パオパオだより

2017年12月17日(日)

第2回沖縄100Kウルトラマラソン・前半(書き直し) [ランニング]

(注)最初にアップした分は、写真を98枚も取り入れたせいか動かなくなってしまいました。記事が載せられないので、前半・後半に分けて書き直します。

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 完走しました。

 13時間58分05秒。制限時間内完走者の最終。

 いろいろ手を尽くしたうちの、何が効いたのかを考えてみた。たぶん、全部何がしか効果があったと思う。
 しかしよくよく考えてみると、今日ほど多くの方から声をかけてもらったことはない。一番多かったのは、「ナイスラン」のひと言。そのひと言がどれだけうれしかったことか。そこから生まれる力は、かなり大きなものであった。
 私も、これからできるだけ多くのランナーに声をかけようと思った。

 また、レースの序盤に「去年の大会のブログを書かれてましたよね」と声をかけてきてくださった美人ランナーあり。
 「私、それを見させてもらって、今年参加することを決めたんです。ウルトラは費用もかかるし、会社の休みももらわなくてはならないし・・・。なかなか決断できなかったんですけど、去年のブログは大会の様子がよく分かってよかったです。」
 「それはそれはありがとうございます。私情が入りすぎていて、読みにくかったんじゃないですか。」
 「いいえ、すごく参考になりました。」
 こんなふうに言っていただけると、私のブログも役に立ったと思えてうれしい。
 今年もできるだけコースガイド的なところも入れようと思うが、さてどうでしょう。
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 3時半起床。
 3時45分民宿出発のつもりが、もたもた。
 レンタカーのドアを開けて荷物を積み込んだあと、そのキーが見つからない。ビニール袋に入り込んでしまったのかと全部開けてみたがない。探し回った結果、助手席の下に落ちて入り込んでしまっていた。これで10分ほどロス。

 会場の与那原町・与那古浜公園に着いたのは4時25分ころ。レストステーション用バッグ預かり終了が4時半なので、あぶないところだった。

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 スタート時刻が近づき、ゲストランナーの井野光子さんがごあいさつされていた。
 レースの途中で応援してくださっているときに、「みかた残酷で優勝された井野さんですよね」と声をかけさせてもらったら、「ありがとうございます」と返ってきた。まだまだ伸びていきそうな選手に見えた。

 「今年は100kmに509名のエントリー」というアナウンス。 
 「あれっ、去年より減ってるんちゃうん?」
 ウルトラの大会としてはめずらしいことですね。来年3月の「なごうら」も中止らしいし、ここも危ないかも・・・。

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 気温は15℃で、強い風。
 今年は迷わず、長T・ロングタイツでスタート。 

 先頭から最後尾まで、ゆっくり歩いて行った。
 大きなのぼりを背負っているので、知り合いが見つけてくれるだろうと思って。
 一番お会いしたかったのは、去年声をかけてくださり、だいぶ話し込んだ名護の「走る大工」こと備瀬大介さん。今年も出ておられるはずと思い、私の背中ゼッケンには「ライバルは走る大工」と書いてきたくらい。(あとで分かったのだが、備瀬さんはエントリーするもDNS。なんともったいない、18000円!)

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 去年と同じく、ブログ「猫と過ごす、こんな一日」のfukikoさんの義兄さんの浮田さんが私を見つけてきてくださった。そのあとにfukikoさんも。
 「3人で写真撮ってもらいましょ」と、前にいた男性にシャッターをお願いすると、「いやー、ひろしさんもいっしょに」とfukikoさん。
 たいへん失礼いたしました。シャッターをお願いしたのは、fukikoさんのダンナさんでした。
 浮田さんの奥さまも短いほうに出ておられるようで、知り合いの参加者が増えると心強い。

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 スタート直後に話しかけてくださったのは、那覇の屋嘉比さん。
 暗くて気づかなかったけど、今写真見たらぞうりですやん。もうお一人、ぞうりで有名な方(名前忘れた)も出ておられた。沖縄にはぞうりランナーが多いんでしょうか。

 話し込んでいて、早くも街路樹の枝にのぼりが引っ掛かってしまった。暗いので特に要注意。他のランナーに迷惑かけてしまうと、来年の出場権はく奪かも(来年も出るつもりかい!)。

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 「あたま、でか! それって、鳥ですよね。」
 「特に意味はありません。僕にとっては、単なる大きな帽子です。」

 このあと、「東京から来ました」という男性が声をかけてこられた。
 「いつも平和の旗で走っておられるんですか。」
 「いえ、沖縄限定です。平和な沖縄になってほしくて・・・。」
 「確かに、先日の普天間の小学校の部品落下事故はひどいですねえ。よく調べてみると、あれは事故ではなくて、外れやすいようにわざと作ってあるそうです。」
 「そうなんですか! 知らんかった!」
 「作戦上か何か分からないですけど、そうなんですって。」
 「そんな機種なら、今後も何回も落ちてくるじゃないですか。」
 「そのようですよ。」
 「ひどすぎる!」

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 最初の5km、36分54秒。 
 さあ、歩きを挟もう。
 今年は意を決して歩きに徹底するはずだったが、やっぱりこの時点で5分間歩きには耐えられなかった。たぶん2分くらい。

 とりなれない薬物(?)を大量に飲んでスタートしたせいか、お腹がゴロゴロ。
 コンビニがあってよかった。そこでトイレ休けい3分くらい。はやっ。

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 10km、1時間19分10秒(42分15秒)。
 ここからも少し歩き。やっぱり5分はしんぼうできなかったけれど。

