2009年12月07日(月)
「憲法と人権を考える集い」 [平和]
◎京都新聞12月7日朝刊
戦争体験通じて平和へ思い語る
左京で集い 益川さん講演
ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英京都産業大教授が6日、戦争体験と平和をテーマに京都市左京区の国立京都国際会館で講演した。来場した市民約1100人を前に、戦争のない世界の尊さと平和憲法の堅持を訴えた。
京都弁護士会主催の「憲法と人権を考える集い」で講演した益川教授は、名古屋市の空襲で焼夷(しょうい)弾が家の屋根を突き破って床に転がった幼時体験を語り、「不発弾だった。爆発していたら大やけどをするか、死んでいた」と振り返った。
学生時代に平和運動にかかわった経験にふれつつ、「今の憲法9条を改正して手に入れようとしているのは交戦権しかない。改憲論者が憲法改正の提起をする前に、『このまま行ったらおれたちは負けるぞ』と思わせて断念させるぐらいまで、日本の津々浦々にまで反対の声が響き渡るように運動していきたい」と力説した。
先の戦争について「僕は力で相手をねじ伏せるやり方が大嫌い。日本がアジアの人たちに与えた苦しみは非難され続けても何ともいいようがない出来事だ」と述べた。
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12月5日、おじいさん(父)の誕生パーティー中、私の横に座っていた姉と、この「集い」の話題になった。
「沖縄に視察に行った京都の中高生が、国際会館で報告会すんにゃってなあ。私、見に行こと思てんにゃけど・・・。」と姉。
「ああ、それ、ボクも行こと思てんねん。」
8歳上の姉と話が合ったのは久しぶり。でも、よーく考えてみると・・・。
私が生まれて初めて「おきなわ」の存在を知ったのは、小学生の時。当時高校生だった姉から、「沖縄を返せ」という歌を教えてもらった。
「沖縄を返せ」
作曲:荒木 栄 作詞:全国法福岡高裁支部
かたき土をやぶりて
民族の怒りに燃ゆる島
沖縄よ
われらとわれらの祖先が血と汗をもて
守り育てた 沖縄よ
われらはさけぶ 「沖縄は
われらのものだ 沖縄は!」
沖縄を返せ
沖縄を返せ
当時小学生だった私は、「大きな輪を返せって何?」という感じだった。姉から、九州鹿児島のずっと南に「沖縄」というところがあり、そこは日本なのにドルを使って、車が右側通行、アメリカ軍の基地がそこらじゅうにあると教えてもらった時は目が飛び出た。
そして高校生になった私は、生徒会執行部に入り、返還前の沖縄に京都の高校生を派遣する運動に力を尽くした。わが洛北高校から2名、京都全体で10名ほどの高校生を沖縄に送り込んだ。1週間ほどの視察旅行だったが、その費用を工面するために、暑い中あちこちカンパのお願いに走り回った。
あの時のあの運動はどこが主体となってやっていたのか。今となっては思い出せない。
でも、今回のこの企画を知ったとき、私らが一生懸命やったのと同じようなことを今もやっているんやとうれしくなった。
この「憲法と人権を考える集い」は、2部構成。
第1部 講演「平和について理論物理学者は考える」
ノーベル賞の益川敏英さんのお話とインタビュー。
第2部「ぼくとわたしが見たオキナワ」
京都の中高生が沖縄の戦跡を訪ね、沖縄南風原町の中高生と戦争について考えました。
ということで、私はどちらかと言えば第2部重視。第1部はおまけのように考えていた。
