パオパオだより

2017年02月09日(木)

家族ががんになったとき [病院]

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◎毎日新聞2月9日朝刊・くらしナビ ライフスタイル

   がんになり すれ違う夫婦

 がん闘病には、家族をはじめ周囲の支えが大きな力となる。しかし、配偶者ががんになったことで、心のすれ違いが生じる場合もある。人生の大きな試練に共に立ち向かえない。そんな悩みを抱える人は少なくない。


 ●痛み分かち合えず

 東京都在住の美樹さん(53)=仮名=は、がんをきっかけに夫との関係が壊れ、離婚に至った。「痛みを分かち合うことができなかった」と美樹さんは振り返る。

 2002年5月、美樹さんに直腸がんが見つかった。放射線と抗がん剤を経て手術。人工肛門や尿管へのステント(管)も必要となった。術後の抗がん剤治療も無事終えたが、やがて体調が悪化。04年8月に放射線性直腸炎と診断され、40度の熱と腹痛が続いた。がんが分かって以来、何度も入退院を繰り返した。一時帰宅しても就寝中、おなかの痛みに襲われる。苦しむ美樹さんを見て、夫は「またか」と言い、枕を抱えて別の部屋に行った。救急車で運ばれても「大丈夫?」の一言もない。

 「私の突然の病や入院に、気持ちが追いつかなかったのでしょう」。2人は同い年で高校時代に知り合い、25歳で結婚。3人の子どもに恵まれた。美樹さんのがんが分かった時、長女は中学2年、長男は小学6年、次女は小学1年。「もともと会話の多い夫婦ではなく、病気についてもほとんど話し合わなかった」。長女が家事を支えたが、父である夫は娘にいら立ちをぶつけた。長女は一時、精神的なバランスを崩す。「そんな時、妻であり母である私がクッションになっていたら。でも病気でその役目が果たせませんでした」

 やがて家庭内別居。夫は美樹さんの義兄のもとで働いていたが、ある日帰宅して「もう疲れた。別れよう」と言った。「本心ではなかったと思う。私の身内が彼に責めるようなことを言ったのでしょう」。しかし美樹さんは、病で相手を思いやることができないことに負い目を感じ、05年12月に離婚。子どもは引き取った。「結局、私は逃げてしまったんです」

 ●支える側の悩み

 「夫婦関係に悩む患者さんから相談を受けることがある」。腫瘍内科医で日本医科大武蔵小杉病院教授の勝俣範之さんは話す。「どちらかといえば『主人が全く頼りにならない』といった女性側の訴えが多い」。そんな時は夫にも来てもらい、理解を深めてもらうよう指導するという。

 支える側の夫も悩みは大きい。フリーライターの桃山透さん(48)は11年5月、妻に乳がんが分かり、ほどなく円形脱毛症になった。「ダメな夫です。妻のほうが心の整理が早かった。一人娘がまだ6歳で、落ち込む暇なんてなかったでしょうから」。手術で胸を全摘出したが、術後の抗がん剤治療が終わったタイミングで肝臓への転移が分かった。医師からは「治ることはない」と言われ、死を意識する日々となった。

 「ゴールのないマラソンを走っているような気分」と桃山さん。「ダメな自分」を突き詰めると苦しくなるので「『自分』というパロディーを生きてみよう。そう思って気持ちをコントロールしています」。

 フリーランスで収入は不安定だ。お金があれば治療に加え、生活に潤いを与えることもできる。しかし「稼げないなら動くしかない」。妻は薬の副作用で手先に支障があるため、洗濯やゴミ出しは引き受け、食器洗いは11歳になった娘にも手伝わせる。桃山さんも家で仕事をするため、共にいる時間が長い。「仕事が忙しくて余裕がないと、妻とどう接していいか分からなくなる」。常に試行錯誤だ。「お互いに我慢している部分があるでしょう。でも僕もがんばっていることを、妻は評価してくれていると思う」

