2015年03月20日(金)
ヨメきくトレイルラン [ランニング]
今日は、朝からヨメさんときくを従えトレイルラン。
明日13時、「京都キャロット」を基点として「トレイル試走会」を行う。
たまたま以前に、私ときくとで「京都キャロット」の裏山を走ったことがある。そのときは、「こんな身近にいいトレイルコースがあるんや」と思った。そのときはきくも大喜びで、「なんぼでも走らせてもらいまっさー」と言っていた。
今日は明日の試走会の試走。
ヨメさんにもコースを見てもらったほうがいいと思い、付いてきてもらった。
まずは店から京産大体育館へ。
ここまではアスファルトを500mほど。実際のトレイルレースも、たいていスタート直後とゴール手前はアスファルトです。
トレイルコースの入り口付近にきれいな梅の花。
明日もここで記念撮影ですね。
入り口からいきなり急な上り。
それでも、きくはやっぱり大喜び。
あさごはんをやってくるのを忘れたが、そんなことお構いないしで元気元気。
それに比べてヨメさんは、早くも息切れしているよう。
頭上注意!
きくは背が低いのでだいじょうぶ。
前はどっちに行ったんやっけ?
倒木をまたいで進むところもあり。
ヨメさんは、短い足でひとっ飛び。
でもすぐ遅れてしまう。
お勉強の疲れが出ている模様。
スタートから22分ほど。もうここらで帰らないと。
GPSでは、わずか700mほど。標高差は150mほど。それに22分とは、いくらなんでもかかりすぎ。
ちょっと休けいしたあと、一応「ヨメきくトレイルラン」の記念写真。
さて、帰りも同じ道で・・・。
こんなときにも注文の電話が。
山の中でもきちんと仕事をするヨメさんです。
くだりで一番危ないのは、ぬれた岩盤。
こういうところはどんなシューズでもすべると思って、気をつけて下りるしかない。
倒木をきくは、「えいっ!」
ヨメさんは、「よっこらしょ!」
きくは、トレイルランのときはかしこいかしこい犬になる。
なーんでか。
ようわからん。
遅いオバシャンを置いて、先に到着。
ここまで700m、約23分。下りのほうが時間がかかった。
「いいけしきじゃわい。」
店に到着、全部で3km弱、57分。
明日はもうちょっと効率よく時間を使い、50分以内に収めなければ。
「おお、きくの尻尾がたれて、足が前後。これぞシェパード!」
「きくちゃん、きくちゃん」とヨメさんが後ろからきくを襲う。
路チュー強制!
これはあかんやつ。
でもきくは山を走り回って放心状態。
「やられたー。」
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夕方、もう一度下見へ。
「神山」と書いてあるほうではなく「ナナカマド広場」と書いてあるほうに進むと神山頂上に着いた。明日もこっちですね。
帰りは上りとちがう道で下りたほうがええなあ。
ここから「神山コロシアム」のほうに下りよう。
「おお、絶景、絶景。」
これでトレイルコースが1.4km、30分弱。
ちょうどいい感じ。
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【今日のきく】
トレイルランに行く前、一瞬きくにすきあり。
後ろからすくって体重測定。
結果は16.8kg。
絶対17kgを超えていると思っていたので、よかったー。
きくはデブっていません!
