2011年04月18日(月)
第6回宍粟市さつきマラソン・続き [ランニング・出張販売]
この「ブツ」にピンときたら110番、・・・じゃなくてー。
この「ブツ」にピンときた人は、ブログ「パオパオだより」のつうです。
さて、この「ブツ」はなんでしょう。
私のゴール後、兵庫の友人・まっちゃんがわざわざたずねて来てくださった。まっちゃんはハーフにエントリーしていたのだが、用事ができてしまい不出場。それでも地元姫路から近いということもあり、顔を出しに来てくださったのだ。
思い起こせば2年前、この大会でまっちゃんとのツーショット写真撮りましたなあ。
まっちゃんといえば、姫路市夢前町で小規模共同作業所を運営されている人。そして、「ランナーズ9の会」の会員であり、今もサブスリーをめざしている人。常に前むきで、自分に妥協することがない人という印象。
確かにそうなんですけどね、私にとっては頭がクラクラするほどおいしいお味噌を持ってきてくださる人でもあるんです。
そう、最初の写真の「ブツ」の答えは、「まっちゃん家特製お味噌」でした。
あのお味噌、私が思うに、絶対「ヤク」が入っているにちがいない。前にいただいたお味噌が切れてしまった時、私は完全に禁断症状が・・・。心イライラ、胸がムカムカ、よだれダラダラ・・・、ってそれはたいそうか。
私が生涯いただいたお味噌の中で最高のおいしさ、・・・と言うより生涯いただいたすべての食べ物の中で最高のおいしさと言ってもいいかもしれない。これは、たいそうにゆってるわけじゃあありません。ほんま、ほんま。ほんまにありがとうございます。また、お願いしますね。
さあ、知り合いの写真を撮りに行かなくては。
最初は、海部進さん。
岡山の釣りの達人です。数年前、「瀬戸内海タートルマラソン」の帰りのフェリーでお話させてもらってから親しくさせてもらってます。
もう70代なのに、ハーフ1時間48分台でゴール。すごいです。
「写真撮らせてもらったとき、すごいしんどそうでしたね」と言うと、「初めての参加でゴールがよく分かってなかった。スタート地点がゴールじゃと思うとった。あと300mもあったとは・・・」とのこと。
「どなたか存じませんけど、写真撮らせてもらいます。」
「ランナーズ9の会」のユニフォームを着ている人を見つけたら必ず写真を撮る。あとでナンバーカードでお名前を確認しようと思っていたが、半分しか写っていませんでした。
どなただったんでしょう。
次は、藤本綾乃さん。
出ておられるとは知りませんでした。でも、このスタイルにピンときたら・・・綾乃さん。元くのいち、現在は宇宙人?
とっさにシャッターを押したので、横からの姿になってしまった。残念。
はるか遠くまで見通せる直線。その向こうから、着実にきれいなランニングフォームで帰って来る人がいた。フラッシュグリーンのユニフォームがまったくぶれずに近づいて来る。
あれは、朝日啓介さん。
朝日さんは74歳。マラソン大会には必ず奥さんとごいっしょに来られる愛妻家だ。この大会も奥様が5kmにエントリーされていたのだが、奥様の体調がかんばしくなく一人で来られたらしい。「2時間以上も一人で待たせておくのはかわいそう」とのこと。
ゴールされたあとテントにあいさつに来られた時、お友だちが朝日さんの秘密をばらしてしまわれた。
「朝日さんね、心臓にペースメーカー入れてはるんですよ。」
「えー、それで毎週ほどマラソン大会出てはるんですか。だいじょうぶなんですか。」
「ずーっとやってきてるからね。でもね、去年の夏はそのペースメーカーの調子が悪くなって、とうとう取替えの手術になってしもうたんやけどね。そのあとウォーキングから始めて、ぼちぼち走って、また大会に出られるようになりました。今年の夏は、去年出られなかったアクアスロン(水泳+ラン)も3回ほど出る予定です。」
「そら、すごい。」
もうびっくりして言葉もありません。
「上品な愛妻家ランナー」、朝日さんにぴったりな形容ですね。
私もそうなりたい。
10時スタートのハーフは2時間半で交通規制解除。
このあたりからぼちぼち片付け始め、2時半ころにはきれいに片付け終わった。
土地をお借りしたDさん宅へお礼に。
猛烈にしっぽをふってくれている白いワンちゃん。
たしか、しろちゃんやったね。
あんなにしっぽふってくれてたのに、近づいたら急に元気なくなんねんなあ。なんで?