 転移再発から5年近くたった。妻は治療を続けながらも週2回、楽しみ半分でパートに出る。病と生きる夫妻の日々を、桃山さんは著書「娘はまだ6歳、妻が乳がんになった」につづった。「日々、感謝の言葉を口にして、『気にかけている』ことを行動で示すようにしている。しんどいけど、妻のほうが大変には違いないですから」と桃山さん。「妻思いなわけでも何でもない。結婚も長いと残るのは家族愛です」。病気の妻から逃げる人もいると聞くが、桃山さんは逃げない。「近所に散歩に行くにも、やっぱり妻とでなきゃと思うから」

 ●精神的サポートは

 国立がん研究センターの精神腫瘍医で、がん患者の心のケアが専門の内富庸介さんによれば、「一般的に、男性は車の送り迎えなど身体的なサポートは得意だが、女性が求めているのは精神的なサポートとされます。そこにずれが生じる可能性はある」。米国や韓国の研究では、男性より女性のがん患者のほうが、離婚率が高いとデータで示されている。離婚率自体は一般と変わらないため、男性がん患者の離婚率は低いと言える。「男性ががんになると、夫婦の絆が強まるのかもしれない」。がんに限らず、病がきっかけでカップルの関係性が変わることは少なくない。日本でも、これから研究が進む。

 美樹さんは夫と別れた約半年後、今度は大動脈瘤(りゅう)破裂で入院した。その時、元夫が思いがけず病室に現れた。交流はその後も続き、別れる前より会話はずっと多くなったという。ところが元夫は今から2年前、突然の病で亡くなった。「その少し前、年を取ったら隣同士でいいから同じアパートに住もう、なんて言ってました」。美樹さんは穏やかに話す。「当時、諦めずにいろいろ話をすれば良かったのかもしれません。彼は本当はどんな気持ちだったのかな。今となっては聞けませんね」【三輪晴美】
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 今日は寮2(出町)24時間。さすがに2日連続は眠とうてしゃーない。
 また、新聞をしっかり読んだ。今日の秀逸は毎日新聞のこれかなあ。

 「家族ががんになったとき」、みんなはどうしているのだろう。
 私が35歳の時、母が胃がんで亡くなった(65歳)。母ががんであることを知ったのは、死の1年前くらいのことだったと思う。すべての責任を負ってくれていた兄から聞いた。
 その時は、「がんとかゆうて、なんやかんやできっとまだまだ長生きするんやろう」とたかをくくっていた。母も「冬のさぶい間だけ入院させてもろて、ぬくなったら退院して、また冬になったら入院させてもろて、これからずっとそうやっていくわー」と明るく話していた。でも、そんなふうに話していた2週間後に死んでしまった。

 「えー、まだまだ生きるゆうとったんちゃうん!」
 すべて兄任せで、母に対して何もしてこなかったツケが回ってきた。私にとって、母の死は衝撃的な「突然の死」だった。
 臨終の場にも入り込む余地はなかった。末っ子で一番かわいがってもらったはずなのに、母の意識の中に私はまったくなかった。なんでやろ。それがすごく不思議だった。

 さて、私。
 「甲状腺低分化癌」と診断されたとき、そう遠くない死というものを覚悟した。動けるうちに、今までお世話になった人にお礼を言っとかなくてはと思った。
 家族に対しては、とにかく「煩わせないこと」重視。ヨメさんとは離婚して、子どもたちとは親子の縁を切って、だれにも看取られず一人で死んでいくのが私にふさわしいと思った。
 私が癌と判明した時の家族の反応は、私が見た限りは以前通り。特別変わったことはなかった。「あー、またやらかしたか」系の私は、癌も「またやらかしたかー」と思われるだけの範疇だったのかもしれない。
 私がどんな悲惨な状態のときもヘラヘラしているので、「またヘラヘラしながら死ぬに決まっとる」とでも思ったんかなー。それならそれでうれしい。その期待に応えたろうやないかい。

 私は、この先もヘラヘラしながら生きていく。ヨメさんはそんな私がきっしょくわるーてしょうがないらしい。あきらめんかーい、今のところまだ家族なんやから。

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2017年02月08日(水)

巡回業務 [雑用]