若干プリプリなだけでーす。
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2015年03月19日(木)
熟練工 [ガードマン]
今日は書きたいことが二つある。
一つはいい話、もう一つはちょっと気がめいる話。やっぱり、気がめいる話が先ですね。
昨日の話の続き。
「セクハラまがい」というより、れっきとした痴漢行為。一晩考えて、「これは本人(犯人)に直接言うしかない」という結論になった。Sさんを見ていると真樹とダブって、「私が何とかしなくては」という気になる。
今日職朝が終わり、詰所から現場へ歩いていく道々。Sさんと並んで歩くことになった。
「Sさん、昨日の話やけど・・・。」
「えっ、昨日の話って?」
「セクハラのさ。」
「あっ、はい。」
「○○さん(この警備の隊長)にはゆってみたん?」
「はい、ずっと続いていたんで、最近やっと報告しました。」
「そっかー。」
「ガツンと言ってくださったみたいで、それからなくなりました。」
「そうやったん。さすが○○さんやなあ。よかった、よかった。昨日その話を聞いてから、ずっとどうしょうかって考えてたんや。直接言わなあかんのかなあとか。」
「ありがとうございます、心配していただいて。もうだいじょうぶです。」
天下の○○組の下請けとは言え、200人ほどもいたらその中に一人くらいはこんな不届き者もいるんですかねえ。毎日朝礼で各下請け業者の「安全確認事項」を発表されているが、事故を防ぐことの前に「人としての常識をきちんと教えよ」と言いたい。
○○組の社員さんは、「ひとたび事故を起こしてしまったら、すべてがパーになってしまいます」とよく言っておられるが、下請けの作業員が痴漢行為を起こしている現状など認識しておられないんでしょうね。そっちのほうが「すべてがパー」だと思いますが・・・。
とにかく、いつも笑顔で会う人をほっこりさせてくれるSさんが、今日も明るく笑っていたのがうれしかった。おっちゃんはほとんど何の力にもなれんけど、北海道から出てきて京都で一人暮らしをしているSさんのことは自分の娘と同じように思っている。だから、また困ったことがあれば昨日のように話してほしい。負けるな、負けるな。
もう一つはいい話。
今日も私の仕事は「ドアジジィ」。
改修工事も終盤にさしかかり、作業場所として使えるところが限られるようになってきた。私がいるところはふだん作業されるところではないのだが、もう場所がないということで壁面タイルを切る職人さんが作業をされた。
私はこんなん見るのが大好き。できることならいっぺんやらせてもらいたいと思うくらいだが、実際は集中力と緊張感でクタクタになる作業なんでしょうね。
その作業を見ているとき、不思議なことに気付いた。回転電ノコとでもいう機械を左手で使っておられる。「この機械は左手で使う機械なんかなあ。めずらしいなあ」と思っていた。
作業がすべて終わったようだったので、思い切って聞いてみた。
「すいません、ちょっとお聞きしたいことがあるんですが・・・。」
「はい。」
「今、この機械を左手で使っておられましたよね。この機械は左手で使うものなんですか。」
「いえいえ、私は左利きで。左利き用の機械がありませんので、右利き用をムリヤリ使っています。削りカスも本当は手前に飛んでくるんですが、前に飛んでいたでしょう。そんなこともあっていろいろと大変なんです。」
初めてお話させてもらった方だったが、ていねいに説明してくださった。まさか、ガードマンから仕事の説明を求められるとは思われなかったでしょうに。
こないだヨメさんとこんな話をした。
「建設現場の作業ってな、一日が終わったら『フー』となる仕事ばっかりやで。」
「そうやろな。『今日の仕事はつらかったー。あとは焼酎をあおるだけー』の世界やな。」
「それでな、家帰って奥さんからやさしい言葉でもかけてもらえたらええで。ボロクソに言われてみー。そらもうやってられんで。」
「そうかもなー。」
私が目の前で見させてもらった熟練工さん。おうちには、やさしい奥さんとかわいいお子さんがおられますように・・・。
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【RUN】
今までフルやウルトラを走ると、二三日後には決まって唇が荒れていた。ところが今回はそれもない。何がよかったんでしょうね。
今日はゆっくり5km、29分31秒。左足の張りがちょっと気になったが、ゆっくりジョグをするだけなら問題ないでしょう。当分は時間もないことだし、ゆっくりジョグだけですかね。
今日の体重は59.9kg。昨日の61.1kgがおかしかったんかなー。
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【今日のきく】
