パオパオだより

2008年10月10日(金)

高間悦子さんを取るか石井慧選手を取るか [沖縄]

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いく手を決めるのは、いつもきく

 11月3日(祝)に、二つのイベントかかさなってしまった。

 一つは、「石井慧選手 北京オリンピック祝勝会」。場所はホテルニューオータニ大阪。会費はちょっと高いが、場所が場所だけにこれはしょうがない。
 オリンピック金メダルの選手の祝勝会に招待されるなんて、一生に一度あるかどうか。行きたい。
 石井慧選手にも会いたいが、それより祝勝会の案内を出してくださった泉さんに会いたい。北京の応援ツアーの時、泉さんのニコニコ顔でいつも楽しい気分でいられた。
 泉英治さんは、石井慧選手の父・義彦氏が高校教師として天王寺高校で最初に教えた教え子の一人だそうだ。もう25、6年前のことだと思うが、そんな教え子といっしょに海外旅行が出来る石井義彦氏は幸せ者だと思う。泉さんだけでなく、応援ツアーに来られていたメンバーはみんないい人たちだった。
 でも、今度は応援ツアーの時のようにお気楽なメンバーばかりではないだろう。きっと、お偉いさんも来られるのだろう。ジーパンでは行けへんよなあ。
 それに最近の「プロ格闘家転向」騒動。ちょっとなあ・・・。

 もう一つは、「佐渡山豊in琵琶湖ライブ」。場所は滋賀県栗東市。 
 滋賀・沖縄県人会の高間悦子さんから案内をいただいた。(高間悦子さんについては、1/22、2/3のブログ参照)
 お手紙の内容は以下の通り。
 「藤井さん
 ご無沙汰しております。
 去るコンサートにおきましてはありがとうございました。
 せっかく来て頂きましたのにお話しする間もなく残念に思っておりました。
 今回は同封のチラシのとおり沖縄出身の講師とミュージシャンを中心に無料コンサートを企画しましたので、ご家族お友だちをお誘いし聞きにいらしてくださいな。
 また今回もスタッフで動きまわってますのでお話しする間はないかと思いますが、いらして頂けましたら声を掛けて下さいね。
 まずはご案内まで。
                                  たかま   」

 このお手紙は効いた。

 2006年5月、高間さんにお会いしていろいろ沖縄のお話を聞いてから、私の沖縄マイブームが始まった。ここから年に2回も3回も沖縄に行くようになるとは、私自身も想像もつかなかった。

 やっぱり、現時点では、石井慧選手より高間悦子さんの勝ち!
 「石井慧選手祝勝会」の方に欠席のファックスを送ったあと、高間さんに電話。参加の旨を伝えると、すごくよろこんでくださった。電話の終わりのほうで、気になっていたことを聞いてみた。
 「2月にお顔を拝見した時、以前よりすごくやせられているように思って、心配してたんですが・・・。」
 「そうでしょう。体調くずしちゃってね。実は、しばらく沖縄に帰っていたんですよ。沖縄でいろいろ活動してたんですけどね。やっぱり、滋賀の沖縄県人の駆け込み寺的なものをなくしちゃった感じがしてね。体調もだいぶよくなったので、去年の8月、また滋賀に戻ってきたんですよ。」
 「あらー、そうやったんですかー。だいじょうぶですか?」
 「ええ、今は元気ですよ。今度のコンサートでも三線で出ますから。」
 「よかった。楽しみにしています。」

 と言うわけで、私は、柔道オリンピック金メダルよりも沖縄を選びました。

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きくの鼻と花がかさなってるし

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2008年10月09日(木)

絵しりとり [家族]

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 真剣に授業に取り組んでいない中学生がいる。
 授業中に、3人で絵のしりとりをしてまわしている。そのうちの一人は、うちの真樹。
 どうか、このブログを真樹の中学の先生が見ていませんように・・・。

