パオパオだより

2008年11月05日(水)

佐渡山豊in琵琶湖ライブ 〜変わりゆく時代の中で〜(11/3) [沖縄]

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 11月3日の夕方、滋賀県栗東市の「さきら」へ。
 10/10のブログに書いたとおり、「高間悦子さんを取るか石井慧選手を取るか」。だいぶ思案した上で、滋賀・沖縄県人会のこのイベントに参加することにした。

 主催は、「滋賀・沖縄県人会」にプラス「連帯ユニオン関西地区生コン支部・京津、湖東ブロック・朝日分会」。
 なにやら長い名前だが、非正規労働者の組合らしい。

 「分会」という言葉を久しぶりに聞いた。
 私が小学校教師をやめたのは35歳の時だったので、もちろんヒラ。ただし、市教組・雲ヶ畑小中分会の分会長だった。「長」のつく肩書きは、あとにもさきにもこれだけです。(おっと、別所PTA会長を忘れてた。3年前にやりました。)

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 3時間の予定のイベントは、第1部と第2部に分けてあった。
 第1部は、滋賀・沖縄県人会の三線演奏と、龍谷大学准教授・松島先生の講演「琉球の自治」。
 第2部が、佐渡山豊ライブコンサート。

 小ホールはほんとに小さく、100人も入ればいっぱいになりそうだった。
 私が入った時にはもうほぼ満席で、一番前のパイプイスの席くらいしか空いていなかった。一番前だと写真も撮りやすいし、かえってよかったかも。

 6時ちょうどに、三線の音色が・・・。
 前列には、2月の時に紹介されていた中学生の男の子とお母さん。がんばって続けてはるんや。
 総勢11名。後ろでちょっと見えにくかったが、高間悦子さんの姿も。

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 主催者を代表して、高間悦子さんのごあいさつ。
 いろいろとお話されたが、いきなり、「私たちが暮らすこの滋賀にも、いまだ沖縄差別が残っています。」
 こういう言葉をはっきり言える人、それが高間さんです。さすがです。
 きっと、今までさまざまな圧力と戦ってこられたでしょう。
 昨年は体をこわされ、2月のイベントの時も顔色がよくないように見えたが、もうだいじょうぶそう。よかった。
 最後の方に言われた言葉もよかった。
 「どうぞ、興味のある方は、三線クラブにいらしてください。ただし、ただ三線をひくだけでなく、沖縄全体の問題を考えていただける人しか受け入れられません。」
 スパッ、スパッと話される様子は見ていて実に気持ちがいい。
 まいりました。

 「どうか、この私を弟子に!」と言いたくなります。

 あっ、一つ思い出した。
 2006年5月、当時湖南市にあった沖縄館まで高間さんに会いにいった時のこと。
 「沖縄の人って、宴会とかですぐ踊ったりしやはるんですよね。」
 私は、NHKの「ちゅらさん」のイメージでそう言った。
 「あれは、ウソ。最後の最後にみんなで踊ったりすることはあるけど、いつも踊ってるわけじやないのよ。」と、ピシャリ!
 「テレビのイメージで、沖縄全体をみな同じととらえてもらったら困る」という感じだった。
 おやさしいお顔で、ゆうことはピシャッとゆう人。
 実はもうその時、「どうか、この私を弟子に!」と思っていました。

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 このあと、もう一つの主催者である連帯ユニオン関西地区生コン支部の高副委員長のごあいさつ。
 今日のイベントを主催されるまでのいきさつなどを説明された。滋賀にもたくさんの非正規労働者がおられる。その中には、沖縄出身者もたくさんおられるらしい。さまざまな問題を解決するには、幅広い人たちとのつながりが必要である。
 それにしても、「沖縄」と「生コン」はなかなか共通項がみつからなかった。「生コン支部」というのは、コンクリートミキサー車の運ちゃんの組合なんかなあ。

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 次は、第1部のメイン、講演「琉球の自治」。講師は、松島泰勝氏。
 主催者側からいただいたチラシには、以下のような紹介があった。

■松島 泰勝 プロフィール
 1963年石垣市生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。
 那覇中学・那覇高校卒業。東京狛江市の南灯寮で4年近く生活。早稲田大学政治経済学経済学科卒業。早稲田大学大学院経済学研究科博士後期過程履修単位習得。早稲田大学から経済学の博士号を取得。
 在ハガッニャ8グアム)日本国総領事館、在パラオ日本国大使館専門調査員、東海大学海洋学部海洋文明学科准教授を経て、現在、特定非営利法人「ゆいまーる琉球の自治」の代表、龍谷大学経済学部国際経済学科准教授。
 著書に、『沖縄島嶼経済史ー12世紀から現在まで』 『琉球の「自治」』(ともに藤原書店)
『ミクロネシアー小さな島々の自立への挑戦』(早稲田大学出版部)がある。


 「一言一句、聞き逃すまい。」
 この歳になって、大学の先生の講義が聴けるなんて。絶対1時間集中するぜぃ!

