2016年10月08日(土)
優良患者 [病院]
外泊届は、今日の20時に戻るように記入した。それが一応の門限だと言われたもので。
ヨメさんに送ってもらい、病院の6階に戻ったのは19時55分。まあなんて模範患者のような・・・。
部屋に入ると姉からの置手紙。
「廣司へ
3:15頃来たのでですが、不在の為帰ります。
みかんとヨーグルトなどを持ってきました。
食べてください。 みき江」
急いでホールに行き、姉に電話。
「こうじです。今日来てくれたんやな。ありがとう。昨日先生から外泊していいって言われて、家に帰っとってん。そんでまた今、病院に戻ってきたとこ。」
「ああ、そうやったん。看護師さんに聞いても、『トイレかお風呂に行ってられるんでしょうかねえ』言われて・・・。」
「なんでやねん、ちゃんと届けだして外泊しとるっちゅうねん。」
「そらそうやわなあ。勝手に帰ったら行方不明でえらいことになるもんなあ。」
「ほんまやで。ちょっとええかげんやなあ。みかんやらヨーグルトやら、今から食べさせてもらうわ。おおきに。今日病院に泊まって、また明日の朝家に帰るねん。連泊があかんちゅうことで、病院と家と行ったり来たり。そやし、もう病院来てもうてもおらんことのほうが多いと思うわ。」
「そうか、分かった。ほんならまた、店にでも行かせてもらうわ。」
「はい、ありがとう。」
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朝のお散歩を、きく・ヨメ・パオパオで。
夜は時々あるのだが、朝にこのトリオで散歩に出かけることはまずない。とにかく、はようきくちゃんに私のことを思い出してもらいたいんです。
せっかくヨメさんの専門学校が休みなのに、うちのバイトさんもずっと休みで一家団欒ができず。
ヨメさんは11時から「京都キャロット」へ。私はお昼、一人さびしく食べることに。
昨日「スーパーなかむら」で買った240円が半額の120円になっていた鯛。これはうまかった。
そうそう、「スーパーなかむら」では、お守りと金平糖をくださった謎の絶世美人さんに遭遇。何べんも何べんも「足あるか」と聞かれた。
病院から一時外出してスーパーに行き、そこであんなふうに会う確率ってすごい低いはず。ご縁があるんですねえ。
昼からはお買い物。
沖縄で親しくしていただいた、リゾートホテル・ベルパライソの★の砂さんの娘さんの誕生祝い。明日でもう4歳ですね。
だいぶ時間をかけて選んだが、けっきょく自分の好きな本にした。新実南吉の「てぶくろをかいに」。
うちの廉は、新実南吉の「うた時計」に出てくる廉少年から名付けたという解説付き。ついでに真樹やヨメさんや私の近況も付け加えておいた。
沖縄で拾われたごんちゃんが、環境が大きくちがう土地で元気にしているかが心配。ほんまにほんまにごんちゃんに会いたいわー。
おまけとして、うちのかわいいかわいいにせシェパード・きくの写真も入れておいた。これはもらってもしゃーないかなあ。
きくといっしょに北郵便局へ。
レターパックライト(360円)にきっちり入ってよかった。
明日が娘さんの誕生日なんで、明日に届いたらいいのにな。
店に戻っても、きくは店に入りたがらない。車に乗って帰りたがる。
「きくちゃん、ちゃんとお仕事しやな。」
私が店にいるときに、私の大好きなご夫婦ランナー・中島徹・寛子さんがご来店。ダンナさんが大阪マラソンに当たり、新しいシューズを買いに来られたようだ。
うちの店は不便なところで、中島さん宅は市の南部。暗くなってあたりも見えにくくなってきたので、「便利のいいところまで送らせてもらいます」と申し出た。ところが奥様のほうが固辞される。あとでよく聞いてみると、病院から一時帰宅している私の運転を不安に思われていたようだ。そらそうです。逆の立場やったら私も考える。
そのあと車の中でも面白い会話があったのだが、それはここには書けんなあ。一つ言えることは、「奥さん、めっちゃおもろいやん。」
またもや、晩ごはんも一人さびしく。
そこらにあったもんを急いで食べて。
お風呂に入ったあと、ヨメさんに病院まで送ってもらった。
今日は私の高校の同窓会。
同級生の誰かが、このブログを見てくれたらうれしいんやけど・・・。
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2016年10月07日(金)
