2009年10月21日(水)
「きらきら ひかる」 [グルメ情報]
今日水曜日は、「京都キャロット」の定休日。
恒例の「おひる」に出かけた。
上賀茂橋東詰上ル、「きらきら ひかる」さん。
賀茂川が眺められる窓側の席が空いていたので、そこにすわった。
私は「天ぷら定食」(1200円)、ヨメさんは「おやさい定食+プレミアム」(1500円)。
初めて入った店だったが、こじんまりしたきれいなお料理でおいしかった。ごはんがおいしく炊けていたのが、すごくよかった。(おかわり、いただきました。)
お店は、見晴らしのいいお二階。
春は、さぞ桜がきれいでしょう。
一階には、なぜかラプちゃんが・・・。
ちょっとさわらせてもらいました。
「1階のオフィスと2階のお店の関係は?」などと考えながら帰ってきました。
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2009年10月20日(火)
美馬旅館 [宿情報]
四万十川ウルトラマラソンの時にお世話になった「美馬旅館」さん。
土曜日の夕方、旅館に着いた時、一番にお出迎えに来てくれたのがこのネコちゃんだった。
京都の自宅から四万十市の受付会場までが約7時間。そこから、「美馬旅館」さんのある旧窪川町(現在・四万十町)まで戻るのにまたプラス1時間。長い長い運転のあとで出てきてくれたのがこのネコちゃんで、「ホッ!」
「ライオンみたいですねえ。何歳ですか。」
「もう19歳なんです。去年はもうだめかと思うくらい弱ってたんですよ。1週間くらいまったく動かなくなってねえ。でも、復活しました。」
「ネコちゃんのそういう話、よく聞きますわ。
うちにも20歳の真っ黒けのネコがいるんですよ。それもね、一時期すごい変なせきをして、もうあかんかなと思ったんですけど復活しました。」
「20歳ですか。」
「一番多いときは8ぴきいたんですけど、みんな15、6で死んじゃって、今は1ぴきだけになってしまいました。」
このあとしばらくネコ談義。ワンちゃんを飼っておられることも分かった。
犬やネコを飼っておられる旅館は、もうそれだけでいい旅館だと思ってしまいます。
帰ってから、ここ「美馬旅館」さんをネットで検索してびっくり。
★林芙美子をはじめ
文人や財界人が利用したこともある
創業明治24年の老舗旅館。
すごいとこやったんや。
今、明治で言うと140年くらいやから、創業116年?
これは、土曜日のばんごはん。
カニのおつゆがおいしかった。
そもそもこの旅館にお世話になることになったのは、主催者サイドに紹介してもらった宿が「5人部屋」だったから。それも、四万十市ではなくその30kmほど西の宿毛市。すぐお断りし、四万十町観光協会さんに電話した。
「ちょっと会場から離れてますけど、一人部屋が使えるいいお宿がありますよ。」
本当に静かで落ち着いたいいお宿だった。
宿泊されている方は、ほとんどがお遍路さん。夜に騒ぐような方たちではありません。
夜は10時就寝。
朝3時前に起きると、おにぎり弁当が置いてあった。
前日、「レースの結果次第で帰ってくるのが夜9時くらいになるかもしれない」と言うと、「お待ちしています」とのこと。このお言葉はありがたかった。
けっきよく関門にかかってしまい、宿に帰ってきたのは6時過ぎ。ゆっくり桧のお風呂に入らせてもらい、7時前から食事ということになった。
数年前の私なら、これだけ走った後だとほとんどものが食べられなかった。
しかし、最近はそれもましになってきた。出していただいたものを、ほとんど残さず食べることができた。最後のお茶漬けのうまかったこと!