 松島先生のお話は、内容が濃かった。
 「クスッ」と笑うところも一度もなく、時々「フー」となりそうだったが、しっかり聞けたと思う。

 順番的にはむちゃくちゃだと思うが、私が覚えていることは・・・。

 まず初めに、琉球・沖縄の歴史について語られた時、奄美の人たちの複雑な感情について。
 奄美地方は、島津が琉球王国に攻めてきた時、武力によって琉球から切り離され、薩摩藩の統治下になった。しかし、その前は、武力によって琉球王国の統治下になっていたのだ。
 だから今でも沖縄の人々をすんなり受け入れることができないらしい。ヤナトンチュー(本土の人)も敵であるが、沖縄の人ももっと古くからの敵であるわけだ。複雑。 

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 次に驚いたこと。
 沖縄では、古くからゆいまーる(たすけあい)の精神が根付いている。
 その典型が、久高島である。
 久高島では、島全体は島の住民みんなのものという考えで、個人資産がない。そのため、本土のリゾート開発業者の誘惑もはね返すことができたとのこと。
 すごい。そんな一枚岩のような地域がまだあったんや。

 

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 次は、米軍基地に関する話。
 伊江島は、終戦直後、島の60パーセントが米軍基地として強制収用された。しかし、その後、島民のねばり強い運動で30パーセントくらいにまで縮小させた。
 そんなことを知っている沖縄以外の日本人は、いったいどれくらいいるのか。私もまったく知りませんでした。
 辺野古のV字滑走路。これは、新たな米軍基地というとらえ方でないとダメ。決して普天間の代替地ではない。そう思っている沖縄以外の日本人は、いったいどれくらいいるのか。知らないことだらけです。

 最後の方に、沖縄のリゾート乱開発の話。
 松島先生のふるさと・石垣島は最悪。住所変更をしないまま石垣に住みついている人が、かなり多いそうだ。住民税を払わず、島のいいところだけを享受している移住者。
 逆に、ユニマットの社長は、生活実態のない竹富町に現住所を移し、莫大な住民税を払う見返りに西表島のリゾート開発を我が物顔で進めていった。(ニラカナイホテル)

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 そして、最後の最後に、私にとってビックリ仰天の発言があった。
 「西表の西の端に、人口50人ほどの船浮と言う地区があります。そこは、船でしか行けないような不便なところなのですが、そんなところにまで開発業者の手が伸びています。」

 まさか、あの船浮が・・・。
 お金持っとるやつらは、そこまでやるのか。
 私はここ2年間に、三回船浮を訪れた。ほとんど手付かずと言っていい、素朴さの残っている地区であった。船浮小中学校を中心としたこじんまりとした集落で、少し歩いたところにはイダの浜というきれいな浜があった。当時の校長先生は、ご自分の名刺にその景色を入れておられたくらいの自慢の浜だった。
 こんなところにまで・・・。

 松島先生のお話は、私にとっても多くの課題を突きつけられた内容であった。

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船浮小中ホームページより

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今年2月の学習発表会(私たち夫婦も写っています)

 第1部が終わり、10分の休けいになった。ホール外の通路でミニ沖縄物産展をやっているということだったので、見に行こうとして席を立った。
 その時、一番はしの方の席に松島先生が座っておられるのが目に入った。1時間話されてお疲れであろうと思ったが、ついさっきの船浮の開発の話がどうしても気になりお話させてもらうことにした。(わずか10分間でしたが、内容の濃いお話をさせていただきました。)

 驚いたことに、リゾート開発の話はやはりあのイダの浜。 先生のお話によると、浜一帯はすでにほぼ全部業者の手に渡ってしまったとか。
 
 こういう話が持ち上がった時、一番の問題は地域住民が二つに分断されることである。西表島のニラカナイホテルの時もそうである。自然破壊に反対する住民と、雇用先の確保を狙う住民との対立。
 けっきょくホテルが建設されて数年たった今、「だまされた」と思っている人(元賛成派)も多いようだ。
 松島先生とも話していたのだが、こういった開発業者に抵抗するには、元からいる住民だけでなく、本土から移住して地域に溶け込んでいる人たちの力も借りなければ。(私の中では、住吉のよんなぁよんなぁさん、上原の「工房ながや」のオーナーを頭に浮かべながら話していました。)

 今のところは、船浮地区では開発反対派が圧倒しているらしい。しかし、私も含めた無責任な旅行者によって、この船浮地区の平穏な空気を乱すことは今後ますます増えていくだろう。

 高間さんが、前に繰り返し言っておられた。
 「本土の人は、自分の見たい沖縄しか見ないのか。」
 自分に都合のいい部分だけ取り出してわがままに楽しむような人間は、沖縄には来てほしくないということだと思う。
 私自身も、しっかり肝に銘じたい。
 

Posted by パオパオ   トラックバック ( 0 )   コメント ( 2 )

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コメント

 沖縄には、今の日本が抱えている様々な問題が集約されているような気がします。
 とりあえず、日米同盟がどうしても大切と思う人が多いのなら、沖縄の米軍基地は本土に移転。受益者負担の原則から考え、まず人口が集中している東京湾・大阪湾の埋立地に移転させるべきです。(そうじやないでしょうか、威勢のいい両知事さん。)
 米軍機の事故や米軍人の犯罪被害も、人口比率によって応分に負担すべきです。もちろん、京都もね。
 そうでないと、誰も基地の問題を真剣に考えない。私はそう思います。
 メイママさんは、どう思われますか。

パオパオ 2008年11月07日 18時26分 [削除]

沖縄のことなら私も熱いです!!私は今から20年ほど前仕事場の研修でいったことがあります。7月だというのに海にも入れず最初は同期とブーブー言っていましたがひめゆりの方のお話を聞いたり、ガマに入ったりなぜか外側向きに柵が建っている基地を観たり、ものすごい音を立てて戦闘機が飛んでいるのを観てものすごい衝撃を受けました。思いやり予算のこともその時初めて知りました。「ここはリゾートで来るところではない」と痛感しました。地元の方とも基地やリゾート開発について本当はいやだけれども雇用の問題でみんなの気持ちがひとつになれないことを聴きました。「日本人なら絶対沖縄に一度はいくべきだ」と思い、結婚してからは夫と、子供が生まれてからは3人で沖縄にいっています。沖縄の文化も歴史ももっともっと勉強したいと思っています。あ、でもカチャーシーは踊りましたよ!!

メイママ 2008年11月07日 09時33分 [削除]

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