2016年10月05日(水)
記憶をたどって [病院]
昨日の午後1時20分ごろ、手術室の待合へ。
しばらくして麻酔担当の方が来られた。
「昨日説明させていただいた○○です。よろしくお願いします。まず、お名前を言っていただけますか。」
「ふじいこうじです。」
「あれ!?」
そう言って、その方は急いで出て行かれた。
「そういや、今のでっかい女の人、見たことないなあ・・・。」
しばらくして見覚えのある小柄な女性が入ってこられた。 「担当の○○です。」
「へー、さっきのことはなかったことにしようちゅうわけか。下手したら、甲状腺腫瘍とちごて心臓取られとったかもしれんなあ。」
そうそう、これが私の「めったに起こらん悪い事がよう起こる」ちゅうやつです。ああ、心臓取られんかってよかった。
13年前の全身麻酔は「3、2、1、ハイ」という感じで眠りに落ちたが、今回は「そろそろ眠くなってきましたか」「そうですね、ちょっと」とか会話ができるくらいだった。またやり方がちがうんでしょうね。
このあと全身麻酔が覚める8時すぎまで、当たり前だが記憶なし。夢も見ないので、死んでいるのと変わらんのかもしれん。
目が覚めたら、姉とヨメさんがいた。
ヨメさんが夕方からくるので、姉には帰ってもらおうと思っていたがそれを言うのを忘れていた。そんな遅くまで、ほんまにすいません。
ヨメさんは10時前までいてくれた。
一番に話したのは、「早く回復して目標持ってがんばらなあかんし、12月18日の『沖縄100キロ』申し込んだわ。真樹が応援に来てくれるし。」
「そんなことはどうでもええ」とヨメさんは一蹴。
実はほかにもいっぱい話したはずだがほとんど覚えていない。麻酔のせいちゅうことにしとこー。
手術室から戻って一番痛かったのは、メスを入れた首ではなく左ひじ。首はテープぐるぐる巻きで、軽く絞められてる感があったがそれほど気にならなかった。ところが左ひじがちょっと動かすだけで痛む。これは手術中窮屈な姿勢をとり続けていたからだそうだ。こんなこともあるんですね。
さっそく、ゴールドフィンガー・ますみさんのマッサージ。すると、あーら不思議。痛みがみるみる取れていった。持つべきものはゴールドフィンガー、もとえ、愛情あふれるヨメさんです。
また心配していた左ひざも痛まなかった。よかったよかったと思っていたら、今度は腰。私は横を向かないと寝付けない。ところが、手術後は真上を向いたままで寝返りも打てない。腰に強烈な痛みが出て、まったく寝られなかった。どんな痛みかというと、100キロウルトラの90すぎからの痛みのような・・・。(あっ、たいてい90キロ手前で収容されてたことを忘れてた。)4時すぎにやっと右に向くことができ、2時間ほどだけ眠ることができた。
7時半すぎに朝ごはん。
私は5分がゆ。この匂いでゲーが出そうになった。しばらく待つとそれもなおってきたので、なんとか食べることができた。
私が首から下げているのはドレーンというものらしい。
「ドレーンという液が体から出てるんですか。」
「いえ、この入れ物をドレーンというんです。」
「ほなら、出ている液は?」
「血液です。」
「ガーン!」
なんや赤いもんが入れ物いっぱいにたまっとると思ったら、ちーですか。わしゃ、首からちーぶらさげて歩いとるんですか。ああ、おそろし。
12時からお昼ごはん。
今度はゲーにならず、おいしくいただけた。
お昼前と言われていた診察は午後1時半ごろに。
クビぐるぐる巻きのテープを外してもらったら、かなりかぶれていたようだ。私、こう見えて肌弱いんです。
はりなおしてもらったテープは薄くて透明。首の切ったとこがよう分かりますねえ。
首の下から出ているチューブは血液を流しとるもの。ああ、おそろしおそろし。
2時すぎにヨメさんが来てくれた。
かわいい花を持ってきてくれたのだが、入院説明書に「お花などはご遠慮ください」と書いてあった。せっかく持ってきてくれたのにちゃんとゆわんかってごめんね。
雨が降ったりやんだりの変な天気。
ヨメさんは、「きくちゃんのお散歩、どうしょうかなー」と言いながら帰って行った。もう、きくちゃんは私のことを忘れているでしょうね。前の公園に連れてきてほしいけど、土日ともバイトさんは来れないそうだ。ヨメさんが店にずっとおらなあかんし、きくちゃん連れて来れへんやん。ああ、残念。