夜ジュースを買いに外に出ると、宿の斜め向かいの角に占い師さん発見。男性の占い師さんだったが、ちゃんと見てもらっているお客さんもおられた。
なんと味あるいい町ですねえ。
会場から遠いのが少し大変だったが、もし来年も抽選に当たり「四万十川ウルトラ」に出場することができたら、やっぱり「美馬旅館」さんがいいなあ。
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2009年10月19日(月)
第15回四万十川ウルトラマラソン・続き [ランニング]
「関門閉鎖でーす。」
「うっそー。」
大きく手を振っておられた役員さんたちは、いっしょに喜んでいてくださったのではなく、「アウト」を宣告されていたのだ。
せめてここまで来た記念写真をと思い、役員さんに撮っていただいた。
「うーん、2分遅れか・・・。」
「ごめんなさいね、ちょっとまちがっていたみたいで・・・」
先ほど関門を教えてくださった女性ランナーが、すまなそうに近づいてこられた。
「いやー、そんなん、全然だいじょうぶです。」
ここまで、希望を持ち続けて走れただけでも幸せもんです。ありがとうございました。なーんも、おこったりすることはありませんよ。
それより、彼女こそ関門数秒遅れとか・・・。そっちのほうが悔しいじゃないですか。
この時点で、私の前に引っかかった人は5人ほど。その中に、「ランナーズ9の会」のかわせみさんも。
1台のバスがいっぱいになるまで待ち、ここからゴール地点「中村中学・高等学校」へ。
バスは前のほうが酔いにくいといわれるので、一番前の席にかわせみさんととなりどおしで座った。
「藤井さんは、1週間四国のあちこちまわっておられたんですか」とかわせみさん。先週、香川徳島に行って来たブログを読まれたようだ。その先も読んでもらわなー。
ちゃんと京都に帰って、ヨメさんのお手伝い(ヨメさんから言わせると、仕事のジャマ)してからまた来てますって。
一方、かわせみさんは、来月中旬にバルト3国旅行が控えている。ところが、その前に3週連続フルマラソンを走られるそうだ。ウルトラの翌週からですよ。
「すっげー!」
ゴール会場前でバスを降りた時、さすがにかわせみさんはしんどそうだった。
預けた荷物を取りに体育館に行くと、またまた「ランナーズ9の会」のシマちゃんにお会いした。シマちゃん、今日はたいへんな移動距離です。応援、本当にありがとうございました。
私もバスから降りた時は、酔って胸がムカムカした。でも、体全体は自身ウルトラ初の「余力残し」という感じ。
バスから降りたところから学校のグランドに降りる階段は、さすがに「ピッピッ」とつりそうになった。でも、それ以外は、けっこう「元気!」。
駐車場までの1.5kmもスタスタと歩くことができた。その途中の喫茶店にいたワンちゃん。めっちゃほえられたけど、そのほえ声も「次、がんばれー」といっているように聞こえた。
「へへへー、がんばらへんぞー。」
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2009年10月18日(日)
第15回四万十川ウルトラマラソン [ランニング]
いろんなことがあった。
いろいろ書きたいことがある。
でも、私は私にしか書けないことを優先。
走っている途中、突然目に飛び込んできた「ランナーズ9の会」ののぼり。思っても見なかったので、本当にうれしかった。
あとでかわせみさんに聞くと、地元高知のシマちゃんご夫妻。
「写真、撮りまっさー」と言うと、「あー、パオパオさん」。今日は店の宣伝のため「京都キャロット」の黄色のユニフォームだったのに、すぐわかってくださった。
現在「9の会」の高知会員はこの2名のみ。つまり、高知会員100%の応援です。このパフォーマンスで、高知の会員さんが増えればいいのにね。
さて、話は戻り・・・。
私が宿泊していた窪川というところは、会場から約50km東。車で1時間近くかかる。
そのため、3時前に起き、身支度だけ整えてすぐに宿を出た。
車を駐車場にとめ、送迎バスに乗り、スタート地点についたのは4時半。スタートまでまだ1時間もある。・・・退屈。
前の日に名簿をよく見たつもりだが、見つけて話ができそうな人は、久保井さん(みかた残酷マラソン実行委員長)とかわせみさん(ランナーズ9の会)くらいだった。
でも、人が多く見つけられない。
そろそろスタート地点に向かおうかとグランドに出ると、石田さん(宝が池STC)にばったり。9月の「丹後100km」の時にも声をかけてくださっていたのだが、あの時はお写真を撮るのを忘れていた。追いかけて、パチリ!
