2008年10月13日(月)
第12回京都鴨川ゆっくりラン [ランニング]
今日のトップ写真は、敬意を表し実行委員長の太田武志さん。
スタート前に声をかけられた。
「藤井さん。藤井さんのブログ(4/29)を見て申し込んでくれはった人が何人もいやはんねん。ありがとうな。」
「いやー、そうなんですか。そうゆうてくれはったら、ボクもうれしいです。」
「それから、デコボコ道のことやけど、土木事務所、土入れるて約束したのに入れとらへんねん。これは、最初に参加者の皆さんにあやまっとかなあかん。」
「あらー、そうやったんですか。8月でしたっけ、『土木事務所にかけあいに行ってきたわー』ってボクに電話くれはりましたよね。」
「そうや。その時はええ返事もろたんやけどなあ・・・。」
「そら、なかなか動きませんて。でも、こんなたくさんの人が利用してる場所やのにねえ。」
「ほんまや。わし、また、言いに行くわ。」
第10回(昨年12/24)はあいにくの雨で、その時出雲路橋の南側に水たまりがたくさんできていた。走り終わったあと、そのことを太田さんに言っておいた。その事後報告の電話を私にくださったのだ。
私やヨメさんは、大会に出たら、できるだけ自分の気づいたことを主催者さんに伝えるようにしている。どの大会でも、それをありがたがってもらえる。中にいる自分たちではなかなか気づかないことを、よくぞ指摘してくださったという感じなのかな。そういう姿勢を忘れない大会は、参加者の評判もいいように思う。
受付の横には、太田さんの、「参加者のみなさま」というチラシが置いてあった。私は、朝、それにまったく気づかず、帰り際太田さんに言われてもらって帰った。特に告知がなかったようなので、見ないまま帰ってしまった人もいるかもしれない。そんな人たちのためにも、一部を紹介します。
「〜〜太田の雑感、独り言〜〜」の4番目
私は今年、参加した種目→200M、5K、10K、ハーフ、フルマラソン、50K(来年は100Mと100Kがメイン)。サロマ湖100Kは、約20年前3回走りました。楽しくなかったから、随分、サロマ湖は走っていません。今年は、遊び半分で50Kに参加しました。
10Kを過ぎて、横道を逸れて、高い所からサロマの北の大地を眺めました。雄大で、とても美しかった。コースに戻り、景色ばかりを見ながら走りました。のんびり走って楽しかった。
39Kを過ぎて、後11K、さあ、頑張って走ろうと思った瞬間、狭い橋で行き交うランナーに押されて、転倒、出血。消毒をしたが、出血で貧血。しかし、自分に負けてなるものかと、フラフラになりながらも、必死にになってゴールイン。
京都に帰って、年代別4位と解る。3位迄が入賞、表彰。何となく、悔しくなった。しかし、押されるのも実力、転倒も実力、まさかは、いつも、どこにもある。全ては実力-日常が全てと思いました。
私は、この夏、よくトレーニングしました。やっと、800×10回、200×15回、走れるようになりました。来年は楽しいサロマ100Kとなるよう、京都の名所旧跡(2000ヶ所)を、朝から夕方迄、明るい間に訪れて、見物しながら走るのを楽しみにしています。〔サロマ湖100Kの為、〜Kを走っておかないといけないとか、何時間走っておく必要があるとか(雑誌に載っています)そんな義務感や必要感で走ると楽しくない〕私は、義務感や必要感で走るのではなく、走るのが好きだから、故障もなく、楽しく走れるのでしょうね。
ちょっと私に似ています。(ただ、私の一まわり上だけあって、いろいろなことに拍車がかかっています。)
上の文から、太田さんがどんな人なのか想像してみてください。私が知る限り、自分だけでなく、多くの人に楽しく走ってもらいたいと常々思っておられる方です。
さあ、もうすぐスタートと言う時、土手の上にかわいいワンちゃん発見。写真、写真。
「ミュウちゃん、メス、4歳」
おばあちゃんがシベリアンハスキー。その血を受け継いで、背中にシルバーの模様。目も青かった。
スタート前のランナー紹介。
今回は、北海道札幌市の酒井さん。お歳は75歳を越えられている。
