2014年07月17日(木)
目黒様の席 [雑用]
昨日の夜から今日の午後3時まで、また寮の管理代行のバイト。
この寮はほとんどが18、19の男子。この子らと私語を交わすことはほとんどない。4月に代わられた新しい寮長寮母さんとは歳が近いのだが、私の勤務のときは大阪のおうちに帰られるので話す機会もない。あとは食堂とお掃除のおばちゃんたちだが、この方々は仕事が忙しく話す時間がない。つまり、雑用をしている時間意外は、管理人室でボーとしている時間が長い。
ところが今日、めずらしく私語を交わす機会があった。
食堂の食材を搬入されているこの寮の子会社のドライバーさん。いつもなら、食材を搬入し検品が終わるとさっさと次の搬入先に向かわれる。ところが、今日は私の足のテーピングを見て話し掛けてこられた。
「その足のはなんですか?」
「ああ、これ。走りすぎて足痛めて、整体院でテープはってもらったんですわ。」
「えっ、マラソンやっておられるんですか?」
「そうですねん。年寄りの冷や水ちゅうやつですわ。」
「いえいえ、すごいじゃないですか。私なんか、とても走れません。」
「なんやかんやゆうて、マラソンは50代が一番多いみたいですよ。」
「実は僕は若いころは短距離が速くて、陸上部でもないのに大会に出てたんです。」
「いやー、そっちのほうがすごいじゃないですか。」
「1500mにも出たことがあって、4分半くらいでした。」
「それめっちゃ速いですやん。うちの息子とそう変わりませんよ。」
「運動会の時は、校長先生の横に『目黒様の席』って用意してくれてたんですよ。」
「すごい。ヒーローですやん。頭のええ子より足の速い子のほうがもてますもんねえ。」
今までほとんど私語を交わしたことのなかった食材屋さんが、若いころ足の速かった目黒さんという名前の方だと初めて知った。歳は46歳だそうだ。走ることに興味があるから、私の足のテーピングにも目がいったんでしょうね。
何から話が盛り上がるか、分からんもんですねえ。
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【今日のきく】
暑いけど、今日もお散歩。
花背造園さんのネコちゃん。
きくの存在に気付かず、きくもこのネコちゃんの存在に気付かず。
狭いところも全然平気でもぐりこんでしまうきくちゃんでした。
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【RUN】
今週の土曜、廉が久しぶりのトラック競技に出場。本当に久しぶりなのでいいタイムは望めないが、しっかり走りきってほしい。私らは「やぶはら高原マラソン」に出張で、応援には行けないけれど・・・。
でも、その話を聞いて俄然私も走る気ががわいてきた。足の痛みもましになってきたような気がするし・・・。
3km16分49秒のあと、1000m全力。
久しぶりなので、なんとか4分切りを・・・。
結果は3分59秒67。
ほんまかいな。申告タイムレースなら、優勝やね。
1kmダウンジョグをして、今日は5km。
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2014年07月16日(水)
第27回反核平和の火リレー・大阪 [ランニング]
2日前、茨木市議・山下けいきさんに電話。
「足の具合がよくないんですけど、今年も『反核・平和の火リレー』に参加させてもらいます。いつもは島本町役場まで行ってたんですけど、今年は高槻市役所でかんにんしてもうて・・・。お弁当をいただいて帰らしてもらうちゅうことでもいいでしょうか。」
山下さんのお返事は「もちろん大歓迎」。ちょっと「食い逃げ」のようで気が引ける面もあったが、まあ「にぎやかし」ということで・・・。
9時01分のバスに乗り、地下鉄、阪急を乗り継いで茨木市へ。阪急茨木市駅到着は10時06分。急いでそのに西側にある茨城市役所へ。
朝からリレーされている山下さんをお出迎えしようと思っていたが、私が市役所に到着したとき、それより前に山下さんたちは到着されていた。
10時20分から、茨木市役所での引き継ぎ集会。
全員集合写真を撮って、10時40分ころ阪急茨木市駅に向かってスタート。
駅の手前ですれちがったご婦人から、「カンパさせてください」と申し入れ。本当にありがたいことです。
茨木市駅前で少し休憩し、ここから先は「ランナーズ9の会」のメンバーのみになった。
途中で原水禁の平和行進と鉢合わせ。
「エール交換」です。
気温はグングン上がっているようだが、風があるのでいくらかまし。
高槻市役所にはちょうど12時くらいに到着。
走った距離は8km弱か。