でも、お客さんの手をペロペロしてくれるからいいワンちゃんです。
このワンちゃんに会えるのも、この大会の楽しみの一つなんですよね。
また、来年会おうね。
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2011年04月17日(日)
第6回宍粟市さつきマラソン [ランニング・出張販売]
10kmスタート直後、「京都キャロット」の出店テント前を通過する。
まさか、ますみさんがカメラを構えて待ってくれているとは思わなかった。
きれいに撮ってくれてありがとう。
昔はこんなことしょっちゅうやったのに、ボクがちゃんと「ありがとう」を言わへんかったから、最近はごぶさたに。これですごくいい気分のスタートが切れた。
こっちもお返しの「パチリ」と思ってトライしたのだが・・・。
「なんじゃー、こらー!」
自分で自分の影を撮っていた。
「あーあー。」
話はドーンと飛んで、私のゴール後。
テントに戻ろうとすると、ますみさんがランナーの来る方向をずっと見つめていた。
「何してんのん?」
「また、写真撮ったげようと思って・・・。」
まあ、なんてけな気で気立てのいいヨメなこと。前からそうちゃうかなーと思ってましたけどね。
5時自宅発、7時会場着。
この大会は、会場向かいの畑をお借りして出店している。
まだ準備完了までいかずバタバタしているとき、かわいいワンちゃん発見。首に黄色いバンダナ。私がかまいに行くと飛びついてきてくれた。きゃー、うれしい。
「ちゃこ・メス・6歳」でした。
この畑をお借りするようになって、もう何年になるのだろう。それから幸い一度も雨が降っていないが、もし降ったらとんでもないことになるような場所。お天道様も、「京都キャロット」を応援してくれているのかな。
畑の横の細長い空き地に、細ながーく商品を並べる。
すべて並び終えたのは、受付終了時刻の9時近くだった。
受付をすませ、着替えてウォーミングアップのジョグへ。
会場のすぐ近くに、見えているだけで5ひきの犬を飼ってられるおうちがあった。その向こうにもちがう鳴き声が聞こえていたので、もっといるのかもしれない。すっげー!
ジョグしている時、朝日啓介さんとばったり。朝日さんは、私がお手本としている70代のランナーです。今年の「亀岡元旦ロードレース」でお会いする予定だったが、雪のため中止。渡そうと思っていた「万博クロカン」の写真を持ってきてよかった。
10時スタートのハーフは、1286名のエントリー。
朝日さんも、今日はハーフに出場。スタート地点で写真を撮らせてもらおうとしてさがしたが、ここでは見つけられなかった。
私が出る10kmは、一番最後の10時20分スタート。
今日の目標は、42分台。
前半の上りを22分以内、後半の下りを21分以内で。今の自分には、かなりきつい目標かも。
10時10分スタートの5km(368名)を見送り、いよいよ10kmのスタート。
全種目山側に向かってスタートなので、10kmも折り返しまで60mほど上る。
スタートのまん前に競技役員さんのテントがあったので、写真を撮っておいた。
10時20分スタート。
10kmは753名のエントリー。
最初に1kmごとの距離表示がなかった。ハーフ、10km、5kmとスタート地点が微妙にちがうので表示できないようだ。往復コースなので、スタート地点は3種目共通にしても問題ないと思うんですが・・・。
距離表示がないため、今自分がどれくらいのペースで走っているかが分からない。反対側にある「あと1km」「あと2km」の看板を見て、キロ4分半くらいのペースであることが分かった。
上の写真は、折り返してきた5kmのトップ。2位以下が豆粒ほどにも見えないくらいのダントツだった。
郵便局前で、毎年鳴り物の応援をしてくださる地元の方。これは元気が出ます。ありがとうございます。
4km地点あたりだと思うが、10kmのトップも帰ってきた。こちらもダントツ。2位以下が見えません。
私も折り返し、300mほど来たところが中間点。
22分32秒。思った通り、ちょうどキロ4分半ペース。目標より30秒ほど遅れ。42分台を出すには、残り5kmを20分27秒。それって、今の5kmのベストタイムじゃあーりませんか。いやいや、それでもチャレンジしよう。
ところが、帰り道には数々のトラップが・・・。
まずは、ゴレンジャートラップ。
こんなポーズのサービスまでされたら、しっかり立ち止まって写真を撮らないわけにはいきません。
出たー!