「丹後、どうでした?」
「最終関門(87.2km)に、40秒間に合いませんでした。」
「えー・・・、そら惜しいことを・・・」
「いや、30kmくらいから足の具合がおかしくて、ようあこまで行けたと思ってるんです。」
「そうやったんですか。それで、今日はだいじょうぶなんですか。」
「足に痛みどめの注射うってきました。」
うーん、恐るべし67歳・・・。
荷物を預け、スタート地点へ。
スタート地点で、かわいいワンちゃん発見。何枚も写真を撮らせてもらったが、なかなかこっちを向いてくれない。
ごろーちゃん、おとうさんは甲斐犬だそうだ。
「スタート前、かわいいワンちゃんに会うと楽しく走れる」・・・今日も、そうであってほしい。
100kmの部は、登録152人、未登録1560人、合わせて1712人のエントリー。
バスで連れて来られ、まわりが真っ暗なので、いったいどんなところにいるのかよくわからない。
スタート最後尾に並んでいると、ひょっこりと久保井さんの姿が。
「久保井さーん。」
「わー、藤井さん。藤井さんにこんなところで会えるとは・・・。おくさんもいっしょですか。」
「そんなもん、来ますかいな。『四万十川はまって、帰ってくんなー』って、言われてますのに。」
「そう。うちのおくさんはどこでもついてくるんや。今日もここまで車で送ってもらって、つい5分ほど前に着いたばっかり。」
「いやー、それは楽でよろしいねえ。」
5時半スタート。
スタートの合図(音)は、まったく聞こえなかった。
スタートしてしばらく進んだ道路わきに、久保井さんの奥さんがビデオを撮っておられた。
「よろしいなあ。」
ここからしばらく、久保井さんと並走。いろいろなことを話しながら。
中でも一番おもしろかったのは、「村岡ダブルフルマラソン」の話。
久保井さんが76km地点あたりを走っているとき、携帯に電話。「つけてもらったスピーカーの調子がおかしいので、夕方5時までになおしてほしい。5時半から婦人会の放送があるから。」
久保井さんは「サンカイ通信」という電気工事系の会社を経営しておられる。小回りのきく会社は、日曜も関係なし。修理が済めばまたレースに復帰するつもりで、チップを役員さんに渡し、一時レースを離脱。
けっきょく戻れなかったそうだが、戻ってゴールテープ切ってほしかったなあ。レース途中に一仕事をこなしたランナーとして、有名になれたのに・・・。
20km近くまで、私、久保井さん、石田さんの3人でしゃべりながら走ることができた。
16km地点あたりから上り坂がきつくなってきたが、思っていたほどでもなく十分走ることができる坂だった。16kmまではキロ7分、そのあとの上り坂もキロ8分を切るペースで走ることができた。
20kmは2時間24分くらい。約24分の貯金。
20km過ぎで声をかけてくださるかたあり。
「キャロットさん、これ、こないだお店で買わせていただきました。」
「私も、これ、キャロットさんで買わせていただきました。」
「いやー、ありがとうございます。写真、撮らせてもらいますわー。ぜひ、完走してくださいね。」
こうして私のまったく知らないところで、「京都キャロット」のファンになってくださっている方が・・・。ありがとうございます。
私のブログも読んでくださっているようだ。
初めて、「ワンちゃんの記事もおもしろいですね」とほめてもらった。
そしたら横から久保井さんが、「いや、何といっても『毒ヨメシリーズ』が最高ですよ。今回も、奥さんに『四万十川はまって、かえってくんなー』って言われてるらしいです。」
もう、ええから、そんなことひとに言いふらまわさんでも・・・。
このうちのお客様二人連れには、このあとも何回かお会いしたが完走されたのだろうか。(もし、この記事を読んでおられたらぜひコメントを!)
