2008年10月29日(水)
それはないでしょ、高橋尚子さん [マラソン評論]
◎高橋尚子引退:会見での主な一問一答 (毎日新聞より)
「完全燃焼した」と笑顔で引退会見する高橋尚子さん=東京都千代田区のホテルで2008年10月28日午後5時28分、木葉健二撮影
28日、引退を表明した高橋尚子の会見での主な一問一答は次の通り。
−−11月の東京国際を回避して、次の大会に備える選択肢はなかったか
プロの練習をするには、ハイテンションを維持しなければいけないが、自分を追い込んでいけなかった。東京で走れなければ、後に延ばしても、繰り返しになるだけ。
−−小出監督と離れて大変だったのでは
監督の下を離れた時から大変だったわけではないが、引退はもっと早かったかもしれない。納得するまで走れたのは「チームQ」(高橋を支えたスタッフの愛称)があったからだと思う。
−−大会に出ないで、完全燃焼といえるのか
私は試合も練習も全力疾走。試合に出たから完全燃焼で、練習は違う、というのは価値観の違いだ。
−−ご両親にはいつ伝えたのか
一昨日、日本に戻ってから電話した。「よく頑張ったね」と、普段と変わらず穏やかに言ってくれた。
−−数多くの大会で一番の思い出は
アジア大会、シドニー五輪、ベルリンマラソンも、チームQとしての最初の試合も思い出深いが、マラソン2度目の名古屋国際で日本記録を出せたのが最初の転機だった。
−−応援してきた人への言葉を
陸上選手でよかったな、と思う。マラソン選手は「頑張れ」と声をかけてもらえるが、マラソンは一人では走れない。大会を支えてくれた人、道路を造ってくれた方にも「ありがとう」を言い、「頑張ってください」とエールを送りたい。
☆3/24「どしたん? 高橋尚子さん」の続きのようになってしまいました。
今回の引退会見については、人それぞれの評価があると思います。
でも私は、ひと言で言うと、「がっかりです」。
「どしたん?」の時にも書きましたが、ひとがまったく考え付かないような事(国内三大レース連続出場)に挑戦すると宣言した時は、すごいと思いました。私を含め、三流オッサンランナーは、その時がくるのが楽しみで楽しみで・・・。誰も3連勝など期待していないし、どちらかと言うと、どんな見事な負けっぷりを見せてくれるのかと期待していました。
それを、「全部やめます」てか。
「プロとしての走りができない」てか。
なんて、視野の狭い・・・。
そんなことなら、初めから「三大会連続出場に挑戦」なんて発表したらあかん。
逆に、ゆったんなら、断念する時ももうちょっと他に言い方ないんかという世界やね。
自分ひとり納得して、「満足です」と言われても・・・。
高橋尚子さんは、前にもファンをがっかりさせたことがある。
それは、アテネオリンピックの年の事であった。
「私は、アテネでオリンピック2連勝を達成し、次の年のサロマ湖100kmを走って引退します。」
世間ではオリンピックに出場できなかった事ばかりが取り上げられたが、私はサロマ湖に出なかったほうががっかりだった。
「いやー、高橋尚子が出るんやったら、10年ぶりにサロマ走るかー。」と本気で考えていたからだ。
オリンピックは選考会があるので仕方がないが、サロマの方は申し込みさえされたらたぶん出られたのに。ウルトラランナーには、おもしろい人が多いですよ。ほとんどの出場者が、人生での先輩でもあるし。(ウルトラランナーは50代が多い。) 案外そこで新しい発見があり、さらに大きく羽ばたけたかも知れないのに。おしい事をしましたね。
それと、もう一つ。
くどいようですが、「あきらめなければ、夢はかなう」という言葉。
今年の名古屋女子マラソンの結果を、どう総括されたのでしょう。
「あきらめずに努力を続けても、かなわない夢があるということを勉強させてもらいました。それでも、私は、新たな夢に向かって走り続けます」くらいは言ってほしかった。
あなたの言葉を信じて応援し続けてこられた多くの人々に対しての、フォローのような言葉がほしかった。
その代わりが、「三大大会連続挑戦」ではなかったのでしょうか。
