2016年10月25日(火)
トラック走らんかい! [私の陸上競技]
「よっしゃ、今日じゃ。行けー、西京極サブトラック。」
チンタラ走るのに飽きてきた。
ここらで一発スピード練習しとかんかったら、もう走れんようになるかもしれんという強迫観念。使用可能日を調べたら、今日使えるやん。
意を決して家を出ると、ザーと大雨。「引返すか」と一瞬思ったが、「今日行かんかったら次はないと思え」ともう一人の私が叱咤する。
行く途中もほとんど大降り。
ところが西京極に着いたとたんにやんだ。
「かみさまー・・・。」
今日の目標は、1本でも1000m4分を切ること。5本走って3本目くらいに出んもんかなあ。
それにしても誰もおらん。完全貸し切り状態。どこ走ってもええなー・・・、って第1レーンしか走らんがな。
いつもなら大回り4周2km走ってからトラックに入る。しかし今日はいきなりトラックへ。最初の1000mはアップ代わりのつもりで。
1本目 4分28秒 200mつなぎジョグ
2本目 4分07秒 200mつなぎジョグ
3本目 4分05秒 600mつなぎジョグ
4本目 3分58秒 200mつなぎジョグ
5本目 4分41秒
2本目3本目は真剣に狙いで走ったのにこのタイム。「もうあかんのか」とガックリきた。このあと、ちょっと回復させるのに時間をとった。
4本目は、「ヒザを高く、腕ふりを大きく」。これを最後まで忘れずに走り切った。よかったわ。ギリギリやけど4分切れました。でも、こんなにしんどいとは・・・。
5本目はダウンのつもりでゆっくりと。
これで超久々のトラック練習終わり、最低限の目標は達成。
超難易度の「トラック走自撮り」。
こんなん撮ってから帰りました。
帰るころになって、また雨がザー。
「ああ、やっぱりかみさまがー・・・。」
次は、1000m3分40秒か、2000m8分切りか。
「トラック走らんかい!」ともう一人の私が叫ぶ。
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2016年10月24日(月)
「きょうのわんこ」に出られないわけ [わんこ・にゃんこ]
きくの必殺技について書いた記事もどっかに消えてしまった。
せっかくいい記事だったので、思い出します。
これですわ。
きくはメスなのに片足を上げて○ッコをする。
そしてそう見せかけといて、途中から○ンコに移行という離れ業を持っている。
そんなわんこ見たことないでしょう。
ただし、これは私が散歩させているとき限定で、月に1回あるかどうかという頻度。これではせっかく取材に来てもらっても、撮れませんわなあ。
めざましテレビの「きょうのわんこ」には出たいんですけど・・・。
おすまし顔からの・・・。
「ワニ!」
ちゅうのもあるんですけど、ただのあくびですかねえ。
あとは何書いたか忘れた。
めんめが変。
これは、きくのかっこいい石垣ジャンプがうまく撮れなかった写真。
これなんか、上手に撮ったらいい作品になるんですけどねえ。
「トンネルをくぐるニセシェパード」ってね。
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第28回諏訪湖マラソン・続き [ランニング・出張販売]
やっぱり、これですね。
いりえゆかさんのダンナさんに撮ってもらった「まあるファンクラブ」写真(??)。
朝5時45分起き。
目覚ましが鳴らなくて焦ったが、ヨメさんの体内時計のおかげで寝過ごすことはなかった。
近くのコンビニでおにぎりとお茶を買い、会場へ。
※以下記事消失のため、写真のみ付け足しました。
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2016年10月23日(日)
第28回諏訪湖マラソン〜元気はタダではあげません〜 [ランニング・出張販売]
「今日は元気をもらいました」といりえゆかさん。