久しぶりのフルコース。大きな公園まで行って、きくの好きな坂も行って、うちの近くの川沿いも行って帰ってくるコース。たっぷり40分。
「きくちゃん、明日パオパオとオバシャンといっしょに山走ろうな。」
土曜日のトレイル試走会のための下見。きくは山走りが大好きなので、はりきるやろうな。
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2015年03月18日(水)
セクハラまがい? [ガードマン]
今日はちょっと深刻な話。
書くか書かないか迷ったが、短く書くことにします。
ガードマンのバイト先で久しぶりに会ったSさん。真樹と同い年の大学2年生ということで、気になる存在だった。ちょうど休けい時間がいっしょになり、最近のバイトの様子などを楽しく話し合っていた。その話の途中、急にSさんの顔色が変わった。
「私、セクハラまがいのことをされました。それも同じ人に何度も。」
くわしく聞いてみると、それは「セクハラまがい」などではなくれっきとした「セクハラ」。いつもニコニコしているSさんが、こんな暗い表情になるのを初めて見た。よっぽどつらかったのだろう。
そのことをほかの人に話した節もない。前から「うちの娘と同い年やねえ」と話しかけていた私だからこそ話してくれたのかもしれない。
これ以上のことはここには書けないが、何とかSさんの力になってあげたい。明日も会えるのかなあ。さて、なにができるだろう。
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【RUN】
「なごうら100km」以来、もちろん走っていない。
しかし体調はよく、コブラがえりを起こした箇所意外痛むところもない。若いときはもっともっと回復に時間がかかったのに、このごろ回復の早いこと。どうなっとんねん!
日曜56.9kgまでになった体重は、58.3kg→59.8kgと来て、本日一挙に61.1kg。こちらも回復早いねえ。ここまで回復せんでもええのに。
明日は走りたいけど、一日雨みたいやねえ。
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【今日のきく】
今日は夕方から雨。
土日月火と沖縄だったので、きくとの散歩に行けていない。じゃじゃぶりでも行かなくては。
雨だといやがってすぐ帰るのに、久しぶりのパオパオとの散歩がうれしかったのか、雨の中を歩きまくってくさくさになったきくちゃんでした。
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2015年03月17日(火)
一番うれしかったこと [沖縄]
今回の沖縄行きで一番うれしかったことは、「23年ぶりの100kmウルトラ完走」・・・ではない。23年前1992年8月15日、1歳になったばかりの廉をかたぐるましてゴールしたときと比べて、今回の喜びはどれくらいか。「10分の1くらい」と書こうとして、「いやいや、それ以下やなあ」と思った。23年前は「ゴールにヨメさんと廉が待っている」と思いながらがんばって走った。今回はゴールで誰も待ってくれていなかったし・・・。
今回の沖縄で一番うれしかったのは、真樹のプレミアムモルツ。
昨日も真樹はバイト。5時から10時だが後片付けがあるので帰るのは11時ごろになると言っていた。ところが、11時半をすぎても帰ってこない。そのあと地震があったりして不安になった。12時20分、「これはおかしい」と思い真樹にメール。そしたら、メールを送ると同時にカギをガチャガチャ開ける音。やっと帰ってきた。オーダーストップの9時半に9名の団体客が入り、10時の閉店時刻を大幅にすぎても店におられたらしい。
まあそれだけならそんなに遅くならなかったのだが、バイトの帰りに24時間営業のスーパーによってパオパオ用のビールを買って来てくれた。それも、「一番高いのはどのビール」とバイト仲間に聞いてくれて、プレミアムモルツを。
こんなうれしいことってありますか。
真樹は帰るなり、「あーつかれた、ゆんたく、ゆんたく。」真樹もアルコール1パーセントの飲み物を買ってきた。そこから1時間半、真樹とのゆんたくは楽しかった。
いろんな話したなあ。「川崎中1殺害事件」について、いなかの小さな学校から大きな学校に移った経験者として話していたのはすごいと思った。真樹は沖縄で暮らすようになって2年。この2年でずいぶん成長したなあと思う。
ビールを飲んで酔っ払ってたパオパオをイヤな目で見ていたここともあったのに、今やいっしょに飲むなんて・・・。「どしたん」と思うくらい。
昨日の夜、初めて「もう真樹はだいじょうぶ」と思えた。これからもいろいろと困難なことにぶつかると思うけど、しっかりね。パオパオもがんばるし・・・。
