パオパオだより

2017年02月27日(月)

ますみちゃんゴーゴー [家族]

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 あさって3月1日は、ますみちゃんの誕生日。
 明日真樹が沖縄に帰ってしまうので、2日前倒しのお誕生日お祝い。

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 やっすい小さなケーキだが、3人で食べたらすごくおいしい。

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 写真を撮ろうとすると、少しでも小顔に見えるように後ろに下がるずっこしのますみさんでした。

 あさって、ついにますみちゃんゴーゴー(55)。
 後ろ向きじゃなく、常に前に向かって走って行ってくださいね。
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 真樹がゆっくりできるのは今日だけなので、ますみさんと二人で三重県のナガシマリゾートへ日帰りバス旅行。

 京都からのバス往復、遊園地乗り放題、アウトレットパーク、温泉も入れて「学割」7500円。これはお得!(母娘ともども「学割」はめずらしいでしょう。)

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 遊園地→買い物→温泉の順に行ったそうだ。
 真樹は温泉を一番の楽しみにしていて、期待以上だったようですごく喜んでいた。

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 遊園地の乗り物は乗り放題だったのに、しょぼいのにちょっと乗っただけで切り上げたらしい。

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 真樹はニーニー(22)ですけど、ますみさんはゴーゴー(55)ですから。
 「オバサンはきっつい乗り物に乗ると、酔いますにゃわ。」

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 アウトレットパークでは真樹のお気に入りの服が安く買え、こちらも大満足。温泉上がりにさっそくお着換え。
 値段が安かったので、ますみさんも超久しぶりに少し服を買ったらしい。

 母娘水入らずで、いろいろな話ができたかな。
 もうすぐ春なので、気持ち新たに、またがんばらないと。

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【今日のきく】

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 今日の私は、寮1(二条)、9時から6時。
 退寮する寮生の部屋の点検のため、いつもと勤務時間がちがう。

 真樹とヨメさんを国際会館駅まで送ったあと、「はよう帰れたら、散歩に行ったるし」ときくちゃんに言い聞かせ出勤。

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 「退寮は午後3時までに」とお願いしてあったのだが、最終は4時をすぎた。それでも4時半くらいに、「今日は早く帰ってもらって結構です」と言ってもらえた。
 店に寄って通販でいるものがないかをバイトさんに聞いた後、きくが待つ家へ。

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 中途半端な時間に帰ったので、きくはそんなに喜んでいなかったような・・・。

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 ミラーに映ったきくと私。
 きくが、もうちょっとうまいこと入れてたらよかったなあ。

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【RUN】

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 ナガシマリゾートから京都に帰ってくるのが7時半。そこから地下鉄で国際会館駅に着くのが8時ころになる。
 それまでの時間を使ってひとっ走り。今日は、久しぶりに岩倉実相院経由の仏大グランド往復10km。

 行き5分28、5分28、5分36、5分42、5分35で27分51秒。
 帰り5分00、5分08、4分58、5分03、4分57で53分00秒(25分09秒)。

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 ダウンジョグ1kmを走り終わって帰ってくると、きくが「おもんなー」攻撃。
 「さっき、お散歩行ったやろな」と言っても、「おもんなー。」

 そのうち、ますみさんから「お迎え来てください」のメール。
 「オバサン迎えに行きましょかー、オバサン迎えに行きましょかー」の歌を歌うと、きくはガバッと起き上がった。

 「きくは、オバサン命やね。」
 ええこっちゃ。

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2017年02月26日(日)

第33回宇治川マラソン [ランニング・出張販売]

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 助っ人・真樹様様。
 おかげで、最近にはない売り上げアップ(前年比)。
 多くのお客様から、「沖縄から手伝いに帰ってきたんやねー」と声をかけられたそうだ。皆様、どうもありがとうございました。

 それと、この大会には来れない予定だった眞寿美さんがめげずに明るくお客様に対応していた。店長がしっかりしているお店は、皆様に信頼していただける。

 真樹とヨメさん、この二人が万全の体制で待機していてくれたので、私は準備と片付けのみでほとんど店頭には立たず。それが、今日の売り上げアップの一番の理由やったりして・・・。

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 朝6時10分、自宅出発。7時ちょっと前に会場到着。
 去年は門が開いていなくて難儀したが、今年は開いていたのでスッと入れた。