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 今日は寮1(二条)17時間。
 一日の終わりは、最上階の9階まで上がり巡回しながら下りてくる。
 この辺りは、うちの寮と同じ9階建てのビルが林立している。だから周りの景色もあまり見えない。
 ただ、9階まで上がるとビルとビルの隙間から京都タワーが見える。時々ライトの色を変えるらしいが、今日はオレンジぽい色だった。これが普通の時の色なのだろうか。遠くから見ていると、ほんとうに「仏壇のろうそくの明かり」のようだ。京都らしいと言えば京都らしい。

 ほぼ一日中管理人室に閉じこもり。管理人室は玄関から奥まったところで、玄関のドアもすりガラスなので外の感じがまったく分からない。寮生がぬれた傘を持って入ってきて、初めて「ああ外は雨が降っとるんか」と分かることも多い。

 この寮の廊下は外向きになっているため、夜11時前の巡回はかなり体にこたえる。夏だと廊下に出て騒いだりする寮生もいるが、冬は静か。シーンと静まり返っているので、余計に寒く感じる。

 それでも今日は風がなく、この時期にしては比較的穏やかな気候だったようだ。それが明日から寒くなるんですってね。寒くなるだけならまだしも、また大雪になるとか。私が出雲に向かうあさってが最悪の予想みたい。

 「何年ぶりかでチェーンまかんなんのかー・・・。」

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2017年02月07日(火)

第89回9の日平和ラン(2日前倒し) [ランニング]

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 今日はお昼前に○ナートに行ってきた。
 ガードマンの夏服を返却していなくて、会社から何度も電話があった。

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 おちゃらけ?隊長。 
 「こないだ京大病院に用事があって行ったら、知り合いに会って、『前に○ナートにいたガードマンさんが、今ここに来てるよ』って言われてねえ。『フジイ、ついに裏切りよったかー』と思ってしまいましたわ。よく聞くと別の人でしたけどね。」

 おもろいわ。
 「みんな、藤井さんの復帰を待ってますよ」と言われた。うまいね。喜ばしてくれるね。
 そう言ってもらっても、復帰はいつになることやら・・・。

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 今日のお昼は、スーパーのお弁当(388円+税)。

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 午後3時半、雪がちらついていたが「9の日平和ラン」へ。

 「今日7日やしー、9日とちゃうしー。」

 でもね、明日は寮1(二条)。あさっては寮2(出町)。その次の日は、一日がかりで雪の出雲へ。そしてそのまた次の日は、「出雲くにびきマラソン」で出店。走れる日、ありませんやん。ということで、2日前倒しの「9の日平和ラン」。

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 ちょうど各学校の下校時刻と重なるので、今日は岩倉地区の学校めぐりランということにしよう。

 まずは家からちょうど1km、府立北稜高校。
 ここはほとんどが自転車通学。何人かの帰宅途中の高校生とすれちがった。

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 次は家から2.3km先になる岩倉南小学校。
 すごくたくさんの子が歩いていたが、できるだけ写さないようにした。トラブルになると困るので。
 でもこの裏道は、小学生へのアピールランとしてはいい。次は「平和・憲法九条」ののぼりを背負って走らなければ。

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 家から2.8km、真樹がお世話になった洛北中学校。
 私のブログによく出てくる「ナリケン」も、中2の12月まではここ。
 そんな真樹もナリケンも、もうすぐ大学を卒業。あれから8年もたったんですね。

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 中学校の北側の踏切を超えようとすると、ちょうど叡電が。
 この電車に乗って帰る子もけっこう多い。

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 バス通りを超えて少し北に行くと明徳小学校。岩倉地区では一番古くからある小学校。

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 さらに北へ北へと。
 大規模な団地内にある岩倉北小学校。家から5kmくらいあると思っていたのだが、ちょっと足らんかった。

 ここからさらに奥の団地の突き当りまで行ってやっと5km。29分08秒。
 同じ道はおもしろくないので、走ったことのない細い道に入って南下。

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 すると、うまい具合に洛北中学校の北側に出てきた(叡電・岩倉駅北側)。

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 あとはかって知ったるマイ練習コース。
 木野踏切前のデカワンコ。「ウォンウォン」と低くうなりながら近づいてきた。
 「そんなサービス、あるんですか!」

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 最後に京都精華大学前を通過。
 これで岩倉地区にある3小学校、1中学校、1高校、1大学を制覇。(って、たいそうか?)