なにをどう満足されたのか、私にはよくわかりません。いっそのこと、「走るのがアホらしくなりました」とか言われた方がすっきりします。
私のおすすめ。
しばらく走ることとは無関係なことを。あちこち旅をするのもいいかも。
私の一押しは、もちろん「沖縄」。特に八重山地方がおすすめです。
「なんくるないさー」の精神に触れるだけでも値打ちがあります。
西表島の「よんなぁよんなぁ」さんのエコツアーもいいですよ。「ゆっくりゆっくり」島巡りでもされてみては。
そして、どうしても走りたくなったら・・・。
大きな大会のゲストはやめておきましよう。
ランニングクラブ主催の小さな会にお忍びで、というのはどうですか。きっと、目からうろこが・・・。
私の三押し(?)は、「京都鴨川ゆっくりラン」、「大阪城公園○時間走」、「マラソンに挑戦する会(金沢)」です。楽しい大会である事は、私が自信を持って保証します。
ぜひ来てください。お待ちしています。(と、私が言うのもなんですが・・・。)
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2008年10月28日(火)
林幸博君 [私の好きな人]
昨日、中学時代の同級生・林幸博君から電話がかかってきた。
「明日の昼から、いる? 車のタイヤ替えに市原行かんなんし、そのついでにこうちゃんとこよるわ。」(「こうちゃん」は、私の呼び名です。)
林幸博君は、実家の近くで養鶏場の仕事をしている。(左京区大原百井町)
市原のタイヤ屋さんから、京都キャロット産大前店まではすぐ。ついでとはいえ、わざわざ会いに来てくれるとはうれしいことだ。
今年の5月、ブルガリアから一時帰国されていた中学時代の恩師・中古賀先生を囲んでクラス会をした。その時、幹事役をしたのが私と幸博君である。(くわしくは、5/19〜23のブログ参照)
クラス会の会場は、幸博君の実家が経営されている地鶏料理店「とり幸」さんを使わせてもらった。
同級生14人中8名の参加だったので、まず成功といっていいだろう。みんなよそよそしくなく、知り合いの家でゆっくりさせてもらったという感じであったのも良かったと思う。
クラス会が終わったあと、一番喜んでくれたのは誰だろうと考えた。
まず最初にうかんだのは中古賀先生。でもよーく考えてみると、先生よりも幸博君の方がうれしそうであったように思う。
私たちが卒業した花脊第一中学校は、当時、別所小学校の卒業生に加え、大原小学校百井分校の卒業生も入ってきていた。百井からの通学者は、毎日峠越えの細い山道を約4km歩いて通っていた。
クラス会の相談で、何回も幸博君に会いに行った。その時、「毎日、行きも帰りも1時間ほどかかって、しんどかったやろ。」と聞いてみた。
その答えは、意外にも、「全然。それが当たり前やったし。」
その言葉を聞いた時、「そっかー、絶対楽しいクラス会にしょう」と思った。幸博君は、きっといい方の思い出を大切にしてくれているんや。
私は、中学時代、幸博君が大好きだった。
すごいノッポで、いつもニコニコ。よっぽどのことでない限り、絶対に怒らない。なぜかひっつきたくなる、そんなふしぎな存在だった。
「幸博君てなー、絶対怒らへんかったやん。なんでー。」 これも聞いてみた。
「親から言われとってん。おまえがしんぼうせー、てな。」
「そっかー。」
幸博君はいやなこともいっぱいあったみたいやけど、グチを言わない。にわとりの世話を黙々とこなしている姿は、かっこよかった。
この時も思った。幸博君が心から楽しめるクラス会にしよう。
うちのヨメさんにも言われた。
「幸博さんて中学出てすぐ働かはったんやったら、クラス会の機会ってなかなかないで。きっと、ものすご楽しみにしてはるで。」
そうやな、そこまでは考えんかったな。
中学入学がちょうど40年前やから、細々とやけど長い付き合いやね。
2年後にまた、約束どおりクラス会やるから。それまで、おたがい元気に生きていこうな。
きっと、中学の時と変わってへん度ナンバーワンは、ボクと幸博君の争いやと思うで。
それにしても、ノッポのはずやった幸博君、ちょっと縮んだ?
