2010年08月09日(月)
第11回9の日平和ラン [ランニング]
今日は、9の日。平和を願い9kmか9.9km走る日。
しかしいなかに帰っていて、「ランナーズ9の会」のユニフォームを持っていなかった。こんなときは、標識どおり「ゆっくり走ろう ゆっくり生きよう」。なあ、きくちゃん。
早朝5時45分から、真樹は花脊山の家へバイト。
廉は、前期テスト最終日。
ヨメさんは「京都キャロット」へお仕事に。
私はいなかの家の周りの草刈り。
来週、廉の陸上部の仲間が遊びに来てくれる。廉は我が家の名物・流しそうめんでもてなしたいようだ。
そのためには、まず家の周りの草刈りから。全部刈り取るのに2時間以上かかった。
2時過ぎまでたっぷり8時間以上働いた真樹が、花脊山の家の坂をゆっくりと降りてくる。生まれて初めてのバイトが厨房の補助というのはきついかもしれない。現在仕事らしい仕事をしていない私は、「しっかり」と心の中で願うだけ。
朝はいつも送って行っているが、仕事終わりはいつも迎えに行っているわけではない。このあと1歳上のさっちゃんと遊ぶ約束をしているということで、送って行き、私はそのまま「京都キャロット」へ。またヨメさんに嫌がられるだろうが、せめて仕事をするふりだけでもしなくては・・・。一生懸命なわが子らに恥ずかしくて顔向けできない。
明日は真樹のバイトがないので、今日は3日ぶりに街の家でのお泊り。
夜9時前、きくちゃんと一緒にランニング。
夜、きくと一緒に走るのは久しぶりだがマジメに走ってくれた。
立ち止まったのは、トイレタイム3回だけ。
今日は昨日までの暑さがちょっとやわらぎ、走っていてもそんなに汗をかかなかった。
きくも、気温がましになったのを敏感に感じ取っていたようだ。「走る、走る。」
久しぶりに私と走るのが楽しかったのかな。
けっきょく、約3kmを24分ほど。
9kmには遠く及ばなかったが、これはこれでよし。
そのあと、もう一度ヨメさんのランニングのお供に指名されたきくちゃんは、もうバテバテで走らなかったそうな。
「もう、きくちゃんのパオパオへの貸し出し禁止!」・・・だそうです。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
2010年08月08日(日)
パワースポット「ぜんさん」 [家族]
8月といえばお墓参り。
今年も、おじいさん(私の父)の家に兄弟、子、孫、ひ孫たちが集まった。
私のいなか(花脊別所町)には、曹洞宗・福田寺がある。そのお寺の隣接地に、別所町約60世帯の墓地がある。私が小さいころは、お墓参りの日が一番にぎやかだった。一年でこの日しか会えないという人にいっぱい会えた。お墓参りは、ある意味お祭りのような日でもあった。
しかし、何十年も前からのお寺とのもめ事から、各家庭がバラバラにお参りするお墓参りが定着してしまった。残念なことである。
福田寺とは別に、もっと古いお墓もある。うちの場合は、家の近くの「南段」という畑の上の山にある。そのお墓は、パッと見はどこにでもあるような石。しかし、ピカピカに磨かれて光っている立派な墓石よりも風格があるように感じる。
孫たち(私の姪たち)が言っていた。「おじいさんはすごいパワーを持っている。おじいさんの近くは、私らにとってのパワースポットやわ。パワースポット・ぜんさんやなあ。」(私の父・善一は、いなかではみんなから「ぜんさん」と呼ばれている。)
おじいさんは、ピカピカの石でなくていい。どこにでもあるような普通の石なのに、でもなぜか近寄りがたいような石であってほしい。
(注)まだまだ、続きます。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2010年08月07日(土)
第10回記念 24時間リレーマラソン神戸大会 [陸上競技]
「廉君、お願い!」
「よっしゃー、まかしとけ!」
とでも言っていたのでしようか。(私の勝手な想像です。)
この「24時間リレーマラソン神戸大会」は、廉の大学陸上部の宣伝という意味で出場しているとか。それなら、今までこのブログには大学名は書かなかったが、ここでは書かないと意味がない。廉が所属していたチームは、「京都工芸繊維大学・京都府立大学」連合チームです。