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 叡電京都精華大前駅の階段を上って降りたら、家まであと500mほど。
 ちょうど9kmくらいになるはず・・・。

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 自宅到着。
 8.91km、52分41秒。90m足らんかった。

 超ゆっくり走ったつもりが、キロ5分55秒ペース。
 体調いいのに「出雲くにびき」に出られへんのが悔やまれる。

 明日あさってと連続バイトなので、今日、出張販売の荷物の積み込み。
 しっかり積んでいきますので、「出雲くにびきマラソン」に出られるみなさん、よろしくお願いしますねー。

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2017年02月06日(月)

モラトリアム [病院]

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 今日は、鞍馬口医療センターで経過観察。
 一週間前に採決してもらった血液検査の結果をお聞きする。

 名前を呼ばれて診察室に入ると、またもやいやーな間。ああ分かりやすい。血液検査の結果がよくなかったんですね。

 「サイロブログリンの値が少し上がってきています。」
     ◇     ◇     ◇

◎サイログロブリン Thyroglobulin (隈病院ホームページより)

■サイログロブリンとは
•血中に分泌される甲状腺ホルモン(T4=サイロキシン)の直前の物質のことです。
•甲状腺組織の中で合成され大量に貯蔵されています。
•正常の状態では血液中にはわずかにしか出てきません。
甲状腺に病気が出現した時に血液のサイログロブリン値が高い値を示します。
•その値は血液中の濃度で表現されます(正常値46ng/ml以下)。

サイログロブリンは甲状腺の血液検査でしばしば測定されるもので、Tgと記されています。
血中サイログロブリン値は、
•甲状腺の腫瘍がサイログロブリンを産生する時
•甲状腺を刺激する物質で甲状腺が刺激された時
•甲状腺の炎症で甲状腺組織が破壊された時

に高い値を示します。甲状腺乳頭癌、甲状腺濾胞癌などの甲状腺の腫瘍マーカーとして使用されることがありますが、良性の甲状腺腫瘍、やバセドウ病、慢性甲状腺炎などでも値が高くなり、必ずしもがんの存在を示すものではありません。

甲状腺乳頭癌や甲状腺濾胞癌になった方は、甲状腺全摘術の後に腫瘍マーカーとしてサイログロブリンの測定を行います。もし低下していた血中サイログロブリン値が高くなった時は、頸部のリンパ節の再発、遠隔臓器への転移、たとえば肺転移や骨転移などが考えられます。

サイログロブリンの値が高いだけでは、甲状腺癌の確定診断はできません。血液のサイログロブリン値では甲状腺腫瘍の良性悪性の鑑別は不可能です。良性悪性の鑑別には超音波検査、細胞診などを行います。


■サイログロブリンの特殊な使い方

・大きく腫れた頚部のリンパ節が、甲状腺癌由来であるのかを診断します。注射針でそのリンパ節の組織を採取し、食塩水で稀釈してサイログロブリンの値を測定します。サイログロブリン値が高い時は甲状腺癌由来と診断できます。

・甲状腺から遠く離れた組織(たとえば肋骨や腰の骨)が腫大した時、甲状腺癌由来のものかどうかを診断します。その組織の中にサイログロブリンが存在するかをプレパラートの上で染色し、顕微鏡で観察して、サイログロブリンが陽性であれば甲状腺癌の転移と診断されます。
     ◇     ◇     ◇

 私のサイロブログリン値は、8月22日-197.2、12月5日-33.2、1月30日-46.8。(基準範囲は33.7以下としている医療機関が多い。)12月初めには正常値に戻っていたのに、その値が再び上がっているということは癌細胞が増殖しつつあるということ。

 「決して安心できる状態ではありません。今後の治療をどうされて行くかは決められましたか。」
 「それがねえ、癌と言われても手術後の喉元に違和感があるだけで、それ以外は以前と何も変わらないので・・・。」
 「そういうものですよ。奥様は何かおっしゃっていないんですか。」
 「特になんにも。」
 「えー! なにも! それなら藤井さんが自分で決めるしかないじゃないですか。」
 「たしかにそうなんですけど・・・。」
 「ほかの病院で一度話を聞かれるのもいいと思いますよ。」
 「私の友だちに兵庫県の方がいて、『神戸に甲状腺専門病院があるので、一度診てもらったら』って言ってくれてるんですよ。」
 「はい、隈病院ですね。ちょっと遠いけど、一度行ってみられますか。それはそれでいいと思いますよ。」