「ボクの元気は有料ですよ。タダではあげません。いや、でもまある君だっこさせてもうたし、これでチャラということで・・・。」
毎年「諏訪湖マラソン」でお会いするいりえゆかさん。私の大事な大事なブログ友だち。残念ながら、現在いりえゆかさんのブログ「ラスティックなひとりごと」は休止中。
ひょっとしたら、今年は「諏訪湖マラソン」でもお会いできないのではと心配していたが、ご夫婦そろってまある君連れでご来店。レースには出場されないのに、わざわざ顔を見せに来てくださったようだ。ああ、ありがたいありがたい。
そんなありがたいいりえゆかさんに対して、「ボクの元気をタダでもらわんといてください。有料ですから」と減らず口をたたいている私。うーん、やっぱり「元気すぎる癌患者」かも・・・。
「ちゃちゃ・オス・12歳」
「ライアン・オス・6歳」
「メル・メス・5歳」
「まある・オス・16歳と飼い主さんが言い張る」
ひとには「元気はタダではあーげない」と言いつつ、お犬様様方からは勝手に元気をもらっている私。ワンちゃんたちと遊べて、私は久しぶりに張り切って張り切ってちょっと疲れてしまった。
この大会は、私が唯一レースに参加しない出張販売大会になってしまっているが、かわいいワンちゃんたちに会えたので大満足。どうもありがとうございました、ワンちゃんたちとその飼い主のみなさん。また来年も会えますように。がんばらねば!
(注)くわしくは、あした。
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2016年10月22日(土)
御宿鯉住 [宿情報]
「諏訪湖マラソン」へ出張。
家を午後2時20分に出て、今日の宿「鯉住」さんに着いたのは7時ちょうど。時代祭の影響で京都市内が渋滞していたが、そんなに遅くならなくてよかった。
「鯉住」さんは大会会場のすぐ近く。2年前に初めて泊めていただいてすごくよかったのだが、去年は出遅れて予約が取れず。今年は2年ぶりに泊めていただいた。
(注)もうちょっと、続きます。
※続きを書き上げたのですが、その部分消失。
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2016年10月21日(金)
第54回国会前アピールラン(兼第82回勝手に国労応援ラン) [ランニング]
「勇人よ、もうちょっとうれしそうな顔せえよ」と言いたかったね。
京都を早朝に出てのサプライズ参加で、私が来たのはうれしいはずやのに、いつものかっこつけで平静を装って・・・。
「こいつー、ほれほれ」と言いながら脇をツンツンしたろかいなーと思ったけど、大人気ないのでやめときました。
私が中野勇人さんと長くお付き合いさせていただけているのは、私がしょーもないことを言っておちょくってもだいじょうぶやから。根がまじめな中野さんは、私のおちょくりをかっこつけて返してくるからまたおもしろい。でも今日は、「なんちゃって病人の藤井さんは」とかぬかしとったな。中野さんへのおちょくりも今日でおしまいと思ってたけど、こらおちょくり返したらなあかん。11月22日で、この「国会前アピールラン」も終了とゆうてはったけど、病院抜け出して行けんもんかなあ・・・、と真剣に検討するパオパオでした。
朝5時45分起き。
お茶漬けサラサラをして、自転車で地下鉄・国際会館駅へGO。
6時22分発の地下鉄に乗り、京都駅6時42分着。6時55分発の新幹線は無理かと思っていたが、発券機に4人しか並んでおらず間に合った。
6時55分発で9時13分東京着。アピールランは10時スタートなので、ちょうどいい感じ。
東京駅でちょっと買いたいものがあり、国会記事堂前に着いたのは9時45分ころ。
いつもの場所に向かうと、おるがなおるがな。急きょ日程変更とかあったらどうしましょと思っていたので、中野さんの姿が見えてほっとした。