次は、美人殿様(?)トラップ。
ここは、毎年ちがうキャラでトラップを仕掛けている。それに毎年引っかかってしまう私のような「アホ」もいる。
ゴール前残り300m。
ここは、「京都キャロット」トラップ。
本来なら、ラストスパートで怒涛の走りをするところだが、「ますみちゃーん」。ちょうど接客中。私情よりも売り上げ優先、これは当たり前のこと。
すぐ記録証発行所に行くと、「まだ、出ませんね。もうちょっとしてから来てください。」
おー、これはゴールから発行所までの早さでは私が一番ってゆうこと?
しばらくしてからもらった記録証は、43分22秒。
目標の42分台には23秒届かんかったね。でも、後半5kmは、20分50秒。数々のトラップをかいくぐり、しっかり走れました。
最後の1kmも、「ますみちゃーん」と探してたわりに、3分59秒。なかなかやるやんけー。
記録証発行所の横に、見覚えのあるワンちゃん。
「いや、ちゃこちゃん。」
連れておられるのは、朝は女性、今度は男性。
「朝、ワンちゃんの写真撮らせてもらったものです。その時連れておられたのは奥さんですよね。今、走っておられるんですよね。」
「はい。」
「ハーフですか。10km?」
「えーと・・・。」
ダンナさんのほうは、マラソンにはあんまり興味がなさそう。それに、朝あんなにはしゃいでいたちゃこちやんも、なぜかうなだれている。きっと、今走っておられる奥様に早く帰ってきてほしいんでしょうね。
「京都キャロット」のテントに戻ろうとすると、ますみさんが・・・。
いつもは戻った途端にぼやかれることが多かったのに、こんなふうに迎えてもらうと疲れも吹っ飛ぶ。
あとは、知り合いの写真をしっかりとること。
それで喜んでもらえたら、私もうれしい。
まあ、ゴレンジャーはいいとして・・・。
(注)まだ、続きます。
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2011年04月04日(月)
第1回なにわ淀川ハーフマラソン・続き [ランニング・出張販売]
「おー、もう帰ってきたやん・・・。写真撮るでー!」
ゴールまで残り500mほどの鉄橋下で待ち構えていると、ばっちり見つけました。私が勝手に「京都ランナーズの錦戸亮」と呼んでいる中村智明さん。
ハーフと10kmが混じっていてよく分からなかったが、6位入賞はビミョーなところか。
最後のL字カーブを近道し、中村智明さんのフォーム分析へ。
安定したきれいな腕の振り。
ぐーんと伸びるきれいなストライド。
そして、私が声をかけたときにピースサインを返してくれた余裕。(残念ながら、そのシャッターチャンスは逃してしまった。)
今ちょうどうちの廉といい勝負だと思う。同じレースで対決させてもらいたいなあ・・・。
あっ、あれは村本みのるさん?
森脇健児さんが、ランナーに声をかけながら戻ってこられた。
時間がたつほど、ランナーが固まりになって帰って来る。
あーあーあー、あれは長居わーわーずの「めぐちゃん」。
森脇健児さんとハイタッチ。
最後まで息の合ったペアだった。
かなりのスピードに感じましたけど・・・。
朝うちのテントにごあいさつに来てくださった、亀岡の快速ランナー・松本一之さんとこのブログの常連・三宅文彦さんは写真を撮りたかったのだが見つけられず。参加者の多い大会では、よっぽど目立つ格好でもしてもらわないと見つけられない。残念。
表彰式のあとで、また森脇健児さんと松竹芸能の若手とのからみ。
私は、これから応援する予定の藤井日菜子さんのアップを撮っておいた。満足。
最後に中村智明さん発見。手にはしっかり賞状が。
よかったー、入賞おめでとうございます。
今度お会いしたら、この写真渡しますね。
私は前日の滋賀マスターズの練習会が充実していたせいか、レースに出られないもどかしさはあまり感じなかった。
「何でもかんでもレース」と思っていたころに比べて、今はちょっと成長したのかな。
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2011年04月03日(日)
第1回なにわ淀川ハーフマラソン [ランニング・出張販売]
「あっ、先週長居で会った人・・・。」
スタート地点で、こないだの日曜の「伴走教室」でお会いしたお二人を発見。何か話しかけなくては・・・。
「すいません、こないだ長居わーわーずの・・・」
「(私は耳が聞こえません)」の手振り。
そうやそうや、男性は盲ろうのかたで、付き添っておられる女性も聴覚障害の方だった。男性は、その時積極的に質問されていたうちのお一人。女性は、その質問を指点字から手話に高速翻訳されていた方。
