2010年08月18日(水)
2010年08月17日(火)
2010年08月16日(月)
2010三瓶高原クロスカントリー [ランニング・出張販売]
今日の眞寿美さんの走りはよかった。
いつもは後ろから何かに引っぱられているようなフォームだが、今日は積極的に前へ出て行く気持ちが感じられた。
わずか3kmだが、高低差のある芝生のタフなコース。ゆっくりのんびり走るのにはいいかもしれないが、目の前で競技者の必死な走りを見ていると、ついつられてがんばってしまう。
大口ホースから放たれる霧の中を突っ走っていく姿は、なかなかかっこよかった。
例年、8月第3土曜が「ひろしまクロカン」、第3日曜が「三瓶クロカン」とレンチャンだった。しかし、今年は「三瓶」が第3月曜という変則開催。京都からこの大会にだけ出張販売に行くというのは明らかに赤字。しかし、大会主催者さんから直接お誘いのお電話をいただいた。そんなありがたいことはない。
ここは儲け度外視で、「行くべし!」
この大会では雑種犬・ポンちゃんに会うのが楽しみだったが、いくら探しても見当たらなかった。今年は来ていないようだ。残念!
今年は高校生女子を大勢招待したようで、全体で1600名を超えたとおっしゃっていた。
一番最初に、1kmと2kmのウォークラン。無料で当日参加もできるため、ウォーミングアップ代わりに出られる方も多い。
テンピーちゃんも、大きな頭で走ります。
1kmの部の子どもがけっこう早く走っていくので、私の位置でちょうど真ん中くらいだろうか。
私が勝手に「走る哲学者」と呼ばせてもらっている吉岡さんも、ウォークランに出ておられた。吉岡さんによると、「2kmウォーミングアップ、3kmウォーミングアップ、8kmジョギング」だそうだ。(このあと、3kmと8kmのレースにダブルエントリー。)
そんなことを言っておられたのでゆっくり行かれるのかと思ったら、なんと1km地点で5分を軽く切っていた。早い人にとっては、4分台のウォーミングアップが普通なんでしょうか。
私は2kmを10分10秒くらい。早く走りすぎた。
ウォークランにも飛び賞があり、みなさんわくわくしながら自分の着順が入っていないかを探しておられた。
さて、女子3km。
最初に高校生。この中に、京都の綾部高校や立命館宇治高校の有力選手も入っている。
その1分後、中学生と一般。
眞寿美さんもいたはずなのだが、集団に食らいついて行ったようで見つけることができなかった。
最初に内回り1km。
例年ならここらで一人ポツンとなっていることが多いのだが、今年はちがった。元気な中学生とも競って走っていた。
2周目の外回りの下り坂。
ここでも競う相手があり、よく足が上っていた。
最後まで集中力を切らさないいい走り。
ギリギリだが、念願の表彰台にも上ることができた。
タイムも、去年より6秒短縮。
歳が上るにつれ落ち込んでいくものだが、そう思えば今年はよくがんばりました。
私は最終種目8km。
いつも8分後にスタートする高校生にいつ抜かれるかで、その年の調子が推し量れる。
今年はけっこう持ちこたえて、高校生に抜かれたのがだいぶ後のように感じた。
ゴールタイム、38分01秒。50代の部、13位。
去年より1分半も縮められた。何がよかったのかはよく分かりません。
今年は史上初の快挙が。
8kmは女子の部がなく、男女混合の表彰となる。しかし、今までは男子の8位にまで食い込む女子選手は現れなかった。
ところが、今年は野村泰子選手が33分台で、見事7位入賞。
すごい方にお会いできたので、一緒に記念写真に入っていただいた。
その時の野村さんのひと言。
「京都キャロットの奥さんのほうはよく存じ上げているんですけど、ダンナさんは初対面だと思います。」
いっつも金魚のフンみたいにくっついているんですけど・・・。
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2010年08月15日(日)
京都走ろう会例会・8月第3日曜 [ランニング]
「酉脇節子(とりわきさだこ)さん」です。
このお名前がちゃんと読めれば、京都走ろう会の会員として一人前?