中野さんと高久さん(国労OB)の密談中におもむろに近づいていくと、かなり近づいてやっと気づいてもらえた。
この時には、まだいつもの並走メンバーの姿が見当たらなかった。しかし、佐保さん、村田さん、滋賀の藤井さんの3人(皆勤賞メンバー)がいつの間にかそろっていた。
「とりあえず、ブログ用の記念写真をお願いします。」
これが、私のうれしそうな顔にくらべ、中野さんのおすまし顔というツーショット。
私は、7年前に中野さんからいただいた思い出の「国会前54日間連続フルマラソンアピール行動」、「続き」のアピールビブスをつけて。
中野さんの「国会前アピールラン」コースは、衆議院第二会館前をスタートし、国会議事堂の周辺の歩道を左回りに走り戻ってくる1周約1.3km。
これを4周約5.2km走って1クール。以前はフルの距離だったので8クールまで。現在は6クール約31.2kmのアピールランになっている。
途中で信号が3カ所あるので、目安は1周10分ほど。1クール5.2kmは40分程度ということになる。
10時04分、本日の「国会前アピールラン」がスタート。中野さん+皆勤賞メンバー3名+パオパオの5名。
私と中野さんとの話題は、どうしても私の病気のことになる。
おととい突然私からメールをし、「国会前アピールラン」の予定をお聞きした。その時に病気のことも簡単に報告しておいたのだが、「最近はブログを読んでいなかった」ということで驚いておられた。
今日参加させてもらうことは内緒だったのだが、この1日2日の間に私のブログを読んでくださったようだ。また「僕なりに調べてみたんですが・・・」と話され、甲状腺癌についても的確に把握されていた。そして、その上で私に対して軽い言葉はかけて来られない。
心の中で「さすが・・・」とうなりました。国労の仲間と長年虐げられてきて、いろいろな苦労をしてこられた人だけのことはある。
まあこれで、ちょっと笑かしてくれる「かっこつけ」を控えたら完璧ですなあ・・・、とおちょくりも入れとこ。
「夕べ、ヨメさんと言い争いみたいになって・・・。」
「えっ、そんなことがあったんですか。」
「走りに行くヒマがあるんやったら、おじいさんが掛けてくれてたがん保険のことちゃんと調べて来ー、言われてね。先進医療で1000万まで出るみたいに書いてあったでって。そう言われて、ボクはそこまでする値打ちないで。そんなぎょうさんお金使って生き残ってもなあゆうたら、ブチ切れて、そんな考えやったら、結婚もせんと、子供も作らんかったらよかったんや。自分勝手なことばっかり!とっとと死んだらええわ!って言われましたわ。」
「そんなことがあったのに、来てもらって・・・。」
私の話を聞いて、中野さんは恐縮されていた。
国会正門前(道路を挟んだ向かい側)では、「誰の子どももころさせない」とアピールする安保関連法に反対するママの会の方たち。国会見学に来ていた小学生の多くが、手を振ってそれに応えていた。
「ママの会はいろいろな地域ごとにあって、交代でずっとアピールを続けていますよ。こういう地道な活動が大事なんですね」と中野さん。
「ほんと、ほんと。今手を振ってた子もそうでなかった子も、いつか心のどこかであの光景を思い出してくれたらなあと思ってアピールしてはるんやと思います。ボクの『平和・憲法九条』ののぼりアピールランもいっしょです。いつか、変なオッサンが『平和・憲法九条』と書いたのぼり背負って走っとったなあと思いだしてもらえたらなあと思って・・・。」
「一つのことを続けていくことは、なかなかできませんからね。」
「私の沖縄慰霊の日の『一人平和ラン』も、今年4年目にしてやっと娘が応援に来てくれたんですよ。そやし、12月18日の『沖縄100キロ』ものぼり背負って走ろうと思ってたんですけどね。また、娘が応援に来てくれる予定やったし。治療がどうなるかで、行けへん可能性も出てきましたけど・・・。」