 この話に出てきた「兵庫の友だち」は、実は友だちでもなんでもなく、このブログにコメントを入れてくださった方。まさかこのブログがこんなところで役に立つとは、思ってもみませんでした。

 ということで、鞍馬口医療センター耳鼻咽喉科の?医師に紹介状を書いてもらい、神戸の隈病院に行くことになった。もうちょっと先の話だけれど。

 ああ、モラトリアムモラトリアム。
 癌治療に「猶予」などあるんでしょうかねえ。
 さて・・・。
     ◇     ◇     ◇

◎当病院での甲状腺疾患に対する治療方法(隈病院ホームページより)

■甲状腺癌の遠隔転移の病変に対する放射線性ヨウ素内用療法(アイソトープ療法)

肺、骨などに甲状腺癌(乳頭癌、濾胞癌)が遠隔転移を起こすことがあります。この時に行うのが放射性ヨウ素による放射線性ヨウ素内用療法(アイソトープ療法)です。

甲状腺の細胞は、甲状腺ホルモンの原料であるヨウ素という元素を細胞内にとりこむ性質をもっています。甲状腺癌の細胞も、甲状腺の細胞と同じようにヨウ素元素を取り込む性質を有している場合があり、その性質を利用して遠隔転移(多いのは肺や骨)を起こしている癌に対して行う治療です。

このヨウ素元素には、放射性同位元素(アイソトープ)といって放射線を放出する種類のものがあります。甲状腺を全部摘出した後に、この放射性ヨウ素を投与すると、転移をおこしている癌細胞がヨウ素元素を取り込む性質があれば、シンチグラフィーで検出されますし、放射性ヨウ素を大量に使用することによって癌細胞を破壊することが期待できます。遠隔転移を起こしている病巣を外科的に切除できるのであれば、それが優先されますが、切除不可能な病変、多発性の転移などの時には有効な治療と考えられます。


•放射線を使用しますが、アイソトープ(131I)のカプセルを服用するだけです。
•体外から放射線を当てる外照射ではありません。体の内部から放射線を当てるので内照射と言います。
•甲状腺全摘術をすでに済ませていることが前提です。
→甲状腺組織が残っていると、服用したアイソトープは正常の甲状腺組織に全て入ってしまい、癌の組織には入らないからです。
•甲状腺ホルモン剤の補充をいったん中断してからカプセルを服用します。
→甲状腺の癌細胞はヨウ素を取り込む力が弱いので、脳下垂体のホルモンであるTSHを増加させる必要があるからです。
大量のTSHが存在するとアイソトープが癌細胞の内に取り込まれやすくなります。
•内服したアイソトープ(131I)が転移の部位(肺、骨など)に取り込まれると、131Iから放出されるベータ線が、その組織を破壊します。アイソトープが取り込まれる可能性は高齢者の癌より若年者の癌が高いようです。
•アイソトープの副作用はほとんどありません。
•この治療にはアイソトープ使用の許可を得たアイソトープ病棟のある特別の施設が必要です。当院ではこの施設を完備しています。
 

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【RUN】

 夕方6時すぎから、ひとっ走り。
 いつもの十王堂橋往復5km。

 なぜか分からないが、今日はすごく軽快に走ることができた。いつもこんなんやったらええのになあ。
 5分29、5分26、5分27、5分14、5分12で26分49秒。

 2月11日の「出雲くにびきマラソン」は10kmに申し込んでいたのだが、私一人で出店ということになったのでDNS。今は体調がいいのに、こういう理由で出られないのは無念。
 翌日12日が「武庫川ロード記録会」なので、走りに行きましょうかねえ。でも、出雲からの帰りの雪道がねえ・・・、どうなるか。