 真樹は、小学校は学年一人。学級は、1年上の4人か1年下1人のどちらかといっしょの複式学級だった。少人数学級のいいところは、落ちこぼれようがないところだ。
 今は40人近いクラスが7組まで。学年250人の中の一人になってしまった。成績がちょっとずつちょっとずつ落ちていっているようだ。
 心配した母親が、家庭教師の先生に来てもらうことにした。も一つ勉強の仕方が分かっていなさそうな兄・廉もひっくるめてみてもらおうと思って。

 この案を、廉は受け入れ、真樹は反発。
 廉は、一応お勉強の世界で自分を生かしていこうと思っているのかな。真樹は、そんな気持ちはさらさらなさそう。
 今、家庭教師の先生は二人分の時間を廉に使っている。(廉はちょっとフラフラ状態。)

 「勉強ばっかりしてたら、アホになる。」
 これが私の持論である。真樹もこれを友だちにいいふらまわして、みんなからうらまやしがられている。
 本当は、「勉強だけでなく、いろんなことを自分の目で見て感じて幅広くたくましく育って欲しい。」と言う意味でゆってるつもりなんやけど・・・。まっ、いいか!

 そんな私の優柔不断な態度に、ヨメさんはブチ切れ。
 「私が子どもらのこと考えて、いろいろ手をつくしてんのに、アンタがみんなブチこわすー!」
 すんません。そんな気は全然ないんやけど、結果的にはそうなってんのかなあ。
 ただ、真樹は、勉強のことに一生懸命になってるかあちゃんを見て、「らしくない!」ととまどっていることは確かみたいよ。

 今日も、体育祭の話になった時、真樹、ええことゆうとったがな。
 「黄色の応援パフォの中に、ものすごく足の遅い人がいやはったんやけどなあ、リーダーの○○君えらいんやでー。最後、あの子について退場門までいっしょに走ってはったし。」
 「ああ、見てた見てた。あの子も一生懸命走ってたやん。そら、かっこいい男の子にいっしょに走ってもろたらがんばるわ。」
 その子は、9組(育成学級)の女の子。この3月まで小学生で、うちの近所の子なので、きくの散歩の時よく顔をあわせた。

 こんなことに気づき、それを家で話せる子は、お勉強のようできる子よりえらいと思うんやけど・・・。
 「甲斐ない、甲斐ない」ばっかりゆうたらんとき、なあかあちゃん!

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2008年10月08日(水)

石井義彦氏 [石井慧選手関連]

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8月15日夜、石井慧選手祝勝パーティーでお礼を述べられる石井義彦氏

 昨日、石井慧選手の記者会見があった。
 スポーツ新聞1面に大きく出た「石井、プロ格闘家へ」は、一応否定。「今は、とにかく大学卒業を第一に。その後のことはゆっくり考える。」という趣旨だった。
 ただ、4年後のロンドンオリンピックはおろか、来年の世界選手権も目指すつもりはないという感じでもあった。

 それを見ていて思い出したのが、石井慧選手の父・義彦氏のことだ。
 今回の北京オリンピックでは、私は石井慧選手の母・美智子さんを通して応援ツアーに付け加えてもらった。しかし、実際にツアーのいろいろな手配などをされていたのは義彦氏のようであった。
 ツアー中も、参加者が楽しめるよう、しんどくならないよう、いろいろと気を使われていた。

 そして、ツアーの最後の方に言われた言葉、「また、みんなで行こうや」。
 私は柔道に関してはまったくの門外漢だが、お金さえなんとかなるものならまた来たい、と本気で思った。
 関空でお別れするときも、義彦氏のほうから私に近づいて来られお礼のごあいさつをされた。迷惑ばっかりかけていたのに、恐縮しました。

 ちょっと見かけが恐いっぽい顔(すいません!)で、しゃべり方もぶっきらぼうなので、初対面ではちょっと心配だった。しかし、時おりニコッとされる顔がなんとも人なつっこく、ワンパクぼうずがそのまま大きくなったようにも見えた。気を使って、私にもよく話しかけてきてくださった。
 さまざまなおもしろいお話をしてくださったのだが、残念ながらここには書けません。(石井義彦氏も、奥様と同じく現役の高校の体育の先生です。)

