2017年02月04日(土)
「風病」ラン [ランニング]
「このごろな、痛いとこがコロコロ変わっていくねん。2日単位くらいでな。これってどういうことなんやろう。」
「それは東洋医学で言う『風病』かも知れんなあ」とヨメさん。
風病(ふうびょう)・・・風の気にあたって起こると考えられた病気。かぜのやまい。ふびょう。
なんか、それとはちがうような気がするが。このごろ、痛いところがコロコロ変わる。最近では、左腰が痛んだ2日後に右腰痛、左肩が強烈に痛んだかと思えば翌日に右肩、その翌日には左ふくらはぎ、そしてその2日後にまた右腰痛・・・。
同じところがずっと痛み続けるよりはいいんでしょうかねえ。
今日も父のお見舞いラン。
家を出るのが遅くなってしまい、父の夕食が始まる6時に間に合いそうになくなってしまった。
上賀茂神社まで2.9km、14分27秒。
ここで5時30分。バス停の時刻表を見ると、5時34分発の千本通を南下するバスがあった。これに乗ったら6時に間に合うかもしれないと思い乗ることにした。
ところがどっこい、バスて遅いんですね。
上賀茂神社から約5km、千本丸太町まで27分。これやったら走って行った方が速かったかも。
千本丸太町から中央病院まで、1.63km、8分28秒。
病院に着いたのが6時5分ころ。「遅なってしもたー。」
病室に入ったのは6時10分。もう夕食が始まっていた。
「おとちゃん、それはあかんわ。」
父は一人で食べようとがんばっていたのだが・・・。その姿はあまりにも悲惨で、父の名誉のためにもそれを描写することはできない。
「食べさしたるわ。」
「おー。」
ちょっと時間がかかったけれど、完食!
よかった、よかった。
そのあとまたいろいろしゃべったのだが、元気がない。
唯一、また走ってきたという話の時だけ大笑いしていた。半分はバスに乗ってきたのだけれど、それを言うとガッカリすると思ったので、、全部走ってきたことにしておいた。
「おじいさん、こないだはしゃべってしゃべって笑て笑てやったのに、今日は元気がないなあ」と言っていると、それを耳に挟んだ看護師さんが「今日ちょっと熱があって」と教えてくださった。インフルエンザとちごたらええんやけど。
7時前、病院を出発。
バスに乗って帰るくらいなら、走って帰ったほうがまし。
いつも同じコースではおもしろくないので、今日は今宮神社経由で帰ることに。
帰りは9.28km、54分09秒。ほとんど上りの割には、キロ5分50秒ペースとがんばった。まあまあです。
さて、どこが風病?
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【今日のきく】
今日の昼散歩は、京産大体育館。
きくちゃん、ここが大好き。
また裏山に入ったろと思ったが、その手前にたくさんの学生さんがおられたのでやめておいた。
でもこんなに見事な晴れ空のもと、いつもとちがうところに散歩が行けただけでも、えーやん。
ご近所に、こんなにかわいいネコちゃんが・・・。
「ネコオブザネコ」って感じです。この先も堂々と生きていってねー。
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2017年02月03日(金)
雅ている [雑感]
◎朝日新聞1月26日夕刊・都ものがたり
安野光雅 友と行った京都・花背
「花背(はなせ)峠を越えると小盆地が連続している。このあたりは江戸期にあっては天皇領であった村が多く、家々の屋根は檜皮(ひわだ)ぶきで、どこか雅(みやび)ている」
司馬遼太郎が「街道をゆく」の中で、京都市左京区の花背地区についてこう記したのは1972年のこと。当時、挿絵を描いていたのは須田剋太(こくた)だったが、91年からは画家の安野光雅(90)が担当した。その安野のお気に入りも、花背の風景だという。
叡山電鉄の鞍馬駅あたりからさらに北に進むと道は急に細くなり、薄暗い森を抜けてゆく。つづら折りの花背峠を過ぎ、開けたあたりが、別所と呼ばれる地域だ。
