パオパオだより

2017年12月16日(土)

「民宿・芭蕉布」 [宿情報]

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 やってきました、奧武島(南城市玉城奥武)。
 去年、「第1回沖縄100km」で泊めていただいた「民宿・芭蕉布」さん。今年は予算の都合で来れないと思っていたのに、久米島マラソンが台風で中止になったので、またお世話になることになった。

 去年と今年がちがうのは、ネコちゃんを飼われたところ。お母さんネコのチビとその息子・ビビと娘・モモ。でも、このチビちゃん、去年もいましたよね。去年は正式な飼い猫ではなかったのかな。

 民宿のネコらしく、お客さんに愛想のいいお母さんネコでした。
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 今日は24時間バイトからの朝帰り。
 7時ごろ家に帰ると、きくちゃん大喜び。ヨメさんはまだ寝ていたので、きくを散歩に連れて行ってやった。
 「オッサンが留守の間、かしこうしといてや。」

 朝ごはんを食べた後、旅行の準備。(今ごろかい!)
 店に行って、ゲーターやら5本指ソックスやらサプリやら、いろんなものを調達してきた。
 「民宿・芭蕉布」さんと、いつも私を応援してくださっている玉城さんにおみやげも買ってきた。3日間限定販売というい「鼓月」の和菓子。これは値打ちありますよ。

 10時34分のバスに乗ろうとしたら、肝心のお金を家に忘れてきた。あわてて家に取りに帰り、何とかぎりぎりセーフ。

 京都バス・地下鉄・阪急・ポートライナーは、160+290+620+330で1400円。関空に行くよりだいぶ安くつくので、最近は神戸空港から沖縄に行くことが多い。(乗り継ぎがけっこう大変ですけど。)

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 神戸空港から「ソラシドエア」で那覇まで。
 私は手術してから、「ドレミファ」は出るけど「ソラシド」は出ませんにゃわ。関係ないか。
 ソラシドエアは、気のせいかもしれないがピーチより座席の間隔が広いような気がした。飲み物のサービスもあるし、手荷物預かりや座席指定はタダだし・・・。もちろん、定時出航。ピーチより少し高くても、こっちのほうがいいかもしれない。

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 時間がなかったので売店でお弁当購入。1100円もした。1100円でも、しっかり食べておかないとね。

 16時着予定が5分前に到着。 
 ただ、荷物を預けたのでそれを待つのが15分ほど。前のパソコンより重いレッツノートにしたので、すぐに10kgは超えてしまう。

 レンタカー屋さんに迎えに来てもらい、豊見城へ。手続きはすぐに終わり、奥武島の「民宿・芭蕉布」さんを目指す。空港から20kmほどでしょうか。

 途中でのぼりを立てるポールを買わなあかん。南風原と南城のイオンに寄ったが,ポールはなし。仕方なく、メイクマン一つ橋店(那覇市)まで戻る。これでだいぶ時間をロスしてしまった。

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STAY JAPAN より

 「民宿・芭蕉布」さんに着いたのは、ちょうど7時。
 予定より1時間ほど遅くなってしまった。

 私が着くなり、奥様が何度も何度も「また藤井さんにお会いできてよかった」とおっしゃった。そんなに言ってもらうほどでも・・・。

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 ご夫婦ともすごくお元気そうでよかった。
 私も、この1年の我が家の出来事をご報告させてもらった。
 「ヨメさんは鍼灸専門学校が卒業できず・・・。」
 「あっ、伊藤蘭ちゃんそっくりの奥さん?」
 「またまた・・・。」

 廉夫婦や真樹のこと、きくちゃんやおじいさんのことも。
 もちろん、私の病気のことも報告させてもらった。
 明日また、奥武島を渡る橋のところで応援してくださるらしい。ありがたい、ありがたい。

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 お腹いっぱいになったころ、ネコちゃん登場。
 まずはお母さんネコのチビちゃん。すごく人なつっこい。
 まだ、2歳ちょっとらしい。