うーん、何とかコミュニケーションがとれないものか。
そや、字を書いてそれを読んでもらおう。
パワージェルのパッケージの裏にメモ。
「ブログにお写真をのせたいので、
とらせてもらっていいですか。
お名前も教えてください。
藤井」
付き添いの女性が読んでくださり、それを男性に伝えてくださり・・・。横で待っている間は不安で不安で。少し時間がかかったが、OKが出た。
シャッターを押すタイミングをどう伝えようか迷った。でもけっきょく、普通に左手を上げて合図して撮らせてもらった。
うまく撮れていますよね。
お名前も教えてくださってありがとうございます。
必ずまたお会いしましょう。そのときは、もう少しうまくコミュニケーションがとれるようにしたいです。
今日は申し込みしめ切りを忘れていてレースには参加できなかったが、西村さん湊さんにお会いできて「値打ち!」
朝4時半起き。
名神吹田ICから会場までが、思っていたより離れていた。それでも着いたのはちょうど6時。
7時から受付だったが、7時になってもほとんど人影なし。最寄りの駅から歩いてすぐなので、みなさんわりとゆっくりめに来ておられたようだ。その分、こちらもあわてずしっかりと開店の準備ができた。
開会式では、森脇健児さんが松竹芸能の若手をたくさん連れてきておられた。
その中でも、「森脇健児陸上部」の女子部に注目!
若手、若手、と来て最後に紹介されたのが、「ふじいひなこ、37歳」。(会場からどっとどよめきが・・・。)
テントに戻ってすぐ、ヨメさんのスマートフォンに音声入力検索をしてもらった。
「ふじいひなこ、しょうちく。」
おー、出た出た。スマートフォンは便利やなあ。
うんうん、わりとかわいい人やん。名字もうちといっしょの「藤井」やし、「日菜子」ちゃんて名前もかわいいし。これから応援しよっと。
関西の大会は、マラソンランナーをゲストに呼ぶよりお笑い系(走れる人)を呼んだ方が絶対に受けると思う。
ハーフ申込は、3300人とか。
スタート地点はまあまあ広かったが、途中はどうなんやろう。レースに申し込んでいたら、そのへんもしっかり見てくるところだったが・・・。
土曜日、京都は20℃を超えた。今日は気温が下がるとの予報だったが、予報以上に下がったようだ。暑がりの私でも指先が冷たい。
パラパラと「京都キャロット」のテントに来られるお客様も、手袋やアームウォーマーを求めての方がほとんどだった。4月にこういうものが売れるなんて、よっぽど寒いんですね。
ランニング用品関係の出店は、うちを含めて3店。(「京都キャロット」は3店の真ん中。)
ただし、会場が広すぎてうちの出店に気付かれないまま帰ってしまわれた方も多そうだ。
スタート地点では、森脇健児さんがみんなを盛り上げてくださっていた。
9時30分にハーフがスタート(約3300名)。
10時10分に10kmがスタート(約1400名)。ともに上流に向かってのスタートなので、途中で混雑する可能性大。
10時40分ごろ両種目のトップが帰ってくるはずと思い、そのちょっと前にゴール地点で待っていた。
先に帰ってきたのは、ハーフの1位。ダントツです。
2番手は、10kmの1位。こちらもダントツ。
さあ、あとは知り合いを見つけて、しっかり写真を撮らなくては…。
(注)後半に続きます。
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2011年03月14日(月)
能登和倉万葉の里マラソン2011・続き [ランニング・出張販売]
夜、こわい夢をいっぱい見た。ぐっすりとは眠れていない。それは、テレビで被災地のすざましい光景をくり返し見たせいだと思う。
七尾駅前の「さたみや旅館」さんを出たのは5時半過ぎ。会場に着いたのは6時だったが、出店テントは7時にならないと立ててはいけないということだった。約1時間待ちぼうけ。
受付に行くと、受付横で中学生の女の子が黄色いリボンを配っていた。「被災地復興を願って身につけて走ってください。」
どうせなら、ここに募金箱も設置されていればよかったのに。それらしきものは見当たらなかった。(このだいぶあと、カキの会場で募金箱を見つけたので少しだけ募金をさせてもらった。)
9時半ごろ、フルのスタートに向かう三宅文彦さんとすれちがった。三宅さんは、先週の篠山マラソンを走られたばかり。2週連続フルはきついと思うけど、今日もいつもの満面の笑みでスタートに向かわれた。