1周目2周目は順調に10分ペースで、とこが3周目にトラブル発生。警備にあたっている警察官から「国会側の歩道を走るのはダメ。道路を渡って、大回りしてほしい」と要請あり。ポイントポイントに立っているすべての警察官から同じ要請。(無線でこちらの情報を送っていた。)そこから中野さんとの問答が続いた。3周目は強行突破して11分で回ったが、ついに4周目からは警察官とともにウォーキング。1周1.3kmを全部歩くと20分かかった。
このため、40分程度の予定だった第1クール5.2kmは51分36秒。
「今日は30km走る予定で、無理して京都から出てきたのに。これではどうしようもないですやん!」とガックリ。
ところがところが、5分ほど休けいして第2クールの出発。
それまであんなにしつこく要請していた警察官たちが、一斉に静まった。
「中野さん、なんかやらかしましたね。」
「実は・・・。」
ここらあたりのことはブログには書かない方がいいらしい。聞きたい方は、直接私に会った時に聞いてください。
第2クールからは、4周5.2kmを41〜43分で走り、4、5分休けいするパターン。
私は自分から話しかけることはほとんどない。しかし、中野さんは話し上手。こんな長い間なのに、私の興味のありそうなことをうまく選んで話しかけてきてくださった。二人の会話は、諸般の事情があり非公開ということで・・・。
その中でも一つだけ公開。
普通の車いすランナー下山さんの話題になったときのこと。その流れで、私も中野さんも、絶対に視覚障害者の伴走をやろうということになった。私に関しては、以前「伴走体験教室」にまで参加して、そのあと実際の伴走を一度もしていないのだから。このまま死んだらあかんわな。一回でもやっとかんと。本当にそう思った。
TPP反対のアピールの方たちも大勢来られていた。
中野さんは、相変わらずご自身手作りの「ワラッジ」。
これで長い距離もだいじょうぶというのですから、うちら「ランニング用品専門店」泣かせです。
「ショーズ、買うてくれよー!」
中野さんは、来年、国鉄民営化30年の節目ということで、平和運動センターの専従をおり、新たな道を歩まれるらしい。そのため、この「国会前アピールラン」も11月22日の第55回をもって終了とされる。
実際は残務整理的なことも多く、再来年が就活活動と言っておられた。さて、これからどう展開されていくのやら・・・。
衆議院会館前の銀杏は強制撤去されたのに、他の部分では放置状態。中野さんによると、「おえらい方が通られるところだけきれいにされている」ということらしい。
1時半ころ、今度は私たちが荷物置き場にさせてもらっているところにまた警察官。今度は、アピールののぼりを街路樹に巻き付けているのが、器物破損罪に当たるというクレーム。
「こないだ、この銀杏の木の枝を切ったり、銀杏を落としたりしていたのは器物破損罪にならないのかい」と言い返されて困ってられた。「気がいたまないようにずっと見てるから安心してください」と言うと、仕方なく、私たちのアピールランが終わるまで横にへばりついておられた。
高久さん(国労OB)曰く、「今日はいつもとちがう藤井ちゃんが参加してくれたもんだから、公安も張り切っちゃって。いろいろ考えてくれて楽しいねえ。」
ほんとにその通り。同じところをぐるぐる走り、シユプレヒコールもなしにダダ黙々と走るのはあきる。警察官たちも、私らに気を使って(?)くれてるのかなあ。
最後の休けいのとき、「真剣に走ったら、ボクは中野さんの倍のスピードで走れる」とホラを吹いた。そしたらそのホラが中野さんの心に火をつけたのか、第6クールはスピードアップ。1周9分ペースになり、4周5.2kmが36分14秒。「わしゃ、息苦しーてあかんちゅうとるのに、ライバル心出してくるおもろいやっちゃ。」
いっしょに走っていたはずの滋賀の藤井さんは、はるか後ろになってしまった。
せっかくなんで、ちょっと戻っていっしょに最終ゴール。
