2016年10月31日(月)
PET検査結果 [病院]
「余命宣告受けたら、あとは好きなように生きていき・・・。あっ、今もう好き勝手に生きてるやん。何も変わらへんやん」とヨメさん。
「ほんまや、ほんまや」とうれしがる私。
なんちゅうお気楽な夫婦やねん!
(また、[夫婦になった覚えはない!」とかぬかしよんにゃろなあ・・・。)
病院から帰って、ヨメさんにメール。
◇ ◇ ◇
病院から帰って、きくの散歩に行ってきました。○ンコ出ました。
PET検査の結果は、「現時点で」遠隔転移なしです。
土壇場で、いいほうの「ごくまれ」になりました。
ただし、これで終わりではありません。くわしくは後ほど。
◇ ◇ ◇
昨日は一日家に閉じこもり、ブログの復元。腰が痛くなってしまったが、心はだいぶ復活した。
「低分化癌と診断された時点で、転移していると思ってもらったほうがいい」とおっしゃっていたので、どんな結果が出ても受け入れる覚悟はできていた。そうなったら、「旅行の計画を立てるみたいに余命の計画立てたんね」と手ぐすね引いているようなところもあった。
9時すぎ、病院に着くとすごい人。私は9時半の予約だったのだが、待合は座るところもないくらいのぎゅうぎゅう詰めだった。
9時55分にやっと中待合。しかし前の宣告日と同じく、また前の患者さんとのやり取りでざわついていた。そこに、「待たせる時間が長すぎる」とクレームを入れてくる女性もあり。「頼むし、静かにしてくれやー」と言いたくなった。
前の患者さんが出られてすぐ呼ばれるのかと思ったら、ここで間。「あー、これはこないだのパターンやん。先生、言いたくないことを言うのに間をあけてはるんやわ」と不安になってきた。
10時5分ころ、名前を呼ばれ中へ。
まずI医師の表情を・・・。うん、こわばってはいない。
「PET検査の結果が出ました。・・・現時点でということになりますが、遠隔転移は見られません。」
「えー、そんなことあるんですか。多かれ少なかれ転移しているものと覚悟していましたのに・・・。これまでずっと悪い方の『ごくまれ』に入っていたのに、今回はいい方の『ごくまれ』に入ったんですね。」
「ただし、現時点で遠隔転移が見られないということで、これですべて心配がなくなったわけではありません。」
「そら、そうでしょうね。」
「ここから先は患者さんに決めていただく場面が多くなります。一つは残っている側の甲状腺をとってしまう手術をして、ヨード治療をしていく方法があります。」
「それって、前におっしゃっていた薬を飲み忘れたら一日も生きられないってやつですよね。一生飲み続けなあかんやつ・・・。」
「そうです。」
「はー(とため息、「そんなことできるかよー」)。」
「また、この先はっきりと転移が見つかった時点で対応していくという方法もあります。その時は、狭いカプセルのようなところに入って放射線治療ということになります。」
「はー(とため息)。」
「また、ほかにも・・・(省略)」
くわしくていねいに、この先の治療法について説明してくださった。
そうか、とりあえず緊急性がなくなっただけの話で、癌細胞がこの先どう動くのかははっきりとは予測できひんちゅうこっちゃね。予防的治療をするのか、対処的治療でいいのか判断せよと聞いてはるわけか。
しばらくは経過観察になるので、その間に決めて行けばいいらしい。
一番心配していたお金と時間が、これで取られることは少なくなった。
ヨメさんに言っていた「死ぬまでにいっぺんは浮気ちゅうのをしとかなあかん」とゆうのも猶予された。「だれが死にかけのじじいと浮気すんねん!」とヨメさんは言っていたけれど・・・。
今すぐにどうこうということはなくなってひと安心。しかし、この先また難しい局面に立つ可能性は大。
今のところ、「ポピュラーな癌ではなくめずらしい甲状腺癌」、「大多数の乳頭癌ではなく濾胞癌」、「大多数の良性ではなく悪性(低分化)」と悪い方の「ごくまれ」3連発だった。ほんとうにこの土壇場で、「転移なし」といういい方の「ごくまれ」を引き当てた。ここからは、いい方の「ごくまれ」3連発とかにならへんかなあ・・・。
もちろん、玄関の「ナイチンゲール像」も拝んで帰りましたがな。
おっと、これは地蔵さんとちゃうか。
家に帰って、待ってくれているもんがおるのはうれしい。
「きくちゃん、オッサンなあ、ちょっとだいじょうぶやったみたい。」
「ふーん。まっ、それはいいから散歩いっとこか。」
「いやいやいや、ちょっとは聞いてもらわんと。すぐに入院せんでもええんやて。」
「ほー。・・・はい、散歩っと。」
薄情もんのきくは、私に似て自分勝手なやつであった・・・。
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【RUN】
明日また寮1(二条)17時間なので、今日走っておかなくては。
いつもの岩倉・十王堂橋往復5km。
5分55、5分27、5分21、5分13、5分24で27分22秒。
相変わらず息苦しい。
今日そのことを先生に言ってみた。
「今、ケガが治りつつある状態だと思ってください。甲状腺の手術の場合、のどの調子が元に戻るには3カ月ほどかかります。藤井さんは脂肪がほとんどなく、いろいろなものがへばりついていた状態だったので治りにくいです。ごくまれには、違和感が何年もずっと続く方もあります。」
また、「ごくまれ」かい!