酉脇さんは、現在、走るどころか歩くのも大変らしい。それでもこうしてお顔を見せてくださるのは、京都走ろう会の魅力にひかれてということなんでしょうね。
私たちがゴールしたあと、アメちゃんを配りながら一人一人に声をかけておられました。ありがとうございます。また来てくださいね。
真夏の例会。それも、お盆の真っ最中。
今日こそ参加者が少ないだろうと思ったら・・・。
大きなエノキの木の下には、かなりの人数が準備運動を始めていた。
輪の中央には久しぶりの八田さん。掛け声も動きも軽やかです。
5kmは、急遽最後尾役に指名された山本祥三さんを含め全部で7名。
小雨が降っていたので、かんかん照りよりは走りやすそう。
このメンバーだと、松本一之さんがポーンと飛び出す。
あとでお聞きしたのだが、松本さんは練習中につまづかれ、右足ヒザを痛め1ヶ月ほど走れなかったらしい。それでもここまで復活されてきたのはさすが。
川向いでは、3.1kmと1.4kmコースに参加のランナーが。こちらの参加数も7名ほどか。
「賀茂川パートナーズ」さんの練習会と「京都走ろう会」の例会とはまともに重なります。
「おはようございます」と声をかけたら、必ず元気なお返事が返ってきます。
北山大橋西詰には、いつもの塚本さんとリンちゃんプラス山嵜さん。
もうこのあたりでは雨もすっかりやんでしまい、雨上がりのむっとした感じの中を走ることになる。
それでも、最初少し涼しかったのが功を奏して、私のゴールタイムは22分44秒。2週間前の例会より1分半ほど早くゴールできた。
このあとは、私の後にゴールされた方々。
今日は、駐車場から出雲路橋までの往復もちゃんと走ったので、1+5+1kmで合計7kmということにしておこう。
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2010年08月14日(土)
第2回中古賀クラス会 [学校]
さっき帰ってきたところ。
今、「ヨッパライ、ヨッパライ」状態です。こんな状態でまともな記事が書けるか不安ですが、とにかく早く書かねば。
クラス会の会場は、宝ヶ池のプリンスホテル。
遠くから来てくれる予定の同級生がいたので、京都駅から地下鉄で終点まで来てもらったら分かりやすいやろうと思いここにした。
ところがどっこい、遠くから来てくれる予定だった2人がドタキャン。10人参加の予定が8人になってしまった。2年前の第1回が9人だったので、それを上回るのが今回の目標だったのに・・・。
最初に、前回からこの2年間の状況について、私の知っている範囲のことを説明させてもらった。相変わらず連絡の取れない同級生もいる。
乾杯の音頭は、参加者の中で誕生日が3番目に早い和幸ちゃんに。落ち着いた渋い声で、いい乾杯の音頭だった。
これは、フカヒレスープですよね。
中華料理が嫌いな人はいないだろうという理由で、この店を選んだ。
ここからは、中華料理を食べながらしばし歓談。
和佐男ちゃんがおもしろいことを言っていた。
「こうちゃんは自分ことだけしかせえへん人間やと思ってたのに、クラス会の幹事をみんなのためにするなんて意外やった。」
うーん、そう思ってる人は多いかも。でも、うちの毒嫁の解説。
「あんたは、クラス会の幹事かてみんなのためにやってるんじゃなくて、自分が楽しみたいだけのことやろう。みんなだまされてる。」
さすがです。見抜かれてます。
中古賀先生にはブルガリア時代の写真を持ってきてもらうようお願いしていたのだが、お忙しくてそれどころではなかったようだ。
先生も過ぎ去った過去のことではなく、これからの生活のほうに重点を置かれている。お母さん代わりだった一番上のお姉さんの介護、京都にいる息子さんと名古屋にいる娘さんの子どもたちのこと(先生にとっては孫)などなど。
和幸ちゃんは、このあと別所の家に帰るということでノンアルコールビール。そのほかの者もあまり飲んではいないようだった。これなら「飲み放題プラン」にしなくてもよかったかな。
やっと、中古賀先生の5年間に渡るブルガリア時代のみやげ話が始まった。私は先生と何回も連絡を取り合っていたのでそんなに珍しくはないが、ほかの参加者にとっては興味深い話であったにちがいない。
このあと左回りにそれぞれの近況報告。
周作ちゃん。
独特の間のある話しっぷりで、聞いていておもしろかった。周作ちゃんて、中学の時こんなおもしろかったっけ。
お母さんが元気で、今も田んぼをしてはるらしい。それを聞いたみんながすごくうらやましがっていた。
幸博君。
百井で養鶏の仕事をしている。次々と、鶏やひよこのいろいろな病気が発生して大変らしい。
2年前のクラス会の時、元気な顔を身見せてくれはったお父さんは、1年前に亡くなられたそうだ。
ヤッチン(靖弘君)。