 実は、去年の通過タイムは確認してきていない。今年は村松流「初めから歩きを挟む走法」で挑むので、去年と比べても意味がない。

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 エイドでの応援、ありがとうございます。

 まだまだ暗くて、どんなところを走っているのかよく分かっていない。
 去年は帰りにしっかり見ようと思っていたが、それはかなわなかった。今年こそ、帰ってきてしっかり見ますでー。

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 15km、知念岬入り口でやっと夜が明けてきた。
 1時間55分31秒(36分21秒)。

 ここは歩かず、岬のエイドでトイレ休けいをする予定。

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 知念岬のエイド係の方にシャッターをお願いした。 
 後ろのほうを走っていると、ランナーがまばらなのでこういうことが頼みやすい。

 のぼりをおろし、トイレをすませて再出発。
 今まではのぼりをたすきで固定していた。ところがこれは着脱にすごく時間がかかる。ロスが多すぎた。今回は改善策として、自転車の荷台用ロープを採用。
 これは着脱が簡単で時間短縮。ところが欠点もあった。ゴムで締め付けているので、ポールが背骨にゴリゴリ。もちろん両肩もすれて痛い。特に追い風の時は、背中に強烈な痛み。まだまだ改善の余地がありますねえ。

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 もうちょいで国道に戻るというところで、fukikoさんご夫妻に遭遇。私とおんなじくらいのペースで走ってられたんですね。 

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 帰りの絶景地・ニライカナイ橋が見えた。
 「絶対に、かえってくるでー。」

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 明るくなってくると、どんな方がエイドのお世話してくださっているかが分かっていい。お礼を言うだけでなく、できるだけお顔を見てお話するように心がけた。 

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 「おうまさん!」
 「なーに。」

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 海岸沿いの遊歩道。
 たしか、去年はここらで日が昇ってきたのだが・・・。

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 「ざーんねん。」

 かなり厚い雲で、薄日も差さなかった。

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 20km、2時間34分03秒34分(38分31秒)。

 さあ、「歩け、歩け。」

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 「去年の大会のブログを書かれてましたよね。」
 「はい。」

 私のブログを見て、今年出てみようと思われた北海道の幸子さん。
 「そう言ってもらえるとうれしいです。必ず完走しましょうね。」

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 「もう一枚撮らせてもらいます。ブログに載せていいですかー。」

 了承いただきました。
 原則、私に声をかけられた方はブログに載ってしまう覚悟でお願いします。

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 琉球犬は必ず写真に撮る。
 なんか、こっちを不思議そうに見とったなあ。

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 25km、3時間11分43秒11分(37分39秒)。

 もうすぐ奥武島だよ〜ん。

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 橋の向こうに、民宿・芭蕉布さんのご夫妻が待ってくださっているはず。

 「パオパオさーん!」
 だれやねんと思い、橋の反対側を見ると・・・。

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 「あらー、こんなところで・・・。」

 奈良のHさん。お久しぶりでございます。まさか、この橋の行き帰りでお会いできるとは。

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 見つけました。

 去年はぽかぽか日和。ランナーにとっては暑すぎたが、応援のほうはいい気候だった。今年は逆で、ランナーにとっては走りやすく、応援の方には寒すぎた。
 去年は橋のたもとにたくさんの応援の方がおられたのに、今年はまばら。寒い中、ずっと待っていてくださった民宿・芭蕉布さんのオーナーご夫妻に感謝です。

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 奥武島はネコちゃんがいっぱいいるので、ゆっくりと見ながら回らないと。

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 公園前エイドの小学生ボランティア。

 「写真撮らせてねー。」

 みんな、すごくしっかり働いてくれていた。

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 いつまでたっても日は差さない。
 気温は15℃以下のようだ。風があるので、体感温度はさらに低い。

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 ランナーを見に来ているのかと思ったら、たまった水を飲んでいたネコちゃん。だいじょうぶかなあ。

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 「大城てんぷら店」の前でネコちゃんの写真を撮っていると、オバアが「木登り猫もいるよ」と教えてくださった。

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 「ほんまや!」

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 「完走します!」と元気に宣言しておいた。

 さあ奥武島を出て、ここから上り坂。

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 30km、3時間51分3時間57秒(40分14秒)。

 5km40分を超えたが、これはちゃんと歩きが挟めているということ。喜ぶべきことなんです。

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 ここはたしか、南城市と八重瀬町の境にある橋の上。

 暗いでしょ。寒そうでしょ。

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 その先のエイドで、fukikoさんご夫妻に追い抜かれた。

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 この景色も、私の記憶に残っている。
 案外、こんな何もなさそうなところを走るのも好きなんです。

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 シーサーサンタ。
 なかなかよろしい。赤い帽子が似合ってる。

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 35Km、4時間33分4時間27秒(41分29秒)。

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 向こうに見えるのは、NAHAマラソン中間点の平和記念公園ですね。

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 おっと、私がまだ40kmにも達してないのに、もうトップランナーが帰ってきた。

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 ここのエイド係さんとはだいぶ話込みました。
 「平和を守っていきたいんです」と。

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 なかなかかわいいマンホールのふた。
 サーフィンにウミガメに風力発電・・・。

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 太平洋戦争で激戦地となった沖縄本島南部には、多くの慰霊の塔が建立されている。

