パオパオだより

2009年12月21日(月)

エキデン [マラソン評論]

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全国高校駅伝女子 史上3校目の2連覇を達成、Vサインでゴールする豊川のアンカー・ムルギ=20日午前、京都市の西京極陸上競技場【共同】

 昨日は、高校駅伝。
 午前中が女子、午後から男子。西京極陸上競技場スタートゴールで行われた。

 私は、午前中は京都走ろう会の例会に参加していたため、女子は見られなかった。午後の男子は、ゆっくりテレビ観戦。

 もうすぐゴールというころ、元同級生の友だちに誘われて買い物に出かけていた真樹が家に帰ってきた。(自転車で)

 「国際会館のとこ通行止めで、先頭から最後まで全チーム見てきたわー。」
 「へー、そらよかったやん。」
 「なんか、前のほう留学生ばっかりやったで。」
 「ああ、留学生は1区に出られへんようになったし、みんな3区なんや。」
 「ふーん、そうなん。」
 「見てて、おもしろかったやろ。」
 「だいぶフラフラの人もいたわ。でも、後ろのほうの人でも前がすぐ見えてるしええやんなあ。真樹が大文字駅伝走った時は、前の人と5分くらい離れてたんやもんなあ。人と競えるとこで走りたかったわ。」
 「そやなー。」

 真樹は、「もう絶対走りたくない」と言ってはいるが、のんびりゆっくり走れそうな「ホノルルマラソン」と、その正反対の「駅伝」は走ってみたいらしい。大文字駅伝が不完全燃焼やったんですかねえ・・・。(よう、わからん。)

 ここで一つ、一般にはあまり知られてない情報を・・・。

 今年の男子優勝校・世羅。
 今年も留学生の活躍が優勝への大きなポイントとなった。しかし、今年はうまくいってよかったが、数年前招いていた留学生は期待外れだったようだ。
 その留学生は、うちが出張販売に行っている毎年8月の「ひろしまクロスカントリー」で見かけた。少し小柄だが、明るくて素直な高校生に見えた。だが、彼はいつの間にか消えてしまっていた。
 同じ時期に来ていた女の子の留学生は、うちの店で「マケテクダサイ」というくらい日本になじんでいた。その子は、確かその後実業団に入り活躍したはずである。しかし、男の子のほうはなじめなかったんでしょうね。なんちゅうても、15くらいで遠い外国来てるんやからね。

 留学生がみな成功しているわけではない。一度も栄光の場に出ることなく、人知れず帰国した留学生もいるだろう。華やかな全国大会だけを見ている人々は、それには気づくこともない。
 「留学生」という名のもとに、残酷なことがおこなわれているような気がします。
 「これで、いいんでしょうか?」

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大文字駅伝 (2007.2.4)

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2009年12月20日(日)

京都走ろう会例会・12月第3日曜 [ランニング]

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 「さっきの子、まだいるかなあ。」

 私が10kmコースの6km地点付近(北大路橋北)を北上している時、小柄な女の子がこちらに向かって走ってきた。たぶん、この例会には初めての参加。
 このときは、すごくしんどそうに見えた。

 もう帰ってるかもしれんと思いながら、エノキ前のベンチを見ると、いましたいました。
 いっしょに走っておられた美人ランナーさんと、ご家族らしき方(お母さんかな?)と3人で。
 
 「すいませーん。私、京都走ろう会の会員で、藤井といいます。さっき走ってはるとこを写真に撮らせてもらったんですけど、私のブログに載せさせてもらってもいいでしょうか。」
 「はい。」
 「例会の様子とかをレポートして、写真付きで載せてるんです。」
 「そうなんですか。」
 「今日は、3.1kmですか。」
 「いえ、5km。」
 「うわー、すごいですやん。」
 「最後は、泣いてしまって・・・」
 「いや、でも最後までしっかり走らはったんでしょう。タイムはどれくらいでした。」
 「32分くらい・・・」
 「いやー、すごいすごい。何年生ですか。」
 「中3です。」
 「いやま、うちの子といっしょですやん。うちの娘もね、小学校の時はよう走ったんですけど、中学になってからは全然で・・・。
 もう一枚、写真撮らせてもらってもいいですか。」
 「はい。」