 奥様の美智子さんにお聞きした話。これは公開してもいいでしょう。
 お二人のなれそめは・・・。
 お二人は同じ大学の先輩後輩で、同じお好み焼き屋さんに(別々に)よく行っていたらしい。そこのお店おばちゃんが美智子さんに、「いい人知ってるし、紹介するわー。」と言われて会ったのが初めだそうだ。
 石井義彦氏は、じょうだんめかして全然ちがうなれそめを話してくださったが、「これはよそでゆうたらあかんでー。」
 ツアーの3日間ごいっしょさせてもらっただけですが、本当に仲よしの、いいご夫婦に見えました。

 だから、「石井、プロ格闘家へ」というニュースは、よけいショックでした。昨日のブログで、「お父さんお母さんは、どう思っておられるのかな。」と書いたのは、お二人が決してプロになることを望んでおられないと思ったからです。
 石井義彦氏は、石井慧選手が金メダルを取った直後も、世界の選手の分析をされていました。済んでしまったことより、次の試合に目を向けておられたからだと思います。世界選手権やロンドンオリンピックのことも話題に上っていました。
 石井慧選手の北京柔道金メダルを一番確信されていたのが、父の義彦氏。そして、4年後のロンドンオリンピックも当然目指すものと思っておられたにちがいない。

 そして、今日。
 石井義彦氏が、フジテレビの朝の「とくダネ」のインタビューに答えておられた。
 ヒゲをきれいに剃られ頭も丸められ、北京ツアーの時に比べると少し疲れておられるような表情だった。
 話の内容は・・・。
 本人と直接話していないので、一連の報道の内容についてはよく理解していない。しかし、本当に本人がプロに行くことを希望しているなら、大学を卒業してからよく考えて決めさせたい。

 少しふりしぼるような言い方にも見えた。親の心子知らずというような感じでもあった。

 親を喜ばすために柔道を続けてきたわけではないだろうけれど・・・、石井慧君、お父さんお母さんとはきっちり話をしてね。

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2008年10月07日(火)

石井慧選手記者会見 [石井慧選手関連]

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会見する石井慧選手。手前は斉藤仁全日本監督=東京都世田谷区給田で2008年10月7日午前10時7分、須賀川理撮影

■毎日新聞 2008年10月7日 11時16分(最終更新 10月7日 11時59分)

 柔道:石井慧選手「プロ格闘家転向、ゆっくり考えたい」

 北京五輪柔道男子100キロ超級金メダルの石井慧(さとし)選手(21)=国士舘大4年=が7日、東京都内の国士舘大柔道部寮で記者会見し、「総合格闘技に関しては将来行ってみたいという興味はあるが、今は卒業のことで頭がいっぱい。これから振り出しに戻って考えていきたい」と述べ、柔道を続けるかプロ格闘家に転向するか迷っていることを明らかにした。

 結論を出す時期については「焦ってもよくないのでゆっくり考えたい」と区切らず、全日本柔道連盟の強化指定選手の辞退届を近日中に出す考えはないことを明言。仮に転向する場合でも「(時期は)30(歳)で行くかもしれないし、それは全然分からない」と述べた。一方で「指導者として柔道界に残るのはないと思う」と、将来的に転向する可能性が高いことも示した。

 石井選手は5日に吉村和郎・全日本柔道連盟強化委員長に「将来、(プロ格闘技に)行ってみたい」と伝えたことも明かした。吉村委員長は6日に「向こう(プロ格闘界)へ行きたいのだろう。次のロンドン五輪は考えられない」と、強化選手から排除する意向を示していた。【来住哲司】

