2015年06月06日(土)
「クリロナ」〜シリーズご近所猫9〜 [わんこ・にゃんこ]
「クリロナって呼んでってゆってるわ、しゅんは」としゅん君のお母さん。
「クリロナ?」
「クリスチアーノ・ロナウド。」
「はー・・・。」
「たたらぎダム湖マラソン」に向けて、午後2時半過ぎ自宅を出発。
兵庫県北部の大会に行くときは、国道9号線ではなく、いつもうちのいなかを通っていく。最近のお楽しみは、うちのいなかの家のご近所さん・木村さんちの愛想のいいネコちゃん。今まで留守中に勝手にかまわせてもらっていたが、今日はめずらしくご夫婦そろっておうちにおられた。
廉の2歳下、真樹の1歳上のしゅん君が飼っていたネコちゃん。今はしゅん君がアパートで一人暮らしで飼えないため、ご両親のところに預けられているらしい。
ネコとしてはめずらしい、ロープにつながれた「猫小屋」暮らし。
私の腕を何回もあまがみしながらキックしていたけど、クーちゃん(クリロナ)、サッカーできるんかい?
うちのいなかは冬の寒さが厳しいけど、長生きしてやー。
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2015年06月05日(金)
「わたしが正義について語るなら」 [書評]
今日も寮の管理人室で読書三昧。
本にラインを引くのはイヤなので、メモをとることにした。
P.26 悪いものは、いかにも悪い感じで現れるとは限りません。我々の社会は、なんであんなことで騙されるのだろうということで簡単に騙されるものなんです。
P.28 ドキンちゃんは自分が美人で自分を見る人は誰でも自分のことを好きになると思い込んでいるけれど、しょくぱんまんの前では可憐になるんだよね。そういう人、時々いますよね。
P.42 世の中のトップに立っている人は弱者のことは分からない。でもぼくは谷間を這いずり回っていたから、そういうことは分かります。
P.76 (徹夜で仕事をしていると)寂しいから手のひらを見たりして、手のひらに懐中電灯を当てて、子どもの時のレントゲンごっこを思い出して遊んでいたら、血の色がびっくりするほど赤いんですね。ほんとうに桜色というかきれいで見惚れてしまいました。自分は元気がなくても血は元気だな、と。だから手のひらを懐中電灯にすかしてみればというのがもともとなんだけれど、懐中電灯じゃ歌にならないから、「手のひらを太陽に」になりました。あれは自分を励ます歌なんです。まさかそれが広く歌われる歌になろうとは、夢にも思いませんでした。
P.92 正義の味方は自分の生活を守ってくれる人ではないかと思っていた。子どもから見れば、おなかをすかして泣いている時に助けてくれる、地味な正義の味方を書きたかったんです。
P.103 「アンパンマンのマーチ」の中に、「愛と勇気だけが友達さ」という歌詞があります。それで抗議がきたこともあるんだけど。これは、戦うときは友達をまきこんじゃいけない、戦う時は自分一人だと思わなくちゃいけないんだということなんです。お前も一緒に行けと道連れをつくるのは良くないんですね。
P.138 朝から晩までマンガばっかり読んでいると、ろくな人間にはならないです。いいマンガ家にも馴れません。マンガばっかりじゃなくて、何か付加価値がなくちやいけない。
(注)もうちょっと、続きます。
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2015年06月04日(木)
鞍馬天狗ラン [ランニング]
今日はまた、夜から24時間の寮の管理代行のバイト。ということで、ガードマンのほうは休ませてもらった。休みの日くらいゆっくり寝ていたらいいのだが、毎日6時くらいに起きているので目が覚めてしまう。ああ、貧乏性!