ところがどっこい、益川さんのお話を聞いてびっくり。
実は廉から「益川さんの話はあんまりおもしろないらしいでー」と言われていたのだ。とんでもなかった。
自分の体験をもとに、自分が感じたままのことを話されている。言葉一つ一つが平易。だれが聞いても理解できるように、聞く側を気づかった話し方をされていた。
私はメモをとりながら話を聞くということができない。だから、お聞きしたお話の半分以上は忘れてしまった。印象に残っていることと言えば・・・。
「改憲を狙っている勢力は全体から見ると多数ではない。しかし、なぜかこの勢力は改憲に自信を持っているように見える。その自信がどこから来るものなのか理解できないが、ありとあらゆる手を使うつもりだ。そういった勢力をあきらめさせる運動が大事だ。」
「伝えたい〜私の戦争体験と平和への思い」と題したインタビューは、さらによかった。
「朝鮮で財産を築いた祖父母の自慢話は、聞いていて腹立たしかった。」
「ノーベル賞受賞の対象となった論文は32歳のときに書いたものだが、それは人生で一番忙しい時だったかもしれない。労組の役員もしており2つも3つも仕事が重なったが、時間をものすごく大切に有効に使うようになった。」
「家の仕事(砂糖屋)を手伝ってためたお金で、古本屋で念願の本を買った。現代数学全書33巻。初めて読んだ時は、そのほとんどが理解できなかった。でも、何回も読み返して徐々に理解できる部分が増えていった。」
「モーツアルトファンには申し訳ないが、モーツアルトの曲は聴く気がしない。モーツアルトは、ひらめきで曲を作り、そのあと推敲した形跡がない。そういった曲はどうも・・・。」
若い人たちに向けてと司会者に促されると・・・。
「今の受験制度はおかしいところがいっぱいある。あんな膨大なテストが本当に必要か。大学に入ってくる者は、受験に力を使い果たし『余力』というものが残っていない。気の毒だと思う。」
「努力しなくても熱中できることを見つけてほしい。最初は人のまねでもいい。うまくいかなくてもいい。何もしないよりも何でもいいから何かを始めてほしい。」
たぶん初めの「努力しなくても」という部分は、「無理をしなくても」というニュアンスだと思う。
今年の春には、うちの廉は大学生、真樹は高校生。本当に、何でもいいから何かを始めてほしい。
司会者の最後の質問。
この質問のあと、益川さんが固まってしまった。それまでも言葉を選び選び話されている様子がよく分かったが、ここは本当に固まってしまわれた。
私はその表情に目が釘付けになってしまい、肝心の質問内容を完全に忘れてしまった。どなたかしっかり聞いておられた方があれば、教えてください。(もちろん、戦争と平和に関する内容ではあったと思います。)
しかし、このときの益川さんのしっかり考えておられる表情を見て、「この人は信用できる人だ」と確信した。
いいお話を聞かせていただきました。
第2部 ぼくとわたしが見たオキナワ
こちらは、どうしても38年前高1だった自分たちと比べてしまった。
5人の京都の中高生は、みんなまじめないい子。沖縄南風原町から来てくれた3人の高校生と1人の大学生も、みんなまじめないい子。
ただ、聞いているほうとしては、ちょっといい子ちゃん過ぎてしんどい部分もあった。もうちょっとくだけてもよかったんちゃうかなあ。
聞いていて、笑ってもいい箇所はほとんどなかったような・・・。沖縄って、そんなとことちゃうような気がする。「てーげー」はどこいってもた?「なんくるないさー」は聞かんかった?
