2008年10月26日(日)
第20回諏訪湖マラソン [ランニング・出張販売]
私は、マラソン大会の出張販売の時、必ずレースにも参加している。それが、京都キャロットと他店との一番のちがいと自負している。
ただ、唯一の例外が、この諏訪湖マラソンである。
この大会も数年前まではレースにも出ていた。それをやめたのは・・・。
この大会は、ハーフのみ7000人が一斉スタート。
ということは、スタート前は仮設トイレの前に長蛇の列。
余裕のある人はいいが、直前まで販売の仕事(というか、仕事のふり)をしている私は、タイミングよくトイレにいくことができない。
数年前、ちゃぷんちゃぷんのお腹でスタートし、4km過ぎのトイレまでしんぼうして走った時は泣きかけた。
それ以来、ここでは無理して出場しないようにしている。
初めからレースに出ないと分かっているので、今日はジャージではなく普通の服装をした。
朝、そのかっこうを見たヨメさんが、「どしたん?」と気持ち悪そうにこっちを見た。
「アンタは、いつでもどこでもジャージ。このままずーっとジャージ着て、ひからびて死ぬんやろなあ。」と常々言われている。
「ジャージ以外の服着たら、そんなにおかしいんかい!」と言いたかったが、もちろん言えない。
前日までの予報では雨の心配はなかったのに、あやしい空模様。
一番お客さんが多い8時すぎ、雨が本降りになってきた。あわてて、ビニールシートをかぶせる。気温もどんどん下がっていく感覚。
これで、今日の売り上げは去年を大きく下回ることが確実。
うちの出店テントのすぐ後ろが仮設トイレなので、気にして見ていたが、トイレの混雑は以前よりはましになったようだ。スタート15分くらい前には、並ばずに使える状態になっていた。
ただ、そこから6000人強の列の最後尾に並ばなければならず、そう思うと「ちょっとなあ」という感じ。
この大会は、もともとは諏訪湖一周マラソン(約16.8km)として始まった。ところが、それでは中途半端だということで、諏訪湖の北側を小さく周る4kmちょっとが付け加えられた。
最初スタートして2kmほど北へ走るのだが、この道が広くない。ここで、前のランナーを抜くのはかなりむずかしい。
2回右折して、諏訪湖の方に戻ってくるあたりでやっとばらけ、抜くことができるようになる。
だから、記録をねらっている人は、早めにスタート地点に行き、前の方に並ぶしかない。でも、早く並び過ぎるとトイレの心配が・・・。このへん、ほんとにむずかしい。
この大会の会場は、土のグランド。そのため、雨が降ると下がにゅるにゅる。うちが出店していた場所は比較的ましだったが、食べ物系のテントの前はぐちやぐちゃだった。
この時期、雨が降る確率も高く、いくら7000人規模の大会とはいえ出店のリスクも大きい。
また、同じようなボヤキになるが、初めのころはランニング用品の出店はうちくらいだったのに。今や、7店舗。
来年は、しっかり準備して久しぶりに諏訪湖畔を走ってみるか。そうでないと、やってられんね。他のお店と、ここで差をつけないとね。
(注)まだ、続きます。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2008年10月25日(土)
毒嫁の怒り [家族]
「バシッ! バシッ!」 (これは、あくまでも効果音です。決して私がヨメさんにしばかれている音ではありません。)
「アンタ、ええかげんにしいや! 調子に乗ってたらあかんで!」
「バシッ! ボコッ!」 (あくまでも効果音)
「ブログに、なに好き勝手なこと書いてくれてんのー。『仕事をしました』やてー、アンタがいつ仕事した―? アンタがしてんのは、仕事のジャマ、仕事のふり、そう正確に書いてもらわな困るわ。
きくの世話かて全部私がやってんのに、ブログ読んだ人はアンタがやってると思うやろ。『私は、横でボーと立ってるだけです』とはっきり書いてもらわんと。やってられんわ、ほんまに。」
「バシッ! ボコッ! グェッ!」 (しつこいですが、あくまで効果音)