まさかまさかの・・・ [病院]
「なに、なに、どしたん。なんで・・・。」
「不良患者で退場!」
「えっ、もう退院したってこと。」
「なんでやねん。先生がな、『もう何もすることがないんで外泊しますか』ってゆってくれはってん。」
ヨメさんをビックリさせようと、きくと散歩しながらバス待ち。こんな日に限って、ヨメさんはいつもより30分以上遅い13時44分着のバスで。不審がるきくとぎょうさん散歩しましたわ。
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昨夜、「日輪の翼」(382ページ)読了。
紀州・熊野の路地(被差別部落)の立ち退きによる施設行きを拒んだ7人のオバらが、4人の若衆とともに改造冷凍トレーラーで全国の聖地を回る物語。読みごたえがあったが、エロい場面が私には想像できなくて困った。その方面は勉強不足です。もう一度演劇を見て、もう一度この本を読んでみたいと思った。
今回の入院は読書合宿のつもりで来たので、まずは目標の第一冊目が読了できてよかった。
朝6時に起きると、ちょうど日の出の時刻。日輪さんを写真に撮ろうとしたが、東向きは病室ばかり。「すんまへんな」と言って入っていくわけにもいかず。南向きの窓から辛うじて撮ることができた。
このあとすぐ、ナリケンに「22歳の誕生日おめでとう」のメール。
ナリケンは今、鞍馬口病院の斜め向かいに住んでいるそうだ。返信メールは公開しないが、その中に「心の支え」という言葉が使ってありほろっとした。私のメールは、変なオッサンからの迷惑メールではないってことやね。よかった。
今日からおかゆではなく普通食と聞いていたので期待していた。
「パパパ、パンやん!」
ガックリでした。
今日の診察は9時半から。
首から出る血を受けているドレーンを外してくださった。
「もうこれで、抜糸して退院するまで何もすることはありません。病院にいても退屈なので、外泊しますか?」
「えっ、いいんですか。」
前に同窓会断念の記事を書いたとき、たなさんという方が「入院中でも、外出届出せば院外に出られることがあります。 一度担当医に聞いてみては? 何でも諦めないで!」とコメントを入れてくださった。
でもその時は、「たった9日間の入院やのに途中で外泊はないやろう」とヨメさんと話し合っていた。二人ともほとんど入院したことないから、分からんかった。
今日の昼食後自宅泊。土曜の夜8時に病院に戻る。
日曜の朝食後自宅泊。月曜の夜8時に病院に戻る。
火曜の朝診察で、抜糸、退院。
外泊の連泊がダメということで、ややこしいスケジュールになった。
昼食にやっと普通のごはん。
「おなつかしゅうございます・・・。あっ、また玉子のおかず!」
12時すぎ、久しぶりのパジャマ以外の服を着て病院出発。
地下鉄鞍馬口駅から国際会館駅。そこから京都バスで地球研前。
1時ごろ家に着き、きくちゃんを呼んだ。
「きくちゃん、きくちゃん・・・。」
「えーっと、どなたでしたっけ。どこかでお見かけしたような・・・。」
「きくちゃん、おちゃんぽ。もうすぐオバサン帰ってくるし、お迎えにいこ。」
きくは「おちゃんぽ」と「オバサン」に反応し、重い腰を上げてくれた。
最初しっぽが下がっていたが、歩き出したら思い出したようで「しっぽ、ピン!」
地球研前ではネコちゃんも出迎えてくれた。でも、ガリガリやね。だいじょうぶかな。
13時12分、18分、24分着からは降りて来ず。次は44分着なので、今日は「京都キャロット」1時半の開店時刻に遅れるようだ。実習やゆうとったからな。
「しゃーないわ、きくちゃん。そこらぐるぐるおちゃんぽしょー。」
「はーはーはー・・・。」
13時44分。
「きくちゃん、オバサン乗っとるー。行けー。」
「なに、なに、どしたん。なんで・・・。」
きくはしっぽぶんぶんぶーん。
「時間おそなってるし、車で店まで送っていくわ。きくはもういっぱい散歩したし。」
店に連れていくと、きくは物陰から私を見ていた。
あれは完全には思い出しとらんな。晩にへこらしたるしかないか・・・。
家に戻って久しぶりのシャワー。
黒い汁が出るかと思ったら、それほどでもなかった。
火曜絶食、木金おかゆだったので、体重が60kg切り。こらええわ。おかゆダイエットやねえ。でもなんか、力が入らん。今晩は久しぶりに愛妻の手料理を・・・。