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 ほとんど雲のないいい天気。
 この大会は寒くてふるえることが多いのだが、今日は日なたはポカポカ。走るには絶好のコンディションと思われる。

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 宇治川マラソン名物(?)ハーフ・10km同時スタート。

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 スタート地点の道幅がそんなに広くないだけに、これはちょっとどうかと思う。

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 こんな人混みの中でも、中島てっちゃん発見。

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 少し下ったところで待機。
 ここなら少しはばらついて、知り合いランナーを見つけやすい。

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 一番最初に見つけたのは、中年ランナーの星・足立さん。
 いいスピードで、下り坂を駆け抜けて行かれた。

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 次に、植木屋そうへいさん。
 「ガンガン、行かんかい!」

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 次は、井内(いのうち)・吉川ペア。
 朝に、伴走を務める吉川さんから「うちの息子とおんなじくらいの若い子で、1時間40分くらいで走るんや。期待の星やで」と紹介していただいた。

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 ブログ「マラソンにはまった」のタカッチさんの奥さん。
 名前を忘れたので「おくさーん」と呼んだら、分ってもらえたみたい。 

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 「てっちゃん、てっちゃん、てっちゃん・・・。」
 「ふじいさんやなー。」

 声で分かってもらえるようになりました。

 地元の大会なので、もっともっと知り合いが走っているはずだが見つけられたのはここまで。もうちょっと下で待機した方がよかったかな。

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 次は、私が出るはずだった5kmの応援。
 一人で来ることになると思っていたので、レースには申し込んでいない。

 かなり上位で山本ヒデさん発見。
 「やまもとさーん、しっかり!」
 「なんやー、でてなかったの。でてるもんやとばっかりおもって、さがしてたのにー。」
 去年は山本さんが4位で私が5位。今年もその再現のようなデッドヒートに持ち込みたかったのになあ。

 ここでちょっと休けい。
 車に入って、「東京マラソン」をテレビ観戦。
 ちょうどトップのゴール前。手に汗握りましたなー。2時間3分台が出てよかった。見ごたえがあった。

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 そして、急いで10kmの応援。
 真樹の元同級生・あーちゃん。

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 去年よりちょっとだけタイムは悪かったのかな。順位も9位と表彰に一歩届かず。
 でも、楽しそうに走ってたんでよかった。
 

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 レースがスタートしてしまうと、もうお客様はほとんどなし。あとは、気持ちよく走れた方々が帰りに気前よく買って行ってくださることに期待。

 さて、最後の上り坂をがんばっているハーフのランナーの応援に。

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 一番は植木屋そうへいさん。
 足立さんは10kmだったので、私の知り合いランナーの1位はそうへいさんになった。

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 「最後、しっかり!」
 「もう、ゲー出そうですわ。」

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 と言いつつも、しっかりした足取りで急坂を上って行かれた。

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 次に見えたのは、井内菜津美さん。

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 「写真、撮りにきましたー。」

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 私の声、聞こえたでしょうか。
 きつい上りにもかかわらず、足がよく伸びている。

 ゴールは1時間42分59秒で、ハーフ一般女子の部第3位。
 このアップダウンのきついコースでこのタイムなら、かなりのもんです。よかったですね。

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 賀茂パーの斎藤会長に見えたんですが、まちがっていたらごめんなさい。

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 「ランナーズ9の会」のTシャツを着た女性ランナー発見。
 「写真、撮らせてもらいます。」

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 来ました来ました、中島てっちゃん。
 伴走の方がかなりしんどそうに見えましたけど、だいじょうぶだったでしょうか。このコースの伴走は確かにきついと思います。

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 こちらは三木さん。
 「キャロットの藤井です」と大きな声で言ったので、分ってもらえました。

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 だいぶ下って平坦なところで、中島さんの奥さん発見。
 かなりきつそうな感じだった。

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 でも声をかけさせてもらったら、「はーい」と笑顔。
 あとは上りばかりでさらにきつくなりますけど、しっかり、しっかり。

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 今日は、ゆっくりランナーにはちょうどいいくらいの気温。しかし、ガンガン行くランナーにはちょっと暑かったかもしれない。
 たぶん私設給水所だと思う。ご苦労様です。ありがとうございます。

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 奇祭で有名な縣神社はここですか。
 最近5kmばかりで、こっちには来てへんかったからなあ。

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 暗闇の奇祭・あがた祭 (ブログ「そうだ 遊びに行こう」より)