(注)もうちょっと、続きます。
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2015年03月16日(月)
第1回なごうらマラソン・続き [ランニング]
23年前、廉が1歳になったばかりの時に出た「カントリーロード100km」。最後はコブラがえり起こりまくりで大変だったが、廉をかたぐるまして14時間49分28秒でゴール。あれから長かったなあ・・・。
今回完走できた理由はいろいろとある。でも、強いて一つあげるなら「あんもマグネット」かなあ。
73km地点近くの名護市辺野古。北山高校駅伝部を通じてお友だちになっていただいた玉城さんが、レース中にくださったもの。
コメントもいっしょにいただいていたのだが、そちらは見る余裕がなかった。今日思い出して見てみると、「100kmマラソン無事完走おめでとうございます」って。
73kmあたりは、少し走ると強烈なコブラがえりが襲いかかり、「これは最後まで行くのは無理かも」と思い始めていたころ。「完走おめでとう」先出しはあかんやろ。結果的に、コメントは見なくてよかったように思う。
地獄で私の来るのを待ち構えているはずのあんもが、応援してくれていると思い出しただけでもよかった。玉城さん、本当にありがとうございました。
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嘉陽小跡地前におられた大会役員さんが、「写真撮りましょうか」。
「お願いします。」
「でも、旗が見えないね。」
ここで、のぼりをつけたポールの先が折れていることに気づく。えらいこっちゃで応急処置。ポールが縮まないようにつけていたガムテープの一部を外し、ポールを補強。あとはタスキを持ってきていたので、つなぎの部分に包帯のようにしてまいた。
所要時間12分。大幅なロスタイム。
しかし、一日「平和・憲法九条」ののぼりを背負って走ると決めたのだから、身近にあるもので補修してなんとかしっかり走らねば。
このとき思いました。
「平和の旗を一日守るだけでも大変やのに、本当の平和を守ることは並大抵のことではない。」
つくづく。
2年前の「久志20km」のときに目をつけていたかわいいワンちゃん。
元気でよかった。
60km地点、8時間00分44秒(49分08秒・・ポール直し12分含む)。
ポールが折れるというアクシデントがあったが、残り40kmを7時間なら、よっぽどのことがない限りだいじょうぶだろうとうれしくなってきた。
きれいな花も咲いているし・・・。
なんとう餅屋さんも繁盛しているようだし・・・。
こんなかわいい琉球犬もほえまっくてたし・・・。
しかし、64kmあたりでふくらはぎに「ピピッ!」
大浦湾の新基地予定地のフロートが見えたあたりで、強烈なコブラかえりが両足を襲い動けなくなった。
「辺野古のたたりかー!」
街路樹にもたれかかり、痛みがましになるまでひたすらがまん。力を入れるとすぐ再発するので、そろりそうろりと歩く。
65km地点、8時間45分03秒(44分18秒)。
65.2kmのわんさか大浦パーク。
こんなん見ると、ちょっと心が癒される。
エイドを過ぎてコースに向かうと、ひどい向かい風。
また、ポールが外れてしまった。直すのに10分。
直すときにかがむと、またひどいコブラがえりがおこり二重苦に。
車の中から吠えまくって応援してくれる(?)ワンちゃん2ひき。
70km地点、9時間37分52秒(52分49秒・・ポール直し10分含む)。
コブラがえりで何回も立ち止まりつつも、ポール直しの時間を引けば5km42分。これからは、ポール直しとの戦いかー。なにしてるこっちゃら。
70.2km。辺野古地区空地エイド。
となりにいた方が、ボランティアさんにむかって「どこの大学生?」
「名桜大学です。」
「おおそうなん。うちの娘も名桜大学のもうすぐ3年。」
「いっしょです。」
「スポ健(スポーツ健康学部)やね。うちの子国際学群やし知らんかもやけど、写真撮らせて。」
やっと、辺野古の海が見えてきた。
もうちょっといいカメラなら、海の様子がはっきり見えたのに・・・、残念。
キャンプ・シュワブゲート前。
ゲート前にはたくさんのガードマン。同業者として何か声をかけたかったが、とてもそんな雰囲気ではなかった。
道の向かいから、私ののぼりを見つけた方たちからの大きな声援。
「がんばってください。」
「おまえもがんばれー。歩いてないで、走れー!」
無茶言いよる。
でも、ニュースや新聞で見るのとこの目で見るのとでは大ちがい。ウルトラレースで、こんなに考えさせられるコースが設定されているところはない。
そして、辺野古の集落へ。
だいぶ前に出ると言っただけで、事前に何の連絡もしていない。応援に来てもらえるのかなあ・・・。
おられましたー、玉城さん!