「あいおわ治療院」の高橋大輔似の先生がはってくださったテープが効いたのか、左アキレス腱の外側の痛みはましだった(「アキレス腱の痛み」と書いてきたが、正確には「アキレス腱の外側の痛み」)。
お楽しみのお弁当タイム! (これを楽しみにしていたのは私だけかも・・・。)
「藤井さんのブログは、毎日更新ですもんねー。すごいですねー。」
「まあ、いかに仕事をしてへんかという証明みたいなもんで・・・。」
食べ終わったらトンヅラを狙っていたのだが、そうゆうわけにも行きません。午後1時からの高槻市役所前での引き継ぎ集会へ。
「山下さん、うちのヨメさん、どこの政党も関係なく政治家はみんな嫌いで信用してへんらしいです。でも、山下さんだけは一目置いてるんですわ。」
「それはまたどうして?」
「前に、子宮頸がんワクチンの予防接種のいいかげんさをブログに書いてはったでしょう。あれを読んで、娘に受けさせるんやめたんですよ。読んでへんかったら、受けさせてしまうとこやったって。ほんまに山下さんに感謝してます。」
「ランナーズ9の会の仲間で『ゼファー750』さんという方がおられて、薬害にすごくくわしい方で・・・」
このあと、かわせみさん、山下さんと薬害についての話になった。
高槻市役所前の引継ぎ集会には、革新系無所属といっていい3名の市会議員さんも出席してくださった。
そして、今日のゴール・島本町役場目指して再スタート。
私の足の具合は、3日前の「反核平和マラソン」に比べればずいぶんまし。でも、もうちょっと走りたいなあ、くらいでやめておくのが今はいいと思います。阪急・高槻市駅まで並走することに。
みなさん、「しっかりね」。
来年は、私も全行程走れるようにがんばります。
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2014年07月15日(火)
戦争は過去のことではなく未来のこと [時事]
◎京都新聞7月13日朝刊・コラム「暖流」
目には見えないけれど 立命館大教授 津止正敏
障害者の多くは「戦争及び他の形態の暴力の犠牲者である」(1979年、国際障害者年行動計画)。戦争のない平和な社会でしか人びとの人権と福祉は守れないということだが、このメッセージが葬り去られようとしている。
「早く子ども産んだほうがいいのかな」「私の子どもや孫の時代はどうなるんだろうね」。娘が不安げに呟いた。サッカーのメッシやネイマールというスター選手の凄さをひとしきり解説した後にふと漏らした不安だ。昨年結婚したばかりなのだが、子どもの話は聞いたこことはなかった。「時代」などという社会性のある言葉も口にしたことはない娘なだけに驚いた。そうなんだ、この子たちにはもう戦争ということが過去のことではなく未来のこととして迫っているんだ。
2000万人の他国の命を奪い、自国の300万人以上の命を犠牲にした先の戦争。その深い反省から不戦と平和の誓いが生まれ、戦後がスタートした。もうすぐ70回目の8月15日がやってくる。人でいえば古希、みなで祝福すべきこの国の節目の年を、すべてリセットするかのような形で迎えようとしている。それもたった一回の閣議決定だけで、といえばやはりおかしい。
ブラジルでサッカーワールドカップが開催されているこの時期に、深夜手に汗握り世界のスーパープレーに酔いしれているこの時期に、ドタバタと戦争できる国への仲間入りを決めた。やはり間違っている。まるでクーデターだ。軍部の暴走とは違って目には見えないけれど根っこは一緒だ。
これでいいのかな。本当にこれで大丈夫なのかな。本質はいつも見えるものの奥深くに潜んでいる。誰の目にも見えるようになるにはずいぶんと時間がかかる。厄介なのだ。だから気付いた人が気付いた時に気付いたその事を、思い切って拡散していくしかないのだ。
今日も中東のパレスチナ自治区ガザでは空爆が続き、女性3人と子ども4人が死亡したとの報道が流れた(7月10日)。これが戦争のリアリティーだ。
■つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる−男性介護者100万人へのエール−』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言−』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」−』、『子育てサークル共同のチカラ−当事者性と地域福祉の視点から−』など。
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津止先生は私の2歳上。結婚されたばかりの娘さんがおられるとのこと。
