおじさんの耳元で言ってくださったが、最後まで私のことは分からなかったと思う。
そうか、そうゆうことなんかー。あんな感じで死んでいくんやろなー。
また一つ、覚悟せんなんことが増えたなあ。
早う「余命診断コンピューター」開発してくれよ。
このごろ、カレンダーばっかり見てしまうわ。
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2018年05月15日(火)
あんも7年、沖縄本土復帰46年 [わんこ・にゃんこ]
今日5月15日は、地元京都では葵祭の日。
でも、私にとっては忘れられないあんもの命日である。
22歳目前で死んでしまって、もう7年になるんですね。
今日どなたかが、上のあんもの写真をクリックしてくださった。私が見ても、いつのあんもの写真か分からない。このブログの愛読者さんの中に、あんもファンの方がいらっしゃるんでしょうか。
ネコの保護活動をしておられるfukikoさんのブログ「猫と過ごす、こんな一日」を見ては、「やっぱり黒猫がええなあ」と思っているパオパオです。
今日は旧事務所の整理へ。
主に写真の救済。
あとは「金目のもんが出てこんかなあ・・・」と。
金目のもんは出てこんが、大事な写真は続々と出てくる。
壁にはったままの「生まれてちょうど1か月の廉の写真」と「父が書いてくれた真樹の名前」。そうそう、写真の中の「藤井廉」も父が書いてくれた。
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以下、ゴミの中から救出された大事な写真の一部。
18歳のあんもちゃん!
元気いっぱいやったねえ。
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◎京都新聞5月15日夕刊
基地反対「沖縄内部に溝」 復帰46年でルーツ持つ作家
京にも居住 距離置き、未来考える
沖縄から過重な米軍基地負担の実情などを発信し続けてきた男性の作家が3月、本土にも家を借り沖縄から距離を置く生活を始めた。基地反対を巡る状況に閉塞感を覚えたことが理由だ。「沖縄内部にこそ埋めるべき溝がある」。15日に本土復帰46年を迎えた沖縄に、世代間のギャップ、反対派の排他性など多くの課題を感じている。
作家は、沖縄出身の両親の間に大阪市で生まれた仲村清司さん(60)。沖縄のことは「2世には分からない」と言われた悔しさや、ルーツへの思いから1996年に移住。沖縄大の客員教授として出版文化や文章作法を教えながら、「消えゆく沖縄」(光文社新書)など基地から文化風俗まで幅広い分野で執筆してきた。
「(反対派は)若者目線で語る言葉を持てなかった事実と向き合う必要がある」。今年2月、米軍普天間基地(宜野湾市)の移設先、名護市の市長選で、辺野古移設に反対する現職が若者らの支持を得られずに敗れたことに衝撃を受けた。
共同通信などの期日前と当日の出口調査で、10〜20代の6割以上が容認派が支援する新人に投票。過半数が現職を支持したのは50代以上だった。
沖縄大で接する若者らは、生まれた時から基地があるのが当たり前。「若者には雇用や貧困など切羽詰まった問題がある。頭ごなしに基地問題や平和の重要性を説いても耳をふさいでしまう」という。
沖縄戦や米統治下の土地接収などの過酷な歴史を伝えても、共感を得るのが難しくなっている。ただ、基地反対派は環境の変化に対応できていないように見える。
反対派同士がネットで糾弾し合う様子が目につき、仲村さんも基地とは無関係のことで反対派から批判された。「少しでも言葉を間違えると批判される。怖くて物を言えない」。沖縄で暮らす「重さ」が増し、県内の自宅とは別に、学生時代を過ごした京都市に家を借りた。
沖縄には在日米軍専用施設の約7割が集中している。京都と沖縄を行き来する今、本土の無関心が肌身にしみる。仲村さんは「復帰の意味を問い続け、沖縄の未来をどうしたいから基地はいらないのか考え続けなければならない。スローガンだけでなく、具体的な青写真を示す必要がある」と訴えた。
〔共同〕
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「今年2月、米軍普天間基地(宜野湾市)の移設先、名護市の市長選で、辺野古移設に反対する現職が若者らの支持を得られずに敗れたことに衝撃を受けた。」
ほんまにこの通り。
唯一、年配者から若者への平和運動の引継ぎかうまく行っていると思っていた沖縄がこの始末。このままでは、今年11月の沖縄知事選も危ない。翁長知事は今日会見を開いておられたが・・・。
私もジジイの端くれとして、なんとかお役に立ちたいと思う。
とりあえずは、6月23日沖縄慰霊の日の「一人沖縄平和ラン」をしっかり走らなければ。
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【今日のきく】
今日、ヨメさんが狂犬病注射に連れて行ってくれた。
首の脂肪のかたまりが気になっていたが、放っておいていいらしい。
ちょっと安心した。
注射のあと元気がなかったが、夜には復活。
動物病院の先生に「筋肉質」と言われたらしい。
モリモリ!