「あー、藤井さん。よかったー。」
「ありがとうございます。調子よく走ってたんですけど、65km手前でコブラがえりが起こって、それからだいぶ歩きました。それに、のぼりをつけているポールが折れてしまって・・・。辺野古の前だけでもしっかりのぼりを立てて走ろうと思って、なおすのにだいぶ時間がかかりました。」
「そうだったんですか。でも、完走できますね。」
「15時間やしね。よっぽどのことが起こらん限りはだいじょうぶやと思うんですけど・・・。ゆっくり行きますわ。」
玉城さんは私より10歳以上お若いのに、もうお孫さんがおられるおばあちゃん。そのお孫さんと、ちょっと離れたところで笑顔で見守って下さっていたダンナさん。応援ありがとうございました。
その時ちょっと考えたことがある。
辺野古の手前で私を追い抜いて行ったランナー。
「平和ののぼりを背負って、すごいですねえ。でも、辺野古の人たちがどうとらえられるか・・・。」
ゼッケンには「○○んちゅ」と書かれて、どこからの参加かすぐ分かるようになっている。私の場合は「京都んちゅ」。そのランナーは「沖縄んちゅ」だった。
「辺野古の人」というのは、ゲート前に座り込みをしている人たちではなく、辺野古地区住民という意味だろう。親戚や家族の中でも意見がちがい、大変なことになっているという実態をよく分かってられるのだと思う。そんな中を、嬉しそうにのぼりを背負って走っている私への批判の意味で言われたのかもしれない。
また、この先で名護の知り合いから「平和の旗を背負って走るって、どうかなあ」とも言われた。これは明らかに私への批判だった。「遠くから来て引っ掻き回すのはやめてくれ」というニュアンスを感じたのだが・・・。
「でも、これがやりたくて出たんですから。」
こんな私の姿を見て、不愉快に思われた方もあるだろう。ただし、いい加減な気持ちで「のぼりを背負って100km」は走れません。「平和・憲法九条」ののぼりを背負っていなかったら、もうとっくの昔にリタイヤしてました。辺野古や沖縄の人たちを応援するのに自分にできそうなことは、と真剣に考えた結果がこれなんですから。
そのあとも、何度も玉城さんのダンナさんの笑顔が頭に浮かんできた。「私のことをどう思っておられるんだろう。」いつか、しっかりとお話ししたいと思った。
さてそれからは風も弱まり、ポールの手直しをすることもなく順調。
ただし、ちょっと走ってはコブラがえりで歩きだし、ちょっと走っては歩きだしのくり返し。
またまた名桜生を発見で、パチリ。
75km地点、10時間28分36秒(50分44秒)。
だいぶ歩いたので、ついにキロ10分オーバー。
ここで計算。残り25kmをキロ10分ペースで行くと、250分(4時間10分)。あかん! ほぼ余裕なしや。これ以上落ちんことを祈る。
「いや、かわいいワンちゃん。」
「いやま、またかわいいワンちゃん。」
「あらま、こんどはかわいいねこちゃん。エリザベス付き。」
犬猫パワーをもらいながらも、相変わらずのコブラ帰り。歩く場面がさらに増えて行った。
76.1kmの久志公民館前エイドでのこと。
トップスピードがまだ一つ残っていたはず。もうのぼりを下ろす元気がなかったので、エイドにいた女子高校生にバックから取ってもらうことにした。
「黄色いちっちゃいゼリーみたいなんがあるはずやし、さがしてー。」
「すいません、見つかりません。」
「ほんなら、入ってんのん全部出して―。」
背中のバッグから全部探して出してもらったが、やっぱりトップスピードはなかった。どうも、ポール様に開けていた小さな穴から抜け落ちてしまったようだ。
「ガックリ! 600円がパー。」(そっちか!)