「やらせ写真でいいんですか」と恐縮されていたが、ふたりいい笑顔のゴール写真になったじゃないですか。
午後2時50分、「第54回国会前アピールラン」は終了。
1クール 5.25km 51分36秒
2クール 5.26km 41分51秒
3クール 5.31km 42分59秒
4クール 5.35km 43分48秒
5クール 5.29km 39分53秒
6クール 5.22km 36分14秒
トータル 31.68km 4時間16分21秒
中野さんと私は全行程、皆勤賞メンバー3名は飛び飛びで並走。
私の喉の息苦しさは少しもよくならず。よっぽどしんどくなった場合は中抜きもと考えていたが、最後までしっかり走れた。ずっと私に話しかけながら走っていただいた中野さんのおかげです。
私と滋賀の藤井さんは近くの銭湯へ。
ほかのメンバーはお疲れさん会へ。
ふろから上がった時、番台のおばちゃんが「お連れさん、まだですよ」と教えてくださった。「はい、いっしょに来たんですけど、帰りはバラバラなんです。」
たぶん、二人が夫婦に見えたんでしょうね。私より10歳も年下の方に申し訳ない。
近くにお稲荷さんがあったのでまた拝んでおいた。でも、お稲荷さんて商売の神さんやんなあ。キツネさんは、癌を治す力あるんかいなあと思いつつ・・・。
去年の9月のアピールランに参加した後も銭湯に入り、その横の中華屋さんで食べたのだが、今回は「終わり終わり、また来てねー。」
仕方ないので近くをウロウロすると、インド料理店発見。
3時半すぎという中途半端な時間に入ったのだが、ランチが5時までだったので良かった。
いろいろセットになったランチが1120円。それに生ビールをつけて1700円。ちょっと高い昼食になったが、東京やからね。
走った疲れはほとんどなく、のどのつかえは相変わらずだったが、すべて残さず食べられた。おいしかった。
ここから地下鉄で東京駅へ。
17時10東京発、19時31分京都着ののぞみ。
ヨメさんにメール。
◇ ◇ ◇
国会前アピールラン、24周32キロ終了。なんとか全部走れました。ありがとうございました。
8時くらいには帰れると思います。晩ごはんお願いします。きくちゃんの夜散歩は行きますよ。
◇ ◇ ◇
その返信。
◇ ◇ ◇
あんまり無理したりいちびってもたら困ります。ほんま、だれが世話せんなあかんのかよう考えてください。
(20字分伏字)、私は気立てがものすごええもんやさかい、この期におよんでほかしたりでけへんので、そこらへんよう考えて行動してください。
煩わさんようにって本気で思ってるんやったら、本気で免疫力上がるようなそんな生活を心がけて生きてください。
◇ ◇ ◇
そのあと、中野さんにもお礼のメールをしておいた。
「闇の帝王ぶりを見せていただいてありがとう」と。
地下鉄・国際会館駅には8時ちょっとすぎ。そこから自転車で自宅へ。
きくちゃんは、私の帰りをよろこんでくれた。
晩ごはんのあとは、もちろんおちゃんぽ。
「すべり台シュルシュルシュル」ありーの。
公園でガウガウガウ」ありーの。
一日の締めくくりがきくのお散歩ちゅうのは、メリハリがあってよろしい。今日はせわしなかったけど、充実した一日になってよかった。
うーんと、今日のって「思い出の人にお別れ」シリーズ第2弾ってゆうことになってしまうんかなあ・・・。
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2016年10月20日(木)
PET検査 [病院]
今日はPET検査。
病人の大先輩・としさんは、「ペット検査は 薬を血管注射して 水飲んで寝てたら終わるから 楽勝や」と。なんかこれだけではよう分からん。とにかく、けっこう時間がかかる検査だということらしい。
癌細胞がどこに転移しているかを調べる検査。
以下、「がんの転移が心配なときに読むサイト」より。
◇ ◇ ◇
局所転移と遠隔転移
■原発の近くに転移する“局所転移”