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 そして次に、息子のビビ(美猫のビビらしい。言いにく。)
 こちらもすごくひとなつっこく、ずっと目を細めていた。

 しかし、キジトラのお母さんからシャム猫が生まれるとはねえ。

 「モモはダメ。2ひきがいなくなったときだけ甘えに来るけど、ふだんは全然。」
 ネコちゃんたちにも個性があっておもしろいじゃないですか。

 「家の中で飼えたらいいんだけど、お客様の中にはいやな方もいらっしゃいますしね・・・。」
 「私も犬猫アレルギ―でくしゃみばっかりしてますけど、両方大好きなんですよ。」

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 最後に、私が持って行ったおみやげを切って出してくださった。
 まあ―、京都らしい、お上品な・・・。その3日間限定のお菓子の名前も、うちにいた猫にゆかりのあるいい名前。(答えはあさって。)
 すごく喜んでくださってよかった。

 さあ、最後の準備。
 明日は、人から聞いたいろいろな手を使って「こむら返り阻止」。これが功を奏したら、完走まちがいなし。

 はよ、寝な!

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2017年12月15日(金)

昨日の話題 [雑感]

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 自宅前で沙知代夫人が病院に運ばれたときの様子を話す克也氏、左は長男の団野村氏=都内

◎デイリースポーツ12月9日

   サッチーこと野村沙知代さん急死 夫ノムさん憔悴「オレの方が先に逝くと…」

 プロ野球ヤクルト、阪神、楽天などで監督を務めた野村克也氏(82)の妻で、バラエティー番組でも活躍した野村沙知代(のむら・さちよ)さんが8日午後4時9分、都内の病院で死去した。85歳。実子の野村克則コーチ(44)が所属するヤクルト球団などが明らかにした。葬儀・告別式は未定。歯に衣(きぬ)着せぬトークでテレビで人気を博し「サッチー」の愛称で親しまれた。2002年に脱税問題で有罪判決を受け、この問題で野村克也氏は01年、阪神の監督を引責辞任した。

 自宅前で報道陣に対応した克也氏の説明によると、沙知代さんは8日午後に意識を失った状態で緊急搬送され、病院で死亡が確認された。克也氏は憔悴(しょうすい)した表情で「『突然死』ってやつかなあ。まさかあの世に行くとは夢にも思わなかった」と口を開いた。

 「朝は普通だったけど、昼ご飯は一口しか食べられなかったから、おかしいと。オレの方が先に逝くと思ったのに…」

 克則コーチも球団を通じて「突然のことで受け入れられず、ここまで育ててくれた母に感謝しかありません。最後はしっかり見送りたいと思います。偉大な母でした」とコメント。死因は発表されていない。

 沙知代さんと克也氏は1978年に結婚。2人の間の第1子・克則もプロ野球選手に育てた。交際を始めた南海ホークスの監督だった克也氏と一緒に球場に現れ、監督室への出入りやコーチ会議での口出しもあったとされ、公私混同ぶりを指摘されて77年9月、シーズンを2試合残して川勝オーナーの決断で解任された。

 克也氏はその後、野球解説者としてデータを重視した独特の言い回しでお茶の間の人気を博したが、それを支えたのが知恵にたけ、頭脳明晰(めいせき)な沙知代さんだったという。南海時代から結婚前の2人を知る江夏豊氏も「彼女がいたから後の野村克也がある」と振り返った。

 克也氏はヤクルト監督を経て99年に阪神監督に就任したが、3シーズン目が終わった2001年12月に沙知代さんが法人税法違反(脱税)などの容疑で東京地検特捜部に逮捕されたため、続投が決まっていたものの辞任。02年に有罪判決を受けた。

 監督契約を一任されていた当時球団社長の野崎勝義氏は「久万オーナーは(野村監督に)心底ほれ込んでいましたから、それはそれは無念でした」。阪神および球界に大きな禍根を残した。

 沙知代さんが克也氏と結婚前に米国人との間にもうけた2人の息子はその後、克也氏の継子となり、通称で団野村氏、ケニー野村氏としてプロ野球やスポーツ関連の仕事に従事。沙知代さんは96年の衆院選に旧新進党から立候補したが落選した。

