パオパオだより

2010年08月27日(金)

アセトアルデヒトとALDH2 [雑感]

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叡電・京都精華大前駅の横断橋で会ったネコちゃん

◎毎日新聞8月25日朝刊 「Dr.中川のガンから死生をみつめる 71」より

 「赤くなる人」酒控えめに

 アルコールそのものに毒性はありませんが、アルコールが分解されてできる「アセトアルデヒト」に発がん性があります。これを解毒する酵素「ALDH2」を作る遺伝子は、両親から一つずつ受け継ぎます。そのうち一つだけが分解力が弱いタイプ(ALDH2部分欠損型)であっても、ある程度はお酒を飲むことができます。
 しかし、部分欠損型の人は、アセトアルデヒトを完全には分解できません。この分解されず体内に残ったアセトアルデヒトによって、「顔が赤く」なるのです。つまり、顔が赤いということは、体内に発がん性物質が分解されずに残っていることを示しています。昔は飲むとすぐ真っ赤になったけれど、今はずいぶん飲めるようになった、という方も多いと思いますが、アセトアルデヒトに体が慣れただけですから、要注意です。
 ALDH2欠損型はアジア人だけに見られ、酒で顔が赤くなる現象は「アジアン・フラッシュ」とも呼ばれます。世界人口の約8%、5億4000万人が、このタイプと見られす。酒で顔が赤くなる人(部分欠損型)は、赤くならない人(正常型)よりも、同じだけ酒を飲んでも、がんになる危険性が高くなります。部分欠損型の人は、正常型の人より、食道がんのリスクが10倍近く高くなるといわれています。赤くなる人が1合程度に酒を控えるだけで、日本人の食道がんが半分に減るという計算もあります。
 自分がどのタイプかは、「遺伝子検査」をすれば分かります。しかし、全くの下戸の人は完全欠損型、すぐ顔が赤くなったり、飲み始めて1〜2年はビール1杯だけで顔が赤くなったりしていた方は、部分欠損型と考えて間違いありません。
 東京・新橋あたりで真っ赤な顔で飲んでいるお父さんを見ると心配になります。小澤征爾さんも、桑田圭祐さんも酒をずいぶん飲んでいたそうです。2人が赤くなるタイプかどうかは分かりませんが、飲んで真っ赤になる人に、お酒を勧めることは慎むべきでしょう。(中川恵一・東京大付属病院准教授、緩和ケア診療部長)

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 あー、ええこと聞いた。
 私は検査をするまでもなく、明らかに「ALDH2完全欠損型」。まちがいない。
 結婚するまでは、コップに1cmのビールも飲めなかった。無理して飲み込むと吐き気がし、顔は真っ赤、そのあと恐るべき睡魔が襲う。
 それが、結婚してヨメさんの色仕掛け(?)に引っ掛かってしまい、ちょびちょび飲むようになった。今ではビールをジョッキに3杯くらいまでならだいじょうぶ。
 でも中川医師のお話では、それは危険な兆候。食道がんへまっしぐら? 
 今年に入って、家では飲まないようにしたのは大正解だった。出張販売で泊まるときなどには今でもけっこう飲んでいるが、それもやめたほうがいいのかも・・・。

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2010年08月26日(木)

「キャタピラー」 [映画]

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【ストーリー】
一銭五厘の赤紙1枚で召集される男たち。シゲ子の夫・久蔵も盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった。しかしシゲ子の元に帰ってきた久蔵は、顔面が焼けただれ、四肢を失った無残な姿であった。村中から奇異の眼を向けられながらも、多くの勲章を胸に、“生ける軍神”と祀り上げられる久蔵。四肢を失っても衰えることの無い久蔵の旺盛な食欲と性欲に、シゲ子は戸惑いつつも軍神の妻として自らを奮い立たせ、久蔵に尽くしていく。四肢を失い、言葉を失ってもなお、自らを讃えた新聞記事や、勲章を誇りにしている久蔵の姿に、やがてシゲ子は空虚なものを感じ始める。敗戦が色濃くなっていく中、久蔵の脳裏に忘れかけていた戦場での風景が蘇り始め、久蔵の中で何かが崩れ始めていく。そして、久蔵とシゲ子、それぞれに敗戦の日が訪れる……。
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 昨日の2本目。会場は満員。立ち見の方もあり。主演の寺島しのぶが賞をもらったので話題になっているらしい。
 しかし、私は見終わって、「この映画は何を言いたかったのか」という思いになった。題材は新しいようで、実は今までさんざん見て来たパターン化された戦争関連映画とあまり変わらないような気もした。
 その中で一番印象に残ったのは、久蔵の家の床の間に掲げられていた両陛下の写真である。その位置がどう考えても変だった。私の実家にも掲げられていたが、それは部屋の一番高い位置。久蔵の家では、床の間の中間くらいの高さだった。人の頭の位置より下?まさか!
 このシーンが(意図的だと思うが)何回も映り、すごく気になった。なんか、意味があったのかな。(その場面の画像は、パソコンでいくら探しても見つかりませんでした。やっぱり、陛下の写真は軽々しく扱えんのかな。)