金沢市のレストラン「カーサミア」の能登谷さんご夫妻も。フルに出られるご主人の目標は、4時間を大幅に切ること。タイミングが合えば、応援に行きたい。(能登谷さんとは2年前のこの大会のレース中に知り合った。「犬を捨てるな!」と書かれたTシャツで走っておられた。)
10時ちょうど、フルがスタート。申込者の数から見ると、実際の参加者はかなりへったらしい。それでもフルの参加者は多く、私はスタート地点から500mほど先で待ち構えていたのだが、三宅さんも能登谷さんも見つけることはできなかった。
このスタートを見届けてからウォーミングアップへ。会場周辺を約3km。睡眠不足のせいか体が重い。流し200×1本+100×6本。そのあと、ゆっくりゆっくり1km。
うちの出店テントの前を通ってスタート地点に向かおうとすると、商品がいっぱい風で飛ばされていた。それらを急いで元に戻してスタート地点へ。
アナウンスでも、「行きがきつい向かい風、帰りは楽な追い風」のようなことを言っていた。いやいや、それでも距離の短いレースでは初めからどんどん突っ込んでいかなくては。そう思い、最前列近くに並んだ。まわりは七尾高校陸上部。
「ついていくでー。」
11時10分、10kmの部がスタート。
スタートから3kmまでは順調。4分00、4分06、4分08。
しかし、3km過ぎから右に曲がると強烈な向かい風。4分32、4分40。
折り返しで、21分28秒。
さて、後半の巻き返し。4分15、4分13。まあまあ。
ところが、7km手前で左に曲がるとまた向かい風。7〜8の1kmが4分29。
くっそー、せめて最後の2kmねばろうぜ。4分18、3分57。
ゴールは、42分41秒(後半21分13秒)。
目標の41分台には遠く及ばず。でも、向かい風がなかったらもう少しは迫れたかも・・・。
今日は新しいウェアのデビュー。
着心地はよかったが、ちょっと足が短く見えるかも・・・。
フル40km地点のエイドに、「さたみや旅館」のご主人がおられるとのことだったので、行きも帰りもさがしてみたが見つけられなかった。「さたみやさーん、さたみやさーん」と言いながら走ったのだが。
しかし、そのだいぶあと、私のいない時にご主人がうちのテンに来てくださったらしい。ヨメさんの話によると、「さたみや」さんのご主人は、私を見つけてくださっていたようだ。応援ありがとうございました。
かわいいワンちゃん発見!
さっそく写真を。
「うえ様・メス・9歳」
足の手術をしたばかりなので、手製エリザベスをしていた。
そろそろ能登谷さんがゴールしそうな時間。
ゴール付近は混雑していたので、ゴール手前500mのあたりまで足を伸ばした。ここは、建物の間から七尾湾が見える。遠くには能登島大橋も見えていた。
この近くの橋の上で、ランナーに向かってずっと声をかけておられた方があった。
「写真撮らせてもらっていいですか」とお聞きすると、「オッケーです。」
走っていると、こんな応援がうれしいんですよね。
何かのモニュメントのようなところの前も走る。
「ラブ注入」ならぬ「ファイト注入」。
ゴールはこんな感じ。
私も、2年前の第1回大会でここを晴れがましい気持ちで走らせてもらった。
4時間をだいぶ過ぎても能登谷さんの姿は見えず。ひょっとしたら見過ごしたかも知れないと思い、いったん店に戻ることにした。
このあたりをうろうろしたのがクーリングダウン代わり1kmとして、今日は合計16km。
そのちょっとあと、能登谷さんが「全然ダメでしたー」と照れくさそうに笑いながら帰ってこられた。そばにはかわいい奥様とかわいいワンちゃんを連れて。
ワンちゃんの名はオッティー。ほかの3びきは車に待たせてあるそうだ。お出かけの時は、こんなふうにいつもみんないっしょらしい。
うちも、子連れ犬連れ出張販売で有名だったんですけど・・・。
今回の「京都キャロット」の売り上げは過去最低。今年は出店料がドンとはね上がってしまったため、大幅な赤字になってしまった。
それでも、「京都キャロットの大ファン」と言ってくださる方もおられることだし・・・。うちの出店を楽しみにして待ってくださっている方がおられる限り、これからもがんばって出かけて行こうと思っています。
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2011年03月13日(日)
能登和倉万葉の里マラソン2011 [ランニング・出張販売]
「この時期にマラソン大会に参加させてもらった私の考え」
心情を強制して、そこから生まれるものは?