このごくまれには入りたくないなあ。
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【今日のきく】
病気ひと段落記念写真。
景気づけ、きくの石垣ジャンプ。
もうちょっと離れて撮らんと、躍動感が出んなあ。
60代女性やと思たら、このジャンプ力はすごい。
マスターズ大会なら優勝確実。
帰りには、黒子猫の顔見せサービス。
川はちょっとこわい。
こわいけど、川は好き。
花ときくとオッサン。
うまいこと撮れんなあ。
これでどうじゃろな。
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2016年10月30日(日)
ブログ復元 [ブログ]
ほんとうにfukikoさんのおかげです。
先日、今年の2月12日から10月25日までの私のブログの記事が消えてしまった。バックアップしてなかったのでどうしようもないとのこと。管理会社に問い合わせても、少しだけ見つかっただけで、ほぼ全滅。大学でネット環境の研究をしていたはずの息子・廉も救いようがないという。
ほかの時ならまだしも、癌宣告を受けたこのタイミングでその仕打ちはないやろと落ち込んでしまった。たいていのことは気にしない、この私が。
そんな時に現れし救世主・fukikoさん。
そのアドバイスに従って検索して行ったら、おおかた見つかりましたー。精神的に死にかけていた私が、これで息を吹き返した。ほんまにほんまにありがとうございます。
今日調べてみると、消失した記事は、267日分の325。病気発覚前の分はまあええかと思えたが、病気以降の分はもうなくなったことが悲しくて悲しくて。
fukikoさんのアドバイスに従って検索すると、完全な形で復元できないものもあったことはあったが(記事が中途半端な状態で保存されていたり、コメントが見られなくなっていたり)、ほぼ満足。一発で検索できず、いろいろ検索ワードを変えてやっと見つかった記事もあった。
そんなこんなで、今日は朝のきくの散歩のあと一歩も動かず「ブログの復元」。そのおかげで、10月1日から25日までがほぼ復元できた(34の記事)。
手術前後の記事も復元できたし、兵庫のまっちゃんのとこに行った記事も復元できたし、国労・中野さんとの「国会前アピールラン」も復元できたし・・・。ただし、いりえゆかさんの「諏訪湖マラソン・続き」だけはどう探しても見つからん。これがちょっと残念やけど・・・。
fukikoさん、ほんとうにありがとうございました。
fukikoさんが取り組んでおられるネコの保護活動(ブログ「猫と過ごす、こんな一日」)、何か手伝わせてください。ほんとうは資金援助が一番助かることかもしれませんが、私にはそれはありません。勤労奉仕ということで恩返しさせください。
「持つべきものはネコ友だち」なんでしょうかねえ。
※ 以上のような状況ですので、今年2月12日から10月25日までのコメントは復元できませんでした。コメントを入れてくださったみなさん、申し訳ありません。
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きくかまい健康法 [わんこ・にゃんこ]
「きくの散歩、オッサンも行くんやで」とヨメさん。
朝はヨメさんだけで、私は家にいても行かないのにそう言う。
私の体のためには、これくらいが一番いい運動量だそうだ。
ただ、私ら二人連れできくの散歩に行くとものすごく喜ぶ。
ヨメさんの説によると、きくは私らを散歩に連れて行ったってると思っているらしい。
私ら、きくに遊んでもらってるんですにゃわ。
きくも、はりきってはりきって。
時々我に返り、冷静さを取り戻す。
かと思えば、またもや「ガウガウガウ・・・。」
人間でゆうたら、私とおんなじくらいの歳らしい。
元気有り余っとる60代ですか。
このあと、お昼にうどん(タマゴ入れちゃいました)を作るまでは座りっぱなしでブログの復元作業。うどんを食べたあとも、一歩も動かず復元作業。午後7時まで、コーヒー飲むのに立っただけ。
7時になったので、「京都キャロット」勤務から帰ってくるきくとヨメさんのお迎え。お迎えゆうても歩きですけど・・・。
また大喜びしてくれましたがなー。
この2回のお散歩のおかげで、ちょっとは健康が保たれたかな。座りっぱなしは腰に悪い。