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2018年05月14日(月)
羽二重餅の思い出 [家族]
前にも同じことを書いたかもしれん。
私が小さい時のこと。
おとちゃん(父)が農協に勤めていて、毎年福井へ杉苗を仕入れに行っていた。そのときのおみやげが決まって羽二重餅。
初めて食べたときから、「こんなおいしいもんがあるんか」と思っていた。
大人になってから福井に行くことがあり、当たり前のように羽二重餅を買った。ところが、小さい時に食べた羽二重餅とちょっとちがう。
おとちゃんが買ってきた羽二重餅は、桟で仕切られていた。ところが最近の羽二重餅は、一つ一つ袋に入っている。それだけなら気にするほどのことでもないのだが、餅のなめらかさというのも乏しくなったような気がする。
「あの思い出の味にはもう出会えへんのか・・・」とあきらめかけていた。
ところが、昨日南条SAで見つけた「生羽二重餅」。
ピピピと来ましたねー。
昨日の風呂あがりに、ヨメさんと二人でさっそく食べた。
「これじゃ、これじゃ、この味と食感(触感)!」
おとちゃんのおみやげの羽二重餅は、こんな感じやったで。
今度福井に行ったら、おとちゃんに買うてかえったろ。
でも、喉に詰めて死ぬかもな。96歳やし。
こないだ、父は一時的に意識がなくなったらしい。
「おとちゃんが買うて来てくれた羽二重餅が一番好きやった」ということは、今のうちにちゃんとゆうとかなあかんね。
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【今日のきく】
前足を私の古いカバンに、後ろ足を私の新しい方のカバンにかけて熟睡しているきく。
無防備やねえ。
今日は、昨日濡れてしまったものを干すのがたいへんだった。
「寝てんと、きくも手伝ってくれよ。」
私は今日も体調すぐれず、RUNはなし。
夕方に干したシートをたたみに行くと、きくが「ウインドウ犬」になっていた。
店に来た人が、ビックリせんかなあ・・・。
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2018年05月13日(日)
第40回鯖江つつじマラソン [ランニング・出張販売]
朝4時40分起きで、4時55分出発。
自宅から名神・京都東ICまで約15km。
京都東IC〜鯖江ICまでは158.5km、4770円。かなり高い。
ただ会場が高速道を出てすぐなので、6時45分に到着。こんなに遠いのに、1時間50分で来れた。
昨日の時点の予報では午前中は降らないということだったのに、それがどんどん早くなってしまった。会場に着いたときにはもうかなりの雨。
テントを2つ立て、ブルーシートで車のバックドアとつないだ。これで何とかお客様に見ていただけそう。ただしみなさん体育館に入って行かれ、こちらをのぞいてくださる方は少なかった。
選手受付は7時から。
短いレースに絞った練習はできていないのと、頭痛が続き体調がもひとつなこともあってDNSということも考えた。でも、せっかくやしねえ。目標の21分切りができたら、ぎりぎり10位以内入賞もあるかもしれないし。
受付をした後、体育館のトイレへ。
まっさらなきれいなトイレで気持ちよかった。
9時35分にハーフの部がスタート。
朝にごあいさつに来てくださった、三重の林さん。林さんは、サンショー(3000m障害)つながりの走友。
今年のインターハイ陸上が伊勢で開催なので、見にいく約束をした。林さんは審判をされるらしい。(ただし、インターハイの時期は私の入院時期と重なる可能性あり。)
元取引先におられたRさん。この大会の常連さんです。
元気そうににこやかに走っておられた。1年に一度お会いできるだけでもうれしいです。
2kmほどアップジョグをしたのだが、頭痛はまし。雨が降って呼吸がしやすいので、とりあえずレースには出ることにした。
5kmの部は10時5分スタート。
10分前に集合場所に行くと、同い年最強の北出さん、2年前にゴール前デッドヒートだった山本さんが見つかった。
北出さんは、スタートラインに並んだ時にメガネを落としたことに気づいていないというおとぼけ。拾った女性ランナーから預かったメガネを渡すときに、今までのおとぼけの数々を教えてもらった。これでスタート前の緊張が解けた。
スタート直後に、もう北出さんの姿は見えなくなってしまった。でも山本さんがすぐ前に見えたので、山本さんを目標にして、離されないようにがんばって走った。
最初の1kmは4分05秒。このペースを落とさないように。
しかし、このあとは4分17〜4分20秒ペース。
折り返してきた北出さん。
いつものフォアフット走法。大迫選手ばりの軽やかな走り。
山本さんとは、この時点ではわずか20mほどの差。
後半がんばれば、追いつけるかも。2年前のデッドヒート再び!
