2009年12月17日(木)
「国会前54日連続フルマラソンアピール行動」・46日目・続き [ランニング]
中野さんといっしょに走りたいと思った理由。
?国鉄民営化が1987年。この年は、中野さんにとって人生の大きな転換点であったと思う。京都の小中学校の卒業式に「日の丸・君が代」が強制されたのが1986年。この年は私にとっての人生の転換点だった。同じような時期に大きな節目を迎えたところが共通点であるような・・・。
?中野さんのこの「54日連続フルマラソン」の報告の中に、根津公子さんが応援に来られていた記事を見つけた。お知り合いやったんやー。
根津さんは、卒業式で「君が代」斉唱を拒否して着席しただけで停職を何回も食らっている東京都立の中学校の先生。私ができなかったことを、堂々と、信念を貫いて実行されている方である。中野さんの生き方とも共通する根津さんの話も聞いてみたいと思った。
?この「54日連続フルマラソン」のことを知ってからあまりいろいろなことを調べる時間がなかったが、一つだけ心にビビビッと来た言葉を見つけた。
うちのヨメさんが言った。「もう世の中から忘れ去られようとしていることを、一生懸命に訴えてる人ってどうなんやろう。」
その答えがこれですね。(「このアピール行動をウイニングランへ・・・」から)
結びにチェ・ゲバラの言葉を掲載し決意とします。これは、はじめから無理だと諦めて、何ひとつ行動しようとしないのに偉そうなことを言っている人たちをこき下ろしたゲバラの言葉です。
「もし我々が空想家のようだと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、出来もしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、そのとおりだ、と。」
理想主義者を貫けず、現実主義者にも成り下がれず、ただ何もせず生きているだけの私にはこの言葉は強烈でした。
中野さんにお会いするまでは、「54日間連続フルマラソンをやってみようと思う中野さんて、いったいどんな人なんやろう」と不安な面が大きかった。
しかし、お会いして一番に感じたのは、「普通の人」。
やられていることはとてつもないことなのだが、お話している限りでは何も特別な人ではない。「組合バリバリ」といった感じもまったくない。
「紳士」であることはまちがいないが、「真摯な人」というのが一番あっているような気がする。
4人目の参加者・阿美さんが来られて記念撮影。
阿美さんも38歳。体重82kgの巨漢です。
これで30代が2人(阿美さんと池田さん)、40代が1人(中野さん)、50代が1人(私)、70代が1人(久下さん)となった。あと60代が来てくださったらまんべんなくなってよかったのに・・・。(自転車で伴走してくださった方は60代だったようです。)
5人で走るとなると、やっぱりにぎやかな感じ。特に、巨漢・阿美さんが要人警護のSPみたいで、注目の的。
スタート地点にも、いろいろな方が入れ替わり応援に来てくださっていた。
力強い走りを見せてくださっていた久下さんは、11周で終了。今度の日曜日、地元の駅伝のメンバーとして5km走られるらしい。そのため、無理をせずここでやめておかれた。
お手本にできるような無駄のないいいフォームを見せていただきました。
久下さんにも、「ゆめさき舎」特製「寅の絵馬」をもらっていただいた。
久下さんは、今もいろいろな大会に出ておられるらしい。また、どこかでお会いしましょう。
私のブログの話題。
「今ね、私のブログ、一日3000近くアクセスがあるんです。」
「すごいですね。どんな方が見られてるんでしょう。」
「ヨメさんの説によると・・・。
私のブログ、『京都キャロット』のホームページ内にあるんです。だから、うちのホームページを見られたお客様が、『なにか、お得な商品情報でも書いてあるのかなあ』と思って見てしまうんやろって。でも、それだけでは一日3000アクセスは行きませんよね。
