2017年01月28日(土)
比翼連理 [雑感]
■ひよく-れんり【比翼連理】の意味 新明解四字熟語辞典
男女の情愛の、深くむつまじいことのたとえ。相思相愛の仲。夫婦仲のむつまじいたとえ。▽「比翼」は比翼の鳥のことで、雌雄それぞれ目と翼が一つずつで、常に一体となって飛ぶという想像上の鳥。「連理」は連理の枝のことで、根元は別々の二本の木で幹や枝が途中でくっついて、木理が連なったもの。男女の離れがたく仲むつまじいことのたとえ。
■比翼連理の出典 白居易(はくきょい) 「長恨歌(ちょうごんか)」
■比翼連理の句例 ◎比翼連理の仲◎比翼連理の誓い
■比翼連理の用例 これらすべてを二人がやがて比翼連理の契りをかわした暁、花鳥風月の清遊をほしいままにする別荘地として<中山義秀・厚物咲>
■比翼連理の類義語 偕老同穴(かいろうどうけつ) 双宿双飛(そうしゅくそうひ)
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読み終わった本のことはすぐ忘れ去ってしまうのに、「逆髪」は尾を引いている。
「アノお母ちゃん」から生まれた父親違いの鈴子・鈴江姉妹。姉鈴子は結婚して主婦となるが、夫が寝たきりになり「早く死んでほしい」と願う日々を過ごす。妹鈴江は結婚せず、物書きとして自由な日々を送っている。そんな鈴江から「比翼連理とは言わないが・・・」というせりふ。どの部分の発言だったか、もう忘れてしまった。
でも、この小説の最後から3ページ目にこんなところが。
◇ ◇ ◇
「叔母さん、どうして結婚しなかったの?」と明美に聞かれたことがある。この叔母さんはね、結婚制度ハンタイとかそんなんじゃないの、なんていえばいいのかなあ、男と女が性で組になるの無理だって気がずっとしているの、ま普通は、性でしか男と女は組になれないっていうか、それが自然だと思いこんでるわけよ、でも、男と女でウマク行く方が不自然な気がするのよ、証明はできないよ、でもそんな気がするの、男は女と暮らしたくないの、女も男と暮らしたくなんかないの、セックスしたいと思ったことはあっても、だからってずっと暮らしたいと思ったわけではないの、ホントはね、でもそういう習慣だからそうするものだって思ってそうしたまでなの、それなのに、ウマクいかないとなにか理由があったのじゃないかって、理由を探すのね、そしてなにか都合のいい理由が見つかるのね、制度にまでしているのに、しないひとがいるところを見ると、どうしても生きていけないわけじゃないでしょ、みんなしてるから便利そうに見えるのね、多数派だから。でも生物として無理しているような気するのね、セックスを日常のことにするわけでしょ、のべつ発情してるって錯覚していっしょに暮らすんでしょ、でも、非日常なことだと思うわよ、一年に一回しか発情しない動物ならそのことよくわかると思うのよ、とにかくアタシは真面目なんでね、明美ちゃん、人生はまあそんなものなんだからって、ゴマカシみたいな気がするのに、目つむってできないのよ、結婚に限らずね、それで損したって別にいいと思っているんだから、とかなんとか喋ったのを覚えているが、、明美がそれに対してどんな風に反応したか忘れてしまった。「叔母さん、さみしいときなかった?」と明美はその時にいったのだった。「ずーっと、さみしいよ、ちっちゃいときから」と答えたのではなかったか、そのときは。
◇ ◇ ◇
富岡多恵子は、若いころ銅版画家・池田満寿夫と同棲していた。
元々私が富岡多恵子の小説を読むようになったのは、池田満寿夫の版画から富岡多恵子にたどり着いたのだと思う。
鈴江叔母さんの言葉は、富岡多恵子の言葉なのだろうか。
それにしても長い、読んでいて息切れする。決して美しい文章ではない。でもおもしろい。
「逆髪」を読了した日、タイムリーにこんなことをブログに書いている人がいた。
◇ ◇ ◇
「この人、早く死んでくれないかなあ」という瞬間って夫婦やってると心ならずも普通にあるような気がするが、間違ってるか。普通にはないのか。好き嫌いの問題ではなく、そんな魔が刺すそんな瞬間がぼくにはある。そんな時、結婚なんかするんやなかった、と思う。
若い頃、こんなに好きだった人のことをこんなふうに思う自分が恐ろしいとも思う。