今日も涼しく、夕方から鞍馬へ走りに行くことにした。
うちから1km過ぎの恵光寺さんは、いつもいいことを書いて張り出されている。
「世界ぜんたい 幸福にならないうちは 個人の幸福は ありえない」 宮沢賢治
そのとおりやね。
たたずむネコちゃんは見逃さず。
写真に撮られていることにも気付かず、こっくりこっくりしていた。
3月25日に開通した二ノ瀬トンネル。
これができたおかげで、前からある細い道の車の通行量が減り走りやすくなった。
この先のFさん宅にいたきくのそっくりさん・のらちゃん。しばらく見ていなかったのだが、今日通ると犬小屋が撤去されていた。たぶん死んじゃったんやね。かわいいワンちゃんやったのに、もう見られないとは残念。
鞍馬寺山門前到着。
5.1km、30分38秒。
ずっと上りなので、これでもよく走れたほうだと思う。
「あいおわ治療院」の高橋大輔似の先生から、「藤井さんの体の痛みのほとんどは、股関節の動きの悪さが原因」と言われた。そんなこと言われてもねえ。
とりあえずは、走る前の準備運動をくわしく教えてもらった。それと、はげしくけりすぎている右足を意識して長く着地させること。そんなこと考えながらは、なかなか走れんもんですねえ。
叡山電車・鞍馬駅前の天狗さんと記念写真。
傾いた杭にカメラをのせて撮ったので、写真も傾いている。
鞍馬駅には人影なし。
京都バスの本数も増えたので、平日に鞍馬から叡電に乗る人は減ったかもしれない。
貴船口駅を発車する叡電。
いろいろとイラストが描かれた車両が多いのだが、これは一番シンプルな車両だった。
市原野保育園の前に戻ってビックリ。
壊してはりますがなー。
真樹はここで3年間お世話になった。これは教えたらなあかん。
我が家到着。
5.1km、27分05秒。
下りは気持ちよく走れた。
明日はバイトで走れないし、土曜日に1000m1本全力ちゅうやつをやらんとあかんね。
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2015年06月03日(水)
まきをまもるいおり [ガードマン]
今日は2週間ぶりの南禅寺。
2週間前は南からの入口になる「中門」前だったが、今日はそこから北へ100mほどのところにある「牧護庵(ぼくごあん)」前。
「まきをまもるいおりかー、これは真樹に見せたらなあかんな」と思ったが、ここは非公開。仕方ないので門から中を撮らせてもらった。こんなきれいなところなのに、非公開はもったいないなあ。
今日の現場は、依頼主の意向により一切情報を流してはいけない。
「ガードマンが南禅寺境内に立っている」という程度のことなら問題ないと思うのですが・・・。
朝8時20分ころまで、地下鉄・蹴上駅から東山高校の生徒さんがたくさん歩いてくる。
朝のうちは雨がきつく、ビニールカッパを着て立っていた。私が立っているところは雨をしのぐ場所がなく、降り続くとたいへん。しかし、だんだん小降りになっていった。
2週間前にも思ったが、南禅寺は有名な割に観光客は少ない。緑に囲まれて空気もおいしく、人も少ないので気も落ち着く。
関係車両も30分に1回通る程度。
ヒマなので、周囲をウロウロしていた。
この庭は、「わらべ地蔵の庭」というらしい。「牧護庵」の表の石柱にそう書いてあった。
お弁当は漢字博物館と同じ。
ところが330円ということで、あっちより50円も安い。
「なーんでか?」
お茶も家から冷やして持っていったので、ほんとうに安上がり。どの現場もこれくらいでおさまると助かるのだけれど・・・。
午後もパラパラ降ったりやんだりだったが、その分涼しくてよかった。
名古屋から観光に来られたご夫婦が話しかけてこられ、私の知っている範囲のことをお答えした。最後に「京都の方は男の人もことばがやさしくていいですね。昨日は大阪に行っていたんですが、ちょっとね」とのこと。ほめてもらえたのかな。
また、女性の二人連れからも話しかけられた。
「サスペンスによく出てくる、丸い橋みたいなところってどこですか。」
「南禅寺に丸い橋なんかありましたっけ?」
「殺人事件のドラマとかで見たんですけど・・・。」
「ひょっとして、それ橋じゃなくて頭の上を水路が通っている・・・。」
「それそれ。」
「水路閣ですね。それならもう少し東のほうです。歩いてすぐですよ。」
前にも書いたが、わが社のガードマンは京都以外の出身者が多い。また学生のアルバイトもほとんどが京都以外。私は一応京都人なんで、もうちょっと勉強して何でも答えられるようにしておかないと。
関係車両の出入が午後3時半で終了。
ほんとうは5時までの勤務だが、T隊長さんの判断で「早く上がってよい」とのこと。
T隊長さんは言葉少ない「必殺仕事人」みたいなイメージで、ちょっとビビッていた。空いた時間には、大きなはさみで庭木をチョキチョキ。その姿が「必殺仕事人」そのものだったんですが。意外とやさしい方でほっとした。