以前から太田さんのことを知っておられ、今年のサロマで感激の(?)初対面だったそうだ。
「前からワシのことは知ってくれてはったらしい。」
「あー、京都に変わったオッサンおるでーってですか?」
「いやいや・・・。サロマでおうた時、『太田さーん』ゆうて、抱きついてきやはったんや。びっくりしたで。今日は遠いとこ、よう来てくれはったわ。」
一部の人は、1時間前の9時スタート。
私も含めその他大勢は、10時一斉スタート。
スタート前から、たくさんの人としゃべった。昨日京都ランナーズの例会であったばかりの吉川さん、池田さんともお話した。
「藤井さん、昨日の子も走りに来てるし。」と吉川さん。(例会初参加の19歳のめっちゃかわいい人のことです。)
おお、これは走る楽しみが増えたわい。
今回も、水戸さん、矢瀧さんが、しっかり太田さんを支えておられる。
私たちの目には直接見えない準備段階から、当日の運営、後かたづけまで。本当に頭が下がります。これだけ人数が増えた大会を、少人数で運営されているところがすごい。
太田さんがコース全般の安全管理、水戸さんが本部付近の管理とゴール写真、矢滝さんがエイドステーションの管理という感じの役割分担であった。
この3人がお元気なうちは、この「京都鴨川ゆっくりラン」は安泰であると思う。
(注)まだ、続きます。
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2008年10月12日(日)
京都ランナーズ例会(10月第2日曜) [ランニング]
御所、梨木神社前でスタートの準備をしていると、ウォーミングアップ組が戻って来た。
「藤井さん、ちょっと・・・。」吉川さんから、声をかけられた。
「あの子うちの近所の子で、『一回来てみる?』ってさそってみたんや。」
「いやま、かわいい人ですやん。」
「うん、19歳で、うちの娘と歳変わらんにゃけど・・・。まあ、それはどうでもええことで・・・。」
「いや、そこ大事なとこですよ。」
「あの子、新しいランニングシューズが欲しいらしいんやけど、どこで買ったらいいか分からなくて。キャロットさんで見てあげてくれる?」
「はい。ありがとうございます。あとで、名刺渡しときますわ。」
走り終わったあと。
「吉川さん、彼女速いですやん。」
「そう。高校の時、陸上部やったらしい。短距離やけどね。」
「あー、そうなんですか。そら、例会にもじゃんじゃん来てもらわんと。」
「でも、京都にいるのはあと半年なんや。学校卒業して、岐阜に帰るんやわ。」
「そら、残念。ブログに、『こんなかわいい人も時々来られます』って書こうと思ってたのに・・・。」
その時、横から、「時々じゃなくて、『いつも来られています』って書いときなー。」
「いや、それしたら、『おとり広告』になってしまうし、あきませんでー。」
「京都におられる間に、また例会に来てくださいね。」
「はい、ぜひ。」
まあ、なんてさわやかな。(彼女は、平成生まれだそうです。)例会に、こんな人たちがどんどん増えていってくれたらいいのになあ。
秋晴れのいいコンディションであったが、ちょうど地域や学校・保育園などの運動会と重なった人が多かったようで、参加者はさほど多くなかった。(冨田会長も、お孫さんの運動会のため、例会はお休み。)
今日は、申告タイムレース。御所一周の申告タイムに近い人から6人くらい、商品が出ます。
こういう時は、できるだけあとだし。自分のレベルに近そうな人の申告タイムをカンニングしてから、自分のタイムを申告。
今日は、木村さんの18分30秒を追いかけてっと。100mほど遅れの18分50秒でどうかな。
スタートすると、あっという間に最後尾あたりに置いていかれてしまった。とりあえず木村さんを探し、視界から消えないように追う。
中間2km地点あたりでは50mくらいの差。これは思惑どおり。ただ、木村さんが一周18分半のペースで走ってくれているかどうか。まったく分かりません。
1周目ゴールは、80mほどさきに木村さんと保坂さん。木村さんが18分半なら、私は18分50秒くらいのはず。バッチリやん!