■あがた祭とは
 
 毎年6月5日の深夜23時から翌25時までというもっとも暗い時間に行われる祭りです。
 祭りの間は沿道の家々も明かりを消して暗闇を作るという面白い祭りですね。
 この暗闇の中で梵天という神輿を男たちが担ぎ、激しくゆすったりまわしたりする「ぶんまわし」が有名です。
 通称「くらやみ祭」とか「暗闇の奇祭」などと言われています。

 このあがた祭にはもともと奇妙な由来がありました。
 いまは通称「くらやみ祭」と言われていますが昔は「種貰い祭」とも言われていたそうです。
 明かりを落として暗くなった祭りの沿道の家々では近隣から集まった見知らぬ男女が行為におよび授かった子供は神からの授かりものとされたそうです。
 そしてこのような男女の交わりは戦前まで続いていましたが戦後は全く行われていません。現在では梵天のぶんまわしと宇治駅近くに500店ならぶ露店が名物となっています。

■宇治市最大の祭り

 京都府宇治市の最大の祭りであるあがた祭は例年12万人前後の人々が訪れます。
 祭りの楽しみ方としては二通りあり、一つは駅前のあがた通り、本町通り、新町通りでに出店する500店あまりの露店を回って祭りの雰囲気を楽しむ方法。
 もう一つは本来の「暗闇の奇祭」を楽しむことです。
 露店は昼の12時ごろから始まり、22時で終了します。若者たちは露店を楽しんだら電車がなくなることもあり本来の祭りはあまり興味なく帰る人が多いです。
 本来の祭りである神事は23時から奉賛会(神輿の担ぎ手)の梵天渡御が始まり勇壮なぶんまわしが行われます。
 24時からは県神社の梵天渡御が始まります。境内を出るまでは撮影禁止、鳥居を出てぶんまわしが始まった途端フラッシュの嵐です。
 暗闇の奇祭といえどカメラのフラッシュで昼間のように明るくなります。

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 縣神社を過ぎたところ、ゴールまであと3kmくらいの所だろうか。最後尾車が見えてきた。

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 「もう、戻ろう。」

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 そこからはほとんど休まず、ゴール付近まで走って帰った。

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 この応援はうれしいですね。

 今日は、応援ラン2+2+6で10kmということにしとこう。
 レース、出たかったなあ。

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 私が「いらっしゃい」をせず、美人母娘の接客で売り上げ増。
 そうは言っても、真樹に沖縄からしょっちゅう帰ってきてもらうわけにもいかんし・・・。これからどうやっていきましょう。

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 遅いおひるごはんは、「多少高くてもおいしいものを」と思っていたが、2時半までのランチタイムを数分過ぎてしまった。
 道路も混んでいたので、一番近い「ステーキのどん」へ。

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 私はお肉(1294円)をいただいたが、真樹とヨメさんは遠慮して本日のランチ(798円)。全然働いていない私が一番贅沢して、申し訳ない。

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 早い時間に帰れたので、きくちゃんの「きゅーん、きゅん」はなかった。

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 夜は植木屋そうへいさんにもらったビールと、常連客・Kさんからもらったあんパン。
 レ―スに出られてたら、もっともっと味が体にしみたんやけど・・・。しつこいか。

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【今日のきく】

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 出張販売から帰り、すぐにヨメさんはお出かけ。
 国家試験帰りの専門学校の仲間と打ち上げ。
 それはつらくないかい。

 バスを待つヨメさんを、きくと見送りに行った。

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 きくは期待を上手に外しよる。

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 かなり「ネコ的」なところがあるように思う。

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 「オバさーん、いじけんといてねー。」

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 夜は、真樹にこんなんはめられとりました。

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2017年02月25日(土)

助っ人・真樹 [家族]

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 真樹が、宇治川マラソンの出張販売のために沖縄から帰ってきてくれた。
 明日2月26日は鍼灸の国家試験日。ヨメさん不在で、私一人で出張販売に行かなくてはならない状況だったが、大学の授業がすべて終了した真樹が帰ってきて手伝ってくれることになった。
 それがそれが、ヨメさんは試験に行けなくなり、明日は3人体制になっちゃったんですが・・・。

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 5時すぎ、国際会館前まで真樹を迎えに行った。そしてそのまま「京都キャロット」店舗まで。
 「きくちゃん、真樹が帰ってきたで」と言うと、車に飛び乗った。
 最初はシッポをふっていたが、次第に「えっ、だれやっけ」状態に。