「きくちゃんが元気でいてくれたら、オッサンも長生きできるわー。」
明日はPET検査の結果発表。
私は、先日の癌宣告に次ぐ「第2宣告日」と言っている。
こないだヨメさんが「何食べときたい?」と聞いてきた。
それって、「最後の晩餐には何が食べたい」という意味かなあと思い「カニ」と即答。
「ひょっとして、今日カニ?」と期待したが、ざーんねん。
ふつうでしたわ。
(まあ、私の大好きな豆ごはんがありましたけど・・・。)
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2016年10月29日(土)
初伴走 [ランニング]
「ダンナさん貸してください」という言い方をしたわけではないけれど、実質ダンナさん借用。松村さんご夫妻、今日はお世話になりありがとうございました。
先日の「国会前アピールラン」の時に、中野さんと「視覚障害者の伴走を必ずやろう」ということになった。その時は、「賀茂川パートナーズ」に頼めばなんとかなると思っていた。でもこれだと、また伸ばし伸ばしになってなかなか実現できない。
そんな時に、私の病気を心配してくださった松村千尋さんから「いっしょに走りませんか」というお誘い。なんてタイミングがいい。これは便乗して、ダンナさんお借りしなくては。
私の申し出を快く受け入れてくださり、西京極運動公園内をいっしょに走らせてもらえることになった。
私は、今から5年前2011年3月27日に長居で行われた「伴走教室」・「伴走教室・続き」に参加した。それはブログ友だちのfukikoさんがブログ内で告知されていたので参加してみようと思ったのだった。
参加させてもらい、伴走のむずかしさが分かった。そのあとfukikoさんが伴走相手を紹介してくださったのだが、自信がなくて引き受けられなかった。
今日も話していたのだが、末っ子の弱点の最大のものと言ってもよさそうなもの。それは、相手にガッカリされると極端に落ち込んでしまうこと。末っ子は相手を喜ばせようと張り切る。しかし、もともと中途半端な人間なものだから、自分の思いがうまく相手に伝わらないことも多い。良かれと思ってしたことが、喜んでもらえなかったり、逆に相手を怒らせてしまったり。こうなると最悪。それがこわくて何もできなくなってしまうこともある。
まあこれが5年間何もしなかった言い訳です。(また、ちいちゃんに「末っ子キャラ炸裂」と言われそうですが・・・。)
中野さんに会い、二人で「視覚障害者の伴走を必ずやろう」と約束してきたことはよかった。そして身近に、気楽にお願いできそうな人がいてよかった。
こうして、今日の午後、私の初伴走が実現したわけである。
「中野さーん、先にやったでー。」
午後3時集合の約束だったが、道路の渋滞で5分ほど遅れてしまった。
陸上競技場の足型前に行くと、ダンナさんがお一人ポツンと。
「すいません、藤井です。少し遅れてしまいました。奥さんは?」
「藤井さんから連絡があるかもしれないと言って、携帯をとりに帰りました。」
申し訳ないことをした。
しばらくして千尋さんが戻ってこられた。
「厳しい指導をよろしくお願いします。」
「いえいえ、そんなに厳しく言わなければならないことなんて何もないですよ。ふつうにいっしょに走ってもらって、段差やカーブなどの気を付けなければならないところだけしっかり言ってもらえさえすれば。」
「はい、よろしくお願いします。」
最初はお二人の走られるのについて行って、見て覚えればいいのかと思っていた。ところが、いきなり「行きますか」。「千尋さんがついて見てくださるので、なんとかなるか」と思いスタート。
しかし、そんなに簡単なものではなかった。
土曜日ということでイベントがあり、ジョギングコースに売店が出ていた。そのせいで、ふだんよりかなりの人出だった。
スタート直後から、いろいろなものがこわくてこわくて。
まずはこちらに向かってくる人。その人をどちら側にかわすかを瞬時に判断しなくてはならない。また、イベント関係の車両がゆっくりではあるが動き回っている。この車の動きを正確に伝えることができるか。
いっしょに走ること自体も難しいことだった。まず、手の振りがうまくシンクロしない。足幅は小刻みで、これはこれで慣れるのに時間がかかりそう。カーブでうまくリードできておらず、体がぶつかることもたびたびあった。