私にも来月20歳になる娘がいる。そんなに遠くない未来に結婚し、子どもも産むだろう。そして私がこの世から消え去ったころに、孫(私にとってのひ孫)ができているかもしれない。私の息子や娘、その将来の奥さんやダンナさん、そしてその子や孫に「絶対に戦争しない国」を引き継いでいってもらわなくては・・・。
私は58歳のこの年まで、戦争の恐怖を味わうことなく生きてこれた。私にとって戦争は、自分が生まれる10年前に終わった過去のものだった。しかし7月1日、集団的自衛権行使容認の閣議決定が成され、戦争できる国への仲間入りを決めてしまった。
憲法9条に手をつけずに戦争ができる国に変えられるとは。そんな詐欺まがいの政策に協力する政党があるとは。ここ数ヶ月は本当に「まさかまさか」の展開だった。そして7月1日から、「戦争は過去のことではなく未来のこと」になってしまった。
今の私たちにできることは、津止先生がおっしゃるように「気付いた人が気付いた時に気付いたその事を、思い切って拡散していくしかない」。
私ももっともっと勉強して、気付いた時に気付いたことをこのブログを使って拡散したり、アピールランをして拡散していきたい。
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【RUN】
夕方6時すぎ、ちょこっと走りに。
左アキレス腱は相変わらず痛む。しかし、それより首をしめつけられるような息苦しさ。
こないだテレビのクイズ番組で言っていたが、京都市が全国一真夏日が多いらしい。こんなナンバーワンいらんにゃけど・・・。
いつもの5kmコース。
行きはアキレス腱が心配でそろーりそろーり。また1km6分17秒もかかった。
しかし徐々に痛みがましになり、折り返しが15分02秒だったのに帰りは13分55秒で28分57秒。ちょっとはましになってんのかなあ。
またエルちゃんクーリングダウン1kmで、今日は6km。
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【今日のきく】
「廉ちゃんのバイト先のワンコに因縁つけたったー。へへへー。」
「それ、あかんやろう・・・。」
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2014年07月14日(月)
第33回反核平和マラソン兵庫・続き [ランニング]
神戸市役所から明石市役所までの約25km、60名を超えるランナーが「反核・平和」の願いをこめて走り続けた。(私は14kmですけど・・・。)
ゴールの明石市役所では、例年通り閉会集会。
一通りのごあいさつのあと、各グループの代表から感想などを話していただいた。わが「ランナーズ9の会」からは、もちろん会員ナンバー「1」の9ちゃん。いつもビシッとしたいいごあいさつです。(写真は、そのあとお話してくださった「ランナーズ9の会」の香川の会員さん。)
私も「ランナーズ9の会」のTシャツの宣伝も兼ねてごあいさつ。
「京都の藤井です。私が着ている黄色のTシャツが2500円、白が2000円ですのでよろしくお願いします。
去年もこの場でお話させていただいたので、その続きということになりますが・・・。去年の6月23日の沖縄慰霊の日に、那覇から名護までの70kmを『平和・憲法九条』ののぼりを背負って走ろうと挑戦したんですが、55km地点で日が暮れてしまって断念。でも、今年の6月23日に再挑戦してなんとか70km完走できました。
娘が名護の大学に通ってまして、去年はゴールで待ってくれている予定が私がゴールできず、今年はゴールできたんですが娘はバイトがいそがしくて来れずということになりました。でも、私のブログを通して知り合った方がいっしょに走ってくださったり、ゴールに待っていてくださったりしてうれしいゴールになりました。
名護と言えば、みなさんご存知だと思いますが稲嶺市長さんが米軍基地の問題でがんばっておられます。稲嶺さんは毎年那覇マラソンにも出場されているランナーで、私たちランナーの気持ちもすごくよく理解してくださっています。名護ハーフマラソンのときに稲嶺市長さんとちょっとお話させてもらったんですが、京都の丹後地方にも近畿初の米軍基地ができるんです。Xバンドレーダー基地といって強力なレーダーを出す基地らしいです。
その丹後地方でも過疎でそこにしがみついていてもしょうがないと思われる方が多いらしく、相場の何十倍もの値段につられて土地を手放した方が出てしまったようです。いつもの住民を分断するやり方ですね。沖縄を見ていてもそうですけど、最初の一歩を許してしまえば際限なく拡大する恐れがあります。京都府民にもほとんど知られていない米軍新基地問題なので、兵庫県民のみなさんならなおさらご存じないとは思いますが、ぜひこの問題にも感心を持っていただきたいと思っています。