 タレントとなってからも「サッチー」と呼ばれ、毒舌風の語り口で強烈な個性を振りまいた。女優・浅香光代やデヴィ夫人を相手どり、名誉毀損(きそん)で訴えを起こすなど、泥沼の訴訟合戦でも話題となった。近年は、公の場に出ることがほとんどなかった。
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 昨日の父の誕生祝では、いろいろな話題が出た。最初は父や親せき関連の話題だったが、次第にあっちこっちに話が飛んだ。
 その中で一番盛り上がったのが、「野村元監督の憔悴ぶり」。
 「サッチーさんが亡くならはったら、あんなボロボロになるんやなあ・・・。」
 野村元監督は、監督をやめた後もパリッとされていたから、余計にあの会見の時の無精ひげ姿が印象に残った。

 うちの父も、いなかの人間の割には出かけるときなどパリッとしてかっこよかった。(私がそのあたりを全然引き継いでいないので、ヨメさんがいつも嘆いている。)
 母が亡くなったのはもう26年も前になる(来年の1月11日で27年)。母が亡くなった時の父は、もちろん憔悴していたが、それを表に出さないように耐えていた。今、父はいろいろなことが分からなくなりかけているが、なぜか母の話は出てこない。不思議。
 
 奥さんが亡くなってしまうと、後を追うようになくなってしまう夫が多いという。しかし、うちの父はそうではなかった。戦争に行った仲間がほとんど死に、自分は生きて帰ってきたので、がんばって生きられるだけ生きようと思っているのかもしれない。

 さては私は・・・。
 万一ヨメさんに先立たれたとしたら、どうなるだろう。わがことであっても、これだけは全く想像できない。ただし、私は誰かさんのように「前はあんなに好きやったのに、今は・・・」ということはない。一度好きになった人はずっと好き。相手から嫌われることは多々あるが、私が心変わりすることない。
 そこから考えると、やっぱりシュシュシュー・・・かな。
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 私の話題もちょっとだけ出た。
 「手術の後も走ったりしてんのか?」
 「お医者さんが、『今までしてなかったことを始められるのはお勧めできませんが、今まで通りのことならしてもらって全然問題ないです』ってゆうてくれはってん。」

 今日は寮2(出町)24時間。
 恒例、朝日・日経チェックでいい記事を見つけた。

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イラスト・中村 久美

◎日本経済新聞12月14日

   がん社会を診る          中川恵一
 
     食事と運動、進行抑える秘訣 

 末期がん患者は皆やせています。芸能人では、胆管がんで亡くなった川島なお美さん(享年54)、大腸がんで亡くなった今井雅之さん(享年54)、乳がんで亡くなった小林麻央さん(享年34)のやせた姿が思い出されます。

 がん細胞は増殖のために多くのエネルギーが必要ですが、ブドウ糖からエネルギーを作る効率が悪いこともあり、大量のブドウ糖を消費します。このため、がんが進行するにつれ、本来は正常な臓器を養うための栄養をがん細胞に「横取り」される結果、患者の体はやせていくのです。
 他にも、がんに特有なやせる原因があります。ひとつは慢性的な炎症です。がん細胞は体内に炎症をひき起こす物質(サイトカイン)を分泌する性質があります。免疫細胞ががん細胞を攻撃する際にも炎症が起こります。末期がん患者が熱を出しやすいのはこのためで、腫瘍熱と呼ばれます。こうした慢性的な炎症はエネルギーの消費をさらに高め、患者の体はやせやすくなります。
 さらに、がん細胞からは筋肉のたんぱく質を分解する物質が分泌されます。筋肉のたんぱく質をアミノ酸やブドウ糖に分解して自分の栄養にしてしまうのです。そのため、がんが進行すると筋肉が少なくなり、患者がやせ細る原因の一つになります。
 がんの進行にともなって、たんぱく質やブドウ糖が消費されていきますから、患者はたんぱく質をはじめ十分な栄養を取る必要がありますが、逆に食欲は落ちていきます。患者は心理的に落ち込むことも多い上に、抗がん剤などの影響で吐き気が出やすくなります。さらに、炎症性サイトカインは脳に作用して食欲を減退させます。
 腸管は人体最大の免疫装置であり、全免疫細胞の半分くらいが腸に存在します。口から食べられなくなって、腸が使われなくなると、さらに免疫力が低下してしまいます。
 低栄養と炎症が進んで、体重と筋肉が激減したのが「悪液質」という状態です。免疫力も低下するため、がんの増殖、転移が加速しますから、悪循環におちいり、死に至ります。
 がんが進行しても、患者はたんぱく質に富んだ食事を取り、運動で筋肉を保つことが悪液質を避ける秘訣です。
(東京大学病院准教授)
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 「よう食べて、よう動けよー」ちゅうこっちゃね。