死者・行方不明者が数万人になろうとしている東日本大震災。「能登和倉マラソン」は、その発生の2日後に行われた。
「名古屋国際女子マラソン」を初め、全国各地で予定されていたマラソン大会が中止された。「能登和倉マラソン」についても、ぎりぎりまで開催か中止かの議論がなされたようである。
直接被害を受けた地域以外の住民にできることはなんだろう。マラソン大会を中止して、被災地のために具体的に何かができるのであればそれも一つの考えである。でも、とっさにそんな判断をするのは極めてむずかしい。
この時期にマラソン大会に参加している人を批判する人は、少し勘ちがいされているのかも知れない。「ランナーは、自分のことだけしか考えないわがままな人たちだ」とか?
もちろん、この私も一番には「走るのが楽しい」から走っている。でも、最近は大会中に道端で応援してくださる人たちの表情がよく見られるようになった。
いなかのほうの大会ほど、お年寄りの応援が多い。中には車イスで、ほとんど動けないような体の不自由なご老人もおられる。しかし、そのお年寄りたちが私たちを応援してくださる表情は、皆生き生きとしたものに見える。その応援の日を待ちに待ったかのように。
大会を中止するということは、この1年に1回の応援の機会もなくすことでもある。
私がマラソン大会で一番うれしかった応援の言葉は、お年寄りから言われた言葉「また来年も来てくださいね」。
「この非常事態に浮かれている場合か」とおっしゃる方には聞いてみたい。「自粛自粛と心情を強制して、そこから生まれるものは何?」
全国民が黙ってじっとしていれば、震災から復興できるのでしょうか。私はそうは思いません。
極めて個人的な話になり恐縮ですが・・・。
私の中学時代の同級生・Y君のこと。彼は運動がほとんどできなかった。それでもいなかの小さな中学校だったので、本人の意思に関係なく強制的に野球部のメンバーに入れられた。当然のことながら、練習すらまともにできないような状態でで3年間過ごした。
こんな書き方をすると、私がいかにも野球がうまかったように聞こえるがとんでもない。ただ人数あわせに、何とかぎりぎりレギュラーの9人に入れてもらっていただけのことである。
そんな私は、私よりずっと体格のいいY君のことをいじめるようなことはしなかったと思う。ただ、確実にないがしろにはしていた。そのことが、中学を卒業した後もずっとずっと気になっていた。
それから約35年後、私らがもう50代になった時。私たちの出身中学校が閉校になることになり、当時PTAの役員だった私はY君に会いに行った。
「○○ちゃん、ずっとずっと気にしてたことなんやけど・・・。○○ちゃんなあ、野球とか陸上とか全然でけへんのに、いやな顔一つせんとボクらに付いて来てくれてたやん。あれって、かなんことなかったんかなあって・・・。」
「なにゆうとんねん。おもしろかったって。自分がでけへんことを、みんなが一生懸命やってくれてるんやとおもて見とったわいな。見てるだけでもけっこうワクワクしておもろかったで。」
「そっか・・・。」
そんな気持ちでボクらのこと見てくれとったんかー。それを聞いてほっとして、ちょっと泣けてきた。
そうなんや。
「こんなたいへんな時に、なにをへらへら走っとんねー!」という人も一部はおられるかもしれない。でも、「元気に走っている姿を見ているだけでうれしいです。また来年も来てくださいねー」と言ってくださる方もたくさんおられる。私は走りながら、自分の目でそういう人をいっぱい見つけられた。
どのようなときにも、批判的な意見は必ず出てくる。それが今後に生かされる建設的な意見であればよいのだが、私から見れば感情的な意見であることが多いように思う。しっかりと自分の目で見た自分の体験から出てきた批判であるのなら、論理的に根拠のある批判にしてほしい。もちろん、ちゃんと実名を出して。
以上、私・藤井廣司の考えです。
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