2012年05月02日(水)
「テルマエ・ロマエ」 [映画]
◎京都新聞4月26日夕刊・シネマ主義
「テルマエ・ロマエ」
真剣に「ばか」追求 “濃い”系の力技
酒席の勢いか、はたまた会議が深夜に及んで行き詰っていたのか。何たる”力技"の企画が通ってしまったものか、と思う。「顔の濃い役者ばかり集めて、ローマ人やらせたらいいんじゃないの?」とは・・・。
《古代ローマの浴場設計士ルシウス(阿部寛)が、なぜか現代日本の銭湯や温泉施設にたびたびタイムスリップ。銭湯の壁の富士山、家風呂、露天風呂に温水洗浄便座・・・先進の浴場文化に打ちのめされてはアイデアを持ち帰り、評価を高めていく》
漫画大賞、手塚治虫文化賞短編賞を受賞した、ヤマザキマリ原作の人気コメディー漫画の映画化。1話完結に近いエピソードを束ね、原作の持ち味を忠実に再現しようとこだわりをみせる。
主演の阿部以外も、暴君ハドリアヌス帝の市村正親や北村一輝ら、いかにも“濃い"面々をそろえた。とはいえ、イタリア人キャストと並んだだけで「日本人やん」と、コント感満載。その部分も含めて「笑ってね」ということらしい。阿部は文化のギャップに翻弄され、悩むルシウスの姿を生真面目に演じ、そのずれをおかしみに変えていく。映画を支えたのはルックスではなく、むしろこちらかも。
イタリアの一大撮影所「チネチッタ」にある古代ローマのオープンセットでの撮影、突然朗々と歌い上げられるオペラ・・・と、やることもいちいち大げさ。漫画と実写の差を飛び越えようとする意欲の表れか。
実際には、映画化に向けて大まじめな議論もあったであろう(と信じたい)。が、「これ、本気か?」と妄想が膨らむのを止める必要はない。真剣にばかばかしさを追求した映像に、ぶつぶつ突っ込みを入れながら楽しむのが肝要だ。
MOVIX京都、TOHOシネマズ二条で28日から公開。 (長谷川真一)
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まいりました!
これぞ映画!
いうことなし!
イタリア人阿部寛に3000点! ほれぼれ!
平たい顔族代表・上戸彩にも3000点! あんなにぶさいくでいいのかしら・・・。
この映画は映画館の大きなスクリーンで見てほしい。損はしません。
いつもガラガラのイオンシネマ久御山の朝一上映(1200円)なのに、混んでいてビックリ。
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2012年05月01日(火)
第14回近畿マスターズ合同練習会・続き [私の陸上競技]
ずっとやってみたかったやり投げ。
去年ずっとやってみたかった3000mSCに出場することができたので、今年はやり投げですかね。
私は中学のときは野球部。しかし、メンバー中最弱の肩だった。外野からスリーバウンドくらいしてもホームベースに届かなかった。それでも内野を守ったときは、近くにすばやい送球ができていた。「スナップちゅうのがきいてるんかなあ」と思ったり・・・。
やりが遠くへ飛んでいく軌道は、見ていて惚れ惚れする。「あんなん、やってみたい。」
ということで、まったくやったとのない「やり投」の練習会に申し込み。
ヨメさんも「走高跳」の指導を受けてみたいと言っていたので、近畿マスターズの合同練習会に出かけることにした。大阪の服部緑地は、自宅から1時間ほどで行けた。これは近い。
9時半から開会式。
近畿マスターズ会長さんのごあいさつが秀逸。
「先日、帽子をかぶらずに歩いていると、後ろからカラスが来て私の頭をつついていきました。頭の後ろのほうには毛がないので、そこをやられたようで、そのあと医者に行きました。みなさんも気をつけてください。」
こんなユニークなごあいさつは聞いたことがない。会場全体がいっぺんに和やかになった。
各パートには、しっかりとした指導者がついてくださる。
A.短距離・ハードル、B.跳躍、C.投てき、D.中・長距離、E.競歩・ノルディックウォークの5つのパートに、それぞれ数人の先生がついてくださった。
気になる投てきパートのやり投げの先生は・・・。あとで八田努さん(京都マスターズ)が教えてくださった。「やり投げはな、宮井先生やわ。今でも大学で教えてはる有名な人ですよ」とのこと。