 明日は民宿・芭蕉布さんで腹いっぱい食べさせてもらって、あさっては100kmや。
 よう食べて、よう動いてくるでー。

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2017年12月14日(木)

96と62 [家族]

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 「おじいさん、おじいさんは96になって、ボクは今日で62や。そやし、ボクはおじいさんが34の時の子ちゅうことや。」
 「・・・。」

 「ボク」が誰だかよくは分かっていなかったみたい。「おじいさんの最後の子や」と強調しておいたが、さて・・・。
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 今日12月14日は私の誕生日。
 昨日の夜、「きくちゃん、いっしょに寝よか―」と誘ってみた。すると、私のふとんに入ってきた。いつもなら1分、長くても10分くらいで出て行ってしまう。ところが、昨日の夜から今日の朝までずっと私に添い寝していた。なんとめずらしい。
 これが、きくなりの「誕プレ」だったんでしょうか。

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 シャトレーゼにお菓子を買いに行った。15個入りのパイを買い、レジでお金を払おうとしたとき、かわいい雪だるま型のおまんじゅうを見つけた。父が喜ぶかもと思い、それも買って帰った。

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 「きくちゃん、かわいいお菓子やろ。記念に写真撮っとこ。」

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 「あっ、きくちゃん、あかん!」

 きくは雪だるまをまるかぶり。気づいたヨメさんが、きくの口に手を入れて雪だるまを奪還。しかし、雪だるまの頭はきくのツバだらけ。
 「あー、もうこれはおじいさんに持っていけへん。」

 きくにもあげたかったが、犬に甘いもんを食べさせたらダメらしい。
 最初に雪だるまを見せたときの写真を見てみると、舌なめずりしてますねえ。ごめんね。きくの誕生日には、おいしいおいしいきく用ケーキをあげるから。しんぼうしてね。
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 うちの近くに住んでいるみき江姉を乗せ、私のいなかの家の裏にある「花友・はなせ」(地域密着型介護老人福祉施設)へ。
 私もいなかに住んでいた時は4WDでスタッドレスだったが、今は普通の車の普通のタイヤ。これで雪が10cmほど積もっている花脊峠を越えるのだから、ヒヤヒヤものだった。

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 去年に引き続き、今年も「花友・はなせ」の一部屋をお借りして、父の誕生祝をすることになった。その準備はすべて兄がしてくれていた。参加者は、みき江姉、優三兄夫婦、多鶴子姉夫婦、私の6名の参加だった。

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 「96」のろうそくを「次に使うのはだれ」という話で盛り上がった。
 優三兄が2月で「69」、多鶴子姉が3月で「66」。これは工夫したら再利用できそう。みき江姉は3月で「70」なので、どうしようもないね。私も使えません。

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 みんなで「ハッピィバースディトゥーユー」。
 おじいさんは、2回で2本のろうそくの火を吹き消した。肺活量、だいじょうぶです。

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 兄嫁さんが作ってくれたお赤飯。
 おじいさんは大喜びだった。