私の大好きな茶碗蒸し、ほんとは玉子料理なので胆のう炎にはよくないが、今日は特別に作ってもらった。おいしかった。
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高校同窓会の件は、世話人をしてくれている河原君のメルアドが分かり連絡。そしたらさっそく返信あり。
◇ ◇ ◇
藤井さん
ご連絡ありがとうございます。
明日の積木の会はご欠席とのこと承知いたしました。
明日の会場では、返信はがきや返信メールを閲覧できるようにファイルして開示いたしますので、藤井さんからのメールもプリントアウトして掲載させていただきます。
また、お問い合わせのあった大道さんについては、下鴨中出身の方に聞いてみます。
何か情報があれば、改めてご連絡いたします。
ご入院中とのこと、どうぞお大事になさってください。藤井さんの一日も早いご回復をお祈り申し上げます。
◇ ◇ ◇
さすがです。60過ぎたら、こんなしっかりしてはるんですね。私など、同い年なのにとてもとても。河原君、どうもありがとう。4年後の次回同窓会は、必ず出席させてもらいますから。
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【今日のきく】
今日の夜は、ひさしぶりのきく・ヨメ・パオパオ。
きくもヨメさんもむこう向いてますけど・・・。
みんなでコンビニへ。
きくちゃんはうれしくてうれしくて、すごく張り切ってました。
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2016年10月06日(木)
新聞中毒 [病院]
今日の朝、ヨメさんが専門学校に行く前にこの3日分の新聞を持ってきてくれた。
毎日新聞と京都新聞の2紙の朝刊夕刊をそろえて持ってきてくれた。さぞ重かったろうに。
ヨメさんからは、ずっと前から「新聞は1紙にし」ときつく言われている。しかし、私が「文化的なもの」に触れる機会は新聞くらいしかない。そこは聞き入れず、毎月8000円の新聞代を払い続けている。ひとからやめろと言われてやめられないところは、「中毒」の一種と言っていいのかもしれない。
久しぶりの新聞にうれしくなって、2時間ほど新聞を読み続けた。すると、麻薬の急激な大量投与と同じようなものか頭がクラクラしてきた。禁断症状が出てからの大量投与に注意・・・てか?
今日は「日輪の翼」を読了する予定が、活字拒否反応。まあ次から次と用事あったので、次第に元に戻りますかねえ。
昨日は5分がゆだったが、今日は全がゆ。
胆のう炎にタブーの玉子のおかずだったが、いらんこと言っておかず減らされたらかなんのでそのまま食べた。
これで腹持ちはよくなるかなあ。
今日は10時半から診察。
先生がいきなり、「痛くて動かせないひじを奥さんがマッサージしてくださったって、なんていい奥さんなんでしょうと評判になっています」とおっしゃった。
「そうでしょう、いいヨメですにゃわ。」
夜中に無意識のうちに首元をかいていたようで、赤く腫れあがっていた。薬を塗ってもらい、そこにガーゼも当ててもらった。
それと、これも無意識のうちだが首の下のチューブも夜中に引っ張っていた。我ながら「なにすんねん」という感じ。ちょっと、不良患者になりかけています。
お昼前に兄夫婦、昼すぎには多鶴子姉も来てくれた。昨日の午後にはみき江姉も来てくれたし・・。私は、姉や兄に対して今まで何もしてこなかったのに。ええか、末っ子やし。
そうそう、洛北高校第23回卒業生同窓会の掲示板がなおっていた。メールしとこ。
◇ ◇ ◇
1の10、2の1、3の1だった藤井です。今回の参加予定者の中に洛北高校のダスティンホフマンこと坂井田君と3年の時に仲良くしてくれた古屋君の名前があったので、ぜひとも参加したいと思っていました。ところが胆のう炎の疑いでCTスキャンを撮った時に、甲状腺腫瘍が見つかりおととい(10月4日)に手術してもらいました。現在鞍馬口病院に入院中で、同窓会には参加できません。
先の二人に会えないのも残念ですが、もう一人気になっている人がいます。1年の時、友だちがいない私に仲良くしてくれた大道(だいどう)君。途中から高校に来なくなったので、卒業生名簿にはないと思います。下鴨中出身なので、誰か大道君のことを知っていたら教えてほしいです。