これらすべては、ベテランランナーである松村さんのほうがうまくカバーしてくださっていた。それでも私の「あせり」はひどいもので、最初の1周だけでクタクタになってしまった。
結論から言うと、これは何度も何度もいっしょに走らせてもらって慣れていくしかない。
途中、後ろからかなりのスピードで追い抜いていくランナーもあり、前だけでなく後ろにも注意を払う必要があることも分かった。
また走っている途中にトイレにも行けたし、短時間のうちにいろいろな要素の入っているいい体験ができたと思う。
だいたい1周1.25kmを9分前後で。これは、キロ7分ちょっとのペースで走ったということになる。しかし私の体感スピードはキロ6分くらい。自分のペース把握には自信を持っていたのだが、伴走ではこれが全然あてにならないということも気づいた。
こんないろいろな要素のある伴走が、いつも同じ相手ではなく、その時々の相手の個性にも合わせなければならない。これは奥が深い。
今日は8周10km弱(1周目はショートカット)。
正直言って、想定していた以上に疲れてしまった。でも、想定していた以上に楽しかった。
せっかく今日という日が実現したので、絶対にこれで終わりにしてはいけない。
ここに書いておいたらだいじょうぶ。
「絶対にまた伴走させていただきます。」
松村さんご夫婦といっぱいおしゃべりができてよかった。
その中で一番うれしかったこと。
「二人で初めてレースに出たときの写真を、藤井さんが撮ってくださっていてうれしかったです。そして次の年も写真を撮ってくださって、『去年と同じ人の伴走をされていた』とブログに書いてくださって、覚えてくれてはったんやーとまたうれしくなりました。」
それともう一つうれしかったこと。
なんかの話の中で、千尋さんが「藤井さんの奥さんは顔がかわいい」と言ってくださったこと。男友だちからはお世辞で言ってもらったことはあるけど、女の人からは初めて。
「根性はババなんですよね」と付け加えてもらうともっとよかったかも・・・(ああ、しばかれるしばかれる)。
いっちゃんわろてしもたこと。
「甲状腺癌て、すごいめずらしいらしいです。聞かはったことないでしょう」と私。
「いや、原発関係で働いている人がなりやすいんでしょう」とダンナさん。
「えっ、藤井さん、そういうところで働いてられたんですか」と千尋さん。
うーん、たしかにたしかに。私は何も考えずに、割のいいバイトに行ってしまうイメージありますよねえ。この話、家に帰ってヨメさんに話したら大うけ。
こんなふうにクスッと笑ってもらえる存在でいられれば、それはそれで幸せであると思う。
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【今日のきく】
「「きもちんよかー・・・。」
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朝帰り散歩 [わんこ・にゃんこ]
寮2(出町)の管理代行のバイトは朝7時まで。
7時20分ころ帰ってくると、きくが出迎えてくれた。
「きくちゃん、お二階あがってへんの?」
「そうですにゃわ。」
テーブルの上には置手紙。
「おそくまで起きてたのでねています ごはんあります」
夜遅くまで勉強してたんやな。
ということで、一人でお茶漬けサラサラ。
「きくちゃん、食べ終わったらオッサンがおちゃんぽ行ったるしな。」
パソコンを開き、「パオパオだより」を見るとコメント2つ。
一人は、元教え子のちいちゃん。「奥様の断髪の覚悟」と「末っ子キャラ炸裂の記事にムカッ」にはうなったなあ。もうあれから25年もたつのに、ムカついてもらえる存在であることがうれしい。この歳になったら、もうお友だちでよろしいねえ。
もう一人は、ネコの保護活動をされているfukikoさん。私のブログ消失の記事を見て、「こうすれば見られるかも」というのを教えて下くださった。いろいろ調べてみると「キャッシュ」というので見られるみたい。いいアドバイス、ありがとうございました。
そらそやわ。あれだけのもんが一夜にして消え去るわけがない。そのままズバッと移行できたら楽なのだが、それは無理みたい。これから大事な記事だけでもなんとか復元してみよう。
fukikoさんも、私の大事なお友だちと言わせてもらっていいですよね。
などなどあって、8時前からやっときくの朝散歩。