転移したがんの中でも、最初に発生した原発がんと同じ臓器や、周辺に発生するものを局所転移(局所再発)と呼びます。例えば、肝臓は人間の臓器の中で最もサイズが大きく、がんが発生すると同じ肝臓内でいくつか転移や再発を繰り返すことがあり、局所転移の最たる例です。
また、臓器とそれに隣接するリンパ節は同時に治療することが多く、原発がんのすぐそばのリンパ節などに起きた転移についても、局所転移と考えます。
局所転移が発生する原因は、最初の外科治療で取り逃したがん細胞が増殖してしまうパターンがひとつ。さらに、浸潤したがんが原発の臓器から外へ出てしまい、周辺へと腫瘍が飛び散ってしまうパターンがあります。
■局所転移は比較的治療しやすい
局所転移を起こしている段階では、がん細胞がまだ一部の臓器だけに留まっていると考えることができます。
局所転移の場合は、腫瘍が発生している臓器や器官と、その周辺のリンパ節などを取り除いてしまえば、まだ十分に完治や寛かいの余地があると考えられ、外科手術の適用となるケースが多いという特徴があります。治療の効果が上がりやすく、予後も比較的良好だと言われています。
■離れた臓器に転移する“遠隔転移”
原発がんが進行し、血管やリンパにまで腫瘍が浸潤を起こしているようなケースでは、血管やリンパの流れにがん細胞が乗ってあちこちに転移してしまうことがあり、この現象を遠隔転移と呼びます。
遠隔転移が比較的多いとされるのは、肝臓や肺、脳や骨など。血流やリンパの流れが集中しやすい場所には、がん細胞が集まりやすいということですね。さらに、微細な血管が多い場所などにも、がん細胞が流れ着いて定着しやすいようです。
遠い場所に転移している場合でも、がん細胞の性質は原発がんと同じですので、抗がん剤の種類などは、原発がんに効くものを選ぶことになります。
■遠隔転移が起きたら“全身転移”だと考える
原発がんと離れた場所に転移巣が見つかったときは、がん細胞がすでに全身を巡っていると考えるのが妥当です。微小ながん細胞があちこちに散らばっていることが予想されるため、外科手術で目に見える腫瘍を取り除いたとしても、完治できるほどの治療効果がないと考え、体の負担となる外科治療は行いません。
ひとつでも多くの腫瘍細胞を減らし、がんの増殖を抑えるために、抗がん剤による化学療法など全身治療に切り替えます。痛みや苦痛を和らげるための緩和ケアなどを行う場合もあります。
◇ ◇ ◇
私の場合、「低分化癌」と判定された時点で、この「遠隔転移」が確実視されているようです。
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ヨメさんの通学時間とうまく重なったので、途中まで車でいっしょに。烏丸御池でヨメさんを下ろし、西大路御池の「御池クリニック」へ。
8時40分までにと言われていたが、その5分前くらいに到着。広い駐車場があった。
入口はホテルふう。
玄関を入ると、スタッフの男女2名がていねいにごあいさつをしてくださった。
9時10分開始の予定と聞いていたが、すいていたのか、着替えたらすぐに処置室に呼ばれた。
「血液を採り、検査薬を投与します」と言われ、「放射線が出ているので少し離れます」とあとずさり。「えっ、なんで? 運命共同体とちゃうんかいな」と思ったけど、そらそうや。赤の他人の検査で被爆してしもたらあほらしい。ただ、「そんなもん、体の中に入れてええん?」という疑問も・・・。
「では、こちらへ」と案内されて個室へ。
「えーっと、ここで検査薬入れるんですか。」
「あっ、さっきもう終わりましたよ。」
「えっ、あんなちょっと?」
「20ccですから・・・。」
検査薬を入れながら安静にすると思い込んでいたので、「なーんや」という感じ。
そして個室のリクライニングシートで安静に。本でも持ってきたらよかったのだが、このごろは思い出にふける方がいい。ヨメさんは私がこのごろそればっかりで「イー」してるけど。