◎どうも腑に落ちない。
 北京オリンピックの石井慧選手応援ツアーのかえり、石井慧選手の父・義彦氏が、「来年の世界選手権(オランダ)も、また、ツアー組んで行こかー。」とおっしゃっていたのに。
 「わし、ツアコン(ツアーコンダクター)できるやろう。」ともおっしゃっていて、ノリノリの感じだったのに。(北京ツアーは、石井義彦氏が計画し手配の指示などもされていたようだ。おかげさまで、私たちは格安で楽しい旅行を味わわせてもらった。)
 それが今日の記者会見だと、すぐプロに行くわけではないが、来年の世界選手権は目指さないというニュアンスであったようだ。
 なんでー。北京の応援ツアーの参加者はこのツアーが楽しかったので、次もけっこう期待してたのに。ツアーのお金どうしょとか、私もまたたくらんでたのに。
 まっ、これは本人の将来とは関係ないか。応援ツアーのメンバーのために柔道がんばっていたわけやないもんね。
 お父さんお母さんは、どう思っておられるのかな。

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2008年10月06日(月)

きく、へん顔 [わんこ・にゃんこ]

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朝のきく

 昨日の夜から、きくがまた元気がなくなった。
 今日の朝、いつものように散歩に行こうとしたら動かない。あんな散歩の好きなきくちゃんやのに・・・。
 顔がへん。目の下にくまができているようにも見える。
 きくの前に飼っていたエリちゃんも、へんな顔になって、そのあとけっきょく手術になってしまった。きくちゃーん!

 11時ごろになって、やっと散歩に行く気になったみたい。草が茂っている空き地まで来て、「きくちゃん、草ぬれてるし、かえろっか。」と言ったら、「こっちのアスファルト道、行かせてもらいまっさー。」とのこと。よかった。元気出てきたんやー。
 ヨメさんに言わせると、犬に話しかけたらあかんらしい。常に命令口調でないといけないらしい。犬は順位が下のほうが楽に生きていけるそうだ。

 夜帰ってきたら、きくの調子がだいぶ戻っていた。よかったー。ガウガウもゆうてくれはる。これでないとね。

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夜のきく

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2008年10月05日(日)

京都走ろう会例会(10月第1日曜) [ランニング]

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井上孝夫さん(会員?493)

 今日、京都走ろう会の井上さんから声をかけられた。
 「木彫りの展覧会があるし、よかったら来て。この入場券で入れるし。」
 井上さんといえば、ハンコ屋さん。そのお仕事も、70歳を区切りに去年やめられたそうだ。以前は、愛犬ルルちゃんを連れて来ておられたが、最近はお一人で役員さんのお仕事に来られている。
 その井上さんが、木彫りを趣味にしておられるとは知りませんでした。私も、若い時木彫りが好きでちょっとだけやっていた。そのにおいがして、わざわざ声をかけてくださったのかな。
 井上さんの作品は、3点出品されるそうだ。
 ぜひ、行かせてもらおう。

 「第15回 キツツキ会木彫工芸展」

とき  平成20年11月6日(木)〜10日(月)
 午前10時〜午後5時、但し10日は午後3時まで。
ところ 相国寺 承天閣美術館 2F
    京都市上京区今出川通烏丸東入
    電話 075-241-0423

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スキー部の若者たち

 朝、いつものようにビブレの駐車場に車を置き出雲路橋へ。
 鴨川を見ると、ビブスをつけて走っている若き男女が。一人もランシャツランパンではないが、けっこう速い。どうも駅伝をやっているようだ。
 後で聞いて分かったが、京都のスキー部の交流駅伝だった。そういえば、うちの廉も、中3の時オープン参加で出してもらった。(廉は、花背第一中スキー部のクロカン選手で全国大会に何度も出ています。)

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賀茂川パートナーズ

 その後ろからは、視覚障害者のランナーと賀茂川パートナーズの二人連れ。
 前から思ってるんやけど、バイクを入れんなとか、バーベキューすんなとかというしょーもない鴨川条例。何でもかんでも禁止にしたらいいちゅうもんちゃうで。
 「視覚障害者のランナーのみなさんが、気持ちよく走れる鴨川にしましょう。」くらい条例に入れられんか。
 府会議員さん、一度日曜日に鴨川を走ってみてください。いろいろなものが見え、認識を新たにしますよ。