南禅寺から疎水の横を通り、会社のガレージまで徒歩。
唯一車通勤できるいい現場です。
ガレージ近くのネコちゃん。前もここの玄関にいたね。
涼しくてダメージが少なく、車での通勤で楽ちん。おまけに1時間以上早く帰れたのでいうことなし。この現場、また増員にならんかなあ。
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【RUN】
今日も5kmコース。
昨日よりだいぶ涼しくて走りやすかった。
25分51秒。
徐々に上げてきてますねー。
今週末は「たたらぎ」。10kmを41分くらいで走りたいんですが・・・。
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【今日のきく】
バイトが早く終わったので、いつもより1時間以上早く帰ってこれた。
ランニングのあともまだ明るく、きくの散歩に行くことに。
7時15分なのにまだ明るい。
「きくちゃんきくちゃん、しかさんやー!」
もちろん、きくは見て見ぬふり。
明らかに勝てそうにない相手は見ないことにしているきくでした。
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2015年06月02日(火)
カラス一家 [ガードマン]
やっぱり戻ってきました、祇園の漢字博物館建設予定地。
カラス一家が住むという大きな木。
その木には、大きな大きな花が咲いていた。ここは弥栄中学校の跡地なのだが、地元の方から「この木だけは残しておいてもらいたい」と言われたそうだ。
それにしても、こんな大きな花をつける木は見たことがない。なんという木なんでしょう。
Y隊長を襲ったというカラス一家。
この木の上のほうのいい場所に巣を作っていた。
Y隊長が襲われたら劇写と思っていたが、残念ながら襲われず。
私が立っているまん前はアパホテル。その1回はスタバ。
四条通を挟んだ真向かいは、古美術・近藤さん。
あっ、おったー。
これがY隊長を襲った父さんカラス。
たぶんこれが母さんカラス。
子育て、たいへんですねー。
話の脈絡に関係なく、今日も締めは「本物のまいこは〜ん」。
ここでは「本物のまいこは〜ん」が見れるのが楽しみなんですよね。
「かっこいいー。」
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【RUN】
久しぶりに5kmコースへ。
また最初の1kmが5分53秒もかかったので、どうなることかと心配になった。それでも走っているうちに調子が出てきて、27分59秒でゴール。
まあまあですね。
ガードマンの仕事用に、丸首TシャツをVネックに切り刻み。仕事のときに中に着ている分にはいいが、これで走るとちょっと異様。
めんどくさいけど、バイトから帰ったら着替えて走らないとダメ。
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【今日のきく】
ジャンプの写真にまた失敗。
シャッターのタイミングはむずかしい。
散歩コース上にいるワンちゃん代表のピース君。
きくはよく吠えかかるが、ピース君はあまり相手にしてくれない。
「おもろないなあ・・・。」
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2015年06月01日(月)
泣いてしまう記事 [雑感]
◎朝日新聞5月27日朝刊
【記憶の食】朝食にじんわり親心
今回の「記憶の食」のテーマは「朝食の思い出」。ご飯派の方からは、朝食の定番、卵かけご飯にまつわるエピソードをたくさんいただきました。食パンをもち網にのせてコンロで焼いてくれる母親の姿を思い出す方もいます。
■あこがれた卵かけご飯
囲炉裏を囲んで、朝餉(あさげ)が始まった。両親、兄、姉たち。ごはんとみそ汁、おひたしがつく程度だった。
埼玉県春日部市の飽田(あくた)ユリ子さん(69)は鹿児島県の現・出水市で育った。家は農家で葉タバコやスイカ、米を作っていたが、裕福ではなかった。
質素な朝食。でも2歳年上の姉の静子さんだけは、違った。茶わんに盛られたご飯の上に、生卵がかけてあった。近くの農家が放し飼いで育てた鶏の赤玉は黄身がとても黄色くおいしそうだった。「もしかしたら、きょうは私のおわんにも……」と期待する日もあったが、卵がかかっていることは一度もなかった。
姉は生後まもなく、脊髄(せきずい)の難病を患い、小学校にも通えない時期もあった。両親は病気を治そうと、姉を連れて病院を転々。手術や2年間の入院などで医療費はかさみ、田畑を切り売りして、しのいだ。
昭和20年代、卵は貴重品だった。ユリ子さんは「家族全員には食べさせられないが、せめて病弱の姉だけは、という親心でしょう」。