好きになることと一緒に暮らすことは両立しない。必ず、嫌いになってしまうのが結婚。ずっと好きでいたいなら少し距離を置いてきれいなところだけ見ていればいい。
◇ ◇ ◇
私にとっては、これは恐ろしい文章だった。
「若い頃、こんなに好きだった人のことをこんなふうに思う」、ありえない。好きなものは死ぬまで好き。途中から嫌いになるということは今までなかったし、この先も考えられない。
ヨメさんにこの話をすると、「自分はちがうってゆう優越感に浸ってるんやろう」と言われた。
ちがう。優も劣もない。
私はますみさんと出会ったときと今と比べて、愛情が増したこともなければ減ったこともない。35年ほど前のあの時と今も何も変わることはない。たぶん、それは私が死ぬまでずっと同じように続いていくことであると思う。それは優とか劣とかというレベルの話ではない。
私とますみさんの関係は比翼連理とは言えない。でもそれでいい。二人の日々はバラバラでも、それなりにバランスが取れているように思う。
今ますみさんの頭の中は鍼灸の国家試験のことばかり。私の影は全くない。私にできることは、「できるだけ煩わせない」ことだけ。ただしヨメさんに言わせると、私は「いるだけでうっとおしい」らしい。そうなんかなあ・・・。
ますみさんは「逆髪」ではないが、私は「蝉丸」に近いような気がする。
「雨露をしのげる藁屋」で生きていければいいじゃないですか。
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【RUN】
明日は「くみやまマラソン」。私は10kmを走る。
先週の「名護ハーフ」で、「これが老化現象ってことか」という体験をした。思っているほどに体が動かないという体験は、今までほとんどなかったことだ。
明日は43分を超えれば「老化」確定、42分台なら普通、41分台で走れたら「まだまだ行ける」ということになる。がんばらねば。
今日はレース前日なので、1000m全力1本。
久しぶりの「アディゼロタクミ・センブースト」で。
2kmアップジョグを、いつもより速めの10分で走ったあと、1000m全力。
前傾姿勢を保ち、しっかり腕を振り、しっかり膝を上げることを意識して。結果、3分48秒。おー、がんばったやないかーい。
2kmダウンジョグをして、今日はこれでおしまい。
いい感じで終われたので、「明日は41分台で走れるような気がするー。」
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2017年01月27日(金)
「逆髪」・続き [書評]
逆髪(さかがみ)は蝉丸の姉。「生まれつき逆立った髪をもち、その苦悩から狂人となり、浮浪者となっていた」と言われる。しかし、百人一首で知られる蝉丸も、その姉・逆髪も実在の人物であるかどうかは定かではない。
蝉丸と言えば、百人一首の坊主めくりの時に出たら「これ、ぼんさんかどうかわからへんがなー」ってやつ。頭巾みたいなんかぶってはるもんね。
その「逆髪・蝉丸」姉弟をベースにした富岡多恵子の「逆髪」。
場面がどんどん変わって、それに付いていくのが大変だった。しかし、小説を読むのは真冬のランニングに似ている。走り出す(読み始める)までが大変だが、乗ればそのあとすーっと行ける。
入院中になかなか進まなかったのに、昨日は後半を一気に読めた。寒空の中に走り出すのは気が重い。しかし、走り出せば必ず「走ってよかった」と思える。そうゆうもんなんですね。
「なにが書評やねん、しょーもなー」と思われる方も多いんでしょうね。
でも、私は何を隠そう文学部出身なんです。小さい時から本を読むのが好きで好きで・・・。「本に囲まれていたら幸せ」みたいなとこもあります。
富岡多恵子はええ。
読んでいるうちに、頭の中がぐるぐるぐるぐるびょびょびょびょびょーん。こういうことがあると、滞っていた脳みそが活発に動き出すような気がする。
主人公は作者の分身のような竹の家鈴江だと思っていた。その鈴江から見た姉・鈴子と兄・茂男が、逆髪・蝉丸の関係に重なる。
しかし、後半はせりふ棒読みの江島木見さんが中心。30代前半の謎めいた女性。鈴江の姉である鈴子の娘・明美の憧れのひと。ドラマ化や映画化したら誰がやるんやろうと思ってしまう。中谷美紀かな?