この大会に京都から参加しているのは私だけだと思いますが、すごくいい大会だと思っているので、来年はぜひ京都の仲間を連れてきて参加したいと思います。」
閉会集会のあとは、お楽しみ「ランナーズ9の会」の交流会。例年通り、1.5kmほど東側に戻った「龍の湯」さんへ。
道々「ランナーズ9の会」の大先輩・かわせみさんとしゃべっていると、入り口を通り過ぎてしまった。けっきょく、1.8km26分の道のり。
かわせみさんは私より16歳年上。親子では近すぎて兄弟では遠すぎる歳の差。そんな中途半端な関係だが、なぜか話が合う。そういえば、いつも仲良くさせていただいている朝日啓介さんや八田努さんも同じ年代。私は彼らをブルース・リー世代と呼んでいるのですが・・・。
「藤井さん、沖縄の大学に通ってられる娘さんに、沖縄で就職せーとか言ってはるんじゃないでしょうね。」
「それがね、どういうわけか、娘のほうから『沖縄で就職して、結婚もしてずっと住みたい』ゆうとるんですわ。」
「へー、そうなんですか。」
「うちのヨメさんなんか、去年の4月に娘が沖縄に行ったとき『1ヶ月もたたんうちに帰ってくるかも』って心配してたんですわ。それが、『今年の夏休みは京都には帰らん』ゆうてるんですから・・・。これはショックやったけど、そんだけ沖縄が気にいってくれてうれしいです。」
おふろのあとは、「こだわりタコめし御膳」+生ビール。
いろいろな手配は、すべて9ちゃんがしてくださったようです。ありがとうございました。
私はかわせみさんと「はらっぱ」さんの間の席。
「はらっぱ」さんは背が高くいつも目立っている。初めてお話させてもらったが、私の1歳上。
「前はどんな仕事をされてたんですか。」
「小学校の教師です。」
「それをやめられて?」
「そうです。もう23年も前ですけど・・・。」
「どういった理由で?」
「一番はやっぱり日の丸・君が代の強制ですね。京都市の小学校に強制されて5年は辛抱しましたけど、もう限界で。卒業式に導入されたとき、京都市の全校長が一夜にして寝返ったんです。恐ろしいと思いませんか。それまですごくいい校長さんやと思ってた方まで全員ですよ。大変な力が働いたちゅうことですね。あの寝返り校長が自分の将来の姿かと思うと情けなくて、やめさせてもらいました。」
手短に話したので、理解はしてもらえなかったかも。
簡単な自己紹介。
「ランナーズ9の会」掲示板管理人の尼崎の酔うたろう君。「サロマ100kmウルトラ」サブ8の実力の持ち主。しかし、つい先日まで入院されていて病み上がりでの参加。これも「反核・平和」への執念のなせる業ですね。
「ランナーズ9の会」発起人の9ちゃん。
過去に国際女子マラソン出場の実績あり。「ランナーズ9の会」は会費も会則もないランニングクラブで会長も定めていないようだが、代表としてのあいさつは9ちゃんにふられることが多い。
(参加者一人ひとりの自己紹介があったのだが、省略します。)
私の自己紹介。
「さっきいっぱいしゃべらせてもらったんですけど・・・、またしゃべらせてもらいます。
今ウルトラの話で盛り上がってたんですが、私は『丹後ウルトラ』10回(オーという歓声)、『サロマ』3回(オー)、『四万十』3回(オー)・・・、合計16回の100kmウルトラを・・・、ぜーんぶ関門収容でバスに乗って帰ってきました(ハーと大きなため息)。
まっ、そういうことで、最近は3kmとか5kmとかの心臓バクバクになるレースばっかり出てます。私らの年代になると短いのは参加者が少なくて、入賞の可能性があるのでがんばって走ってます。
さっきの話の続きみたいなもんですけど・・・。7月1日の『集団的自衛権行使容認の閣議決定』は、私の人生最大の節目と言っていいと思っています。日本ももう終わりやなあと思いました。これからこんな国に生きていてもしょうがないとも思いました。でも新聞などの論評を見ていると、『これで終わりではない。戦争のできる国にしないように、まだまだできることがある』と書いてありました。
そう思ったとき、自分にできることは走ることくらいで、走って平和をアピールできたらいいなあと思ってがんばっています。毎月9日に9km走る『9の日平和ラン』と、最終水曜には国労で首になった中野さんという方を応援する『国労応援ラン』というのを続けています。両方もうすぐ5年になります。
まあうちのヨメさんからは『アンタのやっていることは理解ができん』と言われてますけど、『なんやかんや理由つけて、ただ走りたいだけやん』と言ったら『それなら分かる』と言われてます。
これからもアピールランは続けて行きたいので、また来年も必ず参加させてもらおうと思っています。」