6時すぎに晩ごはん。
大嫌いな野菜ジュース、しんぼうして飲みました。その代わりお口直しに地下の高いコーヒーを買いに行ったら、100円玉がコロコロと自販機の下へ。あーあ。
「日輪の翼」は昨日の手術前に177ページまで、今日の晩ごはんまでに222ページまで読めた。手術後は、本を読む元気もないかもしれんと心配だったがだいじょうぶ。明日からヒマみたいなので、残り160ページ一気に読んでしまいたいねえ。
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2016年10月04日(火)
手術終了 [病院]
嫁です
さすがに手術後なので
ブログ更新はできません
それではご心配いただいている読者の方に
申し訳ないので
代わりに代筆させていただいています
手術は午後2時ごろから始まったものと
思われます・・・
終わったのは
予想時間をはるかに超える
午後8時も過ぎまして
担当医の先生
ぐったり
報告いただきました
とても大きな腫瘍で
神経を触らないよう
慎重に慎重にとっていただき
すべてとれました
とのことです
ですが途中出血がとても多く
治療方針を途中変更したりと
かなり
手こずられたようです
でも
いちおう
無事かえってきました
ご心配いただき
本当にありがとうございます
また
本人
書けるようになったら真っ先に
ブログ書かせていただくと思います
ほんとうにありがとうございました
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手術、行ってきまーす [病院]
「ねえちゃん、写真頼むわ。」
「えー、こんなん撮るん。」
「そら、撮っとかな。この先、何が起こるか分からんからな。」
「だいじょうぶですよ。心配いりませんよ」と看護師さん。
「それがね、ボクはめったに起こらん悪い事がよう起こるんですわ。」
「そうなんですかー。」
「でもね、一番ええヨメさんが当たっとるからほかのことはしゃーないんです。」
看護師さん、返事に困り無言。
「これ大事なとこやし、ヨメさんにゆうといてな。」
「分かった、ますみさんにゆうとくわ。」
1時10分すぎ、姉に見送られ手術室へ。
それにしても、最近にないいい笑顔ですねえ。
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手術日の昼 [病院]
もうすぐお昼の12時、昼食の時間。
もちろん私は朝食抜きで昼食も抜き。水(お茶)も10時で終了。
何もしてへんのにはらへったー。
左ひざはしんぼうせなしゃーないみたい。
「手術後がもっと痛むかもしれませんねえ」と看護師さん。あーあですわ。
4人部屋の1人分空いていて、1人は今日の朝退院された。もう1人の寝言のひどい若者は、リハビリに行かれたようだ。私は静かになった病室で読書三昧。昨日は40ページしか読めなかったのに、今日は2時間ほどで100ページを超えた(ここまで142ページ)。作品に入りこめたら、そんなに読む力は鈍っていないようだ。
「付き添いはどうしてたらいいんですか」とお聞きすると、「病室で待っていてくださったらいいです」とのこと。
午後1時半に手術室に入り、実際の手術は2時半から4時半くらい。麻酔から覚めるのが6時ころらしい。そんなに長い間待ってもらうのも気の毒やねえ。
あと1時間はあるし、40ページくらい読めるかな。
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手術日の朝 [病院]
朝が来た。
夜はお向かいさんの寝言に悩まされたが、まあまあ寝られた。
それよりも左ひざ。
おととい、京都走ろう会例会でプチ出店。帰ってきて商品を店に戻すとき、足元が見えずダイビング。右ひじと左ひざを強打した。しかし、すぐ冷やしたので痛みはましになった。昨日の診察の時も一番にその話をしたのだが、笑い話で済んでしまった。
ところが昨晩、寝返りを打つたびに左ひざが痛み目が覚めた。
「痛み、ひどなってるやん!」
今日も朝一番に、まわってこられた看護師さんにそのことを話した。
「打撲の痛みって、2、3日目が一番痛くなるものですよ。診てもらうのは手術のあとになると思います。一応、報告はしておきますが・・・。」
往生際が悪いみたいだが、ほんまに痛いねん!