 このあと、本日のメインイベント「こうじの三線」。
 前もって「十九の春」の歌詞をコピーしたものを渡し、歌を練習してもらっていた。一度私の三線と合わせてみたのだが、兄はすごくうまく合わせてくれるのに、他のメンバーはさっぱり。まさかこんなところで「兄弟」の息が合うとは。

 そしておじさんに聞いてもらう本番。
 おじいさんが「お金払わんなんにゃろ」と言うので、「300円に負けとくわー」と答えておいた。

 みんなに歌を協力してもらって、つまりつまりしながらもなんとか「十九の春」の二番まで。本当は三番まで行きたかったのだが、もうギブアップ。
 「今年はこれくらいで堪忍しといたろう。おじいさん、出来が悪かったし200円でええわ。来年は500円くらいもらえるようにうまくなってくるし、楽しみにしとって。」

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 最後に「父と4人の子どもたち」の記念写真。

 兄嫁さんに撮ってもらったのだが、みき江姉が「私、もうちょっと細く写らへん?」
 「むりむり」とみんな。
 しかし、「斜め向いたら細く見えるでー」ということで撮り直し。

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 「これで、どうじゃ。」
 「うん、これでいい。」

 ほんま、たいへんやわ。

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 父は喜んでくれただろうか。
 だいぶ疲れたようにも見えたが・・・。

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 またね。
 それまで元気でね。

 帰りもこわごわ雪道運転。何とか無事に家まで帰ることができた。

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 今日は自分で考えた晩ごはん。
 ちょっとさびしかったかな。

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 みき江姉から、フリースジャケットとチョコと柿をもらった。姉からの誕プレは、私が高校生の時以来かな。ありがとうございます。

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【RUN】

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 シューズのいい感覚を忘れないために、6時半ころからちょっとだけラン。
 いつもの十王堂橋往復5km。
 ゆっくり走るつもりでスタートしたのに、寒いからついつい速くなってしまう。抑えて抑えて。

 6分00、6分14、6分22、6分24、6分29分で31分31秒。
 これでも速すぎる。ゆっくり走るのはむずかしい。

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2017年12月13日(水)

「ランナーズ賞30年記念誌」 [書評]

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 今日は寮1(二条)17時間。
 朝6時前に家を出たときの気温は−3℃。うちのいなかは、ここより3℃は低いので、−6℃以下。確実に、水道凍ってますね。昨日帰ったのはいい判断でした。

 今日は休み時間に、先日買ってきた「ランナーズ」を読んだ。やっぱりおもしろい。パソコンじゃなく、印刷物として読むほうが内容を深く理解できるような気がする。

 今回は1月号ということで、ランナーズダイアリー付き。それと、「ランナーズ賞30年」ということで、その記念誌もついていた。

 私が走り始めたのが36年前、結婚したのが32年前、「京都キャロット」を始めたのが29年前。このランナーズ賞受賞者も、なじみのある方が多い。

■1989(第2回) 村本みのるさん
 コメントととして、「レースは6年前の70歳の時、マスターズ陸上に出たのが最後です。3000mと5000mに出て、(70〜の部門で)日本新記録で走りました。」

 これは、私が写真を撮らせてもらった「第3回南部杯大阪マスターズ陸上競技大会」(2011年5月5日)のことでしょう。
 「写真撮らせてもらいました」と話しかけると、すごく喜んでくださった。

■1990(第3回) 京都走ろう会
 京都走ろう会はこのブログにも何回も書かせてもらっているので、説明いりませんね。受賞から、もう27年もたったんですね。

■2000(第13回) 高石ともやさん
           天野耕兵衛さん(金沢中央走ろう会)
           武庫川スポーツクラブ
 この年はすごい。
 私が東京オリンピックの最終聖火ランナーに押す高石さん。
 コメントとして、「懐かしい走友たちに会えるランナーズ賞のパーティーがボクの大切な記念日です。妻のてるえさんが逝って一人暮らし6年目、ホノルルマラソン連続出場41年目に向けて京都嵐山の自宅周辺をゆっくり走ってます。」
 私のブログ記事検索で、「高石ともや」と入れると数々の記事が出てくる。その中で私が選ぶ秀逸は、「高石ともやさんと家族」(2008年11月20日)ですね。