安野がここを初めて訪れたのは、75年の秋。東京都小金井市で近所づきあいをしていた動物行動学者の日高敏隆(1930〜2009)が京都大に赴任し、左京区に構えた家を訪ねたのだった。
著書「チョウはなぜ飛ぶか」などで知られる日高とは不思議に馬が合った。安野も昆虫好きだが、むしろ日常の会話を楽しんだ。
そんな日高から、「せっかく京都に来たんだから、鞍馬にも行ってみよう」と誘われ、日高の妻、喜久子(75)が運転する車で鞍馬から花背を走ったという。
「京都にこんなところがあるのかと思った」と安野は振り返る。「京都市街の観光地はノーサンキューで、立て込んでいる場所は絵にも描きにくい。その点、花背には、かやぶきの家が残り、伝統を大切にしているように思えた。京都を控えているからではないか」。「雅ている」という司馬の記述ともどこか重なる指摘だ。
以来、「花背に行かないと、京都に行った気がしない」と、機会があれば足を運んだ。最近では2010年の12月、別所あたりでスケッチを試みた。
喜久子によると、日高もまた花背を愛した。中でも冬。枯れ山に見えても、春の到来を待つ生き物のうごめきが感じられるからだという。10年に冬の花背を訪れた安野が翌年発表した絵も、冬を耐えた草木が芽吹いたような新緑あふれる風景だった。
毎冬、花背は何度か雪に包まれる。しかしその下では、確かな命が胎動している。=敬称略(編集委員・大西若人)
<安野光雅(あんのみつまさ)> 1926年、島根県津和野町生まれ。小学校教員を経て画家に。多くの画集、絵本がある。文化功労者。
■あんない
京都バスで、「出町柳駅前」から「別所上の町」までが約1時間10分。工房や多目的ホール、休憩所などがある「山村都市交流の森」近くの「花背交流の森前」までは、さらに約20分かかる。
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うれしいねえ。
私のふるさと花背別所町が、新聞に取り上げられていた。それも、かの有名な安野光雅さんのお気に入りとは・・・。
「花背」と言われると、私たち別所人は別所と広河原の中間の「大布施・八桝・原地」の総称だと思っている。自治会もこの3地区で1つ、旧小学校区もこの3地区で1校だった(八桝小学校)。
だから、ガイドブックなどで「花背」が取り上げられていても、たいていは別所よりもさらに北に入ったこの地区のことがほとんど。別所は、その字の通りそこらとは別の所なんです。
そして、さすがの司馬遼太郎氏。
「どこか雅ている」とは鋭い。
別所人が一番よく使う言葉は「たもれ」。「食べてたもれ」とか「ゆっくりしてたもれ」とか。とても山深い片田舎で聞く言い回しではない。
そして、「そち」。これは「うち」に対する言葉で、「あなた」とか「あなたのおうち」という意味で使う。
司馬遼太郎氏は、こういった言葉からも「雅ている」と感じたのではないだろうか。
私の95歳の父・善一は、この「雅ている」別所を代表する人間と言っても過言ではない。息子の私は、全然「雅ていない」似ても似つかん人間になってしもたけど・・・。
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2017年02月02日(木)
感謝も恩返しもない生き方 [雑感]
去年のクリスマスにまっちゃんサンタが持ってきてくださった玄米を、おととい精米しに行った。私は昨日は寮の管理代行のバイトだったので、家で食事はせず。今日初めて精米したお米をいただいた。
「うまい!」
文句なしにうまい。
まっちゃんにあらためてお礼を言わなければ。
ここで、最近ムカついていることを思い出した。
インタビューで「応援してくださったみなさんへの感謝の気持ちを込めて」とか、「応援してくださったみなさんへの恩返しのつもりで」とか。
じゃかましい、じゃかましーい。