現在の私についてはブログ「パオパオだより」を見てください。http://blog.kyoto-carrot.com/
◇ ◇ ◇
それから、明日10月7日は真樹の元同級生ナリケンの誕生日。明日の朝、忘れんようにメールしよう。よう考えたら、ナリケンの大学、私の入院している病院の北隣やん。会いに行きたいねえ。
も一つ。元ベルパライソの★の砂さんの娘さん・あーちゃんの誕生日が10月9日。今年も絵本をプレゼントしようと思ってたのに、入院騒動で準備できず。退院したら一番にそれをしよう。
世話になった兄弟へのお礼はあとでええかなあ・・・。
少したってからもう一度同窓会掲示板を見ると、早くも迷惑メールが7000以上の大荒れ。これで私のメールも消えてしまうんでしようね。幹事をしてくれている河原君の個人のメルアドも書いてあったのに、そっちに送ればよかった。そのメルアドも今は消えている。あーあ。
昨日の夜、「日輪の翼」はけっきょく262ページまで読んだ。
今日は活字中毒に陥りもうダメと思っていたが、現時点(夜8時前)で300ページ超え。あと80ページ、読んでしまいますかねえ。
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2016年10月05日(水)
記憶をたどって [病院]
昨日の午後1時20分ごろ、手術室の待合へ。
しばらくして麻酔担当の方が来られた。
「昨日説明させていただいた○○です。よろしくお願いします。まず、お名前を言っていただけますか。」
「ふじいこうじです。」
「あれ!?」
そう言って、その方は急いで出て行かれた。
「そういや、今のでっかい女の人、見たことないなあ・・・。」
しばらくして見覚えのある小柄な女性が入ってこられた。 「担当の○○です。」
「へー、さっきのことはなかったことにしようちゅうわけか。下手したら、甲状腺腫瘍とちごて心臓取られとったかもしれんなあ。」
そうそう、これが私の「めったに起こらん悪い事がよう起こる」ちゅうやつです。ああ、心臓取られんかってよかった。
13年前の全身麻酔は「3、2、1、ハイ」という感じで眠りに落ちたが、今回は「そろそろ眠くなってきましたか」「そうですね、ちょっと」とか会話ができるくらいだった。またやり方がちがうんでしょうね。
このあと全身麻酔が覚める8時すぎまで、当たり前だが記憶なし。夢も見ないので、死んでいるのと変わらんのかもしれん。
目が覚めたら、姉とヨメさんがいた。
ヨメさんが夕方からくるので、姉には帰ってもらおうと思っていたがそれを言うのを忘れていた。そんな遅くまで、ほんまにすいません。
ヨメさんは10時前までいてくれた。
一番に話したのは、「早く回復して目標持ってがんばらなあかんし、12月18日の『沖縄100キロ』申し込んだわ。真樹が応援に来てくれるし。」
「そんなことはどうでもええ」とヨメさんは一蹴。
実はほかにもいっぱい話したはずだがほとんど覚えていない。麻酔のせいちゅうことにしとこー。
手術室から戻って一番痛かったのは、メスを入れた首ではなく左ひじ。首はテープぐるぐる巻きで、軽く絞められてる感があったがそれほど気にならなかった。ところが左ひじがちょっと動かすだけで痛む。これは手術中窮屈な姿勢をとり続けていたからだそうだ。こんなこともあるんですね。
さっそく、ゴールドフィンガー・ますみさんのマッサージ。すると、あーら不思議。痛みがみるみる取れていった。持つべきものはゴールドフィンガー、もとえ、愛情あふれるヨメさんです。
また心配していた左ひざも痛まなかった。よかったよかったと思っていたら、今度は腰。私は横を向かないと寝付けない。ところが、手術後は真上を向いたままで寝返りも打てない。腰に強烈な痛みが出て、まったく寝られなかった。どんな痛みかというと、100キロウルトラの90すぎからの痛みのような・・・。(あっ、たいてい90キロ手前で収容されてたことを忘れてた。)4時すぎにやっと右に向くことができ、2時間ほどだけ眠ることができた。
7時半すぎに朝ごはん。
私は5分がゆ。この匂いでゲーが出そうになった。しばらく待つとそれもなおってきたので、なんとか食べることができた。
私が首から下げているのはドレーンというものらしい。
「ドレーンという液が体から出てるんですか。」
「いえ、この入れ物をドレーンというんです。」
「ほなら、出ている液は?」
「血液です。」
「ガーン!」