この場で、40代前半の若手ランナーが「ランナーズ9の会」に入会してくださった。今まで58歳の私でも若手に入れられるくらい年齢層が高かったので、非常に喜ばしい。20代や30代のランナーにも声かけをしていかなくては・・・。
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2014年07月13日(日)
第33回反核平和マラソン兵庫 [ランニング]
京都の自宅を6時20分に出発。そのころは雨はパラパラ。
ところが、8時半に阪急三宮駅を出ると激しい雨。左アキレス腱の具合が悪いので、スタートから5kmほど走り、中抜きをしてゴール前5kmほど走ろうと思っていた。しかし激しい雨で、ぬれた体で冷房ガンガンの電車に乗るとカゼをひく。ここで急きょ予定変更、前半部分は電車で行って後半部分だけ走ることにした。
集合写真だけ撮らせてもらって、私はJR三宮駅まで傘をさしたまま並走。
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みなさんをお見送りし、私はJRで「須磨海浜公園」駅へ。
走るとなかなか着かないのに、電車だとあっという間。
料金もわずか180円。
早朝にコンビニのおにぎりを1個食べたきり。
須磨水族館は10kmすぎくらいの地点になるはずなので、みんなが到着するまでまだだいぶ時間がある。駅の近くに喫茶店があるものと思っていたが、住宅地でお店はなかった。国道に出ると700m先にマグドナルド。そこをめざして歩いていると、こじんまりした喫茶店があった。
マスター「わー、こんな雨の中走ってこられたんですか。」
パオパオ「いえ、私ここから明石市役所まで走りますねん。今、仲間が神戸市役所からこっちに向かってるんです。」
マスター「しかし、こんなに降ったら中止ちゃいますのん。」
パオパオ「私らの走ってるやつは中止にはならへんのですわ。」
450円のモーニングセットBはおいしかった。駅から雨の中を歩いて体が冷えていたので、ホットコーヒーがすごくおいしく感じられた。
この店にもう来ることはないかもしれないが、「100時間かけたこがし黒カレー」が気になる。食べてみたいなあ。
食べ終わるちょっと前に、向こうが見えなくなるくらいの大雨。「これは中抜きじゃなく、後半から参加に変更してよかった」とつくづく思った。
喫茶店を出たのが10時。
水族館前には陸橋があり、かなり遠くまで見通せた。
ただどう考えてもみんなの到着までだいぶ時間がある。雨は降り続いていたが、小降りになったのでそこらをブラブラ。
イルカも元気にはねている・・・。
10時半になったが、いっこうに来る気配がない。心配になって9ちゃんと尼崎の酔うたろう君のケイタイに電話してみたが、走っていたらわからんにゃろねー。二人とも反応なし。
「ヒマやし、自分撮りでもしてっと・・・。」
すると、やっと来ましたエイド担当車両。
「40分ほど待ちましたわー。」
そのまた10分ほどあとに、アナウンスを流しながらの先導車両。
ランナーは交通ルールを守って走っているので、だいぶ遠回りの横断歩道を渡って。
陸橋の上から見ていると、その隊列は壮観。
先ほどの土砂降りの雨でずぶぬれになっているはずだが、みなさん元気元気。
ここで10分ほど休憩。
給水給食、トイレもすまし再スタート。
私もここから参加。ここから明石市役所まで13kmくらいとふんでいるのだが・・・。
再スタート時には雨はやんでいた。
結果論だが、ほんとうにここからスタートさせてもらってよかった。
ゴールまであと1kmくらいのところから、恒例シュプレヒコール。
「憲法9条をまもろう!」
「集団的自衛権行使、はんたーい!」
「原発再稼動をゆるすなー!」
道路を挟んだ向かいのマンション前にいた小学生男子3人が、そのシュプレヒコールにあわせてこぶしを突き上げ「オー!」と声をあげてくれた。たぶん私たちのシュプレヒコールの中身までは理解してくれてなかったとは思うが、本当にうれしかった。
「いつものでっかい『平和・憲法九条』ののぼりがあったらなあ・・・。」
明石市役所には1時すぎにゴール。
私のGPS腕時計では、須磨水族館から約14km。スタートから測っておられた方にお聞きすると、全行程で25.5km。主催者発表は24kmなので、それよりは長そう。
「雨のせいで涼しくなってよかった」とおっしゃる方が多かった。たしかに、去年もおととしも暑かったもんね。
心配していた私の左アキレス腱も、痛くはなったがなんとか持ちこたえた。これも大勢で楽しく走らせてもらった効果ということでしょうか。
大きなのぼりは自粛ということで、ミニのぼりを帽子につけて走った。アピールランとしては、ちょっと物足りなかったなあ。