 この「ひむかいの塔」は宮崎の慰霊の塔。

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 そのお隣の「ずいせんの塔」は、県立首里高等女学校の生徒からなる「瑞泉学徒隊」の慰霊の塔。

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 40km、5時間10分15秒(36分48秒)。

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 いきなり、垣根の下から吠え声が。
 その声でだいぶシャキンとした

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 女子トップ。
 「写真撮らせてくださいねー」と言ったらニッコリ。
 なんてチャーミングで速いランナーさんなんでしょう。

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 仮装の部のダントツ(そんな部門はありませんが)。

 「ビックリですわー」と声をかけたら、笑って「ナイスラン!」のお返し。
 京都キャロットにスカウトしたいくらい。

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 この景色、沖縄らしくていいんですよね。

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 45km、5時間46分5時間41秒(36分25秒)。

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 「どろぼっさん!」

 この仮装は走りやすそう。

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 「家猫・外猫」

 暖かくてきれいなポーズをとっている家猫と、寒くて丸まっている外猫。
 厳しい世界です。

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 おお、中間点の糸満市役所が見えてきた!

 と、ここで喜んだら大まちがい。
 ここから、この大会名物「なかなか着かない中間点」が始まるんです。

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 市役所の周りをぐるっと。

 最後のカーブにかわいい女子高生が立ってくれていた。
 「こういうところにかわいい子が立ってくれてたらうれしいわ。」
 「ありがとうございます。」

 おべんちゃらではなく、本心から。
 たぶん、オッサンランナーはみんなそう思ったと思う。

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 「おっ、50km地点あるやん。去年は、再スタートしてから50km地点の計測があってずっこけたのに。改善されたんやなあ。」

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 50km、6時間22分10秒(35分27秒)。

 市役所が見えて、ちょっとスピードアップしてしもた。
 しっかり休んで、回復せな。

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 エイドの女子高生に写真を撮ってもらった。
 「平和が反対になってますが・・・。」
 「えらいこっちゃ、平和の反対は・・・。いやいや、後ろから見ている人にはちゃんと『平和』に見えてるからそれでいいんやわ。」
 私は、融通のきく平和アピールランナーです。

(注)後半に続く。

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第2回沖縄100Kウルトラマラソン [ランニング]

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 完走しました。

 13時間58分05秒。制限時間内完走者の最終。

 いろいろ手を尽くしたうちの、何が効いたのかを考えてみた。たぶん、全部何がしか効果があったと思う。
 しかしよくよく考えてみると、今日ほど多くの方から声をかけてもらったことはない。一番多かったのは、「ナイスラン」のひと言。そのひと言がどれだけうれしかったことか。そこから生まれる力は、かなり大きなものであった。
 私も、これからできるだけ多くのランナーに声をかけようと思った。

(注)注くわしくは、のちほど。

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 やっと、糸満市役所。
 ここで折り返して帰り道。
 
 去年とは若干距離がちがうようだが、去年より10分遅れ。
 でもそれは、「初めから歩きを挟む走法(村松流)」だから。全然気にすることではない。それでこの程度の遅れなら、むしろ喜ぶべきところ。
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2017年12月16日(土)

「民宿・芭蕉布」 [宿情報]

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 やってきました、奧武島(南城市玉城奥武)。
 去年、「第1回沖縄100km」で泊めていただいた「民宿・芭蕉布」さん。今年は予算の都合で来れないと思っていたのに、久米島マラソンが台風で中止になったので、またお世話になることになった。

 去年と今年がちがうのは、ネコちゃんを飼われたところ。お母さんネコのチビとその息子・ビビと娘・モモ。でも、このチビちゃん、去年もいましたよね。去年は正式な飼い猫ではなかったのかな。

 民宿のネコらしく、お客さんに愛想のいいお母さんネコでした。
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 今日は24時間バイトからの朝帰り。
 7時ごろ家に帰ると、きくちゃん大喜び。ヨメさんはまだ寝ていたので、きくを散歩に連れて行ってやった。
 「オッサンが留守の間、かしこうしといてや。」

 朝ごはんを食べた後、旅行の準備。(今ごろかい!)
 店に行って、ゲーターやら5本指ソックスやらサプリやら、いろんなものを調達してきた。
 「民宿・芭蕉布」さんと、いつも私を応援してくださっている玉城さんにおみやげも買ってきた。3日間限定販売というい「鼓月」の和菓子。これは値打ちありますよ。

 10時34分のバスに乗ろうとしたら、肝心のお金を家に忘れてきた。あわてて家に取りに帰り、何とかぎりぎりセーフ。

 京都バス・地下鉄・阪急・ポートライナーは、160+290+620+330で1400円。関空に行くよりだいぶ安くつくので、最近は神戸空港から沖縄に行くことが多い。(乗り継ぎがけっこう大変ですけど。)

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 神戸空港から「ソラシドエア」で那覇まで。
 私は手術してから、「ドレミファ」は出るけど「ソラシド」は出ませんにゃわ。関係ないか。
 ソラシドエアは、気のせいかもしれないがピーチより座席の間隔が広いような気がした。飲み物のサービスもあるし、手荷物預かりや座席指定はタダだし・・・。もちろん、定時出航。ピーチより少し高くても、こっちのほうがいいかもしれない。

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 時間がなかったので売店でお弁当購入。1100円もした。1100円でも、しっかり食べておかないとね。