 あっ、思い出した。
 立ち見のお客さんの中に「まいこは〜ん」。
 家に帰って勢い込んでヨメさんにその話をしたら、「それはにせもん」。「まいこは〜ん」は、プライベートはゆかただそうです。たぶん、旅行者の「まいこは〜ん」体験やろとのこと。ガックリ! 

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2010年08月25日(水)

「ヒロシマ・ピョンヤン 棄てられた被爆者」 [映画]

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 6月2日以来の京都シネマ。
 月2本は見ないと元が取れないゴールド会員。ぼやぼやしてたら、知らん間に60歳(シルバー料金)になってしまうって!

【映画ちらしより】「ヒロシマ・ピョンヤン 棄てられた被爆者」は、朝鮮民主主義人民共和国で暮らす広島・長崎の被爆者を取り上げた映画である。今まで「被爆者」「原爆」についての映画は数多く制作されてきたが、在朝被爆者を取り上げたものはこれが初めてだ。最悪の日朝関係のなか、08〜09年に3度の平城ロケを敢行。ある一家の日常生活を追いながら、日本政府に放置され続けてきた在朝被爆者の怒りと悲しみを描く。激動の時代を生きた在日朝鮮人の歴史と、現在の異常な日朝関係も見えてくる。

【メッセージ】監督・伊藤孝司
 「日本による朝鮮支配が終焉して65年。ところが日本と朝鮮民主主義人民共和国とは国交がいまだにないばかりか、敵対的な状況が続く。そのことは米軍基地存在の口実となり、在日コリアンへの差別を助長させている。在朝被爆者への取材の中で、核兵器を使った戦争の悲惨さや、国家関係に翻弄される庶民の姿を見た。それだけでなく、日本という国家の今の姿がくっきりと浮かびあがった。」
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 人の語りが大半を占めるドキュメンタリー映画は、心の中にすっと入ってくる。
 その語り手は、平城で暮らす李桂先(リ・ゲソン)さんと、広島で暮らすその母。桂先さんは、3歳の時、原爆投下の12日後だった広島市に母とともに入り、放射能をあび被爆。しかし、その事実は59年間隠され続けてきた。
 その後、桂先さんは家族の中で一人だけ北朝鮮に帰国。体のあちこちに痛みが出てくる姿を見た母は、2004年、ついに被爆の事実を娘に告げた。

 「おばあちゃん、娘に被爆したことがあるという話をしなかったでしょ。それはどうしてですか。」
 「嫁いかれんけ。ハハハ、嫁いかれんけ、隠したの。嫁いかれんや。孫まで何になるけ。嫁いかれんけ、絶対言わん。」
 「その後ね、ご主人と一緒に平城に何回も会いに行かれましたよね。その時にも言わなかった?だけど、その時は嫁に行ってたでしょう。」
 「行っても言わんかった。」
 「言わなかったの?」
 「それは、別れたらいかんけ。」
 「ああ、そういうことですか。」
 「そうよ、だまされたというて、別れたらいかんけ。そうよ、その点がある。絶対言わん。
 自分がね、言うたらもう、胸抱えたらいかんけ思うてから、何にも言わんかった言うたら、ものすごう泣きおったよ。お母さん、何で言わんかったかいうて、治療せないけんのに。何でいわんかったかいうて。」

 桂先さんの夫「4年前に被爆を知って驚き、あわてました。でもじっくり考えてみると、これは運命のようなもので、信念が揺らいではいけないと。愛情と信頼で、だれよりも誇らしい生活を送るべきではないかと決心しました。」
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 李桂先(リ・ゲソン)さんの被爆者健康手帳の取得は、北朝鮮への制裁措置によって滞っている。いったい、どこの誰を制裁しているのだろう。李桂先さんは、当時の日本政府が朝鮮半島から強制連行した人々の子どもである。