この作品のテーマは、「家族と性」なんでしょうか。前半おとなしかったのに、後半は「家族と性」が暴れまくっている。若いころに読んでいたら気が狂っていたかも。もう61歳のジジイなので、今は全然だいじょうぶ。
ああ支離滅裂。書評になってませんね。
とにかく、読み終わったあと富岡多恵子の他の作品をもっともっと読みたくなった。「星五つ」ちゅうことです。
もうちょっと読むまで、死んでられんなあ・・・。
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能「蝉丸」
■あらすじ
延喜帝(醍醐天皇:885年〜930年)の第四皇子、蝉丸の宮は、生まれつき盲目でした。あるとき廷臣の清貫(きよつら)は、蝉丸を逢坂山に捨てよ、という勅命のもと、蝉丸を逢坂山に連れて行きます。嘆く清貫に、蝉丸は後世を思う帝の叡慮だと諭します。清貫は、その場で蝉丸の髪を剃って出家の身とし、蓑、笠、杖を渡し、別れます。蝉丸は、琵琶を胸に抱いて涙のうちに伏し転ぶのでした。蝉丸の様子を見にきた博雅の三位は、あまりに痛々しいことから、雨露をしのげるように藁屋をしつらえて、蝉丸を招じ入れます。
一方、延喜帝の第三の御子、逆髪は、皇女に生まれながら、逆さまに生い立つ髪を持ち、狂人となって、辺地をさ迷う身となっていました。都を出て逢坂山に着いた逆髪は、藁屋よりもれ聞こえる琵琶の音を耳に止め、弟の蝉丸がいるのに気づき、声をかけます。ふたりは互いに手と手を取り、わびしい境遇を語り合うのでした。
しかし、いつまでもそうしてはいられず、逆髪は暇を告げ、ふたりは涙ながらに、お互いを思いやりながら、別れます。
■みどころ
天皇の子という高貴な身分に生まれながら、華やかな暮らしを享受できず、厳しい境涯に身を置く蝉丸と逆髪。悲運のふたりが、逢坂山という含みのある名前の辺地で廻り合い、しみじみとお互いの身の上を語り合い、別れ行くというストーリーです。表向き変化のあるドラマチックな物語ではありませんが、人物設定、場面設定、テーマ、展開など、非常によく練りこまれた秀作です。
出家を強いられた蝉丸が、古歌を引きながら、なじみのなかった蓑、笠、杖を手にする場面、琵琶を抱えて泣き臥し、転ぶ場面、逆髪が秋口の京の都を抜け、粟田口から東山を抜けて逢坂山に向かう道行の場面、水鏡に己の浅ましい姿を映して驚く場面、侘しい藁屋にてふたりが手と手を取り合う場面、涙に暮れながら別れる場面……。一つひとつの場面が、ヒタヒタと心に迫り、くっきりと深い印象が刻まれます。ハンディを背負うふたりの貴人が、静かに流れていく時間のなかで見せる素直な心象もまた、切なさ、やるせなさとともに、いとおしさをも感じさせてくれます。
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【RUN】
「名護ハーフ」のショックは大きい。
今までレース本番に「体が重くて動かない」ということはほとんどなかった。たいていはその逆で、「アップで体が重かったのに、スタートしてしまえばそこそこ走れた」ということが多かった。
これが「老化」実感の始まりなのだろうか。いやいやいや、まだまだ負けとうない負けとうない。とにかく私のとりえである「レース序盤のスピード」を取り戻さなくては。
今日は、叡電線路沿い(木野〜岩倉)の2kmコースを使ってスピード練習。
まずは2kmアップジョグ、11分20秒。
線路南、4分26、4分24で8分51秒。
一条山一周1kmジョグ、約7分。
線路北、4分21、4分22で8分44秒。
また一条山一周1kmジョグ、約7分半。
もう一度線路南、4分09、4分17で8分27秒。
4分一桁が出たのでそのあともがんばったが、今の私は2kmもスピードが持続しないってことですね。
ダウンジョグ2km、約15分。
2+2+1+2+1+2+2で12km。
こんなんでスピード練習になったんかな。
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2017年01月26日(木)
「逆髪」 [書評]
「逆髪」 富岡多恵子 1990年 講談社 296ページ
■内容(「BOOK」データベースより)
かつて姉妹漫才で鳴らした鈴子・鈴江。今はカンペキ主婦に身をやつす姉と、独身の物書きとして芸界の周辺に生きる妹。正反対のようで同じ血縁という強烈な磁力に搦めとられて彷徨う二人の日常の背後に、狂女逆髪と盲法師の姉弟が織りなす謡曲「蝉丸」の悽愴な光景を幻視、富岡節ともいうべき強靭な語りの文体で活写。『冥途の家族』『芻狗』等、家族や性をテーマに書き続けてきた著者の到達点とされる傑作。
■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
富岡/多惠子