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【今日のきく】

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 今日も「京都キャロット」終了の7時に、ヨメさんときくをお迎え。
 私の車が店の前の駐車場の到着すると、きくは大喜び。

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 「はよかえろー、はよかえろー。」
 入口前でのアピールがきつい。(ピンボケです。)

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 「もうちょっと待ってな」と言うと、かしこー待ってるきくちゃんでした。

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2017年02月05日(日)

京都走ろう会例会〜ぬかるみラン〜 [ランニング]

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 「こんな寒い雨の日でも走りたいっていう変わった人がいるんやろうなと思って来てみたんやけど、やっぱりいやはったわー」と平田さん。
 というより、平田さんのご自宅は会場からかなり遠く、いつもバイクで来ておられるのに、今日はどうやって来られたのかとそっちの方が心配になった。

 今日はランナーが6名だったので、役員さんのほうが多い。「ちょっと変わった」少数派の私たちのために、お世話をしてくださった役員の皆様、どうもありがとうございました。

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 雨でなければ「京都キャロット」の商品を持っていき、プチ出店をさせてもらおうと思っていた。でも、朝からきつめの雨。

 今日は「木津川マラソン」で、雨をしのぐところが全くない堤防上を何千人ものランナーが走る(フル2500人、ハーフ1500人)。「木津川マラソン」の売りは「制限時間なし」なので、時間がかかるランナーが多い。ああ気の毒と思ってしまう(ランナーよりも役員さんが)。

 スタートとなる10時すぎ、雨が一段と強くなった。私も含め、みなさんアップなしの本番の模様。

 10kmに私、中嶋さん、斉藤さん。5kmに最近入会された熊谷さん。1.4kmに佐藤光一さん。あと岩田さんは何キロだったんでしょう。

 今日は10kmを44分が目標。ただ、降り続いている雨のせいで、河川敷はドロドロ。滑らんように気を付けて走らんなん。

 今日は雨のため出雲路橋の真下をスタート。
 スタートダッシュで飛び出したが、すぐ後ろに足音が。葵橋に着く手前で、その足音の主が私を追い抜いて行った。中嶋さんでした、好調です。
 「今日が敗北記念日になるんかー」と思いつつ、できるだけ離されないようにがんばった。

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 南折り返し(丸太町橋、約2.4km)で10分30秒。
 ここから始まる上り5kmをがんばれば、44分台が狙える。

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 2番手を走る私を見て、斉藤さんはビックリされてなかっただろうか。
 「ついにこの日が来たか」と。

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 ていねいにごあいさつしてくださった熊谷さん。まだ50前だそうだ。

 中嶋さんとの差はなかなか縮まらなかったが、4kmあたりでやっと追いつき抜くことができた。あとは逃げろや逃げろー。以前だいぶ差をつけたつもりが、ゴールして振り返ったらすぐ背中に迫られていたということがあった。

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 出雲路橋に戻って約4.8km、21分40秒(11分10秒)。
 後半のほうが約5.2kmと長いので、早くも44分台に赤信号。

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 佐藤光一さん。
 雨でも雪でも必ず来られています。若々しい姿、かっこいいです。
 (1.4kmではなく3.1kmを走られたようです。)

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 岩田徹さん。
 私らと同じ向きにスタートされたと思っていたのに、会わなかったということは、北向きに走られて戻って来られたのでしょうか。
 (いつもの5kmコースを走られ、橋の下スタートのため4.8kmで参考記録に。)

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 北折り返し(御薗橋、約7.4km)、33分50秒(12分10秒)。

 最後の下り約2.6kmを11分10秒以内で行かんと45分台になってしまうんや。
 ここからわき目もふらず、写真も撮らず、走って走って天国へー。あっ、ちゃうちゃう。
 
 ゴールは45分13秒。力及ばず。
 ゴールして振り返れば、すぐに中嶋さんがゴール。御薗橋折り返しでは10秒以上離していたはずなのに・・・。あぶなかった。

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 今日はゴミ袋をかぶって走った。
 雨はきつかったけど、それは走る妨げにはならず。それよりもぬかるみ。さすがに前半はよけてよけて走ったが、それでだいぶ体力消耗してしまった。
 後半、芝生部分を走った時に滑ってこけそうになった。そこからもうぬかるみを気にせず、ビシャビシャとハネを上げながら走った。