峠(21.3km地点)で、久保井さんとお別れ。
私は、足を痛めやすい下りこそゆっくりペースで走りたかったので。
実は、15kmあたりからおなかがゴロゴロいい出してきた。
朝は、宿で用意してもらったおにぎり3個、ゆでたまご、お漬物を残さず食べた(運転しながら)。ふだんの私のお茶漬けサラサラの朝ごはんからは、考えられない量である。
何キロおきかにトイレはあったが、どこも並んでいる人がいる。一人3分としても、3人なら10分ほど。これはもったいない。すいているトイレが見つかるまで、しんぼうしよう。
(と思いつつ、けっきょくこのゴロゴロおなかで35km過ぎまで行くはめに。この間およそ20km、変な顔して走り続けていたと思う。)
「ランナーズ9の会」のランナー発見。
滋賀の「すり足」さんだった。それにしても、ウルトラマラソンにぴったりの名前だこと。
久保井さんが見つけたベストドレッサーランナー。ほとんど手作りだそうである。
正面からのお写真も撮らせてもらったのだが、ゼッケンを消してほしい(画像処理)と言われ、私にはそんな技がないのでやむなく後姿。
でも、本当にかわいくて似合っていてめだっていましたよ。(この女性も、完走されたのかなあ。)
こんなかわいい子らのひと声が、うれしいんですよね。
「石、持って行ってー」と言っていた人がおられたが、それ無理でしょう。
高知は美人ぞろい?
四万十川を渡る。
おそろいのTシャツは、なんかのチームでしょうか。
大通りの反対側に「ランナーズ9の会」ののぼり発見。
ご夫婦で会員さんというのは、うらやましい。うちのヨメさんは・・・。
40km、4時間53分。貯金が43分もできた。
それまで人家が極端に少なかったせいか、ワンちゃんをまったく見ない。「走りながら雑種犬をさがす」という私の楽しみが、さっぱり。
でも、応援の中にウサちゃん発見。これは初めての経験です。うれし!
たぶん中学生だと思うが、声をからしての応援。ほんとにありがとう。
こんな横断幕もわざわざ作ってくれたんかな。恥ずかしそうに持ってくれていた「男子」、ありがとね。
これは久保井さんに教えてもらったのだが・・・。
ここらの石垣は、みな石が小さい。これは、河原からコツコツ運んできて積み上げたものらしい。コースのあちらこちらに、この細かい石の石垣が見られた。
また今日も、視覚障害のあるランナーに追い抜かれた。その反対は一度もないのに・・・。強い!
やっと半分、50km。6時間28分。32分の貯金。
今日の私のいでたちは、「今日キャロット」の黄色のランシャツランパン。最近ロング走の時愛用していたロングタイツは、今回はお休み。スタート直前まで、ランシャツにするかTシャツにするかで迷ったが、ランシャツで正解だった。(あとで分かったことだが、この日の高知の最高気温は26℃。)
シューズは、マイシューズ中最重量の「ゲルニンバス9」。ソックスは、もちろん私のお気に入り「アシックスXAS103(5本指)」。
右足は、前日の朝に「あいおわ治療院」さんでテーピング。両足にゲーター(ふくらはぎサポーター)。
これは効いたような気がする。右足が、いくら走っても痛くならなかった。
みなさん(特にロングタイツがにがてな方)、ゲーターはおすすめです。
京都府から参加の男子は39名。決して多いとはいえない。
しかし、今日はいやによく声をかけていただく。やはり、「京都キャロット」の名前入りのランシャツを着ているからだろう。
50km過ぎに抜かれた朝日さんは、10月12日の「京都鴨川ゆっくりラン」で救護ランナーをつとめられたそうだ。お一人だけちょっと体調を悪くされた人があったそうだが、たいしたこともなく、みなさん楽しく走り終わられたそうである。
53kmあたりに最初の沈下橋。
役員さんにお願いして写真を撮っていただいた。
橋のちょうど真ん中あたりで下を見てみた。
こら、とてもじゃないけどはまってられません。けっこう流れが急で、どこまでも流されてしまいそう。明日の新聞に載るがなー。ヨメさんの期待にはこたえられなかった。
後半はきつい坂がないと聞いていたのに、ここらからかなり長くてきつい上り坂。キロ11分台に落ち込む。
こちらは走っているつもりなのに、早歩きの後続に抜かれたのがショックだった。
そんな中でも、こんな小さくてかわいい姉弟ペアに会えました。ひょっとして、お母さんの応援?