なんや赤いもんが入れ物いっぱいにたまっとると思ったら、ちーですか。わしゃ、首からちーぶらさげて歩いとるんですか。ああ、おそろし。
12時からお昼ごはん。
今度はゲーにならず、おいしくいただけた。
お昼前と言われていた診察は午後1時半ごろに。
クビぐるぐる巻きのテープを外してもらったら、かなりかぶれていたようだ。私、こう見えて肌弱いんです。
はりなおしてもらったテープは薄くて透明。首の切ったとこがよう分かりますねえ。
首の下から出ているチューブは血液を流しとるもの。ああ、おそろしおそろし。
2時すぎにヨメさんが来てくれた。
かわいい花を持ってきてくれたのだが、入院説明書に「お花などはご遠慮ください」と書いてあった。せっかく持ってきてくれたのにちゃんとゆわんかってごめんね。
雨が降ったりやんだりの変な天気。
ヨメさんは、「きくちゃんのお散歩、どうしょうかなー」と言いながら帰って行った。もう、きくちゃんは私のことを忘れているでしょうね。前の公園に連れてきてほしいけど、土日ともバイトさんは来れないそうだ。ヨメさんが店にずっとおらなあかんし、きくちゃん連れて来れへんやん。ああ、残念。
6時すぎに晩ごはん。
大嫌いな野菜ジュース、しんぼうして飲みました。その代わりお口直しに地下の高いコーヒーを買いに行ったら、100円玉がコロコロと自販機の下へ。あーあ。
「日輪の翼」は昨日の手術前に177ページまで、今日の晩ごはんまでに222ページまで読めた。手術後は、本を読む元気もないかもしれんと心配だったがだいじょうぶ。明日からヒマみたいなので、残り160ページ一気に読んでしまいたいねえ。
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2016年10月04日(火)
手術終了 [病院]
嫁です
さすがに手術後なので
ブログ更新はできません
それではご心配いただいている読者の方に
申し訳ないので
代わりに代筆させていただいています
手術は午後2時ごろから始まったものと
思われます・・・
終わったのは
予想時間をはるかに超える
午後8時も過ぎまして
担当医の先生
ぐったり
報告いただきました
とても大きな腫瘍で
神経を触らないよう
慎重に慎重にとっていただき
すべてとれました
とのことです
ですが途中出血がとても多く
治療方針を途中変更したりと
かなり
手こずられたようです
でも
いちおう
無事かえってきました
ご心配いただき
本当にありがとうございます
また
本人
書けるようになったら真っ先に
ブログ書かせていただくと思います
ほんとうにありがとうございました
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手術、行ってきまーす [病院]
「ねえちゃん、写真頼むわ。」
「えー、こんなん撮るん。」
「そら、撮っとかな。この先、何が起こるか分からんからな。」
「だいじょうぶですよ。心配いりませんよ」と看護師さん。
「それがね、ボクはめったに起こらん悪い事がよう起こるんですわ。」
「そうなんですかー。」
「でもね、一番ええヨメさんが当たっとるからほかのことはしゃーないんです。」
看護師さん、返事に困り無言。
「これ大事なとこやし、ヨメさんにゆうといてな。」
「分かった、ますみさんにゆうとくわ。」
1時10分すぎ、姉に見送られ手術室へ。
それにしても、最近にないいい笑顔ですねえ。
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手術日の昼 [病院]
もうすぐお昼の12時、昼食の時間。
もちろん私は朝食抜きで昼食も抜き。水(お茶)も10時で終了。
何もしてへんのにはらへったー。
左ひざはしんぼうせなしゃーないみたい。
「手術後がもっと痛むかもしれませんねえ」と看護師さん。あーあですわ。
4人部屋の1人分空いていて、1人は今日の朝退院された。もう1人の寝言のひどい若者は、リハビリに行かれたようだ。私は静かになった病室で読書三昧。昨日は40ページしか読めなかったのに、今日は2時間ほどで100ページを超えた(ここまで142ページ)。作品に入りこめたら、そんなに読む力は鈍っていないようだ。
「付き添いはどうしてたらいいんですか」とお聞きすると、「病室で待っていてくださったらいいです」とのこと。
