パオパオだより

2016年10月20日(木)

PET検査 [病院]

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 今日はPET検査。
 病人の大先輩・としさんは、「ペット検査は 薬を血管注射して 水飲んで寝てたら終わるから 楽勝や」と。なんかこれだけではよう分からん。とにかく、けっこう時間がかかる検査だということらしい。
 癌細胞がどこに転移しているかを調べる検査。
 以下、「がんの転移が心配なときに読むサイト」より。
     ◇     ◇     ◇

   局所転移と遠隔転移

■原発の近くに転移する“局所転移”

転移したがんの中でも、最初に発生した原発がんと同じ臓器や、周辺に発生するものを局所転移(局所再発)と呼びます。例えば、肝臓は人間の臓器の中で最もサイズが大きく、がんが発生すると同じ肝臓内でいくつか転移や再発を繰り返すことがあり、局所転移の最たる例です。

また、臓器とそれに隣接するリンパ節は同時に治療することが多く、原発がんのすぐそばのリンパ節などに起きた転移についても、局所転移と考えます。

局所転移が発生する原因は、最初の外科治療で取り逃したがん細胞が増殖してしまうパターンがひとつ。さらに、浸潤したがんが原発の臓器から外へ出てしまい、周辺へと腫瘍が飛び散ってしまうパターンがあります。

■局所転移は比較的治療しやすい

局所転移を起こしている段階では、がん細胞がまだ一部の臓器だけに留まっていると考えることができます。

局所転移の場合は、腫瘍が発生している臓器や器官と、その周辺のリンパ節などを取り除いてしまえば、まだ十分に完治や寛かいの余地があると考えられ、外科手術の適用となるケースが多いという特徴があります。治療の効果が上がりやすく、予後も比較的良好だと言われています。

■離れた臓器に転移する“遠隔転移”

原発がんが進行し、血管やリンパにまで腫瘍が浸潤を起こしているようなケースでは、血管やリンパの流れにがん細胞が乗ってあちこちに転移してしまうことがあり、この現象を遠隔転移と呼びます。

遠隔転移が比較的多いとされるのは、肝臓や肺、脳や骨など。血流やリンパの流れが集中しやすい場所には、がん細胞が集まりやすいということですね。さらに、微細な血管が多い場所などにも、がん細胞が流れ着いて定着しやすいようです。

遠い場所に転移している場合でも、がん細胞の性質は原発がんと同じですので、抗がん剤の種類などは、原発がんに効くものを選ぶことになります。

■遠隔転移が起きたら“全身転移”だと考える

原発がんと離れた場所に転移巣が見つかったときは、がん細胞がすでに全身を巡っていると考えるのが妥当です。微小ながん細胞があちこちに散らばっていることが予想されるため、外科手術で目に見える腫瘍を取り除いたとしても、完治できるほどの治療効果がないと考え、体の負担となる外科治療は行いません。

ひとつでも多くの腫瘍細胞を減らし、がんの増殖を抑えるために、抗がん剤による化学療法など全身治療に切り替えます。痛みや苦痛を和らげるための緩和ケアなどを行う場合もあります。
     ◇     ◇     ◇

 私の場合、「低分化癌」と判定された時点で、この「遠隔転移」が確実視されているようです。
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 ヨメさんの通学時間とうまく重なったので、途中まで車でいっしょに。烏丸御池でヨメさんを下ろし、西大路御池の「御池クリニック」へ。 
 8時40分までにと言われていたが、その5分前くらいに到着。広い駐車場があった。

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 入口はホテルふう。
 玄関を入ると、スタッフの男女2名がていねいにごあいさつをしてくださった。

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 9時10分開始の予定と聞いていたが、すいていたのか、着替えたらすぐに処置室に呼ばれた。
 「血液を採り、検査薬を投与します」と言われ、「放射線が出ているので少し離れます」とあとずさり。「えっ、なんで? 運命共同体とちゃうんかいな」と思ったけど、そらそうや。赤の他人の検査で被爆してしもたらあほらしい。ただ、「そんなもん、体の中に入れてええん?」という疑問も・・・。

 「では、こちらへ」と案内されて個室へ。
 「えーっと、ここで検査薬入れるんですか。」
 「あっ、さっきもう終わりましたよ。」
 「えっ、あんなちょっと?」
 「20ccですから・・・。」

 検査薬を入れながら安静にすると思い込んでいたので、「なーんや」という感じ。

 そして個室のリクライニングシートで安静に。本でも持ってきたらよかったのだが、このごろは思い出にふける方がいい。ヨメさんは私がこのごろそればっかりで「イー」してるけど。

 今日は遠い過去のことではなく、ここ1年のことを思い出していた。
 去年8月、「結婚30周年記念旅行」はよかった。横浜スタジアム、横浜中華街、赤レンガ倉庫、ロマンスカー、箱根駅伝5区、箱根温泉。一番よかったのは、意外や意外、ヤクルトの山田哲人よりDeNAの筒香を生で見られたことかな。
 9月、国会で平和安全法制案(通称・戦争法案)成立。日本が戦争するようになったら、本気で死にたいと思った。
 11月、私の競技人生(?)初の肉離れ。このあと松本一之さんとの一騎打ちを控えて張り切りすぎた。
 12月、めでたく還暦。一応、家族のみんなからGPS腕時計をプレゼント。
 今年2月、真樹と「おきなわマラソン」に参加。真樹はまさかまさかのフルマラソン初完走。真樹よりパオパオのほうが嬉しかったかも。
 3月、廉の就職が決まり家を出て行ってしまったけれど、彩ちゃんとめでたく結婚。若干24歳(当時)の廉が、こんなにしっかりしているのにビックリ。
 3月、教師を続けておればここで定年退職。退職金がガッポリは夢のまた夢やったなあ。(25年も前に辞めてるのに・・・。)
 4月、寮の管理代行のバイトを増やし、週2管理代行、週2ガードマンで月約20万の安定収入へ。
 6月、「打倒・まっちゃん」シリーズは全敗で幕。しかし、やり切った感があった。
 8月、お腹いたから胆のう炎発覚。胆のう炎の検査で甲状腺腫瘍が発覚。さあ、次はなにが発覚?
 60歳はいろいろありました。「還暦」とはようゆうたもんです。たしかに節目の年になりました。60歳もあと2ヶ月か・・・。今までは1年先までを見て生活していたが、これからはそれを短縮して6か月とか3か月単位で考えたほうがいいのかもしれない。