一生懸命探してくれた女子高校生さん、すみませんでした。
そのあとは、またまた延々と続く上り坂。これはいよいよやめ時が近づいてきたんかな。
しかしその時、峠から「ふじいさーん!」
「やー、ますみさーん。」
21世紀の森ランクラブの面々。クラブの仲間プラス私の応援に来てくださっていた。よく冷えたお水をいただき、エアーサロンパスとローションでふくらはぎのマッサージまでしていただいた。本当にありがたかった。
80km地点、11時間26分58秒(58分22秒)。
おお、ついにキロ12分ペース。
残り20kmをキロ12分で行くと、240分(4時間。)
あかんやん。また関門アウトやん。
しかしエアーサロンパスとローションとマッサージが効いたのか、81kmあたりで「スコン!」とコブラがえりがなくなった。それから、ゆっくりだが続けて走れるようになった。
85km地点、12時間10分24秒(43分25秒)。
復活しましたがなー。あと15km、キロ11分でだいじょうぶ。さっきからこんな計算ばっかり。
ところが、今度はポールが故障。
1回なおしたのにまたこわれ、もう今持っている道具だけでは補修は無理と判断。88km地点あたりから、手に持って走ることにした。ここから見た人は、「どうして釣竿を持って走ってるのか」と思われたでしょうね。
でも、抜きつ抜かれつだった方はみな「平和がんばれ!」と声をかけて行ってくださった。ありがたい、ありがたい。
ネコちゃんも応援してくれてるもんね。
90km地点、13時間03分55秒(53分30秒・・ポール直し16分含む)。
「ポール直し2回16分引いたら、5km37分半。これは行ける。もう絶対に行ける」と確信。
(注)もうちょっとだけ、続きます。
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2015年03月15日(日)
第1回なごうらマラソン [ランニング]
強風にやられました。
それでも、4年ぶりのウルトラは23年ぶりの完走。(初ウルトラを完走後、連続16回途中収容記録更新中でした。)
「平和・憲法九条」ののぼりを背負って走ったのはよっかったのだが、強風でポールがこわれその補修に時間がかかった(5回で、延べ50分ほど)。65km手前でコブラがえりがおこり、そのあと悪化。一時一歩も進めない状態に。よっぽどやめようかと思ったが、そのあと盛り返してゴールへ。
14時間31分54秒。
順位が半分より上なのが意外。
よくがんばったので、もう寝ます。
続きはのちほど。
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朝3時起き。
3時半ころ、真樹のアパートをこっそりと出て行った。
会場の21世紀の森まで歩いて20分ほど。娘の家に泊まって参加しているランナーは、私くらいでしょうか。
私の「ランナーズ9の会」のユニフォームを見て、話しかけてこられる方あり。大阪のNさん。茨木の山下けいきさんのこともよく知っておられた。
開会式の司会はパッション屋良さん。
もちろん、稲嶺名護市長もご出席。
選手宣誓は女性ランナー。
たくさん声がかけられていた。
4時30分、ヘッドランプを付けた約500名のウルトラランナー(100kmと73km)がスタート。
私のしょぼいヘッドランプをつけなくても、周りの方のライトの明かりで十分走ることができた。
スタート後、スタートラインのところで少しだけ市長さんとお話しできた。
「こののぼりを背負って100kmがんばって走ります。毎年6月23日には、那覇から名護まで70kmをのぼりを背負って走っています。6月よりはずっと涼しいので、最後まであきらめずに走ります。」