 天野さんと武庫川スポーツクラブには、大会の出店などで大変お世話になりました。「京都キャロット」を育ててくださった恩人と言っても過言ではありません。

■2002(第15回) 貝畑和子さん
 私が初めて出た100kmウルトラ(1992年)で知り合い、そのあとは「京都キャロット」通販のお客様としてお世話になりました。

■2007(第20回) 星野芳美さん
 古くからの「京都キャロット」のお客様。眞寿美店長のことをすごく信頼してくださっていて、今も故障の相談とかもされている。

■2009(第22回) 永谷誠一さん
 私と村松達也さんが知り合った「別府〜熊本140km 九州横断レース」(1991年)の主催者さん。レースの前後は永谷さんのおうちに泊まらせていただいた。

■2013(第26回) 若林順子さん
 「走るパーソナリティ」として、京都では知らない人はいないというくらい有名。いつも凝ったウェアで走られている。

■2016(第29回) 和田信也さん
 賀茂川パートナーズのエース。初めてお会いした時(「第13回日吉ダムマラソン」2010年4月25日)は、奥様が伴走されていました。

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 私やヨメさんがランナーズ賞に選ばれることはないでしょうか。(ない!)
 でも、今までちょっとでもかすった人が受賞されるとすごくうれしい。一番うれしいのは、高石ともやさん。 
 かすったことないけど、寛平ちゃんはあかんのかなあ・・・。一応、私の中では、東京オリンピック最終聖火ランナーの高石さんに渡す役を寛平ちゃんにやってもらいたい。無理ですか?

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お掃除のKさんがいつもおごってくださるコーヒー

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2017年12月12日(火)

花脊の三本杉ラン [ランニング]

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 寒波襲来らしい。
 あさって父の誕生祝でいなかに帰るのだが、その直前に水道管破裂という可能性もある。かねてから見てみたかった、日本一の「花脊の三本杉」。今日は寮の管理代行日のはざまの日なので、思い切っていなかに帰ることにした。

 日本一を肉眼で見るのは、生まれて初めてかもしれない。日本一のヨメ・眞寿美さんを除いては(ヨイショ!)

 お昼を食べ終わり、午後1時20分に自宅出発。25分でいなかの家着。
 すぐに水道を確認したが、今のところセーフだった。

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 花脊峠までは1℃だったが、峠を越えたとたんに−1℃。時おり雪もちらついている。これは寒すぎる。帽子を探してみると、廉が中学生の時に使っていたと思われる毛糸の帽子がみつかった。
 ウェストバックを忘れてきたが、それもいなかの家にもあった。

 準備万端。
 2時5分、「花脊の三本杉」目指してスタート。
 もちろん今日も、スカイセンサーJAPANとC3fit5本指ソックスで。

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 うちの家は標高540mくらい。
 ここから北行きはずっと下りになる。

 私の1つ下の喜代春君のところ(ライトマン京都第二警察犬訓練所)までは2.6kmくらいだが、105mほど下がっている。
 犬はたくさんいたのだが、ご夫婦とも室内におられたようで、話せなくて残念だった。

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 大布施町の開花橋で約4.5km、24分半。ここは標高375m。うちからは165mも下がっている
 ここで別所川と大堰川が合流。ここを右折して大堰川の上流に向かう。つまり、ここが今日のコースの標高最低地点になる。

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 駐在所のかわいいワンちゃん(いろは)を撮ろうとしたら、あっという間に車の下に潜り込んでしまった。そんなこわがりではあかんのんちゃうん。

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 出張所などを通り過ぎた先のおうちのワンちゃん。

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 前は吠えられたのに、今日はだいじょうぶだった。

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 八桝小学校前は小さい峠になっている。
 走りごたえあります。

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 山村都市交流の森到着。
 こちらからも「花脊の三本杉」に行けるらしいが、かなり険しい道らしい。

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 先日、「花脊の三本杉」見学ツアーがあったのだが、そのガイドをしていたのが、ここに務める私の甥・藤井拓郎君だった。