38年前私たちが送り出した仲間は、沖縄を十分楽しんで帰ってきたぞ。そんな話を聞いて、「自分が行ったらよかった」と後悔したもんや。
一つだけ感心したこと。
福知山の高校生(男子)が言っていた。
「嘉手納基地がある嘉手納町は、町全体の80%が基地である。私が住む福知山市の80%が米軍基地だとしたらどうだろうと思った。」
それ。それが自分のこことして考える第一歩やね。そういうふうに考えられた君はえらい。
私は以前から言っている。
選挙で人口比による一票の格差を訴えている人たちは、米軍基地分布の格差も訴えてもらいたい。本当に米軍基地が今の日本に必要であるなら、受益者負担の原則から、人口の多い首都圏や関西圏に大きな米軍基地を誘致すべきである。東京湾や大阪湾には余った埋立地があるじゃないですか。
それに伴い、米軍人やその家族が引き起こす犯罪も沖縄に集中することなく全国平均的に分布していくはず。
とにかく、もうこれ以上沖縄の人たちを裏切ったりだましたりするのはやめましょう。
京都に米軍基地を誘致すればいいと思った子はいなかったのかなあ。京都の中高生たちにも、そこまで踏み込んで考えてほしかったと思います。
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2009年12月06日(日)
京都走ろう会例会・12月第1日曜 [ランニング]
京都走ろう会の快速ランナー・松本一之さん。
当然のことながら、いつも私のはるか前を走っておられるので写真が撮れない。
今日は狙って撮りました。さすが、きれいなランニングフォームです。今日も、10km38分台。
私は松本さんを追って、一応2番目にゴールしたが、約7分差の45分22秒。格がちがいましたね。
今日は、小学生駅伝記録会。
無用のトラブルを避けるため、京都走ろう会例会コースを変更。出雲路橋の南側は使わず、出雲路橋〜御薗橋間往復5kmを使う。5kmは1往復、10kmは2往復。
12月だというのに、ポカポカしている。
Tシャツランシャツ2枚重ねで走ろうと思っていたが、この暖かさならランシャツだけでOK。
シューズも、久しぶりの「アシックス・スカイセンサーブリーズ」。私が持っているシューズの中の最軽量シューズ。
このいでたちから、今日の私の意気込みが感じらるでしょうか。
今日は、津田会長も久しぶりに来られていた。
私の大好きな平田邦子さんが、足を引きずっておられた。聞いてみると、バイク事故のためらしい。
こんな状態でも役員の仕事に来ておられるなんて、ほんとに「京都走ろう会」の役員さんはすごいです。
5km6人、10km8人。
マラソンシーズン真っ最中の割には、ちょっと少ないかなあ。
私は、先週の小豆島での10kmのタイムが悪かったので、今日は45分台が目標。
今日は、写真はちょっと控えめにして、走るほうに集中しよう。
最初の御薗橋に向かう途中、ブログの大先輩・みき様様に遭遇。
「みきさん!」と声をかけたら、「やー」っていう感じで小さく手を振ってくださった。なんでこんなかわいいしぐさやのに、ブログ「ふくたままのRunRunLife」ではぶちきれてはるんかなあ。ギャップ!
1周目、22分11秒。
2周目、23分11秒。(合わせて、10km45分22秒。)
まあまあですか。
このあと、ゴールしてくる「京都走ろう会」のお仲間を激写!
2周目はちょっと北風がきつくなり、走りづらかった。
それでも、気温がそんなに下がらなかったので、この時期としては走りやすかった。
走り終われば、「京都走ろう会」恒例、おしゃべりタイム。今日もいろいろな人といっぱいしゃべってから帰りました。
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2009年12月05日(土)
祝米寿、藤井善一 [家族]
今日12月5日は、私の父・藤井善一の誕生日。
今年で88歳、米寿のお祝い。
今年も恒例、「東華菜館・洛北店」。
父と私の姉夫婦、そしてうちの家族4人。合計7人のパーティー。
初めの「乾杯」は、年長者の惠藤弘さん(私の姉の夫)。
眞寿美さんは、今日は「セブンティーン」モデル系で攻めてみたそうです。
「えっ?」
最初のオードブルから、きれい、豪華。
このあと、次々とおいしいお料理が・・・。
去年は適当に注文していたのだが、今年は土曜日で混んでいるかもしれないのでコース料理にしておいた。中でも一番おいしかったのは、やっぱり「春巻き」かな。
おじいさんも、うちの廉と真樹に会うのを楽しみにしている。
私の8歳上の姉・みき江は、父にとって初めての子。
戦争から生還し、結婚して初めての子が生まれた時はどんな気持ちやったんやろうね。たぶん、「そんな60年以上も前のこと忘れた」と言うんやろうな。
うちのヨメさんが用意してくれた誕生日ケーキ。
「88」のろうそくが光ってる。(一番手前、わかりにくいかな。)
中華料理でおなかがいっぱいでも、ケーキは食べられます。