きくの朝散歩は毎日ヨメさんが行っているので、きくは「おかしいなあ、おかしいなあ」という顔をしていた。
きくは何度も立ち止まり、「オバサンは、オバサンは?」
「オバサン、勉強疲れで寝てはんねん。」
「きくも眠たいんかー。」
散歩中に雨が降ってきてちょっとぬれたけど、きくは元気元気。
「消えてしもたきくちゃんの記事も探すでー。」
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2016年10月28日(金)
私をくいとめて [雑用]
◎朝日新聞10月27日朝刊・福岡伸一の動的平衡㊽
互いを際立たせる明と暗
世界のあらゆる現象は相互に関係し、影響を及ぼし合っている。独立しているように見えることでも、必ず何かとつながっている。でも私たちはついつい目立つことだけに注目し、その背景にあるものを忘れがちになる。
デンマークの心理学者ルビンが考案した壺(つぼ)の絵はそんなことを思い出させてくれる。中央にある白ログイン前の続きい図に視線を向けるとそれは壺に見える。ところがひとたび周囲の黒い地の部分に目を移すと、そこには二人の向かい合った人間の顔が浮かび上がる。これは図と地の関係と呼ばれるもの。互いに反転しながら、他を律し、補い合う。
明るい場所がひときわ明るく見えるためには、周囲に深い闇が必要となる。高い山をより高く際立たせるためには、両側に急峻(きゅうしゅん)な谷の落ち込みがいる。
一時期、結婚相手として「三高男」というものがもてはやされたことがあった。高学歴、高収入、高身長。女性の皆さん、よく考えましょう。そんなものに吹かれるのはやめておきなさい。ろくなことはないですよ。なぜなら三つの高みを作るためには、その周囲に(三つではなく)四つの谷間が存在しているはずだから。三高男を一皮むけば、裏側に、四つの闇が潜んでいるかもしれない。たとえば、浪費、浮気、DV、マザコンのような。いつ反転するか、それはわからない。(生物学者)
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今日は、寮2(出町)24時間。
例によって例のごとく、10日分ほどの朝日・日経のチェック。いろいろとおもしろい記事が見つかったが、今回は「ルビンの壺」の話がピカイチかな。
ヨメさんが私を見てため息をつくたびに、私が言っていることがある。
「DV夫とちごてよかったやん。」
その言葉にヨメさんは渋々納得。
「優しそうに見えて、すごく感じのいいダンナさんが、家に帰ったら奥さん殴りまくってはることもようあるらしいでー。」
何を根拠に言っているんだか自分でも定かではないが、こう言うとだいたいその場は収まる。女の人にとって、夫の暴力ほどいやなものはないみたい。
ただ、私は「浪費、浮気、DV、マザコン」もない代わりに、「高学歴、高収入、高身長」もない。強いて上げれば、私の白の部分は「いつもニコニコ、犬猫大好き、執着心なし」かな。黒の部分は分かっている。「自分勝手、自分勝手、自分勝手、自分勝手」。まあー、白黒のはっきりせんええかげんな男ですわ。
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ヨメさんがブログの管理会社に掛け合ってくれて、消失した記事がちょっとだけ復元できそう。でもその手間が大変で、なかなかその作業にとりかかれそうにない。
ああ、せめて入院した10月3日以降が救われていたらなあとつくづく悔やまれる。あれからあとは、自分でも冷静に整理できた記事が書けていたと思っていたのに。ほんまにどこにも残ってへんにゃろか。
私にとって、そこからのブログ記事の消失は体の異変以上に大変なものだった。これは、ちょっとやそっとでは立ち直れそうにない。
朝日新聞金曜夕刊に連載されている「私をくいとめて」(綿矢 りさ)。楽しみにしていたのに、入院していたかげんで2回分飛んでしもた。
暴走「死ぬ死ぬ詐欺男」である私を、しょうことなしでもくいとめてくれるのはヨメさんだけでしょうね。
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2016年10月27日(木)
「うそやろ」 [雑用]
今日は、寮1(二条)17時間。