両大学は地理的に近い場所にあるため、陸上部は合同で練習している。昨年までは両大学とも部員不足で悩んでいたが、今年の新入生が大勢入り、工繊は「びわこ駅伝(8区)」、府大は「京都学生駅伝(6区)」の出場に手が届くところまできている。ただ、それは短距離パートも入れての人数であって、他の大学と肩を並べるとは言い難い。さらに部員を確保する必要に迫られている。
このブログを見てくれている両大学の学生さんが、陸上部に入る気になってくれればいいんですけど・・・。
京都から神戸なら2時間もあれば十分と思い、7時50分ごろ家を出た。チームの集合時刻は10時。名神・京都南ICまでは順調。ところが名神に入ってビックリ。「渋滞40km・事故あり」。例の高速1000円と帰省ピークが重なってこうなったようだ。
とてもじゃないが、スタートの12時到着も危なかったので、大山崎ICで流出。廉をJR水無瀬駅で降ろし、大きな荷物だけ私が持っていくことにした。
これで廉は10時半くらいに会場に到着することができた。一方の私は、カーナビで検索しながら迂回しつつ行ったのだが、どことも渋滞。結局会場の「神戸総合運動公園」に着いたのは午後1時過ぎ。なんと、5時間以上かかったことになる。そのまま渋滞40kmの名神に入ったほうが早かったかも。
公園の駐車場から、ブルーシートや寝袋を持ってえっちらおっちら。テントエリアの近くまで来た時、声をかけられた。
「藤井さん、息子さんがんばって走ってはりましたで。」
京都走ろう会の堂本さん。会社のランニングクラブ「スカイハート」に、京都走ろう会から数名助っ人を呼んで「9〜12人の部」に出ておられるらしい。
「息子さんらは、その坂下りたすぐのとこですわ。」
テントがたくさんあるところで聞いてみたが、他のチームのことはだれもご存知ない。それどころではないのだろう。
一周ぐるっと回ってやっと見つけた。見つけにくいはず。廉のチームはテントも何もない。ブルーシートが敷いてあるだけ。
でも、見つけられてやっとほっこり。
地下鉄駅前にコンビニがあると書いてあったので、やっと遅いお昼ごはん。お寿司を買って食べた。
この日は「オリックス対ロッテ」のナイターがあるようで、公園内の球場の周りはにぎやかだった。
意外や意外、オリックスファンは多い。
私の好きなヤクルトのファンよりも確実に多い。(ただし、神戸限定だとは思いますが・・・。)
テントサイトの中央に浅いプールがあった。今はだれも入っていないが、時間がたつにつれ絶対泳ぐ人が出てくるでしょう。
2時間経過時点での速報では、工繊・府大連合は2位と僅差のトップ。8人中女子2人なのに大健闘。これはひょっとしたら行けるかも・・・。
こんな大会にも出店しているランニングショップさんがあった。うちの経験から言うと、「リレーマラソン」はみんな必死なため、レース中はほとんどだれも見に来られません。
廉のチームは1周(2km)ごとに交代しているため、8人だとちょうど1時間に1回まわってくる計算。
女子2人も、ほぼ同じローテーションで24時間行く予定らしい。
そろそろかと思って廉に聞いてみると、まだまだとのこと。それなら、テントサイトをもう一回ぶらぶら。
ヒマなので、ジャマにならないようコースを走らせてもらうことにした。
1km先の折り返しから戻ってくる時、折り返しに向かう「みずぽん」(京都府立大陸上部)発見。これは早く帰って、タスキリレーの写真を撮らねば。
リレー地点に向かうと、廉がスタンバイしていた。
「おー、これはバッチリいい写真が撮れるー。」うれしくなってきた。
同じ大学の1回生同士。いいリレーができたように思います。
ここからちょっと先回りをして、このコース唯一の上り坂を駆け上がってくる廉の姿を。
1時間ごとに2kmのインターバルを24回。これって、いい練習になりますよね。この坂を何回も上ることだし。
次は、帰りの廉の激走。
ナイターの会場開門待ちのお客さんの列が伸びていて、走りにくそう。
初めは元気があっていいけど、夜中にこれと同じ走りができるかどうかが勝負の分かれ目でしょうね。
球場前では、お客さんを盛り上げるいろいろなイベントが行われていた。
オリックス7回の攻撃の前には、たくさんの花火も打ち上げられるそうだ。リレー参加のランナーも、自分たちの応援だと思って見たらいいね。
2kmコースを2周走って、それぞれ10分ちょっと。
運転でクタクタになって走るのはやめようかとも思ったが、少しでも大会の雰囲気が味わえてよかった。
「スカイハート・ウィズ・京都走ろう会」チームにおわかれのあいさつ。あと、21時間ほどたっぷり楽しんでください。