2周目に入ると、少し体が軽くなってきた。
寺町今出川を左折したところで、前を行くお二人に追いつく。木村さんをかわし、保坂さんの背後にぴったり。
烏丸通りに入り、KBS京都前くらいで保坂さんも追い抜く。やっぱり先週の5時間走が効いているのか。あまりしんどくならない
そのまま、軽快にゴール。タイムは、36分55秒。中6日あけると、足もかなり回復するもんや。8.2kmをキロ4分30秒平均で行けたことになる。上出来。
今日は1周の方が多かったようで、けっきょく木村さんが最終ランナー。レベル高! 40分で、全部終わってしまいました。
最後に、申告タイム賞の表彰。
木村さんの1周目は、18分14秒。私はその15秒遅れの18分29秒。
木村さんとの差はバッチリだったが、木村さんがちょっと早すぎた。でも、おかげさまで二人とも入賞。私は、かわいいタオルとソックスをいただきました。どうもありがとうございました。
「藤井さん、ブログ用の写真!」の声。
「すんませーん、写真撮らせてもらっていいですか。」
「はい、ありがとうございます。」
「吉川さん、紹介者ということでいっしょに。」
「かなんわ、藤井さんのコメントがこわい。池田さん、いっしょに入って。」
ということで、3人並んでパチリ。いい写真になりました。
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2008年10月11日(土)
イケメン整体師 [家族]
私には、専属の整体師がいる。
夜、11時半ごろ、二階の私の部屋に訪れる。
「パオパオ、マッサージしょうか。」
息子の廉が、きくを引き連れてやってくる。
まず、きくが私のふとんの上でひとあばれ。
そのあと、世間話(?)をしながら、イケメン整体師・廉のマッサージ。私はふろ上りの缶ビールでベロベロ。(少しのアルコールでベロベロになります。安上がり!)
廉の学校での話やテレビの話、私の好きなヤクルト(スワローズ)の話。しかし、半分夢の中。時々、まったく話のかみ合わない返事をしていることがある。
廉は、マッサージの腕を上げている。私のツボを全部知っている。これがあるから、私の足腰が持っているようなものだ。
私と廉ときくとのゆんたく。
こんな夢のような時間も、いつまで続くのかな。
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2008年10月10日(金)
高間悦子さんを取るか石井慧選手を取るか [沖縄]
11月3日(祝)に、二つのイベントかかさなってしまった。
一つは、「石井慧選手 北京オリンピック祝勝会」。場所はホテルニューオータニ大阪。会費はちょっと高いが、場所が場所だけにこれはしょうがない。
オリンピック金メダルの選手の祝勝会に招待されるなんて、一生に一度あるかどうか。行きたい。
石井慧選手にも会いたいが、それより祝勝会の案内を出してくださった泉さんに会いたい。北京の応援ツアーの時、泉さんのニコニコ顔でいつも楽しい気分でいられた。
泉英治さんは、石井慧選手の父・義彦氏が高校教師として天王寺高校で最初に教えた教え子の一人だそうだ。もう25、6年前のことだと思うが、そんな教え子といっしょに海外旅行が出来る石井義彦氏は幸せ者だと思う。泉さんだけでなく、応援ツアーに来られていたメンバーはみんないい人たちだった。
でも、今度は応援ツアーの時のようにお気楽なメンバーばかりではないだろう。きっと、お偉いさんも来られるのだろう。ジーパンでは行けへんよなあ。
それに最近の「プロ格闘家転向」騒動。ちょっとなあ・・・。
もう一つは、「佐渡山豊in琵琶湖ライブ」。場所は滋賀県栗東市。
滋賀・沖縄県人会の高間悦子さんから案内をいただいた。(高間悦子さんについては、1/22、2/3のブログ参照)
お手紙の内容は以下の通り。
「藤井さん
ご無沙汰しております。
去るコンサートにおきましてはありがとうございました。
せっかく来て頂きましたのにお話しする間もなく残念に思っておりました。
今回は同封のチラシのとおり沖縄出身の講師とミュージシャンを中心に無料コンサートを企画しましたので、ご家族お友だちをお誘いし聞きにいらしてくださいな。
また今回もスタッフで動きまわってますのでお話しする間はないかと思いますが、いらして頂けましたら声を掛けて下さいね。
まずはご案内まで。
たかま 」
このお手紙は効いた。
2006年5月、高間さんにお会いしていろいろ沖縄のお話を聞いてから、私の沖縄マイブームが始まった。ここから年に2回も3回も沖縄に行くようになるとは、私自身も想像もつかなかった。
やっぱり、現時点では、石井慧選手より高間悦子さんの勝ち!