私のブログね、いろいろなこと書いてますけど、ジャンルに分けたら『恐妻ブログ』やと思うんです。だから、全国の恐妻家が『ああ、こんなこと、あるある』と思いながら見てくれてはんのかなあという気がします。」
走っている途中で、私たちのスタート地点のちょっと手前で座り込みをしている女性を見つけた。
沖縄普天間基地の辺野古移設反対を訴える座り込みだった。
一人座り込みを続けられていたのは、「人権を考える会・パイザ」の服部さんという方だった。
細かいことはよく分からないが、座り込み2068日続けられることがすごい。約6年ですもんね。
この「54日連続フルマラソン」のスタートゴール地点は、実は国会議事堂の裏側。
空に気球がプカプカ。「城西大学」の宣伝のようでした。
「これだけ毎日走り続けていると、顔見知りの議員さんや秘書さんもできて、声をかけてくださる方もふえてきました」と中野さん。
「微力ではあるで無力ではない」、そのとおりですね。
そんな私たちに対して、国会議事堂から出てくる車は容赦なし。一旦停止もせず、急発進。
警備に当たっている警官も、「車優先、歩行者はひいてもよろしい」という感じ。人通りが少ないとは言え、それはないでしょう。
約5km7本目までは、だいたい35分ほど走って5分ほど休けいというパターンだった。
そして、いよいよ最後の8本目。
ここで、また中野さんと私の2人になってしまった。
こんな時まで、35kmの壁。急に足が重くなってきた。
2か所ある信号も最後のほうになって、なぜか青ばかり。全然休めません。
残り2周で、頭がボーとなってきた。
「藤井さん、足と手を何とか動かしていたらゴールにたどりつけますよ」と中野さん。
あかん!(はげまされてる!)
私がここに来たのは、中野さんから元気をもらうためではない。中野さんに元気をあげなくては・・・。
私はしんどい時でも笑うことができる。(苦笑いかも?)
何とか笑顔を作って前に進んだ。45日も走り続けている中野さんに弱音は見せられない。
中野さんは何も言わず、何度も何度も私のほうを振り返り、私のヨレヨレのペースに合わそうとしてくださっていた。面目ない!
ゴールテープを持って下さっている方を写真に撮ろうと思ったが、もうヨレヨレでブレブレ。
中野さんと手をつなぎバンザイのゴール。
これは私の生涯で初めてのこと。今まで走ったどのレースよりも大きな感動をもらいました。
元気づけるために来たはずなのに・・・。
でもちょっとだけでも喜んでもらえたかな。
スタートからゴールまで、およそ5時間30分。
私は、後は帰ってフロに入って寝るだけ。
中野さんは、明日も朝9時にここに来て、またフルマラソン。いやいや、明日だけでなくあと8日間・・・。
本当に頭がさがります。
「がんばって」とは言いません。あなたが今までしてこられたように、一歩一歩着実に「しっかりと」前に進んで行ってください。
地下鉄・国会議事堂前でお別れするときに言った言葉。
「こんな企画がまたあってはいけないと思います。不当解雇された国労の方たちの問題が一日も早く解決することを願います。
でも、万一、また走る企画をされたら知らせてくださいね。」(私は「テヘッ!」といつもの笑顔。)
東京駅の新幹線改札口付近で遅い昼食。
的士飯セット(1250円)と生ビール大(800円)。的士飯(タクシーハン)とは、忙しい香港のタクシー運転手が焼き飯に煮物をかけて食べたことからこの名がついたそうだ。
疲れていてラーメン系しか食べられないかなと思ったが、意外とぺロリと全部食べられた。おいしかった。
3時40分東京駅発の「のぞみ」に乗車。
6時、京都駅着。
地下鉄で「国際会館前」へ。
そこからバスで我が家へ。家に着いたのは、6時48分。早いもんや。
家に着くと、真樹からちょっと遅れた誕プレ。赤ピンク系のおしゃれなフリースジャンバーだった。これがまたあったかくて・・・。
これで、体中の痛みと疲れが吹っ飛びました。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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