ほんとうは私は昨日の水曜だったのだが、高石ともやさんの公演に行きたかったのでもう一人の代行さんと交代してもらった。そのため、今日深夜に帰って寝て起きて、それから寮2(出町)に24時間。病人にはきっついスケジュールでっせ。
朝一番の開錠やゴミネット出しが終わり、すぐに中野勇人さんにメール。今日10月27日は中野さんのお誕生日。私より6、7歳下。うちのヨメさんとほぼ同世代。来年以降、「55からの就活」ってゆってはったけど、また嵐に向かって走らんなんですね。
「誕生日おめでとうございます」のついでに、私の最近のブログ8か月分が消失したことも報告しておいた。10月21日の「第54回国会前アピールラン」の記事もなくなってしまって残念と。
そしたら帰ってきたメールで癒されましたわー。
「ブログの消失、公安のサイバー攻撃じゃないですよね。」
「おちょくり」の腕、知らん間にぐっと上げとるがな。
昨日一日落ち込んでいたのに、この中野さんのひと言でだいぶ救われた。そんなことあるはずがないけど、「わしも公安から攻撃されるほどの大物扱いかー」とか思っときゃええんか。こらおかしい。わらける。
ええ友だち持ちました。
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いつものそうじの○内さんも、また声をかけてきてくださった。
退院後初めてお会いしたときに、「そんなめずらしい病気に当たるんやったら、宝くじ買いよし。絶対当たるえー」とおちょくりアドバイスをしてくださった方。あの時の「ニタッ」と笑った顔は忘れられん。(10月?日の「宝くじ買いよし」の記事も消滅。)
今日は、「体調はどうえー。」
「元気バリバリ。」
「○明さん(もう一人の代行さん)に聞いたけど、またいっぱい走ってるんやて。」
「お医者さんが、何してもええし、何食べてもええゆうてはりますし・・・。」
「前とおんなじくらい走ってんの?」
「はい。喉がつかえる感じで息苦しいんですけど、がんばって走ってます。」
「うそやろ。」
「えっ、なんですって。」
「藤井さん、病気って、うそやろ。」
「うそちゃいますって、手術してきましたって・・・。」
○内さんは、また「ニタッ」と笑っておられた。
「あっ、それとな、延命治療していらんかったらちゃんと紙に書いとかなあかんよ。口だけでは何の証明にもならんし。家族はな、いざとなったらなかなか延命治療は打ち切られへんねん。私はちゃんと紙に書いて置いてある。藤井さんも、ちゃんと書いときな。」
「はい、そうじのおばちゃんが書けゆうたんで書きましたって書いときますわ。」
「そうそう。」
絶対おちょくられとる。
悔しいけど、おもしろい。これで負けるわけにはいかん。
○内さんをギャフンと言わせるような「おちょくり返し」をしたいなあ。
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【今日のきく】
夜中12時前にきくの散歩。
誰もいない近くの公園。
ちょっとだけですぐ帰ったらすねてしまった。
お風呂上りに「お二階であそぼか」と誘ったが、「ガウ」と一蹴。
しかし、そのあとすぐ反省して二階に上がってきた(上がってきたと言っても自分では上がれん。恥ずかしいけど抱っこです)。
またすぐ起きてバイトに行かんなんけど、きくをすねさしたまま寝るわけにはいかん。遊んだったら、まあまあ納得したみたい。11歳やというのに、すぐすねるからかなんわ。
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2016年10月26日(水)
「永六輔 大往生」 [私の好きな人]
2014年10月15日、「大往生一座旗揚げ公演」があった。
「大往生一座 旗揚げ公演 72歳高石ともや×永六輔81歳
小林啓子、なぎら健壱、笠木透ら出演 歌と語りに『我』を込めて」
ということで、ヨメさんと参加させてもらった。
その2か月後の12月22日、笠木透さんが大往生。今年7月7日には永六輔さんが大往生。あとは、高石ともやさんだけか・・・。
そう思っていたら、「永六輔 大往生」という公演が企画されていた。特別永さんのファンであったわけではないが、その永さんが大好きだった高石ともやさんが今どんなだろうという思いで、またヨメさんと参加させてもらった。
6時前、府立文化芸術会館に到着。
入口で絵葉書を配っておられた見知らぬ男性から声をかけられた。