 そんなことを考えているうちに、安静にする1時間半が過ぎた。
 そして、PET検査室へ。

 全身縛られ、頭も固定され、お腹の上には重りみたいなもんを置かれ、「はい、息を止めてー」と言われたときは死ぬかと思いましたわ。その一連の作業が、ロボットみたいで気色悪かった。もうちょっと人間らしくできんかー。
 そのあと、「では、始めます」と言われたのだが、始まっている感じが全然しない。「機械、動いてへんのんちゃいますかー」とよっぽど言おうかなと思った。でも、天井のちぎれ雲のイラストが少しずつ動いているのに気付いた。「そうか、ちびちび動いとんのか。それならそうゆうてくれよ」と思った。

 「はい、今でちょうど半分です。あと12分ですね。」

 このあとも無言。
 聞こえてくるのは、「カランコロンコロンコロン、カランコロンコロンコロン・・・」という鬼太郎の下駄の音だけ。
 「こっちゃ縛られて身動きとれんのやから、なんかおもしろいことでもゆうてくれよー」と思ったが、そんなサービスはないんですよね。
 終わったら、「着替えて会計に行ってください」だけ。あいそないわ。

 次は31日に「第2宣告」を受けるわけか・・・。
 どうなるんでしょうね。

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 29390円のお支払い。
 こんだけ取るんやったら、「検査後のお食事つき」くらいにしてもらわな。

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 同じフロアにレストランもあるのに。
 朝食抜きで腹ペコペコやったけど、こんな高いところでは食べられん。
 家に帰る途中で食べようっと。検査後の食事や運動の制限ないんやって。

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 千北をちょっと上がったところの、ラーメン「タンポポ」さん。

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 いつも通り、ラーメン大(800円)とライス小(100円)。
 あわててかけこんだので、腹ピーピー。
 アホです。

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  こちら、かしこいかしこいきくちゃん。

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 お昼にお散歩に行き、そのあとすぐまたバス停まで「オバサンお迎え」。

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 かしこいかしこいきくちゃんは、今日ははっきりとオバサンを認識。
 しっぽブンブンブーン。
 さあ、お仕事お仕事。 

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2016年10月19日(水)

アヘアへゆうたもん勝ち [雑用]

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 今日は寮1(二条)。
 こちらの寮では、食堂の料理長さんやパートさんと話すことも多い。

 現在の料理長S本さんは、今年4月から。学生寮の食事なので適当にやられるのかと思いきや、この人には料理人魂がある。来られた当初から、それをすごく感じていた。
 いつも話される中身もしっかりしているし、第一表情が明るい。人生すべていいかげんで、「魂」というものとは縁のない私は、本来このタイプは苦手であったはず。ところが、しゃべっていてイヤな感覚が全くない。なぜだか分からないけれど。

 私の病気が発覚して、食堂のメンバーには言ってなかったのだがどこからかいつの間にか伝わっていた。まあ別に隠していたわけではないし。

 退院して2日後の先週13日。私を見つけたS本さんが声をかけて来られた。
 「全然だいじょうぶですやん。えらいもんやわ。前と変わらずニコニコして出てこられたんで安心しました。」
 「手術はけっこうてこずって大変やったみたいですけど、なんちゅうたって全身麻酔ですし。なーんにも分かりません。でもこれで終わりじゃなくて、まだまだ検査とか治療が続くらしいです。」
 「ほんまですか。こんな元気やったら、もう病院行かんでもよろしいで。病院行く行かんは本人の勝手でしょ。」
 「えっ、それは斬新な意見・・・。」
 「そうですよ。高いお金とたくさんの時間使って病院行ってる間に、ほかのこといっぱいできますよ。」
 「うーん・・・。」