高校同窓会欠席のメールを入れようとしたら、同窓会掲示板がえらいことになっていた。変なメールが2000以上。これでは私がメールを送っても読んでもらえないでしょうね。
私が書きたかったこと。
「卒業していないと思われる大道君のこと知っている人はいませんか。」
高1の時仲良くしてくれた大道(だいどう)君。元体操部で、私に体操のことをいろいろ教えてくれた。でも秋くらいから学校に来なくなった。そのあとどうなったか知らない。どうして探しに行かんかったかなあ。あんな仲良くしてくれていたのに。それが今でも心残り。卒業してなかったら、もちろん名簿にも残っていないでしょう。
ああ心残り。そんな手術日の朝でした。
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2016年10月03日(月)
けっこういそがしい手術前日 [病院]
朝、ヨメさんがいつも乗る8時25分のバスでいっしょに出発。
「きくちゃん、お見送りしてやー。」
「しぶしぶ・・・。」
国際会館から地下鉄で、私は「鞍馬口」、ヨメさんは「烏丸御池」へ。
1階で受付をすると、「健康保険証の期限が切れてます」。
「そんなあほな・・・」と言い返すと、「・・・、見まちがっていました」。
かなり待たされてやっと手続き完了。
2階の耳鼻咽喉科へ。
窓口の係の方からいきなり「藤井さん、1階で声をかけてから来てくださいましたか」。「もちろんです。」
また「えー、1階で声をかけてから来てくださいました?」「だからもちろんですよ。なにをおっしゃってるのか、まったく意味が分かりません」。かなりムカッと来た。
いまだに、この係の方が何を聞かれていたのかよく分からない。
6階のホールで、担当看護師さんから入院(入室)に関する説明。
この方は、とてもていねいで分かりやすく説明してくださった。
外の景色を見ると、少しホッとする。
南側の公園は病院の敷地だそうだ。ここへの散歩は、看護師さんに声かけさえすけば行っていいらしい。きくちゃん、連れてきてもらおうっと。
病室は605号室(4人部屋)。
その時は気づかなかったのだが、6月に父が入院していた部屋のお隣。奇遇ですなあ。
さっそくパソコンを開くと、兵庫・ゆめさき舎の松本さんから応援メールが来ていた。いつもいつもありがとうございます。でも松本さん、またうちのヨメさんが「まっちゃんがアンタ葬式の出してくれるらしい」と期待しとる。きーつけなはれやー。
小雨が降っていたのだが、こんな天気の日でも京都タワーがくっきりと見えた。
病室でパジャマに着替えた後、まずは体温、血圧の測定。
そのあとに、麻酔科から全身麻酔の説明に来られた。
「手術の準備が整いますと、点滴をとります。」
「えっ、手術前に点滴してるってことですか。」
「いえいえ、準備ができたら点滴をとります。」
「だから、午前中から点滴が入ってるんですよね。」
「いえ、入ってはいません。」
「あー、あー分かりました。病院では点滴を入れることを点滴を『とる』というんですね。でも、それは一般の人には分かりませんよ。」
「あっ、失礼しました。そうですね。指摘していただいてありがとうございます。これから、点滴を入れると言うことにします。」
お楽しみの給食!
病院では「給食」とは言わんか。
なんやしらん、めちゃおいしい。お腹にしみるしみる。
そのあともまた何やかやと看護師さんが来られ、昼寝したろと思ったが無理やった。
念願の「日輪の翼」も40ページまでしか進まなかった。
「シャワーを浴びてください」と言いに来られたのは2時。
「こんなはように入ったら、また汚れるがな。手術後も当分入られへんのに、せめて夜に入りたかったなあ。」
ふつうの車イスランナー下山さんといっしよに走ったレースの参加賞のバスタオル。いつも沖縄のマラソンに出ると応援してくださる玉城さんにもらったラムネ菓子。この二つもお守り代わりに持ってきた。このごろメールくれはらへんけど、元気にしてはるかなあ・・・。
3時から家族とともに手術の説明ということだったが、今日の手術のかげんで4時半以降に変更された。
4時半ちょっと前、みき江姉、多鶴子姉がそろって登場。上の姉はこのブログにもたびたび登場するが、二番目の姉が登場するのはめずらしい。「すわ、弟に一大事!」ということで飛んできてくれたんですね。
執刀医が来られて、説明が始まったのは5時15分ころ。これ以上ないというくらいていねいな説明で、予定よりかなり長く1時間を超えた。