大会役員補助として、畷南中の生徒さんたち。
お世話になります。ありがとうございます
準備運動が20分間。これはきつかった。
そんな激しい動きにはついていけません。
10時から、いよいよ練習。
やり投げには、男5人女4人の9名が参加。
この練習会に参加されている人は、?競技経験者?マスターズの年齢から始めた者?まったくの初心者に分かれる。やり投げに来た人は、この3つが同じくらいの割合であったように思う。まったくの初心者も、私を含め3名だったので心強かった。
宮井先生が競技場にあったやりを持ってきてくださったのだが、800gと600gの2種類だけ。これは一般男女が使う重さで、私のM55クラスだと700g。女子では400gを使うクラスもある。仕方がないので、男子が800g、女子が600gを使って練習することになった。
やりを初めて持った印象は、「かるっ!」
もっと重いもんと思ってた。でも軽く感じるものを遠くへ飛ばすというのもむずかしい。
やりを使った準備運動のあと、早速投げてみるとになった。経験者の投げるやりは、真っ直ぐきれいな軌道を描く。一方私は、ちょろっと飛んで左にカーブ。何度投げても同じ。上から投げようとしているのにサイドスローのようになってしまう。自分の足で飛距離を計ると、だいたい10数メートルというところ。今日は一応20mを目標にしてきたのに・・・。
ここで、宮井先生登場。
「投げる瞬間に力が入りすぎています。ふっと力を抜いて腕を後ろに下げ、そこから一気に放り投げるというイメージで投げてみてください。やりを握った後ろの部分はないものと思って。」
このアドバイスは効果があった。
まず、左に曲がらず真っ直ぐ飛ぶようになった。助走を少なくして投げる瞬間に集中する練習を繰り返すと、飛距離も徐々に伸びていった。ただ、練習が進むにつれて肘と肩が痛くなって、だんだん休けいする時間が多くなってしまった。
ちょっとコツがつかめてきたかなあというところでお昼の休けい。
ヨメさんはトラックの反対側で、走高跳の練習をしていた。ただし、1mからのスタートだったらしく、あまりたくさんは練習できなかったらしい。私が終わるだいぶ前に練習を終わり、待ってくれていたようだ。(私のデジカメはそんなにいいのじゃないけど、100m先からでもこれくらいきれいに撮れます。)
公園の事務所で食べるところがないか聞いてみると、売店や屋台がいくつかあるとのこと。人が多い所へ行ってみると、インド料理の屋台があった。
ナンをその場で焼いている本格的なインド料理。
私は、ナン、カレー、チキン、ジュースのセット(1050円)。
焼きたてのナンがすごくおいしかった。
ヨメさんも似たようなセット。
風がビュンビュン吹いていて、ナンやカレーがすぐにさめてしまったのが残念だった。でも、ヨメさんといっしょに食べたらなんでもおいしい。
1時から、午後の練習。
午後はメジャーで飛距離を計ってくださることになった。
私の第1投、17m20。まずまずですか。
第2投、16m50。あかん、減ってますがな。
ここで宮井先生からアドバイス。
「まだ力みすぎています。いったん力を抜いて、そこから『えいっ』と。」
勝負の第3投。「えいっ」と投げたやりは、自分で見てもきれいな軌道を描いたように見えた。先生も「いいぞ!」とほめてくださった。
「えーと、19m・・・」と私がメジャーを見ていると、「いやいや、20m超えてますよ」と先生。よくよく見ると、20m10。
「やったー!」
何とかぎりぎり今日の目標達成。
肘も肩も腰も痛くてたまらなかったが、最後までがんばって練習した甲斐があった。
では、いっしょに練習したY.? さんのフォームを連続写真で。後ろ姿ですけど・・・。
アスリートとただのおじさんとの分岐点は30mでしょうか。
「めざせ、30m!」
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2012年04月30日(月)
第14回近畿マスターズ合同練習会 [私の陸上競技]
「よっ、服部緑地のリラク!」
こんなかけ声をかけても、意味が分かる人は45歳以上?