午後1時半に手術室に入り、実際の手術は2時半から4時半くらい。麻酔から覚めるのが6時ころらしい。そんなに長い間待ってもらうのも気の毒やねえ。
あと1時間はあるし、40ページくらい読めるかな。
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手術日の朝 [病院]
朝が来た。
夜はお向かいさんの寝言に悩まされたが、まあまあ寝られた。
それよりも左ひざ。
おととい、京都走ろう会例会でプチ出店。帰ってきて商品を店に戻すとき、足元が見えずダイビング。右ひじと左ひざを強打した。しかし、すぐ冷やしたので痛みはましになった。昨日の診察の時も一番にその話をしたのだが、笑い話で済んでしまった。
ところが昨晩、寝返りを打つたびに左ひざが痛み目が覚めた。
「痛み、ひどなってるやん!」
今日も朝一番に、まわってこられた看護師さんにそのことを話した。
「打撲の痛みって、2、3日目が一番痛くなるものですよ。診てもらうのは手術のあとになると思います。一応、報告はしておきますが・・・。」
往生際が悪いみたいだが、ほんまに痛いねん!
高校同窓会欠席のメールを入れようとしたら、同窓会掲示板がえらいことになっていた。変なメールが2000以上。これでは私がメールを送っても読んでもらえないでしょうね。
私が書きたかったこと。
「卒業していないと思われる大道君のこと知っている人はいませんか。」
高1の時仲良くしてくれた大道(だいどう)君。元体操部で、私に体操のことをいろいろ教えてくれた。でも秋くらいから学校に来なくなった。そのあとどうなったか知らない。どうして探しに行かんかったかなあ。あんな仲良くしてくれていたのに。それが今でも心残り。卒業してなかったら、もちろん名簿にも残っていないでしょう。
ああ心残り。そんな手術日の朝でした。
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2016年10月03日(月)
けっこういそがしい手術前日 [病院]
朝、ヨメさんがいつも乗る8時25分のバスでいっしょに出発。
「きくちゃん、お見送りしてやー。」
「しぶしぶ・・・。」
国際会館から地下鉄で、私は「鞍馬口」、ヨメさんは「烏丸御池」へ。
1階で受付をすると、「健康保険証の期限が切れてます」。
「そんなあほな・・・」と言い返すと、「・・・、見まちがっていました」。
かなり待たされてやっと手続き完了。
2階の耳鼻咽喉科へ。
窓口の係の方からいきなり「藤井さん、1階で声をかけてから来てくださいましたか」。「もちろんです。」
また「えー、1階で声をかけてから来てくださいました?」「だからもちろんですよ。なにをおっしゃってるのか、まったく意味が分かりません」。かなりムカッと来た。
いまだに、この係の方が何を聞かれていたのかよく分からない。
6階のホールで、担当看護師さんから入院(入室)に関する説明。
この方は、とてもていねいで分かりやすく説明してくださった。
外の景色を見ると、少しホッとする。
南側の公園は病院の敷地だそうだ。ここへの散歩は、看護師さんに声かけさえすけば行っていいらしい。きくちゃん、連れてきてもらおうっと。
病室は605号室(4人部屋)。
その時は気づかなかったのだが、6月に父が入院していた部屋のお隣。奇遇ですなあ。
さっそくパソコンを開くと、兵庫・ゆめさき舎の松本さんから応援メールが来ていた。いつもいつもありがとうございます。でも松本さん、またうちのヨメさんが「まっちゃんがアンタ葬式の出してくれるらしい」と期待しとる。きーつけなはれやー。
小雨が降っていたのだが、こんな天気の日でも京都タワーがくっきりと見えた。
病室でパジャマに着替えた後、まずは体温、血圧の測定。
そのあとに、麻酔科から全身麻酔の説明に来られた。
「手術の準備が整いますと、点滴をとります。」
「えっ、手術前に点滴してるってことですか。」
「いえいえ、準備ができたら点滴をとります。」
「だから、午前中から点滴が入ってるんですよね。」
「いえ、入ってはいません。」
「あー、あー分かりました。病院では点滴を入れることを点滴を『とる』というんですね。でも、それは一般の人には分かりませんよ。」
「あっ、失礼しました。そうですね。指摘していただいてありがとうございます。これから、点滴を入れると言うことにします。」
お楽しみの給食!