感謝も恩返しも心の中にしまっとけよー。アンタら、人とおんなじことしか言えんのかー。自分の頭でしっかり考えた自分の言葉でしゃべらんかーい。
感謝や恩返しはその人に直接にせーよ。インタビューなどで誇らしげにしゃべるようなこととちゃうやろ。
私の癌が発覚して以来、多くの方が励ましの言葉をかけてくださっている。本当にありがたいと思う。しかし、私は感謝も恩返しもするつもりはない。なんてったって、自分のことで精一杯ですから。感謝や恩返しをしたら、余命が伸びますか。癌細胞はそんな生やさしいものではないでしょう。
しかし、かもなす由美さんからの「これからは私のために生きて!」という言葉はこたえた。なかなかここまで言えんぞ。由美さんのために生きられるかどうかは分からないけれど、いつも頭の中にあの言葉があるのはまちがいない。ひとにわざわざ言うのなら、由美さんくらいに腹をすえた発言をしてほしい。
ついでに言っとこう。私が一番嫌いな言葉は「元気をもらう」。
このブログにもそのことを書いているので、名護の玉城さんなんか「お金を出して藤井さんの元気を買いたい」とメールされてきた。
「Good!」
うれしいねえ、ヘンタイ的パオパオのヘンタイ系発言にきっちり対応してくださって。自然にこういうことができる人を「友だち」と言うんですね。
ついでのついでにもう一つ。
「○○かなと思う」ってなんやねん!
これを一番使うのが、あの天下の大谷翔平選手。世界にただ一人のスーパースーターやのに、「かな」って・・・。そんなに自信ないんかいな。
それに比べると、わがヤクルトスワローズの山田哲人選手は「かな」とは言わない(ような気がする)。自信がないけど、けっこう言いきっている(ような気がする)。
兵庫・ゆめさき舎のまっちゃん、おいしいお米をありがとうございました。恩返しはしませんので・・・。
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【RUN】
今日も父の見舞いに行こうかと思ったが、ダラダラしている間に夕方になってしまった。
今日はまた、叡電線路沿い2kmコースを使ってスピード練習ですね。
まずはアップジョグ。
家から木野踏切まで行き、渡って京都精華大前まで折り返すとちょうど2km。11分ちょっと。
北コース2km、4分29、4分21で8分50秒。
おそー、おそすぎる!
2.5km16分ジョグのあと、今度は南コース。
4分19、4分19で8分39秒。めちくちゃがんばったつもりなのにこのタイム。こんなことでは・・・。
1kmなら3分48秒で行けるのに、2kmが8分半以上もかかっていたらあかんなあ。ここで8分が切れるようになるまでがんばろう。
2km14分半のダウンジョグ。
これで2+2+2.5+2+2で10.5km。
これからもこの2kmコースでスピードを磨こう。
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【今日のきく】
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2017年02月01日(水)
「週末沖縄でちょっとゆるり」 [書評]
「週末沖縄でちょっとゆるり」 下川裕治 2014年 朝日文庫 303ベージ
■内容紹介
アジアが潜む沖縄そば、
脊髄反射のようにカチャーシーを踊る人々、
マイペースなおばぁ、
突っ込みどころ満載の看板……
【目次】
はじめに
第一章 沖縄そば/食べるそばを求めて国道58号を北上する
●定食 「シーブン」が生む沖縄定食の迷宮
第二章 カチャーシー/カメおばぁが教えてくれる本土の人間の限界
●栄町市場 軒の低い市場に流れる百円以下という物価感覚
第三章 LCC/台風欠航で揺れる沖縄フリークの胸のうち
●石垣空港 LCCが生む節約モードという多忙
第四章 琉球王国と県庁/沖縄のタブーに潜む琉球王朝の血
●名護と愛蔵さん 辺野古移設でもめる街にギャラリーができる