「絶対にゴールしてください。がんばって!」
固い握手をしていただいた。
1km分ほどいったん戻る。これは100kmの距離合わせなんでしょうね。
10kmまでは58号線の歩道を走る。
最初の5km、41分46秒。「キロ8分ペースで行けるところまで」と思っていたので、思い通りの滑り出し。
10km、1時間19分49秒(38分02秒)。
早くも私の「飛ばしクセ」がでてきたが、「涼しいうちに走れるだけ走っとく」という考えもまたいいでしょう。
12.3kmで初のエイド。
ここで、スタート前に投入予定だったトップスピード(ベスパに似たサプリ)を投入。
6時ころ、やっと明るくなってきた。
本日初登場のワンちゃんは、屋我地島の「シロ・オス・7歳」。
シロという名前なのに、顔は真っ黒のかわいいワンちゃんだった。
農具小屋につながれていた琉球犬(?)。
このワンちゃんの写真を撮っていると、話しかけてこられる方あり。大阪の○さん(お名前聞き忘れました)。
この方は、毎週ほど各地のフル以上のレースに出ておられるランナー。そのモットーは「上りは全部歩く」だそうだ。それで、ほとんどのレースを制限時間内完走されているのだからえらいもの。
こちらは屋我地島内を散歩中の「マロン・オス・4歳」。
屋我地島は農家が多いようで、犬を飼っておられるおうちも多いようだ。
すごく速いランナーが帰ってきたので一応撮らせてもらったが、何位のランナーかは分かりません。
15km地点、2時間01分32秒(41分42秒)。
トイレに行ったので時間がかかった。なんせ、のぼりをおろしたりつけたりするだけで時間を食うもんで。
そして、古宇利島大橋へ。
橋のかかりが20km地点。2時間36分39秒(35分06秒)。ここら、ちょっと調子に乗りすぎて飛ばしすぎ。
真樹は来月「古宇利島ハーフマラソン」に出るらしい。同じところを走るんやね。
22km地点、古宇利島内のエイド。
そのエイドで、「キャロットの藤井さん?」と話しかけてこられる方あり。
「いやー、田中さんじゃないですか。4年前の『サロマ』以来ですね。」
「そうですね。」
「ウルトラ、ずっとやってはるんですか。」
「はい、『サロマ』だけですけど。」
「ボクは、4年前の『サロマ、丹後、四万十』の3つとも途中収容でウルトラ引退宣言したんですけど、4年ぶりに出てみることにしました。」
「娘さんが名護におられるんですよねえ。」
ああ、きっと田中さんは「パオパオだより」を見てくださっているのだ。ありがたい、ありがたい。
「どうして、この大会に出てみようと思われたんですか。」
「私、沖縄大好きなんです。」
以前から感じのいい方だと思っていたが、これでさらにイメージアップ。
「屋我地島の入り口にファミマあったでしょう。あそこに娘が応援に来てくれる予定なんです。」
「それはいいですね。」
「うちの娘ね、あぐー豚のお店にスカウトされたことあるんですよ。あぐー豚みたいにかわいい子が立ってたら、それがうちに娘です。」
「なんでやねん!」
さすが大阪人、きっちり突っ込みを入れてくださった。こうして知り合いと話ができると、またぐっと力がわいてくる。
エイドではいろいろな食べ物を用意してくださっていたが、私はほとんど取らなかった。お腹の中でいろいろいろなものが混ざると、調子が悪くなることが多いから。
古宇利島からベルパライソが見える。
ごんちゃんや★の砂さんがおられたら、海の向こうから応援してくださっただろうに。
25km地点、3時間16分44秒(40分05秒)。
トイレに行ったので、ちょっと時間がかかった。
古宇利島オーシャンタワーをすぎると、もうすぐ大橋。
と思ったら、まだけっこう遠かった。