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2014年07月12日(土)
辺野古は巨大な永久基地 [時事]
◎京都新聞7月12日朝刊
辺野古に未公表施設
内陸で計画 兵舎30棟以上
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先の同県名護市辺野古で、滑走路建設のため埋め立てる沿岸部のほかに、内陸部に施設を建てる未公表の計画図案を盛り込んだ米政府内部文書を11日、共同通信が入手した。2008年に作成された文書で、貯水池を囲む森林地帯に、これまで地元にも説明していない兵員宿舎など30棟以上を建てる計画になっている。(共同通信)
かつて日米交渉に携わり、計画図案を見た米国防総省関係者は「6年前の草案だが、今後基本的にこの線に沿って建設事業が進むだろう」と述べた。専門家は「機能強化された巨大基地の姿がうかがえる」(我部政明琉球大教授)と分析しており、地元が懸念する基地機能拡大の可能性を示す内容だ。名護市の稲嶺進市長は内陸部の建設計画について「聞いたことがない」と言明した。
米国防省関係者によると、米側は防衛省と事業者の沖縄防衛局に対し地元に全体像を説明するよう早くから求めてきたが実現していない。米政府内に「透明性の観点から日本側の対応は問題」との声もあるという。
計画図案には、辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沿岸部の埋め立て地にV字形滑走路や駐機場、格納庫、燃料施設、爆薬搭載エリアがあり、この点はすでに公表されている。しかし計画図案は、キャンプ・シュワブに通じる国道329号線の内陸側の森林地帯に新設される多数の軍関連施設を明記。水源である辺野古ダム貯水池の周辺に兵員宿舎、運動場などが描かれている。
この森林地帯はキャンプ・シュワブの一角で、米軍が演習などに使用している。日本政府のこれまでの説明では移設事業のための「埋め立て土砂の採取区域」とされており、施設の建設予定地にはなっていない。
防衛省は11日夜、計画図案について「承知していない」と回答した。
地元無視 怒り 「移設でなく基地強化」
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画で、代替施設建設事業に未公表の建設計画図案があることが明らかになった。
水面下で基地拡大の構想が進められている可能性がある。地元を無視したやり方に、名護市は強く反発。稲嶺進市長は、真相を明らかにするよう防衛省に要求する構えを示した。
「さもありなんだ」。稲嶺氏は建設計画図案を食い入るように見つめた。図案は、内陸側の辺野古ダム周辺に兵員宿舎などを次々と立てる構想。辺野古沿岸部の埋め立てに使う土をダム周辺で採取し、平坦になった跡地を何かに活用するのではないかー。稲嶺氏の懸念が的中した形だ。
「巨大な永久基地になる」と懸念するのは移設問題にくわしい名護市の大城敬人市議。「単なる移設ではなく、基地機能の強化だ。政府は県民をだましている」と訴えた。
沖縄には在日米軍軍用施設の約74%が集中。政府は沖縄の基地負担軽減を口にする一方で、普天間の辺野古移設を着々と進め、計画図案の内容は地元に伝えていない。
「基地機能が増えると負担軽減にならないから、政府は隠したいのだ」。稲嶺氏は政府に対する不信感をあらわにし、「県民に対する差別だ。将来どうなるかまで言うべきだ」と強く批判。計画の全容を明らかにすることを求め、地元に説明がなかったことについても問いただす構えだ。
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今日の京都新聞の一面は、「辺野古に未公表施設」。沖縄県名護市辺野古の記事が、京都新聞の一面に来ている。そのニュース自体はゆゆしき問題だが、一地方新聞である京都新聞が一面で取り上げてくれたことは心強いことだ。
それに比べて毎日新聞の一面は「幼児教育に小1内容」、その横が「野々村県議を告発」。辺野古の記事は、一面どころかどこを探しても触れていない。
「もうええぞ、詐欺県議の記事は。」
一度だけお話させていただいた稲嶺進名護市長が、この問題ですごくがんばっておられる。先日お電話でお話させていただいた大城敬人名護市議もがんばっておられる。
稲嶺さんの「県民に対する差別だ」という言葉や、大城さんの「政府は県民をだましている」という言葉を、米軍基地から遠くはなれて暮らしている私たちはよくよくかみしめなければならない。
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