ご両親の介護が続く日々。それぞれが別の施設に入っておられるので、よりいっそう大変らしい。それでもヤッチンのお父さんは、幸博君のお父さんが危篤の時、病院に駆けつけられたそうだ。
和幸ちゃん。
現在兵庫県在住だが、今日は別所から来てくれたらしい。 和幸君もお父さんが倒れられて、週末は4時間かけて京都まで看護にきているそうだ。今は、それが生活の中心になっているというようなことを言っていた。
ここでちょっと休けい。
「ピッカリコンビ」または、「ゆでたまごコンビ」で笑いをとって・・・。
明美ちゃん。
ボクらとは中1の時の1年間だけいっしょだった。それでも、今日は紅一点、よく来てくれた。
お商売をしているので、言葉の端々にシビアな発言がありためになる。ボクみたいな「甘チャン」はバッサリと切られてしまう。
今日もダンナさんのによるお迎えがあるようで、仲良し夫婦ぶりはうらやましい。
さて、私。自分のことは書くのはやめておきます。
2年前のクラス会から2年がかりで計画してたくさんの同級生に来てもらおうと努力したつもりだったが、私のひとりよがりな面もあったかもしれない。
連絡が取れなかった人、急に来れなくなった人もいたが、次にクラス会をするときには今度こそ来てもらえるように働きかけよう。それだけはみんなに言っておいた。
名古屋のゆきちゃんが送ってきてくれたお菓子を披露。富山のよりちゃんの代わりにお詫びの電話をかけてきてくださった小谷屋のおばさんの最後の言葉。「また、よりさだ誘たってな。」(自分でゆっててちょっと泣けてきた。)
うれしいこともあった。2年前はまったく連絡が取れなかったシュウタン(修平君)と電話で話すことができた。何も避けていたわけではなく、仕事が休めず来られなかっただけとのこと。「みんなと会いたい気持ちはある」とはっきり言ってくれた。次のクラス会に希望が持てる返事だった。
これらの仲間には、みんながものすごく会いたがっていることを伝えきれていなかったように思う。これからは、もっともっと小まめに連絡するようにして行こう。
和佐男ちゃん。
私が別所を出て行った3年前くらいに、入れ替わるように別所に帰ってきた。ご両親の体の具合がよくないらしく、長男としての責任感から面倒を見なくてはと思っているらしい。
双子の娘さん達たちは、それぞれちがう大学に進学し元気に活躍しているようだ。
お店のスタッフさんにお願いし、全員集合写真。
私は何回も「わろてー、わろてー」と言っていたのだが、一番笑っているのは私でしたね。
中華料理店での終了予定時刻3時を30分ほどオーバー。
そのあと、すぐお隣りにある喫茶店に場所を移した。
ホテルのロビーの広々とした場所にある喫茶店。
開放的なフンイキの中、話が弾んだ。
2年前から宿敵関係にある(?)明美ちゃんと和佐男ちゃん。というのはじょうだんで、和やかに楽しそうに話していた。
こちらは髪の毛が対象的なヤッチンと和幸ちゃん。
「もう、務めて何年になるん?」
「えーと、36年かな。ん? 二人とも高校出てずっと働いてるんやから同じやろがー。おれだけ20年とかやったらおかしいでー。」
「そら、そうやー。」
明美ちゃんから言われたためになる話。
「ボクなー、ケイタイも出ーへんし、メールも全然見いひんゆうてヨメさんに怒られてばっかりやねん。」
「こうちゃん、それはな、自分に返ってくるっていう自覚がないからやわ。私は商売してるから、電話に出なかったりメールを見なかったりしたら全部自分の身に返ってくるんやわ。何も好きで電話したりメール見たりしてるのとちがうの。仕事やから・・・。」
「うーん・・・。」
周作君とヤッチンは、今でも友だち付き合いが続いているようだ。いなかを出てしまっても、こうして付き合いが続けられるのはうらやましい。
中古賀先生のブルガリアの話で一番おもしろかったのは、向こうで「クルマ」と言えば「オチンチン」のことという話。ついでに「柔軟剤」を表す言葉は、とてもここには書けません。興味のある人は自分で調べましょう。
そして、6時前にお開き。
次回のクラス会は・・・。
A案→中古賀先生がお姉さんの介護に帰られる佐世保に集結。一日だけ時間をとってもらい、先生のガイドによる「佐世保ツアークラス会」をする。これには積み立て金が必要。
B案→私らの下の学年は5名。その下の学年はわずか2名。たぶんクラス会はしにくいはず。この下の2学年7名にも呼びかけて「拡大クラス会」をしてはどうか。こちらのほうが現実みがありそうだ。
どうなるか分かりませんが、みなさん、またよろしくお願いします。
私と幸博君はバスで帰るので、先生がバス停まで見送りに来てくださった。幸弘君は大原までバスで帰り、そこまでお兄さんが迎えに来てくださるそうだ。
同級生の中では、幸博君に一番楽しんで帰ってもらいたいといつも思っている。どうやったかな。
先生もツヤツヤピカピカやし、当分はだいじょうぶそう。これで、70歳だそうです。次のクラス会にも、ぜひ元気な顔を見せてくださいね。