今日は遠い過去のことではなく、ここ1年のことを思い出していた。
去年8月、「結婚30周年記念旅行」はよかった。横浜スタジアム、横浜中華街、赤レンガ倉庫、ロマンスカー、箱根駅伝5区、箱根温泉。一番よかったのは、意外や意外、ヤクルトの山田哲人よりDeNAの筒香を生で見られたことかな。
9月、国会で平和安全法制案(通称・戦争法案)成立。日本が戦争するようになったら、本気で死にたいと思った。
11月、私の競技人生(?)初の肉離れ。このあと松本一之さんとの一騎打ちを控えて張り切りすぎた。
12月、めでたく還暦。一応、家族のみんなからGPS腕時計をプレゼント。
今年2月、真樹と「おきなわマラソン」に参加。真樹はまさかまさかのフルマラソン初完走。真樹よりパオパオのほうが嬉しかったかも。
3月、廉の就職が決まり家を出て行ってしまったけれど、彩ちゃんとめでたく結婚。若干24歳(当時)の廉が、こんなにしっかりしているのにビックリ。
3月、教師を続けておればここで定年退職。退職金がガッポリは夢のまた夢やったなあ。(25年も前に辞めてるのに・・・。)
4月、寮の管理代行のバイトを増やし、週2管理代行、週2ガードマンで月約20万の安定収入へ。
6月、「打倒・まっちゃん」シリーズは全敗で幕。しかし、やり切った感があった。
8月、お腹いたから胆のう炎発覚。胆のう炎の検査で甲状腺腫瘍が発覚。さあ、次はなにが発覚?
60歳はいろいろありました。「還暦」とはようゆうたもんです。たしかに節目の年になりました。60歳もあと2ヶ月か・・・。今までは1年先までを見て生活していたが、これからはそれを短縮して6か月とか3か月単位で考えたほうがいいのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、安静にする1時間半が過ぎた。
そして、PET検査室へ。
全身縛られ、頭も固定され、お腹の上には重りみたいなもんを置かれ、「はい、息を止めてー」と言われたときは死ぬかと思いましたわ。その一連の作業が、ロボットみたいで気色悪かった。もうちょっと人間らしくできんかー。
そのあと、「では、始めます」と言われたのだが、始まっている感じが全然しない。「機械、動いてへんのんちゃいますかー」とよっぽど言おうかなと思った。でも、天井のちぎれ雲のイラストが少しずつ動いているのに気付いた。「そうか、ちびちび動いとんのか。それならそうゆうてくれよ」と思った。
「はい、今でちょうど半分です。あと12分ですね。」
このあとも無言。
聞こえてくるのは、「カランコロンコロンコロン、カランコロンコロンコロン・・・」という鬼太郎の下駄の音だけ。
「こっちゃ縛られて身動きとれんのやから、なんかおもしろいことでもゆうてくれよー」と思ったが、そんなサービスはないんですよね。
終わったら、「着替えて会計に行ってください」だけ。あいそないわ。
次は31日に「第2宣告」を受けるわけか・・・。
どうなるんでしょうね。
29390円のお支払い。
こんだけ取るんやったら、「検査後のお食事つき」くらいにしてもらわな。
同じフロアにレストランもあるのに。
朝食抜きで腹ペコペコやったけど、こんな高いところでは食べられん。
家に帰る途中で食べようっと。検査後の食事や運動の制限ないんやって。
千北をちょっと上がったところの、ラーメン「タンポポ」さん。
いつも通り、ラーメン大(800円)とライス小(100円)。
あわててかけこんだので、腹ピーピー。
アホです。
こちら、かしこいかしこいきくちゃん。
お昼にお散歩に行き、そのあとすぐまたバス停まで「オバサンお迎え」。
かしこいかしこいきくちゃんは、今日ははっきりとオバサンを認識。
しっぽブンブンブーン。
さあ、お仕事お仕事。
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