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 夜になって、ちょっとは思い出したんかな。

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 「ガウッ」てゆわへんから、少しずつ少しずつ思い出しているんでしょう。

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 きくのウインク。

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 超久しぶりの、真樹がひくきくのお散歩。

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 こんなことなら、宇治川マラソンの5kmに申し込んどいたらよかった。明日は真樹もヨメさんもいるし、ヒマやどー。勝手にいっぱい走ることにするか。

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【RUN】

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 午後3時から、東北部クリーンセンター往復5km。

 5分40、5分38、5分14、5分14、5分00で26分49秒。

 もっとゆっくり走るつもりやったのに、なぜか気がせく。これはいい傾向ではない。

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2017年02月24日(金)

第86回勝手に国労応援ラン [ランニング]

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 今月はもう今日くらいしかない。
 JR沿線に走りに行く時間はないので、またご近所で。
 せめてものと言うことで、「平和・憲法九条」のミニのぼりを胸ポケットにさして出発。

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 地下鉄・国際会館前で約2.6km。
 胸のミニのぼりが落ちてしまわないかと心配だったが、走っていればだいじょうぶ。それよりも、のぼりの先っぽがアゴに当たって痛かった。

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 松ヶ崎橋からどうしようか迷ったが、左折して叡電・修学院駅のほうへ。

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 駅前の踏切を、ちょうど電車が通過。

 このちょっと先で5km、30分12秒。

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 白川通を北上。 
 いつもの叡電跨線橋の側道を走る。

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 走りなれた北稜高校前の道路。

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 自宅到着、9.86km、1時間00分18秒。

 胸のミニのぼりが、まあ「赤い羽根」みたいにおしゃれで、こんなアピールランもよかったかなあ。

※ 元国労の中野勇人さんは、平和運動センターの専従を降りられ、やっといろいろなことをする時間が取れるようになったそうだ。最近はアピールランのコースをいくつも設定して、のぼりを背負って走っておられる。(中野さんのブログ)
 私が「平和・憲法九条」ののぼりを背負って走ろうと思ったきっかけは、この中野さんのアピールランから。
 京都と高知と遠く離れてはいますが、お互いしっかり走り続けましょうね。

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2017年02月23日(木)

借金返済ラン [ランニング]

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 烏丸夷川下るのスーパー前で谷村さんに遭遇。谷村さんは私が走り始めた20代からランニング仲間。今は病気からのリハビリ中で走られてはいない。

 「谷村さん、谷村さん。」
 「おー、藤井君。どうしたん、こんなとこで。」
 「映画見に行ってましてん、京都シネマまで。」
 「えー、映画見るのに走って来てるんかいな。」
 「そうですよ。何やかや理由をつけて走らんと。」

 本当の目的は、商工組合中央金庫まで借金返済のランだった。でもそういうと話がややこしくなりそうで、実際映画も見てきたので「映画見ラン」ということにしておいた。

 二人でスーパー前でけっこうな長話。
 その話の最後は、先日滝に落ちて亡くなられたTさんの話題になった。
 「74歳なんて、今やったら全然だいじょうぶな歳やのにどうしやはったんでしょうね。」
 「ワシらくらいの歳になったら、何が起こるか分からへん。自分の思い通りに動けてへんかったんかも知れんな。」
 「ボクかて、いつ癌で死ぬか分からへんし・・・。」
 「そんなことゆうたら、ワシかて頭の血管切れたらしまいやし・・・。」
 「(二人声をそろえて)ああ、いっしょや、いっしょや。」

 最後に、サブスリーランナーである谷村さんにひと言。
 「また、サブスリー目指してがんばってください。」
 「そんな無茶な―。」
 「えっ、10kmですよ。」
 「うーん・・・。」
 お見事、一本取らせていただきました。

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 お昼を食べたあと、四条烏丸に向けてスタート。
 うちから「京都キャロット」店舗まで650m。
 きくがヒマそうにしていたのでかまいに行った。

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 初めは喜んで近づいてきたのに、また警戒している。

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 何度呼んでも、けっきょく私の手の中に来ることはなかった。

 「京都キャロット」の赤字が続き、去年、商工組合中央金庫から大金をお借りした。半年ごとに33万円の借金返済。今月末がその返済期限だったので、どうせ行くのなら走って行こうということになった。ヨメさんは、「アホちゃう?」とあきれていたけれど・・・、そう、アホですよ。