山の上から四万十川をパチリり。
「すごい景色ですねえ。」すぐ横のランナーがひと声かけてこられ、ご自分も携帯でパチリ。
9月の「丹後100km」の時も、夕日ヶ浦を撮っていたら同じように声をかけられた。きれいなものを見ると、そばにいる人に話しかけたくなってしまうんかな。
眼下に見えるは、第2関門(56.6km)。
バスがぎょうさん並んでるけど、「絶対乗らへんでー」。
このちょっと手前の「56km」の標識を越えたところでヨメさんに電話。
「一応、第1目標の56kmは越えました。もうちょっとがんばります。」
ヨメさんからは、特別、応援もなくボロカスもなく・・・。
下りに入ればまたスピードが元に戻る・・・、と思ったら大まちがい。なんと、そのままのキロ11分ペース。
「こりゃ、えらいこっちゃ!」
100kmを14時間ということは、休けいも含め10kmを84分、1kmを8分24秒で進まねばならない。キロ11分ペースに落ち込んでいるということは、1km進むごとに2分半貯金を使ってしまっているということだ。
ここらへん、走るのがちょっとつらくなってきて・・・。
顔を上げ、目をつむり、右手を左胸に当て(あるいは心臓をたたき)、こうつぶやく。
「また来るん? ・・・うん行くし!」
こうして新たな気持ちで、また新しい一歩を踏み出す。
これを何回かくり返した。この様子を見ていた周りのランナーは不審に思ったにちがいない。 (うちの子らに言わせたら、まさしく「ヘンタイオッサン」。)
この「また来るん?」が何のことか分からない人は、10月14日のブログ「あしたまた、来るん?」を読んでください。
ここでふと思った。
「こちらが逆に教えられました」とか、「こちらが逆に勇気をもらいました」とかいう言い方がはやっている。そう言いたくなる気持ちも分からんでもないが、私は好きではない。「逆に」はいらんやろう。
障害のある人に対して、「教えてあげよう」、「勇気を与えよう」はちょっとちがうような気がする。
それらの人たちと接してみて何かを得られたのなら、「逆に」じゃなくて、はっきり「思いちがいをしていました」と言ったほうがいい。
こないだ、兵庫の「ゆめさき舎」に行かせてもらって一番に感じたことは、私の手を握ってくれたその手がすごくやわらかくて暖かかったこと。もう、それだけでもうれしかったのに、「また来るん?」までゆってもらって・・・。
「なあ、MI君!」と言いながらまた心臓をたたくと、ちょっと強すぎて心臓が止まりかけた。
60km、8時間18分。
あー、貯金ぎょうさんつこてしもたー。残り6分?