しかし、強いランナーは後半が強い。山本さんとの差はどんどん広がっていった。
残り1km地点で17分ちょうど。最後の1kmを3分台は無理じゃろう。
ゴールは21分17秒。
「ギリギリ入賞行けたんちゃうん?」
完走証をもらうと、部門14位。
「今年はレベルが高かったんやなあ。」
ダウンジョグをしながら、競技場の周りを一周。
もちろん、体はビチャビチャ。
車の中で着替え。
その時、「こうじさん、峯田さんが帰ってきやはったわ」とヨメさん。
「ボク着替え中やし、写真撮ってきたげて。」
10kmに参加されていた速歩まんさん。
私のカメラが曇っていて、ちょうどお顔のところにボカシがかかったみたいになってしまった。
もう一枚は、まあまあいい感じで撮れたかな。
速歩まんさん、ヨメさんの合格祝いまで持って来てくださってありがとうございます。今日は雨の中の仮装、お疲れさまでした。
雨はやむどころかますますきつく。
まだハーフのランナーが走っておられたが、早じまいすることにした。雨は全然小降りにならず、二人ともずぶぬれになっての後片付けだった。
片付け終わったのは、最終ランナーがゴールされた12時20分ころ。こんなに早じまいしたのは初めて。
高速道に入りすぐの南条SAへ。
普通のお昼ごはんの時間にSAに入ることはめずらしい。超満員でビックリ。座るところもないくらいに混んでいた。
私は「餃子&塩中華」(980円)、ヨメさんは「味好み・ソーカツ」(980円)。
「つうは冷たいお蕎麦を食べる」と意気込んでいたが、さらに体が冷えて具合悪そうだった。ソースカツ丼のほうはおいしかったらしい。
「生羽二重餅」(756円)というのが売ってあったので、即買い。
私の理想の羽二重餅に近いような気がして。
帰りは急がないので、高速道は鯖江から敦賀まで(1420円)。
そこから国道におり、今津・朽木回りで帰ることにした。この道は運転に慣れているので、大雨でも平気で楽々。
途中、道の駅・くつき新本陣へ。
おいしそうなパンが売ってあったので、一つだけ買って食べた。これがまたおいしくておいしくて・・・。
調べてみると、このすぐ近くでパン工房を開かれた「ひだまり堂」さんのパン。この道はよく通るので、また次も買いたい。
こんなかわいいスマホケースも売ってあったので、真樹のおみやげに買った。ヨメさんからは「絶対買ったらあかん」と言われたのだが。かわいいのにね。
こんなお買い物の楽しみでもないと、今日の雨はしんどすぎたわ。
国道で帰っても、4時前には家に着いた。
距離も行きしより40kmほど短く、高速料金3350円の節約。
これからも節約できるところは節約していかないとね。
今日の晩ごはんのおかずは、南条SAで買った「ざぶとん揚げ」(515円)。
すごいボリュームがあり、食べ応えがあった。味もよし。
これは安くておいしいおみやげだった。
レースのタイムは目標に届かず、店の売り上げは微々たるもの。
そんなことゆっててもしょうがないので、しっかり食べて、また次にがんばりましょう。
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【今日のきく】
このごろ、ちょっと耳が聞こえにくくなったよう。
大きな声で呼んだら、やっと「なに?」というような顔をして振り返る。
その顔がまたかわいい。
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2018年05月12日(土)
喜べない体重増 [雑感]
今日の風呂上りの体重測定で、目標としていた59kgに到達。
しかし喜べない。
おとといの早朝から夜12時前までバイト。
昨日も早朝から今日の朝までバイト。
17時間+24時間、よく働いた。
今日は、朝帰りのあとはたっぷり時間があった。でもまたちょっと頭が痛く、走りに出る元気はなかった。
3日連続ランニングなし。にもかかわらず、モリモリ食べて・・・。これで体重が増えただけ。
全然喜べない。
もう一回絞って、またやり直し。
走りながらの59kgにしないとね。
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朝7時前に家に帰りつくと、きくちゃんが「おちゃんぽですよね」としっぽブンブン。
しゃーないしそのままお散歩へ。
いつも行く幡枝の大きな公園まで。これは30分くらいのコースかなと思っていたら、40分コースだった。ちょっと長すぎかも。