「石井慧選手祝勝会」の方に欠席のファックスを送ったあと、高間さんに電話。参加の旨を伝えると、すごくよろこんでくださった。電話の終わりのほうで、気になっていたことを聞いてみた。
「2月にお顔を拝見した時、以前よりすごくやせられているように思って、心配してたんですが・・・。」
「そうでしょう。体調くずしちゃってね。実は、しばらく沖縄に帰っていたんですよ。沖縄でいろいろ活動してたんですけどね。やっぱり、滋賀の沖縄県人の駆け込み寺的なものをなくしちゃった感じがしてね。体調もだいぶよくなったので、去年の8月、また滋賀に戻ってきたんですよ。」
「あらー、そうやったんですかー。だいじょうぶですか?」
「ええ、今は元気ですよ。今度のコンサートでも三線で出ますから。」
「よかった。楽しみにしています。」
と言うわけで、私は、柔道オリンピック金メダルよりも沖縄を選びました。
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2008年10月09日(木)
絵しりとり [家族]
真剣に授業に取り組んでいない中学生がいる。
授業中に、3人で絵のしりとりをしてまわしている。そのうちの一人は、うちの真樹。
どうか、このブログを真樹の中学の先生が見ていませんように・・・。
真樹は、小学校は学年一人。学級は、1年上の4人か1年下1人のどちらかといっしょの複式学級だった。少人数学級のいいところは、落ちこぼれようがないところだ。
今は40人近いクラスが7組まで。学年250人の中の一人になってしまった。成績がちょっとずつちょっとずつ落ちていっているようだ。
心配した母親が、家庭教師の先生に来てもらうことにした。も一つ勉強の仕方が分かっていなさそうな兄・廉もひっくるめてみてもらおうと思って。
この案を、廉は受け入れ、真樹は反発。
廉は、一応お勉強の世界で自分を生かしていこうと思っているのかな。真樹は、そんな気持ちはさらさらなさそう。
今、家庭教師の先生は二人分の時間を廉に使っている。(廉はちょっとフラフラ状態。)
「勉強ばっかりしてたら、アホになる。」
これが私の持論である。真樹もこれを友だちにいいふらまわして、みんなからうらまやしがられている。
本当は、「勉強だけでなく、いろんなことを自分の目で見て感じて幅広くたくましく育って欲しい。」と言う意味でゆってるつもりなんやけど・・・。まっ、いいか!
そんな私の優柔不断な態度に、ヨメさんはブチ切れ。
「私が子どもらのこと考えて、いろいろ手をつくしてんのに、アンタがみんなブチこわすー!」
すんません。そんな気は全然ないんやけど、結果的にはそうなってんのかなあ。
ただ、真樹は、勉強のことに一生懸命になってるかあちゃんを見て、「らしくない!」ととまどっていることは確かみたいよ。
今日も、体育祭の話になった時、真樹、ええことゆうとったがな。
「黄色の応援パフォの中に、ものすごく足の遅い人がいやはったんやけどなあ、リーダーの○○君えらいんやでー。最後、あの子について退場門までいっしょに走ってはったし。」
「ああ、見てた見てた。あの子も一生懸命走ってたやん。そら、かっこいい男の子にいっしょに走ってもろたらがんばるわ。」
その子は、9組(育成学級)の女の子。この3月まで小学生で、うちの近所の子なので、きくの散歩の時よく顔をあわせた。
こんなことに気づき、それを家で話せる子は、お勉強のようできる子よりえらいと思うんやけど・・・。
「甲斐ない、甲斐ない」ばっかりゆうたらんとき、なあかあちゃん!