幸博君、今日はありがとう。また来てな。
(注目!) ぜひ、地鶏料理「とり幸」さんのご利用をお願いします。
ホームページは、「百井 とり幸」
お問い合わせ、ご予約はお電話で、(075)744-2252
いなかが好きな方にはぴったりのところです。京都の中心部から北へ約1時間。送迎も相談にのっていただけます。
味のほうは、私が保証します。
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2008年10月27日(月)
第20回諏訪湖マラソン・続き [ランニング・出張販売]
やっぱりレースに出ないと、盛り上がりに欠ける。
写真もさびしいものばかり。やっぱり、ピンボケでも手ブレでもレース中の写真はいい。
せめて、雑種犬の写真をと思ってキョロキョロしていたら、いました。ライオンのようなたてがみを持った白いワンちゃん。若い男の人が飼い主さんでした。
「ワンちゃんの写真撮らせてください。」とお願いすると、ちゃんとおすわりさせてくださいました。
すごくやさしい顔だったので、てっきりメスだと思ったらオスでした。
あんまりかわいいので、ヨメさんも呼んでペロペロしてもらった。
ああ、もうこれで十分。
諏訪湖に来た甲斐がありました。
ルーイちゃんは、しっぽなし。小さい時、病気で切らざるを得なかったそうです。それでも飼い主さんに向かって、しっぽの付け根だけを一生懸命に振っていた姿がかわいらしかったこと。
ええワンちゃん見せてもらいました。
小さな周回をスタート地点まで戻ってくると、第一関門。たぶん、4km過ぎ。そこで、千葉ちゃん(千葉真子さん)の「イッチ、ニー、イッチ、ニー」の掛け声。
ここで引っかかる人もいます。(「どしたん?」と言いたくなってしまう。)
先頭ランナーが、1時間6分くらいで戻ってくる。
小学生の男の子が、「この人、2連勝だね。」
すごい。君は、通だね。去年の優勝者を覚えてるの?
今日は、うれしいことがあった。
4人の人から、「ブログ見てます」と言ってもらった。
一人目は、スタート前、お客さんで混雑している時。お返事もできなかった。せっかく声をかけていただいたのに、すいません。
二人目は、大阪の下村さん。(聞き違えているかもしれません。その時は、ぜひご連絡を。)
今日は、絶好のコンディションで、自己新が出たとのことでした。よかった。
「ブログの写真より、ずっと細く見えますね。」 あれっ?
三人目は、諏訪のおとなりの岡谷の三枝さん。
「いつも、通販でお世話になっています。」
お世話になっているのはこちらのほうです。定期的に購入してくださっている、いいお客さんです。
最後は女性。
「とても楽しいブログですね。」
私のことを好意的に評価してくださる方は、みんな美人に見える。いやいや、本当に魅力的な方でした。地元長野の方だそうだ。
「ブログの写真より、だいぶ細いですね。」 あれっ、また? 私の写真、そんなにデブリン? ブログの内容が、デブリン系ゆるゆるになってしもてんのかなあ。
私のブログをよくないと思っている人は、声をかけてくださるはずもない。よいと思ってくださる方が、こうして声をかけてくださる。
どこがいいのかな。
自分では、思ったことをかざらずにそのまま書いているのがいいのかなと思う。
時々、おふざけが過ぎることもあるが、それも愛嬌。
それから、私は人の好き嫌いがない。どんな人でも、その人のいいところを見つける自信がある。(これ、ホント。)
それと、よくありがちな自慢話がない。(ひとの自慢話は、聞いていていやになりますよね。)
これからもできるだけ広い心でいろいろなものを見て、皆さんに楽しんでいただけるブログにしていきたいと思います。
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2008年10月26日(日)
第20回諏訪湖マラソン [ランニング・出張販売]
私は、マラソン大会の出張販売の時、必ずレースにも参加している。それが、京都キャロットと他店との一番のちがいと自負している。
ただ、唯一の例外が、この諏訪湖マラソンである。
この大会も数年前まではレースにも出ていた。それをやめたのは・・・。
この大会は、ハーフのみ7000人が一斉スタート。
ということは、スタート前は仮設トイレの前に長蛇の列。
余裕のある人はいいが、直前まで販売の仕事(というか、仕事のふり)をしている私は、タイミングよくトイレにいくことができない。
数年前、ちゃぷんちゃぷんのお腹でスタートし、4km過ぎのトイレまでしんぼうして走った時は泣きかけた。
それ以来、ここでは無理して出場しないようにしている。
初めからレースに出ないと分かっているので、今日はジャージではなく普通の服装をした。
朝、そのかっこうを見たヨメさんが、「どしたん?」と気持ち悪そうにこっちを見た。