今日は、近畿マスターズの合同練習会が大阪の服部緑地で行われた。ヨメさんは「走高跳」へ。私は「中・長距離」ではなく「やり投」へ。
何でかって・・・、ずっと前からやってみたかったんです、リラクのやり投げ。
リラクは、1983年のヘルシンキ世界陸上の女子やり投の金メダリスト。地元フィンランドの期待の星で、「ヘルシンキ陸上の花」といわれたべっぴんさん。もうあれから29年もたつんですね。リラクも51歳。うちのヨメさんの1歳上ですかいなー。
自分が投げている写真を撮ってもらえなかったので、せめて練習会の雰囲気が分かるの写真をと思い午後参加されていた方の写真を撮らせてもらった。帰り際に、声をかけさせていただいた。
「すいません、やり投げの後ろ姿を撮らせてもらったんですけど、私のブログに載せさせてもらってもいいですか。」
「はい、どうぞどうぞ。前からの写真はダメなんですか。」
「えっ、・・・(タジタジ)。お顔を載せるとご迷惑がかかることもありますし・・・」
「ほほほ・・・。」
「お名前のイニシャルだけ教えてください。」
「Y.I です。」
「ありがとうございます。それで載せさせてもらいます。またマスターズの大会とか出られるんですか。」
「はい、出ますよ。」
「私ももうちょっと練習して、大会に出られるようにがんばります。」
「負けんようにがんばらんと」と先生。
「いやいや、とても30mは・・・。」
Y.I さんは、久しぶりのやり投げのようだったが軽く30mを超えておられた。一方、初やり投げの私は・・・。
(注)まだまだ、続きます。
※ カテゴリー「陸上競技」は廉の競技を記事にしたものなので、新しく「私の陸上競技」というカテゴリーを追加しました。
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2012年04月29日(日)
第23回京都鴨川ゆっくりラン [ランニング]
「ちいちゃーん、やっと追いついたわ。けっこう進んでたなあ。」
今回の鴨川ランはスペシャル。
21年前の私の最後の教え子の一人、ちいちゃんが10kmを走りたいという。私は昨日の本気レースでいい結果が出たので、今日は本当にゆっくり走るつもりだった。ちょうどよかった。ちいちゃんのじゃまにならないようにいっしょに走らせてもらうことにした。
途中でヨメさんと真樹の3kmのスタートの写真を撮るので、そこだけちいちゃんに一人で行ってもらった。写真を撮り終わって、「ちいちゃんを追えー!」 この5分ほどの間にちいちゃんはかなり進んでいて、なかなか追いつけなかった。ちいちゃんは、小まただが急ピッチで進むタイプだった。
まず朝にきくの散歩。
ウインドウのネコちゃんにも気づかない大ボケ。
9時に自宅出発。
今日は、うちの家族4人そろっての参加。私と廉が10km、ヨメさんと真樹は3km。
3人を北大路橋で降ろして車をコインパークへ。9時スタートの先発組がけっこうたくさん走られていた。
会場に着くと、矢瀧さんが参加者にいろいろと説明されていた。
恒例の準備運動。
スピーカーを持っておられるのは、実行委員長の太田武志さん。
大田さんと水戸さん。いつもお世話になっています。
今日もすごい人数になりそうですが、どうかよろしくお願いします。
家族そろっての記念写真。
今年は、2月の滋賀マスターズクロスカントリーリレーについで2回目です。
10時、20km以上の部がスタート。
そして、その5分後に10kmの部がスタート。
中村智明さんを見つけたので、廉といっしょに写真に入ってもらった。
気温がぐんぐん上がっている。水分補給をしっかりしなくては。
3kmは10時半スタートということだったので、ヨメさんにカメラを渡して先発の私らを撮ってもらうとにした。この写真は、廉と中村智明さん。私らは、残念ながら撮れていませんでした。
ちいちゃんは自宅の近くを3kmほど走っているだけで、10kmを走るのは初めてだそうだ。今日も初めから歩くつもりくらいでスタートすると言っていたが、南側を折り返して戻るまで一度も歩かず走り続けた。3km21分23秒。ちょっとがんばりすぎかも。
ここで3kmのスタートが迫っていたので、ちいちゃんに一人で先に行ってもらった。
矢瀧さんが、スタート前の写真を何枚も撮っておられた。
母娘、機嫌よくスタート。
ますみさん的にはちょっとおとなしいスタイルで・・・。
真樹は、先週の日吉ダムマラソンで足に水ぶくれができてしまった。今日はだいじょうぶでしょうか。
さあ、母娘撮影を終わりちいちゃんを追走!