こうして、諏訪湖畔の夜も更けていくのであった。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 1 )
2008年10月24日(金)
病気になってられん子 [家族]
ある時はイケメン整体師、ある時はスケートの織田信成、そしてある時はザ・パンチのかたわれ、「気持ちわるーい、お願いだからワニの背中で洗濯して〜」という役にもなれるうちの廉。その廉が、ダウンした。連日の雨の中のサッカー部の練習で、体調をくずしたのかもしれない。
学校から帰って、すぐベッドへ。熱が出てきた。
私たちは、明日から「諏訪湖マラソン」へ出張販売。子どもたちがどんなにしんどくなっても、みてやることはできない。
今は、高2と中2になった子どもたち。親がいなくてもなんとかするだろう。
2年前までは・・・。
ほとんど毎週末、子連れで遠いところまで出張販売。バンにシューズやウェアをぎゅうぎゅうづめにし、そのすきまに子どもと「きく」を積め込む。
どんなにしんどくなってもかまってもらえないことを学習してしまった子どもらは、絶対に病気にならない。
平日にしんどくなっても、「学校の保健室で寝とき」と言って、学校に放り込まれる。「おれら、病気になったら、こんな目にあうんやぞー」と、学校のみんなに自慢(?)していた。
唯一うちの子がしんどくなってもいい日。それは出張販売の予定の入っていない週末。そんな日は、一年に二、三回しかなかった。
でも、そんな時に限って、母ちゃんまでしんどくなってしまう。小さい時から甘えられるスキがもらえへん子やったね。
しんどい時はゆっくり休みや。看病はしてやれへんけど、きくちゃんがしっかり癒してくれるよ。(安眠のジャマしているようにしか見えへんけど・・・。それは、錯覚です!)
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
2008年10月23日(木)
うちのビッグピーチ [わんこ・にゃんこ]
うちのビッグピーチは、ヨメさんでも娘でもなく、きくにまちがいない。
歳も、犬の3歳半なので、リア・ディゾンに一番近いかも。
顔もシェパードっぽいし、ちょっと欧米風? (犬種を聞かれたとき、「雑種です」とは言わず、じょうだんが分かる人には「琉球ミニシェパードです」と答えています。
そのビッグピーチに、またもや異変が・・・。
日曜、近江大橋LSDから帰ると、きくがおしりらへんをなめてなめてしている。
「もう、やめとき。」と言ってもとまらない。
「ちょっと、見たろ。」
シッポをめくって、びっくり。つけねのへんが、まっかっか。こら、あかん。明日、動物病院へGOやな。
そういえば、最近、散歩中に急にペタンとすわり、おしりをアスファルトにズルズル。あの時から、かゆかったんかな。
月曜、芝動物病院で、いつもの若くてやさしいメガネの男の先生の診察。今回は、きくもいつもほどあばれなかった。だいぶ、病院に慣れてきた?
肛門嚢炎かもしれないということで、先生に肛門嚢をしぼってもらった。そしたら、黒くてくっさい汁が・・・。(このくっさいのんが、オス犬にはたまらんにおいらしい。よう分からんなあ。)
とりあえず、これからはおしりのへんを清潔に。できればしばらくは、3日に1回くらい洗うこと。薬を飲み、しばらく様子を見ることに。
最後に、患部にぬり薬をぬってもらい、やっと解放。
動物病院の駐車場で、かわいいワンちゃんにあった。
「ゴン太、12歳」
白内障で、もうほとんど目は見えないらしい。それでも、飼い主さん(女性)が大好きで、散歩に連れて行ってもらったら、何回も飼い主さんに飛びついていた。
こんなやさしい顔してんのに、「ゴン太」って、おもしろいね。
病院から帰っても、家にはハウスクリーニングの人たちが来ているので帰れない。シッポにぬってもらった薬を、なめてしまわないかも注意して見ておかないといけない。
仕方なしに、私たちの仕事場へ(京都キャロット通販事務所)。
あー、退屈。リラックスして寝ることもでけへんし。
ちゅかれた一日でした。