 この意見は斬新過ぎてビビった。病院に行かない自由ねえ・・・。


 そして今日。
 またS本さんが声をかけてきてくださった。
 「検査の結果は?」
 「それが検査自体が明日で、結果が分かるのがその10日ほど後で・・・。」
 「ほらな、ゆったでしょ。そんな大変な病気やったら、はよう検査してすぐ治療に入れちゅうねん。そんなゆっくりしてるってことは、藤井さん、だいじょうぶですよ。もう病院行かんでもええんちゃいますか。」
 「またまた。それは不安ですわ。うちのヨメさんも、ずっと健康でいるかコロッと死ぬかどっちかはっきりしてや、ゆうてますねん。看護とか介護とかはぜったいにせーへんしなゆうて。」
 「それが普通でしょ。反対の立場になって考えてみてください。藤井さん、奥さんの介護を何十年もできますか。」
 「うーん。」
 「なんでも、白黒はっきりさせた方がよろしいよ。それでね、最後は『根拠のない自信』ですわ。それがあったら、また笑顔で戻ってこれますわ。」
 「『根拠のない自信』ねえ、自信ないなあ。」
 「それと、いっつもヘラヘラしてるこっちゃね。そういう人には病気がつかんらしいよ。」
 「いつもヘラヘラ、それは自信ある!」
 「そうそう、それでよろしいやん。理想は寛平ちゃんのアヘアヘアへやね。アヘアヘアへゆうたもんの勝ちですよ。寛平かって癌やったのに、あんなに走って、今もテレビに出てるやないですか。」
 「ほんまや、ほんまや。アヘアヘアへ、ウーヒーハーやね。」
 「それそれ。これからも、藤井さんが毎週当たり前のようにそこに座ってるのを楽しみにしときます。」
 「ありがとうございます。必ず戻ってきます。」

 魂の料理人S本さんはすごい。
 ランナー以外にも気が合う人ができそうだ。よかった。

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【今日のきく】

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 寮の管理代行の仕事から帰ってきたのが、夜の11時45分ころ。
 
 「きくちゃん、ちょっとだけだやでー」と言って、深夜のお散歩。

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 ちょっとは喜んでくれたんかなあ。

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2016年10月18日(火)

人生整理ラン2〜本物の江文神社〜 [ランニング]

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 5→10→15と来たら、次は当然20km。
 明日は寮1(二条)17時間、あさってはPET検査で走るどころではないだろう。それなら今日。
 
 ちょっと前から気づいていたことがあった。私は江文峠にあるのが江文神社だと思い込んでいたが、あこは「金毘羅大権現」。本物の「江文神社」は、もう少し峠を下ったところから金毘羅山に向かう途中にある。
 今まで江文峠往復を走るたびに鳥居に向かって拝んでいたのに・・・。効果がなかったのは、それが理由だったんですね。本物の「江文神社」に参ってお詫びしておかなくては。
 うちから花園橋まで行きそこを左折、大原街道から江文神社にお参りし、江文峠を越え、静原を通って帰ってきたら20kmは超えるはず。

 今日は夏日になる予報だったので、いつもより早めの午前9時に我が家スタート。
 「きくちゃん、ぐるっと回って帰ってきたら、おちゃんぼに行ったるしな。」

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 今日は、「アディゼロタクミ・イドミ」で。
 長めの距離をゆっくり走るには、これがいい。

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 いつものように、比叡山に向かって。
 おとといのめまいがあるので、今日は慎重な出だし。
 走り始めると、相変わらず息苦しい。手術による喉の部分の腫れが、気管を圧迫し続けていると思われる。今日でちょうど2週間なのに、いったいいつすっきりするのだろう。

 さて、今日は頭の中で何を整理しながら走ろうかな。

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 花園橋で約3.5km、22分。
 ここから大原街道へ。

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 昨日「ねっとわーく京都」の原稿を書いた。その内容は、10月11日の「癌宣告」。
 その日すごく緊張されていたI医師から重い言葉を聞いたのだが、気の小さい私にしては冷静だった。「動転されているでしょう」と心配してくださったが、それはなかった。「あっ、もうじき死ぬんか」と思っただけ。
 落ち着いてお話を聞き、医師や看護師の表情、診察室の雰囲気まで観察する余裕もあった。

 実はここ2、3年、ずっと自分の死のことを考えていた。お金がないこと以外はすべて幸せで、この歳になるまでいやなことが一つもなかった。なんぼなんでもこのまま一生行けるはずがない。そろそろでっかい「ばち」が当たるんやろうなあと漠然と思っていた。まさか、それが「癌」とまでは思っていなかったけど・・・。

 自分の死を考えたとき、それで誰かが困るということがない。普通は妻や子どもが困るのだが、うちの場合はそれはなさそう。もともと頼りにされてませんから。
 強いて言えばおとちゃん(父)。父の弟が亡くなった時、お葬式で泣いていたのは父と私の二人だけだった。そんな父だから、たぶん私がいなくなったら泣いてくれるだろう。だから、父には最後まで内緒にしておいてほしい。

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  旧・八瀬遊園前で5km、31分38秒。

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 このあたりでお腹がゴロゴロ。
 たしか、比叡山ケーブル乗り場の横にトイレがあったはず。

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 ありましたー。よかったー。
 でも紙はついていないので、各自持参でお願いします。

 すっきりして再スタート。
 そしたら100mほど先にコンビニがあった。
 「なーんや・・・。」

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 「ねこねこでら」・・・、近寄って見ると「にゃんにゃんじ」。
 お寺ではなくお店の名前。

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 川に日光が反射してきれい。

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 後ろ姿のかわいいワンちゃん発見。
 犬小屋に入ろうとしていたところ、「ワンちゃん、ワンちゃん」と呼んだら振り返ってくれた。
 「写真撮ってもええか」と聞くと、ニコニコ顔。
 「ありがとね。」

 走っていて一番の楽しみは、かわいい犬ネコに出くわすこと。この「ころころちゃん」のおかげで、あと30分は元気に走れる。私はそんなヘンタイランナーです。

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 またまた、拝めそうなものには片っ端から拝んでおいた。
 そのたんびに写真を撮っておられないので、今日はこの雰囲気のいい地蔵さんに代表になってもらって・・・。
 最初はていねいに拝んでいたが、だんだん短くなり、最後は「たっけてー!(助けてー!)」。(廉が小さい時、よく「たっけてー!」と言っていた。)

