2009年10月28日(水)
「生きることは愛すること」 [平和]
今日も体調悪く、朝のきくの散歩に行っただけで家に閉じこもっていた。
テレビを見ていると、「今日は何の日?」というコーナーで瀬戸内寂聴さんを取り上げていた。
2001年10月28日は、9.11に対するアメリカのアフガニスタン報復攻撃停止を祈り、彼女が断食に入った日だそうだ。
当時、彼女は79歳。まさに、命を懸けた行動であった。
瀬戸内寂聴さんといえば、「憲法9条の会」の代表世話人。この会に彼女が名を連ねている意味は非常に大きい。
「あの方のお話は、ごく普通に、私たちの心にしみこんできます」と言われる方が多い。
「分かりやすく、ごく普通に」は、平和運動の基本中の基本。彼女をお手本にできるところも多いように思う。
今日のそのコーナーの最後は、瀬戸内寂聴さんの次の言葉でしめくくられていた。
「生きることは愛すること」
これも、人間としての基本中の基本。短い言葉だが、奥の深い言葉です。
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◎京都新聞8月13日朝刊 「’09夏 わたしの原点」より
「戦争のむなしさ 語り継ぐ義務」 瀬戸内寂聴
作家の瀬戸内寂聴さん(87)は、1991年に湾岸戦争停戦を、2001年には米中枢同時多発テロへの報復停止をそれぞれ祈り、断食した。医薬品を渡すため戦禍のイラクを訪問したことも。瀬戸内さんを突き動かしてきた「反戦の原点」はどこにあるのだろう。
物心着いた時は日中戦争の真っ最中。学校で「聖戦」と教え込まれ、信じて疑わなかった。その思いが変わったのは戦後、夫の留学先の北京から日本に戻った後だった。
43年、北京に渡った時から、「何かおかしい」と感じ続けていた。中国人を虐げ、威張り散らす日本人。一方、知り合った中国人は、瀬戸内さんを人生の苦楽をともにする「朋友」として遇し、親切で優しかった。
夫が召集され食べていけなくなり、やっと見つけた職場の初日。北京で終戦を告げる玉音放送を聞いた。「日本人はひどいことをしていたから、どんなことをされるか分からない」。家に残した娘が心配で、職場を飛び出した。帰宅した時、路地の壁に張られた短冊の言葉を読んで、腰が抜けそうになった。
「『仇に報いるに恩を持ってす』。蒋介石が書かせた言葉です。こんな立派な考えを持つ国と日本は戦っていたんだ。負けて当然と思いました」
家族で北京にとどまるつもりだったが、翌年に強制出国させられ帰国。故郷の徳島県で母と祖父は空襲にあい、防空壕で亡くなっていた。
「母は日ごろ『徳島のような田舎にまで、爆弾が落とされるなら日本は負けだ』と言っていました。これが最後だと思ったんでしょう。逃げたら助かったのに、逃げようとしなかったと聞きました」。このように考え、なくなった市井の人々は数知れない、と今も思う。
「戦争なんて無駄だ」。
そして、こう思った。「教えられた通り(『聖戦』と)信じてきたが、それがいかにむなしいか。これからは自分の目で見て、自分で考え、自分が感じたことしか信じない』。反戦の原点だった。
51歳で得度し、「殺すなかれ。殺させるなかれ」との仏教の教えを胸に深く刻む。「戦争は人殺し。僧りょは戦争反対のの立場にならねば」。宗教者としての強い使命感から湾岸戦争、米中枢同時多発テロなどの節目には、年を重ねていても停戦や報復停止を願って断食をした。今も写経で必ず「世界平和」と書き、祈る。
戦争体験者が高齢化し、経験に基づいて悲惨さを伝えられる語り部が数少なくなった。しかし、イラク、アフガニスタン・・・。世界各地の戦乱は終わらず、日本近辺でも北朝鮮のミサイル発射で平和はさらに揺らぐ。「人々には、あの泥沼のような戦争を二度と起こしてはならないという気持ちがあるはず」という思いと、「人間は愚かさ同じ過ちを繰り返すかもしれない」との懸念が交錯する。
「北京にいたから飢えたことはなく、空襲も受けていない。目の前で家が焼かれ、肉親が死んだ人と比べたら私の戦争体験は弱い。戦争を知らず、好きなものを食べ放題の若者に、果たして伝わるかどうか分からない。でも、戦争の記憶がある人は、戦争は本当にむなしいと、伝える義務があると思います。
※ せとうち・じゃくちょう 1922年徳島市生まれ。東京女子大卒。「夏の終り」で女流文学賞。73年中尊寺で得度し、翌年、京都・嵯峨野に「寂庵」を結ぶ。2006年文化勲章。近著に「寂聴 幸福の鍵」など。