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エノキの木陰で雨宿り

 今日は朝から雨模様。
 ヨメさんが、「今日は、走ろう会、行かへんの?」
 「行くにきまってるやん。走りに行くというよりもしゃべりに行くねん。走ろう会の人はええ人ばっかりやから。なんかなあ、温泉につかってるみたいやでー。」
 「そうやろなー。」
 さて、温泉のようなランニングクラブとはいったい・・・。興味のある方は、ぜひ一度来てみてください。

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 今日は7、8、9月とお休みだった10kmが再開。 
 私は、昨日の大阪城5時間走で45km走ったので足がメロメロ。でもせっかくなので10kmを走ることにした。ゆっくりランナーの松若さんも走られることだし。
 「みんなでゆっくり10km走りましよう。」と呼びかけたら、初めは私と松若さんだけだった10kmの参加者がちょびちょび増えていった。

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「おこしやすマラソン」ゴール地点

 走り出すと、やっばり足が重い。足に重りをつけて走っているみたい。今日は、1時間切ったら良しとするか。

 加茂大橋西詰に大勢の人だかり。何かと思えば、「京都鴨川おこしやすマラソン」。雨だというのにすごい人数だ。

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荷物預かり所はすごい人だかり


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スキー部のみなさん

 丸太町橋を折り返し戻ってくると、またスキー部の団体に出会った。かなりの人数だった。マラソンに直接関係ないクラブでも、こうして駅伝を楽しんでもらえたらうれしいことだ。

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計時担当の幹事さん

 いろんな人がいろんな目的で走る。中にははっきりとした目的もなく走っている人もいる。それはそれでいいでしょう。人それぞれですから。

 出雲路橋に戻ったころ(4.8km地点)は、3人グループに。先頭梅村さん、2番手阿加井さん、3番手私。
 この時点で、27分13秒。これは10km55分越えるかも。

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塚本政流さん

 御薗橋の折り返しは、いつもの塚本さん。
 スタート前の話。
 「昨日なー、西京極で小学生の陸上競技大会があってなー。朝8時から夕方6時までびっちりや。監察でな。しんどかったわー。女の子は少ないんかなと思たら、このごろは女の子も男の子とおんなじだけ出とるな。そんでまた、親が必死で。西京極の客席にあんなぎょうさん人がおんのん初めて見たわ。」

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「松若さん、にっこり!」 成功です

 今日も私の大好きな平田邦子さんが来ておられた。
 スタート前、「ボクの一番好きなランナーは平田邦子さんです。」と告白した。
 「いやー、ありがとうございます。でもね、8年前に母が倒れてからほんんど走ってないの。どうしてもそんな気になれなくて。」
 「でも、こういう場に顔を出してはるってゆうことはいいことですよ。また、走りたくなるかもしれませんやん。」

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平田さんもにっこりです

 平田さんのダイナミックなランニングフォーム、また見てみたいなあ。

 松若さんとすれちがうたびに、「松若さん、にっこり!」と掛け声をかけた。見事、成功。
 松若さんだけでなく、平田さんやそのほかの人たちもにっこりしてくれはった。ええやんねえ、このふんいき。

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梅村さんの小さな背中

 さて、レースのほうは・・・。
 阿加井さんはなんとかかわすことができたが、梅村さんは二度追いつきまた離されてしまった。特に御薗橋(7.4km地点)の折り返しのあと、すごいスピードで、あっと言う間に背中がどんどん小さくなってしまった。
 けっきょく、ゴール地点では200mくらいの差。やられてもたー。

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来たー! ワッショイ軍団

 私のゴールタイムは、54分44秒くらい。1時間切れたらいいと思ってたので、まあいいか。
 梅村さんは53分台。やりましたねー。
 さあ、最終ランナーの松若さんの応援に行かねば。
 「来たー!」
 京都走ろう会名物、最終ランナーといっしょにワッショイワッショイ。
 私も、一回はこれを経験してみたい。

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