 「パチリ!」
 さっきのつらそうな顔がうそみたい。
 いやじゃなかったら、また「京都走ろう会」の例会に来てね。

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 今日は、正直に言って、あまり走りたいという気分ではなかった。でも、やっぱり来てしまった。

 柴田秀夫さんが、うまいこと言ってはった。
 「私もね、今日は頭も痛いし、やめようかなと思とったんですわ。でも、ここまで来たらなんとかなるやろうと思って来てしまいました。
 一人ではあきませんわ。こうしてみなさんと走らせてもらうと、気分まですっきりしますしね。」

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 「みなさーん、今日の10kmはお得ですよー。」と私。
 「えー、何がお得やのー。」と平田邦子さん。
 「12月でこんな穏やかな天気の日って、めずらしいですよ。これは、10km走らんとー。」
 「そやねー、みなさーん、10km走ってくださいよー。」

 私と平田さんの二人でお誘いしたのに、10kmは6人+役員さん。

 スタートしていきなり、北出吉弘さんがポーンと飛び出す。
 「藤井さん、写真撮らはるんやったら、先頭行かなあきませんやん。」と山本詳三さん。
 「そんなん、無理ですって。あの人、38分くらいで走らはるんやから・・・。でもね、私の若い時は、北出さんとけっこうええ勝負してたんですよ。今は話にならんけど・・・。」

 こんなことしゃべってる間にしっかり走れ、ちゅうことですな。

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 丸太町橋までの下りは、北出さんの背中を追いかけて楽に走ることができた。
 ところが、折り返して北上すると、風もないのに走りづらい。4日前の42kmがきいてきたのか。

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 へロヘロになりかけた時、かわいいワンちゃん発見!
 私がめぼしをつけたとおり、かわいいかわいいおばあちゃん犬だった。もう耳が聞こえないらしい。それでもこわがらずに、私の手のにおいをクンクンとかいでくれていた。

 「シェリーちゃん、長生きしてやー。」
 

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シェリー・メス・13歳

 「元気、復活!」
 なんぼ単純な人間なんでしようね、私って。 

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 今日は、谷角裕之さんが来られていたので10kmで対決しようと思っていた。ところが、谷角さんは5km。
 それなら、せめて10kmの中間点(実際は4.8kmくらい)で先着しようと思ったが、わずか及ばず。残念!

 ここまでで、23分10秒くらい。
 これは、前回よりだいぶ遅くなりそう。

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 谷角さんに続き、5kmの人が帰ってきた。
 吉田出さん。スポーツジムで水泳もしておられるそうだ。

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 佐藤光一さん。
 いつも私のすずしそうなかっこうを見ては、「藤井さん、元気やなあ」と言ってくださる。いやいや、佐藤さんのほうが・・・。

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 北大路橋を過ぎたところで、小柄な女の子がしんどそうに走ってくる。でも、安心。ぴったりと寄り添って走る女性。それに、京都走ろう会の松山健治さん。いろんな人がしっかり見守ってくれています。

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 北出さんが御薗橋を折り返してきた。
 あれ?
 いつもはもっと離されているんやけど・・・。ちょっと調子が悪いんかな。

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 御薗橋折り返しでは、いつもどおり塚本政琉さんとりんちゃん。
 「ごくろうさんどす。」

 さあ、あと約2.5km。

 ゴール手前からゴール付近を見ると、松葉杖の人が・・・。

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 あー、吉田康彦さんやー。いやー、こんな状態やのに顔出してくれてはんにゃー。もう、ほんまに、「京都走ろう会」の役員さんはすごい。
 もう、仕事に復帰しておられるそうだ。もちろん、ディスクワークで。

 私のゴールタイムは、47分36秒。
 前回(12/6)より、2分以上も遅くなってしまった。

 でも、今日は、かわいい中学生に会えたし、心配していた吉田さんにも会えたし、柴田さんともいっぱいしゃべれたし・・・。

 やっぱり家に閉じこもってたら、ダメ!
 そうやん、今まで外に出て行って後悔したことなんかただの一度もない!
 みなさん、ぜひ「京都走ろう会」例会へ。

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 左から、村瀬洋子さん、三輪新造さん、津田昌子会長、井上孝夫さん。
 役員のみなさん、今日もありがとうございました。
 (津田さん、かわいく映ってます。)