私は3つの質問をさせてもらった。
1.反回神経麻痺が起こると、水を飲むときむせ返るのはなぜか。
2.副甲状腺の機能が失われると「一日も生きられない」とはどういうことか。
3.腫瘍が大きい場合、鎖骨を外して切り取るとおっしゃっていたが、その可能性は。
すべて明確に答えてくださった。ここには書ききれないので、興味ある方は私に会った時に直接聞いてください。
最後に先生から、「手術が心配で心配でどうしても寝られない場合は遠慮なく言って来てくださいね」と。
「ボクはそれは全然だいじょうぶだと思うんですが、手術後麻酔が切れたときの痛みが心配で・・・。」
「それは心配するほどのものではありません。筋肉痛に似た痛みです。痛くてどうしようもない痛みになるのは、出血が止まらなかった場合・・・。」
ここで終わりかけていた話がまた続いてしまった。
説明のほとんどが、リスクについての説明であったと言っても過言ではない。「そんな話は聞いてなかったというのを防ぐために、聞きたくないこわい話ばかりだとは思いますが聞いておいてくださいね。」
患者もたいへんやけど、最近は病院もたいへん。そんな中で、「きちんと説明できる」お医者さんは信頼できる。
あとでヨメさんからのメールを見ると、「明日、仕事を休んで手術の付き添いに行く」と。でも、今日の1時間以上の話を聞いたものでないと付き添っても意味がない。その気持ちはものすごくうれしいが、弟のために一肌脱ごうと思ってくれている姉に任せても何も悪くないと思う。姉たちも、ヨメさんが勉強と仕事に日々四苦八苦していることはよくよく知っているのだから。きっと、「こうじごときに煩わされんでいいでー」と言うと思う。
説明から戻ると6時半ころ。
「はらへったー、さあ最後の晩餐、味わうでー。」
これがまためっちゃうまい。たぶん5分くらいで食べ終わってしもた。
「最悪中の最悪の場合、これがほんまの最後の食事になるかもしれんのに、少ないやろー」と叫ぶ。
「そや、金平糖とラムネがあった。」
すぐさまこの秘密兵器を投入。ちょっとはすきっ腹に効いたが、しばらくして胸やけ。
病院に入ってもアホなことをしているパオパオでした。
明日はブログ書けるかしらん・・・。
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2016年10月02日(日)
さらば [病院]
きくとは明日から9日間お散歩ができなくなる。
「記念写真撮っとこー。」
なんかうまいこと撮れませんにゃわ。
「ひひひひひ・・・」ってゆうとるやろ。
「はーはーはー・・・」かな。
雷鳴ったらこんな恐がりのくせに。
手術に付き添ってくれる私の姉がヨメさんに言ったそうな。
「こうじは気が小さいから強がってるだけやし・・・。」
それに続くであろう言葉は、「そやし、かんにんしたってな」かな。
きくちゃん、いっしょやな。仲間、仲間。
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京都走ろう会例会〜走って走って天国へ〜 [ランニング]
9月に予定されていたKRC駅伝が雨のため今日に延期。夫婦そろって参加させてもらった。1組4人の申告タイムを上手に組み合わせ、各チームが平均されるようにチーム編成をしてくださる。1区1.4kmで一番遅いヨメさんと、最終4区4.8kmを速いタイムで申告した私が同じ「第5チーム」になった。
松山会長の話。
「うちの区民運動会には1.5kmほどのロードレースがあって、毎年30人ほど参加されてます。ぼくはいつも2位で一回も1位にはなれへんかったんやけどね。できたら70歳以上の部をつくってもらえへんかなあって思ってるんです。プログラムには『走って走って天国へ』って書いてもらって・・・。」
「いや、それよろしいやん。今日のブログの題にもらいます、『走って走って天国へ』。いやー、今日の駅伝ゴールして天国行けたらなあ」と私。
「保険入ってませんよ。」
「もちろん自己責任で。」
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【1区、1.4km】
わがチームの1区は藤井眞寿美選手。
もちろん応援に行きました。
一走は、バラエティに富んだメンバーだった。
そこに現れし、佐藤光一さん。
今日は駅伝を回避されたらしい。
スタートしてしばらくは、保坂さん、吉田出さんに次ぎ、ヨメさんは3位をキープ。
しんどいゆうとったのに、どうなっとるん?