来年は、本当に89本のろうそくを並べてみたいなあ。
我が家を代表して、廉からおじいさんへのお祝いの言葉。
前に頼んだ時はちょっと嫌がっていたけど、しっかりとしたお祝いの言葉でおじいさんも喜んでいた。
「ぼくらの知らない話をしてくれてうれしい」という部分が、特段よかった。それは私も常々思っていること。
今日も、「中国でおじいさんの太ももを狙撃した相手は、700m先からでも的中させる軽機関銃の名手」とか、「重傷の自分に敵兵はとどめをささなかった。そのあと仲間が見捨てず助けに来てくれたから、今こうして生きている」とか、「豊三のおっさん(父の弟)は、満蒙開拓団に徴用され、シベリア抑留。日本に帰ってきたのは戦後3年たってから」とか。いまだに私も初めて聞く話がいっぱいあった。
廉は、確か「もっともっと長生きしてください」という言葉でしめたと思うのだが、話し終わったあと自然とみんなから拍手。
廉もやる時はやるやつ。ほんまにいいお祝いの言葉だった。
毎年恒例、スポンサーである「京都キャロット」藤井眞寿美社長からのあいさつ。
一番最後はおじいさんのあいさつ。
父がその父(つまり、私の祖父)の話をした。めずらしいことだ。
「人と争わない、人の悪口を言わない」そんな人だったようだ。(私が4歳の時に亡くなったので、私自身は祖父のニコニコ顔しかおぼえていない。)
「親を大切に、家族を大切に」とか、「自分の目標をしっかり持って」とかも言っていた。
おじいさんが一番言いたかったこと。
「若いときからずっと、人のためになることをと思いながらいろいろなことをやってきた。でも、それは報われることを望んでやっていることではない。」
おじいさんの言葉を正確には覚えてはいないのだが、言いたかったのはこういうことだったと思う。
なぜ、この歳(88)までまじめにしっかり生きてきた人間を、社会は正当に評価しないのかなあ。首を傾げたくなるような人が、いっぱい表彰されているのに・・・。
しっかり生きてきた人間の言葉は重い。
このおじいさんの言葉を、私ら夫婦、姉夫婦も神妙に聞いていた。廉や真樹はどうやろう。付き合いが短い分、心にはしみにくかったかな。
「ゆめさき舎」のまっちやんが用意してくれたおじいさんへのプレゼント。どこかに飾ってや。
ヨメさんはスリッパをプレゼント。
最後に、お店の従業員さんにお願いして記念撮影。
私が場所を移動して、もう一枚。
私の胸には、きくちゃんの笑顔も。
お世話になった「東華菜館・洛北店」のスタッフさん。
右端の方は、孫さん。中国の方のようでした。
気持ちよく、父の米寿のお祝いができました。ありがとうございました。
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2009年12月04日(金)
めげないやつ [雑感]
今日、不愉快な記事を見つけてしまった。それを紹介するのもどうかなとも思ったが、これは見過ごせない。
◎<阿久根市長>ブログに障害者への差別的記述、議会が追及へ (12月3日14時43分配信 毎日新聞)
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が自身のブログに「高度医療が障害者を生き残らせている」と、障害者に差別的な記述をして波紋を広げている。
記述は11月8日付。医師不足解消策として勤務医の給与増額が議論されていることを批判する中で「高度医療のおかげで以前は自然に淘汰(とうた)された機能障害を持ったのを生き残らせている。結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった」(原文のまま、以下同)と記述。さらに「『生まれる事は喜びで、死は忌むべき事』というのは間違いだ」と持論も展開した。
さらに翌9日付では、自身の発言を批判する読者のメールを紹介したうえで「慎重さを欠く見解に見えたかもしれない」と記述。だが「高度医療が多くの人々に高い精神性を追求せざるを得ない機会を与えているのは現実だ」と持論を続けた。
竹原市長のブログは「やめさせたい市議」実名アンケートなど、たびたび物議を醸した。木下孝行市議は「障害者やその家族に配慮のかけらもない」と批判。14日の12月議会一般質問で追及する構えだ。
知的障害者の家族でつくる「全日本手をつなぐ育成会」(本部・東京都、会員約30万人)の大久保常明・常務理事は「命の価値に軽々しく差をつけ、優生思想にもつながる危険な考えだ。障害の有無に関係なく生きる権利を否定しており、公人の意見とはとても思えない」と強く反発している。【馬場茂、福岡静哉】
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こんなレベルの低い市長の発言にいちいち引っかかったていたら、こっちまでレベルが低くなってしまう。しかし、今、この市長のブログはアクセス数がすごいらしい。私ものぞいてみた。
「きっしょくわるー」
なんでこんなきっしょくわるい人が、市長なん?