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2009年12月19日(土)

初雪しゅるしゅるしゅる [わんこ・にゃんこ]

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 夜明け前、ここら(左京区市原)あたりにも初雪が降ったようだ。天気予報では積もるくらい降るといっていたがうっすら白くなった程度。、

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 きくは、いなか(左京区花背)に住んでいたとき、雪遊びが大好きだった。こっちに引っ越してきてからは、遊べるほどは積もらない。

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 「きくちゃん、しゅるしゅるしゅるしょうか。」

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 これですべり台すべったことになるんかなあ。
 でも、まあまあうれしそう。

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 あれ?
 ちょっといやがってる? (ばれたか)

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 「雪景色ときく」を撮ろうとしても、下ばっかり向いて・・・。

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 私の車にもうっすらと雪が・・・。

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 ご近所イケメン犬・タロウちゃんにもごあいさつ。
 「タロちゃん、うちのきくなあ、もう子ども産めへんにゃけど、仲良くしたってな。」

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 あんも(20歳)、今日も元気。
 必殺黒猫パンチを今日もくらってしまった。

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 きくは避妊手術の抜糸は済んだのだが、今度は乳腺腫の手術をしなくてはならなくなるかもしれないそうだ。もう、手術はかんにんしてほしいよなあ。

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2009年12月18日(金)

中野勇人さん [私の好きな人]

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 「中野さんてなあ、かわいいとこあんねんでー。」
 「なにー。」
 「男の子さん二人いやはんにゃけどな、『解雇されてなかったら、もっといっぱい子どもがほしかった。女の子が生まれたら、バリバリの女子校に入れて、赤いスポーツカーで迎えに行きたかったなあ』やって。」
 「へー。」
 「その話しやはった時の中野さんの顔が、パオパオは一番好きやなあ。」

 おととい、「国会前54日連続フルマラソン」の46日目を中野さんといっしょに走らせてもらい、家に帰って最初にヨメさんに話したのがこの会話です。

 国鉄民営化は、「国労つぶし」が主たる目的ということはよく聞いていた。しかし、私のイメージでは、給料をたくさんもらっていた年齢層の高い人が首切りにあったものだとばかり思い込んでいた。

 1987年、国鉄民営化の年、中野さんは24歳。
 ご長男が今24歳だと言っておられたので、結婚して最初の子が生まれ、前途洋々たる気持ちでおられたまっ最中であったと思う。

 中野さんのこの「アピール行動」の日々のレポートの最後は、闘い半ばで亡くなってしまわれた仲間のことが記されている。
 その中の「享年」を見ていたら、泣けてくる。ほとんどが今の私の年齢より下。30代で亡くなられた方も数多くおられる。きっと、「あれもしたかった、これもしたかった」と思いながら亡くなっていかれたのであろう。

 中野さんが選ばれた「54」という数字は、その亡くなられた人々ひとりひとりを決して忘れないという気持ちが込められている。(その後5名の方がお亡くなりになり、その数は「59」にまで増えてしまっている。「どうか、早期解決を!」)

 それにしても、毎日毎日フルマラソンを走り続けている修行僧のような人の口から、「バリバリの女子校」とか「赤いスポーツカー」という言葉が出てくるとは思わなかった。この言葉で、中野さんのことをいっぺんに好きになってしまった。(そんな私は、やっぱり変?)

 あまりくわしくはお聞きしていないが、中野さんの奥さまやお子さんもたいへんだっただろうと思う。
 現在、奥様と二男さんが地元北見、長男さんは東京、中野さん自身は国労闘争団の四国常駐として徳島に暮らしておられる。

 私がどうこう言うことでもないが、自分の信念を貫き通し、仲間全員の職場復帰の糸口を見つけようとしておられる中野さんの生き方には敬服する。

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 走っている間、国会議事堂の見学に来ていた小学生の列に出くわした。ここぞとばかり、私が中野さんに聞いてほしかったたった一つの話をきりだした。