第五章 波照間島/天文おたくのパイパティローマという居場所
●船の欠航 変わりゆく島を結んだ伝説の船
第六章 農連市場/「午前三時の湯気」の現在を撮る(阿部稔哉)
第七章 コザ/世替わりを重ねた街の人生の栄枯盛衰(仲村清司)
●ポーク 主食化したアメリカ世の落とし物
第八章 沖縄通い者がすすめる週末沖縄
・食堂、スナックに立ちはだかる再開発と後継者の問題(はるやまひろぶみ)
●旅のはじまり 自分だけの定番癒しスポットへ(こいけ たつみ)
第九章 在住者がすすめる週末沖縄
・なるべく金をかけずに子供を喜ばせる穴場スポット大紹介! (平良竜次)
・沖縄の週末は公園が賑わっている(嘉手川 学)
・沖縄滞在パターン(高倉直子)
・女子にもおすすめパワースポット自転車めぐり(及川真由美)
・安里の栄町通りが変わってきている(新崎栄作)
■内容(「BOOK」データベースより)
アジアが潜む沖縄そば、脊髄反射のようにカチャーシーを踊る人々、マイペースなおばぁ、突っ込みどころ満載の看板…日本なのになんだかゆるい沖縄には、いつも甘い香りの風が吹く。基地問題で揺れ、LCCが離島にも就航した沖縄。島の空気をいっぱいに吸い込む週末旅へ。
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今日は寮1(二条)17時間。
真樹のアパートに忘れてきたポケットWifiを、真樹が送り返してくれない。マイパソコンが使えんと、17時間バイトは時間が持たへんのですよねー。
こないだ関空第2ターミナルで買った沖縄関連本。半分まで読めてたので、今日残りの半分を読んだ。
(注)あかん、もう眠とうてあかん。続きは明日に。
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2017年01月31日(火)
「神ってる」ラン [ランニング]
今日は、「自宅→京都シネマ→中央病院→自宅」ラン。
中央病院からの帰り、西大路通を北上中、「ふじいさん!」の声。
「あらー、Nさんやないですか。」
今まで何回もこのブログに実名で登場していただいた方だが、今回は了承を得てないのでNさんということで・・・。パオパオだよりの愛読者ならすぐ分かりますよね。「京都丹波ロードレース」で遠くから私を見つけて手を振ってくださって、私がメロメロになってしまったNさんですよ。
今日はお父様とお散歩かな。お父様もお上品そうな方で、お二人の歩かれている姿がまぶしかった。うちもそうあってほしいと思いましたわ。
それにしても、昨日の松村竜太さんに今日のNさん。2日連続で大好きな人と遭遇できるなんて。
「神ってる!」
京都シネマの会員更新をした時のタダ券の有効期限が1月31日。
「今日使わんともったいない。」
お昼12時半ごろ、自宅スタート。
家から京都シネマまで9kmくらいやったし、走って行って映画見て、そこからまた父の病院に走って行って家まで帰るという予定。
同志社大の北側に「なか卯」があったので、食べて行こうかなと思った。でもここで食べると、四条烏丸までだいぶあるのでやめておいた。もうちょっと先にもあったはずやし。
烏丸夷川にもありました。
安いとこを探すのはたいへん。
ここまで約8km、47分39秒。キロ6分ペース。
「和風牛丼並+小うどん味噌とん汁」(550円)。
この値段やったら、ヨメさんに怒られんやろう。
久しぶりの牛丼はおいしかったが、小うどんの汁がからかつた。
食べ終わってすぐ、四条烏丸まで。
1.34km、8分29秒。
京都シネマのビルに入って気が付いた。
タダ券の有効期限は、「2018年」の1月31日。
「ああ、あと丸1年。今日あわててくることもなかったか・・・。」
しかし、癌患者的発想から行くと「できることは何でも早めに」となる。これでよかったんや。
「こころに剣士を」(フィンランド・エストニア・ドイツ合作 )