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2008年10月08日(水)
石井義彦氏 [石井慧選手関連]
昨日、石井慧選手の記者会見があった。
スポーツ新聞1面に大きく出た「石井、プロ格闘家へ」は、一応否定。「今は、とにかく大学卒業を第一に。その後のことはゆっくり考える。」という趣旨だった。
ただ、4年後のロンドンオリンピックはおろか、来年の世界選手権も目指すつもりはないという感じでもあった。
それを見ていて思い出したのが、石井慧選手の父・義彦氏のことだ。
今回の北京オリンピックでは、私は石井慧選手の母・美智子さんを通して応援ツアーに付け加えてもらった。しかし、実際にツアーのいろいろな手配などをされていたのは義彦氏のようであった。
ツアー中も、参加者が楽しめるよう、しんどくならないよう、いろいろと気を使われていた。
そして、ツアーの最後の方に言われた言葉、「また、みんなで行こうや」。
私は柔道に関してはまったくの門外漢だが、お金さえなんとかなるものならまた来たい、と本気で思った。
関空でお別れするときも、義彦氏のほうから私に近づいて来られお礼のごあいさつをされた。迷惑ばっかりかけていたのに、恐縮しました。
ちょっと見かけが恐いっぽい顔(すいません!)で、しゃべり方もぶっきらぼうなので、初対面ではちょっと心配だった。しかし、時おりニコッとされる顔がなんとも人なつっこく、ワンパクぼうずがそのまま大きくなったようにも見えた。気を使って、私にもよく話しかけてきてくださった。
さまざまなおもしろいお話をしてくださったのだが、残念ながらここには書けません。(石井義彦氏も、奥様と同じく現役の高校の体育の先生です。)
奥様の美智子さんにお聞きした話。これは公開してもいいでしょう。
お二人のなれそめは・・・。
お二人は同じ大学の先輩後輩で、同じお好み焼き屋さんに(別々に)よく行っていたらしい。そこのお店おばちゃんが美智子さんに、「いい人知ってるし、紹介するわー。」と言われて会ったのが初めだそうだ。
石井義彦氏は、じょうだんめかして全然ちがうなれそめを話してくださったが、「これはよそでゆうたらあかんでー。」
ツアーの3日間ごいっしょさせてもらっただけですが、本当に仲よしの、いいご夫婦に見えました。
だから、「石井、プロ格闘家へ」というニュースは、よけいショックでした。昨日のブログで、「お父さんお母さんは、どう思っておられるのかな。」と書いたのは、お二人が決してプロになることを望んでおられないと思ったからです。
石井義彦氏は、石井慧選手が金メダルを取った直後も、世界の選手の分析をされていました。済んでしまったことより、次の試合に目を向けておられたからだと思います。世界選手権やロンドンオリンピックのことも話題に上っていました。
石井慧選手の北京柔道金メダルを一番確信されていたのが、父の義彦氏。そして、4年後のロンドンオリンピックも当然目指すものと思っておられたにちがいない。
そして、今日。
石井義彦氏が、フジテレビの朝の「とくダネ」のインタビューに答えておられた。
ヒゲをきれいに剃られ頭も丸められ、北京ツアーの時に比べると少し疲れておられるような表情だった。
話の内容は・・・。
本人と直接話していないので、一連の報道の内容についてはよく理解していない。しかし、本当に本人がプロに行くことを希望しているなら、大学を卒業してからよく考えて決めさせたい。
少しふりしぼるような言い方にも見えた。親の心子知らずというような感じでもあった。
親を喜ばすために柔道を続けてきたわけではないだろうけれど・・・、石井慧君、お父さんお母さんとはきっちり話をしてね。
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