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2009年10月27日(火)
心配ブログ [ブログ]
去年の5月から1日も休まずブログを書き続けている。それは、「毎日見るのを楽しみにしています」と言ってくださる方が増えたから。
「そんなもん、お愛想でゆってはるだけやん。真に受けてるアンタは、幸せもんやなあ」とヨメさん。
「♪〜そんなふうに言ったなら 笑う人もいるけれど 人を信じられない人よりはしあわせ〜♪」と、私は「音つばめ」の「愛の終わりに」の歌詞を思い出す。
実は、「諏訪湖マラソン」の日から体調を崩している。ついに昨日は、私の主な仕事(?)である「きくの散歩」と「あんものえさやり」も休ませてもらった。
でも、今日は土曜日の朝以来のきくちゃんとお散歩。外のきれいな空気を胸いっぱい吸って・・・。
何人かの人でも「毎日楽しみにしています」と言ってくださっているうちは、このブログを続けていこうと思う。
さて、本題。
私のブログの「リンク集」やパソコンの「お気に入り」に入れてあるブログで、心配なものがある。
M見ちゃんの「これもトレーニング」。
9月20日を最後に1ヶ月以上も更新されていない。心配になってコメントも入れさせてもらったが、反応なし。
M見さんは「京都キャロット」のお客様でもあり、お顔もよく存じ上げている。今年は年賀状もいただいたので、電話連絡先も分かっている。ただ、お電話させていただくほど懇意というわけでもない。
しかし、私のブログにもコメントを何回も何回も入れてくださっていた。そういう意味で、たいへん貴重な存在なんです。
今度の日曜は、「土山マラソン」。
お元気であれば、ここでM見さんに会えるはず。たとえお会いできなくても、M見さんの地元滋賀なので、なんらかの情報が得られるはず。それまでは、お元気であることを信じて・・・。
M見さん!
ブログ「これもトレーニング」の復活、楽しみにしていますよ。
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2009年10月26日(月)
第21回諏訪湖マラソン・続き [ランニング・出張販売]
自分が走らないとなると、後の楽しみは「ワンちゃんさがし」。
今年は全然見つけられなかった。
ぽっちゃんは、うちが出店していた場所の3つとなりくらいで焼きそばなどを販売されていたお店のワンちゃん。
ボーダーコリーだそうです。かしこそうに見えました。
銀河鉄道スリーナインのデザインの遊覧船。
でも、ずっと停泊したまま。
はるか向こうに白鳥船。
うちの子が小さい時は、何回か乗ったことがある。あの時はさぶかった。
「あーあ、今日は雑種0か、がっくり」と思っていたら、遠くを横切るかわいいワンちゃん。これは、行かな。走れー。
「写真撮らせてください」と言うと、いきなり「ガウガウガウ・・・」。牙をむいためっちやこわい顔。
これは、大サービスやね。かんでもうたらよかったかな。
あんなこっわい顔をしていたワンちゃんが、飼い主さんに「ゆうじろう」と言われたらこんなやさしい顔に。
最後にかわいいワンちゃんに会えて、よかった。
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2009年10月25日(日)
第21回諏訪湖マラソン [ランニング・出張販売]
「私の顔、だいじょうぶかなあ。」
「だいじょうぶですって。鏡、見やはります?」
鏡を見られたいりえゆかさんは、「うん、だいじょうぶでしょう」。
一度撮った写真を見てもらったら、ダメ出し。撮り直しの一枚。やっと、OKが出ました。
思い起こせば、去年の「諏訪湖マラソン」で「ブログ(パオパオだより)を見せていただいてます」というひと言からちょうど一年。この間、一度もお会いすることもなかったのだが、ブログを通して、あるいはメールをさせてもらったりして親しくしていただいた。
私は、いりえゆかさんのブログを過去にさかのぼり、ほとんど読ませてもらった。そこで感じたことは、「どこかひかれる」人やなあということ。(このへん、うまく言えません。)
私のブログにも勝手に何回か登場してもらった。