 「私ね、実は18年前まで小学校の教師してたんです。国鉄民営化の前の年の1986年の卒業式にね、京都市中の小中学校全校に突然、『日の丸・君が代』が強制されたんです。
 その時、京都市中の校長先生が全員同じことを言い出したんです。こっちがどんな聞き方をしても一字一句ちがわんような答えが返ってきたんですよ。『ずっと前から、日の丸・君が代を式に入れたいと思い続けていました』とか・・・。
 なんやねん。あんたら、『教え子を再び戦場に送らない』という気持ちで教師になったんちゃうんかいな!そんなんで、今までの自分自身との整合性とれとるんかいな!
 それまで私らの話をようよう聞いてくれてはった校長まで、この件に関してはいっさい受け付けず。校長さん、全員がリモコンロボットになってしもて・・・。
 その時全市で250人ほど校長先生がいたんですけど、この『日の丸・君が代』の強制に反旗を翻した人はゼロ。なんちゅー恐ろしいこっちゃと思いました。これは、絶対、市教委の中に校長恫喝係がいるんやわと思いました。(まさか、その係員が出世して教育長になり、そののち市長になっている・・・、なんてことはないですよね。まさか、ねえ。)
 
 それに加えて組合の方針が・・・。
 さんざん議論したあげくの結論が、『卒業式では何もしない』ですよ。何もしない組合活動って、いったいなに?
 労働組合は組合員の生活を守るためのものやから、もし免職者が大量に出る事態になったら支えきれない、というのが理由ですわ。なんじゃ、そら。
 
 自分の信じることを貫き通せない職場にいても無意味と思って、その5年後の1991年に退職しました。

 だから、どんな迫害にもめげず信念を貫いておられる根津公子先生や中野さんがうらやましくて・・・。こんな生き方がしたかったと、今ごろつくづく思ってるんです。」

 あの時、「クビになっても、いっしょに勉強して裁判に持ち込んで、勝とうぜ!」と言ってくれる仲間が一人でもいたら・・・。でも、そんな仲間を探そうともしなかった私は、闘わずして負けていた。
 私が教師をやめたら一番がっかりするであろう母が死んだ2ヵ月後、「日の丸・君が代」強制から5年目の1991年3月、私は退職した。

 自分のことだけでなく、仲間みんなのことを考えながら走っておられる中野さんの姿を見て、いろいろなことから逃げてしまった自分が恥ずかしくなった。
 あの「日の丸・君が代」強制の時、私は30歳。結婚したばっかりで子どももなし。中野さんは、国鉄民営化の時24歳。すでに一児の父。
 比べさせていただくのもおこがましいが、私と中野さんは雲泥の差でした。今回、このアピール行動の54分の1だけでもいっしょに走らせてもらって、本当によかった。
 これからは、自分のできることをしっかりと見つけ、実行していきたいと思っています。

 最後にもう一度、中野さんの大好きなチェ・ゲバラの言葉を・・・。
 「もし我々が空想家のようだと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、出来もしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、そのとおりだ、と。」
 

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 <おまけ>

 昨日、廉が3日遅れの誕プレをくれた。「ライト・オン」でトレーナーを買ってきてくれた。なかなか、センスいいでしょ。
 「ひょっとして、ますみちゃんのさしがね?」
 「なんでやねん。廉が自分でこうてきたんやわ。ふだんの私の育て方がええもんやから・・・。」
 またもや出ましたー。「私一人で育てました」パターン。

 中野さん、女の子はもちろんかわいいけど、男の子もいいとこいっぱいありますよ。
 いつか、中野さんの息子さんたちとも会わせてくださいね。

※ 中野さん(国労闘争団)のホームページを私のリンク集に入れさせていただきました。興味のある方は、ぜひのぞいてみてください。特に、その中の「中野レポート」を。→

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2009年12月17日(木)

「国会前54日連続フルマラソンアピール行動」・46日目・続き [ランニング]

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 中野さんといっしょに走りたいと思った理由。

 ?国鉄民営化が1987年。この年は、中野さんにとって人生の大きな転換点であったと思う。京都の小中学校の卒業式に「日の丸・君が代」が強制されたのが1986年。この年は私にとっての人生の転換点だった。同じような時期に大きな節目を迎えたところが共通点であるような・・・。

 ?中野さんのこの「54日連続フルマラソン」の報告の中に、根津公子さんが応援に来られていた記事を見つけた。お知り合いやったんやー。
 根津さんは、卒業式で「君が代」斉唱を拒否して着席しただけで停職を何回も食らっている東京都立の中学校の先生。私ができなかったことを、堂々と、信念を貫いて実行されている方である。中野さんの生き方とも共通する根津さんの話も聞いてみたいと思った。