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  大原に向かう歩道のない上り坂を走っているとき、突然高校1年の時の校内マラソン大会のことを思い出した。そうそう、ここを走ったんや。
 あの時、かなり長い間私と並走していたやつがいた。私より小柄だが、いい走り。知り合いではなかったので、並走している間ひと言もしゃべっていない。「まけへんでー」という気持ちでずっと横を走っていた。しかし彼はいつの間にか私を置き去りにし、私より先にゴールした。私は全体の10着で、ギリギリ表彰。彼はたぶん7着くらいだったと思う。
 1位から9位までは全員体育系のクラブ員。私はそれ以外の最上位。ふだん目立つことのない私が、ホームルームの時に表彰してもらい、ちょっと鼻高々だった。でも、並走していた彼に置いて行かれたのは悔しい思い出として残った。

 その数か月後、高2になりクラス替え。
 そこで並走した彼と同じ2年1組になった。彼はかなり背が低かったが、サッカー部でレギュラーを狙える選手。私の学年の中ではけっこう有名人という感じだった。
 彼もマラソン大会の時のことをよく覚えてくれていて、そこから仲良くなった。
 「石関進」、マラソンを通じての友だちはたくさんいるが、今思えば、高校時代の彼がその第1号だったのだ。そんなこと、すっかり忘れていた。
 今回の同窓会の行方不明者の中には入っていなかったので、連絡を取ろうと思えば取れるんですね。東京で働いていたが、もう定年だし。今、どこでなにしているんやろう。
 今回の同窓会の「会いたい人」として石関の名前が浮かばなかったのは、卒業後もけっこう長く付き合いが続いていたからかなあ。

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  美濃瀬橋で10km、1時間4分14秒。
 ここから大原だと勘違いしている人が多いが、ここは大原小学校区ではあるが「八瀬花尻町」。

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 「土井の志ば漬」前を京都バスが通っていく。

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 立派な漬物樽があったので写真を撮らせてもらった。

 この先の花尻橋のY字交差点を左折し、大原記念病院側へ。

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 以前通った時に目をつけていたネコちゃん。前は写真に撮れなかったが、今日はしっかりこっちを向いてくれた。 

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 こちらもその家族?

 次はヨメさんと見に来たいなあ。

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 東海自然歩道と府道が交差。このままここを突き切って、山側に少し入ると「本物の江文神社」があるらしい。

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 ちょっと行ったら、ありましたー。
 11.95km、1時間17分11秒。
 さっそく願掛け。

 「今までまちごうててすいません。ボクの病気治してください。夫婦円満、家内安全、廉と真樹が幸せに暮らせますように。下山さんがシティフルマラソンに出られますように・・・。」
 これが今の私のフルお願いです。

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 いつもの決めポーズ。
 カメラを立てる場所がなくても、地べたに置いたら下からのいい写真が撮れる。いっぺんやってみなはれ。

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 ここでももう一回。
 「ボクの病気・・・」もちろんフルお願いで。

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 休けいは3分ほど。
 さてと、次は江文峠やね。ここから再スタート。

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 いつもの府道はおもしろくないので、山道へ。

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 途中こんな金網が。中から閉めるのん大変でした。

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 まずは「三途の川」を渡り・・・、ちがうか!

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 本格的なトレイルコースですやん。
 ところどころに「熊に注意」の掲示板。
 熊におうたらどうしようもないちゅうねん。

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 なんともいえんええ空気。

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 江文神社から江文峠は約800m、9分ほど。
 気持ちよく走れたのでまた来たい。

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 その100m先の「にせ江文神社」、失礼しました「金毘羅大権現」。
 前に多くのハイカーが陣取っておられたが、きちんと拝んでおいた。「全部よろしくお願いします」。(それ、「きちんと」とちゃう。) 

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  あとは勝手知ったる静原街道。

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 いもほりシーズンですねえ。

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 家まであと1.5kmほど。
 小町寺のある小さな丘の向かいに恵光寺というお寺さんがある。

 「いのちという それぞれに与えられた時間を
  自分以外の誰かのために 使って生きてほしい」

 それを見てとっさに思ったのは、「やかましいわい!」
 ああなんと・・・、罰当たりな。

 でも今の私にはタイムリーなお言葉。
 「与えられた時間というか・・・、残された時間というか・・・、うーん。今まで、自分以外の誰かのために時間を使った経験がない。これははっきりしている。残り少ないかもしれないのに、今さら改心してええこと始めたら気色悪がられる。そんな似合わんことはやめとこう。というか、無理!」

 結論早いねえ。 
 でも今からでもできることもある・・・。ここで「家族」とか「世のため人のため」とかが全然出てこんにゃねえ・・・。ほんまにあほやねえ。
 頭に浮かんだのは、「犬猫、沖縄、九条」。