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 天理教の教会の一軒手前に、口黒犬発見。
 口の黒い犬に悪いヤツはいません。うちのきくみたいに。

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 やっと大悲山口到着。ここは標高417m。開花橋からは42m上がった。
 ここまで8.25km、48分(途中時計を止めてしまい、0.3km、1分半をプラス)。

 ここを右折し、大悲山峰定寺を目指す。

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 途中に、大きな倉庫(?)の崩壊現場。お見事と言うかなんと言うか・・・。

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 こっち方面に来るのは生まれて初めて。すぐお隣やのにね。
 小川沿いを緩やかに上っていく道は、車も通らず走りやすい。

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 峰定寺上り口到着。標高455m。大悲山口から38mアップ。
 うちの家からは10kmちょっと、1時間01分くらい。

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 ここから先の行き方が分からない。
 ちょうど美山荘さんにお客様が来られたところだったので、玄関前に出ておられた美山荘のおねえさんに道を聞いてみた。
 「三本杉まで行きたいんですけど、道が分からなくて・・・。」
 そう言うと、若い方だったがすごくていねいに教えてくださった。

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 「くさりのしてあるところをまっすぐに・・・。」

 アスファルトから土の道へ。もちろん凍っています。ジャリジャリ。

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 900mほど進むと分かれ道。ここを右に。
 ここからの上りがきつかった。

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 3時20分、分岐点から700mほどで、ついに「花脊の三本杉」到着。

 標高560m。美山荘から105mアップ。うちの家より20m高い。
 うちの家からは約11.8km、1時間11分30秒くらい。だいたい予想通り。

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 高さ62.3mの巨木は、とてもカメラに収まりきらない。

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 カメラを地べたに置いて記念撮影。
 自撮りはむずかしい。

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 せっかくここまで来たので、いろいろとお願いしておいた。
 お賽銭箱があったが、お金を持ってきていなかったので入れられなかった。
 もう一回来なあかんね。

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 帰りは同じ道はおもしろくないので、交流の森に出る道が行けないものか・・・。三本杉の横で休けいされていた山登りの方に尋ねてみた。

 「すいません、このあたりの道に詳しい方でしょうか。」
 「はい、まあまあ。」
 「ここから交流の森に抜ける道があるって聞いたんですけど、ご存知ですか、」
 「はい、知ってますが・・・。普通のときでもわかりにくい道で、今は落ち葉や倒木でさらに分かりにくくなっていますから。それにもうすぐ日が暮れます。初めての方は、たぶん迷ってしまうと思います。やめておかれたほうがいいですよ。」
 「やめます!」

 聞いてよかった。こんなところで遭難するところだった。

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 3時25分、三本杉出発。
 同じ道を戻ることにした。

 まずは凍てついている土道を1.7kmほど。さすがに下りは滑りそうでこわく、慎重に走った。

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 アスファルト道に入り、しばらく行ったところのおうちに犬小屋発見。
 「ワンちゃん、出てきてー。写真撮らせて―」と言っても出てこない。
 しかし、あきらめて行きかけたところ動きが。ぬーっと、出てきましたわ。

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 大悲山口まで約3.6km、21分くらい。
 この先はバス通りで広くなるので走りやすい。

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 交流の森の手前の「松上げ」のところで5.2km、29分半。
 ここで3時54分。
 家には4時30分までに帰って、そこから25分で「京都キャロット」に行って、5時に仕事を終えるヨメさんときくを迎えに行きたかった。それには、残り6.5kmを36分で。こらきつい。

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 出張所前で廉の同い年のひろき君のお父さん、井上さんに遭遇。お元気そうだった。

 駐在所のワンちゃんをのぞいてみると、いました。すぐカメラを取り出し構えると、シュシュシューと車の下へ。速すぎて写真はまたもや撮れなかった。

 上り区間に入ると、さすがに足が疲れてきた。でも、もう大布施の端まで来たので、残り4kmほど。しっかり!