大人になったとき、ユリ子さんは母から言われた。「あんたは、一言も『卵を食べたい』と言ったことなかったねえ」。食べたくなかったといえば、ウソになる。でも、子ども心にも言える雰囲気ではなかったと思う。
42歳で病死した姉に聞けるなら聞いてみたい。「姉ちゃん、あのときの卵かけご飯、おいしかったですか」
茨城県筑西市の古川正子さん(66)も卵料理を食べると、「卵かけご飯」を思い出す。
福島県郡山市に住んでいた正子さん。6歳のときに父親が病死し、母が田畑での仕事と家事を1人で担い、4人のきょうだいを育てた。
朝食の「おかず」は生卵。だが、2歳年下の妹と1個を半分こだった。卵をかき混ぜた正子さんは、いつも妹に「先に卵かけていいよ」とおわんを渡した。先に白身の多い部分が、おわんから出ることを知っていたからだ。その後、黄身の多い部分を自分のご飯にかけて食べていた。「今はかわいそうなことをしたと思っています」。妹とは旅行にも行く仲良しだが、「このことは話していません」と笑う。
高級品だった卵。「価格の優等生」と言われるようになったのは、昭和40年以降、生産性が向上したためだ。
■忘れ得ぬ父のコーヒー
京都府宇治市の塚田有里さん(47)は、幼い頃に父親が朝食とともにだしてくれたコーヒーの味が忘れられない。
塚田さんは養蚕の指導員をしていた父、多紀男さん(79)と主婦の母、兄とともに愛媛県大洲市で暮らしていた。だが、塚田さんが5歳の時、まだ30代だった母が心臓まひで突然亡くなった。
まもなく父は小学生の兄と塚田さんを連れて近くに引っ越した。引っ越して最初の朝食は、母が生前に作っていたメニューと同じごはんとみそ汁。だが翌朝、トーストと一緒に、お客さん用のカップで薄茶色の飲み物が出てきた。
「泥水みたい……」。でも、父や兄は飲んでいる。その姿を横目に、おそるおそる一口。「おいしいっ」
ミルク入りのコーヒーだった。思い返しても、それほどたっぷり砂糖やミルクが入っていたわけではない。「ちょっと苦かったんですが、それでもすごくおいしくって」
それ以来、朝食はほろ苦いコーヒーとトースト。小学校に入る頃まで続いた。
塚田さんは就職で関西に来て夫(48)と結婚し、長女(17)が生まれた。長女が5歳の頃は牛乳やジュースを飲ませた。「どうしてあのころ、5歳児にコーヒーだったんだろう」。10年近く前に家族で愛媛に帰省した際、父に尋ねてみた。
父は言った。「何か食べささんと、と必死じゃった」。ごはんとみそ汁を毎朝用意するのは「こたわんけん(無理だから)、簡単なパンとコーヒーにしたがよ」。
父の精いっぱいが、じんわりしみた。
大阪府羽曳野市の主婦、西原敬子さん(52)が、今も時折思い出すのは、食パンをじっくりとあぶる母、善子さん(83)の姿だ。
幼稚園に通い始めた頃、朝は何となく心細かった。そんな時、母が弱火のガスコンロにもち網を置き、食パンをのせた。トースターなんて家になかったころだ。マーガリンを塗り砂糖をふってくれた。
それから、週に2日ほど、トーストが出てきた。一方で、父には必ずごはんとみそ汁。父母は履物の工場を営み、弟や妹もいた。今から思えば、朝はものすごく忙しかっただろう……。
パンをあぶってくれる母の姿を思い出すたび、胸の奥がきゅっとなる。「自分も子ども2人を育ててきたが、どれほどあたたかい心を注いでくれたのか、と思う。母には勝てません」
(浅野真、石村裕輔)
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寮の管理代行のバイト先には朝日新聞がある。
前の寮長寮母さんは一週間分くらい残して下さっていたので、それをじっくり読むのが楽しみだった。ところが新しい寮長寮母さんはすぐに処分しておられるようだ。最近はだいたい3日分くらいしか残っていない。
私がいつも楽しみにしているのは「記憶の食」シリーズ。このシリーズでは毎回読みながら泣けてしまう。おととい行ったときには、なんとかこの記事が載っている日の新聞が残っていた。よかった。
今回は古川正子さんが秀逸。
小さい時、生卵を妹と半分こするときずっこしをした話。そのことを66歳になった今も、「話していません」とは・・・。泣けてくる。
66と言えば、うちのにーちゃんと同い年。まさかうちのにーちゃんは7歳も年下の私に、「今も言えない」ようなことはしてへんわなあ。
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【今日のきく】
夜の散歩に出ると、「パンパンパーン! ボンボーン!」
きくはびびって、「なになになに・・・。」
かなり近くで花火の打ち上げ。
「にげろー!」
大きな音が恐いきくは大急ぎで家へ。もちろん、○ンコは出ていない。
明日の朝の散歩までしんぼうせなしゃーないな。
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