第3関門カヌー館前の橋は、すごい風。大会ののぼりも何本かは折れかけていた。
このカヌー館が、62.1km。私の第2目標、突破。
四万十川上流を見上げると、これがまたきれい。この川の一番の特徴は、護岸工事がされていないこと。(人工的な力を加えていない。)
カヌー館の入り口付近に、シマちゃんご夫妻。
「また、写真撮らせてもらいますわー。」
「いやー、反対にこっちが撮らんならんのに・・・。」
「まあ、そうはずかしがらんと。おふたり、撮りまっせー。」
ここで着替えを用意していたので、かなり悩んだ。
それまで山陰を走っていたので、かんかん照りのわりには少し肌寒い感じがしていた。それなら、ランシャツの下にTシャツを。ソックスも新品の5本指ソックスに履き替えてっと。
この時、貯金が底をついてきていることなどすっかり忘れてのんびりしていた。
走り出して分かったのだが、橋を渡って川の反対側に来ているので今度はずっとひなた。暑いのなんのって。せっかく着たTシャツをぬぐはめに。
荷物多なってしもたー。
しかし、着たり脱いだりしていたのがいい気分転換になったのか、キロ11分台だった走りが知らん間に8分台に。
こんなことって、あるんですよねー。
69.2kmのエイドで。
「どなたか、次の関門までの距離と制限時間知ってはる方、おられませんかー。」
座っておられた3人の男性は、「シーン」。
「たぶん、あと2.2kmくらいで、残り24分くらいだと思います。正確じゃないですが・・・」
走りだそうとされていた女性ランナーが、そう教えてくださった。
おっ、これは第4関門も、クリア可能性あり。
久保井さんが何回も何回も言っておられた。
「70kmの沈下橋までは楽勝。勝負はそこから・・・」
ちゃんと来ましたよ、久保井さん。確かに、「ここからが勝負」という感じがする橋ですね。
さっきのエイドで関門を教えてくださった女性ランナーにモデルになってもらって、パチリ!
「私でいいんですかー」とおっしゃっていたが、かっこいいじゃありませんか。
第4関門まであと300mくらいのところ。
「追いつきましたー。」
「ええっ、かわせみさん! 来ましたかー。」
「丹後100km」は両者痛み分けのような感じだったので、今日こそはリードをと思っていたのに・・・。
恐るべき、70歳!
関門前の橋を渡っていると、向こうで手を大きく振っている役員さんが3人。
「ああ、これは関門ギリギリセーフを、いっしょに喜んでくれてはるんやなあ」と思いながら・・・。
(注)明日へ続く。
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2009年10月17日(土)
いざ、四万十! [ランニング]
「すんませんけど、四万十行かせてもらいます。ちょっと遠いとこなんで、日曜の夜も泊まって月曜に帰ってきます。」
「どうぞー。アンタがおらんでも、困ることは何ひとつないし・・・。四万十川はまって、おぼれー。もう、帰ってこんでええで。」
おお、なんというありがたい(?)お言葉。
「ボクなあ、女の人には全然もてへんにゃけどなあ、男の人からは『藤井さん、藤井さん』て、いっぱい声かけてもらえんにゃで。まあゆうたら、『おっちゃんらのアイドル』かなあ。」
「そらええわなあ。アンタは、ろくに仕事らしい仕事もせんと、すきなことばっかりしてんにゃもんなあ。そらきっとうらやましいんやわ。」
なるほど。
この写真は、9月20日の「丹後100km」の時のもの。
まっさんという方が撮ってくださった。そしてわざわざ大きく引き伸ばしたものを、「京都キャロット・産大前店」まで持ってきてくださった。ありがとうございます。
これも同じ。
久美浜湾沿いの道路(約29km地点)を軽快に走っているところ。
こちらは、5月17日の「鯖街道」。ゴールまであと約1kmの出雲路橋。
ここで走路員をされていた岩田さんが、「藤井さーん」と呼びかけてくださり写真を撮ってくださった。このあとは、本当に楽に走れました。ありがとうございました。
今思えば、「鯖街道」はだいたい自分の思い通りに走れたのに、「丹後100km」はしょぼかった。
さて、「四万十」の目標は・・・。
?最低、こないだの「丹後」の56kmを越える。
?レストステーションがある62.2km、ほんとはここを越えたい。
?もしそこを越えられたら、次は70km。あとは、5kmずつ・・・。
と、まあ「獲らぬ狸の皮算用」はやめておこう。
私が家にいないと、あとの3人は大喜びらしい。
「なんでやー」
「それはな、私がイライラしたりせんから、子どもらが安心すんにゃろなあ」とヨメさん。
なんじゃー、わしゃー、そんなきらわれもんかーい。
あーあ、あと頼りになるのはきくちゃんだけか?