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2010年08月13日(金)
大布施ラン+別所地蔵盆準備 [ランニング]
昨日に引き続き、今日もクラス会公開用の記事(?)。
昨日は我が家から花脊峠まで写真を撮りながら走ったので、今日は家から北へ、花脊大布施町往復。
朝8時半スタート。
うちから北へ200mに売り家。長らく民宿「せいざん」をしておられたOさんが出ていってしまわれた。
こないだ中を見せてもらったが、民宿をしておられただけあって、部屋数が多く一部屋ごとも広い。住むには少し改装が必要だが、この広さならお買い得かもしれない。
その次の家が、私の父と兄夫婦が同居する家。花脊山の家のグランドのすぐ前である。
花脊山の家のグランドは、今日は珍しく誰も使っていない。お盆近くに合宿するクラブは少ないのだろうか。
我が家から北へ1.5kmの紅葉橋。ここまでが花脊別所町。この先が花脊大布施町。
大布施町最初の家は、私の1歳下の喜代春君の家。ここは、大布施というより、村はずれです。喜代春君は最初は別所町に住んでいたのだが、犬の訓練という仕事柄、周りに人家のないこの家がピッタリということで引越ししたらしい。
まあー、ここには、うちのきくにそっくりなシェパードがいるわけですね。
角子橋(つのこばし)。
このカーブを曲がると、大布施の在所。
道路わきの温度計は25℃。
この神社の手前で、うちから4km。およそ24分。ずっと下りだったのに意外と時間がかかった。
ここで、1分だけ休けい。
さあ、帰りは上り。
薪をいっぱい蓄えておられるおうちもあります。お風呂が薪のお風呂なんかな。
あちこちにこんな小さな滝がある。滝の打たせ水の修行をしたい方、ここらはなんぼでもありますよー。
ふたたび喜代春君ち。立派なログハウスです。
紅葉橋を北側から見ると・・・。
森林浴とはこのことですね。
清流・別所川。
こんな浅い川なのに、大水が出たら大変なことに。
帰り道最大の難関、滝谷口前の上り坂。
まっすぐきつい坂が200mほど続く。
ここが滝谷口。この奥にうちの山がある。
北側から別所に入ると初めての家。木村さんちです。
木村さんちの次が、うちのおじいさんの家。すごく離れているように見えますが、100mほど。
昨日は雨にかすんで見えなかった杉峠のNTTの赤い鉄塔が、今日はくっきりと。
上りばかりの4kmは26分ほど。こちらはもっとかかると思っていたが、しっかり走れた。
写真もたくさん撮れたし、下り坂上り坂を走る練習もできたし、もう言うことなし。
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別所地蔵盆の前日準備。
集合時刻の10時ちょっと前に学校に着くと、門の前で思案に暮れる集団。「門の鍵が開いてへんねん。」
そうか、閉校してしまったら、校舎どころか校門まで鍵をかけてしまうのか。卒業生が夏に帰ってきて、学校のグランドで遊ぼうと思っても入ることさえでけへんわけやね。地域の文化センター的役割をになっていた学校がなくなってしまう。わびしいなあ。これが、「閉校」の実態です。
学校のグランドにあった鉄棒やジャングルジムなどすべての物が撤去されていた。
ずっと前から地蔵盆のやぐらを組み立てて下さっている高則さん。自分の子どもが大きくなったときはちょっとぼやいておられたこともあったが、今度は孫たちが楽しみにしているらしい。
テントを広げる時、「学校名が書かれている側を見えるほうに」と意見がまとまった。もうなくなってしまった学校ではあるが、みんなの心の中には生きている。
校舎前には、知らぬ間に立派なひさしができていた。でも、これは何に使うんでしょう。
グランドの中央に盆踊りのやぐら。周りの竹は私が切り出してきました。
私が小さいころは、このやぐらに音頭とりが上がり、夜遅くまで盆踊りが続いたものだ。しかし、もうここ何年も音頭はテープで流されている。
テントを2張り組み立て、焼きソバ・焼き鳥用のコンロ台が用意できたところでお昼休けい。
講堂では行灯作りをしているとのことだったので、ちょっとのぞきにいった。
子どもは、橋村さんとこの3人と奈々さんとこのちっちゃい子だけだった。「あー、さびし。」
家に帰るとき、前を歩く犬連れ発見。
「そうへい君、見っけ!」
「わっ、こうじさん。こんにちは。」
いつ会っても礼儀正しいそうへい君です。
「メイよー、オッサンの手、かんでー」とお願いしたが、メイはただただ嫌がっていた。
別所にもたくさんのワンちゃんがいたのだが、もうだいぶ死んでしまった。「メイよ、長生きしておくれ・・・。きくもときどき来るし、仲良くしてな。」
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