 映画の最後の場面が、あまりにも悲しくやるせなかった。「えっ、まさか」と思うのはうれしいほうであってほしかった。

 みなさん、ぜひこの映画を見てください。
 (残念ながら、この日のお客さんは20数名でした。) 

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2010年08月24日(火)

第8回勝手に国労応援ラン [ランニング]

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自宅前 (フラッシュなし撮影)

 今日は24日。勝手に国労を応援する日。
 今日も、中野勇人さんからもらったゼッケンをつけて走る。明るいうちに走りたかったが、倉庫のスチール棚の組み立てに時間がかかり夜になってしまった。

 昨日1000円散髪に行ったところなので、頭はサッパリ。でも、夜になってもむっと暑い。

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近所の中古車屋さん

 夕食後すぐ走り出したので、途中から腹痛。おなかを押さえながらしかめっ面でとぼとぼと・・・。最低5kmは走ろうと思っていたが、もう限界。けっきょく4kmほど、27分くらい。
 「JR不採用問題」のアピールにもほとんどならなかった。
 これではあかんね。

 解決金だけではなく、再雇用を求める人々の願いがかなう日まで・・・。
 もうちょいしっかり走りましょう!
 「喝!」

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咲き乱れる夾竹桃

 

【おまけ】 「反核平和の火リレー・徳島」(8/4)から帰ってからの夫婦の会話

「中野さんなあ、ボクに隠岐の島行け行けって何ぺんも言わはんねん。」
「なんで?」
「隠岐の島な、今『隠岐ブランド』ゆうのん立ち上げはって、いろんなもんの養殖とかいっぱい仕事あるらしいわ。そやし、『隠岐の島行ったら、藤井さんもできる仕事いくらでもありますよ』って・・・。」
 「いやー、よかったやん。今までアンタがなんぼ『ヨメさんに食わしてもらってます』とか、『ヨメさんに捨てられる寸前です』とか言っても、誰も本気にせんかったのに。さすが、中野さんは苦労してはるわ。『眞寿美さんは確実に夫を捨てる』とふんで、親身になってアンタの行く末を心配してくれてはるんやわ。よかったなー。ちゃんと話を聞いてくれはる人と出会えて・・・。」

 私を捨て去る予定の当のヨメさんからそう言われても・・・。喜んでいいんだか・・・。

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2010年08月23日(月)

真樹、16歳! [家族]

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 今日は真樹の誕生日。
 廉が陸上部の合宿で長野に行ってしまったので、家族そろってのお祝いはなし。でも、真樹は高校で友だちに祝ってもらったそうだ。「ハッピバースディ」の歌付きで。よかったね。

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 今日は、恒例の誕生日ケーキとの写真もなし。私が一番楽しみにしていたのに・・・。

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 その代わり、こないだいなかの家で撮った真樹のゆかた姿の写真を・・・。

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 意外と小顔でかわいい16歳です。
 これからもニコニコできる時間が増えていきますように・・・。 

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2010年08月22日(日)

真樹の初給料 [家族]

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 真樹の「花背山の家」でのバイトが今日で終わり。毎朝5時45分からだったが、14日間一日も休まず遅刻もせずやりとおすことができた。

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 今日は最終日なのでお給料がもらえる。生まれて初めてのお給料。
 もらえると思っていなかった交通費までもらって、自分が思っていたよりだいぶ多かったようだ。よかったね。

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 お給料は、花背山の家協会会長の小滝さんから直接手渡されたそうだ。そのとき、会長さんから言葉をかけられた。
 「あんたのおばあさんは、うちの家に下宿してたんやで。」
 私の母が教師になって初めて赴任したのが、小滝さんのおられる左京区久多。それから2年間、小滝さんのおうちにお世話になったようだ。
 自分の知らないところでいろいろな人とのつながりがあるもんやね。真樹はまったく知らんかったやろうけど、そんなこともあって陰ながら応援してくれてはった人もおられたのかも・・・。
 真樹がマジメに働いていたことを、しっかりと見てくれてはった人がたくさんおられるはず。パオパオも、真樹が働いているところを一回は見てみたかったなあ。

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