 ぬかるみがもう少しましだったら、楽々44分台は出ただろう。でも欲張らず。
 こんな厳しい条件の時にお世話をしてくださった役員の皆様、ほんとうにありがとうございました。

 4分20、4分17、4分32、4分25、4分42で5km22分17秒。
 4分45、4分42、4分39、4分30、4分17で10km45分13秒(22分56秒)。

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 着替えるのがめんどくさかったので、ぬれた服装のまま家へ。
 ヨメさんはまた学校へ自習しに行っているので、私一人でインスタントラーメン。体が冷え切っていたので、すごくおいしかった。

 ラーメン食べながら「別大毎日マラソン」テレビ観戦。
 中本健太郎選手(安川電機)が2時間09分32秒で優勝。
 復活しましたね。私の好きな選手なのでうれしい。

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2017年02月04日(土)

「風病」ラン [ランニング]

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 「このごろな、痛いとこがコロコロ変わっていくねん。2日単位くらいでな。これってどういうことなんやろう。」
 「それは東洋医学で言う『風病』かも知れんなあ」とヨメさん。

 風病(ふうびょう)・・・風の気にあたって起こると考えられた病気。かぜのやまい。ふびょう。

 なんか、それとはちがうような気がするが。このごろ、痛いところがコロコロ変わる。最近では、左腰が痛んだ2日後に右腰痛、左肩が強烈に痛んだかと思えば翌日に右肩、その翌日には左ふくらはぎ、そしてその2日後にまた右腰痛・・・。
 同じところがずっと痛み続けるよりはいいんでしょうかねえ。

 今日も父のお見舞いラン。
 家を出るのが遅くなってしまい、父の夕食が始まる6時に間に合いそうになくなってしまった。

 上賀茂神社まで2.9km、14分27秒。
 ここで5時30分。バス停の時刻表を見ると、5時34分発の千本通を南下するバスがあった。これに乗ったら6時に間に合うかもしれないと思い乗ることにした。

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 ところがどっこい、バスて遅いんですね。
 上賀茂神社から約5km、千本丸太町まで27分。これやったら走って行った方が速かったかも。

 千本丸太町から中央病院まで、1.63km、8分28秒。

 病院に着いたのが6時5分ころ。「遅なってしもたー。」

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 病室に入ったのは6時10分。もう夕食が始まっていた。

 「おとちゃん、それはあかんわ。」
 父は一人で食べようとがんばっていたのだが・・・。その姿はあまりにも悲惨で、父の名誉のためにもそれを描写することはできない。

 「食べさしたるわ。」
 「おー。」

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 ちょっと時間がかかったけれど、完食!
 よかった、よかった。

 そのあとまたいろいろしゃべったのだが、元気がない。
 唯一、また走ってきたという話の時だけ大笑いしていた。半分はバスに乗ってきたのだけれど、それを言うとガッカリすると思ったので、、全部走ってきたことにしておいた。

 「おじいさん、こないだはしゃべってしゃべって笑て笑てやったのに、今日は元気がないなあ」と言っていると、それを耳に挟んだ看護師さんが「今日ちょっと熱があって」と教えてくださった。インフルエンザとちごたらええんやけど。

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 7時前、病院を出発。
 バスに乗って帰るくらいなら、走って帰ったほうがまし。

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 いつも同じコースではおもしろくないので、今日は今宮神社経由で帰ることに。

 帰りは9.28km、54分09秒。ほとんど上りの割には、キロ5分50秒ペースとがんばった。まあまあです。

 さて、どこが風病?

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【今日のきく】

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 今日の昼散歩は、京産大体育館。

 きくちゃん、ここが大好き。 

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 また裏山に入ったろと思ったが、その手前にたくさんの学生さんがおられたのでやめておいた。
 でもこんなに見事な晴れ空のもと、いつもとちがうところに散歩が行けただけでも、えーやん。

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 ご近所に、こんなにかわいいネコちゃんが・・・。
 「ネコオブザネコ」って感じです。この先も堂々と生きていってねー。

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