早く、カイカイがなおったらいいんやけど・・・。
(注)「ビッグビーチ」の意味が分からない人は、10/16のブログを見てください。
きくは、うちの「ビッグピーチ」。ヨメさんは、自称「香里奈」。(えらい、チンチクリンな!) 息子は、「織田信成」、娘は「ちびまるこ」かな。
そして、私は、・・・うちのフランシスコ・ザビエル。なーんでかな。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
2008年10月22日(水)
なぜ、土肥校長とともに立ち上がらないのか [学校]
◎毎日新聞 2008年10月20日朝刊 「新・教育の森」より
「言論の自由」か「経営適正化」か 三鷹高校長VS都教委、場外も熱く
東京都教育委員会が職員会議での挙手・採決を禁じた通知について、都立三鷹高校(三鷹市)の土肥信雄校長(59)が撤回を求め続けている。現職校長による異例の言動に都教委は対応を決めあぐねるが、市民の支持は広がりつつある。【木村健二】
■賛同の人あふれ
「東京都の教育において言論の自由がどんどんなくなっていく恐怖を感じた。誰かが言わなければ、誰かがストップをかけなければ、恐ろしい社会になっていくから、立ち上がった」
9月27日、東京都武蔵野市の武蔵野公会堂。土肥校長は昨年11月から校長会などで通知の撤回を訴え始めた経緯を語った。350人収容のホールは満員となり、通路にも人があふれた。集会は土肥校長に賛同した市民らの主催で、会場に入り切れないため帰った人たちが200人以上もいたという。
土肥校長は1948年生まれの「団塊の世代」。都立新宿高(新宿区)から東京大農学部に進んだ。大手商社に就職したものの、企業風土になじめずに辞めた。「平和主義と基本的人権の尊重を伝えたい」と教諭に転身して政治経済を教え、02年に都立神津高(神津島村)の校長に就任。05年に三鷹高に移り、06年4月に都教委の通知が出た。
■「生徒知るのは現場」
通知によってどんな影響が出たのか。土肥校長は「『結論ありき』で先生方が意見を言うのか。職員会議が討論する場ではなく、伝達の場になっている」と証言。具体的なデメリットとしては「特に困るのは、退学とか留年とか、生徒指導の問題。私は校長が常に正しいとは思わない。生徒のことを一番よく知っているのは先生方だから、生徒の問題については全体の意向を聞きたい」と付け加えた。
校長は学校の管理運営の全般にわたって権限と責任を持っている。都教委の通知は校長が目指す学校づくりを後押しする狙いで出された。
しかし、土肥校長は「すべての問題について、校長の責任と権限はほとんどない。校長は都教委の『ロボット』『コンビニの店長』のようなものだ」と言う。
都立学校では、校長が卒業式や入学式の際に教職員に対し、君が代斉唱時に起立することなどの職務命令を出さなければならない。さらに、教職員の業績評価でも、都教委から厳しい指導を受ける。
土肥校長は職員会議の挙手・採決の禁止を取っ掛かりに、都教委の教育行政のあり方全体を問いただしてもいる。
■公開討論は実現せず
土肥校長は8月に公開討論の開催を都教委に申し入れたが、都教委は「組織内の職務は当事者間で対応すべきだ」と拒否した。逆に、都教委が校長に示した教員の業績評価制度に関する内部情報を報道各社に公表したことが地方公務員法上の守秘義務違反の疑いがあるとして、土肥校長から事情聴取した。
また、教育委員が文書で意見を提出するよう指示したのに従い、土肥校長は9月に委員あての文書を出した。土肥校長の処分も想定されるだけに、今後の展開は予断を許さない。
土肥校長に賛同して集会に参加した漫画家の石坂啓さんは、こう呼びかけた。「最悪のシナリオを考えると、土肥先生はいけにえになっちゃう気がする。私が都庁にいたら、どうやって狙い撃ちをしようか、やると思う。それを阻止するには、味方を増やして連携するしかない」
◇各道府県教委の対応、専門家意見も割れる