夕方から、明日の「鯖江つつじマラソン」のための荷物積み込み。
「きくちゃん、明日は雨らしいわ。また売れへんかったら、きくちゃんのごはんが少なくなるしなー。」
いやいや、それはかわいそう。自分らのごはん減らしてでも、きくちゃんにはしっかり食べてもらいますよ〜ん。
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2018年05月11日(金)
「殺処分ゼロの定義」って? [わんこ・にゃんこ]
◎日本経済新聞5月3日朝刊
殺処分ゼロの定義明確化
環境省方針 事故や感染症防ぐ
環境省は、自治体が掲げる犬猫の「殺処分ゼロ」の定義を明確化し、譲渡が難しいケースを除外する方針を固めた。引き取った人がかまれる事故や感染症の流行を防ぐのが狙い。今年度に改定予定の動物愛護に関する指針に盛り込みたい考えだ。
2012年に改正された動物愛護法では殺処分がなくなるよう、都道府県などが引き取った犬猫の譲渡に努める義務が明記された。これを受け、都道府県や政令市など42自治体が「殺処分ゼロ」を目指して活動。13年度に約12万8000匹だった殺処分数は16年度には約5万6000匹に減った。
一方で、環境省が集計・発表している殺処分数には譲渡に適さない個体や保護中に死んだ個体もカウントされるため、完全にゼロにはできない課題も出てきた。16年度の殺処分のうち、病気や攻撃性を持つことから「譲渡が適切でない」と見なされた犬猫は約1万6000匹に上った。自治体によっては、「殺処分ゼロ」を急ぐあまり、動物愛護団体に次々に譲渡し、シェルターが過密状態に陥るケースもあるという。
環境省としては、譲渡が難しい個体の殺処分はやむを得ないとの考え。東京都など「殺処分ゼロ」を目指す自治体の一部は、既に対象を譲渡に適した犬猫に絞っており、同省も譲渡困難な犬猫を除いた集計を本格的に実施することにした。
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今日は寮の管理代行24時間。
恒例の朝日・日経チェックをしていたら、変なニュースを見つけた。
「殺処分ゼロの定義明確化」・・・、はあ?
「病気や攻撃性を持つことから『譲渡が適切でない』と見なされた犬猫は約1万6000匹に上った」・・・、はあ?
「殺処分ゼロ」はタダの数字合わせの目標だったんですか。理想を追い求めることなく、帳尻合わせみたいなごまかししてどうすんねん。
これから目標を「殺処分ゼロ」ではなく、「殺処分そこそこ」にするつもりですか。
それができない一番の理由は、費用の問題だと思う。
それなら、狂犬病注射を廃止して浮いてくる年間約180億円を回したらいいと思う。「狂犬病に感染した犬・猫が日本に侵入する確率は4万9444年に1回」だそうです。(下の記事を見てください。)
狂犬病注射か、それに相当する額を寄付するかを選べるようにしてはどうでしょう。仮に半分の約90億円が不幸な犬猫に回せたら、たとえ病気や攻撃性を持っていたとしても全員助けられるんじゃないでしょうか。
私のモットーは猫侍と同じ。
「人は斬れども猫は斬らず」
私は赤の他人の命より、犬猫の命のほうがよっぽど大事と本気で思っているヘンタイです。
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◎毎日新聞5月10日朝刊・くらしナビ ライフスタイル
狂犬病注射 最適な方法は
国内で60年以上発生がない狂犬病だが、狂犬病予防法ですべての犬に登録と年1回の予防ワクチン接種が義務づけられている。しかし、科学的妥当性や犬の体に与える副反応の影響などから、将来の義務接種見直しについて、議論が起きている。
●日本では義務接種
狂犬病は人を含む全ての哺乳動物が感染する病気。狂犬病ウイルスを持つ哺乳動物にかまれたり、傷口をなめられたりすることで感染する。感染後、速やかにワクチンを接種することで発症を防げるが、発症すればほぼ100%死亡する。アジアやアフリカの発展途上国を中心に、毎年5万人以上が死亡していると推計される。
狂犬病の撲滅に向け、まずは人にとって身近な犬の狂犬病を抑えることが重要と考えられている。日本では1950年に狂犬病予防法が制定され、飼い犬の登録と予防注射が義務化された。こうした対策で発生は急激に減り、57年の猫の感染報告を最後に、国内での感染例はない。現在まで続く犬の義務接種は、海外からのウイルス侵入に備えるためのものだ。