 16時着予定が5分前に到着。 
 ただ、荷物を預けたのでそれを待つのが15分ほど。前のパソコンより重いレッツノートにしたので、すぐに10kgは超えてしまう。

 レンタカー屋さんに迎えに来てもらい、豊見城へ。手続きはすぐに終わり、奥武島の「民宿・芭蕉布」さんを目指す。空港から20kmほどでしょうか。

 途中でのぼりを立てるポールを買わなあかん。南風原と南城のイオンに寄ったが,ポールはなし。仕方なく、メイクマン一つ橋店(那覇市)まで戻る。これでだいぶ時間をロスしてしまった。

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STAY JAPAN より

 「民宿・芭蕉布」さんに着いたのは、ちょうど7時。
 予定より1時間ほど遅くなってしまった。

 私が着くなり、奥様が何度も何度も「また藤井さんにお会いできてよかった」とおっしゃった。そんなに言ってもらうほどでも・・・。

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 ご夫婦ともすごくお元気そうでよかった。
 私も、この1年の我が家の出来事をご報告させてもらった。
 「ヨメさんは鍼灸専門学校が卒業できず・・・。」
 「あっ、伊藤蘭ちゃんそっくりの奥さん?」
 「またまた・・・。」

 廉夫婦や真樹のこと、きくちゃんやおじいさんのことも。
 もちろん、私の病気のことも報告させてもらった。
 明日また、奥武島を渡る橋のところで応援してくださるらしい。ありがたい、ありがたい。

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 お腹いっぱいになったころ、ネコちゃん登場。
 まずはお母さんネコのチビちゃん。すごく人なつっこい。
 まだ、2歳ちょっとらしい。

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 そして次に、息子のビビ(美猫のビビらしい。言いにく。)
 こちらもすごくひとなつっこく、ずっと目を細めていた。

 しかし、キジトラのお母さんからシャム猫が生まれるとはねえ。

 「モモはダメ。2ひきがいなくなったときだけ甘えに来るけど、ふだんは全然。」
 ネコちゃんたちにも個性があっておもしろいじゃないですか。

 「家の中で飼えたらいいんだけど、お客様の中にはいやな方もいらっしゃいますしね・・・。」
 「私も犬猫アレルギ―でくしゃみばっかりしてますけど、両方大好きなんですよ。」

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 最後に、私が持って行ったおみやげを切って出してくださった。
 まあ―、京都らしい、お上品な・・・。その3日間限定のお菓子の名前も、うちにいた猫にゆかりのあるいい名前。(答えはあさって。)
 すごく喜んでくださってよかった。

 さあ、最後の準備。
 明日は、人から聞いたいろいろな手を使って「こむら返り阻止」。これが功を奏したら、完走まちがいなし。

 はよ、寝な!

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2017年12月15日(金)

昨日の話題 [雑感]

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 自宅前で沙知代夫人が病院に運ばれたときの様子を話す克也氏、左は長男の団野村氏=都内

◎デイリースポーツ12月9日

   サッチーこと野村沙知代さん急死 夫ノムさん憔悴「オレの方が先に逝くと…」

 プロ野球ヤクルト、阪神、楽天などで監督を務めた野村克也氏(82)の妻で、バラエティー番組でも活躍した野村沙知代(のむら・さちよ)さんが8日午後4時9分、都内の病院で死去した。85歳。実子の野村克則コーチ(44)が所属するヤクルト球団などが明らかにした。葬儀・告別式は未定。歯に衣(きぬ)着せぬトークでテレビで人気を博し「サッチー」の愛称で親しまれた。2002年に脱税問題で有罪判決を受け、この問題で野村克也氏は01年、阪神の監督を引責辞任した。

 自宅前で報道陣に対応した克也氏の説明によると、沙知代さんは8日午後に意識を失った状態で緊急搬送され、病院で死亡が確認された。克也氏は憔悴(しょうすい)した表情で「『突然死』ってやつかなあ。まさかあの世に行くとは夢にも思わなかった」と口を開いた。

 「朝は普通だったけど、昼ご飯は一口しか食べられなかったから、おかしいと。オレの方が先に逝くと思ったのに…」

 克則コーチも球団を通じて「突然のことで受け入れられず、ここまで育ててくれた母に感謝しかありません。最後はしっかり見送りたいと思います。偉大な母でした」とコメント。死因は発表されていない。

 沙知代さんと克也氏は1978年に結婚。2人の間の第1子・克則もプロ野球選手に育てた。交際を始めた南海ホークスの監督だった克也氏と一緒に球場に現れ、監督室への出入りやコーチ会議での口出しもあったとされ、公私混同ぶりを指摘されて77年9月、シーズンを2試合残して川勝オーナーの決断で解任された。

 克也氏はその後、野球解説者としてデータを重視した独特の言い回しでお茶の間の人気を博したが、それを支えたのが知恵にたけ、頭脳明晰(めいせき)な沙知代さんだったという。南海時代から結婚前の2人を知る江夏豊氏も「彼女がいたから後の野村克也がある」と振り返った。

 克也氏はヤクルト監督を経て99年に阪神監督に就任したが、3シーズン目が終わった2001年12月に沙知代さんが法人税法違反(脱税)などの容疑で東京地検特捜部に逮捕されたため、続投が決まっていたものの辞任。02年に有罪判決を受けた。

 監督契約を一任されていた当時球団社長の野崎勝義氏は「久万オーナーは(野村監督に)心底ほれ込んでいましたから、それはそれは無念でした」。阪神および球界に大きな禍根を残した。