倒れんといてやー。
土手の上を並走。
トップの保坂さんは追い付けず。
2番手の吉田出さんから写真を撮らせてもらった。
3番手は岩田さん。
ヨメさんは、北大路橋でもまだ4位。
無理してへんかなー、心配。
後ろから刺客が追ってくる。
やはり後半に抜かれ、ゴール前はだいぶ離されてしまった。
それでも最後まで「きれいに」走ってます。
全6チーム中、想定通りの第6位。
しかし、申告タイム12分に対して7分45秒でタスキリレー。先頭とはわずか1分40秒ほどの差。がんばりすぎです。
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【2区、3.1km】
出雲路橋の下のネコちゃんをかまったあと、2区の坂口選手の応援。
坂口選手は、半分も行かないこの時点で4人抜き。すごい!
なんと坂口選手は、前を全員抜いてトップでタスキリレー。
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【3区、3.1km】
わがチームのキーは、この3区の齋藤選手。
一人に抜かれはしたものの、そんなに離されずにタスキリレー。
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【4区、4.8km】
アンカーは私。
先頭とは20数秒差。ここは落ちついてじっくりと。
1kmも行かないうちに先頭を抜くことができた。あとはアクシデントを起こさないように確実な走りを。
上の写真は鴨川左岸を北上する私。ヨメさんが撮ってくれたのだが、小さすぎてなんだかよく分からない。
4分34、4分46、4分56、4分42 、3分19で22分18秒。
短い距離を飛ばす練習をしていないのと今日の暑さを考慮して、4.8kmを22分で申告していた。この結果ならまあまあですか。(区間1位はポップさん21分53秒、区間2位堂本さん22分00秒、私は区間3位。)
ヨメさんが「写真撮れへんかったー」。
それを聞いておられた齊藤さんが、「もう一回ゴールしてください、写真撮りますから。」
みなさん、ご協力ありがとうございました。斎藤さんもありがとう。
おかげさまで、優勝のテープを切る写真ゲットです。
「走って走って天国へ」、また冥土の土産が一つ増えました。
今日もプチ出店。
お買い上げいただいたお客様、ありがとうございました。
さあ片付けようかという時、鴨川を使った別の大会に出ておられた相馬さんが顔を出してくださった。
「あれ、もうゴールしやはったんですか。」
「いや、今レース中。藤井さんを励ましに来たんや。」
「えー、そうなんですか。ありがとうございます。」
「がんばりや。」
「がんばります。」
その様子を見ていたヨメさんは、訳が分からずキョトンとしていた。
たしかにね。こんなありがたいことってあります?
相馬さん、ほんとにほんとにありがとうございます。
そのほか多くの方から励ましのお言葉をいただいた。
すいません、みなさんのお役に立てていない私なのに、あたたかいお言葉ありがとうございます。
必ずバージョンアップして復活しますから、待っててくださいね。
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【追加】
今朝、寮2(出町)から朝帰り。
ヨメさんが「郵便来てるでー。」
ああありがたやありがたや、「謎の絶世美人」からの励ましのお手紙とお守りと金平糖。これは病院持って行かなあかんね。
金平糖は手術後何日目から食べてええんやろ。お医者さんに聞かんならんなあ。
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2016年10月01日(土)
入院手術の予習復習 [病院]
今日は寮2(出町)、24時間。
今までずっと避けていた「入院のご案内」を、やっと読む気になった。なんちゅうたってあさって入院ですから。
いろいろ書かんなんもんがあり、それにけっこう時間がかかった。中でも「質問表」というのがあり、その中の「家族構成をお書きください」というところで止まってしまった。
「妻」と書いたら、「アンタの妻になった覚えはない」と言い張るやつが・・・、もとえ、言い張るべっぴんさんがいてはります。
それに廉は結婚して独立したから外すとして、沖縄にいる真樹はどうなるん? ここに書いても迷惑かけてしまうだけやし・・・。いっそ「家族なし」って書いとく? いやいや、「祖母・きく」ちゅうのはどう?