 いなかの家の建物共済保険を解約し、がん保険から一時金をいただき、保険共済から手術代や入院費もいただいたが、それらすべてが生活費などに消えてしまった。この先確実に入院手術が控えているというのに、どうしたらいいんでしょう。
 ウエストバッグに○万円を入れ、いろいろなことを考えながら南へ南へ。

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 大谷大学前あたりで5km、30分36秒。

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 烏丸三条の京都銀行で、足りない分○万円を引き出し。
 これで、私の3つの通帳はすべてマイナス表示になってしまった。もう、最後の頼みの綱の定期預金も解約するしかないのかもしれない。 

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 四条烏丸を過ぎ、次の綾小路通を西へ。
 商工組合中央金庫に到着。自宅から9.44km、57分38秒。キロ6分06秒ペース

 こちらの銀行員さんの平均年齢はかなり高め。しかし、仕事はきっちり。それが一番大事。
 「返済期限日より5日早くご返済いただいたので、41円お返しいたします。」
 ほー、41円でなにしましょー。

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 せっかく四条烏丸まで来たので、京都シネマへ。

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 映画はその内容ではなく、自分のスケジュールに合ったものを見る。
 とうことで、3時25分からの「東京ウィンドオーケストラ」。知っている出演者は、役場の橘さん役の小市慢太郎さんのみ。こういう映画は絶対におもしろいはずと思った。
 実際おもしろかった。最後、もうひとひねり欲しいところではありましたが・・・。

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 映画がいい休けいになった。
 帰りは上りになるけど、走って帰るでー。

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 烏丸夷川で、谷村さん発見。
 やっぱり外に走りに出るといいことがある。
 私の「知り合い出くわし率」はかなり高い。

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 烏丸通の突き当りを東に行き、鴨川に出たあたりで5km、29分06秒。下りより上りのほうががんばっている。

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 せっかくなんで、鴨川を北上。

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 御薗橋のところでうえ上の道に上がり、上賀茂神社前を通過。

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 帰りは店には寄らなかった。
 家に到着、9.44km、55分20秒。キロ5分51秒ペース。よく走りました。

 今日は借金返済のおかげで、約18.9kmもランニングができた。半年後の8月末も、暑いやろうけど走って借金返済に行きましょうかねえ・・・。

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2017年02月22日(水)

忘れられた島 [沖縄]

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◎朝日新聞2月19日朝刊・戦後の原点

   忘れられた島 沖縄「基地」渦 目背ける本土

 地上戦で約20万人が命を落としたとされる沖縄。米国は戦後、経済復興とセットで基地建設を進め、平和憲法を手にした日本本土は、基地が沖縄に集中していく現実から目を背けた。その構図はいまも島に影を落とす。文書と証言から基地問題の源流をたどった。


 ■冷戦、消えた返還論

 米軍による占領から2年あまりがログイン前の続き過ぎた1947年10月14日。沖縄の帰属をめぐる分岐点となった、ある文書が米国務省で作成された。

 〈沖縄に軍事施設を求める前提で講和交渉を行うべきである〉

 国務長官らに宛てた報告書だった。まとめたのは、戦後に新設された政策企画部。部長は、対ソ封じ込め政策を主導したジョージ・ケナンだった。

 半年ほど前、連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官、マッカーサーが憲法制定や戦後改革が順調に進んだことを踏まえ、日本と早期講和を結ぶ用意があると表明していた。

 沖縄については、戦略的重要性から米国による保有を主張する米軍部に対し、国務省は日本に返還すべきだとの立場をとってきた。〈琉球列島の取得は、自国にも他国にも認めなかった領土不拡大の原則に反する〉(46年6月24日付米公文書)と考えていた。

 だが、時代は大国間の協調から冷戦へと移ろうとしていた。米ソの緊張が急速に高まり、中国でも共産党が勢力を伸ばしていた。米国は共産主義の「封じ込め」にかじを切った。

 48年3月、ケナンはマッカーサーを東京に訪ね、対日政策の方向性を確認した。マッカーサーは、西太平洋の安全保障には沖縄に空軍力を配備することが死活的に重要だとしたうえで、こう語ったという。

 〈沖縄に十分な兵力を置けるなら、アジア大陸からの防衛のための兵力を日本本土には求めない〉(48年3月5日、ケナンによるマッカーサーとの会談記録)