最後に廉に頼んで記念写真。
廉たちの元気そうな様子、「スカイハート」チームの楽しそうな様子を見ていると、来年は自分も出てみたくなった。
帰りは西宮の渋滞があったにもかかわらず、1時間40分で家に帰ることができた。朝の迷走5時間はなんやったんでしょうね。
※ 廉からのメール(8月8日13時08分)
「2位と40km以上差がついて、360kmで大会新記録で優勝でした。」
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2010年08月06日(金)
中野高級ホテル [平和]
初めから夜はアルコールを注入する予定だったので、中野さんのお言葉に甘えて、中野さんのおうちでの宿泊を予定させてもらっていた。
映画「人らしく生きよう・パート2」でそのおうちが少し写ってはいたが、どんなところかまったくイメージがわいてこなかった。
案内されたおうちは、一軒家の二階。
一階のあけにくいドアから入ると、階段にはたくさんのシューズ。その時、一瞬、二階に何人か住んであおられるのかと思った。しかし、よく見るとそれらはほとんどがランニングシューズ。二階部分全体を、中野さん一人で使っておられるのだった。
二階に上ると、細かくは仕切られているが3部屋続き。それとは別に、キッチン、バス、トイレ。おっと、これは高級ホテル並み。言わば、「3K」ですか。
いや待てよ、「3K」と言えば・・・。
「きつい」「汚い」「危険」な労働。
私は中野さんの「5K」を思いついた。
か なしいです
き ついです
く るしいです
け っ!
こ んなくらしがいつまで・・・
でも、こんな「5K」も考えられる。
か いこはふとう、でも
き ぼうはすてない
く にがあいてでもひるまず
け んぽうのせいしんがうしろだて
こ ようされるひまではくじけない
中野さんが23年前国鉄を解雇される前、「国労をやめて生き延びろ」という周りの声が多かったそうだ。しかし、中野さんは「ここで自分の信ずる道を捨ててしまえば、この先同じような場面に出くわすたびに自分をごまかしながら生きていかなくてはならない」と思われた。そんな生き方はできないと決断され、その後いばらの道を歩まれることになる。
寝る前に、中野さんの部屋にあった数々の写真を見せていただいた。
去年の「国会前54日間連続フルマラソンアピール行動」の前にも、「1047kmキャラバン」などさまざまな行動を起こされていた。そのほとんどが中野さんの得意なランニングがらみ。
「今までこれだけすごいランニングの実績を残されているのに、私ら一般ランナーにほとんど知られてないのが残念ですね。『JR不採用問題』をおいといて、ランニングの部分だけを取り上げても、ランナーなら関心を持ったと思うんですけど・・・。それを見たうちの何人かは、『なんで、ここまでやらはんにゃろう』と思って調べると思いますわ。そういう意味で、マスコミの姿勢ってどうなんやろうと疑問に思います。」
「組合活動に対するマスコミの目は、決してあたたかいものではないですから・・・。」
「ボクは、組合活動や平和運動って弱い者を助ける活動やと思ってるんですけど、それを白い目で見る人ってどうかしてますよね。私らの親の世代ならそういう教育を受けてきたからある程度は仕方ないと思いますけど、私らの下の世代くらいからまた反動化しているようで・・・。」
「そうなってきたのも、社会や教育の力が大きいでしょう。」
話している途中で気がついた。
ずっと話し続けているは私。中野さんはほとんど聞き役。中野さんは私の7歳下だが、7歳上のどうしようもないオッチャンの話をしっかりと聞いてくれている。
もう一つ気がついた。
私は今まで、生マジメな人を茶化してカンカンに怒らせてしまったことが何度もある。(そういうどうしようもないタイプの人間なんです。)中野さんは、その生マジメな人間。でも、カンカンに怒らない。フシギでしたねえ。
マジメ・不マジメは本来強烈に反発しあうものであるのに、中野・藤井は今後も意外と長持ちするのかも・・・。そんなことを思いながら眠りについた。
「ここは、中野高級ホテル・・・、むにゃむにゃ・・・。」
※ 上の写真は、泊めていただいた翌朝、中野さんが顔を洗いに行ったスキに盗撮した中野部屋。これは、「高級ホテル」と言うより「アジト」ですね。(「アジト」って、死語ですか?)