職員会議はかつて「最高議決機関」とする説が強く主張され、「日の丸・君が代」問題などを巡って校長と教職員が激しく対立する舞台にもなった。校長の権限を強化しようと、旧文部省は00年に省令を改正し、職員会議を校長の職務を円滑化する「補助機関」と位置づけた。ただし、教職員の意向を確認する手段としての挙手・採決まで禁止したわけではない。文部科学省初等中等教育企画課は都教委の通知について「都教委の責任と権限で決めたことで、コメントをする立場にはない」と論評を控えている。
各都道府県教委の姿勢には幅がある。毎日新聞が8月に実施したアンケートでは、挙手・採決を明文化して禁止している教委は都教委だけだった。校長に判断を委ねているのは18教委に上る。中でも埼玉県は「校長が必要と認める場合には、さまざまな方法により職員の意向を把握することはあり得る」、島根県は「必要であると校長が判断すれば『挙手』を求めることもあり得る」と回答した。
一方、鳥取県が「『採決』等の方法は望ましくなく、行われていないのが実態」、広島県が「そもそも『採決』等により意思決定を行う場ではないため、通知文を出す必然性がない」とするなど、禁止を明文化せずとも挙手・採決は不適切との認識を示す教委もあった。
専門家の見解も分かれている。教育法規に詳しい菱村幸彦・国立教育政策研究所名誉所員は「職員会議の多数決によって学校を運営するのは校長の職責の放棄だ。都教委の通知は自由な発言を禁止しているわけでもなく、『言論の自由の侵害』という主張もおかしい」と指摘。一方、藤田英典・国際基督教大教授(教育社会学)は「挙手・採決をしたからといって、校長の決定権が損なわれるわけでも何でもない。やり方次第で何ら問題がないことを、行政が抑圧すること自体が重大な問題だ」と通知を疑問視する。
◇「校長の意思決定、職員会議が拘束」 挙手・採決禁止通知の背景
都立学校の職員会議を巡っては、都教委が06年1月に全校で経営上の自己点検を実施し、課題のあった22校に対しヒアリングをした。うち約7割で教職員の考えを挙手で確認していたことについて、校長の意思決定を拘束しかねない運営だと判断した。
このため、都教委は同年4月13日、「学校経営の適正化について」と題する通知を各都立学校長に出した。「職員会議を中心とした学校運営から脱却することが不可欠」とし、「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」と規定。校長ら管理職が主なメンバーになる企画調整会議を「学校経営の中枢機関」と強調した。
ある都立高校長は職員会議について「最大のデメリットは時間がかかり過ぎることだ」と話す。少なくても2時間以上かかり、教員生活で最長は結婚した生徒の対応について話し合ったもので2日がかりだった。校長になってからは企画調整会議を中心に効率的な経営を進め、なるべく職員会議を開く前に方向付けを済ませている。この校長は「意見があれば、私や副校長のところに来ればいいし、担当者間や校内研修でも解決できる。挙手・採決は必要ない」と自信を見せるが、「自分の主義主張で動く教職員がいる学校は実に大変で、通知の存在によって助かっている学校もあると思う」と語る。
都立高校長195人が加入する都公立高等学校長協会は、土肥校長がメディアを通じて通知の撤回を訴え始めた5月から各校の実態を調べた。会長を務める都立晴海総合高(中央区)の斉藤光一校長は「言論の自由がなくなるような変化は感じていない」と述べ、土肥校長の言動については「組織内で議論すべきことを外に出すやり方は遺憾だ」と不快感を示している。同協会の方針に反発した土肥校長は7月に退会した。
☆長い文章を読むのがにが手な人。ぜひ、最初と最後だけでも読んでほしい。
「誰かが言わなければ、誰かがストップをかけなければ、恐ろしい社会になっていくから、立ち上がった」
何をたいそうにと思われる方もあるかもしれない。そういう方のために、ぜひ職員会議を公開してもらいたい。(授業参観じゃなく、職員会議参観をね。)
物言えぬ職場(学校)から、自分の意見をはっきりと持った子どもが育つと思います?