 沙知代さんが克也氏と結婚前に米国人との間にもうけた2人の息子はその後、克也氏の継子となり、通称で団野村氏、ケニー野村氏としてプロ野球やスポーツ関連の仕事に従事。沙知代さんは96年の衆院選に旧新進党から立候補したが落選した。

 タレントとなってからも「サッチー」と呼ばれ、毒舌風の語り口で強烈な個性を振りまいた。女優・浅香光代やデヴィ夫人を相手どり、名誉毀損(きそん)で訴えを起こすなど、泥沼の訴訟合戦でも話題となった。近年は、公の場に出ることがほとんどなかった。
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 昨日の父の誕生祝では、いろいろな話題が出た。最初は父や親せき関連の話題だったが、次第にあっちこっちに話が飛んだ。
 その中で一番盛り上がったのが、「野村元監督の憔悴ぶり」。
 「サッチーさんが亡くならはったら、あんなボロボロになるんやなあ・・・。」
 野村元監督は、監督をやめた後もパリッとされていたから、余計にあの会見の時の無精ひげ姿が印象に残った。

 うちの父も、いなかの人間の割には出かけるときなどパリッとしてかっこよかった。(私がそのあたりを全然引き継いでいないので、ヨメさんがいつも嘆いている。)
 母が亡くなったのはもう26年も前になる(来年の1月11日で27年)。母が亡くなった時の父は、もちろん憔悴していたが、それを表に出さないように耐えていた。今、父はいろいろなことが分からなくなりかけているが、なぜか母の話は出てこない。不思議。
 
 奥さんが亡くなってしまうと、後を追うようになくなってしまう夫が多いという。しかし、うちの父はそうではなかった。戦争に行った仲間がほとんど死に、自分は生きて帰ってきたので、がんばって生きられるだけ生きようと思っているのかもしれない。

 さては私は・・・。
 万一ヨメさんに先立たれたとしたら、どうなるだろう。わがことであっても、これだけは全く想像できない。ただし、私は誰かさんのように「前はあんなに好きやったのに、今は・・・」ということはない。一度好きになった人はずっと好き。相手から嫌われることは多々あるが、私が心変わりすることない。
 そこから考えると、やっぱりシュシュシュー・・・かな。
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 私の話題もちょっとだけ出た。
 「手術の後も走ったりしてんのか?」
 「お医者さんが、『今までしてなかったことを始められるのはお勧めできませんが、今まで通りのことならしてもらって全然問題ないです』ってゆうてくれはってん。」

 今日は寮2(出町)24時間。
 恒例、朝日・日経チェックでいい記事を見つけた。

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イラスト・中村 久美

◎日本経済新聞12月14日

   がん社会を診る          中川恵一
 
     食事と運動、進行抑える秘訣 

 末期がん患者は皆やせています。芸能人では、胆管がんで亡くなった川島なお美さん(享年54)、大腸がんで亡くなった今井雅之さん(享年54)、乳がんで亡くなった小林麻央さん(享年34)のやせた姿が思い出されます。

 がん細胞は増殖のために多くのエネルギーが必要ですが、ブドウ糖からエネルギーを作る効率が悪いこともあり、大量のブドウ糖を消費します。このため、がんが進行するにつれ、本来は正常な臓器を養うための栄養をがん細胞に「横取り」される結果、患者の体はやせていくのです。
 他にも、がんに特有なやせる原因があります。ひとつは慢性的な炎症です。がん細胞は体内に炎症をひき起こす物質(サイトカイン)を分泌する性質があります。免疫細胞ががん細胞を攻撃する際にも炎症が起こります。末期がん患者が熱を出しやすいのはこのためで、腫瘍熱と呼ばれます。こうした慢性的な炎症はエネルギーの消費をさらに高め、患者の体はやせやすくなります。
 さらに、がん細胞からは筋肉のたんぱく質を分解する物質が分泌されます。筋肉のたんぱく質をアミノ酸やブドウ糖に分解して自分の栄養にしてしまうのです。そのため、がんが進行すると筋肉が少なくなり、患者がやせ細る原因の一つになります。
 がんの進行にともなって、たんぱく質やブドウ糖が消費されていきますから、患者はたんぱく質をはじめ十分な栄養を取る必要がありますが、逆に食欲は落ちていきます。患者は心理的に落ち込むことも多い上に、抗がん剤などの影響で吐き気が出やすくなります。さらに、炎症性サイトカインは脳に作用して食欲を減退させます。
 腸管は人体最大の免疫装置であり、全免疫細胞の半分くらいが腸に存在します。口から食べられなくなって、腸が使われなくなると、さらに免疫力が低下してしまいます。
 低栄養と炎症が進んで、体重と筋肉が激減したのが「悪液質」という状態です。免疫力も低下するため、がんの増殖、転移が加速しますから、悪循環におちいり、死に至ります。
 がんが進行しても、患者はたんぱく質に富んだ食事を取り、運動で筋肉を保つことが悪液質を避ける秘訣です。
(東京大学病院准教授)
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 「よう食べて、よう動けよー」ちゅうこっちゃね。

 明日は民宿・芭蕉布さんで腹いっぱい食べさせてもらって、あさっては100kmや。
 よう食べて、よう動いてくるでー。

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2017年12月14日(木)

96と62 [家族]

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 「おじいさん、おじいさんは96になって、ボクは今日で62や。そやし、ボクはおじいさんが34の時の子ちゅうことや。」
 「・・・。」