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2010年08月05日(木)
第23回反核平和の火リレー(徳島)・続き [平和]
JR阿波池田駅前の「へそっこ公園」にゴール。
いったん中野さんのおうちにおじゃまし、シャワーを浴び着替え。再び、イベント会場になっているへそっこ公園へ。
会場では、アンパンマンショーや手話入りの合唱、琴の演奏などが行われていた。
私と中野さんが焼きソバをあてにビールを飲んでいると、今村さんという女性が「ご一緒させてください」と入ってこられた。私は私の横の席を勧めたのだが、なぜか中野さんの横に。
中野さんいわく、「中野後援会会員ナンバー0番の今村さんです。」
「ふむふむ・・・。」
だいたい、国労北見闘争団の中野さんがなぜ四国徳島の三好市池田におられるのか。これさえも、いまだに理解できていない。その中野さんが、三好市役所の地下にある市職労の今村さんとどういう仲なのか。これも分かっているようで分からない。
「藤井さん、では交流会ということで・・・。ちょっと、行きますか。」
よっしゃー、こういうときに遠慮せず何でも聞かにゃー。
「今日、わざわざ京都から徳島まで来たのは、反核平和を訴えるためでもなく、酷暑の中を走るためでもないんです。一番の目的は、中野さんのしっぽをつかむことです。」
そんな私の自己紹介を、今村さんは半分あきれて半分興味深く見ていてくださった。
「あっ、中野さんの『イメージダウン作戦』でしょう。ブログ、見せてもらってます。」
中野さんは、国労北見闘争団から四国に派遣されている。私はてっきり、四国におられる国労の仲間を応援するために来ておられるのだと思い込んでいた。しかし、実際はそんなに特化した活動ではなくもっともっと広く大きな活動のようだ。その拠点にされているのが三好市市職労であるようだ。
7年前中野さんがこの地に来られたとき、初めに仲良くさせてもらわねばと思ったのがこの今村さんだそうだ。当時はまだ町村合併前の池田町時代で、今村さんは労組の「書記」という立場の方であったらしい。
まあ、それはさておき本題へ。
「中野さんの弱みをつかもうといろいろ聞きまくってるんですけど、うまくいかなくて・・・。なんか、中野さんの悪事とかないですかねえ。」
「それがね、徳島に来られてからの中野さんは品行方正で・・・。」
「ボクは、スキャンダルとかが発覚したら終わりだと思ってるんで・・・。徳島に来て、悟りを開きましたから。この7年間、一度も怒ったことないですから」と、中野さんの割り込み。
「おかしいでしょ。そんなことありえへんて。」
「あっ、でもね、前に北海道に行かせてもらったとき、中野さんの古いお友達に会ったんです。そのお友達が私たちの話を聞いて、『信じられん。北海道にいたときの中野は気が短くてすぐカッカと来るやつだっだ。みんなだまされている』とおっしゃったんですよね。あっ、そうなんかと思ったりもして・・・。」
「そっかー。やっぱり取材は北海道まで行かなあかんね。できたら、高校までおられた増毛まで行って同級生とかに聞かなあかんのかも。」
「あっ、ひとつだけ思い出しました。中野さん、すごいスーツを持っておられるんですよ。見る角度によっていろいろな色に見える玉虫色のスーツ。あれを着ていかついサングラスをかけてこられることがあるんですけど、どう見てもアッチ系の人にしか見えなくて・・・。」
「あっりゃー、そのへんうちのヨメさんといっしょですわ。そんなへんなかっこして、みんなから声をかけてもらおうという作戦ですわ。その手に乗ったらあきませんでー。
うちのヨメさん、あの歳でミニスカート専門ですから。困ったもんでしょう。」
「と言うことは、大屋政子さんみたいな・・・。」
「そそそ、自分で『大屋政子2世』みたいなことゆうてます。」
「奥さんには頭が上らない・・・。」
「そうなんですよ。なんせ、ヨメさんの稼ぎでメシ食わしてもうてますし・・・。今日出てくるときも、『お願いやし帰って来んといて。吉野川にはまって溺れ死んで。生命保険ガッポリだけはきちんとしといて』ってゆうて送り出されたくらいですから。」