 こんな話、バカバカしくて聞いてられんかもしれんけど・・・。
 今私が死があんまりこわくないのは、5年前に死んじゃった黒猫・あんものおかげ。
 私は4人兄弟の末っ子で、両親や姉兄からはすごくかわいがられた。ところが、大人になってからはほとんど人に好かれた経験がない。20代前半まではまだしも、それ以降は無に近い。ヨメさんにしたって、私が好きで好きで結婚してもらったもので・・・(ここはあんまり書かんほうがええか)。
 犬もネコもいっぱい飼ったけど、自分の好き勝手なことばかりしてたから相手にもされんかった。うちの最後のネコあんもちゃんも同じ。うちに来て21年もたつのに、ずっと私には攻撃的だった。
 しかし、もうすぐ22歳という頃になって急にボロボロになってしまった。その時だけはなぜか私が専属世話係になり、死ぬ1週間前くらいからあんもがなつき出した。私が行ったら、すごく喜んでくれた。今までそんなことがいっぺんもなかったので、うれしかったねえ。
 出張販売の日だけ動物病院に預け、帰ってきた翌朝迎えに行った。あんもちゃんはその前からもう寝た切り。それが、「あんもちゃん、お迎えに来てくれはったよー」と呼んでくださったら、ゲージの中のあんもが立ち上がろうとした。獣医師さんも助手さんも驚いて顔を見合わせておられた。あの時ほど涙が出たことはないわ。母親が死んだときも泣かなかったのに・・・。実際はどうか分からんけど、「最後だけやけど、あんもに好かれてたんやなー」と思った。そのあと連れて帰り、ふかふかのベッドを用意している途中に、寝ていたあんもが一瞬ピクッと動き、そのあと動かなくなってしまった。また、泣いて泣いて泣いて・・・。(その30分ほど前に、立とうとしてくれていたなんて・・・。)
 ひと様のお役には立たんかったけど、ネコ様のお役には立った。あんもの最後の1週間だけやけど・・・。そやし、もうええねん。あんものおかげで、生きてた甲斐があったちゅうもんや。そやし、せめて一つだけでも恩返しっぽいことをしてから死にたい。
 以上、私が死ぬのがこわくないわけ。わけわからんやろうなあ・・・。

 この先、私が家族にできること。
 それは喜ばすことではなく「煩わさない」こと。今まで散々煩わせてきたので、最後くらいはそれを最小限に食いとどめたい。
 年間自殺者の中で、闘病中の中年男性の割合がかなり高いと聞いたことがある。私はそうはならないと思うが、「家族を煩わせたくない」と思ってのことならちょっと理解できる。
 なんとかそうはならないように、私の得意なのらりくらりで・・・。

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 考え事をしながら走ると、知らん間に目的地に着く。
 最後はさすがにしんどかったが、またまたあのネコちゃん。
 私の目の前を「タッタッター」。
 オスかメスか分からんけど、タッタちゃんと呼ぶことにしよう。

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 本物の江文神社から8.2km、54分48秒。

 トイレ休けい3分、江文神社での休けい3分があるが、それを除くと合計20.15km、2時間11分59秒。目標通り20km超え。よう走りました。

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 家に入ったら、またきくが気絶状態?
 犬って、こんな格好で寝るんでしたっけ。

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 今回も昼食前とは言え、体重58.8kg。
 やっぱり、もうちょっと太った方がいいような・・・。

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 お昼は148円のうどん。
 まあまあおいしかった。

 今日も「京都キャロット」の閉店時刻に、きくとヨメさんをお迎えに。
 「こうじさんはこのごろ昔の思い出ばっかりで・・・、私にはそれはよう分からんわ。」たぶん、そのあとは「おもろない」と続くんでしょうね。それはたまたま病気と高校の同窓会が重なったからというだけのことなんですが・・・。

 今日気づいたことがある。私が死ぬなり離婚するなりして結婚生活が終了すると31年。日本女性の平均寿命が87.05歳。ヨメさんはあと33年生きる予定。そら、まだまだ思い出に浸ってるわけにはいかん。真剣に第二の人生を考えにゃ。
 今まで再三ヨメさんから「離婚」を突き付けられたが、そのたびに必死にゆるしを乞うていた。でも今、ヨメさんの第二の人生の足手まといになるのなら、それもまた真剣に考え直さなあかんと思う。平均であと33年もあるとは認識不足やった。

 ヨメさんは、「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」もあんまり好きじゃないみたい。「好きなんちゃうかなあ」と勝手に思っていたので、ちょっとガクッ!

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 緊縮財政のため、晩ごはんは簡素に。
 ついに禁断の「パマゴ」登場! (廉が小さい時、タマゴのことをよく「パマゴ」と言っていた。)
 胆のう炎が暴れん程度やったら、タマゴもだいじょうぶでしょう。おかずないから、そんなぜいたくなことゆうとられん。
 そやっ、胆のう炎の手術ってどうなるわけ?

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【今日のきく】

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 ヨメさん曰く「きくはオッサンのことを手下やと思っとる。」
 それでいいよ〜ん。

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  なんか、この「ワニ顔」の写真が多い。
 私がカメラを向けると、よくこういう顔をする。
 ただのあくびか?

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2016年10月17日(月)

ダスティン・ホフマンに会えなかったよ [学校]

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高校同窓会 (ぼかし入り)

   ダスティン・ホフマンになれなかったよ   大塚博堂

 テレビの名画劇場で
 「ジョンとメリー」を見たよ

 ダスティン・ホフマンが主演の
 行きずりの恋のお話しさ

 まるであの日のふたりみたいで
 胸が熱くなって仕方がなかった

 君にもう 二人も子供がいるなんて
 ぼくのまわりだけ 時の流れが遅すぎる


 君と一緒に見に行った
 「卒業」をおぼえているかい

 花嫁を奪って逃げる 
 ラストシーンが心にしみたね
 
 なのにあの日ぼくは教会で 
 君を遠くからながめてるだけだった

 君にもう 二人も子供がいるなんて
 ぼくのまわりだけ 時の流れが遅すぎる

 ダスティン・ホフマンになれなかったよ
 ダスティン・ホフマンになれなかったよ

 ダスティン・ホフマンになれなかったよ
 ダスティン・ホフマンになれなかったよ
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 今日、洛北高校第23回卒業生同窓会掲示板に、先日の同窓会の写真が公開されていた。
 同窓生444名中、物故者18名、海外居住等で連絡不要の方3名、住所不明者64名と言うことだったので、350名ほどに案内を出してもらったことになる。そのうち参加者は約90名。すごいです。