「同協会(都立公立高等学校長協会)の方針に反発した土肥校長は7月に退会した。」
ああ情けなや。東京の公立高校がいくつあるかは知らないが、こうして自分の考えをしっかり述べる校長をはじき出してしまうとは・・・。いっしょに立ち上がる校長は、一人もいなかったんでしょうか。
我々一般人から見ると、教育委員会という組織はかなりの脅しのテクニックを持っているとしか思えない。どんな手を使えば、こんなに多くの校長を一度に黙らせることができるのか。前から、ふしぎでふしぎで。
裁判員制度はやめて、教育委員制度にしたらどうでしょう。(抽選で当たった人が教育委員会の仕事をする。)
裁判員のほうはごめんこうむりたいけれど、そっちならしてみたい気もします。
とりあえず、土肥さん。あなたはひとりじゃない。何の役にも立ちませんが、私は京都の片隅からエールを送り続けます。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
2008年10月21日(火)
近江大橋LSD・懇親会 [ランニング]
「やまとの湯」に到着したのが、ちょうど1時ごろ。スタート前にいただいた予定表には、「12時半までにお帰り下さい。」と書いてあった。
私が宴会場に入ると、すでに半分くらいの人がおふろから上がっておられ、早くもジョッキをグビグビと。
「いやー、みなさんてっきり3周走ってはるもんやとばっかり・・・。」
「3周は、渡辺さん兄弟がかなりのスピードで行かれ、最後藤井さんの一人旅やったみたいです。」
「ほーでっか。やっぱり。」
「まだ宴会始めるまで30分ほどあるさかい、おふろ入ってきてください。」
「すんませーん。急いで入ってきます。」
おふろから上がると、ちょうど宴会開始時刻。今日は、豚シャブです。飲み物は、チケット4枚。セルフだそうです。
(注)以下、宴会の様子を紹介しますが、これはあくまでも個人のブログ。クラブの広報ではありません。写真や文章にかたよりがあると思いますが、それはかんにんしてください。
京都ランナーズ会員番号5番、古参会員である武内満男さんの乾杯の音頭。
武内さんとは、今年の夏、滋賀反核平和マラソンの時お会いした。
「武内さん、お聞きしたいことがあるんですけど・・・。滋賀反核平和マラソンね、中抜きばっかりで全然走れませんでしたやん。京都もあんなんですか。」
「いや、そんなことないで。だいぶ前は競争みたいな感じやったんやけど、今はゆっくりの人も走れるペースで行ってるでー。」
「そら、いいですね。ボク、滋賀のん行って、ちょっとがっかりしましたわ。全然走らしてもらえへんにゃもんね。」
「そうや。各市役所でのセレモニーが多すぎるわなあ。キロ4分で走っててゆわれた時は、まいったわ。」
武内さんは、もう65歳を越えておられるが、たぶん今も私より速い。いくつになっても、精進しておられる感じがします。
お一人お一人の自己紹介。
私と私の隣の谷村さんは、浦島太郎状態。
「あの人、誰でしたっけ。」
「あの人、顔は見たことあんにゃけどなあ。名前が・・・。」
二人とも竜宮城での生活が長かったもんで。
「藤井君、ところで君は、サブ3したんか。」
「そんなもん、できますかいな。」
「なんやなー、もったいない。君やったら、軽々サブ3行けるで。いつの間に、そんなしりのへんでかなったん。今からでも体しぼったら、サブ3ねらえるで。」
「練習なしでサブ3は、何ぼなんでも無理でしょう。平日は一切走ってませんし。」
「ほんまかいなー。もったいない。練習する気ないんかいな。」
「今日来てはったでしょう、京都ランナーズのホープ・外峯さん。あの人ががんばってはんのん見て、ちょっとがんばってみようかなー、とか思ったりして。」
「藤井君、あの人はなあ、実績のある人の言葉しか聞いてへんで。藤井君、相手にしてもうてへんのんちゃう。」
「そうですねん。ボクは、もっぱら、おちゃらけ担当で・・・。」
「ところで、眞寿美さんは・・・。」
「バージョンアップしてまっせー。毎日、離婚の危機ですわー。『何で、アンタここにいんの? はよ、出て行ってくれへん。』って、毎日言われてますねん。いつ追い出されるかビクビクしている毎日ですわ。」
「そうかー。でも、藤井君が眞寿美さんと結婚したかったんやろ。」
「はい。」
「それやったら、毎日ビクビクしながら生きて行き。それで、ええやん。」
「そう言われても・・・。」
このあとも、いろいろな話をいっぱいしたが、三途の川から生還したオッサンと、ヨメさんこわーてたまりませんオッサンの会話はこれくらいでかんにんしたろ。
次に、私の自己紹介。
「谷村さんの弟子の藤井です。