1935・7・28~。小説家、詩人。大阪市生まれ。大阪女子大英文科在学中に小野十三郎に師事、1958年「返禮」でH氏賞、61年「物語の明くる日」で室生犀星詩人賞。70年代から小説に転じ、74年『植物祭』で田村俊子賞、『冥途の家族』で女流文学賞、77年「立切れ」で川端康成文学賞、97年『ひべるにあ島紀行』で野間文芸賞を受賞。近年は評論に新境地を拓き、2005、06年『西鶴の感情』で伊藤整文学賞、大佛次郎賞の両賞を受賞する等、高い評価を得ている。
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今日は寮1(二条)17時間。
ポケットWi-Fiを沖縄に忘れてきたため、マイパソコンが使えず。その分、きっちり読書ができた。
入院中に半分まで読んで放置したままだった「逆髪」読了。
いろいろ書きたいことがあるのだが、深夜帰りなので続きは明日。
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2017年01月25日(水)
「一日も早くやめてほしい」ラン [ランニング]
今日は水曜なので「京都キャロット」の定休日。お昼はヨメさんといっしょに食べられるかなあと思ったら、学校に残って勉強するらしい。私は、賞味期限切れの「とろろうどん」を一人で食べた。
稀勢の里のお父さんのコメントは秀逸だった。「本音は早く引退してほしい。」
この言葉を聞いて思い出したことがある。
私の友だちランナーが若いころ、走って走って走って、家に帰ってきたら玄関でバタンキュー。それを見ていた幼子を抱いた若くてかわいい奥さんが、「一日も早くやめてほしい」とおっしゃっていた。
あれから30年以上。その彼は、もちろん今もやめずに走っている。そして、あの時の子が「京都マラソンを走ってくれた」と目を細めて語っておられた。「一日も早くやめてほしい」と嘆いておられた奥様は、今はどんな心境なのだろう・・・。
今の私。
「病気のこともあるし、もう走るのやめたら」と言われることもある。でも、そんな気はさらさらない。「走って何になる?」と言われれば、「何にもならんけど、走って走って天国へーやねー。」
午後3時半、今日は静原へ。
自宅から北へ1.3kmあたりの恵光寺さんの掲示板。
「兵戈無用」(ひょうがむよう)・・・「兵」とは兵隊、「戈」とは武器を意味する言葉です。この言葉は、親鸞聖人が真実の教えを説いたお経とされた『大無量寿経』に「仏の歩むところ、あらゆるところの、あらゆる人々はみな、その教えの尊さを思わない者はいない。人々のこころは、豊かに安らかであり、兵士や武器を全く必要としない世界である」と示されています。「兵戈無用」などというと、それだけで理想論と片付けられてしまいそうですが、この世界こそ全仏教者のめざすべき世界でありましょう。親鸞聖人がお手紙の中で、「御念仏こころにいれて申して、世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」と申されました。まさにこの「兵戈無用」の世界を願っての歩みが念仏者の生活であるということを示されたお言葉でした。(大谷本廟ホームページより)
歩道の雪が解けていなくて、仕方なく車道を走る。
あぶない、あぶない。
静原は南向きに開けた集落だが、やはり雪はだいぶ残っていた。
「ほっとする里 静原」のポールのところで5km、28分56秒。
ここで折り返して、帰りはずっと下り。
せっかく来たので、ちょこっと御旅神社に寄って願掛け。もちろん今は、ヨメさんの国家試験合格が最優先。
市原野小学校手前の踏切で、ちょうど叡電が通過。
逆光でほとんど何も見えない。
下りはキロ5分ちょっとのペース。
家までの5km、25分33秒。
これで10km、54分29秒。
シャキンと身の引き締まるような寒さの中を走りに出ると、体が少しだけ若返るような気がする。「一日も早く走るのをやめる」とういうことは、私にはない。
走るのをやめるときと人生をやめるときがいっしょやったらいいのになあ。
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【今日のきく】
きくの昼散歩。
うちの近所は、やっと雪がなくなってきた。
きくの夜散歩。
「落ちてた枝にひっかかりましたわー」と言いつつ、普通に散歩を続けるきくちゃんでした。
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2017年01月24日(火)
店番 [雑用]
今日ヨメさんが学校の用事で遅くなるということで、超久しぶりの店番。午後1時半から3時までお願いされた。
雪がきつかったので、きくといっしょに車で「京都キャロット」へ。
きくはいつもとちがうので「合点いかん」という顔をしていたが、「遊んだるやん」と言ったらうれしくなったみたい。
うれしー、うれしー。
けっきょくヨメさんが来たのは4時。
「お客さんが来たらどうしょう」と不安だったが、雪がジャンジャン降っていたので誰も来られず。でも、なんちゅう頼りない店番なんでしょうね。反省!