阿久根市と言えば、うちの通販のお客様もいらっしゃる。毎年12月には、「あくねボンタンロードレース」もおこなわれている。私は、ボンタン好きやのになあ。
そんな阿久根市に、この市長。一度リコールされた出直し選挙で再選。こんな言い方は失礼かも知れませんが、「こんな市長を選んで支持している阿久根市民の見識を疑います。」
うん?
今日のテーマ「めげないやつ」から、だいぶそれてしまったな。
昨日の話の続き・・・。
兵庫県姫路近辺では、「こわれる」ことを「めげる」と言う。
標準語の「めげる」は、「がっくりくる」とか「元気がなくなる」という意味。
姫路あたりの「めげる」は、ものが「こわれる」という意味。
そうか、物がこわれると心がこわれるのちがいだけなんや。
避妊手術から帰ってきたきくは、体はめげていたけど心はめげていなかった。おなかが痛いのに、ウンコがんばって出してくれた。
おばしゃんにも、ちゃんと愛想してくれた。
おなか痛くても、走れるでー。
うちの家族の「めげる度」は・・・。(A・めげない、B・ふつう、C・めげめげ)
ヨメさん、(体A・心C)。体はじょうぶだが、よくぶちきれる。ただし、仕事中は一家の大黒柱として、いつも「がまんがまん」です。
廉、(体A・心不明)。こないだ新型インフルエンザにかかって休むまで、皆勤。心のほうは強いのか弱いのかよう分からん。
真樹、(体A・心B)。体はがっちり系。心は若干弱そうに見えるが、やる時はやるヤツ。頼もしいでー。
パオパオ、(体C・心A)。顔面骨折、嚥下障害、副鼻腔炎、歯痛と、次々と病院のお世話に。心は超鈍感なので、ほとんどのことには動じない。究極の「めげないやつ」かも。
きくもあんもも含め、みんな心も体も「めげないやつ(こわれないやつ)」をめざしてほしい。
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2009年12月03日(木)
「めげるって!」 -兵庫・ゆめさき舎にて- [私の好きな人]
昨日、「ゆめさき舎」に行ってきた。(「ゆめさき舎」は、「ランナーズ9の会」のまっちゃんが経営されている小規模作業所です。)
10月14日以来、二度目。
今回の訪問の主な目的は、前回の帰りがけ「あした、また来るん?」と言ってくれた友へのこたえです。「あしたは来れへんけど、絶対また来るし!」
約束が果たせて、よかった。
前回は、お昼に到着し4時ごろまでおじゃました。今回は朝の風景も見てみたかったので、早起きして9時半到着目標で自宅を出発した。
平日は宝塚トンネル前の渋滞もほとんどなく、思ったより早く行けそうだった。その分SAでゆっくり休けいし、福崎ICを降りたのが9時10分過ぎ。これは私が先に到着し、まっちゃんの車の到着をお迎えできるなあと思った。
ところがIC出口あたりでモタモタし、「ゆめさき舎」到着はちょうど9時半。
ガレージに入ろうとしたら、反対車線にあのボロボロハイエースの姿が・・・。まったくの同時入着でした。
ハイエースからは、よくおしゃべりしてくれるSA君が降りてきて、むこうから「よっ!」って感じかな。
そのあと、前に「あした、また来るん?」と言ってくれたMI君や、紅一点のKOさん、電話帳大好きのTA君と次々に降りてきた。MA君は、おかあさんが連れてこられるようだ。
前回、もう一人いたFU君は、おうちの都合により別の施設に入所したらしい。こないだは彼とはまったく関わりを持てなかったので、残念。
写真を撮る時、ちゃんといいポーズとってくれてたもんね。もうちょっとだけでもなかよくなりたかったなあ。
前回初めておじゃました時は、正直言って、めちゃくちゃ緊張した。一番心配だったのは、「いやがられたらどうしよう」ということ。
恥ずかしながら、若かりし日、小学校教師を12年もしていたのに「知的障害者」といわれる人々のことをまったく知らなかった。イメージとして、「奇声を上げる」、「奇異な行動をとる」という部分ばかりが私の頭の中にあった。