「いえ、でも、いざとなったらきっとちがうと思いますよ。」
「いや、それはない。あいつは本気でそう思とる。恐ろしいおなごじゃー。」
「でも、あっちこち行かせてくださって、理解あるんじやないですか。」
「とんでもない。『アンタのしていることはすべてムダ』と断言しているくらいですから。こうやって反核平和の活動も政治活動やからと言って、『京都キャロット』のホームページから私のブログへのリンク、ぶち切ったんですよ。何の説明もなしに突然ぶち切ったもんやから、『パオパオだより』がなくなったと言う人が続出して困りました。こんなん政治活動ってゆうたら、ほんまに政治活動やってはる人怒るでーってゆうたんですけど・・・。
今日ね、走ってて出くわした小中学生がいたじゃないですか。こっちが手を振ったら手を振り返してくれた子もいましたよね。あの中の何人かが、『反核平和ってなんやろう。変なオッチャンが9の会と書いたのぼりを背負って走ってたけどなんやろう』と思ってくれたらめっけもん。その程度のことを、『政治活動』って目くじらたてるとはねえ。
特定の政党を応援する活動ならいざ知らず、ボクがしたいのは『憲法9条を守る』、この1点だけ。ほかのことにはほとんど興味もないです。」
「反核平和運動を色メガネで見る人は、オカルト集団を見るのとおんなじ目で見てしまうんでしょうね」と、中野さんの割り込み。
ヨメさんに言わせると、『アンタのやっていることはアンタの葬式に来る人が増えるだけで、家族のためには何の役にも立ってへん』とゆうことらしい。
葬式なんてしてもらおうなんて思ったこともないのにね。ボク死んだらね、できたら死体を野良犬のえさにしてもらえたらと思ってるんですけど。臨終の席では家族ではなくて雑種犬に見守られて息を引き取りたいなあ。」
それまでほとんど黙って聞いていた中野さんも、さすがにこの言葉にはひいていた。「ヘッ、ヘンタイ!」と心の中で・・・。
「娘さんと沖縄旅行されたんですよね。二人で行かれた目的は?」
「うちの子ね、中学の時にいろいろとあって、もう人と競争するのはいやなんですて。それでね、日本で一番競争のイメージから遠いのは沖縄かなと思って。沖縄の大学なら行ってもいいかなあと今漠然と思っているみたいです。」
「そうなんですか。」
「沖縄の大学を出られてその大学の先生になられた方と話す機会を作ってくださったんです。そのあと、『真樹も沖縄の大学の先生になったら』って言ってみたんですよ。そしたら、「先生になるのだけは絶対イヤ!』ですって。この言葉はショックでした。」
「そうですか・・・。でもね・・・。うちの子もずっとそう言ってたんですよ。大人になった今、絶対ならないって言ってた教師の仕事してますよ。」
「いやまっ、そうなんですか。」
「毎日夜遅くまで仕事があってたいへんみたいですけど・・・。」
「へー、すごいですやん。そんなこともあるんですねえ。でも、あんまり気張りすぎんようにね。どんなに忙しくてつらいことが続いても、この部分だけは心から楽しめるぞーと言えるところを見つけてほしいです。そしたら、これからもずっとその仕事を続けていけると思いますよ。」
おー、なんと、わずか12年で教職を「ケツワリ」してしまった私が、何を偉そうにアドバイスかい! 反省!
中野さんをそっちのけにして、初対面の今村さんとしゃべりすぎた。
このほかにも、池田町はタバコの栽培で栄えた町であることや、中野さんが家の前でファイティングポーズをとっているカマキリを見て驚かれた話(北海道にはカマキリはいないらしい)など、ためになる話もたくさん聞かせていただいた。
聞き上手な方は、ほんとに感じがいい。自分のことばかりしゃべりがちな私は、今村さんの爪の垢でも煎じて飲まねば・・・。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2010年08月04日(水)
【 過去の記事へ 】