 紅葉橋あたりで追いつかれたパトカーから声をかけられた。私のことをご存じなんでしょうか。
 「駐在さんとこのワンちゃんの写真撮らせてもらおうと思ったら、シュシュシューと車の下に入ってしまいましたわ。」
 走りながら何とゆうとんにゃろと思わはったでしょうね。

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 きつい坂を上り切ったら別所町。
 最初のおうちは、木村さん。ネコちゃんの小屋もロープもあるのに、クーちゃんの姿が見えなかった。どうしたんやろう。今度聞かなあかん。

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 4時32分、我が家到着。帰りは一度も立ち止まらず、走り続けた。
 約11.8km、1時間7分ちょっと。
 帰りのほうがだいぶ速い。

 急いで水道ポンプの元栓を閉め、水道管に残っている水を出し切り、荷物をもって帰路へ。
 4時37分くらいに家を出て、「京都キャロット」着は5時4分。何とか間に合ってよかった。今日はヨメさんのテスト期間の最終日ですから。余裕をもって学校に行ってもらわんなん。

 いなかの家から花脊の三本杉往復23.6km。スカイセンサーJAPAN、C3fit5本指ソックス、ともに抜群の働き。
 ただし、晩ごはんを腹いっぱい食べてから測った体重は58.8kg(前日比1kg減)。久しぶりの58kg台。ウルトラ5日前の練習としては、ちょっとハードすぎたかも・・・。

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【今日のきく】

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 今日も10時40分着のバスで帰ってくるオバサンのお迎え。いつも通り、直前知らんぷりスル―をしたらオバサンに襲われていた。
 「テストが終わったら、飲まずにはいられない。」
 帰りに缶チューハイを買って飲んできたらしい。
 ヨッパライ、ヨッパライ。

 そうや、はしだのりひこさん、死んじゃったね。

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2017年12月11日(月)

2位、それはそれでかっこいい [雑感]

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 今日は寮2(出町)24時間。先週の分が今週に回され、今週は月金の2回。

 ここの寮長さんは気が利いていて、「藤井さんのために新聞残しときました。」
 そのおかげで、11月25日から今日までの朝日、日経をチェックすることができた。

 今日は記事ではなく、広告でいいのを見つけた。
     ◇     ◇     ◇
 2位の先輩からM-1の2位へ。
 「2位も、おいしいぞ。」
     ◇     ◇     ◇
 「2位の先輩」とは、コンビニ業界2位のファミリーマートのこと。でも小さい字で、新聞業界2位の朝日新聞のアピールも入っている。なかなかいい広告です。

 私の2位は、なんといっても小1の真樹と走った「やしろ新春マラソン」親子ペア(小1女子と親)1kmの部。後ろが見えないくらいに二人で逃げまくったのに、どんどん追いついてこられ、ゴール寸前で差されての同タイム2位。真樹もこけ、1位の女の子もこけてズルムケだった。もちろん、真樹もその子も大泣き。あんなすごいレースは後にも先にもなかったなあ。

 私個人の2位と言えば何でしょうね。思いつかんなあ。
 何かにつけて2位以下ですから。
 でも、常に私の1位を目指したい。
 がんばろ。

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 そうそう、私の2位と言えば去年の「亀岡1.5km」。
 私と北出さんのデッドヒート。
 スタートから私が先行し、数百メートルのところで北出さんに抜かれるも、またその先で抜き返して差を広げる。これは優勝できるかもと競技場に入ったのだが、第2コーナーを曲がったところで猛追してきた北出さんに追い抜かれた。そして、そのままゴール。
 1位・北出さん5分37秒、2位・私5分41秒。名勝負でした。

 今年の結果が出ていた。
 1位・佐々木さん5分42秒
 2位・足立さん 5分48秒
 3位・北出さん 5分49秒
 4位・私    5分51秒

 わー、去年のタイムで走れてたら優勝争いに絡んでたのに・・・。
 惜しい、また来年!

 (ちなみに、14名エントリーで10名出場。うち2名は女性なので、実質8名での争いでした。)


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