しかし、オーストラリアやハワイ、英国といった日本以外のほとんどの清浄国・地域(狂犬病の発生がない国・地域)では、犬の予防接種が義務づけられていない。
●低い侵入リスク
「他の清浄国と比べても、日本への侵入リスクは極めて低い。将来の義務接種の見直しを含め、科学的な検証に基づいた議論を始めるべきです」。今年2月、横浜市で開かれた獣医内科学分野の学術大会で、東京大の杉浦勝明教授(獣医疫学)はこう呼び掛けた。杉浦教授らのチームは昨年、狂犬病に感染した動物が日本国内に持ち込まれる確率は「約5万年に1回」とする論文を英科学誌に発表した。
論文では、在日米兵が基地内に持ち込むペットを含め、年間約9100頭の輸入犬・猫について検証した。現在の検疫体制では、狂犬病の予防注射や抗体検査をしたうえ、180日以上の待機などが必要だ。ここで感染を見つけられず検疫をすり抜けるリスクについて、輸入元での感染率などを基に、国際的に使われる計算方法で試算した。その結果、狂犬病に感染した犬・猫が侵入する確率は4万9444年に1回だった。
侵入経路としては他にも、検疫書類を偽造した密輸▽北海道に停泊するロシア船員が犬を連れて下船▽貨物船に迷い込んだ犬・猫が上陸−−といったリスクを指摘する声がある。こうした懸念も考慮し、不正に入国する犬・猫が仮に全体の20%に達した場合を試算しても、侵入の確率は249年に1回にとどまった。
長く発生のなかった日本では、発症動物の診断や初動対応が遅れる恐れを指摘する専門家もいる。侵入した場合にどれだけ感染が広がるかの検証が必要だ。2月の学術大会では新たに、酪農学園大の蒔田(まきた)浩平教授(獣医疫学)が日本での拡散リスクについて発表した。
蒔田教授のチームは、現代の茨城県と北海道をモデルに、感染した犬1頭が日本に侵入した場合の拡散リスクを検証。すべての犬が予防注射をしていない▽国や自治体の初動対応が発生から1カ月後▽発症犬を飼い主が制御できず逃がしてしまう可能性が50%−−といった条件下で、最終的な犬の狂犬病発生頭数(中央値)は、北海道と茨城県でいずれも4頭だった。
蒔田教授は「感染は制御可能な範囲で収まり、大規模な流行が起こる可能性は低い」としている。ただし、一頭でも発症犬がいれば、人をかんで感染させる事故は起こりうる。蒔田教授は「現状では小規模な発生でも社会的パニックが起きるでしょう。犬への予防注射の是非だけでなく、発症動物を早期に診断するための獣医師教育や感染が疑われる人に接種するワクチンの備蓄など、総合的な対策を議論する必要がある」と話す。
実際、近年多くの先進国では、野生動物での発生や感染動物の侵入が見つかっても、ペット間で流行したり、人の死者が出たりする事態には至っていない。杉浦教授によると、予防注射で自治体や飼い主が負担するコストの総額は年間約180億円。侵入と拡散リスクの研究結果を踏まえ「輸入検疫の徹底と、万が一にも侵入を許した場合の早期発見・対策がより重要だ」と強調する。
●副反応で死亡も
現場の獣医師はどう捉えているのだろうか。近年、推定接種率は4〜5割程度と低く、全国の獣医師会は啓発に力を入れている。東京都内で開業する獣医師は「狂犬病が発生した時に最初に診察するのは獣医師。どんなにリスクが低くても可能性がゼロでない以上、毎年の予防注射は必ず続けるべきだ」と懸念する。
すべての犬に一律に義務づける現在の方法に疑問を感じている獣医師もいる。茨城県で開業する50代の獣医師は、自治体の集団接種も合わせて年間約700頭に予防注射を打つ。高齢犬や慢性疾患のある犬はワクチンによる軽い副反応でも重症化する恐れがあるほか、元気な犬が急なアレルギー反応(アナフィラキシーショック)で死んでしまうケースもある。
「長い間狂犬病の恐ろしさは繰り返し強調されてきましたが、海外の状況やリスクに関する検証など、必要な情報が十分に共有されてこなかったと感じています」。ワクチンの有効期間も、日本で承認を受けているのは「1年間有効」のものだが、2〜3年は効果が持続する可能性が高いとする論文も昨年発表されている。実際に海外では「3年間有効」のワクチンが主流で、間隔をあければ、動物への負担も減る。
この獣医師は「将来的に義務接種を続けるにしても見直すにしても、まずは正しい情報を国民が知り、議論する必要があるのではないでしょうか」と話す。【曹美河】
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