 ■経済再興、依存生む

 米軍政府の高官は住民たちにクギを刺した。〈軍政府は猫で沖縄はネズミである。猫の許す範囲しかネズミは遊べない〉(46年4月18日、軍民協議会議事録)

 占領とは、住民に服従を迫ることだ。本土も、沖縄もその点は同じだった。ただ、激しい地上戦があった沖縄では、通貨制度すら失われていた。

 45年6月、軍政府は沖縄県の慶良間諸島で経済実験をした。人口400人の島に貨幣を流通させ、結果をもとに、給与や物価を決めた。翌46年、米軍は沖縄本島で通貨を復活させたが、激しいインフレが続いた。

 復興へ本腰を入れたのは、沖縄の重要性が再認識された後だ。49年10月に着任したシーツ軍政長官は「沖縄を再興する」と宣言し、経済援助を進めた。住民からは「シーツの善政」と歓迎されたが、大規模な基地建設も同時に始めた。

 米国は日本本土を「反共の防壁」とするため、沖縄を利用した。沖縄でしか使えない通貨として軍政府が発行した「B円」に、日本円の3倍の価値を持たせた。基地建設でB円を稼いだ沖縄には、本土から大量の物資が輸入された。B円から両替されたドルが流れ込んだ本土は潤った。

 「米軍の経済政策は民心の安定とともに、基地を安く維持することが一貫した目的だった。基地と輸入に依存した、かつての沖縄経済の原点がここにある」と川平成雄・琉球大元教授は指摘する。観光業が育ち、県の基地関連収入は復帰前の65年の推計約30%から約5%(2013年)に減ったが、「沖縄では製造業が育たなかった。影響はいまも続いている」と言う。


 ■切り離しに冷淡世論

 本土では、47年5月3日、新憲法が施行された。各地で祝賀会が開かれ、国民が手にした「自由、平等、平和」を喜んだ。

 その約1カ月後、外国人記者団と会見した外相・芦田均は、沖縄の帰属問題に言及した。

 〈沖縄は日本経済にとって大して重要ではないが、日本人は感情からいって、この島の返還を希望しているのである〉(47年6月7日付朝日新聞)

 だが、日本側の本音は違うとマッカーサーは考えていた。

 〈沖縄人は日本人ではない。日本は米国の沖縄占領に反対しないだろう〉(47年6月27日、米国人記者団との会見)

 芦田発言の3カ月後、昭和天皇は側近を通じ、米側に自らの考えを伝えた。

 〈天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなる〉(47年9月19日、昭和天皇実録)

 沖縄は日本が52年に独立を回復した後も、米国の支配の下に引き続き置かれることになった。

 51年9月に朝日新聞が実施した世論調査では、講和条約の不満な点を沖縄や小笠原など「南方諸島の(米国による)信託統治」と答えた人はわずか6%だった。

 沖縄ではほどなく、「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる米軍による大規模な土地の強制接収が始まった。(岡田玄)


 ■強制移住で2年転々

 沖縄を車で走ると、カーナビの画面が灰色に変わる。米軍基地だ。県の面積に占める割合はおよそ1割。その成り立ちは72年前の沖縄戦にさかのぼる。

 1945年4月、米軍は日本本土を攻撃する基地をつくるため、沖縄本島に侵攻した。住民は戦闘などに巻き込まれ、4人に1人が命を落としたと言われる。

 本島北部から西へ9キロの離島・伊江島。島に残った住民約3600人の4割が、「沖縄戦の縮図」と言われる激しい地上戦の犠牲になった。住民同士が殺し合う「集団自決」や、赤ちゃんを背負った女性による突撃もあったという。

 当時9歳だった島袋満英さん(81)は、祖父と兄を失った。上陸した米軍に捕まり、生き残った家族とともにテントが並ぶ島内の収容所に入れられた。

 その後、約70キロ離れた渡嘉敷(とかしき)島に連れて行かれた。身を寄せた集落は米兵に見張られ、周りは地雷で囲まれていた。配給はやがて途絶え、自給自足の生活が始まった。

 1年後、一家はさらに本島北部に移住させられた。伊江島に戻る許可が下りたのは47年春。2年ぶりに目に映る故郷は「米軍の島」になっていた。ソテツ林には弾薬が山積みだった。