「藤井さんですよね。」
「はい。」
「私、三宅誠孝の息子です。」
「あっ、そうだったんですか。」
「母が体の具合が悪く、代わりに来ています。」
「それはそれは、ありがとうございます。」
元京都市会議員で、引退後は高石ともやさんのマネージャーもされていた三宅誠孝さん。このブログにも何回も登場していただいています。亡くなられてもう7年になるが、今でも「一番好きな人」です。(その年の「みかた残酷マラソン」は三宅誠孝さんの遺影を前後に張り付けて完走。「第17回みかた残酷マラソン〜追悼・三宅誠孝さん〜」)
三宅誠孝さん、息子さんに私のことを話してくれてはったんかなあ。それとも、ランナーでもある奥様が息子さんに話してくれてはったんかなあ。どちらにしても、意外な方から声をかけていただき、もうこれでここに来た甲斐があったというものです。
公演のほうは、永六輔さんファンにとってはうれしい内容だったのでしょう。ただ私たちは、高石ともやさんの歌がたくさん聞けると思って出かけたのでちょっと・・・。
それでも、ピーコさんのお話、神田山陽さんの講談、永さんのお孫さんの育乃介さんの朗読、みんなよかったです。私は公演開始前の高石ともやさんの「ボブ・ディランの話」が一番よかったんですが・・・。
9時前に公演終了。
出口では高石ともやさんはじめ、永さんの次女・麻里さん(1985年に軽部さんや三宅さんと同時入社した元フジテレビアナウンサー)、孫の育乃介さんもごあいさつされていた。
2年前の「大往生一座旗揚げ公演」の写真が展示されていたので、その前で記念写真。私たち夫婦にとって「謎のアロハシャツの渋い爺さん歌手」だった笠木透さんがなつかしい。
ヨメさんは、この数時間前に髪の毛をばっさり切ってきた。フジテレビ・山崎夕貴アナを意識してということらしいんですが・・・。
私たちも、三宅誠孝さんの息子さんたち「世話方会」の方々にお礼のごあいさつをし帰り道に。
今回は期待していた歌が少なく、ちょっと消化不良。
「大往生一座」は早くも旗おろしと言っておられたが、高石ともやさんが大往生するまでは続けるべきですね。こちらも大往生するまではずっと見に来ますので。
ねっ!
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【今日のきく】
今日は9時半から、「ファファファファーン」。
朝のお散歩が短かったんかなあ。
おっ、怪しい人影。
絵を描いておられる方でした。
ちょっとだけ、きくちゃんにかまってくれはりました。
長いお散歩に行けて満足顔のきく。
夜もちゃんと行きましたよ〜ん。
なんぼでも歩き、なんぼでも走るきくでした。
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全滅 [ブログ]
昨日の夜9時ごろから、例の「database access error」発生。
ヨメさんが管理会社に連絡してくれて、今日の午後復旧。しかし、今年2月12日以降の記事やコメントは全滅。バックアップがとってなかったので、復元は無理とのこと。このご時世に、そんな簡単そうなことも無理なんでしょうかねえ。あーあ。
ブログなんか書いてんと、おとなしくしとけっていうこと?
先日「思い出の人にお別れ」シリーズ第1弾として、兵庫・ゆめさき舎のまっちゃんに会いに行った。その時、「ボクの遺産はこれくらいしかありませんから」と言って、中島みゆきのビデオをもらってもらった。
でもよく考えてみると、このブログがありました。ここまでがんばって書いたら、「私の遺産」と言っていいいですよね。2008年1月から始め、その年の5月9日からは1日も休まず書き続けた。まあ、日記代わりという感じで。
そのうちの今年の2月12日から10月25日までの8か月分の記事が吹っ飛んでしまった。これはきつい。特に病気が発覚してから、「病院」というカテゴリーまで作り、自分の気持ちを静めるつもりで書いていたのに。これが全部消滅してしまったのはつらい、つらすぎる。
闘病中に自殺してしまう人は、病気だけが理由で死んだりはしない。それにプラス(いやマイナスと言ったほうがいいか)の何かがそうしてしまうんでしょうね。
私の大事な遺産、ブログ8か月分、返してくれー。
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