高校時代にフェンシングをやっていたヨメさんといっしよに見たかった映画。今ヨメさんはお勉強ばかりで、映画なんてとんでもないという状況。
映画を見ていて、「ヨメさんは、子どもたちにフェンシングを教えてみたいとか思わないのかな」と思った。主人公は「実は子どもが苦手」というところも似ているような・・・。
この映画は、「ソ連占領下で人々が鬱屈した生活を強いられた1950年代初頭のエストニアを舞台に、勇気を持って逆境に立ち向かおうとするフェンシングの元スター選手と子どもたちの絆を、実話に基いて描いたヒューマンドラマ」だそうだ。
私は、映画に子どもが出ているだけでおもしろいと思う。その表情を見ているだけで楽しい。特に少女・マルタの眼がすごくよかった。
映画を見終わり、今度は父が入院している中央病院へ。
今日は迷わず南館(本館)へ。
4.16km、26分40秒。
病室に入ると、父は起きていた。
昨日点滴の針を抜いてしまったので、今日はデカい手袋をはめていた。
「今日はだれか来た?」
「だれも来ん。あー・・・、こうじとこうじのヨメさんが来たわ。」
「なんでやねん。こうじはボクや。だれかとまちごうとんのとちゃうか。」
兄に「今日も中央病院に来ました」とメール。
すると「4時すぎまで病院にいました」と返事。えっ、まだ1時間もたってへんやん。そやし、今日は起きとったんか。
「おじいさん、ついさっきまでにいちゃんがきとったんやて。」
「そうか。」
「いやいや、そうかとちごて。おぼえてへんのかいな。」
「おぼえてへんなー。なんでもすぐわすれんにゃ。はははー。」
まっ、ええか。
父は昨日とちがってよく笑った。
「きんのな、ここから走って帰ったんや。御薗橋あたりまではよかったんやけど、その先から大雨になって、頭からビチャビチャになってしもたわー。」
「はははー、そらあかん。かぜひくど。走って帰ったんかー。はははー。」
「今日もな、四条まで走って行って映画見て、四条からここまで走ってきたんやで。」
「ほー。」
「そんでまた、家まで走って帰るわ。」
「はははー、走ってばっかりやな。」
特別おもしろい話でもないのに、わろてわろて。
ほかの時にもよう笑ってくれた。笑っていたらこちらも安心。
晩ごはんまでいたかったのだが、そうなると家に着くのが8時前になってしまう。今日は夕食の直前に帰らせてもらった。
薄暗くなりつつある西大路通を黙々と北上中、「藤井さん!」の声。
Nさんは、お父様とおしゃぺしなから散歩中。私はじみーな服装でじみーに走っていたのに、よく見つけてくださいました。
近所ばっかり走ってんと、いろいろなところに走りに出て行かんとあかんね。
家まで9km、56分24秒。キロ6分16秒ペース。
これで今日の合計は22.5km。
1月の累計が302.7km。ぎょうさん走ったやん。ただし、それが身になってるんだかどうか・・・。
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2017年01月30日(月)
第85回勝手に国労応援ラン [ランニング]
どうしょどうしょと思ってたけど、走りに出てよかった。
家から5kmちょっと、千北交差点を通過しようとしたときに「あれっ?」
「松村さん、藤井です!」
「あー・・・。」
「ライトハウスに行ってはったんですか。」
「はい、今帰りです。」
「私の父が入院していて、今から走ってお見舞いに行く途中です。中央病院に入院してるんですよー。家から9kmくらいみたいなんで、走っていくかーちゅう感じで。」
「中央病院って、どこでしたっけ。」
「円町の近くです。」
「あーあー。」
「またいっしょに走ってくださいね。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
神さんはよう見てはんにゃわ。
「おまえー、死んだら地獄行き確定やけど、生きてるうちはかわいそうやしちょっとだけ甘やかしたろ」てか。
この場所この時間に、私と松村さんが出会う確率は何パーセント?