 ?この「54日連続フルマラソン」のことを知ってからあまりいろいろなことを調べる時間がなかったが、一つだけ心にビビビッと来た言葉を見つけた。
 うちのヨメさんが言った。「もう世の中から忘れ去られようとしていることを、一生懸命に訴えてる人ってどうなんやろう。」
 その答えがこれですね。(「このアピール行動をウイニングランへ・・・」から)

 結びにチェ・ゲバラの言葉を掲載し決意とします。これは、はじめから無理だと諦めて、何ひとつ行動しようとしないのに偉そうなことを言っている人たちをこき下ろしたゲバラの言葉です。
 「もし我々が空想家のようだと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、出来もしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、そのとおりだ、と。」

 理想主義者を貫けず、現実主義者にも成り下がれず、ただ何もせず生きているだけの私にはこの言葉は強烈でした。

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 中野さんにお会いするまでは、「54日間連続フルマラソンをやってみようと思う中野さんて、いったいどんな人なんやろう」と不安な面が大きかった。
 しかし、お会いして一番に感じたのは、「普通の人」。
 やられていることはとてつもないことなのだが、お話している限りでは何も特別な人ではない。「組合バリバリ」といった感じもまったくない。
 「紳士」であることはまちがいないが、「真摯な人」というのが一番あっているような気がする。 

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 4人目の参加者・阿美さんが来られて記念撮影。
 阿美さんも38歳。体重82kgの巨漢です。
 これで30代が2人(阿美さんと池田さん)、40代が1人(中野さん)、50代が1人(私)、70代が1人(久下さん)となった。あと60代が来てくださったらまんべんなくなってよかったのに・・・。(自転車で伴走してくださった方は60代だったようです。)

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 5人で走るとなると、やっぱりにぎやかな感じ。特に、巨漢・阿美さんが要人警護のSPみたいで、注目の的。

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 スタート地点にも、いろいろな方が入れ替わり応援に来てくださっていた。

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 力強い走りを見せてくださっていた久下さんは、11周で終了。今度の日曜日、地元の駅伝のメンバーとして5km走られるらしい。そのため、無理をせずここでやめておかれた。
 お手本にできるような無駄のないいいフォームを見せていただきました。
 久下さんにも、「ゆめさき舎」特製「寅の絵馬」をもらっていただいた。
 久下さんは、今もいろいろな大会に出ておられるらしい。また、どこかでお会いしましょう。

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 私のブログの話題。
 「今ね、私のブログ、一日3000近くアクセスがあるんです。」
 「すごいですね。どんな方が見られてるんでしょう。」
 「ヨメさんの説によると・・・。
 私のブログ、『京都キャロット』のホームページ内にあるんです。だから、うちのホームページを見られたお客様が、『なにか、お得な商品情報でも書いてあるのかなあ』と思って見てしまうんやろって。でも、それだけでは一日3000アクセスは行きませんよね。
 私のブログね、いろいろなこと書いてますけど、ジャンルに分けたら『恐妻ブログ』やと思うんです。だから、全国の恐妻家が『ああ、こんなこと、あるある』と思いながら見てくれてはんのかなあという気がします。」

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 走っている途中で、私たちのスタート地点のちょっと手前で座り込みをしている女性を見つけた。
 沖縄普天間基地の辺野古移設反対を訴える座り込みだった。
 一人座り込みを続けられていたのは、「人権を考える会・パイザ」の服部さんという方だった。
 細かいことはよく分からないが、座り込み2068日続けられることがすごい。約6年ですもんね。

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 この「54日連続フルマラソン」のスタートゴール地点は、実は国会議事堂の裏側。

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 空に気球がプカプカ。「城西大学」の宣伝のようでした。

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 「これだけ毎日走り続けていると、顔見知りの議員さんや秘書さんもできて、声をかけてくださる方もふえてきました」と中野さん。
 「微力ではあるで無力ではない」、そのとおりですね。

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 そんな私たちに対して、国会議事堂から出てくる車は容赦なし。一旦停止もせず、急発進。
 警備に当たっている警官も、「車優先、歩行者はひいてもよろしい」という感じ。人通りが少ないとは言え、それはないでしょう。