 「ボク」が誰だかよくは分かっていなかったみたい。「おじいさんの最後の子や」と強調しておいたが、さて・・・。
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 今日12月14日は私の誕生日。
 昨日の夜、「きくちゃん、いっしょに寝よか―」と誘ってみた。すると、私のふとんに入ってきた。いつもなら1分、長くても10分くらいで出て行ってしまう。ところが、昨日の夜から今日の朝までずっと私に添い寝していた。なんとめずらしい。
 これが、きくなりの「誕プレ」だったんでしょうか。

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 シャトレーゼにお菓子を買いに行った。15個入りのパイを買い、レジでお金を払おうとしたとき、かわいい雪だるま型のおまんじゅうを見つけた。父が喜ぶかもと思い、それも買って帰った。

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 「きくちゃん、かわいいお菓子やろ。記念に写真撮っとこ。」

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 「あっ、きくちゃん、あかん!」

 きくは雪だるまをまるかぶり。気づいたヨメさんが、きくの口に手を入れて雪だるまを奪還。しかし、雪だるまの頭はきくのツバだらけ。
 「あー、もうこれはおじいさんに持っていけへん。」

 きくにもあげたかったが、犬に甘いもんを食べさせたらダメらしい。
 最初に雪だるまを見せたときの写真を見てみると、舌なめずりしてますねえ。ごめんね。きくの誕生日には、おいしいおいしいきく用ケーキをあげるから。しんぼうしてね。
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 うちの近くに住んでいるみき江姉を乗せ、私のいなかの家の裏にある「花友・はなせ」(地域密着型介護老人福祉施設)へ。
 私もいなかに住んでいた時は4WDでスタッドレスだったが、今は普通の車の普通のタイヤ。これで雪が10cmほど積もっている花脊峠を越えるのだから、ヒヤヒヤものだった。

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 去年に引き続き、今年も「花友・はなせ」の一部屋をお借りして、父の誕生祝をすることになった。その準備はすべて兄がしてくれていた。参加者は、みき江姉、優三兄夫婦、多鶴子姉夫婦、私の6名の参加だった。

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 「96」のろうそくを「次に使うのはだれ」という話で盛り上がった。
 優三兄が2月で「69」、多鶴子姉が3月で「66」。これは工夫したら再利用できそう。みき江姉は3月で「70」なので、どうしようもないね。私も使えません。

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 みんなで「ハッピィバースディトゥーユー」。
 おじいさんは、2回で2本のろうそくの火を吹き消した。肺活量、だいじょうぶです。

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 兄嫁さんが作ってくれたお赤飯。
 おじいさんは大喜びだった。

 このあと、本日のメインイベント「こうじの三線」。
 前もって「十九の春」の歌詞をコピーしたものを渡し、歌を練習してもらっていた。一度私の三線と合わせてみたのだが、兄はすごくうまく合わせてくれるのに、他のメンバーはさっぱり。まさかこんなところで「兄弟」の息が合うとは。

 そしておじさんに聞いてもらう本番。
 おじいさんが「お金払わんなんにゃろ」と言うので、「300円に負けとくわー」と答えておいた。

 みんなに歌を協力してもらって、つまりつまりしながらもなんとか「十九の春」の二番まで。本当は三番まで行きたかったのだが、もうギブアップ。
 「今年はこれくらいで堪忍しといたろう。おじいさん、出来が悪かったし200円でええわ。来年は500円くらいもらえるようにうまくなってくるし、楽しみにしとって。」

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 最後に「父と4人の子どもたち」の記念写真。

 兄嫁さんに撮ってもらったのだが、みき江姉が「私、もうちょっと細く写らへん?」
 「むりむり」とみんな。
 しかし、「斜め向いたら細く見えるでー」ということで撮り直し。

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 「これで、どうじゃ。」
 「うん、これでいい。」

 ほんま、たいへんやわ。

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 父は喜んでくれただろうか。
 だいぶ疲れたようにも見えたが・・・。

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 またね。
 それまで元気でね。

 帰りもこわごわ雪道運転。何とか無事に家まで帰ることができた。

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 今日は自分で考えた晩ごはん。
 ちょっとさびしかったかな。

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 みき江姉から、フリースジャケットとチョコと柿をもらった。姉からの誕プレは、私が高校生の時以来かな。ありがとうございます。

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【RUN】

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 シューズのいい感覚を忘れないために、6時半ころからちょっとだけラン。
 いつもの十王堂橋往復5km。
 ゆっくり走るつもりでスタートしたのに、寒いからついつい速くなってしまう。抑えて抑えて。

 6分00、6分14、6分22、6分24、6分29分で31分31秒。
 これでも速すぎる。ゆっくり走るのはむずかしい。

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2017年12月13日(水)

「ランナーズ賞30年記念誌」 [書評]

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 今日は寮1(二条)17時間。
 朝6時前に家を出たときの気温は−3℃。うちのいなかは、ここより3℃は低いので、−6℃以下。確実に、水道凍ってますね。昨日帰ったのはいい判断でした。

 今日は休み時間に、先日買ってきた「ランナーズ」を読んだ。やっぱりおもしろい。パソコンじゃなく、印刷物として読むほうが内容を深く理解できるような気がする。

 今回は1月号ということで、ランナーズダイアリー付き。それと、「ランナーズ賞30年」ということで、その記念誌もついていた。

 私が走り始めたのが36年前、結婚したのが32年前、「京都キャロット」を始めたのが29年前。このランナーズ賞受賞者も、なじみのある方が多い。

■1989(第2回) 村本みのるさん
 コメントととして、「レースは6年前の70歳の時、マスターズ陸上に出たのが最後です。3000mと5000mに出て、(70〜の部門で)日本新記録で走りました。」