そんなこと考えながら記入しているので、なんぼ時間がかかるか分からん。ほんまに・・・。
入院手術は、スケートでこけて顔面骨折して以来13年ぶり。でもほとんど変わりはないみたい。手術前は水も飲んだらあかんかったけど、最近は水とかお茶はええらしい。変わったんはそれくらいかなあ。ついでにジュースもええことにしてもろたらうれしいんやけど、それはあかんらしい。(私のことなので、またスカタン読んでいる可能性大。)
ああ、とにかくはよ終わってほしい。
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声が出ないニャー [わんこ・にゃんこ]
ニャーちゃんな、ものすごええ声でないてたのに、このごろ声出んようになってん」と姉。
「ひょっとして、甲状腺の手術した?」と私。
「ネコに甲状腺はない」と義兄。
「またそんなええかげんな、そんなことないやろな。」
昨日の夜、手術の身元引受書を書いてもらいに姉夫婦の家に行った。そしたら、さっそく病院ネタの会話。かなんわー。
ニャーちゃんは元野良猫。姉夫婦が飼いだして8年になるというので、今10歳くらいだろうか。
「こうじ、ニャーちゃんかわいく撮ったってやー。」
さてかわいく撮れたかどうか。
ニャーちゃんは猫柄がよく、見知らぬ私に対してもなついてくれた。抱っこも全然だいじょうぶ。
最初はおとなしかったが、私の帰り際には「あまがみ&キック、パンチ」の応酬。ニャーちゃんなりのおもてなしだったんでしょうね。
たしかに「ニャー」の口になっているのにその声は聞こえてこなかった。ちょっとかわいそうな気もした。
その反面、ふだん穏やかな姉があの「豊洲問題」を熱く語っていた。30年以上ゼネコンに勤めていた経験が黙らせていないんでしょうね。
手術の時の付き添いも姉に頼んだのだが、意外と勢いのある姉の姿を見て安心した。これは心強い。「知り合いでおんなじ手術して、声がほとんど出んようになった奥さんがいやはんにゃけど」はちょっと余分な気もしたが・・・。
もし私の手術後、声が出にくくなったらニャーちゃんの仲間やね。
いっしょやいっしょや・・・。
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2016年09月30日(金)
第81回勝手に国労応援ラン [ランニング]
「9月は30日までかー・・・、おっ、今日で終わりやん。」
ということで、急きょ「勝手に国労応援ラン」。
遠くに行く時間もないし、また京都駅かという感じだったが「東福寺駅があるやん。」
夕方から叡電、京阪を乗り継いで東福寺駅へ。
京都精華大前5時ちょうどは乗り遅れ、5時13分発。
出町で京阪に乗り換え、東福寺に着いたのは5時50分。
330円+270円で600円。37分で着いたので速かったが、昨日の晩ごはんが550円だったことから考えるとちと高い。
京阪とJRとは駅がつながっているので、そのまま西側に出られるものと思っていた。ところがどっこい、西側には出られない。
遠回りして行こうとしたら、京阪もJRも踏切にかかってしまった。
鴨川まで500mほど。そこで思案。川端通を走るか、鴨川河川敷を走るか。信号待ちがないので、やっぱり河川敷ですね。
ここで記念写真。このあたりは人がおられなかった。
この左岸からずっと北上。家までだと距離がありすぎるので、適当なところで打ち切る予定。
駅構内を迷走したり、踏切にかかったり、写真を撮ったりしていたので、最初の1km9分10秒。
すでにだいぶ暗くなっていたが、何人ものランナーとすれちがった。南下してくる人が多く、北上組は少ないように思った。
橋の上に電車が停車。
これどういうことなんでしょう
2km、15分07秒(5分57秒)。
河川敷に街灯はないが、お向かいの料亭の灯りである程度明るい。
四条大橋を過ぎたところで3km、21分18秒(6分10秒)。
座っている人たちがみなスマホを前に突き出しているので、狭いところは走りにくい。スマホを蹴飛ばしそう。
4km、27分30秒(6分11秒)。
府立病院の裏あたりで5km、33分44秒(6分14秒)。
6km、39分45秒(6分00秒)。
○ナート前で7km、45分57秒(6分12秒)。
川端搬入口に○舘さんがいたので、道路の向かいから声をかけた。
「来週入院して手術しまーす。」
「元気になって戻ってきてください。」
8km、52分16秒(6分18秒)。
叡電・修学院駅到着、8.86km、57分57秒。
これで十分。ここから叡電で帰ろう。
修学院から京都精華大前は260円。
駅を出ると大雨。
「ついさっきまで降ってへんかったのに・・・。」
とりあえず、9月の「勝手に国労応援ラン」ができてよかった。暗い中を走ったので、「アピールラン」にはならなかったけれど。
来月は退院後ということになるが、滋賀の東海道本線の続きを走りたいなあ。
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