それに加えて、まっちゃんがどこかに書かれていた「自傷行為」。こっちに向かって攻撃してくるならそれなりの対処ができるが、自分の体を傷つけている者を見つけたらどうしたらいいんやろう。
「えーい、なにもかもよう分からんわい。とりあえず、まっちゃんに甘えて、飛び込ませてもらおう。」
そう思ったのが、正解だった。
「ゆめさき舎」の通所者6人中3人は、私がいる間ずっとニコニコしてくれていた。あとの3人も、決して私を排除するような行動には出なかった。もう、それで十分ですね。おまけに、「あした、また来るん?」て泣かせるようなことを言ってくれる子もいて・・・。
あれこれ心配してても、何にも始まらんわな。
ほんま、よう分かりました。
この日は、みんながやっている仕事も体験させてもらった。
「ビスをプラスチックの型にはめて、ハンマーでトントン」と、「ビニールをおんなじ長さにチョッキンチョッキン」・・・て、何のことか分かりませんよねえ。写真とっておけばよかった。
どっちの仕事も、商品を納品に行くガソリン代などを考えると利益はほとんどなしらしい。厳しいです。
さて、今日のテーマは「めげる」。
これは、「がっくりくる」の「めげる」ではありません。兵庫県姫路近辺では・・・。
今回、お昼はお弁当ではなく、みんなで焼きうどん。大型ホットプレートで8人分を作った。
「指切らんように、気つけや」とか、私はやったこともないくせにえらそうに指導。
これにプラス、まっちゃん特製おにぎりと特製味噌汁。めっちゃうまかった。
カレーしか食べないと言われていたMI君も、めずらしく焼きうどんをパクパク。みんなでワイワイ言いながら食べたら、何でもうまいんや。
MI君は、口いっぱいにおにぎりをほおばり、半分がポロリ。向かいに座っていた私のほうに転がったようだが、気にしていなかった。
食べ終わり、「さてと」と片付けに立ち上がるとスリッパがニチャニチャ。
こらおもろい。こんなこと、久しぶりじゃわい。前は、しょっちゅうあったような・・・。なにか、なつかしい感覚・・・。
おなかがいっぱいになって調子がよくなってきたのか、MI君が活動的になってきた。
部屋を走り回りながら、MI君が言う。
「ゆかをどんどんしたら、めげる。」
「ドアをどんどんしたら、めげる。」
「ホットプレートをどんどんしたら、めげる。」
「MI君て、ほんまにめげるって!」と私。
「めげる」とは、姫路近辺では「こわれる」という意味だそうです。
MA君は、キーボード演奏を披露してくれた。
このキーボードもだいぶめげかけてたなあ。
本人もちょっと調子が悪かったみたいで、いつもはもっとうまく弾いてくれるらしい。
MA君は、まっちゃんに対して「あ・り・が・と」を連発していた。
「ありがとうってゆってもらうようなこと、何もしてへんにゃけどなあ・・・」とまっちゃん。
まっちゃんの手をとって自分の手と合わせ、指と指を組み合わせる動作を何回もくり返していた。きっと、何かを伝えたかったんやろうね。
まゆ毛ボーボーのTA君は、ジグソーパズルを一生懸命やっていた。
前に来た時は笑顔がまったく見られなかったのだが、今回は時々ニコニコしてくれていた。私には、私のほうを見てニコニコしてくれていたように見えたのだが、どうなんやろう。
SA君とは、今回もせんどしゃべったな。
カレンダーのカタログにヘキサゴンファミリーがぎょうさん載ってて、この話題だけで1時間はしゃべったね。SA君はテレビっ子みたいで、テレビおじさんの私とは話が合う。
私がスザンヌの舞台あいさつを見に行った話には、かなり食いついてきた。
でも、「ボクは上地雄輔に似てるから・・・」と言ったのにはまいったなあ。うーん、よう見たら、似てへんこともないか。
(オレンジのキャップがSA君です。)
紅一点のKOさんは、けっこうお茶目なことが分かった。