 これは、私が写真を撮らせてもらった「第3回南部杯大阪マスターズ陸上競技大会」(2011年5月5日)のことでしょう。
 「写真撮らせてもらいました」と話しかけると、すごく喜んでくださった。

■1990(第3回) 京都走ろう会
 京都走ろう会はこのブログにも何回も書かせてもらっているので、説明いりませんね。受賞から、もう27年もたったんですね。

■2000(第13回) 高石ともやさん
           天野耕兵衛さん(金沢中央走ろう会)
           武庫川スポーツクラブ
 この年はすごい。
 私が東京オリンピックの最終聖火ランナーに押す高石さん。
 コメントとして、「懐かしい走友たちに会えるランナーズ賞のパーティーがボクの大切な記念日です。妻のてるえさんが逝って一人暮らし6年目、ホノルルマラソン連続出場41年目に向けて京都嵐山の自宅周辺をゆっくり走ってます。」
 私のブログ記事検索で、「高石ともや」と入れると数々の記事が出てくる。その中で私が選ぶ秀逸は、「高石ともやさんと家族」(2008年11月20日)ですね。

 天野さんと武庫川スポーツクラブには、大会の出店などで大変お世話になりました。「京都キャロット」を育ててくださった恩人と言っても過言ではありません。

■2002(第15回) 貝畑和子さん
 私が初めて出た100kmウルトラ(1992年)で知り合い、そのあとは「京都キャロット」通販のお客様としてお世話になりました。

■2007(第20回) 星野芳美さん
 古くからの「京都キャロット」のお客様。眞寿美店長のことをすごく信頼してくださっていて、今も故障の相談とかもされている。

■2009(第22回) 永谷誠一さん
 私と村松達也さんが知り合った「別府〜熊本140km 九州横断レース」(1991年)の主催者さん。レースの前後は永谷さんのおうちに泊まらせていただいた。

■2013(第26回) 若林順子さん
 「走るパーソナリティ」として、京都では知らない人はいないというくらい有名。いつも凝ったウェアで走られている。

■2016(第29回) 和田信也さん
 賀茂川パートナーズのエース。初めてお会いした時(「第13回日吉ダムマラソン」2010年4月25日)は、奥様が伴走されていました。

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 私やヨメさんがランナーズ賞に選ばれることはないでしょうか。(ない!)
 でも、今までちょっとでもかすった人が受賞されるとすごくうれしい。一番うれしいのは、高石ともやさん。 
 かすったことないけど、寛平ちゃんはあかんのかなあ・・・。一応、私の中では、東京オリンピック最終聖火ランナーの高石さんに渡す役を寛平ちゃんにやってもらいたい。無理ですか?

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お掃除のKさんがいつもおごってくださるコーヒー

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2017年12月12日(火)

花脊の三本杉ラン [ランニング]

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 寒波襲来らしい。
 あさって父の誕生祝でいなかに帰るのだが、その直前に水道管破裂という可能性もある。かねてから見てみたかった、日本一の「花脊の三本杉」。今日は寮の管理代行日のはざまの日なので、思い切っていなかに帰ることにした。

 日本一を肉眼で見るのは、生まれて初めてかもしれない。日本一のヨメ・眞寿美さんを除いては(ヨイショ!)

 お昼を食べ終わり、午後1時20分に自宅出発。25分でいなかの家着。
 すぐに水道を確認したが、今のところセーフだった。

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 花脊峠までは1℃だったが、峠を越えたとたんに−1℃。時おり雪もちらついている。これは寒すぎる。帽子を探してみると、廉が中学生の時に使っていたと思われる毛糸の帽子がみつかった。
 ウェストバックを忘れてきたが、それもいなかの家にもあった。

 準備万端。
 2時5分、「花脊の三本杉」目指してスタート。
 もちろん今日も、スカイセンサーJAPANとC3fit5本指ソックスで。

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 うちの家は標高540mくらい。
 ここから北行きはずっと下りになる。

 私の1つ下の喜代春君のところ(ライトマン京都第二警察犬訓練所)までは2.6kmくらいだが、105mほど下がっている。
 犬はたくさんいたのだが、ご夫婦とも室内におられたようで、話せなくて残念だった。

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 大布施町の開花橋で約4.5km、24分半。ここは標高375m。うちからは165mも下がっている
 ここで別所川と大堰川が合流。ここを右折して大堰川の上流に向かう。つまり、ここが今日のコースの標高最低地点になる。

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 駐在所のかわいいワンちゃん(いろは)を撮ろうとしたら、あっという間に車の下に潜り込んでしまった。そんなこわがりではあかんのんちゃうん。

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 出張所などを通り過ぎた先のおうちのワンちゃん。

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 前は吠えられたのに、今日はだいじょうぶだった。

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 八桝小学校前は小さい峠になっている。
 走りごたえあります。

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 山村都市交流の森到着。
 こちらからも「花脊の三本杉」に行けるらしいが、かなり険しい道らしい。

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 先日、「花脊の三本杉」見学ツアーがあったのだが、そのガイドをしていたのが、ここに務める私の甥・藤井拓郎君だった。

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 天理教の教会の一軒手前に、口黒犬発見。
 口の黒い犬に悪いヤツはいません。うちのきくみたいに。

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 やっと大悲山口到着。ここは標高417m。開花橋からは42m上がった。
 ここまで8.25km、48分(途中時計を止めてしまい、0.3km、1分半をプラス)。