 世話人をしてくださった河原君や寺元君、ありがとうございました。ご苦労様でした。終わった後もこんなふうに写真を公開してくださって、参加できなかった私も、これを見させてもらうだけでわくわくしました。(ぼかしを入れて、このブログに使わせていただきました。)

 同窓会開催日が10月8日。私の主治医から突然外泊許可が出たのが、その前日の10月7日。
 その日の午後、河原君にメール。
     ◇     ◇     ◇
河原君、ていねい迅速な対応ありがとうございます。

まさかまさかなんですが、今朝主治医から「外泊します?」といきなり言われ、今もう自宅に帰っています。明日の同窓会も行って行けないことはないのですが、今はその気力がわいてきません。あと4年がんばって、かっこいい64歳になってみなさんの前に登場したいと思います。

手術のほうは医師が想定しておられたより大きな腫瘍だったようですが、今のところうまくいっているようです。今日自宅、土曜病院、日曜自宅、月曜病院で火曜抜糸退院の予定です。ああ目まぐるしい。13年ぶりの入院で疲れました。

大道君の情報、何かわかればぜひ教えて ください。

みんなのためにいろいろとお世話をしてくださってありがとうございます。4年後の同窓会を楽しみにしています。
     ◇     ◇     ◇

 このときは手術が成功し、ほっとしていたところでした。
 そして、その4日後の10月11日。
 退院前の最後の診察室での「癌宣告」。

 「あと4年がんばって、かっこいい64歳になってみなさんの前に登場したいと思います。」が危うくなってきた。どうしましょう。

 掲示板にはクラスごとの写真もあり、3年1組には私の大好きだった坂井田君も古屋君も写っていた。高校卒業から40年以上もたって、ダスティン・ホフマン坂井田は普通のおっとこまえに、美少年ふう古屋はミュージシャンふうに変貌していた。名札も見えんかったけど、面影がありすぐ分かったけどね。

 大塚博堂の「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」は1976年6月のリリースやって。私20歳ですやん。今回の高校同窓会のことを思うたびにこの歌を思い出してたのに、この歌卒業後ですやん。記憶って、ええ加減なもんです。でも、歌詞に出てくる「ジョンとメリー」は1969年、「卒業」は1967年。これで坂井田君のことをダスティン・ホフマンと言っていたことも辻褄が合う。

 「♪ダスティン・ホフマンにあえなかったよー
   ダスティン・ホフマンにあえなかったよー♪」

 さて、4年後の同窓会は・・・。
 そんなお気楽なこと、今はゆってられませんね。

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3年1組 (ぼかし入り)

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2016年10月16日(日)

京都走ろう会例会〜ファミリーデーやのにお一人?〜 [ランニング]

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 「あれ、藤井さん、今日はファミリーデーやのにお一人ですか?」
 「そうなんですよ。ヨメさん忙しくて、今日は来てないんです。」
 「そういう私も家族いないんですけどね。」

 ということで、ヨメに見捨てられかけている私と、一人暮らしをされている中嶋さんとのツーショット。

 「この写真、ブログに載せていいですか。」
 「はい。でも何千人もの人が見るんですよね。」
 「うーん、何千人と言うより全世界の人。ネットやから。」
 「全世界? ほんとですね。」

 中嶋さんとは、「京都走ろう会」の会員同士、「京都キャロット」のお客さんとして親しくしていただいているだけで、実はくわしくは知らない。だから、迷惑をかけるようなあることないことは書こうにも書けない。
 たしかなことは、いっしょに走れば私のすぐ後ろに迫ってきているランナーだということ。以前うちのヨメさんに、「結婚はしたいけど、いい人がいない」みたいなことを言っておられたそうだ。「いい人がいれば・・・」、これは書いてもよかったかな。(ダメな場合は連絡を。すぐ削除します。)

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 今日は京都走ろう会の新企画「ファミリーデー」。会員の家族は今日に限り参加費無料。いい企画だったが、それで来られたという方はわずかであったようだ。

 私が会場に着くなり、多くの方が声をかけてきてくださった。みなさん、私の病気への励まし。気にしてくださって、ありがとうございます。
 私のこのブログをくわしく読んでいただいているようで話が早い。その多くは、「私も大病を患ったが、絶対だいじょうぶ」というもの。

 せっかくの励ましのお言葉なのに、こんなこと言ってもいいですかね。こと私に関しては、その言葉は逆効果。気が小さい私は「絶対」ってなんで?、「だいじょうぶ」って保障できるん?と思ってしまう。

 それと比べると、先日街中で偶然出くわした古くからの走友・有田さんからのメールにはジーンときた。
     ◇     ◇     ◇
藤井さん

ブログに良い人のように私のことを書いてくれてありがとう。
ただ、言い訳が一つあります。

”パオパオ”は基本読んでいます。(ここ重要)
そやけど最近の分は読んでませんでした。
だもんで、甲状腺を切るのんやということは知っていました。
検査結果の話は知りませんでした。

昨日突然会って、いきなり傷を見せられて、どういうてええもんか、たじろいで
その話ができなかったということです。
そやから、土地の評価の話をしたのです。この辺は心優しいところです。
     ◇     ◇     ◇