「アンタは、いつでもどこでもジャージ。このままずーっとジャージ着て、ひからびて死ぬんやろなあ。」と常々言われている。
「ジャージ以外の服着たら、そんなにおかしいんかい!」と言いたかったが、もちろん言えない。
前日までの予報では雨の心配はなかったのに、あやしい空模様。
一番お客さんが多い8時すぎ、雨が本降りになってきた。あわてて、ビニールシートをかぶせる。気温もどんどん下がっていく感覚。
これで、今日の売り上げは去年を大きく下回ることが確実。
うちの出店テントのすぐ後ろが仮設トイレなので、気にして見ていたが、トイレの混雑は以前よりはましになったようだ。スタート15分くらい前には、並ばずに使える状態になっていた。
ただ、そこから6000人強の列の最後尾に並ばなければならず、そう思うと「ちょっとなあ」という感じ。
この大会は、もともとは諏訪湖一周マラソン(約16.8km)として始まった。ところが、それでは中途半端だということで、諏訪湖の北側を小さく周る4kmちょっとが付け加えられた。
最初スタートして2kmほど北へ走るのだが、この道が広くない。ここで、前のランナーを抜くのはかなりむずかしい。
2回右折して、諏訪湖の方に戻ってくるあたりでやっとばらけ、抜くことができるようになる。
だから、記録をねらっている人は、早めにスタート地点に行き、前の方に並ぶしかない。でも、早く並び過ぎるとトイレの心配が・・・。このへん、ほんとにむずかしい。
この大会の会場は、土のグランド。そのため、雨が降ると下がにゅるにゅる。うちが出店していた場所は比較的ましだったが、食べ物系のテントの前はぐちやぐちゃだった。
この時期、雨が降る確率も高く、いくら7000人規模の大会とはいえ出店のリスクも大きい。
また、同じようなボヤキになるが、初めのころはランニング用品の出店はうちくらいだったのに。今や、7店舗。
来年は、しっかり準備して久しぶりに諏訪湖畔を走ってみるか。そうでないと、やってられんね。他のお店と、ここで差をつけないとね。
(注)まだ、続きます。
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2008年10月25日(土)
毒嫁の怒り [家族]
「バシッ! バシッ!」 (これは、あくまでも効果音です。決して私がヨメさんにしばかれている音ではありません。)
「アンタ、ええかげんにしいや! 調子に乗ってたらあかんで!」
「バシッ! ボコッ!」 (あくまでも効果音)
「ブログに、なに好き勝手なこと書いてくれてんのー。『仕事をしました』やてー、アンタがいつ仕事した―? アンタがしてんのは、仕事のジャマ、仕事のふり、そう正確に書いてもらわな困るわ。
きくの世話かて全部私がやってんのに、ブログ読んだ人はアンタがやってると思うやろ。『私は、横でボーと立ってるだけです』とはっきり書いてもらわんと。やってられんわ、ほんまに。」
「バシッ! ボコッ! グェッ!」 (しつこいですが、あくまで効果音)
こうして、諏訪湖畔の夜も更けていくのであった。
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2008年10月24日(金)
病気になってられん子 [家族]
ある時はイケメン整体師、ある時はスケートの織田信成、そしてある時はザ・パンチのかたわれ、「気持ちわるーい、お願いだからワニの背中で洗濯して〜」という役にもなれるうちの廉。その廉が、ダウンした。連日の雨の中のサッカー部の練習で、体調をくずしたのかもしれない。
学校から帰って、すぐベッドへ。熱が出てきた。
私たちは、明日から「諏訪湖マラソン」へ出張販売。子どもたちがどんなにしんどくなっても、みてやることはできない。
今は、高2と中2になった子どもたち。親がいなくてもなんとかするだろう。
2年前までは・・・。
ほとんど毎週末、子連れで遠いところまで出張販売。バンにシューズやウェアをぎゅうぎゅうづめにし、そのすきまに子どもと「きく」を積め込む。
どんなにしんどくなってもかまってもらえないことを学習してしまった子どもらは、絶対に病気にならない。
平日にしんどくなっても、「学校の保健室で寝とき」と言って、学校に放り込まれる。「おれら、病気になったら、こんな目にあうんやぞー」と、学校のみんなに自慢(?)していた。
唯一うちの子がしんどくなってもいい日。それは出張販売の予定の入っていない週末。そんな日は、一年に二、三回しかなかった。
でも、そんな時に限って、母ちゃんまでしんどくなってしまう。小さい時から甘えられるスキがもらえへん子やったね。
しんどい時はゆっくり休みや。看病はしてやれへんけど、きくちゃんがしっかり癒してくれるよ。(安眠のジャマしているようにしか見えへんけど・・・。それは、錯覚です!)
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