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2009年10月16日(金)
玉藻防波堤(高松港) [雑感]
10月11日の四国行きの一番の目的は、「つるの剛士コンサート」。
真樹とヨメさんがコンサートに行っている間、3時間ほどヒマだったので高松港界隈を散歩した。
きれいな芝生などもあり、ワンちゃんの散歩に来られている方も多かった。
高松港を左側(西側)から覆うようにして、長い長い防波堤が伸びていた。
この近辺をワンちゃん(雑種)連れで歩かれていたお二人の女性。よっぽど「写真撮らせてください」と言おうと思ったが、ここは四国やし・・・。躊躇しているうちに見失ってしまった。
防波堤はきれいに整備されていて、釣り人、ジョガー、犬の散歩をする人たちがたくさん来られていた。
せっかくやし、一番先まで行ってみるか。
防波堤の一番先にある赤燈台。
いい感じです。
そこをぐるっと回ったら・・・。
さっきのワンちゃんたち発見!
うれしい!
「ワンちゃんの写真、撮らせてもらっていいですか。」
「どうぞ。」
「うちのはなはね、2歳の時に誰かわからない人に棒で頭を殴られ、ものすごいごぶができたんです。それから人間不信になってね。
この人(連れのお友達)までこわがって、やっと一年くらい前かな、なつくようになったんです。」
「なんちゅうことを・・・。
はなちゃん、おっちゃんもこわいか?」
はなちゃんは、ふしぎそうにこっちを見てくれていた。
「うちのらぶはだいじょうぶですよ。」
「らぶちゃん」と呼んだらこっちに来て、ちょっとだけ私のてのひらをペロッとしてくれた。
私のブログを見て、私のことを「誰にでも話かけることができる人」と思っていおられる方が多いかもしれない。
でも、実はこんなふうなことができるようになったのは50を過ぎてから(つい3、4年前)。以前は、人間嫌いで、ひとから話しかけられてもまともな返答もできないような人間でした。
ひとと普通に話せるようになったのは、ある人のおかげ・・・。また機会があればブログに書こう・・・、そんなことを思い出しながらこの防波堤の上をゆっくり戻ってきた。
サンポート高松に戻り、晩ごはんを食べる店をリサーチ。 シンボルタワー最上階のレストランは地上150m近くということだったので、ここに入りたかった。しかし、コンサートとそこで買ったグッズで予算オーバー。3階にあった「ごちそうくらぶ」という店を真樹とヨメさんに提案することにした。
まだコンサートが終わるまで時間があったので、本屋さんで詩集を買った。ビル内の廊下にベンチがあり、そこでゆっくりと読むことができた。詩集を読むなんて、何年ぶり、いや何十年ぶりやろう。
たまには、こんな時間もあっていいね。
コンサートから出てきた二人と合流し、「ごちそうくらぶ」へ。
私は牛、ヨメさん鶏、真樹はマグロ。それぞれ、おいしくいただきました。
中3の子の願いとしては、今回のコンサートはぜいたくすぎるかなとも思ったが、「よし」としよう。
真樹が自分のブログ「にょんにっき」に書いていた(10/9)。
「大変なことや、いやなことがあっても、今は我慢・・・
そのうちいいことがあると思ってがんばります」
これは、私がいつも言っている「いい時も悪い時も、人生を楽しんでいたい」や、「楽しいこともつらいことも、合わせて人生」に似てるね。
そうそう、その調子・・・。
「中学校生活も、あと5か月さー。楽しんで行きなさい。オジィもオバァも応援してるからさー。」 (ここは、沖縄ふうに)
※ これで、一応、「四国三部作(?)」終結。時系列で並べると、以下の通り。
「しろとり動物園」(10/13)
「玉藻防波堤」(10/16)
「くーちゃんはますみちゃんの永遠のライバル」(10/11)
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