さて、古宇利島大橋の帰り。
これが最高の向かい風。のぼりがまともに風を受け止め、海にはまってしまうかと思いましたわ。
渡り終わったところで写真を撮ってもらったが、橋の上はこんなもんとちゃいました。えぐすぎました。
しかし、30km地点は3時間50分50秒(34分34秒)。なんと5kmの最速スプリット。」
「負けへんでー」と叫びながら走っていたのがよかったんでしょうか。(「負けへんでー」の中には、「風に」というよりも大きな意味を込めていたのですが…。)
このあたりから、だんだんと前の人影が見えなくなってくる。100kmの参加者が400名くらいらしいので、こうなってしまいます。
そういう時は周りをキョロキョロ。
「みごとな白馬じゃー。」
34km地点、屋我公民館前エイド。
トマトと海ブドウの入ったパンは食べやすく、2つもいただいた。
モズク豆腐は、私にはもひとつ…。
35km地点、4時間27分32秒(36分42秒)。
この先に真樹が待っていると思うと、自然とスピードが上がる。
しかし、ここではたと気が付いた。
「このままでは、ファミマに着くのん早すぎるやん!」
ファミマは37kmより手前で、9時過ぎに通過。9時10分、急いで真樹にメール。
「思っていたより早くふぁみまを通過しました。」(カタカナ変換できていません。)
「あら?笑 じゃあこころのなかで応援しとくね!
ゆっくりがんばって〜」
「こころのなかで」って、ほんまは寝坊したんとちゃうやろな。
ここで精神的にガクっと来たのが、体にも影響か。突然、左ひざに激痛。それは、2年前の「舞鶴ハーフ」と同じ。ただし経験済みなので、ゆっくりゆっくり走っていたら治ってきた。よかった。
今回一番心配だったのは、カチカチになっている足の指先。特に、左足の親指の先はひび割れてチクチクしていた。立ちっぱなしのガードマンの職業病ですね。それでも、ヨメさんにもらったクリームをぬって少しましにはなっていた。
40km地点、5時間04分43秒(37分10秒)。
しかし、ここから山岳コースへ。
2kmで180mほど上がる。
峠には禁酒道場。
何か怪しげな碑も。
レースじゃなかったら、ゆっくり見ていきたいんですけど・・・。
私設エイドもちらほら。
45km地点、5時間42分31秒(37分10秒)。
ずっと先までランナーは見えないんですよねえ。
47.7km地点のトランジッション到着。
履き替え用のシューズを用意していたが、「ターサージールTS」に全く問題がなかったのでそのまま行くことにした。
Tシャツ、ランパン、5本指ソックスだけ替えて休けい。
ここで、21世紀の森ランクラブの才野さんにバッタリ。
「このあと全部歩くかもしれないんで、関門にかかるかも・・・。」
「なにゆってはるんですか。下りだけでも走ったら十分行けますよ。」
トップスピード2本目を投入し、再スタート。
50km地点、6時間17分00秒(50分23秒・・16分21秒の休けい含む)。
52.1kmの天仁屋小跡地エイド。
名護高校の女子がボランティアをしてくれていた。
「うちの娘、京都出身なんやけど、今名桜大学行ってんねん。」
「オー!」
55km地点、7時間11分36秒(38分42秒)。
山を下り終わると、「久志20kmロードレース」の会場である嘉陽小学校跡地。この先は一度走ったことのあるコースなので心強い。
「55kmすぎが中間点」くらいの気持ちでいたらいいんでしょうか。
(注)後半に続く。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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