賀茂川パートナーズさん。毎回出場されています。
北山大橋の下で、早くも廉に遭遇。
「ゆっくり走るつもり」と言っていたわりに早く戻ってきた。
いい練習になったかな。
橋を越えたところで中村智明さん。
今日は少しペースを落とした走りだった。
やっとちいちゃんの背中が見えた。ゆっくりだがいい走り。
ここから、しゃべりながらまたいっしょに走り出した。
21年ぶりにゆっくりしゃべった元先生と教え子。その話題は・・・。
「ちいちゃんのお父さんなあ、やわらかい髪の毛やん。そやし絶対はげると思て期待してたのに、去年会ったら髪の毛ふさふさやったやん。がっかりしたわ。」
「ちいちゃんの仕事って、外回りばっかりなんやってなあ。そらきついなあ。」
ほとんど私ばっかりがしゃべっていた。一番おもしろかったんはこれかな。
「ちいちゃん、ボクなあ、最近4kgやせてん。みんなに『やせたねえ』ってゆうてもらえるんやけど・・・。」
「全然分からんねえ。先生、雲ヶ畑にいたとき、もっと細かったよ。」
「そうか。そのときよりは太ってるわ。21年前やもんなあ。そうそう、こっちもな、ちいちゃんらの記憶が小6で止まっててな、真樹とちいちゃんとどっちが年上やったかいなあと分からんようになったり・・・。」
「あっ、そこで止めといてください。」
二人の間にすごい時間があいていても、けっこうしゃべれるものだ。
途中の水道で水を飲み、ちょっと歩いたりもしたが、やがて北の折り返し・柊野通学橋へ。
ここで約6.5km、50分くらい。
賀茂川パートナーズさんにごあいさつすると、もうゴールまで少し。
ゴールまでの下りは、御薗橋、上賀茂橋、北山大橋、北大路橋と一つ一つの橋を目標に確実に進んでいった。こうして最後まで同じようなベースで走りきることができた。
ゴールは1時間17分21秒。
「これはな、涼しいときの1時間10分くらいの速さやと思うわ。ようがんばった。」
ちいちゃんも「やりきった」といういい笑顔だった。
ちょっとは役に立てたかな・・・、と言うより、こんなときくらい役に立てんとどーするちゅうことやけど・・・。
このあと、洛北高校の近くのお店で昼食。
おしゃれなお店でした。
廉は10kmを35分台、真樹とヨメさんは3kmを18分くらいで走ったらしい。
暑かったけど、みんなしっかり走りました。
今回は、今までで一番と言っていいくらいみなさんから声をかけていただきました。基本、声をかけてくださった方は写真をブログに載せさせていただいているのですが、今回は別の目的があったのでそれはできていません。すいません。また、これに懲りずに声をかけてくださいね。
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今日の家族の笑顔を2枚。↓
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2012年04月28日(土)
三重マスターズ陸上競技記録会 [ランニング]
1500m、5分23秒15。
もう2012年度だが、2011年度のしめくくりのレースのつもりで走ったのでいい結果が出てよかった。今日の結果は、この先に展望が開けるものだった。
朝5時45分起床。
いつものようにお茶漬けさらさら。
6時半前に自宅出発。ゴールデンウィーク初日なので渋滞があるかも。そう思いちょっと早めに家を出た。
銀閣寺近くのガソリンスタンドで給油。そのとき、ETCカードを忘れてきたことに気づく。急いでとんぼ返り。30分近くのロスタイム。しかし、渋滞は京都東IC〜大津まで。それだけでよかった。
会場の三重県総合陸上競技場(伊勢市)には、8時45分に着いた。
今日の三重マスターズ記録会は、「南勢地区陸上競技記録会」の中に組み込まれている。これはいい方法だと思う。2つの大会を合体させれば、役員さんの手間が省けて効率がいい。
受付を済ませてトラックを見ると、「一般高校男子5000mW」の最中だった。このとき、気温はすでに20℃を超えていたと思われる。