MI君がホットプレートにフライ返しを当てて音を出しているのを見て、「私にもやらせてー」とねだったり。MA君がキーボードを弾いていたのを見て、みんながいなくなったのを見計らってこっそりさわったり。SA君が一生懸命見ていたカレンダーのカタログを横からスーと取って行ったり。
それらをみんなニコニコ顔でやってるからおもしろい。しかられることを予想して、わざとやってるね、あの笑顔は。
ビニールチョッキンチョッキンをさせてもらったその部屋は、南側にガラス戸がありぽかぽかしていた。気がつくと、私とここの通所者5人がその部屋にそろっていた。
私とSA君はカレンダーのカタログを見ながらおしゃべり。その様子をうかがいながらも、ほかのことも気になるKOさん。その横でピースが半分くらいしかそろっていないジグソーパズルに打ち込むTA君。その後ろでデーンと寝転んでいるMA君。MI君はあちこちめげさしたり(こわしたり)、私の持ち物を一個一個点検したり・・・。
ああー、ええなー、このバラバラぶり。
ひとに指図されるのが大嫌いな私は、こんな風景を見るとゾクゾクする。やりたいことやらせてもらえたら、それが一番。
ただ、それを見守るほう(まっちゃん)はたいへんや。
「ゆめさき舎」特製寅の絵馬。
読売新聞でも記事にしていただいたそうだが、まだたくさんあるらしい。
私もちょっとだけいただいた。
家に持って帰ってヨメさんに見せると、「縁起もんやし、うちのお客さんにもあげたら喜んでくれはるんとちゃうかなあ」。
おお、グッドアイデア。
もし売れ残る不安があるようでしたら、ぜひうちに言ってください。できる範囲で、購入させていただきます。
今日、一つ賢くなったこと。
自閉症の人は、あらゆる外部の音を拾ってしまう人が多いらしい。自分が聞きたい音も聞きたくない音も同じレベルで耳から入ってくる。そのため、それらすべてをシャットダウンしてしまう。そこから、内へ内へと入り込んで行ってしまう。それは、きついね。
まっちゃんが私に言った。
「この仕事を長くしていると、普通にコミュニケーションがとれないというのが当たり前になってしまって、藤井さんのいっぱい話している姿に感心しました。」
なーんも。
私はたまに来て、自分の興味のあるところを見ているだけ。毎日毎日反応の少ない相手に奮闘されているまっちゃんとは、比べるのも失礼です。ただ、何か一つでも聞き取れたらいいと思いながら聞いているのは確かです。
次におじゃまするときは、難関のMA君の笑顔が見てみたいなあ。
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2009年12月02日(水)
「琉球ミニシェパード・きく」は永遠に不滅です [わんこ・にゃんこ]
夕方6時前、「はたえだ動物病院」にきくを迎えに行った。
先生から手術の説明を受けた。全身麻酔で子宮と卵巣を摘出。子宮にたまっていたのはうみではなく、粘液だった(子宮粘液症)。それでも、早期発見で手術ができたことはよかったようだ。
先生の説明のあと、奥の部屋からきくちゃんが出てきた。
「てってってってって・・・」
「いやー、歩けるやん。」
「今は元気そうにしてますけど、おうちに帰ったら、ほっとしてぐったりだと思います。」と先生。
家の手前で車から降ろして、おしっこタイム。
そのあとも、わりと元気そうに歩いていた。(トップの写真)
でも・・・。
家に着くや否や、玄関からすぐの廉の部屋へ。ベッドに飛び乗る元気はあった。
しかし、ここからぐったり状態に。
かと思えば、知らんまにとなりの真樹の部屋に。
でも、もうみんじり動きもできない。
かと思えば、またまた真樹の部屋の押入れに移動。
しんどそう。
でも、世界でただ1頭の「琉球ミニシェパード、時価2億円(自称)」のきくは、永遠に不滅です。
あー、この貴重な犬種(自称)の子孫を残したかったのになあ。その分も、ずっとずっと長生きしてな。
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