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 約5km7本目までは、だいたい35分ほど走って5分ほど休けいというパターンだった。

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 そして、いよいよ最後の8本目。
 ここで、また中野さんと私の2人になってしまった。

 こんな時まで、35kmの壁。急に足が重くなってきた。
 2か所ある信号も最後のほうになって、なぜか青ばかり。全然休めません。
 残り2周で、頭がボーとなってきた。
 「藤井さん、足と手を何とか動かしていたらゴールにたどりつけますよ」と中野さん。
 あかん!(はげまされてる!)
 私がここに来たのは、中野さんから元気をもらうためではない。中野さんに元気をあげなくては・・・。

 私はしんどい時でも笑うことができる。(苦笑いかも?)
 何とか笑顔を作って前に進んだ。45日も走り続けている中野さんに弱音は見せられない。
 中野さんは何も言わず、何度も何度も私のほうを振り返り、私のヨレヨレのペースに合わそうとしてくださっていた。面目ない!

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 ゴールテープを持って下さっている方を写真に撮ろうと思ったが、もうヨレヨレでブレブレ。

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 中野さんと手をつなぎバンザイのゴール。
 これは私の生涯で初めてのこと。今まで走ったどのレースよりも大きな感動をもらいました。
 元気づけるために来たはずなのに・・・。
 でもちょっとだけでも喜んでもらえたかな。

 スタートからゴールまで、およそ5時間30分。
 私は、後は帰ってフロに入って寝るだけ。
 中野さんは、明日も朝9時にここに来て、またフルマラソン。いやいや、明日だけでなくあと8日間・・・。
 本当に頭がさがります。

 「がんばって」とは言いません。あなたが今までしてこられたように、一歩一歩着実に「しっかりと」前に進んで行ってください。

 地下鉄・国会議事堂前でお別れするときに言った言葉。
 「こんな企画がまたあってはいけないと思います。不当解雇された国労の方たちの問題が一日も早く解決することを願います。
 でも、万一、また走る企画をされたら知らせてくださいね。」(私は「テヘッ!」といつもの笑顔。)

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 東京駅の新幹線改札口付近で遅い昼食。
 的士飯セット(1250円)と生ビール大(800円)。的士飯(タクシーハン)とは、忙しい香港のタクシー運転手が焼き飯に煮物をかけて食べたことからこの名がついたそうだ。
 疲れていてラーメン系しか食べられないかなと思ったが、意外とぺロリと全部食べられた。おいしかった。 

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 3時40分東京駅発の「のぞみ」に乗車。
 6時、京都駅着。
 地下鉄で「国際会館前」へ。
 そこからバスで我が家へ。家に着いたのは、6時48分。早いもんや。

 家に着くと、真樹からちょっと遅れた誕プレ。赤ピンク系のおしゃれなフリースジャンバーだった。これがまたあったかくて・・・。
 これで、体中の痛みと疲れが吹っ飛びました。

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2009年12月16日(水)

「国会前54日連続フルマラソンアピール行動」・46日目 [ランニング]

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 「昨日ね、私のブログに『今日本で一番すごい人』って、中野さんのことを紹介しときました。」
 「あー、それはそれは。でも、『日本で一番変な人』のほうがあたってるかもしれませんよ。そんな私といっしょに走るために京都から夜行バスで来た藤井さんは、もっと変な人かも・・・。」
 「うまい!」

 うれしいじゃないですか。私は自分への評価で、「変な人」とか「変わってる」と言われるのが一番気に入っています。
 やっぱり、変な人?

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 9年ぶりの夜行バス。
 京都駅前11時50分発だったので、地下鉄「国際会館前」まではヨメさんときくに送ってもらった。

 東京に行くことは、ぎりぎりまで黙っていた。また、ヨメさんに怒られそうだったので・・・。
 でも、何をしに行くかをきちんと説明したら、最後は気持ちよく送り出してくれた。

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 最初の休けい場所、土山SA。
 バスから降りるとすごい冷え込み。

 バスの座席は一番前だったので寝やすいだろうと思っていたが、タイヤの真上のようで振動がモロに感じられた。
 寝られたんか寝られてへんのか。知らん間に時間がたっていたので、少しは寝られたんでしょう。