急いでウォーミングアップ。この裏には立派なサブトラックもあったのだが、中高生で大混雑。私は、競技場の周囲を使うことにした。いろいろとやってみて、全部で3kmくらい。
9時55分、スタート地点でコール。
ちょっと早めに行って、すぐ近くのトイレで何度も顔を洗い体をぬらしておいた。
日程がうまくこなせているようで、10時10分のスタート予定よりちょっと早めのスタート。
最初から飛ばす。最初の300mは、ちょうど60秒くらい。しっかり足が動いてる。「よし!」
400m 1分22秒
800m 2分49秒 (1分27秒)
1200m 4分19秒 (1分30秒)
1500m 5分23秒 (1分03秒)
課題だった「1100m通過4分切り」も余裕だった。これで、普通の記録会に出ても1周抜かれることはない。
実は、最初の300mのときの記録計時板はしっかりと見たのだが、そのあとは計時板も腕時計もほとんど見る余裕がなかった。でもそんなにスピードは落ちていないはずなので、5分30秒は切れただろうと思いながらゴールした。私の時計で5分22秒。「やったね!」という感じ。
これで、真樹の元同級生のあーちゃん(高3女子)の記録まで約5秒。がぜんやる気がわいてきた。あーちゃんの800mのベストは2分40秒だし、こちらも私のベストからあと5秒。5月19日の大阪マスターズでは800、1500を申し込んであるので、どちらかでも上まわりたいなあ・・・。
10時過ぎには22、3度あったと思うが、1500mなら何とか走りきれる。今日も5000mは棄権したが、5000m本気レースは涼しくなる秋まで封印。当分は、800m、1500mをがんばろう。
あとは、三重の森田亨さんの応援。私の1500mの次に一般高校男子100mがあり、続いてマスターズ男子100m。
去年5月の大阪マスターズで声をかけてきてくださってから、ちょこちょこメールを送ってくださっている。森田さんにとっては、今シーズン初のレースだそうだ。
あまりうまく撮れませんでした。
走るほうだけじゃなく、写真の腕も磨かなくては・・・。
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2012年04月27日(金)
松島先生! [沖縄]
◎京都新聞4月27日朝刊・私論公論
■ 松島泰勝(まつしまやすかつ)・龍谷大経済学部教授 1963年琉球・石垣島生まれ。在グアム日本総領事館、在パラオ日本大使館勤務などを経て2009年から現職。NPO法人「ゆいまーる琉球の自治」代表。著書に「沖縄島嶼経済史」「琉球の『自治』」「ミクロネシア」「琉球独立への道」など。
沖縄「復帰」40年
琉球人の怒り 受け止めよ
今年、琉球人が日本国民になって40年になる。「復帰」後、沖縄は内政・外交面では日本国、軍事面では日米両国による支配体制下におかれてきた。沖縄は形式上、「県」という一自治体である。しかし1879年の琉球併合で琉球人の領土が奪われ、今も沖縄限定の特別法があり、長期間、過重に米軍基地が押し付けられてきた。「県」成立の根拠法である沖縄返還協定は密約に基づき、その成立過程に当事者である琉球人、琉球政府は参加できなかった。「復帰」とは「元の状態に戻ること」を意味するが、沖縄の元の状態は日本ではなく、琉球国である。沖縄は「日本固有の領土」でもない。
1972年以降の「復帰」体制の特徴は次の通りである。?日本国による沖縄統合化の深化?琉球人の生命や生活よりも、日本人のそれを重んじ、基地負担を押し続ける差別体制?政治的、軍事的、経済的利益が沖縄から日本に流れる仕組み、つまり植民地体制。「復帰」体制の中で、日本政府から一括交付金を含む振興開発資金がどれだけ与えられても、沖縄は日本政府に依存させられ、日本の企業や移住者による支配がさらに進むだけである。