 「どうゆうてええもんか、たじろいでその話ができなかった」
 私はそんな有田さんが好きです。

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 いつも通り、1.4kmコースを使ってアップ。
 自分では今日の目標であるキロ4分45秒ペースで走っているつもりが、時計を見ると4分58秒ペース。
 「なに? 今日は10km50分切りが目標か? そこまで落ちてんのか・・・。」
 タイムが遅かったのもショックだったが、走り終わったあとめまいがしたのはもっとショックだった。
 「たった1.4kmでめまい? なんで?」
 不安なことばかり。

 中嶋さんは夜勤明けで、ほとんど寝ずでの参加。直前まで5kmか10kmか迷ってられたようだ。しかしいつもの顔なじみに強く誘われ、10kmコースのスタート地点に向かわれた。そらそうでないと。
 「今日こそ中嶋さんに初敗北する日になるんか。でももし競えたら励みになるし、いっしょに走れてうれしいわ」と思った。

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 10kmコース参加は13名。
 いつも通り、スタート前の記念写真。

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 写真を撮った私の後ろから、「藤井さんも入り」の声。
 松山会長だった。

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 「もう一枚撮りますよー。」
 「おっ、もう一枚やてー。さっきとちがうポーズせな。」

 この私の言葉に反応してくださったのは、斉藤さんと平田邦子さんのみ。みんなかたいっす。平田さん、かわいい。

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 出雲路橋から南へ向かって10kmがスタート。
 予想通り、元気な大学生・石川君がポーンと飛び出す。
 スロースタートを切ったつもりの私が、丸太町折り返しでもまだ2番手。みなさん、病人を抜いたら気の毒とでも思ってられたのかな。

 ただ、丸太町橋(2.45kmくらい)で10分50秒だったのでキロ4分25秒ペース。決して遅いとは言えないペースではある。スタート前にふらついていた割には、4分の1まではしっかり走れた。

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 「やまもとさーん、ポーズ、ボース。」

 そう叫ぶと、しっかりポーズ。
 先日の駅伝の時の写真も役に立ったようでよかった。

 しかしこのあとくらいから、だんだん足が上がらなくなった。あっという間に後続2名に抜かれてしまった。

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 葵橋のあたりで平田さんが待機。
 「マイペース、マイペース!」

 今日の私は明らかにオーバーペース。ますます体が重くなっていく。
 「もう出雲路橋でやめよか知らん」と本気で考えていた。

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  出雲路橋にやっと到着、22分22秒。
 私が思っていたほどにはタイムは落ちていなかった。
 ここから御園橋までの約2.5kmさえがんばれば、最後はゆるやかな下りやから何とかなる。そう自分に言い聞かし、前をしっかり見て走った。たぶんすぐ後ろに、中嶋さんや斉藤さんが迫っているんやろうなあと思いながら・・・。

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 御園橋の手前で、先頭の石川君と途中抜かれたお二人の写真をしっかり撮ることができた。それまではちょっと三途の川が見えかけていたのだから、よく冷静に撮れたもんです。

 御園橋で34分50秒。
 残りを12分で走ったら、46分台でゴール。当初の目標がキロ4分45秒ペースで、10km47分半だったのでこれなら上出来。

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 追い付けませんわー」と言いながらすれちがった中嶋さんとの差は20秒くらいだろうか。
 「これは、ゴール前で追いつかれるパターンか・・・。」

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 気がしっかりしてきたので、後続ランナーも全員写真を撮ることができた。

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 最後もちょっとがんばったので、ゴール地点の向こうに「三途の川が〜」。
 「あかん、あかん、超えたらあかん。」

 ゴールは46分50秒。後半は5kmよりちょっとだけ長いけど、24分半ほどかかってしまった。でも、抜かれそうな予感のあった中嶋さん斉藤さんには辛うじて先着した。ほかはなんにもがんばらへんのに、走ることに関してはまだがんばる気持ちが残っている。ええのか悪いのか・・・。

 またヨメさんに言われそう。
 「アンタはどうでもええようなとこでがんばって、がんばらなあかんとこではなんにもがんばらん。どうゆうこっちゃ!」

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 中嶋さんのゴール後、ちょっとだけしゃべらせてもらった。
 「今日は、夜勤明け対病気中の対決になりましたね」と中嶋さん。
 「今日こそ負けると思いましたけど、やっぱり寝てないのはきつかったでしょう。」
 「ええ。夜勤明けでもけっこう速く走れるときもあるんですが、今日は全然ダメでした。」
 「病人に負けてしまいましたね。」

 中嶋さんは11月3日の「丹波ハーフ」を走り、23日の「福知山」に出られるそうだ。「丹波」はうちも出店させてもらうので、応援に行きますね。「福知山」の日は遠くから応援のオーラを送ります。
 「遊びですから・・・」とおっしゃっていたけど、「速く走った方が気持ちいいですよー」と私は言いたい。

 あっ、中嶋さんのいいとこ分かりました。中嶋さんは私のように一見怪しい初老にも、なんの先入観もなく話しかけて来られる。たぶん誰にでも分け隔てなく。
 最初話しかけてこられたときは、よく知らなくてちょっとびっくりしたけど、そういうことがごく当たり前にできる方のようです。
 最近の例会では、「中嶋さん来てへんかなあ」と探してしまっています。そういう貴重な存在です。

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 1kmほどダウンジョグをして、お礼のあいさつをして帰らせてもらった。

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 帰りに「京都キャロット」によると、のそのそときくちゃんが出てきた。

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 きくちゃんは日向ぼっこが大好き。
 「きくちゃんはネコか?」