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 夜中に、「静岡付近、工事による渋滞のため、国道に迂回します」のアナウンス。「東京到着は、予定より40分遅れる予定です。」
 あらま、「喫茶店でモーニングサービスのトーストとコーヒーをゆっくりと」と思っていたのに・・・。

 東京霞が関に着いたのは、8時5分前。
 バスの運転手さんにお聞きすると、国会議事堂は見えているとのこと。教えてもらった方向に歩き出した。

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 坂を上っていくとはっきりと見えました、国会議事堂。
 しかし、喫茶店どころかコンビニも一軒もなし。こんなところだとは思ってもみなかった。

 国会議事堂のお向かいに、イスを並べたり幕を張っておられる人発見。
 「京都の藤井です。昨日の夜、中野さんにお電話させていただきました。」
 その方は、この「アピール行動」を支えるスタッフの方だった。
 

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 そのスタッフさんに一番近いコンビニを聞くと、「少し先の自民党本部の横」とのこと。急いで食料の買い出しに行った。

 国会開会中ではないせいか、人影まばら。官庁街にお店はないと聞いてはいたが、ここまでひどいとは・・・。

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 中野さんとは、まったくの初対面。
 しかし、前の晩にお電話させてもらってピーンと来た。「この人とは、きっといろんなことが話せるはず。」

 心配だったのは、中野さんがこの時点で45日連続フルマラソンを走っておられること。ゲッソリとしておられたらどうしよう。
 しかし、それは案ずることはなかった。私がごあいさつすると、元気な笑顔が返ってきた。

 「わざわざ仕事を休んで来てくださったんですか。」
 「いえ、うち『京都キャロット』というランニング用品店をヨメさんがやってまして、水曜が定休日なんです。私はそこの雑用係ということで・・・、はっきり言って、ヨメさんに食わしてもらっている身です。」
 まっ、いきなりからこんな話です。

 忘れる前にと思い、店からこそっと持って来たゼリーやドリンク類、それと「ゆめさき舎」特製「寅の絵馬」を渡した。
 「私、寅年なんです」と中野さん。ちょうどよかった。喜んでもらえて。(うちのヨメさんと同じえとですね。)

 国会の周囲約1.33kmを32周する(約42.56km)。ただし、4周(約5.32km)ごとに休けいを入れる。
 「5kmを8本走ると思ってください」と、中野さん。

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 9時スタートの予定だったが、7分ほど前にスタート。そのせいか、最初は中野さんと私の2人だけだった。

 空は曇り空。気温は5度くらいだろうか。
 中野さんは、最初は暖かめのスタイルでスタートされた。私は暑がりなので、半そで。下はさすがにロングタイツにしておいた。珍しく手ぶくろをはめてスタートしたが、それもすぐ暑くなり2周目ではずした。

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 1周走って戻ってくると、もうおひとり待機されていた。
 久下さん、国労OBの方らしい。新幹線の関係の職場におられたようだ。
 年齢をお聞きしてびっくり。70歳だそうだ。すごく若々しい走りだった。

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 何周目が忘れてしまったが、もうおひとり。
 池田さん、38歳。なんと、サブスリーランナー。
 私たちのペースが遅すぎるのか、「寒い、寒い」を連発しておられた。私は暑くて仕方なかったのに・・・。

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 前日は、最初から最後まで中野さんおひとりで走られたようだ。やっぱり、こういったアピール行動は人数が多いほうがいい。

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 途中で4人の記念撮影。
 私とほかの3人が向いている方向がちがいますよね。これは2台のカメラで同時に撮っているから。私だけ、私がお願いした自分のカメラのほうを向いています。

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 ここは、第1コーナーを曲がった下り坂、「ぐみ坂」。
 北向きなのか、前から冷たい風。しかし、下り坂なので足はスッスッと出る。

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 国会議事堂の周りは警備の方がいっぱい。
 日の丸といっしょに、緑の見たこともないような旗があちこちに飾られていた。どこかの国のえらい方が来られているのだろうか。

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 第1コーナーから第2コーナーにかけてはゆるやかな下り。そこから第3コーナーにかけてゆるやかな上り。そして、第4コーナーまではややきつい上り。
 初めはこの坂も気にならなかったのだが、後半はボディブローのようにきいてきた。

(注)後半に続く。

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