 沖縄では米軍に捕まった住民たちが収容所に住まわされ、わずかな配給食で命をつないだ。その数、約30万人。強制移住は47年まで続いたところもあり、この間に米軍は基地をつくった。

 嘉手納飛行場や普天間飛行場といった主要基地の原型ができたのも、このころだ。50年代には「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる強引な土地接収で基地はさらに広げられた。伊江島では民家が焼き払われた。

 島袋さんは80年代、村の助役として新たな米軍施設の建設を認めた。どこかが受け皿になる必要があるし、見返りの補助金で立ち遅れた教育環境を充実させたいとも考えた。

 それでも、オスプレイが飛びかう空に割り切れない思いがある。「島から米軍が去る日はこないかもしれない」。島の面積の約35%はいまも補助飛行場などの米軍施設が占めている。


 ■政治活動を通報、仲間が失業

 戦争を生き延びた住民のなかには敗戦後まもなく、米軍に職を求める人もいた。雇用が失われた沖縄にとって、基地が貴重な働き口になった。

 那覇軍港には「港湾作業隊」がつくられ、約2千人が物資の荷揚げなどにあたった。証言記録によると、月給は数百B円と教師よりも高給だったが、見張りのフィリピン人に撃たれる被害もあった。

 作業隊の沖縄側トップは国場(こくば)幸太郎。沖縄で初めて米軍工事を受注し、地場最大手の建設会社に飛躍を遂げた「国場組」創業者だ。

 那覇市の小那覇全人(おなはぜんじん)さん(91)は国場のもとで約4年、作業内容の報告書を英訳する仕事をした。米軍が敵視する政治活動をした作業員の名を伝えることもあった。名指しした人は解雇され、住まいも追われた。

 米軍が自由までも管理している――。進学した東京の大学で学生運動の輪に加わり、沖縄と本土の違いに気づいた。その後、沖縄に戻って、放送局でラジオの「方言ニュース」を30年間担当した。普天間飛行場の辺野古移設など、基地問題を伝える原稿も読んだ。

 辺野古では今月、埋め立てに向けた本格的な工事が始まり、日米両首脳は改めて辺野古移設を「唯一の解決策」と確認した。

 「なぜ沖縄に基地があるのか。本土の理解が薄れていっているように感じる」。小那覇さんは70年前、仲間の政治活動を米軍に伝えた9枚の文書をいまも捨てられないでいる。(岩崎生之助)


 ■占領政策の枠組み、今も政府利用 沖縄大名誉教授・新崎盛暉さん

 日本にとって沖縄とは何なのか――。在日米軍専用施設の7割が集中する沖縄の現状を見ると、この問いに向き合わざるを得ない。

 戦後、日本は平和憲法の理念を大切にする一方、米軍による沖縄支配や基地建設に目をつぶった。日米両政府は日米関係を安定させるため、日本人の対米感情を悪化させないよう基地を本土から移転させた。

 沖縄が日本から切り離された1952年におよそ1対9だった沖縄と本土の米軍基地の面積比率は、60年代に1対1になり、本土復帰後の70年代半ばには3対1に逆転した。その結果、米軍と同居することで日米安保が成り立っているという当たり前の現実が、本土では見えにくくなった。

 本土では沖縄への基地の一極集中が消極的に支持されるようになった。それどころか、「沖縄は基地で潤っている」といった、事実に反する言説まで広まっている。

 普天間飛行場の移設を理由とした辺野古への新基地建設に沖縄が反対する根底には、米軍の占領政策によってつくられた日米関係の枠組みを、日本政府がいまなお積極的に利用していることがある。

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 今日は寮1(二条)17時間。
 家を出た6時の気温は−2度。車のフロントガラスの凍てついたのを取るのに時間がかかった。「沖縄と京都の気温差は10度くらいです」と言っていたが、15度くらいと言ってもいいですね。

 今日も寮の朝日新聞をチェック。
 一面特集だったので長い引用になったが、この記事は読む価値あり。

 「領土不拡大の原則に反する」
 「慶良間諸島で経済実験」
 「沖縄人は日本人ではない」
 「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望され」
 「沖縄が本土から切り離された1952年におよそ1対9だった沖縄と本土の米軍基地の面積比率は、60年代に1対1になり、本土復帰後の70年代半ばには3対1に逆転した。」

 すごく分かりやすく解説されているので、沖縄県以外の人にせめてこれくらいは読んでもらいたいと思う。

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