 ここを右折し、大悲山峰定寺を目指す。

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 途中に、大きな倉庫(?)の崩壊現場。お見事と言うかなんと言うか・・・。

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 こっち方面に来るのは生まれて初めて。すぐお隣やのにね。
 小川沿いを緩やかに上っていく道は、車も通らず走りやすい。

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 峰定寺上り口到着。標高455m。大悲山口から38mアップ。
 うちの家からは10kmちょっと、1時間01分くらい。

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 ここから先の行き方が分からない。
 ちょうど美山荘さんにお客様が来られたところだったので、玄関前に出ておられた美山荘のおねえさんに道を聞いてみた。
 「三本杉まで行きたいんですけど、道が分からなくて・・・。」
 そう言うと、若い方だったがすごくていねいに教えてくださった。

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 「くさりのしてあるところをまっすぐに・・・。」

 アスファルトから土の道へ。もちろん凍っています。ジャリジャリ。

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 900mほど進むと分かれ道。ここを右に。
 ここからの上りがきつかった。

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 3時20分、分岐点から700mほどで、ついに「花脊の三本杉」到着。

 標高560m。美山荘から105mアップ。うちの家より20m高い。
 うちの家からは約11.8km、1時間11分30秒くらい。だいたい予想通り。

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 高さ62.3mの巨木は、とてもカメラに収まりきらない。

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 カメラを地べたに置いて記念撮影。
 自撮りはむずかしい。

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 せっかくここまで来たので、いろいろとお願いしておいた。
 お賽銭箱があったが、お金を持ってきていなかったので入れられなかった。
 もう一回来なあかんね。

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 帰りは同じ道はおもしろくないので、交流の森に出る道が行けないものか・・・。三本杉の横で休けいされていた山登りの方に尋ねてみた。

 「すいません、このあたりの道に詳しい方でしょうか。」
 「はい、まあまあ。」
 「ここから交流の森に抜ける道があるって聞いたんですけど、ご存知ですか、」
 「はい、知ってますが・・・。普通のときでもわかりにくい道で、今は落ち葉や倒木でさらに分かりにくくなっていますから。それにもうすぐ日が暮れます。初めての方は、たぶん迷ってしまうと思います。やめておかれたほうがいいですよ。」
 「やめます!」

 聞いてよかった。こんなところで遭難するところだった。

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 3時25分、三本杉出発。
 同じ道を戻ることにした。

 まずは凍てついている土道を1.7kmほど。さすがに下りは滑りそうでこわく、慎重に走った。

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 アスファルト道に入り、しばらく行ったところのおうちに犬小屋発見。
 「ワンちゃん、出てきてー。写真撮らせて―」と言っても出てこない。
 しかし、あきらめて行きかけたところ動きが。ぬーっと、出てきましたわ。

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 大悲山口まで約3.6km、21分くらい。
 この先はバス通りで広くなるので走りやすい。

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 交流の森の手前の「松上げ」のところで5.2km、29分半。
 ここで3時54分。
 家には4時30分までに帰って、そこから25分で「京都キャロット」に行って、5時に仕事を終えるヨメさんときくを迎えに行きたかった。それには、残り6.5kmを36分で。こらきつい。

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 出張所前で廉の同い年のひろき君のお父さん、井上さんに遭遇。お元気そうだった。

 駐在所のワンちゃんをのぞいてみると、いました。すぐカメラを取り出し構えると、シュシュシューと車の下へ。速すぎて写真はまたもや撮れなかった。

 上り区間に入ると、さすがに足が疲れてきた。でも、もう大布施の端まで来たので、残り4kmほど。しっかり!

 紅葉橋あたりで追いつかれたパトカーから声をかけられた。私のことをご存じなんでしょうか。
 「駐在さんとこのワンちゃんの写真撮らせてもらおうと思ったら、シュシュシューと車の下に入ってしまいましたわ。」
 走りながら何とゆうとんにゃろと思わはったでしょうね。

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 きつい坂を上り切ったら別所町。
 最初のおうちは、木村さん。ネコちゃんの小屋もロープもあるのに、クーちゃんの姿が見えなかった。どうしたんやろう。今度聞かなあかん。

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 4時32分、我が家到着。帰りは一度も立ち止まらず、走り続けた。
 約11.8km、1時間7分ちょっと。
 帰りのほうがだいぶ速い。

 急いで水道ポンプの元栓を閉め、水道管に残っている水を出し切り、荷物をもって帰路へ。
 4時37分くらいに家を出て、「京都キャロット」着は5時4分。何とか間に合ってよかった。今日はヨメさんのテスト期間の最終日ですから。余裕をもって学校に行ってもらわんなん。

 いなかの家から花脊の三本杉往復23.6km。スカイセンサーJAPAN、C3fit5本指ソックス、ともに抜群の働き。
 ただし、晩ごはんを腹いっぱい食べてから測った体重は58.8kg(前日比1kg減)。久しぶりの58kg台。ウルトラ5日前の練習としては、ちょっとハードすぎたかも・・・。

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【今日のきく】

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 今日も10時40分着のバスで帰ってくるオバサンのお迎え。いつも通り、直前知らんぷりスル―をしたらオバサンに襲われていた。
 「テストが終わったら、飲まずにはいられない。」
 帰りに缶チューハイを買って飲んできたらしい。
 ヨッパライ、ヨッパライ。

 そうや、はしだのりひこさん、死んじゃったね。

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