病院では「給食」とは言わんか。
なんやしらん、めちゃおいしい。お腹にしみるしみる。
そのあともまた何やかやと看護師さんが来られ、昼寝したろと思ったが無理やった。
念願の「日輪の翼」も40ページまでしか進まなかった。
「シャワーを浴びてください」と言いに来られたのは2時。
「こんなはように入ったら、また汚れるがな。手術後も当分入られへんのに、せめて夜に入りたかったなあ。」
ふつうの車イスランナー下山さんといっしよに走ったレースの参加賞のバスタオル。いつも沖縄のマラソンに出ると応援してくださる玉城さんにもらったラムネ菓子。この二つもお守り代わりに持ってきた。このごろメールくれはらへんけど、元気にしてはるかなあ・・・。
3時から家族とともに手術の説明ということだったが、今日の手術のかげんで4時半以降に変更された。
4時半ちょっと前、みき江姉、多鶴子姉がそろって登場。上の姉はこのブログにもたびたび登場するが、二番目の姉が登場するのはめずらしい。「すわ、弟に一大事!」ということで飛んできてくれたんですね。
執刀医が来られて、説明が始まったのは5時15分ころ。これ以上ないというくらいていねいな説明で、予定よりかなり長く1時間を超えた。
私は3つの質問をさせてもらった。
1.反回神経麻痺が起こると、水を飲むときむせ返るのはなぜか。
2.副甲状腺の機能が失われると「一日も生きられない」とはどういうことか。
3.腫瘍が大きい場合、鎖骨を外して切り取るとおっしゃっていたが、その可能性は。
すべて明確に答えてくださった。ここには書ききれないので、興味ある方は私に会った時に直接聞いてください。
最後に先生から、「手術が心配で心配でどうしても寝られない場合は遠慮なく言って来てくださいね」と。
「ボクはそれは全然だいじょうぶだと思うんですが、手術後麻酔が切れたときの痛みが心配で・・・。」
「それは心配するほどのものではありません。筋肉痛に似た痛みです。痛くてどうしようもない痛みになるのは、出血が止まらなかった場合・・・。」
ここで終わりかけていた話がまた続いてしまった。
説明のほとんどが、リスクについての説明であったと言っても過言ではない。「そんな話は聞いてなかったというのを防ぐために、聞きたくないこわい話ばかりだとは思いますが聞いておいてくださいね。」
患者もたいへんやけど、最近は病院もたいへん。そんな中で、「きちんと説明できる」お医者さんは信頼できる。
あとでヨメさんからのメールを見ると、「明日、仕事を休んで手術の付き添いに行く」と。でも、今日の1時間以上の話を聞いたものでないと付き添っても意味がない。その気持ちはものすごくうれしいが、弟のために一肌脱ごうと思ってくれている姉に任せても何も悪くないと思う。姉たちも、ヨメさんが勉強と仕事に日々四苦八苦していることはよくよく知っているのだから。きっと、「こうじごときに煩わされんでいいでー」と言うと思う。
説明から戻ると6時半ころ。
「はらへったー、さあ最後の晩餐、味わうでー。」
これがまためっちゃうまい。たぶん5分くらいで食べ終わってしもた。
「最悪中の最悪の場合、これがほんまの最後の食事になるかもしれんのに、少ないやろー」と叫ぶ。
「そや、金平糖とラムネがあった。」
すぐさまこの秘密兵器を投入。ちょっとはすきっ腹に効いたが、しばらくして胸やけ。
病院に入ってもアホなことをしているパオパオでした。
明日はブログ書けるかしらん・・・。
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