沖縄の経済は基地に依存しているのであろうか。軍関係受取は2008年度に約2084億円であり、県民総所得の5.27%でしかない。うち日本政府は、軍用地料、軍雇用員所得、そして米軍への財・サービス提供の合計約1465億円を支出している。軍関係受取の約7割を日本政府が提供し、沖縄の基地経済を下支えしているのである。日本の大手の建設会社は基地内改修工事のほとんどを受注し、利益を日本に還流している。
基地は経済活動に必要な平地を占拠し、市場経済の発展を阻害している。基地よりも基地跡地のほうが大きな経済効果を与えている。基地により逸失利益が増大し、環境的、社会的、身体的なコストや被害が生み出され、住民に不安で危険な生活を余儀なくさせている。基地は琉球人にとって抑止力ではなく、日常的な暴力の発生源である。
振興開発と基地は「アメとムチ」の関係といわれる。振興開発はアメとされるが、インフラやハコモノの維持管理費は自治体の大きな負担となり、財政赤字要因になっている。特に1990年代半ばから膨大な振興開発資金が投じられた沖縄の基地所在市町村は、今、高い失業率や生活保護率、商店街の衰退、法人税収の伸び悩み、人口減少等の問題を抱えている。沖縄県全体の経済も従属度を増している。地域に発展をもたららさず、基地を固定化させるための振興開発は「ムチ」でしかない。カネで基地を沖縄に負担させられる時代は終わった。自国の安全に米軍が必要と言うなら、日本の他府県が基地を引き受けるべきだと主張する琉球人が増えている。
琉球人は国際法で保障された人民の自己決定権を行使し、住民投票で新たな政治的地位を決定し、独自な政府や議会を設立する権利を持っている。日米両国と沖縄との支配ー従属関係を変えるという脱植民地化を進め、日本との新たな関係性が実現しない限り、普天間基地移設問題も解決しないであろう。40年間、屈辱の生活を強いられてきた琉球人は「沖縄差別」と日本人に直接言えるようになった。日本国民という枠組みによる沖縄差別減り怒りを、日本人は自分の問題としてどう受け止めるかが問われている。
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2008年11月3日、滋賀沖縄県人会の催しで松島先生の講演があった。今日の記事は、そのときのお話とほぼ同じ内容である。
講演のあと、松島先生と個人的にお話させていただくことができた。沖縄に関する知識に乏しい私の質問に、松島先生はていねいに答えてくださった。そのとき、この先生のゼミに入れるなら、今からでも大学に行きたいなあと思った。
今回の記事の「沖縄は『日本固有の領土』でもない」はすごい。これは、石原東京都知事を意識した発言でしょうか。
松島先生に興味のある方は、ぜひ先生のブログ「NPO法人ゆいまーる琉球の自治」をのぞいてみてください。
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【RUN】
午前中にレース前の最後の調整。
まず3km、13分32秒。
1kmジョグのあと、1000mタイムトライアル。今日は昨日と反対で追い風。足の動きもまずまずで、気持ちよくゴール。タイムは3分38秒。
このままのペースであと500m押して行ければ、1500m5分27秒。あきらめかけていたけれど、やっぱり明日は5分30秒切りをめざします。
1kmスロージョグをプラスで、今日は6km。
廉に、「足がパンパンやったけど、1000m3分38秒で行けたわー」と言ったら、「ふつうに速いやん」とほめられた。うれしー。
でも、ゴール後、久しぶりに気持ちの悪い変なセキが出て止まらなかった。それだけ限界近くまで力が出せたということだろうか。
もう2012年度に入っているが、私的には明日が2011年度最後のつもりのレース。がんばるぜー。
こんなかっこうで練習しています。
このあと散髪に行ってすっきりしてきました。
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