ちょっと走るスピードがちがったり、横断歩道を歩いてくる人に眼を配らなかったら、出会うことはなかったでしょう。
思いもかけないところで思いもかけない人と出会えると、うれしくてうれしくて・・・。ほんまによかったわ、走りに出て。
お昼すぎ、兄からメール。
「おじいさんが民医連中央病院に入院。肺炎高熱でしたが元気になってきました。早く回復して帰りたいものです。また顔を見せてください。」
中央病院と言えば、JR円町駅のすぐ近く。1月の「勝手に国労応援ラン」ができていなかったので、ちょうどよかった。前に円町駅まで走った時9kmくらいだったので、ゆっくりジョグには最適の距離。
そして何より、私が走ってお見舞いに行くと父はすごく喜んでくれる。一石二鳥とはこのことなり。
4時半、自宅スタート。京都は南に向かって走るのは楽。ゆるやかに下って行くので。
旭丘中学校前で5km、29分ちょっと。
この先の千北交差点で松村竜太さんに遭遇。
西大路通りを円町交差点まで。
信号に何回も引っかかったが、まずまず気持ちよく走れた。
JR円町駅到着。
近道を探して走ってきたので、9kmはなかった。
一応、記念写真。
今回も「いらんちゃ 米軍基地!」のジャンバーで。
福知山自衛隊内で米軍の実弾演習がされることが決まりました。丹後→福知山→京都市内(桂)・京都府南部(大久保・宇治)と浸食されていくのでしょうか。
5時半ごろだったので、もっと利用客が多いと思っていた。JRに乗る人はそんなに多くないのかもしれませんね。
中央病院到着。
南館と聞いていたので一番南に行くと、ここは西館。その北にあるのが南館らしい。ああややこし。
ぐるっと回って南館(本館)到着。
9.33km、約55分。キロ6分切ってます。
病室に入ると、父は寝ていた。
「こうじです」と言ったけど、分っているのかどうだか。
でも「家から走って来てん。9kmもあったわ」と言うと、満面の笑顔。「そうかー、そらええ選手になれるわ。」
「今日はだれかお見舞いに来た?」と聞くと「誰も来とらん。」
「きんのは、とよぞが来て、しゃべってしゃべって。黙っとるのも悪いさけ、返事しとったら疲れたわ。」
「ふーん。」
豊三おじさんは父の弟で、2011年1月3日に亡くなられた。ついに迎えに来たか?
「あっ、お前のヨメさんもきたどー。」
「へっ、そうか。」
お前のヨメさんて、だれやねん。そもそも、今目の前にいる人間が「こうじ」と認識しているのだろうか。まあ、細かいことは気にすな気にすな。
6時すぎ、夕食の時間になった。
前に兄が言っていた。「一人で食べるのは寂しいし、行けるもんやったら夕食の時に行ってしゃべったって。」
ほんまそうやね。こんなところにほとんど寝てばかりで、ごはんの時も一人きりではねえ。
父は一番にデザートであるみかんに手を付けた。そして、箸では食べにくい細かいおかずに。「箸ではボロボロこぼれるし、スプーンで食べたら」と言っても使おうとしない。「ボクがスプーンで食べさしたるわ」と言うと、怒るかと思ったら意外と素直に食べてくれた。腹減らしの父には、このご晩ごはんは物足りんかったやろね。
兄にメール。ヨメさんにもメール。
そのたびに父に読み上げていたのだが、「それはだれが書いてん?」と興味を持っていた。
「おじいさん、もうおそなるし、帰るわな」と言うと、それまでよくしゃべっていた父が固まってしまった。もう一度「帰るわな」、小さな声で「おー」と返事。父は耳は悪くない。固まった顔が「もうちょっとおったらええのに」と語りかけていた。
また来るがな、走って。
帰りはバスで帰ろうかと思ったが、うちの家にバスで帰るには乗り換えて4、50分かかりそう。走って1時間ほどやったら、走って帰る方がましか。昨日のレース後から腰がかなり痛くなっていたけど、ゆっくりなら走れる。
御薗橋までの6kmは順調に。しかし、橋を渡ったくらいから雨がきつくなってきた。京産大前ではじゃじゃ降り。家に着いたときは、頭からぐっしょりで冷え切ってしまった。
帰りの上りは9.1km、約57分。キロ6分15秒ペース。
往復で18.4km。
アピールランになったかどうかは問題だが、楽しく走れました。
※ 元国労の中野勇人さんは、20回目の「サロマ」に申し込み。
北見におられる奥様や息子さんは、今どうしておられるんでしょう。
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