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【RUN】
走れるときはできるだけ走る。
おとといのゴール後の足の痛みが気になったが、ゆっくりならだいじょうぶでしょう。
ジャージの上に白いジャンバーを着て。
手には、以前京都走ろう会でいただいたグローブ。これは超薄々で、暑がりの私にはありがたいもの。「暑がり用グローブ」ってないんですよね。
スピードをセーブするため、シューズも一番重いもので。ふだん履きにしている「ゲルカヤノ」は、片足300gくらいあるんでしょうね。ついでに、ソックスも一番分厚いもので。
いつもの十王堂橋往復5kmへ。
5分53、5分39、5分28、5分15、5分23で27分40秒。
厚着厚靴の割にはそこそこ走れた。
これからも、走れるときはスキを見つけては走るようにしよう。
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【今日のきく】
今日の夜のお散歩は、道ツルツル。
私らの目の前で、原付がツルリンとすべっていた。
「きくちゃん、雪ばっかりやなあ。」
「じかに雪ふんで、ちめとうないん?」
さっき通った自分足跡を、匂いで匂いでしながら帰るきくでした。
なんで?
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2017年01月23日(月)
いやしのネコちゃん [わんこ・にゃんこ]
6時半起床。
名護市役所7時30分のやんばる急行に乗るため、7時前に真樹のところを出た。
コンビニで新聞を買って、昨日の「名護ハーフ」の優勝タイムを確認。
男子60〜64歳の部は、1時間26分51秒(上門選手・浦添市)。
去年の優勝タイムより8分半も速い。今年の私のタイムからは11分半も速い。「優勝狙い」と言って出てきたのに、はずかしいったらありゃしない。
レースがいい結果ならゆっくりして帰ろうと思っていたが、こんな結果では「いやし」が必要。こんな時はやっぱり、桜坂劇場とその前の公園のネコちゃんですね。
古島駅前でバスを降り、そこからゆいれーるで牧志駅へ。
映画が始まる10時まで30分以上あったので、ゆったりと「ネコ遊び」ができた。
この公園はいつ来ても裏切られない。
ネコちゃんらみんな痩せてなくてきれいなので、お世話しに来ておられる方があるんでしょうね。
公園内で記念写真。
すぐ後ろが桜坂劇場なんですが、それよりハイアットリージェンシーホテルが目立ってます。桜坂劇場に行くとき道に迷ったら、この背の高いホテルが目印になります。
私が行く映画館と言えば、京都みなみ会館、京都シネマ、桜坂劇場。最近は沖縄に来るたびに桜坂劇場に寄っているので、桜坂劇場が1位になりそう。
新藤兼人監督のお孫さん(女性)の新藤風監督作品。
「ちんだむ くるってる」
これから私もそう言おう。
母親役の山田真歩さんがすごくよかった。
なかなかあこまでブサイクにはなれんと思う。
映画館の玄関口にもかわいいネコちゃん。
きれいな首輪をしていたので、どこかで飼われているんでしょうか。
さあ、急いでお昼ごはん。
平和通りに行く道にもかわいいネコちゃん。
首輪をしているネコちゃんもいる。
いつものニライカナイ食堂。
沖縄そば定食(750円)、安い!
飛行機まで時間がなく、10分で食べた。
おいしかったのに、もうちょっとゆっくり食べたかったなあ。
いそいでいそいでゆいれーる、牧志駅から空港へ。
でもやっぱり、ピーチは30分遅れ。まともに出たことがない。
関空に30分遅れで、15時55分着。降りてビックリ、関空は雪だった。
余裕で乗れると思っていた15時55分発の関空リムジンはもちろん乗れず。第1ターミナルまで移動して、16時40分発のバスに。
おー、ホエールウォッチング!
大きな雲がクジラに見えた。
家に着いたのは7時ちょっと前。
急いでお米を洗って、「京都キャロット」までヨメさんときくのお迎え。
きくはやっぱり私のことを忘れて、しっぽタレタレだった。でも、いつもよりは早く思い出してくれた。
「あとでいっぱいお散歩に行ったるから・・・。」
その言葉に納得したきくでした。
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【今日のきく】
約束通り、夜のお散歩。
もうこの時はいつものきくに戻っていた。
あー、雪だらけ。
でも最後は、いつもの「ガウガウガウ」で締め!
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