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 くくりつけると「かなん」と文句を言う。
 番犬ができないわがまま犬です。

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 家に帰ると、目の前にネコちゃん。
 こないだカラスと残飯の取り合いしてたネコちゃんやね。

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 私に気付いてあわてて逃げていた。
 「写真撮るだけやし、逃げんでもいいのに。」

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 家に入っていすに座ると、ゲーが出そうなくらいしんどくなってきて動けなくなってしまった。たった10km走っただけやのに・・・。
 しばらく座っていると次第にましになり、シャワーをしに。
 体重は昼食前とは言え59.3kg。これからの闘病生活を考えると、体重はもうちょっとあった方がいいんかなあとか思ってしまう。

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 ヨメさんからは「ラーメン作って食べ」と言われたが、そんな元気もなくなってしまった。お湯を沸かしてカップ焼きそば。
 10km走っただけでこの疲れ様は、先が思いやられる。
 こんなことでは、あかん!

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2016年10月15日(土)

たいちょうがいいから [雑用]

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 今日の夕方、私のガードマンのホームグランド・○ナートへ。
 地下で差し入れのお菓子を買ったあと、4階のガードマン詰所へ。

 ドアを開けると目の前にI隊長。
 「あー、藤井さん。手術どうでした?」
 「はい、おかげさまでうまくいきました。手術後声が出にくくなる人が多いって聞いてたんですけど、この通りしっかりしゃべれてます。」
 「そうですか。それはよかったですね。」

 ふむふむ、ほとんどの人は手術がうまくいったかどうかが聞きたいのだ。それに対しては「大成功です」でいい。「死ぬ死ぬハラスメント」は引っ込める。

 「また来てもらえますか。」
 「それがね、病理検査に引っかかって再検査ですねん。そのあと、転移している部分の治療に入る予定です。」
 説明はこれで十分ですね。いらんことはゆわんとこ。

 「そしたら、これからがたいへんですね。」
 「そうなんですよ。でもうちのヨメさん曰く『病気は治す気のある人だけが治る。アンタはなんにつけてもやる気なしやから、病気治す気もないやろ』って。」 
 「これは手厳しい。でも、奥さんは藤井さんに奮起してもらおうと思って、わざとそんな言い方してはるんですよ。」
 「ボク、今までひとに言われて奮起したことなんか一回もないんですけど・・・。」
 「そうなんですか・・・。」

 「でも顔色もいいし、とても病人には見えませんね。」 
 「そうでしょう。今のとこ、ピンピンしてますねん。新しい治療が始まったら、どうなるか分かりませんけど・・・。」
 「藤井さん、それやったら仕事に出てきてください。家に閉じこもってたらあきませんよ。私の知っている人も、大病にかかっても仕事に出てきている人のほうがずっと元気になって行ってますし。フォローはしますので、考えてみてください。」
 「えー、そんなんでいいんですか。中途半端に出てきても迷惑かけるだけやし、このまま治るまでずっと休ませてもらおうかなあと思ってたんでけど・・・。」
 「動けるうちは動いた方が絶対いいですよ。明日どうです。今からでもだいじょうぶですよ。」
 「明日? それはなんぼなんでも心づもりができてませんし・・・。」
 「それはそうですね。そしたら、来週でも。」
 「ありがとうございます。そんなふうに引っ張ってくださったらうれしいです。ヨメさんと相談して、考えてみます。」
 「本当に無理は絶対禁物ですけどね。ところで、明日はどうですか。」
 「ずずっ。なんですか、それ。心配しくださってるような、そうでもないような・・・。」
 「バレましたか。」
 「でも復帰するんやったらここでと思ってます。なんちゅうたって、ここは隊長がいいから。」
 「ああ、そんなふうに言ってもらってありがとうございます。」
 「隊長、藤井さんがゆわはったんは、体の調子のほうの体調のことですよ」とガードマン仲間のF田さん。
 「ちゃいますちゃいます、I隊長のことですって。」
 「藤井さん、うまいんやから」とF田さん。

 「地下でお菓子こうてきましてん。みんなで分けて食べてください。」
 「藤井さん、隊長に渡したらあかんて。こそっとポッポナイナイしやはるから」とまたF田さん。
 「ほんまや、忘れてた。えーっと、4種類のお菓子こうてきたんで、あとで厳しくチェックね。」
 「もう、かなわんなあ」とI隊長。
 
 こんなバカ話ができるから、やっぱり仕事に出てきたくなる。ようよう考えてみよう。

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 あとは、3階駐車場で仕事中の○舘さん。
 後ろ姿がうちの真樹みたいでしょ。

 「仕事中すいません。○舘さんの顔、見に来ました。」

 ○舘さんは私の話を聞いて驚いていた。なんちゅうたって、こないだ会ったのが私のジョギング中やから。でも、くわしい話はしなかった。ひとを心配させるのはほどほどに。「死ぬ死ぬハラスメント」、自重です。

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【今日のきく】

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 今日も楽しい朝の散歩。
 自撮りすると、なかなか真ん中に入れなーい。

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  夕方、「京都キャロット」へ。

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 きくちゃん退屈そうだったので、こんなくん巻きを。

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 似合いすぎ!

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 オラオラオラー!

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 てってってってってー。

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 さっき暴れたし、もういいですの顔。
 今日もいろいろありましたねー。

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【追加】

 今、「箱根駅伝予選会」のニュースをやっていた。
 惜しくも11位に敗れた、中央大の1年生主将の舟津君のあいさつを見て泣いた。
 なんぼしっかりしとるんじゃー。

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