今日、谷村さんにお会いして、『この世の別れになるかも知れんし、いっしょに写真撮っときましょ。」ってゆったんです。そしたら、谷村さん、何にも言い返さらへんかったんです。いや、こら、ほんまに危ないぞーと思いました。たぶん、2、3年後、谷村さんはこの世にいやはらへんと思います。(爆笑)
私んとこ、京都キャロットというランニング用品店やってまして、私はブログを書いてます。今日のことも書く予定ですので、よかったら見てください。
私は、平日一切練習なしでレースばっかり出ています。練習なしで、まじめに練習している人に一泡吹かせる、それが今の私の目標です。」
(しょーもないことゆうとんなー。)
みなさんのお話し中、私は何回も壁に向かってストレッチ。すんません。またもやこぶらがえりです。
今日のLSDの実行委員長的な存在であった橋爪さん。
すんません。お顔は存じていたのですが、初めてお名前が分かりました。
69歳だそうです。めっちゃお元気。人あたりがよく、お話もじょうずそう。
今日、3周(36km)は渡辺兄弟と私の3人だけ。1周(20km)以下が5人。残りの12人が2周(28km)だったようだ。
細井さん、登場。
「今日は、外峯さんが、どーしても僕と走りたいと言わはるもんで、ずっといっしょに走らせてもらいました。と言うのは、ここだけの話で・・・。」
「藤井君、今のん『パオパオだより』に書きやー。」と谷村さんからの指令。
「ははー。」
「外峯さんと細井君、ええ感じやったやん。二人引っ付けたらええんちゃうん。」と谷村さん。
「そら、あきません。二つの家庭が崩壊してしまいます。両方子どもいやはんにゃから。」
「そうかー。そら、知らんかった。」
細井さんは、42歳。きっと、外峯さんとも歳が近いから話が合うんでしょうね。
初代さん。
「途中でマクドを見つけたので、思わず入ってしまいました。私のLSDのDは、ディスタンスのDではなく、ディナーとかそっちの方面のDです。」
ええ味持っとるなあー。
最初、しばらくトップ引っ張ってはったもんなあ。私とちょっとキャラかぶる?
池田一夫さん。
京都キャロットのホームページを見て、京都ランナーズの存在を知り、今年の初め入会されたそうだ。ありがたい。
「なんか、前からお会いしていたような・・・。」と言うと、「そうかも知れません。」とのこと。
今、43歳だそうです。京都ランナーズの中では若手です。
このころ、私は生ビール4杯目。
あれ。こんな飲めたっけ。
いつもなら、2杯でベロベロ。3杯で、気分わるー。4杯で、ゲロゲーロ。
ところが、今日はだいじょうぶ。眠くもならへんし。体質変わってしもたんかな。
お開きになり、「やまとの湯」を出ようかなという時、売店で8個1000円の柿発見。私が買うと、「ワシもこうとこ。」という同調者が。
「なんか持って帰らんと、ヨメはんが・・・。」みなさんたいへんです。
駅に向かう道で、初代さんとの会話。
「藤井さん、ブログで『外峯さん、大好き』とか書いてはるでしょう。そんなん、奥さんOKなんですか。」
「大好き」って書いた覚えはないんやけど、読む人によってはそういうふうにとれるんかなあ。
「全然だいじょうぶです。ボクよりも、ヨメさんのほうが外峯さんのこと気にいってんにゃから。」
「はー。」(絶句ですな。)
LSDとはまったく関係ないのですが・・・。
京都駅から地下鉄で「国際会館」駅。そこから、「市原」行きのバスを待っている時の話。
だいぶ待って、やっとバスが来た時。私のすぐ横にいたお母さんと小さな男の子。男の子が、おしりをクネクネ。
「オシッコ? バス乗ったら、15分くらい降りられへんよ。次のバスにする?」
お母さん、それ無理です。この子、15分の感覚も分からへんし、次のバスの意味も分からへんと思います。
その時、横から、「小っちゃい子やし、そこらでしたらええやん。」の声。おばあちゃんの二人連れでした。
私も、「そうそう、そこらでしやはったら。まだ間に合いますよ。」と加担。
二人は近くの草むらへ。
「ジョンジョロリン、ジョンジョロリン。」
小さな子は、さっぱりした顔でかえってきました。セーフ。これで、また20分待たんでもよくなった。
「よかったね。」
「よかった、よかった。」
私とおばあちゃんらは、拍手でもしたくなるくらいの勢い。
小さな子をみんなで見守ってあげる余裕のある社会でありたいですね。
(すいません。あんまりかわいいので、その子の写真を勝手に撮らせてもらいました。お母さんは、「よーちゃん」と呼んでおられました。)
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
【 過去の記事へ 】