去年11月1日の「いりえゆかさん」の記事は、今までのアクセス数ランクで全体の13位。「私の好きな人」カテゴリーでは、ダントツの1位(約2100アクセス)。2位以下をダブルスコアで引き離している。これ、ちょっとわけ分からんとこもあるんですけど・・・。
「ずっとさがしてたんですよ。写真撮らせてもらおうと思って。」
「えっ、どのあたりにおられたんですか。」
「スタート地点と、4.3kmの第1関門のところで・・・」
「実は、私も、どこかで見てもらってるかなあとひそかに期待してたんですけど・・・。」
「いりえゆかさんのブログ(ラスティックなひとりごと)も、しっかり見せてもらってます。ボク的には、最近の記事では、『オヨメさんになって!』が一番よかったです。それと、久々にまある君が出てきた記事もよかったです。もっと、まある君の記事書いてくださいよ。
あっ、それから、ダンナさんとの出会いのことがどこにも書いてなかったように思うんですが、それも書いてくださいよー。」
「アンタは、ストーカーか」と横からヨメさんのつっこみ。
ご自身でも言っておられるが、本当にちっちゃいいりえゆかさん。でも、最近のブログを読ませていただいていると、負けず嫌いな一面も。
「ちっちゃな負けず嫌い」さんがのめり込みつつあるランニングライフ。その今後が楽しみです。
この大会は、私が出張販売に来て走らない唯一の大会。その理由は去年も書いたが、「スタート前にトイレが混雑して行けない」というのが主なもの。
走らないとなると緊張感が緩んでしまうのか、午前中から頭がクラクラしてきた。
「まさか、新型インフルエンザとちゃうわなあ。その歳の人はかからへんはずやし。でも、もしかかって死んだら、初の50代の死亡でニュースになるなあ」とヨメさんが、心からうれしそうな顔をして言った。
「なんちゅううれしそうな顔しとんねん。その顔はブログに載せなあかん。撮るでー。」
「もう、アホちゃうか。私はいそがしいんやから。ヘンタイ!」
「パチリ!」
まあみなさん、見てください。
笑いをこらえているうちのヨメさんの出っ歯を・・・。
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2009年10月24日(土)
諏訪レークサイドホテル [宿情報]
「もう、写真はやめとき。」
「なんでー。」
「ぜいたくばっかりしてるみたいに思われるし・・・。」
大会会場のすぐ近く「諏訪レークサイドホテル」は、以前泊まっていた茅野市のビジネスホテルに比べると倍以上の費用がかかる。でも、暗いうちから起きて長い運転をするのはつらい。
そのあとも、何も食べず働きづめなんやから。前の晩にちょっとくらいぜいたくしても、バチは当たらんやろう。
夕食は一般的な和食コースという感じだったが、そのほかに真ん中のテーブルで「天ぷらのバイキング」があった。
ところが、一番人気のえび天が売り切れ。うちが最後のお客さんだったようで、新しい天ぷらが出てくる気配はない。ヨメさんはがっくりきていた。
ところがところが、うちのためだけに(?)、新しいえび天が運ばれてきた。そのときのうれしいヨメさんの顔が、上の写真です。
「うまいもん、食べさしたってやー。」
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2009年10月23日(金)
四万十みやげ [雑感]
四万十川沈没(関門収容)記念として、おみやげをいっぱい買った。
上の写真は、真樹に買ったスティッチのボールペン。スティッチが土佐犬をだいている。
廉には、土佐犬の肉球ストラップ。「でかすぎて携帯には付けられへん」と言われてしまった。
ヨメさんには「炭石鹸」。さらにきれいになってください。
そのほかにもいろいろと買いました。(「青さのりそうめん」と「四万十川の川のり」を写真に入れるのを忘れました。)
まだ全部は食べていないのですが、お勧めは、「仁井田米カステラ」でしょうか。お米から作ったカステラは珍しいと思います。値段も525円とお手ごろ。
それから「四万十川の川のり」、これははずせません。うちはみんな白ごはんが好きなので、これはぴったり。
これはおじいさん(私の父)へのおみやげ。一口ようかんです。
「わらって わらって ほおそめて わらって 世の中 わたりましょ」
と書いてありました。いつもみな、そうでありたいですね。
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